明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(1676)統一地方選2019【共産党に期待】再稼働許さない議席増やそう(『京都民報』より)

2019年04月06日 21時00分00秒 | 明日に向けて(1501~1700)

守田です(20190406 21:00)

統一地方選の前半戦が大詰めを迎えています。 僕はこの統一地方選で関西無所属ネットワークと京都の日本共産党のみなさんを応援してこの間、個人演説会や街頭での演説を繰り返してきました。候補者のインタビューも行い、ブログなどで配信してきました。
このうち僕がなぜ京都で日本共産党を応援しているのか。ある個人演説会での発言要旨を『京都民報』さんが掲載してくださったのでここに転載させていただきます。 京都の素晴らしいものを守るために、災害対策を進めるために、そして原発再稼働を許さないために、みなさんの応援をお願いします!

***

統一地方選2019【共産党に期待】再稼働許さない議席増やそう/ジャーナリスト 守田敏也さん https://www.kyoto-minpo.net/archives/2019/04/05/post-23051.php?fbclid=IwAR2xC1wiBIQJmV-dsNovEBWtnuEfiI9Ybkp3e5yun4fUgAIxC_mEBjy6KlY




写真は京都市北区で行われた井坂博文京都市議候補・浜田よしゆき京都府議候補の個人演説会にて
京都民報の記事は左京区での応援演説の要旨です・・・。

京都の街壊しが大変なことになっています。ここ左京区だけでも下鴨神社へのマンションが建設され、無鄰菴の景観を壊すホテル建設計画などが進められています。 京都市も大手資本に京都の街を売り渡してしまっている。とがしさんはじめ共産党の市議・候補者のみなさんは、住民の方と力を合わせ、街壊しをやめさせようと様々な場所で頑張っておられます。

災害の問題も重要です。昨年の台風21号や7月豪雨の影響で、倒木被害が甚大です。倒木は早く撤去しなければ、民家を襲い、橋に詰まり河川が決壊してしまうおそれがあります。でも行政は「お金がない」となかなか撤去しない。
一方で府や京都市は北陸新幹線延伸に莫大(ばくだい)な予算を使おうとしている。お金はあるんです。
共産党の議員さんは、すぐに現場に調査に行き、予算を付けよと迫ってきました。市の姿勢を変えさせるためにも共産党の議員さんを増やさなければなりません。

私が取り組んでいる原発の問題についてです。福井地裁判決(2014年)で大飯原発3、4号機の再稼働の差し止めを命じた裁判長の樋口英明さんの話を聞きました。
判決を出した理由について、「地震対策で、今の住宅メーカーは4000ガル(揺れの強さを示す単位)に耐えられる家を建てている。一方で大飯原発の想定は、856ガルにすぎず、想定している地震に耐えられない。原発が危険なことは、小学生でも分かる」と言われました。

やはり原発再稼働は許されません。再稼働に一番反対している、共産党の議席を増やさなければなりません。命と暮らしを守るため、みなさんといっしょに頑張りましょう。(3月30日に開かれた個人演説より)

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明日に向けて(1675)これまで取り上げられてこなかった声の中に大切なものがある!(井﨑さんインタビュー)

2019年04月05日 11時00分00秒 | 明日に向けて(1501~1700)

守田です(20190405 11:00)

統一地方選に向けた候補者インタビュー、今回は井﨑敦子さんにお話をうかがいます。井﨑さんは「草の根プロジェクト」のみんなと京都市左京区で市議選に立候補して頑張っておられます。関西無所属ネットワークにも参加し、地盤、看板、カバンもない中でみんなで頑張っています。 選挙期間があとわずかになってしまいましたが、ぜひ多くの方に井﨑さんの声を伝えていただればと思いいます。なお忙しい最中のわずかな時間を割いていただいてのインタビューとなったため、他の方より記事が短くなってしまいました。ごめんなさいです・・・。

井﨑さんのポスター

***

守田
選挙期間で候補はどうしても政策を中心に訴えることになって、もちろんそこに個性も反映されると思うのだけれど、それが十分には出せない面もありますよね。 それでぜひここではふだん政策を語るだけでは表現しきれていないもの、普段出せないものを出してもらえると良いかなと思ってお話をうかがいたいと思います。 ただし井﨑さんはいつも一番自然体で自分の思いを語っているかなと思いますけれど・・・。 それでまずはなんで立とうと思ったのかからお聞きしたいと思います。

● 立ちあがった原点は福島原発事故でのみんなの痛み

井﨑
去年の夏に福島の子どもたちと屋久島に保養に行きました。一週間、一緒に過ごしました。 誰も別に福島原発事故を忘れてない。屋久島の人たちもお野菜を提供してくれたり、忙しい中でお手伝いをしてくれたりしてて、忘れたことにしたいのは政府だけやなと思いました。 子どもたちの身体のことなどを切実に考えたときに、やっぱり大人がしっかりしないでどうするんだと思いました。

あとはどんどんヘイトスピーチなんかが横行してきて閉塞感をひしひしと受けるようになって。小さな場でも「そうじゃないんだよ」と声をあげて動いていく姿を子どもにも見せるのが大事かなと思って。 政治ができることはけっこう大きいと思うんですよ。みんな制度や仕組みに左右されて暮らしているわけで。 それは誰かが勝手に作っているので「いやいや私たちに作らせて。私らのことなんやから」という感じですよね。

守田
きっかけとして福島原発のことが大きかったと。

井﨑
そうやね。きっかけは311で、そこから軽々しく「希望」ということはできないかもしれないけれど、そこから新たにつながったものが生きる社会にしていきたいと思うかな。 立会演説会もそんな感じで避難者の方にもお越しいただいて行いました。

守田
最後の週にそうした企画をやられたのはとても素敵なことですね。僕が言うのは変かもやけど嬉しい気がします。やはりそれは多くの人の共通の原点ですよね。 それでそういう場ではみんなにどんなことを知って欲しかったのかな。


福島原発事故避難者の方を招いた「立ち合い演説会」(井﨑さんFacebookより)

● 「あなたが感じていることは実は次の社会を作る原動力ですよ!」

井﨑
街角に立っていてもなんですけど、票をとるためという感覚ではなくて、でも自分の言葉が響く先があるはずだという確信があるんですよ。 その人たちに向かって「黙ってなくていいし、あなたが感じていることは実は次の社会を作る原動力ですよ」と伝えたいんですね。 「私の考えていることなんてとるに足りないわ」「私の不安なんて」とか、言葉や行動に移さない限り見えないでしょう?でもいっぱい語っていると思うんですよ。たくさんの人が。 「そのあなたの思っているものが次の世界を作る原動力や」ということが伝えたいんですよ。

守田
これが一番の井﨑さんのメッセージやね。それこそ個性というのかな。井﨑さんにしか言えないこと。本質的な言葉だと思います。 でもそれはいつも言っていることですよね。企画の中でとくに共有したかったことは?

井﨑
まずしっかりと絶望を共有することでしょうか。

守田
すごく閉塞していると。

井﨑
放射能の影響もこれからもっと出てくるやろうし。 我が子の命を守りたいと家族と離れ離れで避難してきた方々との出会いを通じて、被害にあった人たちがなぜか肩身の狭い思いをしている、それはもう原発事故は終息したとアピールしたい政府や電力会社の意図が大きいですよね。マスメディアも「まだ終わっていない」という庶民の視点で報道している番組はなぜか夜中しかやらない。 今、声を上げてくれている被災者の人たちは「この国はそんな国だよ、困った時には助けてくれないよ、本当のこと言っても無視されるよ」ということを教えてくれている。しんどいことやけど、自分の大切な人たちがそういう中で暮らしてるんやという自覚を持たなくてはいけないと思っています。

守田
そうそう。

たくさんの小さなお話会を重ねてきた・・・(井﨑さんFacebookより)

● 「つながりましょう。新しい価値観で。だからこそ毎日の暮らしが大事」

井﨑
そういう中で避難者の人たちとか、子どもを守ろうとしたり、家族を守ろうとして生きている姿に胸を打たれるんですよ。 この間も若い人、10人ぐらいと話をしたのだけれど、「みんな今の暮らし好き?」と聞いたらみんな手を上げたんですよ。そんなに上げないかなと思っていたのに。

守田
そこに何かの希望があると。

井﨑
そうなんです。一生懸命に生きようとしている。そういうことをいつも確認していきたいかな。 大変な状況の中でも、それを解決していくためにはまず大人が動きださなあかんくて、でも子どもの世代にもしかして思いもよらない解決法が見つかるかもしれない。 いまは見つからなくても次にバトンを渡さなあかんので、何もなかったことにしてはいけないわけで、大変な中、私たちは生きていかなくてはいけないということを自覚したい。 でも「大変なんだぞ」と言いたいのではなくて、「その中で自分たちができることをやりましょう。みんな一緒なんだから怖がらずにつながりましょう」と言いたい。

守田
みんなが一緒というのは同じリスクを抱えているということかな?

井﨑
平成の時代の二つの大きな震災と世界のどこも経験したことがないような大きな事故の後を生きている。「だからこそつながろう。この国から新しい価値観を育んでいこう、自分たちの日々の暮らしが大事、そこから始めましょう」という感じかな。あきらめずに。大変な経験を生かし、今の政治とは全く違う政治を作っていきましょう、とそんな思いです。


井﨑さんのチラシ 読みやすい!

● いままでつながっていなかったものが大きくつながりだしたのだけど・・・

守田
それをいろいろなことをして伝えてきたわけだよね。どうでしょう。伝えてきて。

井﨑
小さいながらも例えばオーガニックマーケットなどで伝えようとしてきたことが、選挙に出ることで大きくつながりましたね。 それぞれ同じような場所で動いている人たちがいたのですよ。でもすぐ近くにあるコミュニティともつながっていなかったことが選挙に出て分かった。それで一気につながったので、すごい収穫なんですよね。

守田
それはすごいな! でも一挙につながっていることはよくわかるんだけれども、その場合、選挙に出ることで何が違ったんだろう?

