当時の表記で金田正一投手が金田正と称されているのは、同じチームに星雄と高義という右腕投手が所属していたので兄と言う表し方が出来なかった為であったかと思います。当時その表記もあり金田正一投手に弟の存在があるのは結構知られていたが、実力は雲泥の差があったみたいで二人共一軍の登板はなく短い期間のプロ生活を終えています。勝手な憶測ですが、ドラフト制もなかった当時チームで天皇と言われ、やりたい放題だったと報道されている金田正一投手の事なので、実力不足の弟を無理やり入団させた様な気がしてなりません。そういう経緯もあり昭和43年ドラフト4位で金田家の末弟、留広投手が東映フライヤーズに指名された時には、ノンプロの試合は殆ど観た事がない事もあり、どうせ兄の正一投手とは比較にもならない実力であり、二人の兄星雄、高義と同じく短いプロ生活で終わるだろうと勝手に推測していました。確かに比較にもならない実力は当たっていたのかも知れませんが、シーズン20勝や兄正一が獲得出来なかったMVPも獲得し、通算128勝を挙げる投手になるとは想像出来なかったものです。
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