明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(1919)国は「入市被爆」の記録を黙殺し被曝影響を否定し原爆の本当の恐ろしさを隠してきた(NHK「封印された原爆報告書」より―3)

2020年11月11日 16時30分00秒 | 明日に向けて(1701~1900)

守田です(20201111 16:30) (20201111 19:30改訂)

入市被爆のデータが無視されていた

「封印された原爆報告書」文字起こしの3回目です。
今回、扱われているのは「入市被爆」の問題です。「入市被爆」とは、原爆投下時には広島市内にいなかったものの、後から救護や親せき探しなどのために市内に入って起こった被曝のことです。
原爆が放った中性子線が、あたったものを放射性物質に変えてしまう「放射化」のせいで、そこから発せられた放射線を浴びたり、市内にたくさん残っていた死の灰を身体の中に取り込み、内部被曝するなどの形で被曝しました。
しかし政府は一貫してこの被害を認めてきませんでした。そうした被害を示すデータがないことを根拠にです。

ところが当時、医学生として援護のために四日後に広島市中心部に入った方が、原爆症特有の症状を発し、そのことを手記の形で記録に残しており、それが報告書に盛り込まれていたのです。
国は明らかに後から広島市中心部に入って被曝した方がいたことを知っていたのです。にもかかわらず無視し、被曝の危険性を隠してきたのでした。

なお説明を加えておきたいのは、「入市被爆」「入市被ばく」という表記の仕方についてです。NHKが使ったテロップでは「入市被ばく」となっています。
原爆の被害は「被爆」と書かれるので、「入市被ばく」のことも「入市被爆」と書かれるのが普通です。
しかし番組が扱ったのは、明らかに放射線による被害でした。このためNHKの担当者の方も、迷った末に「被ばく」と使われたのではかと思います。

当初はこれに従い、ここでも「被ばく」を多用しました。しかしその簿、被爆二世の知人との会話の中でやはり被爆者運動の中で歴史的に使われてきた「入市被爆」という表記を尊重すべきだと判断して直すことにしました。メルマガなどでは直せませんが、このブログ、HP、Facebookは直します。この点については時期を見てまたご紹介します。



*****

封印された原爆報告書
(NHKスペシャル2010年8月6日放送) その3 38分35秒ぐらいから
https://onl.tw/KCJ8VXD

原爆投下直後から始められていた国による被害の実態調査。この65年間、その詳細が、被爆者に対して、明らかにされることはありませんでした。平成15年から全国であいついだ、原爆症の集団訴訟。 

 

『自分たちの病気は原爆によるものだ、と認めて欲しい』と訴える被爆者たちの訴えに対し、国はその主張を退けてきました。

30年以上、被爆者の治療に携わり、原告団を支えてきた医師の斉藤紀(おさむ)さんです。 



181冊の報告書の中に、被爆者の救済につながる新たな発見は無いか?斉藤さんが注目したのは、ある医学生が書いた手記です。

斎藤医師
「学生さんが書かれた・・・門田(もんでん)さんという方ですけれども、が書かれたものですけれども・・・」

報告書番号51。ここにこれまで国が認めてこなかったある被爆の実態が綴られていました。

手記を書いたのは門田可宗(もんでんよしとき)さん。当時19歳。山口医学専門学校の学生でした。
門田さんが広島市中心部に入ったのは、原爆投下の4日後の事でした。直接被爆をしていないにもかかわらず、門田さんに原爆特有の症状が現れます。街に残った放射線の被曝。いわゆる『入市被爆』です。

長年、国は『入市被爆による人体への影響は無い』としてきました。しかし門田さんの手記に書かれていたのは、直接被爆した人と同じ症状でした。

門田さんの手記
「8月15日。熱は39度5分まで上る。8月17日。歯茎と喉の痛みが増してくる」

さらに8月19日。門田さんを不安に陥れる症状が襲います。体中に多数の出血斑が現れたのです。

門田さんの手記
「私も原爆の被害者なのか?いや、そうではない。8月6日。確かに私は広島にいなかったではないか?不安のあまりその日は眠れなかった」

8月30日。門田さんは被爆者の症状について解説した新聞記事を目にします。そこに書かれていたのは自分と同じ症状でした。

「髪全部抜ける 原子爆弾 被害者の臨床報告」の新聞の見出し記事

そこの新聞記事に書かれていたのは「全身に斑点状の出血があり」という、自分と同じ症状でした。

門田さんの手記
「私の症状は被爆者の症状と全く同じではないか?ああ、なんという事だ。私も原爆の被害者になってしまったのだ」

斉藤さんは、門田さんの報告書がありながら、国がこれまで入市被爆の影響を否定し続けてきた事に憤りを感じています。

斎藤医師
「今まで考えられてきた『入市被爆者には原爆症は現れ無いのだ、被害は無いのだ!』という考え方が根底から、実は崩れてしまうというような意味をこれは持っているんですね。
そういった意味ではこれは65年も埋もれておったと、埋もれさせられておったと・・・」

原爆症訴訟で、長年国を訴えてきた被害者の中にも門田さんと同じように入市被爆した女性がいました。

斉藤泰子さん(享年65歳)です。3年前、被爆が原因とみられる大腸癌で亡くなりました。

当時4歳だった泰子さんが、母、幾(いく)さん(97歳)に連れられて疎開先から戻ったのは原爆投下の5日後のことでした。

親戚を探して爆心地近くに入り、一緒に歩き回ったといいます。暫くすると泰子さんに、高熱や下痢など被ばくによると思われる症状が現れました。

幾さん
「連れて来なければ、たぶんそんな事は無かったんだろうと思うんですけれども。ほんと、悪かったなあと今でも後悔しております」

その後、白血球が減少するなど原爆の後遺症に悩まされた泰子さん。59歳の時、大腸がんを発症します。原爆症と認めて欲しいと訴えましたが、国は「被爆はしていない」と退け続けました。
4年前、泰子さんは最後の法廷に臨みました。その時の言葉です。

(法廷に提出した書面)

「私は現在、末期がんで、余命いくばくもないことを医師から言われております。もう私には時間がありません。国は、私のような入市被爆者の実態を分かっていません。多くの入市被爆者が私以上に苦しんでいます」

勝訴判決が出たのは、泰子さんが亡くなって3ヶ月後の平成19年のことでした。 
幾さんは、門田さんの報告書の存在がもっと早く解っていれば、泰子さんが生きているうちに救済されたのではないかと思っています。

幾さん
「本当に、間に合いませんでした。可愛そうですよね。遅過ぎましたね・・・」

岡山 倉敷

一人の医学生が書いていた入市被爆の報告書。
筆者の門田可宗(もんでんよしとき)さんが、岡山倉敷で生きていました。 
どのような思いで手記を綴ったのか?医師の斉藤さんは同じ医師として聞きたいと訪ねました。