井﨑
何が違うんでしょうねえ。選挙に出ることでやっぱりね、みんな、「あきらめている」とか「無関心や」と言いつつも、「大事なことや」と分かってることが見えてきたんですよ。

それに対して今回、新聞がね、もう一回考えて欲しいと思うんやけど、選挙を報じるときに政党や労働組合やなんかの団体や、そこから紋切り型に見えることしか報道してないと思うんですよね。 市民がどういう動きをしているかアンテナを持っている人がいいひんやなと思いました。いま私が言ったようなこと、ぜんぜん記事にならないし。

守田
その点をもう少し教えてください。

井﨑
どこかの党とか組織とか既存のいままでの政治からしか見てないというか。私が左京区でつながってきているのはそういういままでの政治からはみ出している人たちなんですよね。 組織の政治には関わりたくない。だけれど大事なことやという自覚はある。でもどうしてもいいか分からへんという人たちがたくさんいたやと思うんですよ。 そこの人たちの、だからへんに政治に関わらずに自分たちで自分たちのコミュニティを育てて、そこから食べ物のこととか放射能のこととか情報をとって自分たちで配信してきた人たちがバーッと応援してくれているわけなんですよ。

それは今までの政治、そういうものの視点からではたぶん分かりにくい動きなんですよ。でもとても面白い。なんでそれを記事にしてくれないのかなと思うのですよね。 私のことというよりも、こういう人たちが動いていることをどの新聞社も書いてくれなかったなあと思うんですよ。それは左京区とか井﨑とかを出さなくても書けるはずなんですよ。

もちろんね。個々の記者さんはこのことだけでなくてもいい記事を書いてくれてもいるのは知っているんですよ。でもマスコミ全体の姿勢というか、視点が、なんか生活の場に寄り添ってないように思えて。

守田
うーん。

井﨑
今回の選挙のことでも「女性が」とか「無所属が」という切り口でとまってしまっている。 もっと「組織に入らなくてはいけない」とか、「組織を支持しなくてはいけない」ということに違和感を持っている人がいっぱいいるということにもうちょっと気づいて欲しいかな。 そういう人たちが普通の感覚のまま、事務所に来てチラシを撒いたりしてくれているわけで、それは全体から見たらまだまだ少数かもしれないけれど、すごく大きな変化だと思うんですよ。 マスメディアがそういうことに気が付かないのは残念ですよね。それがすごく大きな影響力を持っているからね。

街頭でのチラシまきも斬新

守田
それをどう表現したらいいんだろう。悩ましいなあ。 井﨑さんの言っていることって、けして既存の政治や組織を否定していることではないですよね。 でもそこからこぼれ落ちてしまうというかな。いやそれもちょっと言い方が違うかもしれない。そこには入らない、入りたくない気持ちと言うか、そこにある大切な声が井﨑さんにはよく聞こえるということですよね?

井﨑
そうなんですよ。 私は労働組合もとても大切だと思うんですよ。働く人の権利を守ることはとても大切やし、ちゃんとした強い組合に帰ってきて欲しいなと思うんですよ。
労働組合って、それぞれの場で働いていて、仕事をしていて、プライドを持っている人たちが自分たちの生活を守ろうとする場なんやしね。 だから組織を全然否定しているわけではないし、むしろ「頑張れ労働組合」って思うんですよ。かっこいい労働組合に戻ってきて欲しい。

でも自営業者さんだとか、家庭の「主婦」と呼ばれている人たちとか、組合に入れない人もいるわけですよ。 それに組合の持っている独特の雰囲気なんかなあ、「ああ、なんかついていけない」という人もいて、そういう人の感じ方も私は分かるんですよ。
しかもそういう人の気持ちを表現する場って本当に少ない。 何よりそういう人たちにあきらめて欲しくない、何かの組織に参加してなくても「そのまま思っていることを声に出していきましょう」と伝えたい。そこに私は「草の根プロジェクト」の意義があると思うんですよ。 だから政党や組合やわたしらの「草の根プロジェクト」がそれぞれに活発になっていくのが大事。それで大きく一緒にいい世の中を目指したいかな。

守田
そこはよく分かるな。でもその辺の感覚みたいなものを言葉で表すのは難しい。難しいけれどその感じは僕もとてもよく分かるし、ある意味ね、既存の組織や組合の人たちも感じているものだと思うのですよね。だってどこの組合も昔から比べれば数が減って弱くなってきているわけやし。
その意味では僕はこれまでの政治や政党と、井﨑さんや井﨑さんを支持するみんなの感覚が、大きなハーモニーを奏でるにいたる回路を探っていきたいと思うのですよね。 もちろんそれは一つの組織とか団体に合流するとではなくて、もっと互いがそれぞれの違いをおおらかに、ある意味楽しく認め合いながら、大切な何かを共有するというかな。

井﨑さんとは一緒に社会的共通資本に関する学習を重ねてきました(2018年7月 井﨑さんFacebookより)

● 「草の根プロジェクト」の今後

井﨑
その点では私も私たちの「草の根プロジェクト」だってもう一つの団体だとも思うのですよね。
そもそも私たちは選挙のために集まったのではなくて、もともと一緒にやってきたコミュニティだったんですね。そこから立ってきた。 立つときは「選挙になった絶対にもめる」とか言われたけれど、ぜんぜんもめてなくて、結束が固まってすごく良かった。これまででもすごく収穫があったなと思ってるんです。 だからこれをどんな形であれ今後に行かせていけると思います。

守田
それは素晴らしい! 僕も井﨑さんに共感しているみんなの思いを一緒になって大きくしていきたいなと思います。

今日はありがとうございました。 あと少しですが頑張ってください。もちろんその先も!

井﨑
はい!頑張ります!

                草の根プロジェクトのみんなでパチリ(井﨑さんFacebookより) 

終わり

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明日に向けて(1674)貧しい人が希望を持てる社会を作らんと!(白坂ゆうこさんインタビューその3)

2019年04月05日 07時00分00秒 | 明日に向けて(1501~1700)

守田です(20190405 07:00)

統一地方選に向けた候補者インタビュー、今回は京都市東山区で市議に立候補している白坂ゆうこさんのお話の完結編です。 今回は選挙における市民と野党の共闘を画期的に広げて頑張っている白坂選挙の位置性と白坂さんへの東山への思いについてお聞きしました。

***

● 白坂選挙の中にある新しいもの

守田
でも話を聞いていると白坂さんの選挙、本当に最先端を行ってはると思います。

白坂
なんかね、ものすごくいろいろなタイプの人が来てくれはっていてね。

守田
白坂さんは共産党の他に社民党からも新社会党からも支持を集めているわけやけど、これって相当、久しぶりなのではないかなあ。これらの党が一人の人を一緒に支持するのは。

白坂
そうなんですよ。共産党の京都委員長の渡辺さんが興奮してはってね。45年ぶりなんだそうですよ。共通の候補を「社共」で推すのは。

守田
45年ぶり???
わあ、45年も喧嘩してたんや(笑)

白坂
半世紀やね。それに私のケースのように共産党が独自の候補を立てなかったのは戦後初めて。その意味でなかなか歴史的な部分があるんですよ(笑) 京都はその辺がほんまににっちもさっちもいかへんかったから。


左から社会民主党福島みずほさん、日本共産党小池晃さん、新社会党岡崎ひろみさんからの檄(白坂さんFacebookより)

守田
そやけどね。これだけのあっちこっちの活動家たちが集まってきている中でよくやれてますね(笑)

白坂
でしょ!(笑)

守田
猛獣使いや(笑)

白坂
関西無所属ネットワークのメンバーからも「よくその選対メンバーでうまくやれますね」と言われるんやけど、私、ぜんぜんどうもないねん。なんでやろ(笑)

守田
それはやっぱり苦労の蓄積があるからと違うかなあ。

白坂
そんな大層な。たぶん私ね、あんまり考えてへんからやと思うねん。私は自分の特徴としてね、人を「こういう人」とカテゴライズしないんですよ。できないんかな。

守田
あ、なんだかちょっと似てるかもしれない。僕ねえ、あんまり相手の悪意に気が付かないんですよ。

白坂
私も(爆笑) よく「白坂さん、それ善意にとりすぎやで」って言われんねんな。

守田
よう言われる、言われる(笑)

白坂
そやし、あらためて考えてみたら猛者ばっかりでね。すごいメンバーやなと思うねんね。

守田
考えてみると共産党の方たちもそうやし、長く活動してきた人たちは、もちろん僕もそうやけれど、いろんな意味でなかなか展望が切り開けない閉塞感も持ってきたと思うんやね。
でも福山和人さんをみんなで候補として担いだ京都府知事選で本当に新しい共闘の枠組みができた。すごく大きな変化で誰もが次に期待を持てた。
ある意味そのモメントが一番ダイレクトに流れ込んできているのがこの白坂選挙なんやなあと思うんよね。だからそれを白坂さんが背負ってくれて、それはもう「ありがとう」と思います(笑)
それはやはり白坂さんの人となりがあるからできること。ここにあるのはぎちぎちの力が合わさったすごい合ベクトルやから、ちょっと違ってしまえばどこに流れてしまうか分からないというか。

白坂
そうや。まさしく。そやなあ。

        白坂事務所に集う猛者のみなさん!(白坂さんFacebookより)

守田
やはりいろいろと生活に困っている人やわけありの人をそれぞれでリスペクトして雇用して場を与えてきたことが生きてるんとちゃうかな。

白坂
私も年いって会社をやめたら、そういう、福祉ではないんやけど、困った人が集う場を作って・・・。なんていうかなあ。

守田
あ、なんかそれ分かる。適当な言葉がないんよ。「福祉」だとちょっと違うんよね。

白坂

そうそう。なんて言ったらいいんかな。まあなんでもいいんやけど、困っている人がもっと頑張れるような何かをやりたいなと思ってたんですよ。そういう気持ちやったから、ほんまに暮らしが大変な人がいっぱいいるから、そこをなんとか。 もちろん有機農業も応援しているし、添加物もあかんし、原発も止めなあかんし、それらは当然取り組み続けようと思ってます。
でも緊急に食べていかれへんで、もう本当に悲惨なことになっている人とか、追い詰められて、明日にも首をくくろうかと悩んではる人ら、零細の社長さんとか、そんな人らがいるということが私はいつも頭から離れへん。 「あたしは早よ死んだらええねんやろな」と口に出して言うお年寄りがいっぱいいるということ、それがやっぱり一番頭から離れへん。そういう人らがなんとか希望を持てるような社会にせなあかんと思ってる。

京丹波での安らぎのひと時(白坂さんFacebookより)

● 子どもの時から自慢の東山区をよみがえらせたい

守田
最後に東山区へのこだわりを聞かせてください。東山区をどう思っているのか。どう変えたいのか。

白坂
私は東山区で生まれ育ってこの東山区が自慢なんです。

守田
わあ。一番いい素晴らしい答えや!どう自慢なんですか。ぜひ自慢してください。

白坂
私はね、東山区ってなんでもあると子どものころから思うてた。

守田

なんでもある!すごい!


