今朝、TVのニュースで伊良部秀輝氏の死去を知り、物凄くショックと共に寂しい思いをしました。それ程印象に残る素晴らしい投手だったと思います。高校野球を殆ど観ない私ですが、1988年ロッテオリオンズに入団した伊良部秀輝投手の、化ければ物凄い投手になり得る器という噂はよく耳にしており、物凄く興味を持っていた投手でありました。又、甲子園で活躍した多くの投手に見られる、甲子園止まりの投手、つまり伸びしろのない投手でなければいいのにという希望も持っていました。但し、当時の公称189cm,80kgと後の体重よりかなり少ないながらも、その立派な体格から、その大成をあまり心配していなかったのも事実でした。なかなか試合で投球する彼を観る事が出来ず、初めて彼の投球をしっかり観たのは、名称は忘れましたが、今でいうフレッシュオールスター戦でした。しかしその試合で最も注目された投手は伊良部秀輝ではなく、中日ドラゴンズの同じく高卒新人。上原晃投手でした。その試合でのスピードガン表示の最速は上原晃、148kmに対し、伊良部秀輝,147kmだったと記憶しています。又私の見る目のなさもありますが、その時点では、後のパリーグのエース、速球王になり得る存在とは思えなかったものでした。
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天性のみならず研究熱心であったとのことですね
合掌です
近代、昭和の大投手のような、160kmに達するような剛球投手を見る機会は最早なくなっており、我々世代に唯一の剛速球を見せてくれた投手でした。速球と共にに破天荒な言動も、昭和の無頼派を感じさせる最後の選手だったかも知れません。
あの剛速球もプロ入り後に会得したとのことで、尚のこと氏の熱心さには驚かされました。