斉藤医師
「はじめまして。斉藤です」

門田可宗(よしとき)さん。84歳。65年間、原爆の後遺症の恐怖と闘い続けてきました。心臓や腎臓や患い療養中でした。

斉藤医師
「あの体の調子が悪い時は、先生、おしゃって下さい。日記を見ますと8月の19日にですね、体の出血に先生は気づかれておられますがご記憶にありますか?」

門田さん
「はい。はい。ありますよ。ええ・・・胸の辺りに皮下出血がありましてね。こりゃいかんなと、非常に危ぶんだんですね、その当時は解りませんのでね・・・」

斉藤医師
「これは先生自身は、日本語で書かれたんですね?」

門田さん
「そうです。日本語で書きました」

斉藤医師
「こういうふうに訳されて、アメリカにあることはまったく知らなかった?」

門田さん
「ええ・・・知らなかったですね。」

門田さんによると、日記を書いたのは山口の医学学校に戻ってからでした。山口まで訪ねてきた東京帝国大学の都築教授に日記を書くように進められたと言います。

門田さん
「当時、研究者で名前がナンバーワンで出て来たのは都築先生ですからね。それでわざわざ山口医専までおいでになったんです。直接面談しましてね。いろいろ質問されたりしましてね・・・」

斉藤医師
「ああ・・・そうですか」

門田さん
「それでその時に『今から日記を詳細につけるように』と言われたんですね。それで日記だけはずっとつけておこうと思ったんですね。

斉藤医師
「ああ・・・そうですか」

門田さん
「それで例のオーターソンという向こうの軍医が来て、熱心に僕の手記を求めているっていう事も解ったんですね」

報告書の最後に、門田さんは自らの思いを記していました。

斉藤医師
「Atomic Bomb Disease(原爆病)の研究の為これを書いた。もしこれが役立つなら非常に幸せですって、この報告書の最後に書いてありますね?」
門田さん
「そうですね。懐かしいですなあ。僕が残しておかないと誰が残すんだ?という気持ちがありましたね。医学に携るものとして多少、具体的な事を書いておかないとね・・・」

斉藤医師
「どうも有り難うございました」

門田さん
「はい・・・」

一人の医師の使命として自らの被爆体験を後世に残そうとした門田可宗さん。その思いは届きませんでした。
65年前に失われた多くの尊い命。そして生き残った人たちが味わった苦しみ。その犠牲と引き換えに残された記録が、被爆者の為に生かされることはありませんでした。
世界で唯一の被爆国でありながら自らの原爆被害に眼を向けてこなかった日本。
封印されていた181冊の報告書が、その矛盾を物語っています。

語り     伊東敏恵

声の出演  青二プロダクション

取材協力  笹本征男  吉田布布子
      常石教一  吉見義明
      松村高夫  日本学術会議       
      市民科学研究室低線量被曝研究会
      東京都原爆被害者団体協議会

資料提供  アメリカ国立公文書館
      広島市平和記念資料館
      広島市文化振興課
      平和博物館を創る会
      長崎原爆資料館 小川虎彦
         陸上自衛隊衛生学校 彰古館
      毎日新聞社 日映映像
      大塚文庫  神林隆元

撮影    坪内俊治
照明    馬渡規生 アレックス遠藤
照明    鈴木彰浩
映像技術  寺崎智人
音響効果  小野さおり
編集    山内 明
取材    土門 稔
リサーチャー ウィンチ啓子
コーディネーター 柳原 緑
ディレクター 松本秀文 五十嵐哲郎
制作技術  春原雄策

#封印された原爆報告書 #入市被爆 #被爆 #被ばく #被曝 #原爆症 #広島原爆

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明日に向けて(1918)世界のママが集まるオンラインカフェとEarthママ主催の「すっきり読み解きBOOK」読み会でお話します!-11月11日(水)英国時間午後0時 日本時間21時から

2020年11月09日 23時30分00秒 | 明日に向けて(1701~1900)

守田です(20201109 23:30)

今度は「せかままカフェ」「Earthママ」で読み会を行います!

すでに11月15日にイギリス在住の方たちを中心に「すっきり読み解きBOOK」の読み会の2回目を行うことをお知らせしましたが、その前の11日にもやはり世界各地におられる方とつながっての読み会が行わることになりました。
「世界のママが集まるオンラインカフェ(せかままcafe)」さんと「Earthnママ」さんが主催してくださることになりました。守田が講師として参加します。

原子力発電所と 放射線について知ろう ~すっきり読み解きBOOKを読む~ 世界のママが集まるオンライン勉強会
https://nyokisekaearth.peatix.com/?fbclid=IwAR1hbDJ4VY9WT8p2cSi4v79JYFXcRGPs26_UWldyhlPtCJnsiHPVFrPBRLw

せかままcafeはこんな場です。
「世界中の日本人ママたちが、オンラインで無料でおしゃべりできる場をつくりたい!」という思いで2017年9月に始まりました。
「おしゃべり」で世界中のママが元気に!ママが元気なら子どももうれしい♡
ママも子も!だれもが「今のままの自分でいい」と思える世界をつくりたい。そんな思いで活動しています。
代表:助産師 西川直子 イギリス在住
https://peraichi.com/landing_pages/view/sekamamacafehp
https://www.facebook.com/groups/1483235585098740

Earthママはこんな場です。
世界中の子供たちのために残す地球について、私たちができることを考えよう!
ママはもちろん、パパさんも、プレママさんも、お子さんがいらっしゃらない方でも、地球環境や国際問題に興味があり、地球を守りたい!世界中の子供たちのために何かしたい!と思われる方のためのグループです。
https://www.facebook.com/groups/1808202635982660/

せかままcafeを運営しているイギリス在住の西川直子さんの言葉をご紹介します

今回、この読み会を準備してくださっている西川直子さんのFacebookへの投稿をご紹介します。

***
このイベントを開催することになった理由
子どもたちの未来が、平和で、ピカピカした世界でありますように。その願いは私を様々な活動に駆り立てます。
今回は(旧)Zoom革命共創サロンでご一緒している、Keiko Kato-Warburg さんからのご縁で開催することになりました。
地球環境の問題は待ったなしで、全員が自分のアタマで考えて、できるところからやっていくこと。

やりたいことをやっていい。
自分を大切に。楽しく!

