明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(525)広島県尾道市・福山市・三原市でお話します!放影研についも触れます。

2012年08月10日 12時30分00秒 | 明日に向けて(501)~(600)
守田です。(20120810 12:30)



お盆明けの18日から19日にかけて、広島県三市の方たちから呼んでいた
だけました。18日尾道市、福山市、19日三原市でお話します。このとこ
ろ放影研訪問や、黒い雨の問題などなどで、原爆と放射線の問題を深め
てきただけに、この時期に広島でお話できるのはとてもありがたく、嬉
しいです。尾道では2回目の講演になりますが、今回は放影研のことに
ついてもより突っ込んでお話したいと思っています。

そもそも僕が広島県に呼んでいただけるようになったのは、肥田舜太郎
さんと岩波書店が、尾道の方たちと僕との縁を結んでくださったことに
はじまります。というのは昨年9月8日に東京で「講演会 さよなら原発」
が行われました。このときに大江健三郎さんが発言されていますが、そ
のなかで大江さんは、僕が肥田さんをインタビューして作成し、『世界』
9月号に載せて頂いた記事に触れてくださいました。

大江さんは次のように語られました。「『放射能との共存時代を前向き
に生きる』という 文章は必読の文章であります。とくに福島の子どもた
ち、お母さんたちには最良の支えとなるでしょう。ここにもきてくださっ
ている若いお母さんのために、私は最も有効な励ましになるものだと思っ
ています。」この発言は以下から動画で見ることができます。

明日に向けて(259)放射能との共存時代を前向きに生きる(大江健三郎さんと『世界』と肥田さんについて)
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/de47f8fb787ad88eca411fb4930bf7da


さて、実はこのとき、東京まで尾道の「フクシマから考える一歩の会」の
メンバーの一人の方が駆けつけていました。大江さんのファンでもあった
ので、どうしてもこの集会に行きたかったのそうです。それでこの大江さ
んの発言に注目された。それでただちに『世界』2011年9月号を購入され、
尾道に戻って、みなさんに配って回し読みしてくださったのだそうです。

そこから出てきたのは「肥田さんを尾道にお招きしよう」という意志でし
た。それで今年の3月31日に尾道しまなみ会館に肥田さんをお招きした講演
会をされました。なんと500名の参加をみたそうです。肥田さんも広島で話
をするのはどこにもまして嬉しいと語られたとか。

そしてそのとき、一歩の会の方たちが、ちょうど3月8日に発刊になった、
矢ヶさんと私の共著『内部被曝』(岩波ブックレット)を販売しようと
いうことになり、私に電話を下さいました。もちろん快諾して岩波書店か
らブックレットを送っていただきましたが、それが私と尾道のみなさんと
の出会いの発端になりました。


不思議なもので、そうこうしているうちに私自身に個人的に広島に行く用事
ができました。それで尾道に寄ることができるので、ぜひみなさんとお話が
したいとお伝えすると、講演の場を設定してくださいました。私にとっては
経費の面でも助けられ、ありがたいの一言につきました。そうして尾道での
講演が設定されました。

このときの忘れられないエピソードが二つあります。一つは身体障がい者で
被爆者でもある方が、ストレッチャーに乗って僕の前に来て下さり、「守田
さんは、俺らのような障がい者が生まれるから原発に反対しているのですか」
と実に大切な質問をぶつけてくださったことでした。

ちょうどこの頃、放射線と障がいの問題を、映画『チェルノブイリハート』
などにも即して考え抜いていたときでもあり、僕は即座に「違います」と
お答えしました。「放射線はすべての人に病になる可能性を作り出します。
その意味でその可能性を作り出す原発に僕は反対です。それと、障がい者の
尊厳のことは分けて考えなくてはいけません。障がい者が生まれるから原発
に反対だと言うのは間違っています」とお答えしました。

広島・長崎では多くの被爆者の方が差別にも苦しめられました。結婚差別
などもたくさんあったと聞いています。放射線の害の強調は、一つ言い方を
間違えると、あるいは差別問題としっかりと向き合う観点がないと、差別の
助長にもなりえてしまいます。だからといって放射線がもたらす害について
ありのままに触れないと、被害隠しにもつながってしまうという問題も抱え
ています。この問題はまた別の機会にきちんと論じたいと思いますが、とも
あれそんな鋭い質問がポンと出てきたことに、感慨深いものがありました。

