明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(973)脱原発をめざし全国で連帯してさらに進もう(北海道編)

2014年11月18日 10時30分00秒 | 明日に向けて(901)~(1000)

守田です。(20141118 10:30)

沖縄知事選で翁長雄志さんが36万票で当選しました。仲井真前知事が26万票。大差での勝利でした。
沖縄の方たちは、集団的自衛権の行使容認の強引な決定など、この国を戦争への導こうとしている安倍政権に対し、明確にNOの声をつきつけてくれました。とても嬉しいです。
これに続いて私たちは再稼働にも突き進む安倍政権への反対の声をさらに強めていきましょう!

安倍政権が踏み切ることを決定した解散-総選挙は「消費税の引き上げを延期することを国民に問う」という名目で行われようとしていますが、実際のところはそうではありません。これは安倍政権に対する信任投票です。だからこそ反対の意志を明確に示す必要があります。
安倍政権をめぐっては、集団的自衛権、秘密保護法などなど、さまざまに重要な点がありますが、中でも注目すべきは再稼働を強行し、原発輸出まで行おうとしている安倍政権への批判を集中することです。そのために一人でも多くの与党議員を落としたいですね。

さてそのために私たちに大事なのは、私たち民衆の力をよく知ることです。とくに大事なのは福島原発事故以降、私たちの国の民衆運動のあり方が大きく変わり、各地で積極的で粘り強い運動が繰り広げられていることです。
この時期に互いに互いの運動の今を把握できるようにと、現時点でどれだけの脱原発運動への取り組みがあるか集計をはじめたところ、実に多様な活動が展開されていて、とても一回で全部を扱うことができないことが分かりました。
そのため今後、何回かに分けて、各地の取り組みの情報を掲載していきたいと思います。掲載された情報のお近くの方は、ぜひ一度は足をお運びください。また遠くの方はぜひ他の地域の運動に目を向け、互いにエールを交換していきましょう。

こうした観点から、今回は北海道の情報を集めました。
なお情報収集については以下のサイトを活用し、個々の団体のサイトがある場合はそれも閲覧して、直近の行動の紹介も載せました。

 脱原発全国金曜アクション一覧
 http://demojhks.seesaa.net/article/296349527.html

 首都圏反原発連合
 全国の金曜アクション一覧
 http://coalitionagainstnukes.jp/?page_id=1567

 デモ開催情報まとめ(地震・原発関連)
 http://www47.atwiki.jp/demomatome/

 原発をなくす全国連絡会
 http://www.no-genpatu.jp/index.html

ただしすべての内容を正確には把握しきれてはいないと思いますので、当該行動に参加される場合は、直接主催者に確認されてください。
とくに金曜日の行動については、場所によって不定期な取り組みであったり、時間が変動している場合もありますのでご注意ください。
またここに掲載されていない情報で「ここでも取り組んでいるよ」というのがあればぜひ教えて下さい。
なお放射線測定室の活動も市民の積極的な運動であり取り上げたいと思いましたが、情報が膨大になるので今回は割愛しました。・・・申し訳ありません。

過去に全国の運動をまとめてお知らせした僕の記事も掲載しておきます。
自分でも2013年3月の全国の取り組みが把握できただけでも274か所以上であったことなど、あらためてこの国の下から沸き起こり続けている力の強さを感じました。

 明日に向けて(165)611脱原発行動の集計が出ました! 20110621
 http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/dbf7c017bff4bded4d6a6b60f32783d4

 明日に向けて(611)全国107都市以上で金曜行動! さあ、もう一度、脱原発のうねりを!20130114
 http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/cf2949a1eeb1ba84ba448692e9fc2dda

 明日に向けて(639)全国274ヶ所+αで脱原発行動!(上)20130312
 http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/de00ceb1b023704bec545b3a8833642a

 明日に向けて(640)全国274ヶ所+αで脱原発行動!(下)20130312
 http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/398b6df4f59762a26c68748106ebf60e

以下、各地の情報を列挙します!

*****

【札幌市】

〇北海道反原発連合
http://h-can.net/index.html

【北海道庁前から官邸に向けて】毎週金曜日 道庁北門前 反原発抗議行動 18:00-20:00 札幌から原発の無い未来へ向けて。
【札幌 反原発抗議】ツイートボタンで拡散のご協力を→http://h-can.net/

2014年11月7日で122回目!

サウンドデモも実施中
https://www.youtube.com/playlist?list=PLcPQNYATZFc0XejrFXQ6-whzsQ7fhTFVl

〇原子炉メーカーを糾弾する会
http://no-reactors.holy.jp/index.html

日本製鋼所・東芝・日立・三菱重工・電源開発・北海道電力前抗議行動実施中!
集合場所:札幌市中央区北1条西5丁目2-9北一条三井ビル前(中央警察署南向かい)
時間:12:20~スタート(日本製鋼所札幌支店前から)
※その後、各所20分を目安に巡回抗議をしていきます。
日程:隔週(金)

11/28(金)【第60回巡回抗議】 12:20~14:30
12:20~12:50  日本製鋼所  【札幌市中央区北1西5-2-9 北一条三井ビル前】      
13:00~13:20  三菱重工業  【札幌市中央区北2西4-1 北海道ビル前】        
13:30~13:50  電源開発   【札幌市中央区北3西3 大同生命ビル前】        
14:00~14:30  北海道電力  【札幌市中央区大通東1丁目2 本社前】


〇泊原発の廃炉をめざす会
http://tomari816.com/home/index.html

〇さっぽろ市民放射能測定所 『はかーる・さっぽろ』
https://www.facebook.com/SapporoShiMinFangSheNengCeDingSuohakarusapporo

(守田注)

北海道の運動で一番たくさんの人が集まっているのはやはり札幌ですね。
北海道反原発連合が主催。11月7日で122回とあったから14日で123回、次回21日で124回となるのでしょう。
「原子炉メーカーを糾弾する会」の方たちの各メーカーは電力会社を巡回しての抗議もユニークだなと思いました。
これも回数が60回と凄いですね。こうした積み重ねには確実な効果があると思います。
なお泊原発の廃炉をめざす会は、札幌市の中の運動というわけではありませんが、札幌に本拠を置かれているのでここでHPをご紹介しておきました。


【旭川市】

〇旭川アゴラの会
https://www.facebook.com/asahikawaagora/app_332266323528129

脱原発・原発再稼働反対集会in旭川
毎週金曜午後6時 雨天決行
まちなか交流館前旭川市買物公園4条

〇チーム今だから~未来の命のために脱原発をめざす旭川市民の会
http://ima311.web.fc2.com/
https://www.facebook.com/imadakara311?ref=stream

〇脱原発アクション NO NUKES 旭川
http://ameblo.jp/611nonukes/

〇こどもと給食を守る会@旭川
https://www.facebook.com/asahikawakyushoku?bookmark_t=page
          
(守田注)
「旭川アゴラの会」さんのFacebookが更新されておらず、初めは現状が分かりませんでしたが、「チーム今だから」によって今も頑張られていることが分かりました。
金曜行動をはじめたのはわずか3人。それが10人、20人とひろがって70人になり・・・とも書かれていました。


【釧路】

〇脱原発ネット釧路
http://blogs.yahoo.co.jp/nonukes946
https://www.facebook.com/pages/%E8%84%B1%E5%8E%9F%E7%99%BA%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%88%E9%87%A7%E8%B7%AF/155319844537626?sk=timeline

釧路駅前集会
金曜日開催(11月14日は参加者9人)
https://www.facebook.com/155319844537626/photos/pcb.732755966794008/732754806794124/?type=1&theater

核のゴミを考える
-原子力負の遺産 その後-
講師 関口裕士(北海道新聞記者)マシオン恵美香(ベクレルフリー北海道代表)
12月2日18時半から 釧路市生涯学習センター5階
12月3日19時から とかちプラザ4階401号室
https://www.facebook.com/155319844537626/photos/a.452771528125788.1073741825.155319844537626/734252449977693/?type=1&theater 

(守田注)
釧路駅前での14日の金曜行動の写真が載っていました。寒そうな中、9人で頑張られています。
人数は少なかろうと、こうやって寒さに負けずに駅頭に立っている方がいるのだなと思うとジーンとしました。
なお「脱原発ネット釧路」さんのFacebookに、川内原発再稼働容認可決の時の議会での抗議シーンの動画が掲載されていました。
BBCで放映されているものですが、僕は「脱原発ネット釧路」のアップではじめてこの情報に接しました。
鹿児島の方たちの頑張りに胸を打たれるとともに、それを釧路の方たちが胸を熱くして見ていたのだなということにも改めてジーンときました。以下、紹介されていた情報です。

BBC NWES ASIA 7 November 2014
Japan governor approves Sendai reactor restart
http://www.bbc.com/news/world-asia-29947564


【帯広市】

〇泊原発廃炉の会十勝連絡会
http://hairotokachi.jpn.org/2014/10/info/1004

毎週土曜日に署名アクション 帯広駅南側
11月22日 第46回12時~13時
12月6日  第47回13時~14時
12月13日 第48回13時~14時
http://hairotokachi.jpn.org/schedule

11月22日 10時~16時
帯広「笑エネ☆節電&自家発電エコライフセミナー」
場所:あがり框(帯広市西10条南5丁目1)
講師:はらみずほ、早川寿保
主催:ビューティフルライフ研究会 090-9085-7875(木村)

(守田注)
帯広の方たちは金曜行動ではなく土曜日に「署名アクション」をされているようです。
次回は22日。29日はお休みのようです。


【伊達市】

〇ストップ原発金曜デモ in 伊達 (黎明観前集合)
2013年3月22日 第9回
2014年4月4日  第29回
http://kitano-slowlife.jp/event/?S=18407

詳細不明

(守田注)
北海道の伊達市での行動です。人口約36000人の街です。現在の情報はつかめなかったのですが、デモが重ねられてきたようです。

***

その他、北海道全般の情報の掲載

〇脱原発ネットワーク北海道
http://nonuke-h.greenwebs.net/

〇「原発をなくす全国連絡会」による集計
2014年3月全国一斉行動のときの北海道の取り組み
http://www.no-genpatu.jp/03joho/joho_hokkaido.html

(守田注)
「原発をなくす全国連絡会」の情報によると2014年3月に以下の都市で取り組みがあったことが分かります。
札幌、岩内、小樽、函館、旭川、北見、帯広、釧路、苫小牧、室蘭、滝川、深川

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明日に向けて(972)原子力規制委の噴火評価はデタラメ!火山学会の誠実な提言を受け入れるべきだ!

2014年11月15日 23時30分00秒 | 明日に向けて(901)~(1000)

守田です。(20141115 23:30)

今宵も川内原発再稼働問題について論じたいと思います。
今回は原子力規制委員会の火山活動への評価があまりにもデタラメであること。火山の専門家からの提言をまったく無視したものであって、審査を即刻取り消すべきであることを論じます。

川内原発再稼働への無責任な認可を出した原子力規制委員会に対して、火山の専門家である日本火山学会が真っ向からの批判を行っています。
11月2日、同学会は、原発を火砕流を襲うような巨大噴火について、事前に予知が可能であり、燃料棒を安全に運び出すことができるという九電の見解を認めた原子力規制委員会の審査の見直しを求める提言をまとめました。
委員長の石原和弘京大名誉教授は「火山噴火の予測に限界があることを国民に対しても知らせないといけない」とも語っています。

 火山学会「予測限界ある」、原発の審査基準見直し提言
 朝日新聞 2014年11月2日
 http://www.asahi.com/articles/ASGC2671GGC2ULBJ00T.html

これに対して原子力規制委員会の田中俊一委員長は5日の記者会見で「不快感」を表明。「もっと早急に発信すべきだ」「今更そんなことを言われるのは本意ではない」などと述べました。
さらに「火山学会をあげて夜も寝ずに観測して頑張ってもらわないと困る」などとも発言しています。

 「火山学会は夜も寝ずに頑張れ」田中氏が不快感
 読売新聞 2014年11月6日
 http://www.yomiuri.co.jp/science/20141105-OYT1T50192.html

田中氏のこれらの発言は、誠実な提言を試みている日本火山学会を愚弄するものであり、科学の冒涜そのものです。何よりもこのことをおさえておきたいと思います。
私たちは決然として政府批判に踏み切った日本火山学会の提言を熱く支持し、かつ同学会の科学者たちを守っていく必要があります。
これまで原発推進側にまわった多くの科学者たちが、いわゆる「御用学者」として、不誠実で無責任な態度をとってきたのとは雲泥の差があります。学会として政府の無謀な政策を諫めようとしている姿勢を力強く後押しする必要があります。

まず田中委員長が知るべきなのは、同学会に集う科学者たちは、けして「今更に」批判を掲げだしたのではないということです。
たとえば同学会の重鎮であり、気象庁の火山噴火予知連絡会会長を務める藤井敏嗣・東京大学名誉教授は2014年8月10日に配信された東洋経済ONLINE上において「規制委の火山リスク認識には誤りがある」と明確な批判を展開しています。

 「規制委の火山リスク認識には誤りがある」
 東洋経済ONLINE 2014年8月10日
 http://toyokeizai.net/articles/-/44828 