それは環境活動家の谷口たかひささんから学んだことでした。谷口さんのロンドンでのイベントでも、けいこさんは精力的に活動されていました。

今回は放射線について学びます。守田さんは世界を股にかけて原子力発電所について様々な活動をされてきた方です。
放射線について情報を知りたい。
原子力発電所について自分の頭で考えるようになりたい。
それが私の今回のイベントを開く理由です。

皆さんも一緒に勉強して、一緒に考えていきませんか?
守田さんのご厚意と熱意によって、無料での開催です。
ぜひ、たくさんの方の応援を、どうぞよろしくお願いいたします。


***

「放射線のことをきちんと知りたい」と思っている方、また「せかいのあちこちにいる日本人ママとつながってみたい!」と思う方もぜひご参加下さい。
再度、案内ページを示しておきます。

https://nyokisekaearth.peatix.com/?fbclid=IwAR1hbDJ4VY9WT8p2cSi4v79JYFXcRGPs26_UWldyhlPtCJnsiHPVFrPBRLw

#せかままcafe #Earthママ #放射線副読本すっきり読み解きBOOK #放射線防護 

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明日に向けて(1917)『放射線副読本すっきり読み解きBOOK』を読む会、再びイギリスと日本を中心に行います(15日日曜日)

2020年11月06日 08時30分00秒 | 明日に向けて(1701~1900)

守田です(20201106 08:30)

ツクル森に向かう前の連投をお許し下さい。

10月17日に、守田+原発を考える在英日本人有志で、イギリスと日本をつないだBOOKの読み会を行いました。
おかげさまで好評をいただき、2回目も行うことになりました!11月15日(土)10:00AM 英国時間 、19:00PM 日本時間開始です。


第一回目の参加者から・・・(すいません。全員写っていません)


放射線の危なさが隠されている!

読書会のお知らせ:文部科学省『放射線副読本』をすっきり読み解こう! ~放射線の危なさが隠されている!~

『放射線副読本すっきり読み解きBOOK』の、守田+原発を考える在英日本人有志の読み会の2回目を行います!
福島原発事故をきっかけに、文部科学省から全国の小中学生に配られた『放射線副読本』。放射線の危険性の説明がほとんどない本です。
大切なことを書かないことで放射線が友達のように書いてあります。福島原発事故のこともほとんど触れられていない。
それだけに読むととてももやもやする。その理由がなぜなのかを解き明かしているのがこのBOOKです。

放射能の問題は世界大の問題です。なぜなら世界に核保有五大国があるからです。アメリカ・ロシア・イギリス・フランス・中国。
核武装しているのはこの五か国だけではありません。インド・パキスタン・朝鮮民主主義人民共和国、さらにイスラエルも持っているのでは?と言われています。

核武装を進め、核実験などを行ってきた国が共通に行ってきたのは、放射線被曝の影響を小さく見積もること、それで実際の害を隠すこと。
実はこの点では東西対立も、社会主義と資本主義の対立もなかったのでした。どちらの陣営も「一番大事なことを黙殺する」テクニックを使ってきました。
文科省発表の『放射線副読本』にも、そのテクニックが使われています。

でも反対に考えれば、このテクニックをしっかり学び、騙されないようにすることに放射線から身を守る一番のエッセンスがつまっています。
それは国家のあらゆる嘘から身を守ることにもつながっています。多くの人にBOOKを読んでいただきた理由はそこです。


読む会の詳細

さて2回目のイギリスを中心とした読み会をご紹介したいと思いますが、「読み会ってどんな感じなの?」と思われる方はまず以下の記事を読んでみて下さい。
京都の長岡京市での読み会の報告です。感想が寄せられています。

明日に向けて(1916)『放射線副読本すっきり読み解きBOOK』・・・こんな風に読まれてます!(長岡京市での読む会より)
https://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/68e9dd70d12a0be736df6c4fb6ded401

さて15日の会に参加してみようと思われた方に詳細をご説明します!

主催 守田+原発を考える在英日本人有志
参加費:無料(カンパ大歓迎。読書会終了後、カンパの方法をお伝えします)
日時:2020年11月15日日曜日10:00AM 英国時間 19:00PM 日本時間
方法:ZOOM

このミーティングに参加するのに事前登録が必要です。以下からご登録ください。
https://us02web.zoom.us/meeting/register/tZIvcu6vqzwuHNdCm3G1sRoVOARQjjSjrCB2

登録後、ミーティング参加に関する情報の確認メールが届きます。

問い合わせ:加藤ウォーバーグ啓子
londonjpdialog@gmail.com

Facebookのイベントページもご紹介します。
https://fb.me/e/f0NYrGk09

BOOKは以下のページから無料ダウンロードできます!
https://nyoki2pj.com/lp/info_yomitokibook/

みなさま。ぜひぜひ世界のあちこちからアクセスしてきてください!
日本からもどしどしつながってください。
命を守る輪を作っていきましょう!

#放射線副読本 #すっきり読み解きBOOK #放射線防護 #にょきにょきプロジェクト

*****

この記事に共感していただけましたらカンパをお願いできると嬉しいです。自由に金額設定できます。
https://www.paypal.me/toshikyoto/500

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明日に向けて(1916)『放射線副読本すっきり読み解きBOOK』・・・こんな風に読まれてます!(長岡京市での読む会より)

2020年11月06日 01時30分00秒 | 明日に向けて(1701~1900)

守田です(20201106 01:30)

今回はツクル森参加のため禁を破って夜中に投稿してしまいます!お許しください。

BOOKを読む会を各地で行っています!

『放射線副読本すっきり読み解きBOOK』を読む会、各地で継続的に行われています。
10月18日には長岡京市で行いました。この日は僕の他、にょきプロメンバーの中村あゆ美さん、にしむらしずえさんも参加。BOOKを作った思いなど語ってくれました。

読み解きでは読み解きBOOKに出てくるABC役を担当された方が、素晴らしく気持ちを込めて呼んでくださり、とても盛り上がりました。
企画後の交流会で「声を出して読む」ことの特別の意義、声に出してこそ頭や心に入ってくるものがあるという話で盛り上がりました。


長岡京市での読み会 みなさん、ABCになり切って音読してくださいました

今後も各地で進めたいです。
当面のスケジュールとしては11月11日(水)にイギリスを中心に、世界に点在する日本人ないし日本に縁のあるままさんで作っている「せかままカフェ」で読み会を行います。
さらに11月15日(日)にやはりイギリスを中心に欧米と日本をつないだ読み会を行います。
京都市では21日(土)午前中10時から左京区のキッチンハリーナで行います。のちに詳しい案内を送りますので、どうかご参加ください!


にょきにょきプロジェクトの中村あゆ美さん(右)、西村静恵さん(左)も参加

 

長岡京市ではこんな風に読んでいただけました!

この読み会の感想を主宰の「さよなら原発長岡京市民の会」からいただいたのでご紹介します。


長岡京市での読み会、ノリノリでした!


もやもやがすっきりはれた!

