守田です(20201111 16:30) (20201111 19:30改訂)
● 入市被爆のデータが無視されていた
「封印された原爆報告書」文字起こしの3回目です。
今回、扱われているのは「入市被爆」の問題です。「入市被爆」とは、原爆投下時には広島市内にいなかったものの、後から救護や親せき探しなどのために市内に入って起こった被曝のことです。
原爆が放った中性子線が、あたったものを放射性物質に変えてしまう「放射化」のせいで、そこから発せられた放射線を浴びたり、市内にたくさん残っていた死の灰を身体の中に取り込み、内部被曝するなどの形で被曝しました。
しかし政府は一貫してこの被害を認めてきませんでした。そうした被害を示すデータがないことを根拠にです。
ところが当時、医学生として援護のために四日後に広島市中心部に入った方が、原爆症特有の症状を発し、そのことを手記の形で記録に残しており、それが報告書に盛り込まれていたのです。
国は明らかに後から広島市中心部に入って被曝した方がいたことを知っていたのです。にもかかわらず無視し、被曝の危険性を隠してきたのでした。
なお説明を加えておきたいのは、「入市被爆」「入市被ばく」という表記の仕方についてです。NHKが使ったテロップでは「入市被ばく」となっています。
原爆の被害は「被爆」と書かれるので、「入市被ばく」のことも「入市被爆」と書かれるのが普通です。
しかし番組が扱ったのは、明らかに放射線による被害でした。このためNHKの担当者の方も、迷った末に「被ばく」と使われたのではかと思います。
当初はこれに従い、ここでも「被ばく」を多用しました。しかしその簿、被爆二世の知人との会話の中でやはり被爆者運動の中で歴史的に使われてきた「入市被爆」という表記を尊重すべきだと判断して直すことにしました。メルマガなどでは直せませんが、このブログ、HP、Facebookは直します。この点については時期を見てまたご紹介します。
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封印された原爆報告書
(NHKスペシャル2010年8月6日放送) その3 38分35秒ぐらいから
https://onl.tw/KCJ8VXD
原爆投下直後から始められていた国による被害の実態調査。この65年間、その詳細が、被爆者に対して、明らかにされることはありませんでした。平成15年から全国であいついだ、原爆症の集団訴訟。
『自分たちの病気は原爆によるものだ、と認めて欲しい』と訴える被爆者たちの訴えに対し、国はその主張を退けてきました。
30年以上、被爆者の治療に携わり、原告団を支えてきた医師の斉藤紀(おさむ)さんです。
181冊の報告書の中に、被爆者の救済につながる新たな発見は無いか?斉藤さんが注目したのは、ある医学生が書いた手記です。
斎藤医師
「学生さんが書かれた・・・門田(もんでん)さんという方ですけれども、が書かれたものですけれども・・・」
報告書番号51。ここにこれまで国が認めてこなかったある被爆の実態が綴られていました。
手記を書いたのは門田可宗(もんでんよしとき)さん。当時19歳。山口医学専門学校の学生でした。
門田さんが広島市中心部に入ったのは、原爆投下の4日後の事でした。直接被爆をしていないにもかかわらず、門田さんに原爆特有の症状が現れます。街に残った放射線の被曝。いわゆる『入市被爆』です。
長年、国は『入市被爆による人体への影響は無い』としてきました。しかし門田さんの手記に書かれていたのは、直接被爆した人と同じ症状でした。
門田さんの手記
「8月15日。熱は39度5分まで上る。8月17日。歯茎と喉の痛みが増してくる」
さらに8月19日。門田さんを不安に陥れる症状が襲います。体中に多数の出血斑が現れたのです。
門田さんの手記
「私も原爆の被害者なのか?いや、そうではない。8月6日。確かに私は広島にいなかったではないか?不安のあまりその日は眠れなかった」
8月30日。門田さんは被爆者の症状について解説した新聞記事を目にします。そこに書かれていたのは自分と同じ症状でした。
「髪全部抜ける 原子爆弾 被害者の臨床報告」の新聞の見出し記事
そこの新聞記事に書かれていたのは「全身に斑点状の出血があり」という、自分と同じ症状でした。
門田さんの手記
「私の症状は被爆者の症状と全く同じではないか?ああ、なんという事だ。私も原爆の被害者になってしまったのだ」
斉藤さんは、門田さんの報告書がありながら、国がこれまで入市被爆の影響を否定し続けてきた事に憤りを感じています。
斎藤医師
「今まで考えられてきた『入市被爆者には原爆症は現れ無いのだ、被害は無いのだ!』という考え方が根底から、実は崩れてしまうというような意味をこれは持っているんですね。
そういった意味ではこれは65年も埋もれておったと、埋もれさせられておったと・・・」
原爆症訴訟で、長年国を訴えてきた被害者の中にも門田さんと同じように入市被爆した女性がいました。
斉藤泰子さん(享年65歳)です。3年前、被爆が原因とみられる大腸癌で亡くなりました。
