凄まじい球速を誇っていた森安敏明でしたが、その球速の割には意外と勝ち星には恵まれませんでした。通算で58勝69敗、勝ち越した年はシーズン前半で永久追放される昭和45年の5勝3敗のみです。それ以外では新人の年の11勝11敗が最高の勝率です。在籍していた当時の東映フライヤーズの勝率よりも、劣っていたかと思います。その原因としては微妙な制球力不足、又このタイプの投手に多いのですが、腰の捻り方如何により、好不調がはっきりと出る傾向にあると思います。その為手も足も出ない様な投球を見せる反面、あっさりと打たれる試合もかなりあったものです。又球威に優れる投手に多く見られる様に、投球術には優れていませんでした。しかしその圧倒的な球威を活かし42,43年と2年連続奪三振数では2位の座を占めました。結論としては、もの凄くタフで多くのイニングを投げてくれるものの、チームとしては多くの信頼を寄せる事の出来る絶対的なエースという存在とは遠いものでした。その当時パリーグで最も信頼出来得る投手の一人である池永正明投手が、八百長依頼の時に受け取った金額が100万円であった事に対し、森安敏明投手には50万円であった事に、両者の投手としての評価が現れているかと思います。