もやもやしていた副読本を読み解く本を作ったなんてすごい!!と思っていたので、今日はとても楽しみにしていました。そして「放射能はこわくない」と思わせるためのカラクリを巧妙に散らばせていることが、わかったのがものすごく収穫でした。
「はじめに」のいじめの件、私も本当に許せない。なんで許せないと感じていたのかのモヤモヤがスッキリ晴れてよかったです。これを周りの保護者仲間ともいっしょによみたいなあ

教育の腐敗に立ち向かわねば!
これから未来を生きていく子ども達へ、詭弁をもって放射線についてを、情報操作をして知らせる、というこのやり方。そして、こんなやり方で例えば、大人になっていった子ども達が,又、更に次の世代を育てていくことの重大な連鎖を生んでいること。
全く誠実ではない学びを与える日本の教育そのものに不信感を抱く、となれば、やはり、自分で学び、自分でつかみ、自分で確認するしかないのか、なんて非効率な教育、教える先生も真実を習わないまま先生になっていく……腐敗教育……をこの学習会から感じました。
前向きに?とられるならば、この副読本があるからこそ、このような実態が明らかになり、それを知ることができたということか! 正しいことの発信を!
学問に対してもとても失礼で、原点をきちんと身につけてこそ、知識と言えるのに…科学的根拠をもって…大人の作る世界がこわいことに大人達は気づいてなくて…いづれ自分達に(大人こども)に返ってくるだろうと…だからこそ,私たちは大人はきちんと加害者として向き合わなくてはならないのではないか、こども達に対し。

なるほどー。「すっきり読み解きBOOK」よく作ったねー。
なるほどー!という話がたくさんあり楽しく興味深く聞きました。うわさを聞いていたが、副読本ヤバイなあ。「すっきり読み解きBOOK」よく作ったねーと思った。内容もとてもよく練られていて良いと思った。

◯情報をうのみではなく、批判だけでもなく、言いにくいと感じてもちゃんと言葉に!
「い」のページ最後 国の出す情報をうのみにするだけでなく、批判するだけでもなく、言いにくいと感じてもちゃんと言葉にすること、自分と違う意見や考えを聞きとれることを大切にしながら、放射線について理解を深めるためにこの本を活用したいと思いました!!

子どもいるご家庭にBOOKがもっと広まってほしい
国、政府のウソは許せないです、しかも書き方が、都合の悪いことは書かない…一見正しく見せる…で、そのようなやり方がムカつきます!子供のいるご家庭にこの「すっきり読み解きBOOK」がもっと広まってほしいです

長岡京にこのようなグループがあってカンシン
放射能の危険については、以前から不安に思っていました。今日の話でほんとうにとりくんでいる方々の話をきかせて頂いて、これからも勉強していきたいです。又、伝えたいとも……
今日は来る前に“海に放流”反対のコメントをPCで出してきたところです。長岡京に、このようなグループがあってとても“カンシン”しました。

正しい知識を学ぶことが大切!
副読本があるのは知っていたが初めて読めた。正しい知識を学ぶことが大切であることを強く思った。 

にょきプロメンバーから
「にょきにょきプロジェクトの中村です。ありがとうございました!!楽しく一緒に学べてありがたかったです。改めて勉強になりました。まだまだ誤字脱字ツッコミどころ満載や~ん!!(中村 あゆ美)
「にょきにょきプロジェクトとして参加しました。とてもとても良い会だったと思います。言葉をえらび、知恵をしぼって放射線の理解をひろげていって頂きたいです。ありがとうございました!! (西村 静恵)


BOOKをゲットしてください!

『放射線副読本すっきり読み解きBOOK』・・・さらにどんどん広げたいと思っています。
ホームページをブラッシュアップしたのでのぞいてください。またまだの方はぜひBOOKをゲットしてください。無料ダウンロードできます。
https://nyoki2pj.com/lp/info_yomitokibook/

製本版のお申し込みはこちらから
https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSdKXBwKnFYkIvDdfEs3q9NhrFwqVxDe3BwNDeepaNaxylfXVA/viewform

このたびあらたに半減期についてがっつり解説するビデオも作りました。紹介版の動画をご覧ください。
半減期解説動画紹介ビデオ
https://youtu.be/uQE1lu9_ygI

あなたの街でもぜひ開催を!

#放射線副読本 #すっきり読み解きBOOK #放射線防護

*****

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明日に向けて(1915)アメリカは広島の子どもたちの死の記録からソヴィエト攻撃をシミュレートした-(NHK「封印された原爆報告書」より―2)

2020年11月05日 09時00分00秒 | 明日に向けて(1701~1900)

守田です(20201105 09:00)

死亡率曲線

前回に続いてNHKスペシャル「封印された原爆報告書」の文字起こしの2回目をお届けします。
今回、出てくるのは「死亡率曲線」です。爆心地からどの地点にいた人がどれぐらい死んだのかを表したものです。アメリカが一番欲しかった原爆の殺傷能力を示すデータです。
この記録の対象となったのは、広島市内で被爆した17,000人の子どもたちでした・・・。

ぜひ番組をご覧下さい。時間の無い方は文字起こしをお読み下さい。

*****

封印された原爆報告書
(NHKスペシャル2010年8月6日放送) その2 20分20秒ぐらいから
https://onl.tw/KCJ8VXD

原爆投下から2カ月。アメリカの調査団が(日本に)入って来ると、日本はその意向を強く受けて、調査に力を入れるようになります。
小出中佐に変わってアメリカとの橋渡し役を務めるようになったのが東京帝国大学の都築正男教授です。
放射線医学の第一人者で、当初から陸軍と共に調査に当たってきました。

報告書番号14。都築教授と陸軍とが共同で作成したこの報告書の中に、当時アメリカが、最も必要としていたデータがありました。原爆がどれだけの範囲にいる人を殺すことが出来るかを調べた記録です。
対象となったのは、広島市内で被爆した17,000人子どもたちでした。どこで何人死亡したのか、70カ所で調べたデータが記されています。

爆心地から1.3キロにいた子どもたちは132人中50人が死亡。0.8キロでは560人全員が死亡しています。8月6日の朝、広島市内の各地に、大勢の子どもたちが、学徒動員の作業に駆り出されていました。
同じ場所で、まとまって作業をしていた子どもたちが、原爆の殺傷能力を確かめる為のサンプルとされたのです。

調査の対象となった一つ。旧広島市立第一国民学校(現段原中学校)。
そこに通っていた佐々木妙子さん。77歳です。
当時1年生だった佐々木妙子さんたちは、空襲に備えて防火地帯を作る「建物疎開」の作業に動員されていました。
学校に建てられた慰霊碑です。

屋外で作業に当たっていた175人が被爆しました。佐々木さんのすぐ隣にいた親友、上田房江さんも亡くなりました。

佐々木妙子さん(77歳)
「ほんとごめんね。うちだけが生き残ってから。一生懸命、それこそ、お国のためじゃないけど・・・疎開の作業に出て、帰る時にはもう姿も無いようなことでは、あまりにもむごいですよ・・・8月、来るけんね・・・」

報告書によると、第一国民学校の1年生175人のうち108人が死亡。佐々木さんを含む67人が重傷となっています。
都築教授たちが調査を行った背景には、アメリカからの要請がありました。アメリカ調査団の代表、オーターソン大佐が、このデータに強い関心を示していたのです。