                 八坂の党(法観寺)をバックに街宣

白坂
自然もあるし、清水焼やらお扇子作ったりするところもあって、きれいなもんをいっぱい作れる。美味しいお料理屋さんもある。祇園にきれいな舞子はんもいてはる。博物館もある。大学もある。ほんと「ないもんないなあ」と思うてた。

守田
たしかに。清水さん(守田注 清水寺)もあるしね。

白坂
お寺やら神社やら名所旧跡もいくらでもあるし。本当にないもんない。自然も豊かで。いまも私が住んでいるところの裏山にはいのししとかでるし。ここはこんな町中んはのにいのししが出没する自然と隣り合わせて暮らせるようなところやと思ってた。
名所旧跡や観光地以外でも地元のお店屋さんがいっぱいあってお豆腐屋さんやらなんやら。ほんで学校も病院もぎょうさんあるし。

でも今は小中一貫校が二つだけになってしもた。十何校あったのに。ガソリンスタンドは一軒もない。商店街はシャッターだらけ。
そんな風になって来ているのを毎日悲しく思ってて、私はそれで会社をこっちに持ってきたんです。 出馬の話の前だったのですけど。母の介護も必要やしそもそも「想定外の災害が起こったら年寄りばかりでどうなるんやろう」と思って、母親の近くに行こうと。商店街も私がお店を一軒でもやったら少しは賑わいが戻るかなとも思いました。
そんな風に戻ってきたら出馬の話が来たんですよ。だから自分の中で東山区をどういうふうにもう一度「暮らしやすいな、ここに住んで良かったな」と思えるような街にするか。それはもう出馬前から思っていたテーマなのです。

守田
素晴らしい!でもポテンシャルはあるもんね。

白坂
そうそう。あるのに生かし切れてないし使い切れてない。

守田
そこをやりたいと。もともと議員になる前からやるつもりだったけれど、議員になったらもっとやれると。

白坂
そう。もっとやれる(笑)

守田
分かりました!素敵な話がたくさん聞けました。 ぜひ頑張ってください。

白坂

はい頑張ります。

守田
一緒に頑張りましょう。ありがとうございました!


            「つなぐ東山」に集った人々に囲まれて(白坂さんFacebookより)

終わり

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明日に向けて(1673)貧しい人が希望を持てる社会を作らんと!(白坂ゆうこさんインタビューその2)

2019年04月04日 17時00分00秒 | 明日に向けて(1501~1700)

守田です(20190404 13:00)

統一地方選候補者インタビュー、今回は白坂ゆうこさんに聞く2回目です。ぜひお読み下さい。

● 貧しい人、苦しい人をほっておけない

白坂
でもやっぱりね、福山さんの選挙の時にね、生活保護で自死された親子の話があったじゃないですか。(守田注 生活保護を打ち切られた男性が母親を介護しきれなくなって母親と話し合って「殺害」。殺人罪で服役しのちに出獄したものの本人が自死してしまった話。もうこんなに悲しいことがあってはならないと福山さんが涙ながらに訴えた)。 それが本当に私のところに「雇ってくれ」と来はる人の話と全部つながっていくんですね。それで福ちゃんの選挙で今熊野でタウンミーティングをしたときに、やっぱりうちで働かせてくれと言ってきた人と同じような話をたくさん聞いたんです。 それだけ生活が大変な人が多いんです。普通に生きていくだけでも大変な人たちがたくさんいることを知れば知るだけ、私は「自分がもっと何かできるんじゃないの」とずっと思ってた。潜在的なところでの私の一番の出馬の動機はそこやと思うんです。

守田
すごく感動しているんですけれども。素晴らしい。

白坂
そうですか(笑)

守田
福ちゃんのときもいきなりあれでやられたものね。「ああ、これでもうこの人を絶対に支持しよう」と思って。

応援に駆け付けた福山和人さん、浜矩子さんと(白坂さんFacebookより)

白坂
それで今回の選挙戦、私は仕事もぜんぶやりながらやろうと思てフル回転してたんです。でもさすがに無理が溜まってそれで眩暈がして。階段から落ちて手を折って。

守田
ありゃあ。そうやったんや。

白坂
おかげでいまは、私は会社とノームは何も仕事ができなくなって、こっちに集中できるようになったんです(笑)

守田
怪我の功名やね。

白坂
だけど思ったのは、家族や周りの人が助けてくれたんやけど、これ、一人暮らしのお年寄りの人やったらどうしはんねんやろってね。

守田
ほんまやね。

白坂
なってみな分からんことっていっぱいあるなと思いました。

守田
経験してみないと分からんことがいっぱいあるからね。利き腕でしょう?不自由だよね。

白坂
なんもできへんし。でもいろんなことをいま勉強させていただいているなと。


折れた腕をかばいつつ左手でマイクを(白坂さんFacebookより)

● 世の中への信頼感が自分の支えになっている

守田
苦労というより、教訓として語れることはあります?

白坂
これは候補者に限ったことではないけど、私、ポジティブな性格なんですよ(笑) あまり何事も悪いように考えない性格なんです。そんな私でもふらっとビルから飛び降りようとか、それぐらいしんどかったんですね。 そやけど基本はやっぱりネアカというか、何かこの世を信頼しているというか。人も自分も含めて何かを信頼してるんやろなと。

守田
信頼というところにめっちゃ共感するなあ。 でもものすごく疲れていて、それでも「これをやらなあかん」というときに、ホームに電車が入ってくるとふと「ここで飛び込んだら楽やろな」と思うわけよね。

白坂
そうそうそういう感じ。 でもそういう信頼の気持ちがずっと私を支えてくれていたんやと思う。

守田
苦労されるなかで信頼されることのありがたさとかそれも知ってきはったんやね。

白坂
そうですねえ。分かります。
いまやはり、細かい政策とか考えてきて、結局はそやけどね、やっぱり貧困なんやなと思うねんね。みんな貧困やねん、貧しいねん、結局。だから最低賃金もあげなあかんし福祉も充実せなあかん。 でもとりあえずみんな本当に大変な状況なんやから、みんなもっと要求を出していいと思うねん。なんでみんな「なんとか食べていけてるし」とかいうことであとは「自己責任」となってね。

守田
自己責任論でみんなずいぶんやられてるよね。

白坂
そう。やられてると思う。

守田
生活保護とかね。まずこの言葉自身があかんけど、その受給資格を持っている人の2割ぐらいしか受けてない。人に頼ったらあかんと言われて。 しかし人生、子どもの頃や年老いてからは頼らないといけないのは常識なんやし、人が人に頼ることは当たり前のことなわけやんね。だから憲法で保障された権利はいろいろとあるんやけれど、みんなその行使をためらってしまっている。

仲間と共に(白坂さんFacebookより)

● 岩盤のような封建的意識があるけれどリスペクトで越えていける

白坂
そうそう。私は「日本にはまだ民主主義がちゃんと育ってへんな」と思うことがあんねんね。封建制のような考えが岩盤のようにはびこっているなと町の人と話していたら思うねん。

守田
それはどんな意味?

白坂
そやなあ。例えば町内とか自治会とか、それが一番身近な政治やけど、そういうのって町の有力者とか地元の旧家の人とか、そういう人がやってるわけよね。おかしいでしょう。その発想から変わらんといけんと思うし。 たぶん私が市議会に出たときも「どこの誰やねん」と言われるんとちゃうかな。でも「どこの誰でもええやろ」と言いたいよね。町内会とか身近なコミュニティの中での政治がね、ぜんぜん自分たちの手につかめてないし。そこをつかまないとほんまの草の根なんてないですよ。そこんところをもっと見ていかなあかんと思うねん。そういう意識を持っている人たちが本当にビックリするぐらい多い。 でも私はね、いま保守の人たちからもけっこう支持されてるんですよ(笑)

守田
なんで?

白坂
たぶんね、そういう人たちも住環境や自分たちの暮らしを良くしたいと思う気持ちは同じなんですよ。みんな有権者です。

守田
そうです!!

白坂
みんな生活者です。だから私はそういう人たちともどんどん喋ってるし、共感しているし。

守田
素晴らしい!

白坂
それでそういう中で自民党のポスターと私のポスターを並べてはってくれたりとか。

守田
わあ。良いなあ。

白坂
そんな「異常事態」が起こっていて。生活者として手をつなくというのは同じことやし。

守田
それはたぶんね、白坂さんが身に着けているものとして、人をすごくリスペクトしはるんやと思うんですね。

白坂
そうやな。自分以外みんなリスペクトですよ。私。

守田
さっき「私のいいところをみんなが見てくれようとしている」と言ってはりましたよね。「私に魅力があるからみんなが私を見ている」というのではなくて、相手の能動性としてそれを捉えている。そうやっていつもちゃんと相手を見てきはったから、逆に相手も「この人はちゃんと自分を見てくれる」と思えるんちゃうかな。そう思うんですよね。

白坂
ああ。お互いさまかもしれないですね。

守田
僕は篠山市で原子力災害対策検討委員会で活動してきたけれど、めっちゃいい経験で。保守の人たちもたくさんいて一緒にやってるからなんよね。市長も保守の方たちに推薦されている人で。 それで保守の人たちの思いや考え、積み上げてきたことを学ばせてもらうことができた。リスペクトできることがたくさんあった。そしてそこを踏まえたら、多くの方たちが反対に僕を尊重してくれて。

白坂
そうですよね。私自身はぜんぜん保守じゃないですけどでも人の大切にしているものをちゃんと見ないとね。何が必要なのかということは見えてこないと思うのですよ。その人がなんでそれを大切に思っているのか。その人が大事にしたいのは何かと、その価値観をまず認めること。それをしないと本当にその人に対して提案なんてできないですよ。それはね、企業経営として当たり前ですよ。

守田
なるほど!