ぜひ全文を読んでみて欲しいですが、要点をあげると、まず現在の火山学では「噴火を予知できるのは、せいぜい数時間から数日というのが現状」だそうです。
それどころか予兆が把握できないままに噴火にいたった例もあると藤井さんは述べています。もちろん数日前に予知できたとしても、燃料棒は運転している原発をとめてから十分冷えなければ持ち出せないのですから、取り出すことなど絶対にできません。
また「いくつかのカルデラ火山をまとめて噴火の間隔を割り出すという考え方自体に合理性がない。一つの火山ですら、噴火の間隔はまちまち」との指摘もあります。これも九電が大噴火は過去に何万年の間隔があったから今は大丈夫としている点への批判です。

規制委員会がモニタリングが可能だとしている点に関してもこう述べています。
「モニタリングで巨大噴火を予知する手法は確立していない。そもそも、南九州のカルデラ火山の地下でどのくらいのマグマが溜まっているかの推定すら、現在の科学技術のレベルではできない。」
また噴火が比較的軽微で火砕流が到達しない場合でも、どのような砕石が降ってくるか分からず、海岸にびっしりと軽石が降って、原発が取水できなくなる可能性などもあること、にもかかわらず規制委がこうした多様なケースを想定していないことも指摘しています。

その上で藤井さんは再稼働について次のように提言しています。
「科学的に安全だから動かす、という説明をするのであれば、明らかに間違いだ。そのように述べたとたんに、新たな安全神話が作り出されることになる。
わからないことはわからない、リスクがあるということを認識したうえで、立地や再稼働の是非を判断すべきだろう。」

こうした藤井さんの見解は東京新聞も9月10日の紙面で取り上げています。
分かりやすくコンパクトにまとめられた記事ですのでご参照ください。
なおこの記事のコピーをドロップボックスにあげてくださったのは川内現地にたびたび足を運び、再稼働を止めるために奮闘してくださっているFoE JAPANの満田夏花さんです。

 火山の危険軽視 「予知可」科学的根拠なし 再稼働「安全神話」の復活
 東京新聞 2014年9月10日
 https://dl.dropboxusercontent.com/u/23151586/tokyo_140911.pdf

さてこのようにこれまでも火山活動が予知できるとする九電を追認した原子力規制委員会に対して、火山学者の方たちが懸命に諫めてきてことは見て通りなのですが、さらに11月2日の提言にいたったのには大きな背景があったと思われます。
それは何か。本年9月27日に御嶽山が噴火を起こしたこと。噴煙や噴石が飛び散り、10月23日の確認で死者57名、行方不明者6名という痛ましい大惨事が起こったことです。
この時も噴火は予知できなかった。正確には微動は把握されていましたが登山禁止などの判断にいたることはできずに大事故が起こってしまったのす。

このことで火山噴火予知連絡会をはじめ火山学者たちは大きな社会的バッシングを浴びました。
例えばその先方に立ったのは、日ごろ原子力行政に対しても鋭い批判を繰り返している中京大学の武田邦彦教授でした。
武田さんは原子力推進派と火山予知連を串刺しにしたうえで「「50歳以上の男性の不誠実」はどこまで続くのだろうか?」と指弾しました。

 唖然とする指導者の姿・・・御嶽山、もんじゅ、そして原発
 るいネット 2014年10月15日
 http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=296602&g=132107

これは予知連会長の藤井さんが「どうして確実な予知ができなかったのか」と問われた記者会見の場で、ややニヒルに「われわれの予知レベルはそんなものなのですよ」と答えてしまったことなどにも由来している批判です。
しかしこのとき僕は、火山噴火問題、予知のあり方を調べて、日本火山学会が置かれてきた現状を知り、藤井さんをはじめ、火山学会の方たちが気の毒に思いました。
端的に私たちの国は、世界で一番火山が多いのに、政府が火山学に関する予算をどんどん減らし、学会の存続が危ぶまれるほどになっていたからです。このことは2010年に共同通信が報じています。

 つぶれる?地道な観測 イタリアは重点投資
 47ニュース 2010年9月29日
 http://www.47news.jp/47topics/jitsuryoku/9-2.html

ここでは次のような指摘が行われています。「「40人学級」。国内の火山観測に携わる大学研究者の少ない実情を指す言葉だ。公務員削減で教員ポストも減り、この10年で博士号取得者は半減。「学級崩壊が近い」と嘆く声も出る。」
日本の活火山は108と世界の1割を占めるのに研究者は40人。さらに「文部科学省は08年、大学が観測する33火山のうち、活動が盛んとした16火山の観測を強化する一方、残りの17火山は各大学の裁量に任せることにした」とあります。
日本の火山研究はまさに自民党によって削減され、衰退の一途を辿ってきたのです。イタリアが600人に充実させ80年代から基礎研究に毎年10億円を出してきたことに対して日本の大学への支出は毎年6000万円でした。

この記事は最後に藤井さんが次のように警鐘を鳴らしていたことが紹介されています。
「国のどこでも地震や火山噴火の恐れがある先進国は日本だけ。特殊事情を踏まえた投資をしないのはおかしい」
まさにその通り。私たちの国は以前から現実の危機への対処は「金にならないから」と削減し、ただただお金儲けばかりに資金を投じてきたのです。津波対策などをないがしろにした福島原発の被災もその象徴の一つとしてあります。

にもかかわらずこうした正論はまったく顧みられず、日本火山学会は予算を削られながら細々と人々を噴火から守るための研究を重ねてきたのでした。
その中で御嶽山噴火が起こった。するとこれまでも「火山噴火の正確な予知などできない」と繰り返し語ってきた藤井さんをはじめとした火山学者たちが猛烈な批判を受けたのでした。
そうした痛ましい経緯をみるとき、日本火山学会の方たちは、今度こそ噴火の予知などできないことをこの国の人々にきちんと伝えねばならないと考えて、今回の提言に踏み切ったのだろうと推測されます。

これに対して、原子力学会会長を務めるなど、原子力村の中を生きてきて、日本でもっとも潤沢な資金を使いながら、もんじゅの失敗に顕著なように、国を危うい方向にばかり導いてきた一員である田中委員長が暴言を持って罵倒している。
「火山学会は夜も寝ずに頑張れ」とすら公言している。これはあまりにひどい。ここには福島原発事故への責任感などまったく持っておらず、ひたすら政府にすり寄って潤沢な資金にまみれながら平気で科学を裏切り続けてきた御用学者と、乏しい資金の中で研究を続けつつ、誠実に科学の道を生きようとしてきた人々との際立った差が浮き出ています。
その意味で今回の事態は、科学を愚弄する御用学者に対し、誠実な科学者たちが人々を守るために蟷螂の斧で抵抗している姿でもあることを踏まえ、私たちは日本火山学会とともに原子力規制委員会に審査書の破棄を求め続けていく必要があります。

原子力規制委員会の酷いあり方には腹が立つばかりですが、しかし一方で火山学会は良心的な科学者がまだまだこの国に存在することを示してくれてもいます。
いや福井地裁における大飯原発再稼働の停止を命令した判決を出した裁判長など、多くの人士が今、無責任大国ニッポンのあり方と決別し、まっとうな歩みを開始しています。
まさにその中に川内原発の再稼働問題が位置しています。だからこそ私たちはさらに連帯を強め、声を大きくして、再稼働反対を叫んでいこうではありませんか。日に日に真っ当な意見が増えていることをしっかりと見据え、さらに頑張りましょう!!


 

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明日に向けて(971)一番大切なのは命の源である社会的共通資本としての自然だ!原発再稼働絶対反対!!

2014年11月14日 23時30分00秒 | 明日に向けて(901)~(1000)

守田です。(20141114 23:30)

川内原発再稼働について、昨日、鹿児島県伊藤知事の記者会見への批判を書きました。
その中で九州電力が、設備の根本を抜本的に変えるのでもない付け足し的な対策で、想定外の事故であるメルトダウンが起こっても格納容器を守り、福島原発事故の約2000分の1に放射能漏れを抑えると豪語していることを紹介しました。
これを原子力規制委員会が「絶対に安全だとは言わないが」などと言いつつ受けてしまい、さらに伊藤知事が追認してしまったことを明らかにしました。こんな重大な決定が、誰もが最後の責任を回避しながらまかり通ろうとしています。
福島原発事故でこれまで誰一人逮捕されておらず、東電に対して税金を使った救済ばかりが行われるのをみて、これらの人々は「責任などとらなくても良い。罰せられることもない」と学習してしまったのでしょう。しかしそのことでもっとも大事なものを私たちの国は失う危機に直面しています。

福島原発事故のとき、日本列島に住んでいる私たちは原子炉から放出されたすべての放射能を浴びずに済みました。原発から出た放射能の多くが地上に落ちずに洋上へと流れて行ったからです。
もちろん関東、東北を中心に大変な被曝が発生したし、洋上に流れたものの一部もまたハワイやアメリカを激しく汚染し、海も深刻に汚染してしまったわけですから、心からいたましく申し訳ないことであり、「幸い」などとは絶対に言えないことではあります。
しかし川内原発が事故を起こしたらどうなるでしょうか。毎年列島を訪れる台風の進路などを考えれば分かるように、鹿児島で吹き上げられた放射能はその大半が日本列島を横断していくことになります。洋上に落ちたものも、黒潮や対馬海流にのって列島を囲むように流れていきます。
川内原発事故はもっとも大量の放射能を日本列島に飛来させる可能性があるところに位置しているのです。台風だけでなく、毎年中国大陸から飛んでくる大量の黄砂を考えても分かります。そうなると私たちの国の山々や大地は福島原発事故をはるかに上回る放射能汚染を被る可能性があります。

そのとき私たちが失うのは日本列島にたくさん存在している美しい森林に支えられた自然です。現在国土にしめる森林面積は67%。世界平均約30%に対してダントツの割合ですが、福島原発事故が教えたように森林ほど汚染されたときにやっかいなものはない。
もちろん除染などできないしさまざまに濃縮が起こって汚染がより深刻化してしまいます。それがどれほどの損失になるのか、私たちは今一度、深く考え直す必要があります。
私たちの国の森林は四季の影響で常に顔色を変えていく特徴を持っています。古来よりこの列島に住んだ人々は、四季折々の美しさを多様な形で表現してきました。その一例として俳句では「山笑ふ(春)、山滴る(夏)、山粧ふ(秋)、山眠る(冬)」と詠まれてきました。
この山と森の美しさは、日本列島が南北に長く幾つかの気候帯をまたいでいることにも関係があります。日本海側と太平洋側でも著しい気候の違いがあり、木々をはじめ生物の種類を豊かにしているのです。

このため山々には常緑樹と落葉樹、広葉樹と針葉樹が混交しています。南から北、西から東へと目まぐるしく様相が変わるだけでなく、高度によっても木々の分布が変わってくる。このため山々を登っているだけでも実に多様な木々に出会えるのです。
さらにアジア大陸のヒマラヤ山塊をまわってくるジェット気流が私たちの国土に、たぐいまれな状態を作り出しています。一つは冬に北西風が激しく吹き、日本海から蒸発した水分をたくさん含んだ雲が到来するので、豪雪が降ることです。
これらの雪は山々に雪渓を作りますが、実は私たちの国が位置する緯度帯でこれだけの雪渓が作られる国はほとんどありません。極めて珍しい現象なのです。この雪渓が巨大な天然のダムとなり、春から夏にかけて麓に潤沢な水が安定的にもたらされます。そのために日本海側にたくさんの米どころが形成されてきたのです。
反対に太平洋側にはやはりジェット気流に乗って夏に繰り返し台風がやってきて、列島を横断して膨大な雨を降らせていく。この大量の水が植物をよく繁殖させますが、冬と夏で降水量が反対になるため、日本海側と太平洋側で大きな植生の違いが生じてきました。それが作物の多様性も支えてきました。

ちなみにジェット気流は、ヒマラヤ山塊からたくさんの高山植物の種子をも運んできます。このため日本の山々にはやはりこの緯度帯のこの高度では見られない貴重植物もたくさん生息しているのです。
さらに気候帯も沖縄などの亜熱帯から、本州では西側の暖温帯と東側の冷温帯が中部山岳地帯で重なり合いつつ連続的に分布しており、さらに北海道には亜寒帯も見られます。一方で瀬戸内には雨が少ない内陸性気候的な地域も広がっています。
これらがそれぞれに違った植物を生息させ、多様な生物の住処を与えるため、山にも里にもものすごく膨大な種の昆虫が発生し、チョウやバッタなどがさまざまに飛び交います。
とくに春先に、一斉に木々が芽吹くと同時に昆虫が発生するので、鳥類に子育ての最高条件を与えることになるため、ものすごく多様な種が発生するし、さらに海の向こうからも渡ってきます。たくさんの芋虫たちがひな鳥の成長とともに大きくなってくれるためです。春先の賑わいはこの生命連鎖が作りだしているものです。

こうした動植物が生息しやすい条件は、先にも触れたように私たちの国の農の営みにも大きく貢献してきました。何よりも生物にとってもっとも大切な水が豊富に降ることが大きい。そのもとにさまざまな種の命が発生できることが大きい。
ただしそのためにこの列島に住まうには、古から自然を大事にし敬虔な気持ちで手当をし続ける必要がありました。私たちの国土には膨大な雨が降るため、洪水が起きやすく川も氾濫しやすいのです。一方で一気に山から海まで水が駆け降りてしまうため、瀬戸内に顕著なように渇水も起こりやすい。だからこそ私たちの先祖は歴史的に営々たる植林を行ってきたのでした。
さきに私たちの国土の森林面積は現在では67%と書きましたが、こうした自然=神々への敬虔な気持ちを忘れ、自ら「神国」と名乗って戦争にあけくれた第二次世界大戦末期には50%を切ってしまっていました。森林が乱獲されたためですが、そのため戦争で焼け野原になった私たちの国は、直後に繰り返し大変な洪水にも襲われたのでした。
ではどうして森林は回復してきたのか。主要には荒れた山々をもとに戻すために、山里の人々が営々たる植林を行ってくれたからです。このもとで私たち国の山と森はだんだんに再生してきたのでした。

