人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

ダニエル・シュミット監督「トスカの接吻」を観る ~ ヴェルディが建てた「音楽家のための憩いの家(ヴェルディの家)」をめぐるドキュメンタリー映画

2023年08月23日 00時05分48秒 | 日記

23日(水)。わが家に来てから今日で3144日目を迎え、北朝鮮の朝鮮中央テレビは22日、北朝鮮北部の干拓地で工事の不備により堤防が壊れ、水田など約560ヘクタールが海水に浸かる被害が発生したが、金正恩総書記が現地を視察し「人災だ」として首相らを厳しく批判したと報じた  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     金ちゃんは気楽でいいね 責任を部下に押し付けて 批判だけしてればいいんだから

 

         

 

昨日、夕食に大学時代の友人S君が送ってくれた「鯵を塩焼き」にして、「生野菜とアボカドのサラダ」「モヤシのナムル」「冷奴」「豚汁」を作りました 鯵は大振りで美味しかったです

 

     

 

         

 

昨日20時10分から池袋の新文芸坐でダニエル・シュミット監督による1984年製作スイス映画「トスカの接吻」(カラー・モノラル/93分)を観ました これはミラノに実在する音楽家のための養老院「音楽家のための憩いの家(ヴェルディの家)」を舞台に、そこに住むオペラスターたちが全盛期を思い出して語り歌う姿を捉えたドキュメンタリーです

 

     

 

タイトルの「トスカの接吻」とは、プッチーニのオペラ「トスカ」第2幕で、トスカが恋人カヴァラドッシの命を救うためにスカルピア男爵に抱かれようとする時、傍らにあったナイフでスカルピアの胸を刺す、そのひと突きのことを言います

1902年の開館から今日まで1000人を超える音楽家がここを訪れたと言われています この「音楽家のための憩いの家」は、ジュゼッペ・ヴェルディ(1813-1901)がオペラ人のために建てたもので、彼は2番目の妻と共に地下に埋葬されています 映画には1920年代のミラノ・スカラ座の花形オペラ歌手サラ・スクデーリを中心に、作曲家のジョヴァンニ・プリゲドャ、テノール歌手のレオニーザ・ベロン、「リゴレット」を得意としたジュゼッペ・マナキー二などが登場し、往年の自信満々の表情でそれぞれの得意とするアリアを披露しています ヴェルディ、プッチーニ、ドニゼッティなどのオペラのアリアや合唱曲が歌われますが、この映画のタイトルが「トスカ」に因んで付けられているように、サラ・スクデーリによるプッチーニの歌劇「トスカ」のアリア「歌に生き、恋に生き」が何度か歌われ、あたかもこの映画の主役はプッチーニであるかのようにも思えてきます

ところで、この映画の中心人物、サラ・スクデーリは1906年生まれといいますから、この映画の撮影時は78歳です 普段は杖をついて歩くなど おぼつかない足取りですが、いざ歌を歌うとなるとシャキッとします    往年の歌唱力はないものの、信じられないほど高音が伸びて声が美しいことに驚きます これは普段からある程度、声に出して歌っていないと維持できないのではないか、と思います それを裏付けるかのように、カメラに映し出されるサラ・スクデーリはいつも何かを口ずさんでいます

面白かったのは、廊下のようなところで、サラの「トスカ」とレオニーザ・ベロンの「スカルピア」の二重唱が歌われ、ベロンがサラに刺されて倒れ込み、サラが「これがトスカの接吻よ」と言ったあと、しばらくしてベロンが「もう起きてもいいかい」と言うと、サラが「まだよ」と否定するところ。館内は大爆笑です これには続きがあって、床に寝ていたベロンが勝手に起き上がって、突然ヴェルディの歌劇「リゴレット」のアリアを歌い出したものだから、サラが「あなたは今、死んだはずよ」と言い、これにも館内は大爆笑です

合唱団員だった女性へのインタビューでは、「ソリストもオーケストラも大切ですが、合唱があってオペラは成り立っているんです 昔は合唱団員になるのは厳しくて、実力のない者はすぐにクビになったものです」と、高いプロ意識を表明しています

施設の管理者へのインタビューもあります 男性の担当者は「入居者たちがテレビでオペラ番組を観ているところは面白いですよ テノールでもソプラノでも、今の若い歌手たちの歌を聴いて こき下ろしています    自分だったらああは歌わない、とか言って 過去の栄光だけに生きています」と語ります。一方、女性の担当者は「私は彼らから昔の話を聞くのは大好きです 時には一緒にアリアを歌ったりして楽しく過ごしています」と語ります。受け止め方はそれぞれですが、「老人が過去の栄光にすがりつく」というのはどこの国でも共通しているようです

 

     

 

音楽・舞踏ナビゲーター石川了氏の「作曲家ヴェルディの最高傑作とは ~ 『トスカの接吻』によせて」によると、「音楽家のための憩いの家」の建設の経緯と運営資金の調達方法は概要以下の通りです

「ヴェルディは、著名な音楽家でも引退後は生活に困窮する人が多い実情に心を痛め、私財を投じて、音楽家の老後の安心のために『音楽家のための憩いの家』を建設した 設計は建築家のカミッロ・ボーイト(1836-1914)で、ヴェルディのオペラ『オテロ』『ファルスタッフ』の台本作家として知られるアッリーゴ・ボーイトの兄である 彼は当初、施設の名前を『音楽家の養老院』としていたが、ヴェルディが『ここは収容所ではない。入居する人たちは みな私の客人だ』という意思を受けて『音楽家のための憩いの家』と命名されたという 建物は1899年12月に完成したが、ヴェルディの遺言どおり、入居は生前には行われず、彼が亡くなった翌年の1902年10月10日(ヴェルディの誕生日)に最初の入居が行われた 人々から感謝されることが苦手なヴェルディらしいエピソードだ

「ヴェルディは実務にも長けた人物で、例えば、現代では当然である音楽著作権ビジネスを実践した それまでの一作あたりの作曲料収入ではなく、新作オペラの上演から10年間にわたり楽譜レンタル料(上演料)の30%と楽譜売り上げの40%を支払ってもらう契約を、音楽出版社のリコルディ社と交わした その後、ヴェルディの死後50年間の著作権料は『音楽家のための憩いの家』の運営資金となった。なお、著作権が切れた以降の運営資金は、施設の理念に共鳴する多くの篤志家からの寄付で賄われている

また、ヴェルディの人間性について、イタリアのヴェルディ・バリトンとして世界的に活躍したレオ・ヌッチの言葉を紹介しています

「ヴェルディと同時代に活躍したワーグナー(1813-1883)の音楽は、その管弦楽法など比較する相手がいないほど壮大なものですが、特にモダンというわけではない ヴェルディがモダンなのは、その人間性です 彼は自分のための劇場など建設させたりしなかった(ワーグナーは自分の作品を上演するバイロイト祝祭劇場をルートヴィヒ2世に建ててもらった)。自分の名前が付いた劇場(ブッセートにある「ヴェルディ劇場」)には建設資金は提供したが、生涯一度も足を踏み入れることがなかった その代わり、ヴェルディは病院を建て、『音楽家のための憩いの家』を建てた 彼は常に私たち民衆のことを思っていたのです これこそヴェルディなのです

同じ1813年生まれのヴェルディとワーグナーは、音楽の内容が全く異なれば、人間性も正反対であったことが分かります

映画「トスカの接吻」はこのあと、池袋の新文芸坐で8月31日(木)12時35分から14時まで上映されますが、これが最終回です 特にオペラ好きの方々にお薦めします

 

     

コメント (2)
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