白坂
顧客対応とか取引とか売り込みとかね。

● 共闘関係を豊かに広げていくために

守田
この白坂選挙は一番新しい形だと思うのですね。共産党の支持があり、社民党の支持があり、新社会党の支持があり。いわゆる「新左翼」の人々の支持もある。その上、保守の人たちからも応援を集めている。 でも僕も新しいことにチャレンジしているんですよ。

白坂
そうなんや。それはどうな風に?

守田
今回の選挙で、僕は共産党の応援を市民の側がどう能動的にできるか、いろいろなことを試みているんですよ。 共産党はすでに多くのものを積み上げてきているから、選挙になるとカチっとした行動ができる。反対に言うと、外からはどうしてもすでに出来上がったものをお手伝いする形にしかならない面がある。
それに対して無所属でたちあがった人を応援する場合は、自分たちでいろんなことを決めて行動していく楽しさがある。もちろん「あれもない、これもない」という大変さとセットだけれど、でもこの楽しさは大事なものだと思うのですよ。 それをすでに選挙においてさまざまなノウハウを持っている共産党の応援の中で、いや応援というよりもっと自分の選挙として担う場合にどうすればいいのか。
実はインタビューもそれで始めたんですよ。共産党がやってないことをやろう、候補者の個性をみんなの前に引き出させてもらおうと思って。僕は前から共産党の人たちはもっとそれぞれの個性を出した方がいいと思っていたんですよ。

白坂
そうやね。党派選挙、とくに共産党の選挙の面白くないところは、みんな横並びに見えるんやね。同じ政策を言う。共産党の政策なんやから当たり前なんやけど、そうしたら失礼やけど「わざわざあんたから聞かんでもええわ」ともなってしまう。
それがとても強いように思うんよね。でも若い議員さんでもずいぶん工夫して自分なりのやり方を試みようとしてはる。そういう方もいますしね。なんかそれを見ていると期待できるなあと思うのですよね。
それに経験を積んだ方の中にもすごく柔軟な人たちがいて、その人らがどんどん中心になってきてはる。そういうところから変わりはりつつあるのかなとも思いますね。

守田
僕がそうやってなんとか共産党の選挙を市民が能動的に担う回路を切り開こうとすることに対して「京都では共産党の議員が増えてもオール与党でなにもかも否決されてしまう。だからなんとしても無所属議員を作る可能性を追求しないと」という方もいます。その思いもよく分かるのですよね。
それで今回の連続インタビューの中で井坂さんと話していたら、その点を日本共産党京都市議団が第一党の立場になることで越えていきたいと言われてました。「第一党からは民主主義の常識から言えば議長も出せる。それだけ民意が集まっていることがはっきりしたらそうそうすべてを否決することなどできなくなる」と言うのです。なるほどなあと思いましたね。

僕の戦略は災害対策をみんなで進めることなのですよ。だって災害対策には右も左もないからです。それで北区や左京区で共産党の方と一緒に災害対策の企画を開いているのですけれども、そのときに「ぜひ共産党から保守の方たち、とくに消防団の方たちなど災害対策を担っている方たちに声掛けして欲しい。ダメもとで良いから」と言っているのですよね。そうしたらこれまで共産党などの企画に一度も来たことのなかった地域の方が参加してくれるようにもなった。それだけ北山がひどいことになっているからでもあるのですけれどね。

白坂
私も年末に東山区の消防団分団を全部回ったんやけどね。どこも保守の方たちばかりで。でも分団長さんとかみなさん本当に真剣に考えてはってね。いろいろと意見が合うのですよ。それでツーショットを撮ってもらったりね。

守田
いいですねえ(笑)。まずはそこからですよ。すぐに支持してくれなくても、「ああ、この人はちゃんと考えてはんねんな」と思ってもらえたら次の可能性が開ける。

白坂
そのときは共産党の方と一緒にまわったんやけども、私は無所属でそれはすごくやりやすいなと思ってね。無所属やからこそ、代々、自民党支持の方からも応援してもらえるのですよ。 もちろん私は共産党にシンパシイも強く感じているけれども、それでも共産党がもたれている偏見をなくすためには市民の力が必要やと思うのね。それに私自身、組織がすごく苦手やし。

守田
でも組織を作ってはりますやん。会社を作って。だから組織のことはよう知ってはる。

白坂
それはそうやね。でも私は組織に入って組織のために動くとかは苦手なタイプやと思ってます。そういうことはできないかな。

それでこの間、訪ねていったところは代々の保守で安倍さんのポスターも貼ってあって。「うちは代々の保守や」とおじいちゃんが言わはんねんけども「せやけど今回は市議はあんたに絶対に入れる」と言ってくれはったんです。

守田
おおおお。すげえ!

白坂
すごいやろ(笑) 
他の方でもあえて自民党のポスターと私のポスターを並べて貼ってくれてたりするんですよ。

守田
面白い!むっちゃ面白いですね。

白坂
やっぱりね、何かを大事にしたいと奥底で思っているところに触れればどんな人とでもつながっていけるし、そこんとこをみて、すべてを再編していく形ができたら面白いなと思うんですよ。

守田
そういう時代なんちゃうかな。

                          にぎやかな街頭行動(白坂さんFacebookより)

続く

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明日に向けて(1672)貧しい人が希望を持てる社会を作らんと!(白坂ゆうこさんインタビューその1)

2019年04月04日 07時30分00秒 | 明日に向けて(1501~1700)

守田です(20190404 07:30)

統一地方選前半戦がいよいよ終盤に差し掛かっています。そんな中でインタビューシリーズを続けているのでここからは1日に連続した投稿を行わせてください。流量が増えてしまってすみません・・・。

さてこの統一地方選に向けて候補者インタビューシリーズ、今回は京都市東山区で立候補している白坂ゆうこさんにお話をうかがいました。白坂さんは昨年、福山和人さんをみんなで推して奮闘した京都府知事選でつながった仲間たちに出馬を依頼され、共産党の

支援を受けつつ無所属で立たれました。関西無所属ネットワークにも参加して頑張っています。以下、白坂さんの話をお聞きください。

白坂さんの事務所でツーショット

***

守田
すでに京都市議選も後半戦に入っていますが、選挙ではどうしても政策などを主要に話す必要があるから、パーソナルな人となりなどが出しにくい面もあります。それでこの場ではどちらかと言えばそちらを語っていただきたいと思います。まずは何よりなぜ立ちはったのか教えてください。

● 貧しい人を思い、悩んで、悩んで、立候補を決めた!

白坂
立ちあがるまですごく悩みました。仕事しているし、しかも昼夜のダブルワークをしているから。仕事は会社経営と飲食店(ノーム)の経営です。ノームの方は個人経営なんやけど、会社の方は経営責任もあるしね。なかなか手を抜けないので悩みました。

守田
なんでそれでも立とうと思ったのですか。

白坂
普通の市民が被選挙権を持っていながらなかなか行使できない現実があるじゃないですが。それは私のような理由だと思うのですよ。あるいは子どもがいるとか、親の介護をしているとか、立つのを許さないプライベートな事情があって、選挙に出馬できる人はそこで限られてくる。だったら普通の人が候補者になるためには何をクリアしていかなあかんのかということを自分が身をもって試してみなと思ったのですね。

守田
おおお。

白坂 私は福山和人さんの京都府知事選の応援に入ったのですね。しかも福山さんが候補者として決まる前に、他の方にも「出て下さい」とお願いにいったりもしていたのですよ。「誰か良い人いいひんかな」という話をしていたわけですけれど、「自分はその立場にな

らない」と思っていたから気軽に考えて、「なんで出てくれはらへんのやろう」とか「やってくれはったらええのに」とか無責任に言っていたわけですよ。 そういうことも自分に問うたんやけど、それでも「能力的に政治家の仕事をこなしていけるんやろうか」「そもそもそれまでの候補者活動も耐えられるのかなあ」と思いましたね。ぜんぜん未知数で分からなかったし。ちょうど家族の体調不良なども重なっていた

し、その辺が悩んだことですね。 でもいろいろな活動をしたり会社をやったりしてきたわけやけど、そんなときはみんなで役割分担をしてきたわけですよね。私は社長をやったりしていて。それならそういう役割分担の一つとして「候補者をやってみない?」と周りから言われたと捉えてみようと思ったわけです。

守田
要請を受けて出馬にいたったのですね。

白坂
そうです。「つなぐ京都」(守田注 福山選挙のときに起ちあがった市民と野党の共闘による福山支持母体)や「ユナイト京都」の仲間とかに要請されて。

守田
ビックリしましたか?