アメリカ陸軍病理学研究所(ワシントン郊外)
ワシントン郊外にあるアメリカ陸軍病理学研究所。日本からのデータはすべて、ここに集められました。オーターソン大佐は、調査の結果を、『原爆の医学的効果』と題する6冊の論文にまとめていました。

アメリカ陸軍病理学研究所の職員(英語)
「第6巻には、子どもたちの被害のデータがあるので、政治的配慮から機密解除が遅れました」

17000人を越す子どもたちのデータから導かれたのは1つのグラフでした。爆心地からの距離と死者の割合を示す『死亡率曲線』です。
原爆がどれだけの人を殺傷できるのか、世界で初めて具体的に表したこのグラフは、アメリカ核戦略のいしずえとなりました。

こうしたデータをもとに、当同時、アメリカ空軍が行っていたシミュレ―ションです。ソビエト主要都市を攻撃する為に、広島型の原爆が何発必要かを算出していました。

オーターソン大佐の研究を引き継いだ、カリフォルニア大学名誉教授ジェームズ・ヤマザキ氏(94歳)です。死亡率曲線は、広島と長崎の子どもたちの犠牲がなければ得られなかったと言います。

カリフォルニア大学名誉教授ジェームズ・ヤマザキ氏(94歳)
「革命的な発見でした。原爆の驚異的な殺傷能力を確認できたのですから。アメリカにとって極めて重要な軍事情報でした。まさに日本人の協力の賜物です。貴重な情報を提供してくれたのですから。」

建物疎開の作業中被爆し、多くの同級生を失った佐々木妙子さん。友人たちの死が、日本人の手によって調べられ、アメリカの核戦略に利用されていた事を、初めて知りました。

佐々木妙子さん
「馬鹿にしとるね・・・言いたいです。私は・・・(長い沈黙の後で)残念ですね・・・手を合わせるだけのことです・・・私にはもう何も出来ません・・・(深ため息と合掌黙祷する佐々木妙子さん)」

日本が国の粋を集めて行った原爆調査。参加した医師はどのような思いで被爆者と向き合ったのか?
山村秀夫さん。90歳。都築教授ひきいる東京帝国大学調査団の一員でした。当時、医学部を卒業して2年目だった山村さん。調査は全てアメリカの為であり、被爆者の為という意識は無かったと言います。

元東京帝国大学調査団 山村秀夫さん(90歳)
「だって、結果は、日本で公表することも、勿論ダメだし・・・お互いに、持ち
寄ってですね、相談するって事も出来ませんから。とにかく、自分たちで調べたら、全部、向こうに出すということ・・・」

山村さんが命じられたのは、被爆者を使ったある実験でした。報告書番号23。山村さんの論文です。

被爆者にアドレナリンという血圧を上昇させるホルモンを注射し、その反応を調べていました。

12人のうち6人は、僅かな反応しか示さなかった。山村さんたちは、こうした治療とは関係ない調査を、毎日行っていました。調べられる事は全て行うというのが、調査の方針だったと、(山村さんは)言います。

元東京帝国大学調査団 山村秀夫さん(90歳)
「とにかく、生きている人が生体に、どのような変化が起きているか。少しでも何かの手がかりを見つけて調べるという事だけでしたから。それ以外はもう何も無いですよね。あんまり他の事も考えられなかったですよねぇ・・・。とにかく、それだけ(言われ
た通りの事だけを)やるっていうことで」

NHKスタッフ
「今となってみたら、どうお感じですか?」

山村秀夫さん
「今となって見たらねぇ・・・、そうですねぇ・・・まぁ、他にもっと良い方法があったのかもしれないけれど・・・だけど今とは全然、違いますからね。その時の社会的な状況がね」

亡くなった被爆者も調査の対象になりました。救護所で亡くなった被爆者は、仮設の小屋などに運ばれて次々と解剖されたといいます。200人を越す被爆者の解剖結果は14冊の報告書にまとめられています。
その1冊に子どもの解剖記録が残されていました。報告書番号87。
解剖されたのは長崎で被ばくし亡くなったオノダマサエさん。まだ11歳の少女でした。

マサエさんの遺体はどのようないきさつで提供されたのか?長崎に遺族がいる事が分かり訪ねました。

マサエ(政枝)さんの甥に当たる小野田博行さんです。
「これが、ただ一枚のですね、政枝おばさんが4歳の時の写真なんです」

政枝さんが解剖された経緯を、博行さんは、父、一敏さんから聞いていました。

被爆した政枝さんは長崎市中心部の救護所に運ばれていました。兄、一敏さんが駆けつけた時、政枝さんは高熱にうなされ、衰弱しきっていたといいます。

小野田博行さん
「亡くなる前にですね・・・まぁ、何時間か前ぐらいじゃないかと思うんですけれども・・・『兄ちゃん・、家に連れて帰って』その言葉が、最後の言葉だったらしいですね・・・」

一敏さんが政枝さんの遺体をおぶって連れて帰ろうとした時、救護所の医師たちが声をかけてきたといいます。

小野田博行さん
「病院の先生たちが『将来のために、妹さんを、その・・・解剖のほうに預けて頂けないか』という話を、オヤジ(父親)のほうにしたらしいですね・・・。一応は断わりを入れたらしいですけど、やはりオヤジもたくさんのああいう亡くなった方たちを見ておりま
すもんで、やっぱりお渡しする気になったんではないかと、思うんですよね。将来のためにもという思いで・・・」

「被爆者の為に役立てて欲しい」と医師に託された政枝さんの遺体。その後、どうなったのか?家族に知らされることはありませんでした

正枝さんたち被爆者たちの解剖標本は、報告書と共にアメリカに渡っていました。放射線が人体に及ぼす影響をより詳しく調べるために利用されました。そして昭和48年、研究が終わった後に日本に返還され、今は広島と長崎の大学に保管され
ています。

小野田政枝さんの標本が、長崎大学にあることが分かりました。
博行さんが写真でしか知らない政枝おばさん。

長崎大学 医学部職員
「ご説明させて頂きます。これが政枝さんのプレパラート標本5枚になります」

小野田博行さん
「ははぁ・・・」

政枝さんは肝臓や腎臓等を摘出され、5枚のプレパラートになっていました。

小野田博行さん
「はぁ・・・(しばしため息)・・・これがおばさんですかねぇ・・・こんな形でお会いするとは思いもしませんでした・・・はぁ・・・(嘆息)」 

アメリカでつけられた標本番号は249027。
原爆被害の実態を伝えて欲しいと提供された11歳の身体が、被爆者の為に生かされることはありませんでした。

続く

#封印された原爆報告書 #広島原爆 #死亡率曲線

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明日に向けて(1914)日本陸軍は原爆被害をすぐに調査しアメリカに差し出していた-(NHK「封印された原爆報告書」より―1)

2020年11月04日 17時00分00秒 | 明日に向けて(1701~1900)

