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八王子の与太郎河童、
つまづき、すべって転んで、たちあがり・・。
明日も、滑って、転んで・・。

ムカデを退治した豪傑、佐野市鞍掛神社

2019-12-06 22:10:12 | 関口文治郎/神社仏閣
 
滋賀県三上山、500m足らずの富士山の形に似た、
山を見た平安時代の女史、紫式部。
「打ち出でて 三上の山を 詠れば 
雪こそなけれ 富士のあけぼの」と詠んだ、
近江富士を7巻半もまく大ムカデがいた。
大ムカデは湖の龍族の仲間をさらい去っていくという。
困った龍族の長老は、
瀬田の唐橋で大蛇に姿を変え、
蛇をまたいでいく豪傑、俵籐太にムカデ退治を頼み、
竜宮城に招待する。

豪傑の名は藤原秀衡。
下野在庁官人から、土着した下野の貴族、豪族の武将。
弓矢の名人で、ムカデの目を射り退治し、
お礼に、竜神が差し出したのは、米俵、釣鐘、絹で、
米はいくら食しても減らなかったと、
別名,俵籐太。

その伝説の男の子孫が、
足利の武将と下野佐野赤見の戦いで、
左目を矢で射られた。
子孫の名前は、佐野中宮亮有綱。
戦いの後、傷口を清水で洗うも、
老体でもあった有綱、目は治らず、
日光市猪倉鞍掛山で、自ら命を絶つことに・・。

佐野の住民が、武勇人有綱の霊を祭る祠を造る。
1186年。
以降、繰り返し3度の再建をし、
1745年、裏胴羽目の龍族を救った藤原秀衡の彫刻が、
秀衡に退治された大ムカデが、東側の胴羽目にと、
滋賀県の出来事が、物語として、彫られている。
鞍掛神社は佐野市田園のこんもりした高台に。


 
 
 
 
👇佐野市鞍掛神社から12月3日の景色。

 
 
 
 
 
👇杮葺き屋根。
建築基準、今はこの施工は許可されていない。
十分な保存を願いたいものです。

 
 
 
 
 
 
 
 

神社を創建したのが、
住んでいた人たちと、分ると、
少し、立ち去りがたいものがあります。
 
👇私はずっと座りっぱなし。

 
1793年からです。
 
 
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