その後に続いた高度経済成長はこの森林の再生に大きな恩恵を受けました。なぜか。工業は膨大な水を必要とするのだからです。例えば中国では急速な工業化のもとで水を使い過ぎてしまい、黄河が毎年何日も干上がって問題化しています。各地で深刻な水不足が発生しています。
そればかりか上流域でどんどん砂漠化が進展し、首都の北京などが毎年大変な砂塵に襲われてしまっています。現在の中国の森林面積の割合は18%しかない。このことが中国の抜本的な危機であるとすら言われています。
もっとも日本の森林も、この間、山里への感謝を忘れたままに迎えた林業の衰退を大きな背景としつつ、松枯れ現象やカシノナガキクイムシの北東への移動によるナラ枯れの進展などで集団枯損が発生し、各地で疲弊を深めており、けして楽観できない状況にありました。
実は僕自身は福島原発事故以前は、このナラ枯れ対策で主に京都付近の山々を駆け回っていました。しかし原発事故以降、森林保護活動にまったく手が回らなくなってしまった。美しい自然を守り、次世代に引き継ぎたいと願って友人たちとナラ枯れと格闘していたときに、膨大な放射能が山河に降り注いでしまったからです。

その点で僕は関東、東北の山々のことも本当に心配です。ナラ枯れは日本海側を駆け抜けるようにして北上し、東北山脈を越えて、太平洋側へと入りつつありました。
東北は日本の近代化のために森林資源の大供給地とされ続けてきたため、実はナラ類の純林が多い地域です。純林は害虫被害などに弱い森林です。「だから対策をしなければいけない。そのために東北の山林にいきたい。」
そう考えて、実際にコナラが5000本もある東北大学植物園の素晴らしい森に入り、研究者の方とも出会えて、今後の関わりの展望を作り出しつつあったのが2010年の秋でした。
しかしその関東・東北の山々にあろうことか膨大な量の放射能が降ってしまったのでした。

森林はどうなっているのだろう。動植物はどうなっているのだろう。ごくごく一部の研究者たちがチョウ類に影響が出ている兆候をつかんで研究発表し、警鐘を乱打してくれています。
また東北のオオタカに激しい被害が出ているというハンターの方たちからの情報を得たこともあります。しかし国は何らの対応も研究もしようとしていない。山と森はほったらかしにされたままです。
もちろん、そもそも人間に対してもまともな被曝防護がなされておらず、対策の不備どころか調査そのものが回避されており、動植物のことなどは二の次三の次の状態です。
私たちとしても当然にも人を救うことを最優先せざるを得ない。いやそれすらもとてもではないけれども手が回っていない厳しい状態です。

しかし大自然は私たちの生きる土台です。まさに私たちの命の源である社会的共通資本なのです。だから自然が可哀想だとかいうことではなくて・・・いや確かに胸が痛くなるほどに可哀想であり、申し訳ないのですが・・・このままでは私たちの生きる基盤がじわじわと崩れていってしまいます。
私たちの国の自然力は一見、あまりに強いので、山々はほおっておいても木々を復活させてくれるかのごとき錯覚が生じてしまいますが、そんなことは断じてない。実際、戦争のときも山々が疲弊し、その後に大規模水害が多発したのです。
今、私たちに必要なのは、関東・東北の人々を救うことをより進めることを大前提にですが、もともと疲弊を強めていた日本の山と森と、そこを守る山里の人々への手当てをすることであり、放射能の被害を調べて可能な限りの対策を試みていくことです。
しかしそんなときに九州で原発事故が起こり、台風が通過していくように日本列島が放射能汚染にまみれてしまったらどうなるのでしょうか。私たちの国はもはや立て直すポテンシャルを失い、崩壊してしまうのではないでしょうか。

いやその可能性が非常に強くあるのです。だからこそ私たちは川内原発のことを、たとえ遠くに離れていると感じても「九州のはてのこと」などと思うことは絶対にできないのです。遠いどころか台風など、1日で関西、関東、東北にまでやってきて北海道に抜けていくこともあります。
私たちの国に多大な恩恵をもたらしてきてくれて、雪渓や高山植物など、世界でもまれな自然条件を私たちに与え続けてくれたジェット気流が、今度は放射能を運んでしまうことになるのです。そうなったら絶対絶命です。
にもかかわらずこれほど重大な危機が隠されている原発の再稼働が、誰も本気で責任をとろうとしない人々によって、今、進められようとしているのです。
これに対し、九州の方たちが本当に素晴らしい頑張りを続けて下さっいます。ここに全国各地からかけつけて奮闘してくださっている方たちもたくさんいます。何より現場のこの奮闘を私たち自身の命を守るものであることを肝に銘じて連帯していきましょう。思いつく限りのすべてのことをしましょう。

日本列島に住まうすべての命を守るために、社会的共通資本としての自然を守るために、熱く連帯して頑張りましょう!!

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明日に向けて(970)原発が事故を起こしても命の問題は発生しない?-鹿児島知事の暴言を批判する!

2014年11月13日 23時30分00秒 | 明日に向けて(901)~(1000)

守田です。(20141113 23:30)

川内原発の再稼働に向けた動きが過熱しています。
11月8日、鹿児島県の伊藤知事が記者会見し、国のすすめる再稼働の動きに同意することを表明、10日には経産省を訪れ、宮沢洋一経産省と会談しこの点を報告しました。
すでに多くの方々が声を枯らして指摘してきたように川内原発はさまざまな点でとてもではないけれども安全性を担保したなどとは言えない状態にあります。再稼働など絶対にすべきではありません。にもかかわらず政府は強引に再稼働を突き進もうとしており、鹿児島県伊藤知事も全面的にこれに従っています。
そればかりか、伊藤知事は県議会で同意を表明した後の記者会見で「川内原発が事故を起こしても命の問題は発生しない」というとんでもない発言を行いました。重大な暴言ですので、当該部分を文字起こしした上で批判を試みたいと思います。なお問題部分は記者会見の24分46秒ぐらいからです。

(全録)川内原発再稼働 鹿児島・伊藤知事が記者会見
https://www.youtube.com/watch?v=NgCEZs4dvQA

「何よりも実は避難するのに相当の時間的余裕があります。これは今回の規制委員会の審査を受けて合格した原発がどういう形でそのあと炉心等々が変化するのかと時間軸で追っていくと実はけっこう時間があるのでそういう意味でゆっくり動けばいい。
 はたまたもう一つは、実は、ちょっと専門的な話になって恐縮ですが、ようするに今回の制度設計というのは100万年に1回の事故を想定するわけですよね。そしてそのときは100テラベクレル。
 それが同じ条件で同じうような事故が川内に起こった時にどうなるのかというのは実は5.6テラベクレル。そうすると炉心から5.5キロのところは毎時5μシーベルトなのですよね。
 5μシーベルトというのは20でもって初めて避難ですから動く必要がない。家の中にいてもいいし、普通に生活していても良い。そのレベルの放射能しか、人に被害が起こらない。5μシーベルトというのは一週間ずっと浴び続けていて胃の透視の3分の1ぐらいの放射能ですね。
 実はそこまで追い込んだ制度設計をしているので、時間もあるし、避難計画が実際にワークする、そういうケースもほとんどないだろうし、それがたぶんあと川内原子力発電所10年、そうすれば止まるかもしれませんが、において考えるとだいたいそれでカバーできるのかなと内心思っております。
 したがって同意の範囲も、従来のスキームで良いと。ありとあらゆる、今まで、議論をしてきました。立地の市、ないし県は。相当な知的集約もあります。
 それを一律に拡大すると、きわめて原子力発電所に対して理解の薄いところ、知識の薄いところで一定の結論を出すと言うのは、必ずしも我が国の全体をまとめる上において、錯綜するだけで、懸命なことではないと私は思うのですよね。」


これはあまりにひどい!

知事がどのシミュレーションを持ちだして語っているのか、よく分からないのですが、ともあれかりに1時間あたり5μシーベルトであったにせよ放射線管理区域の基準0.6μシーベルトの9倍近くもの値です。
放射線管理区域は「飲み食いすること、寝ること、18歳未満のものを連れ込むこと」が禁じられた場であり、とてもではありませんが「普通に生活していても良い」レベルではありません。
また福島原発事故のリアリティから言えば、にわかに測ることのできないウランが茨城県つくば市で観測されています。α線を出す他のアクチノイドなども検出されており空間線量だけで危険性を測ることはできません。それらからいっても5マイクロシーベルトだったら安全だというのは暴論です。
また九電からもっともお金の落ちる当事者である県と薩摩川内市以外を「きわめて原子力発電所に対して理解の薄いところ」と侮蔑的に断じていることもまったくもって許しがたい暴言です。

ただそれ以上に、多くの方がそもそも川内原発から5.5キロ地点が5マイクロシーベルトになるなどという話はどこから来ているのかと思われたのではないでしょうか。
というのは国がこれまで公表してきたデータをみても、5.5キロ地点が5マイクロシーベルトの被曝ですむなどというデータは出されていません。
原子力規制委は2012年に、全国16原発の「放射性物質拡散シミュレーション」を出しています。発表直後に二度にわたって修正がなされるなど発表の仕方がずさんだったのですが、ともあれ一つの参考にはなります。
具体的には原子力規制委は1週間で100ミリシーベルトの被ばくになる地点が原発から何キロのところに及ぶかを原発の周囲の任意の点をとって表示しています。以下、「マイナビ ニュース」に掲載されたデータをご紹介します。なお川内原発のデータは一番最後に出てきます。

原子力規制委、全国16原発の「放射性物質拡散シミュレーション」マップ公開
マイナビニュース 2012年10月25日 
http://news.mynavi.jp/news/2012/10/25/035/?gaibu=hon

データは福島1号機から3号機と同量の放射性物質が拡散された場合と、川内原発の出力に応じたデータをが示されていますが、数値をみるとそれほど大きな違いがありません。
これをみると最も遠い地点で21.0キロまでが1週間で累計100ミリシーベルトになるとされています。最も近い地点では1.5キロまでが100ミリシーベルトになるとされています。単純に24時間で割ると1週間で100ミリシーベルトは1時間あたり595マイクロシーベルトになります。
この場合の計算の仕方も同時に発表されていますが、実はこのデータの出し方もかなり曲者です。というのは7日間といっても原発事故直後の7日間のことではなく、その後の40日間を計測しそれを7日間分に割っているからです。
姑息な計算方法です。風向が変わることなどの考慮があるとしてもさまざまな放射性物質の半減期を考えたとき、最初の7日間がダントツに放射線量が多いからです。その7日で計算すれば当然にももっと圧倒的に高い数値になります。

放射性物質の拡散シミュレーションの試算結果について
原子力規制庁 2012年10月
https://www.nsr.go.jp/activity/bousai/data/0007_04.pdf

さらにもっと綿密に計算された民間のデータもあります。東京の環境総合研究所が試算してくださったもので、2014年4月19日に発表されています。地元地権者の依頼にもとづき、地形を考慮してシミュレーションしたもので原子力規制庁のものより格段に精度が上回っています。
このデータによると原発から7キロの歯科診療所で1時間あたり294マイクロシーベルトが予測されています。原発に最も近い中学校では202マイクロシーベルトです。
原子力規制庁のデータでは一日のうち16時間は屋内にいて、屋外の被曝の6割になっているなどという計算もあり、単純に1時間あたりの値に24時間をかけることはできないですが、しかしそれでもこのシミュレーションは原子力規制庁の出している値と極端に食い違うことなく、地形に応じた場所による精度を出しているものと言えます。
非常に参考になるデータです。

川内原発事故時 詳細シミュレーション
環境総合研究所 2014年4月19日
http://eritokyo.jp/independent/2014-04-19-sendnainp-pressrelease.html

ところが知事の示したデータは5マイクロシーベルトですからおよそ50分の1~100分の1という大きなズレがあります。
どうしてなのかと調べてみると、このデータは再稼働申請に向けて九電が作り、原子力規制委が鵜呑みにしたデータを基にした解析によるものではないかと推測されます。それが「5.6テラベクレル」という値です。
どういう値なのか。そもそも規制庁は福島原発事故で飛散した放射能の量をざっくりと10000テラベクレルとした上で、新基準では「重大事故」の場合の放出量を100分の1、すなわり100テラベクレルにまで落とすことを求めています。
九電はこれに対して、100テラベクレルどころか5.6テラベクレルになるようにしたと公言したのです。万が一の場合の放射能飛散量を、福島原発事故の約1786分の1まで抑えたというわけです。

僕自身、ここまで細かく九電の申請と原子力規制委員会の認可の中身を追えていなかったので、今回、初めてこのことをつかんだのですが、九電は重大事故対策でもここまで放射能量を抑えられると公言し、原子力規制委がそれを追認したのです。
その場合の核心部分を読んでみると、メルトダウンが起こっても、格納容器は破損しない。あらなた対策で炉心溶解の場合でも格納容器を守ることができると述べられています。
鹿児島県伊藤知事はこの九電の申請と原子力規制委の受諾を無批判的に追認し、その上でおそらくは県で5.6テラベクレルが飛散した場合のシミュレーションを行い、5.5キロ地点で5マイクロシーベルトという結果を得て、記者会見で述べたのだと思われます。
ただしこの県が行ったとされるシミュレーションは、探しても探しても見つけることができませんでした。僕の調査不足かもしれませんが、もしデータが出ているのなら鹿児島県が責任をもって見やすい形で掲示するべきです。

