春. 夏. 秋. 冬. 河童の散歩

八王子の与太郎河童、
つまづき、すべって転んで、たちあがり・・。
明日も、滑って、転んで・・。

男の艶、掌の鑿。2代目常八。

2018-08-19 23:09:40 | 関口文治郎/神社仏閣


クーラーをつけない昼のひと時は、
短いけど、ぐっすり眠れ、2日間も眠っていたような気がします。
八王子、静かな日曜日です。

群馬県みどり市花輪町の、
江戸時代は、

足尾銅山の銅を運ぶ道を、銅街道と呼び、
日光東照宮の参拝者の通る裏街道、
宿場で賑わった村でした。


沼田城主、真田昌幸のから700石の知行を受けていた、
蜷川佐右ヱ門。
その息子佐平太が武士を捨て、

江戸に赴いて、彫師「島村俊元」に、ごり押しで弟子になる。
この島村俊元が、幕府御用に顔を出す、
当代きっての名彫り師。

日光東照宮の陽明門、本殿等を彫った。



腕を磨いて佐平太、室町時代から続いた、

蜷川姓を捨て「高松又八邦教」と改名し、
上州、勢多の花輪村に住んだ。
11人の彫師が又八の門人になった。


その花輪彫刻集団の元祖、高松又八邦教
共に東照宮の手直しで名を挙げた、

息子、高松又八頼品
門人石川銀八(吟八郎)義武らに看取られ、

1716年、彫師の生涯を閉じてしまう。

小さい祠だった、上州、武州の神社に、
一気に昇り龍、下り龍が現れる。

1740年が過ぎたころ、日光東照宮建立から100年後、
武州妻沼に極彩色・派手な聖天堂、本殿が完成した。
その彫り師の棟梁が、石原吟八郎義武。
八人の門人を抱え、武州の地域に根差した彫師。
その中に、江戸中世の名人と呼ばれ、
人気者になった彫師がいた。

関口文治郎と石原常八雅詖(まさとも)

ケチの徳川吉宗の倹約で幕府の金で、
神社創設を禁じたために、
ほとんどが、地元住民が金を出し合って作った神社ばかり、
その意気に、応えたのが、花輪彫刻集団、鑿の使い手たち。

超人気者が石原常八雅の二代目石原常八主信。
5寸(15cm)の板に掘る透かし彫り。
縁下、火の守り神「龍」の怪しい面相。

二代目石原常八主信の代表作といえる、
埼玉県比企郡小川町、1833年完成した、
「八宮神社」
これから数年後、三男坊腕のいい彫師が不幸な事件に、
巻き込まれるなど、思いもせず、
49歳鑿に艶を込めた彫りが👇


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

八宮神社(埼玉県比企郡) 2018、8.17    花・2018.8.8. 箱根


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2 コメント

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こんばんわ、とよさん (たか)
2018-08-19 23:38:36
お身体の方は、もう大丈夫ですか?

とよさん、本当に良く調べていらっしゃいますね。
小川町は娘が嫁いだ場所
八宮神社、娘の所へ行った時にでも訪れてみたいと思います。
ご紹介ありがとうございます。
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不思議です。たかさん! (toyo0181)
2018-08-20 00:57:05
秋めいた天候のおかげと、
たかさんの励ましで、すっかり良くなりました。

お嬢さんが小川町に嫁いでいたとは、奇縁です。
宿稲荷から、八宮神社、私は文治郎の彫りより、
好きです。
ぜひ、八宮神社訪れてください。
きれいにしているので、境内の椅子に坐り、
おやつを手にするのも、秋の風情いいようです。
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