人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

「テアトル・レアル(王立劇場) オペラ・オン・スクリーン」でプッチーニ「蝶々夫人」を観る~圧倒的な存在感を示した蝶々夫人役のエルモネラ・ヤオ:新国立劇場小劇場

2018年07月03日 07時55分52秒 | 日記

3日(火)。わが家に来てから今日で1370日目を迎え、国税庁は2日、2018年分の路線価を発表したが 33年連続日本一になった東京都中央区銀座5の「鳩居堂」前は1平方メートルあたり4432万円だった というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

      鳩居堂前の道路を削って 自宅に持ち帰っても路線価は上がらず 悪評が上がるかも

 

         

 

昨日、夕食に「塩だれ豚丼」と「生野菜サラダ」「マグロの山掛け」を作りました   暑い日が続くので「豚丼」には スタミナが付くようにレシピにはないニラも入れました

     

 

         

 

昨夕、新国立劇場小劇場で「テアトロ・レアル(王立劇場)オペラ・オン・スクリーン」の第1回目:プッチーニ「蝶々夫人」を観ました これは日本スペイン外交関係樹立150周年を記念して上映されるライブビューイングで、スペインのテアトロ・レアル(王立劇場)と新国立劇場とが互いの舞台公演の映像を提供し合い上映会を開催するものです 第1回がプッチーニ「蝶々夫人」、第2回がビゼー「カルメン」、第3回がヴェルディ「椿姫」です。あらかじめ申し込んで先着順に受け入れるという形を採っていますが、幸い私は3回とも観ることができます

 

     

 

バルコニー席を除いて会場の7割くらいが埋っているでしょうか 全席自由です。左サイドやや後方の通路側を押さえました

第1回:プッチーニ「蝶々夫人」のキャストは、蝶々夫人=エルモネラ・ヤオ、スズキ=エンケレイダ・シュコーザ、ピンカートン=ホルヘ・デ・レオン、シャープレス=アンヘル・オデナ、ゴロー=フランシス・バス、ボンゾ=フェルナンド・ラド、ヤマドリ=トメウ・ビビィロニ、ケート=マリフェ・ノガレス、指揮=マルコ・アルミリアート、演出=マリオ・ガスです このうち私が分かるのは、METライブビューイングでお馴染みの指揮者・アルミリアートを除けば ホルヘ・デ・レオンだけです 前日の新国立オペラ「トスカ」でカヴァラドッシを歌ったテノールです。忘れるわけがありません

上映に先立って、主催者側から挨拶がありました 進行役が「理事長からご挨拶申し上げます」と紹介すると、その人が登壇し「理事長の〇〇です」と自己紹介してあいさつに入りましたが、聴いている側からは、いったいどこの理事長なのかが不明です もちろん、事前に配布されたパンフレットには「公益財団法人新国立劇場運営財団理事長〇〇〇〇」の挨拶の言葉が載っているので、それを読んでいるはず、という前提で話をしていると思われますが、世間一般の常識からは かけ離れていると思います   パンフレットに書かれていようがいまいが、主催者を代表して挨拶をする限り、きちんと立場を表明すべきだと思います

 

     

 

理事長のあいさつに続き、上映会に移りましたが、どうやらこの公演の演出は「メイキング・オブ『マダム・バタフライ』」といったような、オペラの映画作りの過程をそのまま見せる形をとるようです 冒頭は、BGMのない無音の状態で、キャストや制作関係者のタイトルロールが流れます。これは無声映画を表しているのでしょう 幕開きでピンカートンとシャープレスが登場し会話を交わしますが、その間、舞台袖では蝶々さんがヘア・メイクをして出番を待っている様子をカメラが捉えています 全編を通してこのような演出が見られますが、しつこさはなく、カメラの露出は最低限に抑えられています

第1幕で、さっそくヒロインの蝶々さん役のエルモネラ・ヤオが登場しますが、われわれが新国立劇場で見慣れている日本人の「蝶々夫人」とはイメージがかなり離れています しかし、それは日本人がプッチーニやヴェルディのオペラを歌うのをイタリア人が観た時も同じような違和感を感じるでしょうから、ある程度仕方ないことです それよりも、蝶々さんの連れの女性たちの衣装にはビックリしました 白地に黒の線を基調とするシンプルな衣装なのですが、日本人の私から見ると、まるで浴衣(ゆかた)です 演出的には蝶々さんの赤と白と金を基調とする花嫁衣裳を引き立てるために地味に徹したということでしょうが、この点だけは感覚がズレていると言わざるを得ません

ここで、本来の歌唱力と演技力に焦点を絞った時、蝶々さんを歌い演じたエルモネラ・ヤオという歌手は強烈な個性を持ったソプラノで、歌唱力が抜群であることに加え、「役に成り切る」という言葉はこの人にこそ当てはまるのではないかと思わせる強靭な力を持っています 端的な例が、第3幕でピンカートン夫人を見た蝶々さんが、夫人に子供を預ける決心をするシーンで、彼女は涙を流して歌っていました 考えるに、こうした感情移入による自然な演技は、アップが可能な「オペラ・オン・スクリーン」あるいは「ライブビューイング」だからこそ分かることかも知れず、われわれがいつも観ているリアルなオペラの舞台ではこうしたことが実際に起こっているのかも知れません

迫真の演技ということでは、ピンカートンへの望みを失った蝶々さんが 父親の形見の短刀で首の頸動脈をかき切ったものの 子どもの姿を目にして死にきれず もだえ苦しみながら息絶えるラストシーンは壮絶なものがありました

前日 新国立劇場で「トスカ」のカヴァラドッシを歌ったホルヘ・デ・レオンは、この公演のピンカートンでも絶好調で、無理のない輝くテノールを披露しています シャープレスを歌ったアンヘル・オデナも、スズキを歌ったエンケレイダ・シュコーザも、魅力のある歌唱を聴かせてくれました しかし、この「蝶々夫人」は 徹頭徹尾 タイトルロールを歌ったエルモネラ・ヤオのための「蝶々夫人」でした

エルモネラ・ヤオは7月4日の「オペラ・オン・スクリーン」第3回目:ヴェルディ「椿姫」でヒロインのヴィオレッタを歌いますが、いかにスペイン側が自信をもって彼女をアピールしたいかが分かります

 

     

コメント (4)
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