では九州電力は何といっているのか。幾つか抜粋します。

  「本設設備の安全機能が失われた場合にも、以下のような可搬設備を活用することにより多様化を図り、安全機能を確保することとしている」
  「非常用炉心冷却装置(ECCS)や格納容器スプレイ装置が使用できないことを想定し、重大事故の進展を防止するために、電源供給手段、冷却手段の多様化対策を行っている。大容量空冷式発電機、移動式大容量ポンプ車の設置など」
  「格納容器内の冷却手段の多様化、水素濃度低減対策を行っている。本設設備が使用できない場合、今回、新たに設置した重大事故の進展を防止するための設備(注2)を使用して、格納容器スプレイによる格納容器の冷却を行う。(注2)常設電動注入ポンプ、可搬型ディーゼル注入ポンプ」
  「可搬型電動低圧注入ポンプ・格納容器下部に落下した溶融炉心を、今回、新たに設置した重大事故の進展を防止するための設備(注2)を使用して、格納容器スプレイによる注水により冷却を行う」
  「水素爆発を防止するため、水素濃度を低減する静的触媒式水素再結合装置や、電気式水素燃焼装置を設置した」
  「以上の対策により格納容器の破損には至らないことを評価・確認した」

新規制基準に係る適合性審査への取組み
九州電力 2014年7月30日
http://www.kyuden.co.jp/var/rev0/0043/6505/data_03-1.pdf

びっくりしました。要するにもともとの設計思想に基づいた「本設設備の安全機能が失われた」場合のことが想定されています。

つまり「シビアアクシデント(想定外の事故)」が「想定」されているのです。この言葉を「重大事故」に代え、あたかも起こりうる事態が設計思想を越えてしまっているのではないかのようにあいまい化しながらも、やはり炉心が溶けるような「あってはならない」事態が想定されています。
くどいようですが、あらかじめ作られた安全装置、「こういうことが起こりうる」と設計者が考えたことが突破されてしまっている。つまり予想外の事態になっている。ところがその先に非常に安直に、つまり「事態はこうなる」と想定した上での対策が並べられているにすぎないのです。
ここに抜本的な矛盾がある。事態は「想定」を越えているのだからどう展開するか分からないのです。何度もいいますが設計者にはお手上げな事態で、どのような事態が起こるか分からないのです。
にもかかわらず、ここでの対策は、まだ炉内を開けられず事故原因もよく分かっていない福島原発でこれまで分かった多少の経験から導かれたものが幾つか並べられているにすぎません。

僕がびっくりしたのは、そんないい加減で場当たり的で、しかも実験によって実際にうまく作動するのかどうかすら確かめられないようなものをもって、格納容器はもう壊れない。だから放射能の飛散量は1786分の1にできると断言されていることです。
さらにそれを原子力規制庁が認め、知事が追認したこともびっくりです。そこまで人々のモラルが崩れているのかと思うばかりです。ただし原子力規制庁は「これで安全が担保されたのではない」と逃げを打っている。知事も「最終的な責任は国にある」と言って逃げている。国は国で、規制庁や地元に責任があるかのごとく言っている。
ようするに誰も「これで本当に安全が確保された」などとは思えていないのです。だから「絶対に大丈夫。何かあったら自分が責任をとる」とは誰も言わない。言わないけれども再稼働に向けて事態を動かそうとしている。本当にモラルが崩壊しています。
ここに見えていることは誰も本当の責任など取ろうとせずに、きわめて安易に再稼働を進めようとしているということです。不都合な事態には一切目を向けない。いや不都合な事態が生じた場合の自己保身だけは考えているのですが、責任などは何も考えていない。

もはや犯罪的だとさえ思えるのは、こうして安易に導き出された放射能漏洩を1786分の1に抑えるという言辞をもとに、鹿児島県伊藤知事が住民を避難させるべき責任をも、そうそうに放棄してしまっていることです。
ここには県民の命を預かる知事としての職務的責任感など一切ない。何かあってもそれは九電、原子力規制委員会、国のせいだと考えていて、自分が判断に加わっている自覚も責任感もない。もちろん県民を守る気概など一切ない。
もちろんこうした姿勢は九電、原子力規制庁、政府が共有しているものです。こんなひどい、無責任な人々がこの国の政治、経済の大きなポストにいまだについていることにこそ私たちの危機があるとも言えます。
このあまりに倫理を欠いた人々のあり方と私たちは対決し、危険極まりない再稼働を止めていかなくてはなりません。

再稼働に向けては、他にも火山活動に対するまったくの過小評価、ここに挙げられた付け焼刃でしかないさまざまな対策ですらまだ全部できているわけではないこと、さらには知事の本当に無責任な姿勢によって、避難計画もまともにできていないなどの問題があります。
いやそもそも理想的な避難計画など建てられようはずもなく、あくまで再稼働をするというのなら、いざというときに多くの人々を見殺しにする形でしか避難ができないこと、すべての人が逃げることができないことを明確にすべきです。
にもかかわらず嘘だらけで進もうとしている。本当にこの国の倫理は地に落ちてしまっている。何せ首相自ら嘘のオンパレードの道を突き進み、閣僚の誰もそれを止められない中で、国がどんどん危機へ、危機へと進んでしまっています。
この状態を変えるのは私たち民衆の力でしかありません。再稼働反対の声をさらに強めていきましょう!

 

 

 

 


 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明日に向けて(969)ポーランド愛国運動とユダヤ人(ポーランドを訪れて-4)

2014年11月11日 01時30分00秒 | 明日に向けて(901)~(1000)

守田です。(20141111 01:30)

「ユダヤ人とは何か」に関する考察に踏まえつつ、ポーランドの歴史をユダヤ人との関連をおさえながらさらに見て行きたいと思います。
この国が中世において、ヨーロッパの中でもっともユダヤ人に寛大な政策をとった国であることをすでにおさえてきました。またそのこともあってユダヤ人の金融力がこの国に流れ込み、このことを富ませてことにも触れました。
ユダヤ人に商人やその前提をなす手工業者が多く、金融業に携わる者が多かった理由も、実は伝統的なヨーロッパのキリスト教支配の中で、常にユダヤ人が差別されていたことに起因するのであることにも触れました。
商品は共同体と共同体の狭間で発生したのであり、そのため商品取引は、歴史的に共同体の外側の成員とみなされたものが担う場合が多かったからです。

さらに中世のキリスト教は「利子」をとることを禁じていました。イスラム教では現代でもそうですが、利子は神の支配する時間を使って金を儲けることだから道徳的に許されないものとされてきたのです。
しかし実際には商品のやりとりの中で、貨幣経済が発展する中で利子は自然に発生してきます。中世社会はそれを道徳的退廃としつつも、商品取引の必要性からユダヤ人には金融業を営むことを認めたのです。
中世のポーランド社会でユダヤ人が保護されたのは、道義的に高い意義があると思いますが、しかしそのポーランドとてまったくの同権が保障されたわけではありませんでした。
ユダヤ人には土地取得の権利はなく、大多数は貧しいままにおかれながら、一部の者たちが商人に特化して金融業にも長けていきました。その経済力に目を付けたポーランド貴族はこれらのユダヤ商人と結びつきつつ、己の力の増大を図ったのも現実でした。

こうした中で15世紀から18世紀にかけてのポーランドはどんどん支配地を広げて行き、現在のベラルーシやウクライナ、バルト三国などを占める広大な領地を持っていくようになりました。
これら新たな領土にユダヤ人たちも浸透していったため、東欧からロシアにいたる地域にヨーロッパユダヤ人の多くが住み着いていくことになりました。
ただしこの時代のポーランドの中でもたびたびユダヤ人への迫害が起こっています。もっとも大きなものは30年戦争の後の1648年におこったウクライナにおけるコサックの反ポーランド暴動の中でのユダヤ人の殺害です。
コサックはもともとはトルコ系の人々ですが、ともあれこのときも数万、ないし数十万のユダヤ人が虐殺されています。こうしたユダヤ人虐殺をロシア語でポグロムといいます。

この時、ユダヤ人の多くは、自らを庇護してくれたポーランド国家を守るために、コサックと闘っています。
またこれ以降、ポーランドは周辺のロシア、オーストリア、プロシア、トルコという強国に挟まれつつ、度重なる戦乱によって力を失っていくのですが、それらの戦いの中でも多くのユダヤ人がポーランド社会防衛のために闘っています。
このころのポーランドは国王を貴族が選挙で選ぶ立憲君主制の萌芽を持っており、象徴として国家政策の重要なものは代議員の全員一致で決める制度を採用していましたが、次第にこの制度が乱用され、重要なことが何も決められなくなり、国家の停滞が加速されていきます。
こうして18世紀末にロシア、オーストリア、プロシアの侵入を避けられなくなり、同国は1795年にこれら三国に分割されてしまうのです。

このときポーランドではタデウシ・コシュチューシコのクラクフ蜂起が起こります。彼はポーランドの最後の国王の甥、ユゼフ・ポニャトフスキともに全ポーランド人に祖国防衛を訴えたのですが、このときベルク・ヨセレーヴィチ率いるユダヤ騎士団が呼びかけに応じて参戦しています。
ちなみにコシュチューシコはリトアニアの出身ですが、ワルシャワの士官学校を卒業後、ドイツ、イタリア、フランスで軍事教練を受けたのち、アメリカの独立戦争に義勇兵として参戦。ジョージ・ワシントンの副官として大活躍しています。その間、トーマス・ジェファーソンの自由主義思想に強く影響されたと言われています。
コシュチューシコとポニャトフスキとともに軍事的天才でもあり、ロシア軍をさんざん翻弄しますが、国王が十分な戦況の好転をまたずに和平を急いだこともあり、最終的にはポーランドの分割を防ぐことができませんでした。
二人は亡命しますが、ポニャトフスキはその後、ナポレオンにヨーロッパの解放を託し、ポーランド軍団を率いてナポレオン戦争を支え続けます。しかし1813年ライプツィヒの戦いで破れたナポレオン軍の殿軍をにない戦死しています。
(なおこれらの過程を描いた漫画に『天の涯まで ポーランド秘史』池田理代子著があります。池田さんはフランス革命を描いた『ベルサイユの薔薇』で一世を風靡された方ですが、同時代のポーランドを襲った悲劇についてもさすがのタッチで描かれています。)


このようにしてポーランドは、ロシア、オーストリア、プロシアに分割されてしまい、今のベラルーシやウクライナ地域がロシアの領土となるのですが、そのことでロシアは自国に多くのユダヤ人を抱え込むことになりました。
それまでロシアはロシア正教をもとにユダヤ人を排斥し、入国を認めていなかったのですが、ポーランドの一部を割譲することにより、領土の中のユダヤ人の存在を認めざるを得なくなったのでした。
女王、エカテリーナ2世はユダヤ人の存在を容認しつつもロシアの他の地域に移ることを認めない政策を採りました。そのためポーランドからもぎとった現在のバルト三国からベラルーシ、ウクライナにいたる広大な地域にユダヤ人は留め置かれることになりました。
広大なゲットーの創出とも言えるこの政策は1917年のロシア革命まで続いていきます。このためロシア領ポーランドと並んでこれらの地域に、ヨーロッパユダヤ人の中の最も大きな人口が住まうようになりました。

これ以降の時期の特徴は人口が急激に増えていったことです。ヨーロッパ全体におよんだ生活環境の改善、衛生意識の向上のもとに実現されたことでしたが、ユダヤ人は商業や金融業、手工業者などが多かったために、より医療の受けやすい都市部に多く存在していたため、ヨーロッパの平均以上に大きく人口を増やしていきました。
一方でポーランドでも、分割された地域でも帝政ロシアの圧政に対抗するさまざまな人々の抵抗運動が起こっていきますが、ここにも多くのユダヤ人がポーランド人、ロシア人とともに参加していきました。ポーランド史ではこれらの時期は、「ポーランド・ユダヤ友好期」と言われます。
こうした友好の象徴として1861年のワルシャワの行動がありました。2月27日の示威行動で5名が殺害されると、カトリック、プロテスタントに並んでユダヤ教の聖職者であるラビもともに追悼に参加しました。さらにこの時、ユダヤ人学生が殺害された神父が掲げていた十字架を手に持ったままロシアの公安警察に射殺され、ますます人々の「友好」を深めることに結果しました。
人々はさらに帝政ロシアへの抵抗を激化。1863年に1月蜂起に立ちあがりますが、これらの過程でユダヤ人の中にはポーランド人に同化していく人々も増えて行きました。これらの人々はユダヤ人としてよりも愛国的なポーランド人としてこの時の抵抗運動に参加していったのです。

このときポーランド国民政府がユダヤ人に宛てた檄文を紹介しておきます。
 「神の力によってわれわれが国をモスクワの隷従から解放し、われわれを縛っていたくびきを投げ棄てるなら、われわれはあなた方と共同で平和に生活し、わが大地の豊かな恵みに共にあずかるであろう。
  あなた方とあなた方の子供たちは何らの制限も例外もない完全な市民権を享受するであろう。何故なら国民政府は市民の信仰や出自を問うことなく、ただどこの生まれか、ポーランド人かだけに関心をもつがゆえに。」(『ポーランドのユダヤ人』p78)
こうした檄文を受け、多くのユダヤ人が、ロシアによるポーランドの隷属を打ち破るべく、献身的に闘ったのでした。