また交流会の席上で、ある女性の方が「私も赤ちゃんの時にABCCに連れて行
かれて検査されたことを、最近になってお母さんから聞いて知りました。も
う悔しくてなりません」と語られたことも忘れられません。ああ、ここは広
島県なのだと、当たり前のことですが、強い当事者性を感じました。僕はこ
れまでも、被爆者の方たちに何度も背中を押されたような感じをリアルに味
わうことが多かったので、ああ、また導かれてここまできたのだなと思いま
した。

その後、すでにお知らせしたように、「市民と科学者の内部被曝問題研究会」
での活動の中で、ECRR会長さんらと広島にある放影研本部への訪問までする
ことができたわけですが、ますます僕は広島・長崎で亡くなられた多くの方
たちの霊が、僕に、さらに奮闘せよ、自分たちが血で購った経験を未来の人々
の幸福のために活用せよと激励を強めてくださっているように思えてなりま
せん。

そんな思いも秘めながら、(これだけ話せば秘めることにはならないかもし
れませんが)尾道、福山、三原で、一生懸命にお話をさせていただこうと思
います。お近くのみなさま、どうかお越しください!

*************

8/18(土)・19(日)
守田敏也さん講演会

「報道されないフクシマ」@尾道・福山・三原

3.11から1年半がたとうとしている今、原発事故や放射能の報道は鳴りを
潜め、フクシマの人々が現在進行形でさらされる低線量・内部被曝の現実
も忘れられつつあります。

このような状態ですから、西日本の放射能危機はなおのこと話題に上りま
せん。ですが、食品の種類によっては、むしろこれから食卓に上るものの
ほうが気を付けないといけないものもあります。

フクシマの実態はどうなのか? 原発の状況や放射能汚染の現実は? 
そんな疑問に、科学者とともに内部被曝の問題に取り組むジャーナリスト
の守田敏也さんが答えます。3都市での連続講演会です。ぜひご都合のつ
く日程にお越しください。

--------------------------------------------------------------------

報道されないフクシマ

暮らしは? 子どもは?
食べ物は? 震災がれきは?
内部被ばくの危険性は?
日本の未来は?

守田さんのお話を聞いて、一緒に考えませんか?
講師:守田敏也さん(ジャーナリスト、共著に『内部被爆』)
*ブログ「明日に向けて」
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011
資料代:500円
託児あり:事前申込が必要、1人200円

《尾道》
日時:8/18(土)13:30~16:00
場所:尾道市公会堂別館(尾道市久保1-15-1)4F
主催:フクシマから考える一歩の会
TEL:090-2002-8667(小林)

《福山》
日時:8/18(土)19:00~21:30
場所:福山市市民参画センター(福山市本町1-35)5F会議室1
主催:原発のーてもえーじゃないBINGO!実行委員会
TEL:090-9115-3317(坂田)

《三原》
日時:8/19(日)13:30~16:00
場所:三原市中央公民館(三原市円一町2-3-1)第2・第3講座室
主催:命と未来を考える会・三原
TEL:0848-66-3592

********

なお以上の情報は、以下から転載させていただきました。

市民SOHO 蒼生舎
http://blog.livedoor.jp/sakatakouei/archives/51439751.html
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明日に向けて(524)「背を向けたまま被爆国を名乗るな」(毎日新聞「記者の目」より)

2012年08月09日 23時30分00秒 | 明日に向けて(501)~(600)
守田です。(20120809 23:30)

今日は長崎に原爆が投下されてから67年目の日です。6日の広島の日も9日の
長崎の日も、それぞれの地で平和祈念式典が行われました。この式典に内閣
総理大臣である野田佳彦氏が参加していました。僕はテレビの映像を通じて
式典を見ていましたが、今日ほど「首相、あなただけにはこの場にいて欲し
くない」と思ったことはありませんでした。

野田首相は、長崎の式典で次のように語りました。「人類は、核兵器の惨禍
を決して忘れてはいけません。そして、人類史に刻まれたこの悲劇を二度と
繰り返してはなりません。唯一の戦争被爆国として核兵器の惨禍を体験した
我が国は、人類全体に対して、地球の未来に対して、崇高な責任を負ってい
ます。それは、この悲惨な体験の「記憶」を次の世代に伝承していくことで
す。そして、「核兵器のない世界」を目指して「行動」する情熱を、世界中
に広めていくことです。被爆から67年を迎える本日、私は日本国政府を代
表し、核兵器の廃絶と世界の恒久平和の実現に向けて、日本国憲法を順守し、
非核三原則を堅持していくことを、ここに改めてお誓いいたします。」