白坂
それまでも「選挙に出たらいいのに」とかいうことは冗談半分に言われていたのですよ。だけど「話があるんやけど」ときちんと言ってきて真剣に向かい合ったのは初めてやったから、「これは現実として考えなあかんのやな」と感じました。 本当にいろいろなことを考えました。私のような中小零細企業には、大企業では働けないような年を取った方とかいろいろな方がいてはるんです。年金だけやったら生活がしんどいし少しだけ働かせてとか、母子家庭で子どもの奨学金の返済のため土日もちょっと

だけ働きたいとか、いろんな事情がある方がこられていました。いまも不登校で学歴は中卒やけどほとんど学校にいってなくて、字も満足にかけない方とかをできるだけ雇っているのです。

守田
素晴らしい。

白坂
だけれどそんなに儲かってなくてね。それでも雇っていたのです。赤字経営でも自分の身銭を切って会社をまわしてね。それでやっと少し黒字になったけど最低賃金ぎりぎりぐらいしか払えへんねんね。「ワーキングプア製造機」みたいになっているわけ。そんなふうになりたくないけど。でもいまも私の給料もでないぐらいの状況から、ようやっと給料が出るかなぐらいになった状況やしね。 それでも困っている人がたくさんいてて、「最低賃金でもなんでもいいから雇って」と言ってきはる、それでようやく黒字になったから。でも大したことはできない。ちょっと儲けがあったときとかはみんなで分けてボーナスで出して全部使っちゃってるわけやけど。とりあえずみんなの生活費をちょっとでも増やそうという感じで。

立候補の話が来た時に「私あとどれぐらい働けるやろうかな」と考えたんです。せいぜい10年かな。5年か10年か。そしたらあたしはこの困っている人たちにどれだけのことがこの間にできるんやろうと思ってんね。 私は「世の中の仕組み変えないと本当にダメよね」ともう前からずっと思ってきたんです。でも自分が仕組みを変えるための候補者にまで踏み出す勇気はなかった。だからずっと候補者を応援するだけやった。 でももっと積極的に、そういう困っている人たちがどうにかなれるように、立候補して政治家になることをめざして、それで世の中が一歩でも二歩でも前に進めたら、私があと5年、10年会社をやるよりもいいかもしれないと思たんです。

守田
おおお。素晴らしい。

白坂
会社もそういう活動も、私はみんなコミュニティやと思ってるんですよ。だからそういう中で自分がコミュニティの一員としてみんなのためにできるだけのことをするとそれだけのことなのですけれども。

夜桜と共に。素敵な街宣(白坂さんFacebookページより)

● 大変やけど私は幸せもの

守田
それでやってみてどうですか?さきほど「身をもってやってみる、試してみる」って言われましたよね。まだ渦中ですけれどもどうですか。やってみて。

白坂
もうねえ、通っても落ちても、「候補者になって分かったこと」という本を書かへんかと関西無所属ネットワークのみんなに言っているんです。自分たちがやったことで分かったことが、これから市民が政治に参加するときの一つの資料になるかもしれないから。

守田
そんなんぜひ協力させてください!

白坂
お願いします(笑)
これまで市民が候補者になって、それで成功した時の体験談は語られているとは思うんやけど、市民が政治に参加した時、しんどかったこととか、そうならな分かれへんかったこととか、そういうことがいっぱいあるし、みんなに知らせたいなと思って。

守田
それってとても共感するんですよね。僕は前回の京都市長選のあとにみんなで「ウチら困ってんねん@京都」というグループを立ち上げて、京都市政を変えるために活動を重ねてきているんやけれども、そこで選挙後に「ぶっちゃけ選挙話」という企画を何回かやってきたんですよ。候補者だった人たちを呼んで思いのたけを話してもらって。ときにはクローズドでオフレコにしてね。 候補者は支持してくれた人のことをなかなか悪くは言えないですよね。自分が立ちあがった時の経済的事情や苦境などもなかなか表に出せない。でもそういうことをぼかした形でも伝えていかないと選挙の苦労がみんなに共有化されない。それでそんな企画を試みたのです。 候補が抱えた辛さとか特有の孤独感もあると思う。とくに何もないところから起ちあがった市民が何を苦労したかの経験を蓄積することはとても大事だと思うのですよ。

白坂
私もね、会社の人がどう思うか不安やったんですよ。「自分たちを見捨てるのか」とか思わないかと。実際に初めはそんな雰囲気も感じました。 でもみんな分かろうとしてくれてたし、いまはみんなは私の選対や選挙応援には入ってないけれど、私がいない間、なんとか切り盛りすることで私を応援しようとしてくれていることがすごく伝わって来るんです。ノームもそうやし。だから私は候補者になって、

「大変でしょう」と言われるし、そりゃ大変は大変やけど、でも「すごく幸せ」と思ってます。

守田
それはどういう幸せ?

白坂
こんな経験、誰でもができる経験じゃないでしょう。得難い経験をさせてもらっている。みんなが、とくに選対の人たちや支援者の人たちが私を肯定的に捉えようとすごく思ってくださるとかね。とてもありがたいなと思う。 「ちやほや」ではなくて、私と言う存在を大切にしようとして下さっているのです。それが伝わってくるので、しんどいけれど「私は幸せもんや」と思ってます。

守田
そう捉えられることにも、白坂さんのこれまでの苦労が反映しているのでは?「ちやほやではなくて自分を肯定的に捉えようとしてくれている」と捉えるその捉え方に。

街宣の一コマ。白坂さんはいつも明るい(白坂さんFacebookページより)

● 何度か地獄を見たけれど一生懸命にやっていたら必ず助けてもらえる

白坂
そうやねえ(笑) 会社が大変やったときは本当に地獄でしたし。

守田
地獄・・・・・

白坂
地獄でしたよ。たぶんね、中小零細企業の経営者は10年もやってたらね、1回や2回は地獄を見てますわ。

守田
どういう感じなのですか。その地獄は。

白坂
私は会社の後を継いだ時が急だったのですよ。母親が脳梗塞で倒れて。その前に父親が亡くなっていて。両親が中心になってやっていた会社だったのですけれど。私は会社の一部には関わっていましたけど、全体の経営には関わってなかったのです。普通は片腕になっている専務などがいるはずなのですけれども、その人も肺がんで亡くなって。 私は両腕のないだるまのような感覚が自分の中にありました。それで業績を開けてみたら累積赤字やったんですよ。古い百貨店商売をやってましたから、いくつもの店舗を持っていたのですけれども、百貨店ってこのところずっと業績が右下がりですよね。それでどの店舗も赤字。黒字にしようとテコ入れしても、打ち上げ花火みたいなことはできるけど結局は続かないし借金返せへん。借金はそれほどしてなかったのですけれども、とにかく借金を返してたら赤字がどんどん増えるだけ。

そういう中で辞める人もいて。私も「あと1年後の段階で辞めたら退職金は払えないからいまなら」といって辞めてもらった人もいるし。ほんまにそんな状況で、それでほとんど人を入れ替えることになったんですよ。結果的に。 でもそれがかえって良くて。何十年も半世紀以上もやっている会社なので、古い体質が変えられへんでね。私はインターネットに切り替えをしようと思って。百貨店に頼っているだけでは持たないと思って。でもみんなネットなんかでけへんねん。 そういう中でほとんど誰もいなくなって、売り場の方に少し残すばかりで、本社の方は私と二人ぐらいで私が経理から労務から営業から仕入れから全部やってたんです。

守田
わあ。すごいなあ。

白坂
それでも赤字で。それを全部、私の貯金を崩して埋めて。もう今度は家を取られるかなぐらいの状況で。ほんまに何度か首をつりたいとか飛び込みたいとか思いますよ。別にうつでもなくてもう逃げたいというか。にっちもさっちもいかへんというか。それでそういうことを何度か経験してます。
でもなんとかそんなときに、ノームにある大企業におったSE(守田注 システムエンジニアのこと)の子がお客で来ててね。その子は仕事のことで悩んで休職中やったんですよ。それで私の話を聞いて「僕、働かせてもらえへん」って。 「給料最低賃金しか払われへん。SEの給料なんか無理よ」と言うたんやけど「かまへん」て言うてくれて。それにいまいてる経理の人も友だちやけど「給料別にいい。払えるだけでいいから、私、今の職場を辞めて行ってあげるわよ」と言ってくれて。 みんながそうやって助けれてくれてね。ほんまにありがたいです。そうやって3年、4年かけてやっと黒字に転じたんですよ。

守田
それが何年ぐらい前のことですか。

白坂
それが3年ほど前かな。

守田
それじゃあ、好転したばっかりやったんや。ちょっと前まで地獄を見てはった。

白坂
うん。

守田
そうですか。うーん。

白坂
そういう中でも私が平気で仕事をできん人を雇ったりするから、みんな、イライラしてたやろなと思うけれど(笑) でもそういうのんが私はなんか、人ってね、ほんまに捨て身で一生懸命にやっていたら必ず助けてもらえるというのが人生で何回かあったので。捨て身で一生懸命にやらんとダメですけどね。

守田
それは僕も良く分かります。

白坂
あるでしょう。そういうの。

守田
「人事を尽くして天命を待つ」・・・。そうしたらほってはおかれないというか。

白坂
なんかそういうのはあったし、でも過ぎてみるとけっこう私も「喉元過ぎれば熱さ忘れる」なんやけど(笑)

今日も町を走る「つなぐ東山」の白坂ゆうこ号(白坂さんFacebookページより)

続く

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明日に向けて(1671)日本共産党が第一党になることで京都を変えられる!(井坂博文さんインタビューその3)

2019年04月03日 08時00分00秒 | 明日に向けて(1501~1700)

守田です(20190403 08:00)

統一地方選候補者インタビューシリーズの続き、今回は京都市北区で市議選に立候補している日本共産党京都市議団幹事長井坂博文さんのインタビューの3回目、完結編です。 インタビューの場を提供してくださった「居酒屋北大路魚善」の大将にもご登場いただきます。

● 「井坂博文さんはまあ恋人みたいなもんやね!」-魚善大将


魚善大将と井坂さんのツーショットバナー?(井坂さんFacebookページより)

守田
さてここで井坂さんを熱烈に支持している魚善の大将にご登場いただきましょう。「大将」で通させていただきますが、大将はなんで井坂さんを推してはるんですか?

大将
言葉で言うのは難しいねえ・・・。まあ恋人みたいなもんやね。自分にないところもあって、ほんまによう頑張るところもあって。

井坂
初めて聞いたわ(笑)

守田
大将は職人としてのプライドがありますよね。そのプライドを持っている大将がどう井坂さんを評価してはるんですか?

大将
もちろんありますよ。それにけっこう私、人気があるんです(笑)それでいろんな人とお付き合いさせていただいてきています。その道を究めはった方も多い。それで私なりに人を見る確かな目が磨かれてきたと自負しています。 その私から見ると井坂さんはいまの共産党を変えてくれる人なのです。イメージ的にいうと共産党はかたい。ぜんぜん柔軟性がない。そんな中で井坂さんは自分個人のファンクラブをつくらはった。党内で「スタンドプレーはダメや」と言われているのに。こんなん日本で初めてなんとちゃいますか?

守田
井坂さん、そうなん?