ところがこうした「ポーランド・ユダヤ友好期」は、1881年に酷く断たれてしまいます。この年、帝政ロシアを倒し、農民を解放しようとして活動してきたナロードニキ=「人民の意志」派がサンクトペテルブルクでロシア皇帝アレクサンドル2世に爆弾を投げつけて殺害しました。
実行したのはポーランド人でしたが、このグループの中にユダヤ人女性革命家が含まれていたことから、「皇帝を殺したユダヤ人を許すな」という声が、オデッサなど現在のウクライナ南部であがり、ポグロムが発生。1884年までに主にウクライナ南部で多くのユダヤ人が殺害されていきました。それは17世紀にコサックによって引き起こされたポグロムの悪夢を思い出させるものでした。
ポグロムはワルシャワでもおこり、殺害された数はウクライナ南部に比べて小さかったものの、同時に、ポーランド人に同化した「ユダヤ人の罪」を叫ぶヒステリックな声が高まっていきました。このことでそれまでのユダヤ人内部のポーランド人への同化傾向に歯止めがかかっていきます。ポーランド人は同化しようとしてもユダヤ人を受け入れない。同化は夢だと多くの人々が思い出したのでした。
こうしてユダヤ人の解放運動は大きく二つの方向に分かれ始めます。一つは同化ではなく社会そのものを根底から変革しなければならないと感じ、おりから勃興してきた社会主義勢力に合流し、社会主義革命に展望を託すもの。他方は、ヨーロッパでの人権獲得を諦め、パレスチナの地にユダヤ人の理想国家を作ろうとするシオニズムにです。同時に多くのユダヤ人がヨーロッパを捨て、新大陸であるアメリカに向かっていきました。

続く

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明日に向けて(968)「ユダヤ人とは何か」に関する若干の考察(ポーランドを訪れて-3)

2014年11月10日 23時30分00秒 | 明日に向けて(901)~(1000)

守田です。(20141110 23:30)

ポーランド訪問で学んだことの続きを書きたいと思いますが、これまで観てきたように、ポーランドの現代史にはユダヤ人問題が大きく横たわっています。その一つの頂点がアウシュビッツ絶滅収容所であり、この重大な歴史をしっかりと見据えるためにも、ユダヤ人のことを常に考えながらポーランド史をおさえていかねばと思っています。

そのためにもここで「ユダヤ人とは何か」について若干ですが触れておきたいと思います。というのはユダヤ人とは、ロシア人、ポーランド人などと呼称できるような国家的な枠組みによって規定されるものではないからです。歴史上も今も、ユダヤ系ロシア人もいれば、ユダヤ系ポーランド人もいます。
人種を指すのでもありません。ナチス・ドイツはユダヤ人を「人種」として強引に定義し、祖父母にユダヤ教信者のいるものは本人が何を信仰していようとすべてユダヤ人だと規定した上で、ユダヤ人への徹底迫害と殺戮を行っていきましたが、実際のユダヤ人はたくさんの人種にまたがっています。
民族と定義できるのかというとそれも難しい。そもそも「民族」自身、近代になって強まった定義の難しい言葉ですが、ユダヤ人はヨーロッパを中心に世界の各国に存在しており、それぞれの地域の民族性の中に溶け込んでいる場合も多くあります。
ではユダヤ教を信じる人々と定義できるのかというと、歴史的にユダヤ信仰を捨て去って違う思想の中に生きた人々もたくさんいます。マスクス主義の創始者、カール・マルクスもその一人です。

歴史を紐解いてみると、ナチス・ドイツが「祖父母にユダヤ教信者のいるものはユダヤ人だ」と定義したように、自らのアイデンティティとしてではなく外側から「ユダヤ人」と決めつけられた上で迫害を受けた人々もたくさんいました。
ナチスからの隠れ家で日記を残したアンネ・フランクもその一人と聞いています。ちなみにユダヤ系ポーランド人、ないしポーランド・ユダヤ人はナチスにポーランドが占領される前は約300万人おり、そのうち290万人から295万人が殺されてしまいました。
しかしこの中にも、自らを強くユダヤ人と考えている人々もいれば、そうではなかった人々もたくさんいたのが実状だと思われます。
ではユダヤ人とは何なのか。薄学な僕にその定義をするのは手に余りますが、それでも旧約聖書の時代から説き起こされる歴史上のルーツを共有している人々であると言えるのだと思われます。

ここで今回の考察にあたって大きく依拠している『ポーランドのユダヤ人』(みすず書房2006年)という本をご紹介したいと思います。中世から近世、さらにナチス占領下のポーランドのユダヤ人を分析した書物です。
編著者はフェリクス・ティフ。ユダヤ人としてナチス占領下で作られたワルシャワ・ゲットーを脱出して生き延び、戦後はポーランド統一労働者党の党史研究所の教授となりますが、反ユダヤ運動で職を追われました。社会主義崩壊後のポーランドで1996年以降、ワルシャワのユダヤ史研究所所長を務めておられた方ですが、たった今、どうされているかは確認できませんでした。
この書の第一章に「ユダヤ人とは誰なのか」という章が据えられています。書いているのはヨランダ・ジィンドゥル。ここでつぎのような一文がみられます。
 「現在のユダヤ人は民族的、文化的に統合されておらず、言語も同一ではなく、宗教との関係はさまざまであっても、かれらは特殊で、痛ましい、永く続いた歴史によってつながれています」(『同書』p8)

ではここに書かれた共有されている歴史的ルーツとは何なのか。続けてこうした提起がみられます。
 「その歴史の始源は旧約聖書によって知られています。そこにはユダヤ人の自己意識の基礎的な要素が示されています。すなわち族長アブラハムに始まるかれらの出自、イスラエルの地、つまり聖書の約束の地との絶えることのないこどわり、それに信仰あるユダヤ人とキリスト教徒とのきずなである唯一のヤーヴェへの信仰です。」
 「ユダヤ人の運命の独自性は、迫害のない自由な土地を求めて続けられた永い放浪、つまり他民族の間にちりぢりに営まれたディアスポラの生活、それに加えてユダヤ人以外の環境との関係に由来します」(『同書』p8,9)
ディアスポラとはちりぢりになって分散して生活している状態のこと。近代におけるイスラエル建国まで長い間、国をもたなかったユダヤ人のあり方をさす言葉でもあります。

本書では、これらユダヤ人の自己意識の拠り所だったのは長い間、ユダヤ教であった指摘されています。しかし先にも述べたように18世紀ぐらいからそのあり方が変容していきます。フランス革命の人権宣言に顕著な平等の思想の高揚の中で、ユダヤ人の中にもさまざまな思想が生まれ、歩む方向性が変わってきたからです。
この中で台頭してきたのは、ユダヤ人であることにこだわらず、現に暮らしている諸民族の中に同化していく方が良いのだと言う考えや、カール・マルクスのように無神論者になることによってユダヤ教と決別していくものなどでした。反対にあくまでもユダヤ人としてのアイデンティティにこだわっていく人々ももちろんいました。
しかしこうした多様性ゆえに、とくにこれらの時代以降はユダヤ教をもってユダヤ人であるとすることはできず、その存在のあり方はそれぞれの人々が歩んだ方向の違いよって大いに多様化していきます。つまり近代に近づけば近づくだけ、ユダヤ人のアイデンティティは多様化してきたと言えると思います。
僕にもとてもではないですが、こうした紹介以上に定義をすることができません。まだ学んでいる最中でもあるからでしょうが、今はどのように規定しても、何かが欠けてしまうように思えます。

にもかかわらず、こうした多様な展開や異質性をまったく無視して「ユダヤ人とは何か」が外側から規定されてきたのが、近代において繰り返されてきたことに留意すべきだと思います。
その上で強調したいのは、ナチス・ドイツによる蛮行以前にもユダヤ人への迫害は何度も繰り返されてきたということです。その際、常に行われたのはありもしない「ユダヤ人の罪」をヒステリックに叫ぶことでした。
「ユダヤ人の罪」のでっち上げは、たいてい社会が不安定になり、人々の心が穏やかさを失っているときに持ち出されました。本来、為政者に向けられるべき怒りがひどく歪められて「ユダヤ人」に向かったこともたくさんあり、それを意図的に為政者が狙った場合もありました。
今、僕がこのことを書くのは、こうした「ユダヤ人の罪」のでっち上げのもとでのユダヤ人殺戮に「大日本帝国」もナチス・ドイツとの同盟によって加担した事実を忘れてはならないからです。

同時に今日、世界の中で、いや日本社会の中でも、ネットなどで繰り返し「ユダヤの陰謀説」が飛び交っています。その意味で「ユダヤ人の罪」のでっち上げによる迫害は今も続いている問題であると捉える必要があります。
その際もユダヤ人の間に多様な違いがあり、まったく正反対の立場に立つ人々すらたくさんいるのに、何か強烈な同質性があるかのごとき「ユダヤ人」像が繰り返し語られてきたことに注意が向けられる必要があります。
特に今、ユダヤ人が設立した国家であるイスラエルが、パレスチナへの蛮行と殺戮を繰り返していますが、それはイスラエル国家の指導者たち、およびそれに追随している人々の罪であって、「ユダヤ人の罪」では断じてありません。
現実に世界各地のユダヤ人が「ガザでの殺戮を止めよ」と声をあげてデモンストレーションをしています。この中にはイスラエルという国家が「ユダヤ人の代表かのように振る舞うことを止めて欲しい」と訴えている人々もいます。

こうしたことを踏まえた上で、しかし歴史的に「誰々はユダヤ人」だからという名目だけで、暴力が振るわれ、殺戮が繰り返されてきたことをおさえ、人類の中からこんなにひどい殺戮が二度と起こらないための努力を重ねていく必要があります。
このことはユダヤ人の問題だけでなく、他の多くの事例にも共通することです。例えば日本では今、「在特会」などがヘイトクライムを繰り返し、朝鮮人、韓国人、中国人などを対象としたまったくもって許すことのできない犯罪的言辞を投げ続けています。
本当に日本で特権を謳歌しているアメリカ軍の存在などにはまったく触れずにです。要するに本当の強い悪(日本人を大量に殺害したことを一度も反省していないアメリカ)には立ち向かえず、矛盾を自分の「下」にいると主観的に思っている人々にぶつけようとしている。
そこにはヨーロッパで繰り返されてきたユダヤ人への迫害構造と同じものがあります。

そんな「在特会」はユダヤ人大量虐殺の旗であるハーケンクロイツをも掲げてデモをしています。しかもその在特会と、現在の安倍政権はさまざまな形でつながってさえいます。
ヘイトクライム集団と内閣の閣僚が結びつくと言うとんでもない状態が私たちの国の中にあり、私たちは人類が近代につかんできたすべての人間の平等をうたった人権思想に基づいて、こうしたヘイトクライムと対決し続ける必要があります。
ただしこうした状態はけして日本だけでなく、世界の多くの国々でも起こっていることも見据えておく必要があります。僕はその抜本的要因は新自由主義のもとで貧富の差が激烈に拡大し、社会の矛盾が高まり、人々の穏やかさが奪われ続けていることに根拠があると思っています。
だからこそ私たちはこうしたあらゆる傾向と立ち向かい続ける必要性があります。そしてそのために、600万人のユダヤ人の虐殺というとんでもないことが、つい70年前に大規模になされたのは何故なのかと言う問いを、私たち自身の問いとしなければと思うのです。

ちなみに今回の旅では、オシフィエンチムという都市にあるアウシュヴィッツ博物館を訪れることができました。「アウシュビッツ」とはポーランド語の都市名を嫌ったドイツ人たちが勝手につけたドイツ風の名前です。
ここで長年、ガイドを務めている日本人の中谷剛さんの説明を受けることができたのですが、とてもとても素晴らしかった!何より中谷さんは、僕が今ここに書いたような、現代でも繰り返されているいわれなき差別や抑圧を踏まえつつ、今、アウシュビッツで学ぶべきことを語って下さいました。
その中谷さんの著書『アウシュビッツ博物館案内』の中で、中谷さんは「ユダヤ人」をナチス・ドイツが「人種」として特定したことを批判するために「ユダヤ人」という言葉は使わずに「ユダヤ民」という言葉で説明を行っています。
中谷さんは同様に、ナチスがユダヤ人とともに絶滅の対象とした「ジプシー」と言われた人々に対しても、この言葉に蔑称が含まれていることから「ロマ・シンティ」と呼称しています。

実はこの点で僕もここで「ユダヤ民」と書くべきなのか悩みましたが、歴史上のさまざまな文献で「ユダヤ人」という言葉が使われていること、かつ「ユダヤ民」という用法がおそらく「ユダヤ人」という使い方より妥当だとは思うのですが、一般化してはいないことをかんがみて、とりあえず「ユダヤ人」と書くことにしました。
ただしこの点を論ぜずに「ユダヤ人」と書くわけにはいかないと考えて、この一文を付け加えることにしましたが、この点を書くのはずいぶん、苦労しました。
さまざまな配慮をしたつもりですが、まだまだ間違ったものがあり、とりわけ当事者の方々への配慮が行き届いてない面もあるかも知れません。その場合はどうかご指摘していただければと思います。
それらを踏まえて、ここでは「ユダヤ人とは何か」ということだけでなく、近代では立場も思想も異なる人々をも「ユダヤ人」というひとくくりにした上での迫害と殺戮が行われてきたことに注意を喚起したいと思うのです。