ウソばかりです。どうしてこうも次から次へとウソを繰り返せるのか。私た
ちの国の政府は、第二次世界大戦の終結と同時に、「鬼畜米英を倒せ」と国
民を戦争に駆り立て続けてきた態度を180度転換し、アメリカべったりの政策
を取り続け、その中で、原爆の非人道性を隠そうとしたアメリカ政府に全面
的に協力してきました。このため被爆者の苦しみに背を向け、内部被曝によ
る痛みを無視し続け、被爆者を本当に辛い状態に置き続けてきたのです。そ
れでなぜ「悲惨な体験の記憶を次の世代に伝承していく」などと語れるので
しょうか。

しかも私たちの国は今、福島原発から漏れ出した膨大な放射能によって、非
常に深刻な汚染の中にあり、多くの人が「悲惨な体験」を重ねています。に
もかかわらず野田首相は昨年12月、「冷温停止宣言」によって事故は終わっ
たと宣言してしまいました。そもそも「冷温停止」は原子炉が健全な状態の
ときの安定停止をもって語ることができるものであり、原子炉に穴があいて
放射能が漏れ続けている状態では適用できない概念であるはずだという多く
の科学者の指摘も無視し、この大ウソの宣言を発してしまったのです。

もっとも許しがたいことは、そのうえに、これまたまったく根拠のない「安
全宣言」を重ね続けることにより、本来、避難すべき人たちが避難ができず、
被曝を避けるべき人が避けられずに、今も、広範で膨大な被曝が進行してい
ることです。それを強制している最高責任者が野田総理大臣であり、その人
が語るあいさつは、今日までに亡くなられた全ての被爆者の魂に対する冒涜
であると僕は思いました。だからこの首相だけには、あの式典の場にいて欲
しくはなかった。これほど深い憤りを感じながら、首相のウソだらけの「あ
いさつ」を聞いた記憶はありません。

このようなウソのあいさつ、ウソの宣言、そしてウソの鎮魂の言葉が許され
続けているこの異様な社会状況をなんとしてもひっくり返したい、いや返さ
ずにはおかないと感じたのは僕だけではないはずです。怒りを胸に、そして
またこうした権力者の偽りの言葉に、これまで騙され、何かを強制され、あ
るいは悲しい思いを重ね続けてきてすべての方々の無念を思い、それをシェ
アし、必ずや一矢報いるのだとの思いすら胸にさらに前に進みたいと思います。


このようなことを思っている時に、毎日新聞の加藤小夜記者の「記者の目」の
ハートフルな記事を読んで共感しました。加藤さんは京都支局にもいたことが
あり、京都での戦争反対のためのピースウォークを丁寧に取材してくださった
こともある記者さんですが、その加藤さんが、「黒い雨」の援護対象区域の拡
大をにべもなく否定した野田首相の姿勢に対し、「核被害の実相に向き合わな
い政府に「被爆国」を名乗って欲しくない」と語りました。まったくその通り
だと思います。深く共感しました。

みなさんにもこの記事をシェアしていただきたいと思い、ここに紹介することに
しました。野田首相による原爆被爆者の酷い切り捨て、また福島原発自己被災者
への被曝の強制にさらに強力に、全面的に反対していきましょう。

広島・長崎の日を経て、この誓いをさらに強めたいと思います。

*************

記者の目:「黒い雨」被害者切り捨て=加藤小夜
毎日新聞 2012年08月07日 00時11分
http://mainichi.jp/opinion/news/20120807k0000m070091000c.html

◇国は核被害の実相を見よ

米軍による広島への原爆投下から67年の今夏、「被爆者」と認められるはず
の「黒い雨」被害者は切り捨てられた。厚生労働省の有識者検討会は7月、あ
またある証言を無視して黒い雨の援護対象区域拡大を否定し、政府もそれを追
認した。爆心地から幾重も山を越えた集落を訪ね歩き、原爆の影を背負って生
きる人々の話に耳を傾けながら、私は何度、広島の方角の空を見上げただろう。
核被害の実相に向き合わない政府に「被爆国」を名乗ってほしくない。

「うそを言うとるんじゃない。事実はあるんじゃから」。1945年8月6日、
広島の爆心地から約15キロ西の祖父母宅近くで、女性(76)は黒い雨を浴
びた。神社で遊んでいると「痛いぐらい」の大雨が降り、その後、毎朝のよう
に目やにが止まらなくなり、爪はぼろぼろに。30代半ばで甲状腺の病気を患
い入院、白内障の手術も3回受けた。

