9日(水)。昨夕、地下のRでいつもの3人で飲んで、その後、2人は六本木へ、私は都内某所へ 11時半まで飲んでいたので、今朝は朝から頭が痛くて頭痛でガンガンします。すっごいダブっているような気がしますが思うように頭が回らないのです
週の真ん中にしてもはや絶不調
さて、大間のマグロの話です 昨日の日経朝刊に「マグロ初セリ 破格高値に違和感の声 宣伝効果にかなうが・・・・・」という記事が載りました
記事によると、
「築地市場の初セリで大間産のクロマグロが1匹1億5,540万円の史上最高値を付けた 近年、加熱し続ける初セリに関係者も困惑気味だ。過去数年同様、セリではすし店をチェーン展開する2社が競り合った。落札したのは「すしざんまい」を運営する喜代村。1貫当たりの原価は2万~3万円だが同店では128円からと定価で提供した
マグロ1匹の収支としては大赤字だが、『マスコミでの露出を広告宣伝費に換算すれば数億円以上。初セリの値段はマグロそのものより、最高値でセリ落とすことによって生じるイメージ向上など様々なマーケティング価値に払われている
セリのルール自体は守られているが、魚自体の価値を決めるというセリ本来の趣旨を逸脱してしまった
』と電通総研の四元主席はみる」
ここまで読むと、たかが1匹のマグロに億単位の値段を付けることの異常さばかりが目立ちますが、その後の「最後まで競ったのは香港資本のすしチェーンだった」という行を読むと、「外国資本に落とされてなるものか」という日本のすしチェーンの意気込みを感じます
もっとも、このチェーンは来年のセリからは撤退するとのこと。来年の今頃、現在を振り返って、関係者はどんな反応を示すのでしょうか
「あの時はセリざんまいだった。大間ちがいだったかなぁ。セリの最高値は去年で一貫の終わり
」とでも言っているでしょうか
閑話休題
デイヴィッド・ベニオフ著「卵をめぐる祖父の戦争」(ハヤカワ文庫)を読み終わりました 著者のベニオフは1970年、ニューヨーク生まれ。この本は2008年に発表後、全米で50万部を超えるベストセラーを記録したとのことです
17歳のレフは、ある夜、キーロフ5階消防団の団長として空の見張りをしていると、撃墜されたドイツの爆撃機から落下傘で脱出したドイツ兵が落ちてきます。そこへ駈け付けて、すでに死亡しているドイツ兵の所持品を漁っていると、ソ連軍の警邏兵に発見されてしまいます 彼らの行為は略奪罪に当たるのです。脱走兵のコーリャとともに捕えられたレフは、秘密警察の大佐の元に連れて行かれます。大佐から、娘が結婚するにあたってウエディング・ケーキを作るための卵を1ダース、1週間以内に調達してくるようにという意外な指令を受けます
こうして、レフとコーリャは1ダースの卵を求めてレニングラードを離れ、各地を転々として敵陣内に潜入していきます。敵を目前として生きるか死ぬかの経験をしながら、やっと卵1ダースを手に入れ、大佐の元に戻ってきますが、コーリャは息が途絶えていました。しかも、他からも卵は調達されていたのでした
このストーリーが暗くないのは、コーリャの楽観的で明るい性格のためです 危機に直面してもジョークですり抜ける度胸があるコーリャがいたからです
ところで、レフとコーリャがロシアの作曲家ショスタコーヴィチについて語る場面があります
コーリャはわしをじろっと見て、舗道に唾を吐いた。
「ショスコーヴィチはもう3か月も前に疎開させられたよ」
「それは嘘だ。ショスタコーヴィチはそこらじゅうのポスターに載ってるじゃないか。あの消防監督官のヘルメットをかぶって」
「ああ、彼は偉大な英雄だ。ただ、今はクイビシュフで、マーラーから盗んだ曲を口笛で吹いているだけだ」
「ショスタコーヴィチはマーラーから盗作なんてしてないよ」
「きみはマーラーの肩を持つものとばかり思ったけど」とコーリャはわしを見下ろして言った。「異教徒よりもユダヤ人の方がいいんじゃないのかい?」
「ふたりは対立していたわけじゃない。マーラーは偉大な曲を書いたよ。でも、ショスタコーヴィチも偉大な音楽を生み出している」
「偉大だって?ははっ。あいつは金儲け主義の盗っ人だ」
「君は馬鹿だな。音楽のことは何にも知らないんだね」
この会話でコーリャがレフに「異教徒よりもユダヤ人の方がいいんじゃないのかい?」と訊いているのは、レフはユダヤ人なので、同じユダヤ人であるマーラーの方がいいんじゃないのか、と言っているのです
もう一つ。コーリャが「ショスタコーヴィチはマーラーから盗んだ曲を口笛で吹いているだけだ」と言っているのは、多分、ショスタコーヴィチの「交響曲第4番ハ短調」のことを指しているのではないかと思われます ショスタコーヴィチはこの第4番を作曲中、マーラーの作品に熱中しており、彼の手元にはマーラーの第3交響曲と第7交響曲のスコアが置いてあったという証言があります
ショスタコーヴィチは先達作曲家のパロディを作るのが得意でしたが、この第4番でもマーラーの第1交響曲などから引用したりパロディにしたりしています
1936年1月~2月に歌劇「ムツェンスク郡のマクベス夫人」がソヴィエト共産党機関紙「プラウダ」で批判され、ショスタコーヴィチはこの第4交響曲が当局の意向に沿わないことを恐れたためか、最終リハーサルまで決まっていたにも拘わらず、初演を撤回してしまいました このため初演は25年後の1961年12月まで待たなければなりませんでした
この本からはそんなことも読み取れます