自分自身のことを考え見ても、在特会の主張を日本人総体の主張と誤解されて、「そんな差別を平気でする日本人」などと海外の人たちから言われることはまっぴらごめんです。その点では反対に僕の主張をもって「日本人の意見」と思われることを嫌がる方もおられるでしょう。
そこがキモなのです。在特会などが呼号する「中国人」「韓国人」などには、そうした現実の人々の多様なあり方を無視し、何か自分が腹立たしく思えっていることがら(それ自身、根拠があいまいですが)が、およそすべての「○○人」のものとされてしまっています。
しかし実際に歴史上、繰り返しあったことは、あらゆる「○○人」の中に、素晴らしい人もいれば、人間として許すことのできない犯罪を行った人々もいるのだという事実です。
だから私たちは、そうした具体性を無視した「○○人」というくくり方に抗っていかなければならないし、批判的観点をたくましくするためにもナチス・ドイツが「ユダヤ人」というひとくくりで600万人もの多様な人々を殺害したことを見据えなければならないのです。

こうした歴史を学んでいて見えてくるのは、ナチスの歴史的犯行に対して非常に多くの国々の人々が加担したり、無視を決め込むことで消極的に賛同した事実です。
先にも述べたように日本はナチス・ドイツと組むことによって、その犯罪に加担しました。しかしドイツと闘った連合国のアメリカやイギリスとて、何度も諜報員がアウシュビッツなどの実態を報告したにもかかわらず、その阻止に積極的に動かなかった事実も今日、曝露されています。
だからこそ、イスラエルに集っていった人々に、この世界では自分たち以外、誰もユダヤ人を守ってなどくれないのだという強い意識を作り出したともいえるのであって、そうしたことも私たちはつかまなければいけないと思います。
それらを含めて、私たちの眼前で繰り返されている朝鮮、韓国、中国の人々へのヘイトクライム、あるいは「ユダヤの罪」という新たなでっち上げを絶対にやめさせる決意を込めながら、今、ポーランドとユダヤ人の歴史について学んでいかねばと思うのです。

続く

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明日に向けて(967)福島1号機 燃料棒取り出しは極めて困難!

2014年11月07日 15時00分00秒 | 明日に向けて(901)~(1000)

守田です。(20141107 15:00)

 

ポーランドに行っている間に、福島原発をめぐる重要な情報が幾つか出されていましたので解析したいと思います。

 

そのうちの一つは福島原発1号機の使用済み燃料取り出し行程が、2年間遅らされたことです。

東京新聞はこの事態を「燃料棒取り出し遅れ 東電追認 実体なき「廃炉工程」鮮明」という記事で報道しています。なかなか的確な見出しです。

確かにここに現れているのは、廃炉工程表に実体がないことです。

しかしさらに突っ込んでいくと、ここには僕が繰り返し述べてきた私たちの危機そのものが横たわっていることが見えてきます。何よりもこの過酷な事実を見据えておくべきです。

 

より具体的にみていくと、東電は10月30日、早ければ2017年度前半にも始めるといっていた1号機のプールにある燃料棒の撤去を2019年年度に始めることに、また炉内で解け落ちた核燃料の撤去も、20年度から始めるとしていたものを25年度からに延期しました。

とくに溶け落ちたデブリについてはこのようなコメントが紹介されています。

 

  東電の廃炉担当者は「デブリ(溶融した核燃料)の状況がよく分からない中、デブリの取り出し設備を設置するのは困難。手戻り(作業のやり直し)につながる。

  それぞれ専用の設備を造ると、当面は遅れるが、着実に作業を進められる」と強調した。

 

東電はここでデブリの状況がよく分からないと述べています。それでなぜ「専用の設備を造ると、着実に作業を進められる」のか。なんの説得力のある説明もなされていません。

これに対して東京新聞は以下のような指摘を行っています。

 

  国と東電が公表している工程表は、あたかも時期が来れば作業が進むような印象を与えるが、実際に根拠がある部分は少ない。検討中のものがほとんどだ。

 

最もなのですが、私たちが見据えておかなければならないのは、燃料プールの危険な状態の除去が思うように進まずに、困難に突き当たっているという事実でそのものの持つ意味です。

それを無視して「廃炉工程」と名付けていることもそもそもおかしい。今、行っているのは福島原発事故の収束作業です。事故はまだ終わっていないのです。

 

そもそもこの問題、僕は1号機を覆っているカバーの撤去による放射性物質の飛散の点からも着目してきました。ご存知のように1号機はすっぽりと大きなカバーで覆われています。他の炉と比べても放射性物質の継続的な飛散が多かったからこの処置が施されてきました。

そのカバーを燃料棒取り出しのために撤去するという。燃料棒取り出しは一刻も早く行ってほしい作業であり、そのためにカバーの取り外しはやむを得ないことですが、しかし東電がそれに伴う放射性物質の飛散に対してきちんと責任ある対応をするとはとても思えない。

 

なぜなら東電は昨年夏に行った3号機周辺のがれきの撤去過程で、鉄板の下敷きになっていたかなりの量の放射性物質を飛散させてしまいながら、またまた事態を隠蔽していたからです。

農水省穀物課の調査の中で露見したのですが、しかし今度も東電は誰一人罰せられていない。そんな東電を信用することなどできないばかりか、絶対に信用すべきではないこと、厳重な監視が必要であることは明らかです。

 

このカバー解体の作業の一部が22日に始まりました。屋根のパネル一枚をあけ、中に飛散防止剤を散布しながら様子を探ったのだと思われます。その結果として明らかにされたのが、廃炉工程の大幅延期という事態です。要するに開けてみたら想像以上に状態がひどく、思ったように作業ができないことが明らかになったというわけです。

ただしスケジュール延長の決定がパネルをはずして一週間でなされていることをみるとき、事態はあらかじめ予想されていたのだと思われます。

 

これまでも東電はこんなことばかり繰り返しています。あたかも事態が把握されているかのうような顔をしておいて、実際には調査がなされるとそれまで説明してきた事態とはまったく違う状態が出てきて、認識が大幅に、しかも酷い方向に修正されるということをです。

その上、今回は廃炉工程そのものの5年の繰り延べを打ち出しました。にもかかわらず全体としての30年から40年は変わらないとしていますが、それもまったく根拠がないし、つじつまも合わない。

 

ここにあらわれているのは燃料棒取り出しの2年の延期も、デブリ取り出しの5年延期もまったくあてにならないことです。東京新聞が言うように、廃炉工程そのものが、実態の把握なしに当て推量で語られていること、実体など伴っていないことも明らかで、廃炉作業はもっと長くかかってしまう可能性が十分にあるし、先にも述べたようにそもそも事故の真の収束がいつになるのかさえ分からない。

 

 

私たちが何度も確認しておかなければならないことは、今、作業の責任者となっている人々の大半は生きていない未来がすでにしてタイムスケジュール化されており、その繰り延べが今回、表明されたということです。

廃炉の財政的、技術的、社会的負担を、今、小さなあどけない子どもたち、いやこれから生まれてくる子どもたちに押し付けることがすでにして表明されているわけです。

 

僕は、かりに事故をおこさずとも、放射性物質の管理のための天文学的な経費がかかってしまうこと、それが隠されたままに続けられてきた原子力政策を、未来世代への暴力と言ってきましたが、私たちの眼前でこの暴力の一端がまさに繰り広げられています。私たちは世代間倫理という観点に立ってこの事態に立ち向かい続けなければなりません。

 

さらにより恐ろしいことでありながら、東京新聞の記事も書かれていないことは、燃料棒が取り出し困難であるということは、私たちの目の前に今ある厳然たる危機が、なかなか去らないことを意味しているのだと言うことです。

使用済み燃料の一番の恐ろしさは、とにもかくにも冷やし続けなければならないものだということ。冷却ができなくなったら、崩壊熱でやがて溶け出し、どうともならない状態になってしまうものだということです。このことは何度確認してもしたりないことはありません。

 

これまで原子力推進側は、原子炉の核燃料は五重の壁で守られているのだと言ってきました。燃料棒を固めたペレット、燃料棒を包む被覆管、圧力容器、格納容器、原子炉建屋です。

ところがこれは原子炉の中のことで、使用済み核燃料はこのシールドの外に出されてしまっているのです。正確にはペレットと被覆管という脆弱なシールドしかない。

五重の壁など、容易に壊れることが、福島原発事故が突きつけた現実ですが、同時に燃料プールという施設が大変、脆く、危険な状態にあることも明らかになったのでした。

そのプールから燃料が降ろせない。

一番、恐ろしいのはここに東日本大震災の大きな余震が襲うことです。いや関東大震災とて繰り返し予想されているわけで、それが福島まで波及効果を持つことも十二分に予想されます。

 

だからこそ核燃料をプールから降ろすことは安全確保のための絶対条件であり、そのために一番取り組みやすかった4号機からの燃料降ろしが急がれてきたのでした。

唯一の朗報としてあることは、この11月5日に4号機については使用済み燃料棒降ろしが完了したと報告されたことです。その分だけ危険性は減ったのであり、とても喜ばしい事態です。

しかしこれに続けて1号機のみならず、2号機、3号機からも核燃料を降ろし、より安全な状態に移す必要があるのですが、それがなかなか思うようにできないのが福島原発の現状なのです。

必死の作業が繰り返され来たことは間違いないでしょうが、しかしこれらの炉は未だに高い放射線に遮られていて、プラントの状態自身がきちんと把握ができていません。

 

しかもこれらの炉は度重なる余震によって揺すぶられてきたし、台風の風雨などの影響も受けてきて、ダメージが累積しています。

地下水も深刻で、まったくコントロールできていない。そのため地盤そのものが危険な状態になっている可能性も高い。

それらから必ずしも大きな地震でなくても、原子炉建屋の倒壊が起こってしまうかもしれません。

 

そうならばどうするべきか。一つには危機を危機としてもっときちんと内外に表明し、さまざまな資源の集中をはかることが必要です。

もちろん2020年の東京オリンピックなどやっている場合ではない。そもそもそれまでに1号機のプールの燃料だって下ろすことすらできないのです。こんな状態をまったく無視しての川内原発の再稼働など、まったくの論外です。

福島原発の作業が放射線被曝作業であることからいっても、これからものすごい長い時間をかけた人海戦術をとらなければならないし、可能な限り一人一人の被曝量を減らすために、頻繁な交代だって必要です。

それらからもあらゆる事業に優先した取り組みが必要です。この国はさらにリニア新幹線による大トンネルの創出というとんでもないことにも着工しようとしていますが、そんな余裕などどこにあるというのでしょうか。

福島原発には非常事態宣言がなされたままなのであり、このことの意味を私たちの社会はしっかりと把握しなおさなければなりません。オリンピックなどは最低でも非常事態宣言が解除されてから考えるべきだし、その上にリニア新幹線建設を重ねるなどというあまりの愚かさが徹底批判されなければなりません。

 

ところがこの一番肝心な点が、原発問題に対して最も誠実に、精力的に報じてきた東京新聞でさえ、きちんと指摘できていません。

なぜか。私たちの社会を、巨大な「正常性バイアス」が覆っているからです。最悪の事態の想定を、多くの人々が無意識的に避けてしまっている。

僕にはそれは脱原発派の方たちのなかにすらある傾向ではないかと思えます。私たちの前には東日本壊滅の恐れだってまだ厳然として存在しているのに、それを見据えられない。

もちろんそんなもの見据えない方が楽なのです。しかし、安易な安楽の選択は、地獄への道の回避の可能性を閉じさせてしまいます。

再度、私たちが立っているのは非常事態の中であること。事実、そのための法律が適用されたままであること、基本的人権の一部が停止される非常立法のもとに私たちの国がいまだおかれていること。このことをこそ明確にし、全てを廃炉の推進、可能な限りの安全性の確保に費やすべきことが必要です。

 

そのためには第二に、関東、東北を中心とした広域の原子力災害対策と避難訓練こそが実施される必要があります。そのことをぜひ脱原発運動を担っている人々が積極的に主張し、地元行政に働きかけて欲しい。正常性バイアスから覚醒して、このことを最優先して欲しいです。

僕は現在の放射能汚染の状況や、事故の再度の拡大の恐れ、また昨年夏にあったような、最悪の危機にいたらずとも繰り返し大量の放射性物資の飛散が起こっている現状を考えるならば、原発により近い方々から避難移転をした方が良いと思っているし、その呼びかけを続けようと思っていますが、なかなかそこまではできない方がたくさんおられるわけですから、なおさら災害対策に真剣に取り組んで欲しいのです。

 

福島原発の危機的状況に対しては現場の方たちが一番リアルに感じているはずです。ここに光を当てみんなで現場の作業を支えるためにも、危機ときちんと向かい合い、非常事態に構えていく社会的体制をつくることが大事です。この記事を読んだ方は、すぐにもそうした行動を始めて欲しいです。すぐに行政を動かせないならまずは自分で避難計画を作る。また市民レベルでの災害対策の学習会を増やして欲しいです。僕自身、呼んでいただけるならどこへでも飛んでいきます。

 

1号機の燃料プールの問題に戻るなら、そもそもこのプールに入っている使用済み燃料は、総量の4分の1の70本もが破損しています。このことが明らかになったのは昨年の11月です。というか、そんな重大事実をも東電はこれまで長い間隠し続けてきたのです。それをしれっと明らかにしたのがやっと1年前です。