守田です(20201104 17:00)

核兵器禁止条約を前に進めるために

10月24日に核兵器禁止条約の批准国が50を越え、3か月後の2021年1月22日に発効することが決まりました。人類にとって大きな進歩です。
ところがこれまで原爆の恐ろしさを訴えてきたはずの日本は批准を行っていません。
なぜなのでしょうか。その理由を紐解く重要な内容が2010年8月6日にNHKスペシャルで放映されたのでご紹介します。「封印された原爆報告書」というタイトルです。

これまでも「明日に向けて」や講演で触れてきましたが、日本政府に核兵器禁止条約の批准を迫るためにも重要な情報と考えてこの時期にお伝えし、時間の無い方のために文字起こしも加えることにしました。
なお文字起こしは、知人で「パレスチナに平和を京都の会」の諸留能興(もろとめよしおき)さんが行ったものをベースにさせていただいています。諸留さんに深く感謝を申し上げます。
諸留さんは番組ナレーションの問題点にも触れられ、さらにより深い情報も書き込んでくださったのですが、ここでは内容の紹介を優先し、番組の忠実な文字起こしにとどめています。

*****

封印された原爆報告書(NHKスペシャル2010年8月6日放送)
https://onl.tw/KCJ8VXD

ナレーション
アメリカ国立公文書館の映像資料室。ここに終戦直後に日本で撮影されたフィルムが残されていました。映し出されたのは原子爆弾が投下され、焼け野原となった広島。
被害の実態調査にあたる日本の医師と科学者たちです。広島・長崎に送りこまれた調査団はあわせて1300人。被爆地でしか得ることのできない原爆の詳細なデータを集めていたのです。

アメリカ国立公文書館
日本の調査団がまとめた膨大な記録が、GHQの内部文書を集めた書庫の中に眠っていました。

書庫の職員(英語)
「これが日本の科学者が作成した181冊の原爆報告書です。」

報告書は全部で181冊。あわせて1万ページにおよびます。今回私たちは初めてそのすべてを入手しました。そこに記されていたのは被爆国日本が自ら調べ上げた生々しい被害の実態です。
学校にいた子どもたちがどこでどのようになくなったのか。教室の見取り図に丸印で書き込まれています。
放射線が人間の臓器をどう蝕んでいくのか。200人を超す被爆者の遺体を解剖した記録もありました。
調査の対象となった被爆者は2万人にのぼりました。治療はほとんど行われず、原爆が人体に与える影響を徹底的に調べていたのです。

調査された被爆者
「『立て』と言われたら『はい』 『向こう向け』と言われたら『はい』」
「『お前、モルモットじゃ』と言われたような気になりました。」

報告書はすべて日本人の手で英語に翻訳されていました。被害の実態を調べた貴重な記録はすべて原爆を落とした国、アメリカへと渡されていたのです。
私たちは原爆調査を知る数少ない関係者を日本とアメリカで取材しました。ていった。そこから浮かび上がってきたのは、被爆者の治療よりもアメリカとの関係を優先させていた日本の姿です。

元アメリカ調査団医師
「日本の報告書の内容はまさにアメリカが望んでいたものでした」

元日本陸軍軍医少佐
「早く持っていった方が心証がいいだろうと。原爆のことはかなり有力なカードであったのでしょうね」

唯一の被爆国として原爆の悲惨さを世界に訴えてきた日本。その一方で被爆者のために活かされることのなかった181冊の報告書。
被爆から65年。封印されていた原爆報告書は何を語るのか。今、明らかになる原爆調査の実態です。

タイトル
封印された原爆報告書

65年前世界で初めて原爆が投下された広島。あの日、街は一瞬にして焼け野原となりました。
爆心地から4キロ離れた海沿いに、戦火を逃れ、当時のままに建っている建物があります。
旧陸軍病院宇品分院。のちに181冊にまとめられる最初の調査が、ここで行われました。

収容された被爆者は2ヶ月間で、延べ6000人にのぼりました。
みな、むしろのような布団の上に寝かされていたといいます。


大本営のもと、宇品での調査を指揮したのは陸軍省医務局です。原爆投下からわずか2日後の8月8日。広島に調査団を派遣し、敵国アメリカが使った新型爆弾の調査に乗り出していました。
調査の結果は、1冊の報告書に纏められました。タイトルは『原子爆弾に依る廣島戦災医学的調査報告』。
被爆した人が、どのように亡くなっていくのか?放射線が体を蝕んでいく様子が、詳細なデータと共に記録されています。

調査を受けた被爆者の一人が、生きていました。
沖田博さん。89歳です。宇品の病院で生死の境をさまよいました。
当時、広島の部隊にいた沖田さんは、爆心地から、およそ1キロの兵舎にいて被爆。
突然、体に異変が現れ、宇品に運ばれて来ました。病院に入っても治療はほとんど受けられず、毎日、検査ばかりが続いたといいます。


沖田博さん
「いつまで命があるかなぁ?・・・と、確めるためだったと思います。次々と死んでいくからね・・・。『こいつはいつまで生きんかな?』って、確認するためだと思いますね」

報告書には沖田さんの記録もありました。当時の危険な様子が克明に記されています。沖田さんの体温は、40度近くまで上がった状態が続いていました。白血球の数は1300。通常の4分の1程度にまで下がっていました。
家族の必死の看病で一命をとりとめた沖田さん。その後は恢復の過程が調査の対象となりました。
その時、撮影された沖田さんの写真です。放射線の影響で抜けていた髪の毛は、少しずつ生え始めていました。嫌がる沖田さんにかまわず、様々な検査が2ヶ月間、続けられたといいます。




沖田博さん
 「『お前、モルモットじゃ!』って、言われたような気になりました。
『こん畜生!』言いたいんだけれども、言えない・・・。僕自身の中で、『ええい、くそっ・・・!』思いながら、あんまり、態度なんかには出せませんでしたけんね・・・」

広島と長崎に相次いで投下された原子爆弾
その年だけで、合わせて20万人を越す人たちが亡くなりました。
原爆投下直後、軍部によって始められた調査は、終戦と共にその規模を一気に拡大します。国の大号令で、全国の大学等から1300人を超す、医師や科学者たちが集まりました。調査は巨大な国家プロジェクトとなったのです。

2年以上かけた調査の結果は181冊。1万ページに及ぶ報告書に纏められました。
大半が放射線によって被爆者の体にどのような症状が出るのか調べた記録です。日本はその全てを英語に翻訳し、アメリカへと渡していました。

ワシントン アメリカ国立公文書館
何故、自ら調べた原爆被害の記録を、アメリカへと渡したのか。その手がかりをアメリカ公文書館に保管されている報告書の中に探しました。
日本が提出した調査記録の片隅に、ある共通するアメリカ人の名前がありました。
「to Cal Oughyerson」 オーターソン大佐へと書かれた、その人物とは?

