富山マネジメント・アカデミー

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「役員+正社員」社会の矜持とゴネ得の排除

2018年09月02日 | Weblog

「役員+正社員」の知識労働の社会は、理系と文系との分かれている。理系には、たまに文系でもトップランクの仕事はできるが、こと国際会計基準や国際的な民事訴訟にまでカバーできるとなると、そこに壁がある。東芝の挫折は、グローバル化したために理系も、文系も、東大などで受けた教育の延長コードでは、次元が異なったからだ。東大は、きちんと経営学部を創設し、医学部に流れる人材をこみこみ、日本国を経営する最高学府を構築するべきだ。それと、駒場での教育も無駄である。やはり、18歳のボストンの公共空間に国家的に送り出すべきだ。なぜ、このように言うのか?それは、日本の経営組織を含め、幕府+藩は、大英帝国のパックス・ブリタニカに対抗し、幕職+藩士から「役員+正社員」のスーツを着るマネジメントの担い手を生み出したからだ。このような役割の中心にいたのが、渋沢栄一である彼流の孔子学である。したがって、公私混同に非常に厳しい経営社会の矜持が守られてきた。これは、中国共産とが指導する経営管理社会で再生される私益による公財の私財化が構造的に生じるのと大きく対照をなしている。このゴネ得は、役員の経験者からも生じる。これは、中国では、江沢民派というレッテルで嘲笑される。日本でも、経団連の土光さん以来の人物はなく、総じて東芝の旧役員の院政が明治以来の企業を崩壊させた。社会的な上位者が、ゴネ得をすると、そのこと自体が、下層社会にいたるクレーマー、モンスター・ペアレンツ、さらにはパワハラを過度にメディア露出する風潮を過激化させる。上位者の矜持への敬意を失ったのが、平成の時代の狂いであった。トンボ飲料の翠田社長は、富山大学の講義で、友達を見ていても読書しない人は、だんだんに堕ちていきますね、と述べられた。僕も、頑張って見習いたいと思っている。会社人間でも、読書をすれば、人類社会の源流から外れない。他者への共感力を磨くには、どうすれば良いか。ゴネ得がどんなに恥ずかしいことかわかる。思考が晴れ晴れとしている老人は、それが色に現れる。この色とは、顔の色つやである。気持ちがくすんでいたり、後悔ばかり、過去の威光が懐かしい、・・・これは全てダメである。真の読書人の眼光には、僕は、まだほど遠いが。

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