当時4歳だった泰子さんが、母、幾(いく)さん(97歳)に連れられて疎開先から戻ったのは原爆投下の5日後のことでした。
親戚を探して爆心地近くに入り、一緒に歩き回ったといいます。暫くすると泰子さんに、高熱や下痢など被ばくによると思われる症状が現れました。
幾さん
「連れて来なければ、たぶんそんな事は無かったんだろうと思うんですけれども。ほんと、悪かったなあと今でも後悔しております」
その後、白血球が減少するなど原爆の後遺症に悩まされた泰子さん。59歳の時、大腸がんを発症します。原爆症と認めて欲しいと訴えましたが、国は「被爆はしていない」と退け続けました。
4年前、泰子さんは最後の法廷に臨みました。その時の言葉です。
(法廷に提出した書面)
「私は現在、末期がんで、余命いくばくもないことを医師から言われております。もう私には時間がありません。国は、私のような入市被爆者の実態を分かっていません。多くの入市被爆者が私以上に苦しんでいます」
勝訴判決が出たのは、泰子さんが亡くなって3ヶ月後の平成19年のことでした。
幾さんは、門田さんの報告書の存在がもっと早く解っていれば、泰子さんが生きているうちに救済されたのではないかと思っています。
幾さん
「本当に、間に合いませんでした。可愛そうですよね。遅過ぎましたね・・・」
岡山 倉敷
一人の医学生が書いていた入市被爆の報告書。
筆者の門田可宗(もんでんよしとき)さんが、岡山倉敷で生きていました。
どのような思いで手記を綴ったのか?医師の斉藤さんは同じ医師として聞きたいと訪ねました。
斉藤医師
「はじめまして。斉藤です」
門田可宗(よしとき)さん。84歳。65年間、原爆の後遺症の恐怖と闘い続けてきました。心臓や腎臓や患い療養中でした。
斉藤医師
「あの体の調子が悪い時は、先生、おしゃって下さい。日記を見ますと8月の19日にですね、体の出血に先生は気づかれておられますがご記憶にありますか?」
門田さん
「はい。はい。ありますよ。ええ・・・胸の辺りに皮下出血がありましてね。こりゃいかんなと、非常に危ぶんだんですね、その当時は解りませんのでね・・・」
斉藤医師
「これは先生自身は、日本語で書かれたんですね?」
門田さん
「そうです。日本語で書きました」
斉藤医師
「こういうふうに訳されて、アメリカにあることはまったく知らなかった?」
門田さん
「ええ・・・知らなかったですね。」
門田さんによると、日記を書いたのは山口の医学学校に戻ってからでした。山口まで訪ねてきた東京帝国大学の都築教授に日記を書くように進められたと言います。
門田さん
「当時、研究者で名前がナンバーワンで出て来たのは都築先生ですからね。それでわざわざ山口医専までおいでになったんです。直接面談しましてね。いろいろ質問されたりしましてね・・・」
斉藤医師
「ああ・・・そうですか」
門田さん
「それでその時に『今から日記を詳細につけるように』と言われたんですね。それで日記だけはずっとつけておこうと思ったんですね。
斉藤医師
「ああ・・・そうですか」
門田さん
「それで例のオーターソンという向こうの軍医が来て、熱心に僕の手記を求めているっていう事も解ったんですね」
報告書の最後に、門田さんは自らの思いを記していました。
斉藤医師
「Atomic Bomb Disease(原爆病)の研究の為これを書いた。もしこれが役立つなら非常に幸せですって、この報告書の最後に書いてありますね?」
門田さん
「そうですね。懐かしいですなあ。僕が残しておかないと誰が残すんだ?という気持ちがありましたね。医学に携るものとして多少、具体的な事を書いておかないとね・・・」
斉藤医師
「どうも有り難うございました」
門田さん
「はい・・・」
一人の医師の使命として自らの被爆体験を後世に残そうとした門田可宗さん。その思いは届きませんでした。
65年前に失われた多くの尊い命。そして生き残った人たちが味わった苦しみ。その犠牲と引き換えに残された記録が、被爆者の為に生かされることはありませんでした。
世界で唯一の被爆国でありながら自らの原爆被害に眼を向けてこなかった日本。
封印されていた181冊の報告書が、その矛盾を物語っています。
語り 伊東敏恵
声の出演 青二プロダクション
取材協力 笹本征男 吉田布布子
常石教一 吉見義明
松村高夫 日本学術会議
市民科学研究室低線量被曝研究会
東京都原爆被害者団体協議会
資料提供 アメリカ国立公文書館
広島市平和記念資料館
広島市文化振興課
平和博物館を創る会
長崎原爆資料館 小川虎彦
陸上自衛隊衛生学校 彰古館
毎日新聞社 日映映像
大塚文庫 神林隆元
撮影 坪内俊治
照明 馬渡規生 アレックス遠藤
照明 鈴木彰浩
映像技術 寺崎智人
音響効果 小野さおり
編集 山内 明
取材 土門 稔
リサーチャー ウィンチ啓子
コーディネーター 柳原 緑
ディレクター 松本秀文 五十嵐哲郎
制作技術 春原雄策
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