人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

新日本フィル「第九」公演のチケットを取る / 青柳いづみこ著「パリの音楽サロン ~ ベルエポックから狂乱の時代まで」を読む

2023年08月21日 06時39分00秒 | 日記

21日(月)。一昨日は新日本フィルの「第九」公演のパトロネージュ会員・定期会員優先販売日だったのでチケット・オンラインから12月18日(月)のチケットを取りました それは良いのですが、午前10時に販売開始なのに、その前の時点で すでにS席を中心に良い席がほとんど残っていない状態でした これはどうしたことでしょうか 幸い私はA席狙いだったので、まだ良い席が残っていて影響ありませんでしたが、S席狙いの人は???だと思います    残念ながら、私はチケット販売方法に詳しくありません 「第九」のような特別公演は「主催者」はスポンサー用にこの辺、「ぴあ」はあの辺、「イープラス」はその辺というように割り当てがあるのだろうか? よく分かりません

なお、新日本フィル「第九」公演の日程は12月15日(金)19時=横浜みなとみらい、16日(土)14時=オペラシティ、17日(日)14時=トリフォニー、18日(月)19時=サントリー、19日(火)19時=オペラシティとなっています オペラシティで2回やるんですね 出演者は以下の通りですが、合唱は栗友会合唱団です なお、18日のみ前半に室住素子さんによるオルガン演奏があります

 

     

     

ということで、わが家に来てから今日で3142日目を迎え、北朝鮮は19日、国連安全保障理事会が同国の人権状況を協議する公開会合を開いたことを非難し、証言を行った脱北者を「人間のクズ」と酷評したと朝鮮中央通信が伝えた  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     金正恩政権を批判する者は誰もが「人間のクズ」なんだろう  さすがは金王朝国家!

 

         

 

19日(土)18時から開催の東響定期公演の際にサントリーホールの入口近くで配布されていた下のチラシを見て、「いよいよ、カザルスホール復活か」と思って よく見ると、会場がサントリーホールとなっています    カザルスホールは2026年6月に新装オープンするそうです    このチラシのコンサート(10月21日)は「カザルス没後50年記念公演」としてチェロの作品を中心に演奏するようです 私は別のコンサートの予定があって聴きに行けませんが、ちょっと紛らわしいですね

 

     

 

同じビニール袋に下のチラシも入っていました 残念ながら飯守泰次郎氏は8月15日に逝去されたわけですが、19日のチラシ配布時点で、チラシ配布業者は当然そのニュースを知っていたはずです それでも袋から「抜かなかった」のは、すでにセットのうえ袋詰めが済んでいて、何百セットもの袋からいちいち1枚ずつ抜くのは面倒だと思ったからではないかと想像します それで良いのかどうか分かりませんが、いずれにしても、飯守氏の指揮でシューベルトの2曲の交響曲が聴けなくなったという事実の再認識を余儀なくされました

 

     

 

         

 

青柳いづみこ著「パリの音楽サロン ~ ベルエポックから狂乱の時代まで」(岩波新書)を読み終わりました 青柳いづみこは1950年、東京都生まれ。ピアニスト、文筆家。フランス国立マルセイユ音楽院卒業。東京藝大博士課程修了。1990年、文化庁芸術祭賞受賞。1999年、「翼のはえた指」で吉田秀和賞受賞、2009年、「六本指のゴルトベルク」で講談社エッセイ賞受賞。著書多数

 

     

 

本書のカバー裏に次のような紹介文が書かれています

「コンクールがなかった19世紀から20世紀初頭、音楽サロンの女主人は芸術家たちを支援し、彼らはサロンから世に出て行った 時代が進むとサロンは貴族の邸宅以外でも開かれ、異なるジャンルの出会いの場、前衛芸術の誕生の場へと性格を変えていく 時代の中の音楽サロン、様々な芸術家たちの交流を生き生きと描く

さらに「はじめに ~ サロンという登竜門」の中で著者は概要次のように書きます

「若く、無名でお金のない芸術家が世に出る手段は、そう多くはない 21世紀のこんにちでは、それがショパン・コンクールだったりチャイコフスキー・コンクールだったりするわけだが、19世紀は貴族やブルジョワのサロンがその役割を果たしていた 社交界に乗り込むためには、何をおいても馬車が必要だった。馬車がなければ上流階級のサロンに行くことができず、サロンでデビューしなければ、文壇・楽壇の大立者や文芸の庇護者に出会うことも出来なかった

本書は次の各章から構成されています

はじめに ~ サロンという登竜門

Ⅰ 団扇と夫人

Ⅱ シャルル・クロ

Ⅲ ニコレ街14番地

Ⅳ ポーリーヌ・ヴィアルド

Ⅴ ガブリエル・フォーレとサロン

Ⅵ ドビュッシーとサロン

Ⅶ サン=マルソー夫人

Ⅷ オギュスタ・オルメスとジュディット・ゴーティエ

Ⅸ ポリニャック大公妃

Ⅹ グレヒュール伯爵夫人

Ⅺ ルメール夫人とプルースト

Ⅻ 六人組誕生

ⅩⅢ ジャーヌ・パトリ

ⅩⅣ 旧時代と新時代のメセナ~ココ・シャネルとミシア・セール

ⅩⅤ ヴァランティーヌ・グロス

ⅩⅥ サティとマン・レイとダダイズム

あとがき

本書には190人以上の芸術家や、彼らを支援したサロンの主宰者が登場します サロンの女主人たちがいなければ、いくら優秀な芸術家でも無名のまま終わっていたのではないか、と思わされます ミシア・セールとココ・シャネルはディアギレフ率いるロシア・バレエ団を支援し、ポリニャック大公妃はエリック・サティに「ソクラテス」を書かせ、ヴァランティーヌ・グロスはパブロ・ピカソとサティに「パラード」を作らせました この辺の繋がりは「あとがき」で次のように書かれています

「ディアギレフがグレフュール伯爵夫人(プルースト「失われた時を求めて」のゲルマント侯爵夫人のモデル)のもとを訪れ、あまりうまくないピアノで未知のロシア音楽を弾いて聴かせたとき、夫人がそれを良いと思い、興行師アストリュックに紹介しなければ、1907年の5夜にわたる『ロシア歴史音楽会』は実現しなかった そのときにシャリアピンが歌う『ボリス・ゴドゥノフ』のアリアが評判を呼んだために、翌年の全幕上演に発展し、初日の舞台を観たミシアが感激してディアギレフに声をかけたために、ロシア側出資者の死去に伴う財政難も乗り越えて1909年のバレエ公演が実現することになる そしてまた、ロシア・バレエ団がなければ、ニジンスキーが躍る『牧神の午後』や『春の祭典』をデッサンしていたヴァランティーヌ・グロスがコクトーに出会うこともなく、彼女が結びの神となったサティのバレエ音楽『パラード』も生まれず、『パラード』に触発された6人組の誕生もなかっただろう

つまり、サロンの女主人たちが「新しい音楽の中に、良い音楽を聴き分けられる耳と鋭い感性」を持っていたがために、芸術家同士の繋がりが出来、次々と良い意味でのドミノ倒しが起こっていったということです

ショパンも、フォーレも、ドビュッシーも、ラヴェルも、サティも、サロンがなければ世に出ることはなかったかもしれません ラヴェルに至っては「ローマ大賞」に5回も落ちていますからなおさらです 音楽好きには必読の書です。お薦めします

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