アシュレー・オーターソン大佐。(アメリカ陸軍)
マッカーサーの主治医で、終戦直後に来日した、アメリカ原爆調査団の代表です。


オーターソン大佐と共に日本で調査にあたった人物が、カリフォルニアにいました。
フィリップ・ロジ氏92歳。アメリカ調査団のメンバーに抜擢された最も若い医師でした。
ロジ氏はアメリカ調査団が(日本に)到着するとすぐに、日本側から報告書を提出したいという申し出があったと言います。

ロジ氏
「オーターソン大佐は、大変喜んでいらっしゃいました。日本がすぐに協力的な姿勢を示してくれたからです。
日本は、私たちが入手できない重要なデータを、原爆投下直後から集めてくれていたのです。まさに被爆国にしかできない調査でした」

オーターソン大佐に報告書を渡していたのは、原爆調査を指揮する陸軍省医務局の幹部でした。
小出策郎軍医中佐。30歳代の若さで医務局に入ったエリートです。陸軍が最初に行った調査の報告書も、すべて英語に翻訳されてオーターソン大佐に渡されていました。

何故、小出中佐は終戦前から軍が独自に調べていた情報をアメリカに渡したのか?
当時の内情を知る人物が生きていました。陸軍の軍医少佐だった三木輝雄さん。94歳です。陸軍軍医のトップ、医務局長を勤めた父を持つ三木さん。終戦時は軍全体を指揮する大本営に所属していました。
報告書を提出した背景には、占領軍との関係を配慮する、日本側の意志があったと言います。

「いずれ要求があるだろうと・・・。その時は、どうせ、持っていかなけりゃいけんくなる・・・と。それなら、早く持って行ったほうが、いわゆる心証が良いだろう・・・という事で。それで要求が無いうちに持っていった・・・」

NHKスタッフ
「その『心証を良くする』っていうことは、何のために心証を良くしようとしたのでしょうか?」

・・・長い沈思の黙考・・・

「731(石井細菌部隊)のこともあるでしょうね・・・」

化学兵器の訓練をする日本軍の白黒写真


三木さんが言う731部隊は、生物・化学兵器等の効果を確認するために、満州で(中国人や満州人・朝鮮人などの)捕虜を使った人体実験を行ったとされる特殊部隊です。
終戦を前にしたポツダム会談で、アメリカを初めとする連合国は、捕虜虐待などの戦争犯罪に対し、厳しい姿勢で臨む事を確認していました。

小出中佐は陸軍の戦後処理を任された一人
終戦を迎えた8月15日。小出少佐に極秘命令です。
「敵に証拠を得られる事を不利とする特殊研究は、すべて証拠を隠滅せよ」


大本営にいた三木さんは、動揺する幹部たちの姿を間近で見ていました。
戦争犯罪の疑惑から逃れるためにも、戦後のアメリカとの関係を築くためにも、原爆報告書を渡すことは「当時の国益に叶うものだった」と言います。

三木輝雄さん
「新しい兵器を持てばその威力っていうものは、誰でも知りたいものですよ。
カードで言えば有効なカードがあまり無いので、原爆のことはかなり有力なカードだったんでしょうね」

自ら開発した原子爆弾の威力を知りたいアメリカ。そして、戦争に負けた日本。原爆を落とした国と、落とされた国。二つの国の利害が一致したのです。

続く

#封印された原爆報告書 #広島原爆 #核兵器禁止条約

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明日に向けて(1913)本日11月3日大飯原発4号機が停止し関西電力の稼働原発がゼロになりました。故障がからんでいます。

2020年11月03日 20時00分00秒 | 明日に向けて(1701~1900)

守田です(20201103 20:00)

大飯4号午後0時29分に原子炉が停止!

大飯4号機が停まりました。午前3時40分から出力を下げはじめ、10時12分に送電がストップ。原子炉に制御棒が投入され、午後0時29分に原子炉が停まりました。
来年1月中旬に原子炉を起動し、2月中旬の営業運転再開とされていますが、ぜひともこのまま停めておいていただきたいです。

これで関西電力の稼働原発はゼロとなりました。全国でも玄海4号機1基が動いているだけです。再び「原発なくても電気は足りてる」ことが事実を持って証明されています。
しかも関電の稼働原発が一度ゼロになったのは、故障が大きく関係しています。

関電はもともと4号機の停止の前、9月下旬には7月20日から定期点検に入った3号機を再稼働させるつもりでした。
ところが8月31日に一次系配管から蒸気発生器周辺で分岐した配管に傷が見つかりました。関電はそれでも再稼働に向かおうとしましたが、規制委員会からストップがかかって動かせなくなってしまったのです。


大飯4号機の停止を報道するプライムニュース

高浜原発でも配管故障が

一方、高浜原発は3号機が1月から5月までの予定で定期点検に入りましたが、蒸気発生器の伝熱管に損傷が見つかり、原因調査のために動かせなくなりました。
蒸気発生器は関電が使用している「加圧水型原発」が抱える構造的欠陥部品です。再び三度繰り返してきた配管損傷でした。

高浜3号機はそのまま8月2日に、建設が進んでいなかった特定重大事故等対処施設(特重施設)の期限を迎え、動かせなくなりました。
さらに高浜4号機も10月7日にやはり特重施設の建設が間に合わずに期限を迎え、動かせなくなりました。

このように見ると4基のうち半分の2基が配管の故障によって動かせなくなってしまったのです。
これに福島原発事故から10年近く経っても、新規制基準で定められた安全対策施設ができていないことが重なり、とうとう関電は稼働原発ゼロになったのです。


高浜3号機蒸気発生器の配管損傷を説明する関西電力の図


二つの意味での危険性が際立っている

この停止の過程を見てみると二つの点で危険性が際立っています。一つは高浜3号機が蒸気発生器の伝熱管で、大飯3号機が蒸気発生器付近の配管で、損傷がみつかったことです。
加圧水型原発は300度に加熱したお湯を150気圧の高圧で回しています。それが配管に負荷をかけ、どこかが壊れる事故が何度も繰り返されてきたのです。

美浜原発では1991年にメルトダウン寸前となり、2004年には深刻な死傷事故を起こしました。にもかかわらず、この構造的な欠陥が克服されていない。いつまた過酷事故にいたるやもしれません。
さらにこのような大きな欠陥を抱えているのに、新規制基準で決まった安全対策設備を、期限切れまでに作らなかったことも大問題です。

2013年の新規制基準施行時に5年の猶予を与えられ、2018年の期限切れの際も、数年の延長が認められたにも関わらずにです。
電力会社が安全よりも目先の利益を優先していることが良く見てとれます。この先、経営困難が深まる中で、より危険な形での運転に突き進む可能性も垣間見えます。

危険な原発を動かすな!という声をさらに強めていきましょう。


#大飯原発 #関西電力 #稼働原発ゼロ #高浜原発 #蒸気発生器




***

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明日に向けて(1912)我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのかー革命の展望を探る(「明日に向けて」のレベルアップにご協力を-1)