井坂
日本で初めてかどうかは分からんけれど京都では初めてやね。といってもクラブは僕が立ち上げたのではなくて、当時の子育て仲間が「井坂を応援しよう」と立ち上げてくれたんやけど、それでもそのときは「後援会は党を押しだすものであって個人を押しだすものではない」という意見がけっこう強くてね。

守田
うん。そこは知ってるよ。やっぱりその辺は限界やと僕も思うんやけど。

大将
でもそのあかんはずの「ファンクラブ」が今でもあるということは、党の側も井坂さんらに説得されたわけやね。反対に一般の人にとってもまずは党ありきではなくて「この人が共産党なんやったら共産党を応援しよう」と思える。井坂さんはそんなんを作ってきはった。だからある意味で新しい道を開ける人なんやと思うんですわ。 偉い議員さんの人はいっぱいいてはるし、いっぱいお会いしてきたけれど、なかなかこの一歩を踏み出せる人がいない。そのままのところにいた方が楽やからね。だから井坂さんを応援するんよ。

井坂ファンクラブの会合 2019年3月10日。発言しているのはパートナーの洋子さん(井坂さんFacebookページより)

井坂
大将はそこを分かってくれるんよね。お互いに認め合ってリスペクトしあって。お互いがほんまもんやと思える。

大将
この人はね、絶対に京都市議会の議長にならなあかんのですよ。京都で革新から議長が出たとなったらすごいニュースやと思いますよ。 その人間がファンクラブを持っていて、誰とでもイデオロギーでの隔たりなく活動ができて、せやけどイデオロギーもしっかりしている。ほんまに柔軟にいろんな人の意見が聴けるし、それをとりいれて柔軟に変わっていける。相手を大切にしはんねん。いいじゃないですか。
これからの、共産党の勉強だけを勉強してきた人に新たな道標になりますよ。

守田
うーん。これが職人さんの目なのですねえ。職人さんはその世界しか知らないと思ってはる人が多いけれど、でも自分の道を究めた方は他の方のこともよく分かるのですよね。その意味で僕も社会運動の職人やという自負があるな。だからなんだか大将の感覚がよくわかるな。

大将
私からするとそもそも「そういう目をもった人が互いにリスペクトし合う社会が共産主義の中軸なんと違うの」と思うんですよ。その点、井坂さんはまだまだ京都の中でも異色やと思いますよ。共産党のもっと偉い方たちはその辺を分かってへんのと違うかなあ。だからまだまだ共産党はていたらくなんや。

守田
僕もそう思うな。

井坂
大将、でも共産党の中でもみんなでどんどん変わってきてるんやで。

大将
井坂さん、いまは党をかばわんでいいねん(笑)そんなん知ってますがな。私がこれで共産党の支持をやめるわけやないし。でももっと変わって欲しい。そこを言うてんねん。

井坂
はい(笑)
そうやね。僕らはそういう風に党を見なあかんね。正しいことを言っているのになんでもっと党が伸びないのか。そこをもう一歩引いて市民と一緒に考えるようにしないと党は発展しない。ほんまにそう思うな。そのために僕自身がもっと変わらなあかんし、それでみんなで変わらなあかんということなんやな。守田さんとつきあっていてもそういう思いが強まったね。

守田
それはありがたいなあ。

井坂
僕は自分で言うのもなんやけど、自民党を含めて他の会派の議員ともけっこうつながりがあんねん。変な意味やないよ。党の隔たりを越えて本音で相手の立場をリスペクトして話をしてきたから言葉が通じるところがある。 僕はそんな風に自分の党のポリシーを語りながら他の党のポリシーも聞けてそれで生産的な話ができるような議員集団に僕の次の世代の人たちがなっていって欲しいと思うねん。それにしても守田さんと大将の言うことはほんまに一致しているね。

大将は店の壁にこんな看板を貼りだしてくれている!(井坂さんFacebookページより)

● 京都市議会第一党に日本共産党がなることから京都を変えていける

守田
それで次の選挙の話やけど、今回、共産党市議団は第一党になることを目指していますよね。なぜそれを目指すのか。何を変えようとしているのかを教えてください。

井坂
第一党になったら議長を出すことになるんやね。選挙で第一党になったということは選挙民の審判を得ているわけやからそこが議長を出すべきやというのはむちゃくちゃ分かりやすい民主主義のルールなんや。だからそれを主張するし、他の会派もむげにはできないと思う。だって有権者の意志に基づくことなんやから。

守田
そこをもっと聞かせて下さい。「京都はオール与党の力が強すぎる」と良く言われるよね。共産党の力がどこよりも強いから反対にオール与党になってしまうわけなんやけど、それで議会で共産党が出した意見がたびたびオール与党の力でねじ伏せられてきた。だから「共産党の議員を幾ら増やしても京都を変えられない」という意見もあるし、そんな閉塞感を持っている人もいるわけですよ。

井坂
そこなんよね。そのこれまでのあり方を日本共産党市議団が議会の中での第一党になれば大きく変えていける可能性が出てくる。というか今でも一議席の差で肉薄していてだからぎりぎりのところでおさえていることもたくさんあるわけなんよ。いまの自衛隊の宛名シール問題にしても、京都市はもっと前にやると言っていたのに、選挙を前にまだできてないしね。市民と第一党に肉薄している共産党が連携して反対していることの力はとても大きい。
その上でさらに有権者が共産党を第一党にしてくれたらその提案のすべてを否定するわけにはまったくいかなくなる。それをやったら他党の人々も民主主義も選挙も否定していることになってしまう。そうしたら何かに抵抗して反対するだけではなくてもっと市民と一緒に建設的な政策を京都で進める可能性が開けてくる。 だからこそ与党の人たちは共産党に第一党になってもらったら本当に困ると、向こうは向こうで必死になっているわけやね。


8期目に向けて熱弁する井坂さん(井坂さんFacebookページより)

守田
さきほど大将が井坂さんこそが京都市議会の議長にならなあかんと言っていたけれど第一党になったらそうなる可能性もあるのかな。

井坂
それはすべて選挙後になってみな分からん話しやけど、とにかく共産党が第一党になったら議員団から議長を出せる可能性がとても高い。議長は本来の役割はまとめ役やけど大きな権限を持っているからねえ。

守田
井坂さん、そうなったら議長をやりますか?大将は井坂さんのような他者を尊重できる人こそ、京都市の三権の長にふさわしいと言ってはったわけやけど。

井坂
でもなあ、議長は権限はあるけれど、中立性を理由として委員会での発言を控えることが暗黙のルールになっていてねえ。僕はもっと現場からがんがんやりたい思いもある。

守田
ほんならもっと今の形でない、何らかの形でがんがんやる議長をやったらいいやん。議長職を革命したらいい。

井坂
なるほど。そうか!それはそうやね。 でもまあそれはすべて選挙で第一党をとってから考えること。いまはとにかく第一党になることで、京都市政を大きく変えていける可能性を作りだすことこそが大切やね。 でも第一党になったらそれで良いのかと言うとそこまでいってもそれは所詮まだ形だけ。それからの4年間で「共産党を第一党にして良かった」という実体を作らなあかん。
共産党から議長を出して、市議会のまっとうな運営をすれば、これまでなら「共産党の提案だからほかそう」となっていた点をぐっとおし戻して、第一党の共産党が出している提案やからもっときちんと考えよう、場合によっては賛成しようと思う他会派の議員も増やしていけると思う。そうなるかどうかが議長の運営にかかっていることなんやったら僕は議長をやりたいと思うし、議会をまとめていける自信もあるな。

守田
確かにそのためには他党の意見も聞ける度量のある人が必要やしね。それにそうやって第一党になった共産党が議会のこれまでの閉塞したあり方を変えていくことに呼応して、僕らが議会の外から運動を作っていったらなんか京都市を大きく変えられるような気がしてくるよね。そう考えるとワクワクしてきますね。市民と共産党、あるいは野党の議会内外の豊かな共闘の発展が作りだせるし、そうしたら京都から新たな何かを発信できる。

井坂
ほんまにそうやね。「共産党に投票しても変わらない」という声があることはもちろん僕らも知っている。だから今回は「共産党に投票してこれだけ京都が変わった」といえるものを作りたい。自分の一票で政治が変わっていくことを有権者が感じられる選挙にしたい。大将や守田さんのような応援団もいるしね。それは「必ずできる」と確信しています。

守田
そうですね。本当に一緒に閉塞した京都の政治を変えていきたいですね。僕も豊かな共闘があればどんどん変えられる気がします。そのために僕もいまは共産党の議席を守り、増やし、第一党を目指すことが大事やと思うな。だから今回は最後まで自分事として選挙運動を頑張りますよ。 井坂さん、大将、今日はどうもありがとうございました。

井坂
ありがとうございました。

大将
ほんまに頑張ってください!ほんまにやで!


北区の集会に応援に駆けつけました!(井坂さんFacebookページより)4日夕方にも応援演説に駆けつけます。

終わり

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明日に向けて(1670)日本共産党が第一党になることで京都を変えられる!(井坂博文さんインタビューその2)

2019年04月02日 23時00分00秒 | 明日に向けて(1501~1700)

守田です(20190402 23:00)

統一地方選候補者インタビューシリーズの続きをお送りします。日本共産党京都市議団幹事長井坂博文さんのインタビューの2回目です。井坂さんは7期28年の実績のもとに8期目をめざして今回も京都市北区から立候補。選挙戦を展開中です。2回目はお連れ合いの井坂洋子さんとのパートナーシップの話から入ります。前回の最後、1985年に結婚されたことを聞いた続きです。


井坂さんとはたびたびご一緒してきた。写真は前回の選挙での応援で(井坂さんFacebookページより)

***

● 家事を男女で平等負担するのは義務ではなくて権利

守田
これまでも何度も聞いているけれど家事の平等負担は最初はショックだったのでしょ(笑)

井坂
ショックやった。結婚したら「上げ膳据え膳」とは言わないけれど、朝起きたらお味噌汁とご飯が出てくると思っていたんやね。民青の専従をやっていたし共産党員やから本来は「そんなんではあかん」と分かってないといけなかった。でもそうではない結婚観をどこかで持っていたんやね。それを彼女に木っ端みじんに打ち砕かれた(笑)

守田
だけども打ち砕かれる度量があったのでしょう?