ようするに折れ曲がったりしている訳ですが、これだってきちんと抜けるのかどうか、やってみないと分からない。そんな作業を高い線量の中でやらなくてはならない。

端的に言って、失敗はありうるという前提に立つべきです。失敗の可能性を隠蔽したままの作業の強行こそが一番危ない。危機への備えをおおっぴらにすることができなくなるからです。

基本的なことを秘密にし続けていれば、作業員の集中力だった絶対に落ちます。そんなことは原子力に関する何の知識がなくても分かることです。

 

以上、私たちは4号機の使用済み燃料はすべておりたけれども、いまだメルトダウンした3つの炉のプールの中の核燃料という恐ろしい物質を抱えたままなのです。いつ倒壊してもおかしくないのです。福島原発は完全に壊れていて、その状態の把握すらいまだにできていないからです。

そしてその上にさらに三つの炉の中に溶け落ちて高い線量を発している核燃料のデブリがあるのです。私たちが立ち向かうべきなのはこの過酷な現実です。

 

未来のために、いや、今ある私たちの幸せを守るために、この事態と向き合い続けていきましょう。

ただちに原子力災害対策に着手してください。万が一を想定した避難計画を社会の各レベルで作り出してください。

民衆の下からのエネルギーをもってしかこの国が救えないこと、私たち自身の力でしか私たちも未来も救えないことを自覚しましょう。

今、必要なのは私たち一人一人の腹をすえた行動です。

 

以下、東京新聞の記事を貼付けておきます。

 

*****

 

核燃料取り出し遅れ 東電追認 実体なき「廃炉工程」鮮明

東京新聞2014年10月31日 朝刊

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2014103102000132.html

 

 東京電力福島第一原発の廃炉をめぐり、東電は30日、早ければ2017年度前半にも始める予定だった1号機プールからの使用済み核燃料取り出しを、2年遅れの19年度に見直すことを明らかにした。原子炉内に溶け落ちた核燃料の取り出しも、早ければ20年度前半に始めるとしていたが、5年遅れの25年度開始に見直す。

 計画を前倒しにすることはあったが、遅らせるケースは初めて。

 原因の一つは、原子炉建屋を覆うカバーの解体作業が当初の計画より半年以上遅れているため。当初は既存のカバーを改造して使用済み核燃料を取り出す計画だったのを、カバーを撤去し、専用の骨組みを建屋上部に新設するよう変更したことも大きい。さらに、溶けた核燃料の取り出しに向けては、使用済み核燃料の取り出し用に造った骨組みを撤去し、別の専用の骨組みを設置し直すためという。

 東電の廃炉担当者は「デブリ(溶融した核燃料)の状況がよく分からない中、デブリの取り出し設備を設置するのは困難。手戻り(作業のやり直し)につながる。それぞれ専用の設備を造ると、当面は遅れるが、着実に作業を進められる」と強調した。

 三十~四十年間で廃炉を実現する方針は変わらないという。

 

◆日程偏重で現場しわ寄せ

 東京電力が、初めて時期の遅れを認める形で福島第一原発の廃炉工程を見直す。これまで工程表通りに作業を急げ急げの号令ばかりで、現場は違法な長時間労働をはじめ苦しめられてきた。「廃炉まで三十~四十年」の宣言にこだわらず、現実に合わせた見直しは当然といえる。

 実際のところ、廃炉への具体的な道筋は見えていない。炉がどう壊れ、溶けた核燃料はどんな状況なのかも分かっていない。

 特に溶けた核燃料の取り出しには、格納容器ごと水没させ、強烈な放射線を遮ることが不可欠だが、注水した冷却水は漏れ続けている。容器の補修のためロボットを使った調査が続けられているが、漏れ場所は特定できていない。取り出しの工法も決まっていない。

 国と東電が公表している工程表は、あたかも時期が来れば作業が進むような印象を与えるが、実際に根拠がある部分は少ない。検討中のものがほとんどだ。

 それにもかかわらず、現場には工程表通りにやることを最優先するよう指示が飛ぶ。福島第一の作業員の一人は「現場には、一日も工程から遅れるなと強いプレッシャーがかけられている。福島第一は初めての作業が多く、悪天候で遅れることも多い。工程を守れと言われても、現場が苦しくなるだけ」と訴えた。

 そんな現場の苦労にもかかわらず、三十日の国と東電の工程表をめぐる会合では、せっかく現実に合わせた見直しをしたのに、前倒しをするよう国側から注文がついた。(原発取材班)

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明日に向けて(966)兵庫県三木市、京都市西京区、滋賀県栗東市、大阪西成区でお話します。

2014年11月06日 13時00分00秒 | 講演予定一覧

守田です。(20141106 13:00)

講演などのスケジュールです。

あさって11月8日に三木市でお話します。タイトルは以下の通りです。

子どもたちの明るい未来のために 私たちが知っておきたいこと
私たちの子どもの健康と安全対策
安心な食べ物の選び方、放射能からの身の守り方

このことに少しだけ海外との連携について付け足してお話します。

11月16日に京都市西京区でお話します。タイトルは以下の通り。

放射能汚染列島で、どう身を守る?
~大災害多発!原発は大丈夫か? いちから知りたいあなたへ~

ここでも海外での経験も付け足してお話します。

11月24日に滋賀県で行われるアースディに参加します。
僕の出番はお昼からの鎌仲ひとみさんとの対談です。
やはり製作中の映画『小さき声のカノン』についてお聞きしたいですね。
12時から1時間の予定です。

なおアースディは他にもたくさんの催しが満載。ぜひ以下をチェックしてください。
映画『標的の村』の上映もあります。
僕との対談とは別に、鎌仲さんの講演と「カノンだより特別版」の上映もあります!

アースディしが 公式ホームページ
http://earthday-shiga.seesaa.net/category/23116700-1.html

12月13日には大阪市西成区の参学寺でお話します。
集団的自衛権がデーマです。この内容では10月に初めて近江八幡でお話させていただきました。
2回目の講演になります。

この他、ポーランド訪問の報告会なども計画中です!

以下、お近くの方、ぜひお越し下さい!

***

11月8日 兵庫県三木市

子どもたちの明るい未来のために 私たちが知っておきたいこと
私たちの子どもの健康と安全対策
安心な食べ物の選び方、放射能からの身の守り方

守田 敏也 講演会
日時11月8日(土)13:30~15:30 (受付開始 13:15)
場所 三木市立教育センター4F 大研修室

放射能の影響はどうなっているの?どうやったら身体を守れるの?
福島は、日本は、世界はどうなっているの?どうなっていくの?
世界が激太りに向かっているって本当?何を食べたらいいの?

申込方法 末尾を参照
申込締日 11/7(金) *当日受付あり(定員内)

電 話 0794-82-8388 FAX:0794-82-8658
E メール rimpokanB@city.miki.lg.jp
資料代 500円 *大学生以下無料
定 員 100名

主 催 三木市人権教育団体ELL みき
後 援 三 木 市

ELLみき とは
「一人ひとりが大切にされる社会の実現」と「子どもたちの笑顔」のため、三木市内の小中高生の子どもを持つ保護者と子ども、地域の人で地域の中で人々が、
Encounters(出会い)・Learn(学び)・Link(つながり)あっていきたいという思いから2006年3月に設立。現在14名で活動しています。

お申込み方法
以下の書式にFAX・電話・Eメールにてお名前・電話番号・託児の有無(お子さんのお名前・性別・月齢)を明記の上、隣保館までお申し込みください

------------
守田敏也講演会 参加申込用紙
2014年 月 日

お名前
連絡先TEL        FAX
      住所
------------

***

11月16日 京都市西京区

東北大震災・原発事故から3年8か月・・・
福島だけでなく、大切な家族、親せきが住むあの街やこの街は大丈夫?
私たちに出来ることは? 教えて守田さん!!
子どもたちを守るためにはどうしたら?
あんなこと、こんなこと、いっしょに学びませんか?

放射能汚染列島で、どう身を守る?
~大災害多発!原発は大丈夫か? いちから知りたいあなたへ~

お話: 守田敏也さん

11月16日(日)
午後1時30分~4時30分
洛西・新林会館2階
(新林センター内 Aコープとなり。市バス西5、西8、29系)

参加無料(カンパをお願いします)

主催 原発ゼロをめざす西京ネットワーク
連絡先 西京ゼロネット事務局 TEL/FAX 075-394-5998(ママふれんど方)

***

11月24日 滋賀県栗東市

アースディ しが 2014
めぐるすべてのいのちのつながりのなかで 今ここに生きている

11月24日(月・祝)
午前10時~午後5時
野外ステージ音楽ライブ・トークイベント『くらしとせいじカフェ』
12時~(予定) 対談 鎌仲ひとみ 守田敏也
なお中ホールで午後1時半より鎌仲監督の講演と「カノンだより特別版」の上映もあります。

その他のスケジュールも含めて、詳しくは以下をチェック
アースディしが 公式ホームページ
http://earthday-shiga.seesaa.net/category/23116700-1.html

***

12月13日 大阪市西成区

たちばな9条の会主催(平和を考えるシリーズ第2弾)

戦争への恐怖の3点セット
~NSC法(国家安全保障会議)・特定秘密保護法・集団的自衛権の行使容認~
(集団的自衛権とは何かを中心に)

日時:2014年12月13日(土) 17:30開場 18:00開始
講師:守田敏也(フリーライター、著書『内部被曝』岩波ブックレット。矢ケ崎克馬氏と共著)
守田氏のブログ明日に向けてhttp://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011

会場: 参学寺「参究道場」 TEL 06-6658-8934
大阪市西成区橘1-7-6
参学寺ホームページhttp://www.sangakuji.com/
メールsangakuji@cwo.zaq.ne.jp

申込:西田靖弘携帯090-9610-8780
   メールnishiyan0213@gmail.com
もしくは米澤清恵 電話090-5647-0922 
   米澤メールkiyoyonyon@hotmail.com

会費:500円 (講師代ほか

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明日に向けて(965)『大学生活の迷い方-女子寮ドタバタ日記』を読んで(下)

2014年11月05日 00時30分00秒 | 明日に向けて(901)~(1000)

守田です。(20141105 00:30)

『大学生活の迷い方』を読んでの続きをお送りします。

先に僕は本書には恩師、宇沢先生が説かれた教育の理想がちりばめていると書きましたが、ここで宇沢先生の教育論をご紹介したいと思います。岩波新書の名著、『日本の教育を考える』の中で宇沢先生は次のように述べられています。
 「教育とは何か。一口でいってしまえば、一人一人の子どもがもっている多様な先天的、後天的資質をできるだけ生かし、その能力をできるだけ伸ばし、発展させ、実り多い幸福な人生をおくることができる一人の人間として成長を助けるのが教育だと言ってよいでしょう。」(同書p10)

そうです。教育の本分は、よく誤解されるように何かを教え込むことにあるのではないのです。
もともと人間には自らを成長させる本源的な力が備わっている。そして成長を熱烈に欲するのも人間の自然的欲求です。だから子どもは何でも真似たがる。真似て今の自分の以上の何かに近づくことに夢中になるのです。
教育はこの自然的欲求としての成長の手助けをすることにあるのであって、そのためには、成長を阻害しないための慎重な関わりも求められます。子どもが自ら考え、判断し、発展方向を見出していけるように配慮し、環境を整え、道筋をつけてあげる。そこに教育の本分がある。
もちろん、そのためにさまざまな知識を伝授することもあります。しかし知識の修得も、子どもが自ら主体的につかみとっていく方向性を確保できた時にもっとも効率よくなされていく。あくまで学ぶ主体は子ども自身だからです。

僕自身、わずか一時ですが、京都精華大学のアドミッション・オフィスに参加し、同大学に面接試験などで合格した受験生たちと大学入学まで対話していく「入学前教育」というプログラムを担うことで学生教育に携わったことがあります。
その時のメインテキストの一つが他ならぬ『日本の教育を考える』であり、実際に高校三年生を主体とした若者たちと対話しながら、僕自身もこの書の観点を自ら体験的に修得することができたのでしたが、その理想の生きたサンプルが僕には松蔭寮の日々であるように思えるのです。
もちろんこう書くと蒔田さんは必ず「褒めすぎだ」と言うに決まっているのですが、僕は教育の場とは本来、ドタバタしたものだと思うのです。若き当事者たちはいつも右往左往しており、周りで見つめる大人たちもハラハラドキドキであり続けるからです。
振り返れば誰しも分かるように、どうしたって若き日々には特有の辛さがあります。かつて高校生のときに恩師が「君たちには若さゆえの生理的憂悶があるのだ」と小林秀雄だかの一節を引きながら教えてくれたことがありましたが、それに寄り添う日々が予定調和的に進むはずがない。

だから生きた教育の場はいつも「想定外」の連続であり、奇想天外な事件に見舞われてばかりであり、奇人変人のオンパレードなのです。実は「普通の人」などどこにもおらず、誰もが「標準偏差」などから離れた奇人変人だからでもあります。自由な場が提供されれば当然にもその「本性」が出てくるのです。
松蔭寮に横溢してきた自由は、学生たちの「本性」を表に出すことへの自由でもありました。同時に自由には結果に責任をとることが伴うこともこの寮ははっきりと自覚してきた。だから寮で起こるさまざまなことを自ら決していく原則全員参加の寮会が重要視され、時には過酷なほどに時間をかけた討論が重ねられてきました。
本書にはそんな寮生たちの姿がたくさん反映しています。そして若者たちの成長を見守りながら、「非常事態」が発生するたびに登場する蒔田さんの姿も。
大人のみなさんにはぜひこれらの過程の中から、若者たちの自立心と成長への欲求を十二分に尊重し、なおかつ私たちがしっかりとした守り手として周りにいさえすれば、若者はこんなにも生き生きと育ち、輝いていける存在なのだということをこそシェアしていただきたいいと思います。