2020年11月02日 22時30分00秒 | 明日に向けて(1701~1900)

守田です(20201102 22:00)

冒頭にポール・ゴーギャンの絵と言葉をご紹介します。
D'où venons-nous ? Que sommes-nous ? Où allons-nous ? 「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」という意味です。
下記の絵の左上に記されました。今宵はこの言葉をタイトルに選びました。


福島原発事故からの10年を振りかえる

いささか早い話かもしれませんが、あと3ヶ月と少しで福島原発事故から10年を迎えます。
この10年はどういう10年だったでしょうか。僕は悪い面も良い面も激しさを増した10年だったと思っています。

悪い面は弱肉強食の新自由主義がさらに力を増し、社会を破壊し、混乱させ、対立を煽り、大きな不安を作りだしていることです。
これはもともとの資本主義社会にひそむ矛盾です。市場原理のもとではけして万人が幸せにはならなず、競争が勝者と敗者を作り、社会混乱を生むからです。

良い面は福島原発事故以降の人々の目覚めです。核エネルギーがあまりに危険なものであることに、世界大で人々が目覚めました。
目覚めて新たな連帯を模索し始めました。日本の中でも世界の中でも、かつてとは違ったつながりが無数に生まれました。


福島原発事故当初の新聞各社の一面 あれからもうすぐ10年!


われわれはどこからきてどこへ行くのか 哲学が問われている!

これからの10年、ますます深刻化する新自由主義のもとでの混乱や腐敗にどう立ち向かうかが問われています。
いやそれだけでなく、世界を大きく変えていくこと、革命していくことが問われていると思います。
それがうまくいくかどうかは、新たな連帯の萌芽をいかに成長させるかにかかっています。アフターコロナの世界をぜひ素晴らしいものに変えたい。

そのためにみんなで哲学的考察を強めたいと思うのです。私たちはどこからきてどこへ向かおうとしているのか。またどこにどのように向かうことが良いのか。みんなで問い、議論を重ねたい。もちろんその考察の中には経済学も社会学も含まれます。
そのために「明日に向けて」で、世界変革を問う内容を継続的に打ち出していきたいと思っています。

昨年からご協力を訴えてきた「明日に向けて」のレベルアップです。このため投稿を二種にします。
原発の動向など、日々起きることがらをウォッチする領域と、世界を、革命を、哲学を論じる領域とです。可能な限り二つの領域を並行して投稿します。


世界を哲学しよう!


力をお貸しください。

ぜひお力をお貸しください。知恵をお借りしたいし、語る場をお借りしたい。
またオンラインサロンなども行い、広く革命を論じる場を作っていきたいとも思っています。ご参加を求めたいです。
そのための資金提供もぜひお願いしたいです。

それで次回から、まずは現代にいたる世界の流れをどう見ていくのか。
その結果、何をどう哲学し、捉え返していこうというのか。そのアウトラインを書いてみたいと思います。

我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか
ぜひともに考えましょう。

#福島原発事故から10年 #新自由主義 #革命の展望 #世界を哲学しよう

***

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明日に向けて(1911)伊方原発3号機の再稼働、少なくとも来年10月までできなくなりました!

2020年11月01日 14時00分00秒 | 明日に向けて(1701~1900)

守田です(20201101 14:00)

伊方原発3号機の現状

新規制基準で稼働のお墨付きをもらっている原発は現在9基。しかし稼働しているのは2基で、そのうちの1基、大飯4号機もあさって11月3日に停止し、稼働原発は玄海4号機のみとなります。
伊方3号機は昨年12月に定期点検に入り停止しました。その後、本年1月17日に広島高裁が運転差止を命じる仮処分決定を出し、点検が終わっても再稼働ができなくなりました。
四国電力は2月に異議申し立てを行っており、来年3月にはその結果が高裁から出され、場合によっては法的に稼働可能になります。

ところが伊方3号機でも「特定重大事故等対処施設」が完成できていない。その期限が来年2021年3月22日なのです。
四電によるとこの施設の完成のめどは2021年10月。そのためたとえ高裁の新たな決定で3月に入って稼働できたとしても、また22日には動かせなくなってしまう。
このためこれまで目指すとしてきた年度内再稼働をあきらめざるをえなくなり、少なくとも来年10月までは動かせないことを公表したのです。

そもそもすべての原発が「特定重大事故等対処施設」を、福島原発事故から10年近く経っても完成させないまま動いていたこと自体がひどいことですが、伊方3号機が当分、動かせない分だけ安全マージンは広がります。
これらもみな、多くの方が原発の危険性を的確に知り、「再稼働反対」の声を挙げる中で起こっていることです。
原発を動かさないことでの電力会社のダメージは相当なもの。なおかつ原発が動かせなくても電気が足りることももはや誰もが知ってしまいました。さらに声をあげれば、すべての原発の廃炉も見えてきます。


伊方原発を動かしてはならない理由を再度しっかりおさえよう

「伊方原発を廃炉へ!」という声を強めるために、なぜこの原発が危険なのかを書いた過去記事をご紹介します。
2016年8月に再稼働が強行されたときに書いたものです。内容を列挙しておきます。

明日に向けて(1288)伊方原発を動かしてはならない幾つもの理由-上 20160815
https://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/ac6e04f05f8f856793573e9be441cddc

1、地震の断層帯である中央構造縁のほぼ真上にある
2、細長い付け根の先頭にありその先にいる5000人の人の避難が極めて困難
3、そもそも新規制基準は重大事故発生を前提にしていて認められない
4、福島の事故の教訓を踏まえるとなっているがまだ事故実態すら解明されていない
5、中越沖地震の際、地震動の想定のあやまりがつきだされた
6、あらたに施された加圧水型原発の過酷事故対策がかえって危険


朝日新聞より


毎日新聞より

明日に向けて(1289)伊方原発を動かしてはならない幾つもの理由-下
https://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/41d6ef9fd874dce9c96df803ffa6ef4a

7、(2016年8月当時で)5年4か月ぶりの再稼働を迎える。世界で例も少なくすべてで大小の事故が起きている
8、加圧水型原発は蒸気発生器という致命的な欠陥を抱えている。米サンオノフレ原発で三菱重工製のものが事故を起こし廃炉に
9、再稼働前に壊れた一次冷却材ポンプも欠陥部品。技術的に越えられていない。


サンオノフレ原発の廃炉を告げるワシントンポスト 20130607

それぞれについてさらに詳しく書いた記事のリンク先も貼っています。
多くの内容が他の加圧水型=川内、玄海、高浜、大飯、美浜にも該当します。
ぜひこれらをおさえて広めて下さい。原発をどんどん止めて廃炉にしましょう!

#伊方原発 #特定重大事故等対処施設 #中央構造線 #蒸気発生器

*****

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