井坂
あ、それなかなか良いね(笑)なるほど「打ち砕かれる度量があった」か。

守田
そんな言い方は、女性に対してはごめんなさいな言い方やけど。でも井坂さんは変わっていける力があったんやなと思うわけです。女性からすると当然のことで、男同士で褒め合っていちゃいけないことやけどね(笑)。

井坂
それにね、夫婦が平等に子育てするというのは、最初は僕は「義務や」と思っていたわけね。でもそれが「権利や」ということが分かってきてね。

守田
おお。かっこいい。

井坂
喜び。子育てをすることはこんなに楽しいのかと。それを気づかせてくれたのは保育園やったな。保育のあり方とか保護者への接し方とか。それで僕も保育園にお迎えで行くとなかなか帰らなくなってしまった。自分の子どもだけじゃなくて他の子も手をつないでぐるぐるっとまわしたらさらに「私も、僕も」ってくるから順番にまわしているうちに遅くなって(笑)

守田
面白い!でもその時には共産党の中でも「それは『嫁』の仕事やろ?」と言われたんでしょう?

井坂
それそれ

守田
いまは共産党がそこから変わってきていることを前提に書いておきたいことやけど。

井坂
保育が義務ではなくて権利だと気づいて、楽しく迎えに行き始めたときに「おまえの仕事はそんなことではない」と言われてムカッときたんよ。「僕は自分の喜びとしてやっているのだから喜びをとらんといてくれ」と。

守田
ここの話はとても大切ですよね。古い共産党から新しい共産党に変わっていく過程の話やし。いや古い共産党というより古い男たちの話であり、まだ僕らの中にもある古い男性性のことですよね。共産党も他のさまざまな組織、グループも含めてあらゆる男たちが古い価値観を持っていてそれを越えることができていなかった。 当時その辺のことを、党組織の中でどうやって説明したの?なかなか大変だったでしょう。

井坂
論理的にはエンゲルスの『家族・私有財産および国家の起源』の勉強会を結婚する前にやったんよ。彼女と一緒に。

守田
素晴らしい。

井坂
それで結婚するときに彼女は条件をつけたわけ。「私はあなたと結婚するけれどあなたに従うつもりはない」と言ってね。それで「割りばし論」に至った。これは僕と彼女だけの理論なんやけれども、割りばしは真ん中でくっついている。同体。向きは一緒だけれどもそれぞれに別に存在している。

守田
それを討論したわけ?

井坂
ちゃうちゃう。レクチャーされたわけ(笑)

守田
それに対して「お前は女の尻に敷かれた男だ」みたいにも言われたわけでしょう?それはどう思ったの。

井坂
自分ではぜんぜんそんなことは思わなかった。尻に敷くとか敷かれるとかではないし。そのころはもう「味噌汁論?」は克服していたし(笑)「なんでそんなことを言うのかなあ」と思って。今から言えば「それまでのスタイルの活動家ではなくて新しいスタイルの活動家にならなくちゃ、なりたい」という思いがあったわけやね。ほんでそれを貫いたわけ。

 

パートナーの井坂洋子さんと。いつも二人で本当に楽しそう・・・(井坂さんFacebookページより)

 

● 内なる革命を進めていく

守田
面白い!これこそまさしく「内なる革命」やね。多くの左翼の限界として革命を政府を倒すことに限定してしまってきたことがあると思わけね。今の世の中が悪いから革命を志すわけだけど、その悪い世の中の価値観は自分の中にも入ってきている。それを革命しなくては本当の意味で世の中は変わっていかない。

井坂
その意味では当時から「先陣を切っている」という思いはあったね。そしていまの共産党の僕よりも若い専従や活動家たちはもっとずっと進んでいる。その礎になれたかなという気はするけどね。

そういえば市会議員六期目のときに長女のゆうきが大学生で「父親について」というレポートを書いたのね。それで風呂からあがってインタビューするからというからなぜこの仕事についたかを話したわけ。2011年かな。そのレポートをいまも持っていて。
そこでゆうきが「父親を尊敬する。好きだ」と書いてくれたんやけど、そこで「普通の父親」と言うてくれたんよね。「普通のお父さん」「そのままであり続けて欲しい」。なおかつ「パパは正義の味方」。そう言ってくれてね。「僕の目指していることを娘は分かってくれているな」と思えたわけ。

実際、僕のパートナーが仕事で長期出張に行かなければならなくなると「チャンスだ」と思うわけね。「これで自分が子どもを喜ばせる料理ができる」とね。

守田
わはははは。そこかあ。

井坂
それで3人の子どもが食べたいものを聞いて、煮込みハンバーグとチャーハンと豚肉の生姜焼きをいっぺんに作った。子どもたちは喜んだけれどあとで彼女に怒られた。「経済観念なさすぎ」ってね(笑)。

守田
それは知っていますよ!それでゆめと君かな?次男坊君が中学生の時に学校の先生に「おとんの方がご飯は美味しい。でもおかんの方が栄養がある」と言ったのでしょう?名言だよね。だから家事を権利として楽しんでいる井坂さんはまだ彼女には勝ててない。栄養面とかでね。

井坂
いや。すべてにおいて勝ててない(笑)

守田
そう言うあなたがかっこいいっす(笑)男からするとだけどね。かっこいいのは家事を平等分担するのは義務ではなくて権利だと思っているところかな。

井坂
義務を克服して権利になってそれを行使しているとその先に喜びが見えてくる。それでねえ、彼女にはまだまだ勝てないのだけれど、これだけは勝てるというものがあって。何かと言うとアイロンやね。
最初は布団の上でかけていたのだけれど彼女がアイロン台を買ってくれてね。ほんでやったらアイロンって面白いんやね。ピシッと筋を出してね。だから子どもたちが「おとんの方がうまいからやっといて」と持ってくる。

でもそうやって男性が変わっていくと今度はパートナーの女性がバッシングを受ける。「おまえんとこはなんで夫にやらすんだ」と。そうしたら彼女は凹まないで「悪妻が夫を育てる」と言い出した。それには救われたね。男が頑張るだけ頑張ってパートナーの評価が低まっていくなんて本意ではないからね。

守田
そこで僕にはまだまだ共産党には限界があるなあと思うところがあるのですよね。2月初めにみやこメッセで行われた集会で京都の統一地方選の候補予定者40数人が揃って登壇したときに、ほぼ女性と男性の数が同じだった。「共産党はさすがやなあ」と思ったんやけど、その後に党の幹部の方たちが出て来たら男性ばかり。女性は倉林さんだけやった。現場はもう女性も男性もなく頑張っているのに幹部になるとまだまだジェンダーバランスが良くない。そこが限界なんとちゃうかなあ。

井坂
僕もそう思う。

守田
僕は党首が女性になったら共産党はもっと画期的に伸びると思うのですよ。でもそれは社会党や社民党が先にやったわけだよね。憲政史上初の女性の衆議院委員長は土井たかこさんやったしねえ。

井坂
それに関連して言えば京都市会議員団ではじめて女性幹事長になったのが倉林さんだったわけ。それまでずっと団長・幹事長は男がやってきた。はじめて女性幹事長になったのが倉林明子さんだった。9年前かな。

守田
なるほど。それまた共産党市議団の内なる革命だったわけやね。そう考えると井坂さんが周りの仲間と一緒に夫妻で進めてきたのは共産党の党内革命やね。個人としての内なる革命にとどまらない党の中での革命。

井坂
自然体でやっているだけやからそんなに大げさには考えてへんのやけど(笑)

守田
いやそれを価値化して言えばそういうことになるのではないかな。そしてそれはどんな組織の中でも求められるモメント、生命力そのものなのではないかな。

 

この方はお孫さんのさっちゃんを抱くといつもデレデレになってしまうのでした(井坂さんFacebookページより)

● 議員ほど他者へのリスペクトが問われる

守田
それにしても議員になってから何がしんどかったですか?「しんどい、やめたい」と思ったことはないの?あるいは留意してきたことは?

井坂
やめたいとかは一度もないねえ。 心に留め置いてきたことは、僕は市長であろうと他会派であろうとその時々の政策に対する強い怒りはあったりするけれども、それでも相手をリスペクトしなければならないという気持ちが強くてね。議員同士で他会派の議員に対して呼び捨てにする人も多いの。

僕は絶対にそれはアカンと思っていてうちの新人議員にも言っているの。 他会派の人々とは立場は違うし政治的主張も違うけれども、やはり相手も市民の信託を得て当選しているわけやし、市長かてうちは反対したけれど選挙で当選しているわけ。それに対して罵倒したり、呼び捨てにしたりするのはよくない。だから僕は「門川市長」「門川さん」と呼ぶし、他党の議員でも「〇〇さん」と呼んでいるし、呼ぶべきだと言っているわけ。

守田
すごく共感するなあ。僕もそこを大切にしているな。

井坂
だから僕は「安倍は辞めろ」というコールは嫌いなんよ。「安倍は辞めろ 麻生は辞めろ」と。その思いはよく分かるけれど、やはり呼び捨てはねえ。「安倍内閣は退陣を」は良いんよ。悪罵を投げつけたり呼び捨てにしたりすることは僕のポリシーにはあわんのよ。 守田さんにシンパシイを感じるのはそこがあると思うわけ。いつでも他者をリスペクトしはるから。いくら政治的に敵対している相手でもリスペクトせなあかんのよ。

守田
そこは本当によく分かる。それは人権意識の問題だよね。
議員としてそこを心に留め置いてきたことは分かったけれど、井坂さんは一議員であることを越えて日本共産党京都市議団の幹事長なわけよね。そのご苦労は?