もう一点。今回、これまでも知ってきたはずの松蔭寮という女子寮の物語に接して、つくづく感じたのは、今やこの寮にこそ同志社の建学の精神が宿っているのではないかということです。
僕はかつて宇沢先生に同志社大学社会的共通資本研究センターに拾っていただいた縁で、この大学の設立史を研究したことがあります。その中で僕が深く尊敬するにいたったのが新島襄とともに同志社を設立した山本覚馬でした。
NHKの大河ドラマ『八重の桜』で描かれた新島八重のお兄さんです。大河ドラマにはその偉業の半分も描かれていませんでしたが、実際の山本覚馬は間違いなく日本で一番最初のフェミニストでした。
例えばドラマには描かれませんでしたが、彼は当時の日本で常識化していた売買春から女性たちを解放するために奔走し、明治5年に「芸娼妓解放令」を打ち立てさせるに至ります。そのために祇園の暴漢に襲われて滅多打ちされ、歩行ができなくなってしまうのですが、そうまでして覚馬は女性解放を推し進めようとしたのです。

しかも法の成立にも関わらず肝心の売買春は止みませんでした。法の解釈替えによって抜け道が作りだされてしまったためでしたが、それでも覚馬はひるみませんでした。法がダメなら人の心から磨き直すことが核心だと考え、キリスト教に近づいていき、ゴードンという宣教師から新島襄を紹介されたのです。
この時、キリスト教精神に基づいた教育機関を打ち立てたいという襄の熱き思いに覚馬は感動し、「新島君。君と僕は同志だ。僕たち同志の社を作りましょう」と語ったと伝えられています。同志社の名のおこりです。今出川の土地を寄進したのも覚馬でした。その年長の兄のもとに女傑として育ったのが八重であり、その彼女が襄のパートナーとなって、同志社建学を支えました。
覚馬の話にはつきないものがありますが、ともあれ同志社の建学の理念に強く込められていたものこそ女性解放の思想であり、自立した女性たちを育て上げることにあったことは間違いのないことです。そもそも覚馬は、同志社創設の前に日本で二番目の女子高である「新英学級及女紅場」も設立しています。現在の京都府立鴨沂高等学校ですが、同校は松蔭寮のすぐ北側に位置しています。
悲しいことに同志社大学はこうした覚馬の偉業をほとんど学生に伝えていないのですが、少なくとも覚馬は僕にとって心から尊敬してやまない人士であり、それもあって京都の東山がナラ枯れに襲われた時には、執念をもって若王子山にある覚馬の眠る同志社墓地に通い、周辺の木々の防除活動に奔走しました。蒔田さんはそんなときもいつも寮生を連れて駆けつけてくれて一緒に防除を担ってくれました。

今回、はたと思ったのは、この本の完成を一番喜んでいるのは、新島襄であり山本覚馬であり、八重であるかもしれないということです。
僭越ながら同志社人の方たちにはぜひこのことを己に問うてみていただきたいです。同志社大学は今、建学の理念に沿っているでしょうか。金融ゲームの跋扈する社会への知的批判拠点たりえず、体制に迎合的になり、建学の志に背を向けつつあるのではないでしょうか。
ましてやますます女性と男性の格差を広げつつある今の社会にまったく抗することができずにいるのではないでしょうか。キャンパスに「常に誠実、かつ真実であれ。大胆に自信を持って発言、行動せよ」という新島襄の言葉が掲げられてあるにも関わらずにです。


もっとも蒔田さん自身は本書の中で、新島襄の「諸君、人一人ハ大切ナリ。一人ハ大切ナリ」という言葉を紹介し次のように述べています。
 「繰り返す言葉に強い思いが溢れるこの人に心惹かれ、ちょっと恋して40年目。」「その人が夢見た学校で140年後、ごめんなさいJoe、今日も寮生たちを「大切ナリ」にできませんでしたと、鴨川のほとりを自転車で走りながらつぶやく、毎日の帰り道です。」(同書p228、229)

そうですね。もうこれ以上、褒めあげられても困りますよね。そうです。僕らの現実の日々は、いつも思い描いているうちのほんの少ししか実現できずに暮れてしまう。でもきっとそれは襄も覚馬も八重もそうだったのではとも思えます。
だからこそ大切なのはバトンを受け取って走ること、先人たちと共同で担っている壮大な事業として「今」を捉え、そうして出来る限りで良いから力一杯走って走って、次につなぐことなのだと思います。
そしてそれこそが実は最も楽しい生き方なのだというあらためての確信をこの本からいただけたように思えます。
すべての著者のみなさん、寮に関わられてきたみなさんに心からお礼をいいたいです。


最後に蒔田さんの結びの言葉をそのまま引用させてもらって、この拙い書評を閉じたいと思います。
 「私たちより若いすべての人たち、これから生まれてくる人たちに、「たった一人のあなたは大切ナリ」、あなたの命がなによりも大切と言い切れる世の中を手渡したい。それがこれからの私の夢。
  明日もまた一日を大切に、転んでこけて、一緒に生きていきましょう。」(同書p230)

*****

本書は以下から購入可能です。ぜひいますぐお申し込みを!

『大学生活の迷い方―― 女子寮ドタバタ日記 ――』
https://www.iwanami.co.jp/cgi-bin/isearch?head=y&isbn=ISBN4-00-500787

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明日に向けて(964)『大学生活の迷い方-女子寮ドタバタ日記』を読んで(上)

2014年11月04日 22時00分00秒 | 明日に向けて(901)~(1000)

守田です。(20141104 22:00)

今回はポーランドに関する考察を一度横において、表題に掲げた本の書評にトライしたいと思います。
岩波ジュニア新書から出ている親友の蒔田直子さんの編著書です。同志社大学松蔭寮を舞台としたもので、蒔田さんの他、たくさんの元寮生が思いを込めた文章を寄稿してくれています。
一刷がでたのが先月10月21日。ポーランドへの出国の直前に蒔田さんに届けてもらい、バックにつめて旅に出ましたが、旅の間は読むことができず帰ってきてから一気に読了しました。
またちょうど出版と重なるように松蔭寮が創設から50年を迎えたために行われた同志社大学での展示にも帰国直後に行ってくることができました。

とくにかく何より面白い本です。ノリのよいテンポに誘われて一気に読み進むことができます。そして終盤に蒔田さんの深みのある素晴らしい振り返りに接し、感動のうちに読み終えることができます。
このライブ感は、どうしたって言葉では表現しきれないので、ぜひぜひご一読をお勧めします。若い人にもそうでない人にも読んで欲しい。
僕が一番、読んで欲しいと思ったのは9月に亡くなられてしまった恩師、宇沢弘文先生でした。なぜならここには宇沢先生が教育の場がもつべき理想として常に語られていたことがいきいきと表現されているからです。
自由とは何か、生きるとは何か、友とは何か、教育とは何か、そしてまた大学とは何か。その他、今、何かの問いを持ち、思い悩んでいる方にはとくにお勧めしたいです。きっとあなたの今への何かの刺激が得られると思います。


編著者の蒔田直子さんについて少し書きたいと思います。僕が彼女と出会ったのは2001年9・11事件の後、アメリカによるアフガニスタンへの「報復」攻撃が始まった時でした。
「報復」と言ったって、9・11事件にはアフガンの人は誰も参加していなかったし、アメリカが即座に掲げた「オサマ・ビン・ラディン」犯行説も何の証拠も開示されない断定でした。
当時のアフガン・タリバン政権は、「オサマ・ビン・ラディンが犯人だと言うなら証拠を示してくれ。そうでなければ客人を差し出すわけにはいかない」と言っただけなのに、アメリカは傲然とアフガン攻撃を始めてしまいました。
これに胸を痛めた京都の女性たちを中心に、9月30日にピースウォークが行われ、1人1人の参加で成り立つ「ピースウォーク京都」が結成されました。もちろんその中心に蒔田さんがいました。

ピースウォーク京都はさらに、この年の暮れにアフガニスタンに長いこと医療援助を行ってきたペシャワール会の中村哲医師を招いて講演会を行うことを提案しました。
中村哲さんは事件以前から壊滅的な干ばつに襲われていて国際援助が必要とされていたアフガニスタンに、世界最大の金持ち国アメリカが軍事侵攻を始めたことを全面的に批判しつつ、同時にけして悲嘆にくれることなくアフガンの人々の命を守ることを訴えていました。
中村さんによれば、日本円で2000円あれば一家10人が冬を越すための小麦と油が買えるという。緊急援助としてとにかくお金を集めて欲しい、自分たちが必ずそれを困窮する人々の手に届けると声をからして訴えられていました。
各地でそのために講演会が開かれていました。米軍の猛攻撃に抗して命をつなぐための小麦と油を送る、そのためにお金を集める。僕もこの行為に深く共鳴し、講演会のスタッフに加えてもらいました。

会議の場で初めて出会ったのが蒔田直子さんでした。蒔田さんとは馬が合うと言うかノリが近いというか、すぐに仲良しになり、僕自身もピースウォーク京都に加えてもらい、以降、たくさんのイベントを共にしてきました。
あのときの講演会は2000名参加で200万円が集まり、アフガンの人々の一部の命をつなぐお手伝いができたと思うのですが、それから今日までもう13年が経っており、その間にたくさんの濃い濃い時間が過ぎて行きました。時系列で書いていったらとんでもない長文になってしまうほどのいろんなことを共にしました。
残念ながらそれらは割愛せえざるを得ませんが、振り返ればいつも共有してきたのは、困っている人、苦しんでいる人をほおっておけない義侠心だったように思います。
ただし困ったことに彼女も僕も、義侠心は良いとしても、すぐに事態を客観的に見る視点を失い、後さき考えずに走り出してしまう性癖を持ってきました。だから誇れることもあるにせよ、周りに迷惑をかけたこともしばしばで、しかもいろいろと失敗も重ね、七転八倒してきました。

そんな蒔田さんを人に紹介する時に、僕は「嵐を呼ぶ女」と言っています。その度に彼女に「やめてよ」と言われますが、これ以外にぴったりくる形容詞を僕は知りません。
なぜ「嵐を呼ぶ女」なのか。人が人生の中で一度か二度は遭遇するかもしれない大事件に、だいたい三か月に一回ぐらいのペースで遭遇してきたからです。それがなぜかも本書を読めば分かるのですが、蒔田さんが他者(ひと)の生にいつも真剣に寄り添おうとするからです。だから必然的にいろいろな事件にディープに巻き込まれもする。
本書の中で「いかにも蒔田さんらしいなあ」と思ったところを紹介すると、ある夜中に蒔田さんの携帯に寮生の「アッコちゃん」から電話かかってきます。何かと思って電話をとると「私、今から死のうと思います」とアッコちゃん!
・・・みなさん。夜中に若い女性からそんな電話がかかってきたらどうしますか? この時、蒔田さんはアッコちゃんが寮の近く、鴨川の荒神橋の上にいると聞いて即座にこう答えるのです。

 「あのね、荒神橋から飛び降りても骨折して痛いだけだから、飛び降りたらあかん!
  鴨川に入っても寒いだけだから入水もあかん!
  そういう大切なことは夜中に決めたら駄目。
  帰って寝て明日起きてから考えよう。
  いったい何があったの?」

蒔田さんは本書の中で続けてこう綴っています。
 「これは、非常事態宣言である。『死にたいコール』は30年も寮にいたら何度も経験してきた。そのたびに心臓がバクバクと音をたてる」(以上、同書p15より)

蒔田さん自身は心臓が高鳴っていてけして余裕があるわけではない。でも蒔田さんの言葉には人生の修羅場をくぐってきた人の持つ度胸のすわりがあり、そこに圧倒的な説得力が生まれます。
何より彼女は、アッコちゃんの「死にたい」思いを即座には否定しない。だから「死なないで」とかは言わない。「それじゃ痛いだけだからやめなさい!」と妙な合理性でアッコちゃんを説き伏せて行く。
実際にこの時、蒔田さんは携帯電話の遠隔操作でアッコちゃんを寮へと誘導し、寝かすことに成功しています。
それは蒔田さんがアッコちゃんが感じている死にたくなるような「しんどさ」を深いところで理解してきたからできたこと。理解しながらでも生きることの素晴らしさを教えてあげたいといつも思っていたから実現できたことです。

本書の素晴らしさは、こうしたエピソードの披露のあとに、当事者の元寮生さんが登場して一文を寄稿していることにもあります。
アッコちゃんの寄稿した一文には「『同じ』だけど伝わらないということ 宇宙人少女A」というタイトルがつけられてます。彼女が抱えてきた「しんどさ」が綴られています。
アッコちゃんはその辛さを、蒔田さんだけでなく、松蔭寮の友人たちとの関わりの中からしだいに超えはじめ、克服していきます。素晴らしい過程です。
ぜひここだけでも読んで欲しいです。アッコちゃんをめぐるやりとりのこの章を読むためだけでも僕は本書を手にとる価値があると思います。

続く

*****

なお、本書は以下から購入可能です。ぜひいますぐお申し込みを!

『大学生活の迷い方―― 女子寮ドタバタ日記 ――』
https://www.iwanami.co.jp/cgi-bin/isearch?head=y&isbn=ISBN4-00-500787

 


 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする