春. 夏. 秋. 冬. 河童の散歩

八王子の与太郎河童、
つまづき、すべって転んで、たちあがり・・。
明日も、滑って、転んで・・。

(33)節三、月に吠える

2016-03-20 04:24:50 | 節三・Memo
大正三年十月、太田の庭の池に赤く染まった紅葉の葉が映っていた。
三日後、兄、悌三夫婦が久しぶりに、育った太田の家に泊りがけで帰っていた。




明治四十五年三月、二日続けて朝日新聞記事に載った記事が三船久蔵の名を全国に知らしめた。

{五段三船久蔵は、横山、山下、永岡、磯貝の七段の指南役を除けば、記者が選んだ新人四人は道場で匹敵するものはいないであろう。この四人は、日本の国技柔道の選手として無上の名誉と責任とを有っている・・・・
5段三船久蔵は四強の随一である。身長五尺二寸五分、体重は一五貫に足らぬ、小男であるが、全身に溌剌たる精気は迸って、彼の霊妙神速にして猛烈窮むるところを知らず・・・・
講道館の対外試合に百戦百勝し、嘉納師範を助けて、今日の講道館あるを得せしめし、横山指南が、健康勝れず、漸く老いんとするこの頃、彼れ三船五段は有段者の稽古を預かり、行く行くは講道館を背負って立たんとする有様である・・・・}

{三段門脇誠一郎は講道館の力もちである・・武者修行せる彼は、通常の人が両手にてようやく持ち挙げ得る位な鉄亜鈴を振ひ・・・・稽古後の講道館の裏口の井戸端にありし、二五貫の力試しの石を悠々指し上げる。日曜日は亀戸の神社にて遊び、境内の四三貫の大岩石を荷い、帰っては鶏卵十個を丼に解き啜る・・・・
三船一日門脇を稽古せる際、三船は得意の寝技にて、狂猛無比の門脇を抑え込んだ。門脇は起きんとする、三船は起こさせじとする刹那、門脇全身の猛力を集めて最後の活躍を試みと、オッと叫んで身を躍らせたるに、肋骨二本、自身の蛮力に堪えずずめりずめりと音をたてて折れた。しかも三船の押さえ込みは破るに由なかった。見る人聞く人悉く今更三船の寝技の精妙と門脇の狂猛なる戦力には怖れ慄いたという・・・・}

天下の三船久蔵の噂は、秋田の片田舎でも知らないものはいなかった。
その三船が節三を「門下生にと」わざわざ大館まで訪ねてきたのである。

悌三が実家に帰ったのは、父新助の計らいであった。
三船の真意を確かめるため、大館中学の校長と面談し確認を得た新助は、悌三の元へ使いを走らせた。
節三を養子にと、言ってから三年余、新助は節三の将来に僅かばかりであるが灯りが点いた今、悌三の望みを適えてやれるのは、今がいい、と決断したのである。。
長女「ウメ」次女の「ヤエ」が嫁いだ隣村、毛馬内で南部馬の売買と投資で羽振りのいい悌三は新助の手紙を見て、嫁の「トシ」に急いで着替えを用意しろと叫んだ。

その夜、家人一同の前で、
「悌にぃのところに行く」と言った節三は、学校の休みだけは悌三の家に帰ることで縁組が決まった。

池の大きい岩に座り、親となる悌三との生活、噂の講道館を見上げた月に写して身震いしている節三の背中に、悌三とトシが静かに近づいて行った。
コメント (1)
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