井坂
自分の思いに応じて議会で仕事をする。その点で自分の分野では第一人者としての自負はあるんやけど、幹事長というのは党内のまとめ役であると同時に議員団一人一人の力を引き出していかなくてはならない仕事なんやね。自分が頑張ったらええという世界ではなくて、今は18人やからその一人一人の力を引き出す。その上で18人のチームワークをどう出していくのかが問われる。それに18人の中に十人十色。人の伸び方の違いもある。

とくに新人議員はやはり最初はいろいろと限界があったりしてねえ。でもだんだん伸びてくる。そんなときそこに関わることができるのは幹事長としての仕事の醍醐味やね。 しかしまだやり切れたとは思えてなくてね。そう思えるには今度の選挙で京都市議会で第一党をとって文字通り市議団のチームプレーで大きな仕事をしていき、京都市政を大きく変えないと。そこではじめて本当の自分の真価が問われてくると思うんやね。ぜひやらせていただきたいね。

守田
その意味で若い人を育てるのも政治を変えるのも「権利」やね。

井坂
そうそうそう

守田
育てる楽しさがあるよね。市政を変えていく楽しさも。ぜひそれを今度の選挙で切り開きたいと僕も思うな。

 

井坂さんが期待する新人議員の一人伏見区選出のやまね智史議員とツーショット。新人みんなに大きく期待していると井坂さん。
ちなみにやまねさんも激しく選挙戦を展開中(井坂さんFacebookページより)

続く

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明日に向けて(1669)日本共産党が第一党になることで京都を変えられる!(井坂博文さんインタビューその1)

2019年04月02日 08時00分00秒 | 明日に向けて(1501~1700)

守田です(20190402 08:00)

統一地方選に向けたインタビューシリーズの続きとして、日本共産党京都市議団幹事長の井坂博文さんにお話を聞きました。井坂さんは北区の候補として奮戦中です。その井坂さんと僕は京都「被爆2世3世の会」の世話人をともに務めている仲間でもあります。 インタビューは井坂さんを熱烈に支持して下さっている「魚善」さんで行い、井坂さんのパートナーの井坂洋子さん同席で行いました。魚善の大将にも少し意見をお聞きしました。すべてをご報告するのは無理なので博文さんと僕の討論にしぼり、少しく大将のご意見を挿入する形でまとめました。

***

守田
統一地方選に向けていろいろとお話をうかがいたいと思います。まずは井坂さんが活動を始められた経緯から聞かせて下さい。

選挙戦の最中に井坂・守田でツーショット(井坂さんFacebookページより)

● 学生運動・専従を経て逆風のときに市議に挑戦

井坂
僕は広島の出身なんやけどその世羅高校で先生から影響を受けました。共産党ではない方やったね。広島やから平和運動のこと、そして同和問題などを聴きましたね。 大学で京都に出てきました。1974年です。立命館の経営学部に入りましたが、たまたまそこに受かったと言うだけ。とにかく広島を出たかったのです。入学してから民青に誘われて、高校で学んだ知恵を話したら次々と論破されてしまった。それで民青になりました。 僕は父が被爆していて自分自身が被爆二世やからね、原爆と戦争を許さない思い、平和を求めてやまない思いがいつも心の中にある。それが僕の原点で、それで学生運動に飛び込んでいきました。

守田
それで大学では経営学も勉強したのですか?

井坂
ぜんぜん(笑) 勉強したのは運動論や資本主義批判でした。学生運動を積極的に担い、府学連の委員長になりました。

守田
そうだとするといわゆる「新左翼」と民青のぶつかり合いなどは経験していないのですね。

井坂
そうですね。あの東大闘争があったのは僕が中学校2年生の時でした。

守田
そうかあ。僕は中学生の時に「連合赤軍」の「あさま山荘事件」があったなあ。なんというかお互いにあの時代にいなくてすんだことは幸せなことですよね。あの時代はあの時代でみんなそれぞれの考える正義を真剣に求めはったんやと思うしそこを 生きた人々を強くリスペクトするんやけれど、でも正義を掲げたもの同士が互いに殴り合うのはしんどいことやったと思うんよね。

井坂
それはほんまにそうやね。やはり僕もそうやし多くの人がたまたまた知り合った組織 やグループに親近感を得て活動を始めたんやと思う。その点では年代の問題もあるよ ね。僕らはそんなに激しいぶつかりの時代の後に活動を始めたから。

守田
それでどんな風に活動を展開していったのですか?

井坂
大学を出てからは民青の専従になり、7年間やってさらに共産党の専従になったんよ。それで「このまま生涯、共産党の専従で生きていくのだろうな」と思っていたのだけれど4年後に選挙に出ることになって。 当時、衆議院選挙京都1区で二人の候補が共倒れしてね。北区の市会議員だった穀田恵二さんが衆議院選挙にまわったのでその後の候補として僕が市会に立つことになったわけ。1991年4月の選挙やったな。

守田
わあ。逆風のときやん。東欧社会主義が崩壊して。

井坂
あのころの共産党の選挙はほんまに逆風の選挙ばっかりやったね。共産党の宣伝カーが来たら「ソ連の戦車がきたぞ」なんて叫ばれて。街頭でも露骨にやられたからね。

守田
どこに?

井坂
謀党(笑)

守田
なるほど(笑)いまこそ追い落とすチャンスだと。そのときどんな風に思いました?

井坂
ソ連や中国をそんなに信奉していたわけではないし「日本は日本やん」という思いが強くあったからね。理論的にもソ連と中国の社会主義の限界の学習会をきちんとやってきていたからそれ自身で動揺することはなかったね。 でもヨーロッパの共産党も苦しくなっていって。とくにイタリアやフランスの共産党とは日本共産党はそれなりに統一戦線で連携をもっていたから、それらが次々と選挙で負けていくのはショックやったね。

守田
そんな逆風の中で「議員に」と言われたときにどう思いました?

井坂
「生涯専従活動家で生きる」と思っていて、議員になるなど考えていなかったけれども、「部署が専従なのか議員なのかの違いだ」と思って議員になろうと思ったわけね。だから僕は自分から議員になりたくて手を上げたタイプではなかったな。

守田
最初の選挙はどうだったのですか?地盤はあったわけね?

井坂
それはもう穀田さんが北区市会議員として培ってきた地盤があったのだけれど、そもそも1991年4月の選挙の前年に準備をはじめたときは、市会議員としての穀田さんの再選をめざしていたわけね。それが突然に穀田さんが衆議院にまわることになり、僕が出ることになった。穀田当選のために裏方として動いていた自分がいきなり表に出ちゃった。

守田
戸惑った?

井坂
新日本婦人の会の専従をしていたパートナーに言ったら「あなたの人生だから好きなように決めたらいい。私の活動の邪魔をしないのだったらいい」と言われたのね。 そうは言いつつもとても支えてくれたのだけれど。でもちょうどそのときに二人目の子どもが生まれてやっぱり大変やった。
そうしたら周りの人がものすごく頑張ってくれはって。新婦人の人も「井坂夫妻を支えなあかん」となり、地域の人もものすごく頑張ってくれはった。だから当選した時にはみんなと抱き合いました。確か定数7で5位当選やったと思う。 そのときに本当に共産党が凄いなと思ったのは、「穀田恵二」と書いた票は一つもなかったこと。わずか4か月で「井坂博文」の名を浸透させてくれた。

守田
おそらくソ連や東欧社会主義の崩壊の影響もあってやはり動揺もある中で、とりあえずはこの選挙を頑張ろうとみなさん思いはったのではないかな。だから井坂さんの当選は多くの人にとって救いになったのかも。

井坂
それで希望を持ってくれたのだったら本当に良かった。

京都市議選で奮闘する井坂さん。でもどこか楽し気(井坂さんFacebookページより)

● 学生運動ののりではダメ!いかに他者に言葉を届けるのか

守田
その時の選挙では何を心がけました?

井坂
自分は共産党の専従で政治家となるとは思っていなかった。ふさわしいかどうかも分からなかった。しかし議員を目指すものとして、一番大事にしなくてはいけないのはそこに住んでいる区民のみなさんの声をしっかりと議会に届けることだと思ってね。当時34歳やった。今から思うと自分が議員であることの原点がこの時に作られたね。

守田
その時の苦労とかしんどさは?

井坂
苦労ねえ・・・。わりと演説は好きやってん。学生自治会などをやってアジる(守田注 「アジテーションをする」こと。演説などで人々の気持ちを高揚させ行動を喚起していくこと)のが仕事やったしね。府学連の時は京都だけで5000人の学生を集めていたからね。そこで基調報告をするのが府学連委員長の役目やってん。

守田
大きな場での演説をなんどもやってきたわけね。

井坂
自分の演説に酔いしれたことなどなかったけれど、でもそういう中での演説をすることは好きやったんやけど、学生運動のアジと選挙演説はぜんぜん違うと思い知らされた。

守田
どう思い知らされたの?

井坂
学生運動のアジテーションは自分の思いをぶつけていけばいい。

守田
基本的には集まっているのは支持者やしね。

井坂
そうそう。街の中で支持者ではない人にも演説しなければならない。自分の熱情だけで話していてはダメだということがわかってきてん。聴いている人が何を求めているのかを考えて話さないといけない。それが分かったのがしんどかったけれど良かったことやね。あれがあったから、やはりいまでも、興味のない人とか聞いてない人とか反感を持っている人とか、どうやったら本当の思い、政策が伝わるのかを考えるわけね。そのためには相手をリスペクトしないと。

守田
ああ。良いですねえ。

井坂
リスペクトという言葉が僕は好きでね。

守田
僕もそれを学びましたよ。本当に。

井坂
そういうふうに思わないで「自分は正しいのだから聞け」ではもう絶対にダメなのだよね。それでは議員としては通用しないと思ったわけ。 そのころ保育園の送り迎えをやったのも良かった。普通のお母さんたちと会って話をする。洗濯物して干しに行った時も近所のおばちゃんたちとよく話をするようになって。パートナーには「おばちゃんののりになった」と言われているんやけど。我が家は彼女のリードで家事を平等負担していたのでそういう機会がたくさんあってそれが良かった。

守田
なるほどなあ。それは良く分かる。結婚はいつだったのですか?

井坂
1985年

パートナーの井坂洋子さんとともにキンカン行動立つ井坂さん。この二人は本当に仲良し(井坂さんFacebookページより)
次回は二人がどのようにパートナーシップを築いてきたのかに続きます。必読です!!


続く  

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