山あいの集落で聞いた住民たちの情景説明は生々しかった。爆風で飛んできた
商店の伝票。シャツや帽子についた雨の黒いシミ。雨にぬれた乳飲み子の頭を
拭いて着替えさせたこと。女性の祖父は、しば刈りの作業中に雨に遭った。鎌
が滑って切れた手から血が流れた。祖父は「普通の雨じゃない。油のようだっ
た」と話したという。証言は細部まで具体的で偽りは感じなかった。取材した
後、女性から「記事にしてほしくない」と切り出された。30年近く前、幼く
して白血病で命を落とした孫のことが頭に引っかかっているからだった。孫の
入院先から「原爆に遭うてない?」と長女が電話をしてきた時「遭うてないよ」
と答えた。孫の病気は自分が黒い雨に遭ったせいなのか。親族からそう思われ
るのではと考えると気持ちが今も揺らぐ。匿名を条件に話を聞きながら原爆が
心身に刻んだ傷の深さを思った。

◇科学的な立証を求める理不尽さ

国の被爆者援護の歴史は被爆から12年後の原爆医療法施行に始まり、地域の
拡大や手当の創設・拡充が順次実施された。黒い雨を巡っては1976年、広
島の爆心地付近から北西に長さ19キロ、幅11キロの楕円(だえん)状の地
域が援護対象区域に指定された。区域内にいた人は無料で健康診断が受けられ、
特定の病気が見つかれば被爆者健康手帳が交付される。しかし、厚相(当時)
の私的諮問機関「原爆被爆者対策基本問題懇談会」は80年の意見書で、新た
な被爆地域の指定には「科学的・合理的な根拠がある場合に限る」とした。こ
の後、地域の拡大は一度もない。時間の経過に加え、そもそも被害者側に科学
的立証を求めるのは無理がある。

広島市などは08年、被爆者の高齢化を受けて「最後の機会」と位置づけた大規
模なアンケートを実施した。その結果から援護対象区域の6倍の広さで黒い雨が
降ったと主張し、10年、区域拡大を政府に要望した。これを受け同年末から厚
労省の有識者検討会が始まった。全9回の会合をほぼ毎回取材したが、審議は
「結論ありき」としか思えなかった。ある委員は、放射線の影響を認めることは
「疫学的な誤診」と発言し、「学術的に厳密な判断を求めないと、とんでもない
病気をつくってしまう」とまで言った。私には認めない理屈をあえて付けようと
しているとしか見えなかった。「現地を訪れて体験者の声を聞いてほしい」とい
う地元の訴えも黙殺された。

◇背を向けたまま被爆国名乗るな

援護対象区域拡大を訴えてきた「広島県『黒い雨』原爆被害者の会連絡協議会」は
今夏、54人分の証言集「黒い雨 内部被曝(ひばく)の告発」を刊行した。がん
など病気の苦しみとともに「死ぬのを待ちよるのか」など国への憤りがつづられて
いる。証言を寄せた森園カズ子さん(74)=広島市安佐北区=は甲状腺の病気を
長年患い、だるさとも闘う。「私らみたいなのは置き去りですよね……」。私は返
す言葉がなかった。

被爆者健康手帳の所持者は今年3月末現在、全国で21万830人いるが、手帳を
取れない「被爆者」の存在を忘れてはならない。援護区域の外側で黒い雨に遭った
人だけではない。焦土で家族や知人を捜したり、郊外で負傷者の救護活動に携わっ
た人も、放射線を浴びた。その事実を証明できないなどの理由で、申請を却下され
た人は多い。

隠された「被爆者」の存在に触れると今も残る原爆被害が身に迫り、被害を救おう
としない「被爆国」に悲しさを感じる。福島第1原発事故後も、国は核被害の原点
である被爆地の現実に背を向けたままだ。「切り捨て」の歴史に終止符を打つため
にも、私は真実を語る「被爆者」の側から告発を続けたい。(広島支局)
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明日に向けて(523)ECRR会長、ドイツ放射線防護協会会長と放影研へ!!下の2

2012年08月08日 15時00分00秒 | 明日に向けて(501)~(600)
守田です。(20120808 15:00)

前回に続いて、放影研との日本語やりとりの後半部分の報告を行いたいと思い
ます。この部分は僕の発話から成り立っています。放影研で配布されている
『わかりやすい放射線と健康の科学』というパンフレットに載せられている、
「放射線は物質を通りぬける」と題した項目についてです。まずは以下から同
パンフレットの2ページ目にある当該の図と説明をご覧ください。
http://www.rerf.or.jp/shared/basicg/basicg_j.pdf

僕が指摘したのは、このように「物質の中を通りぬける」ことだけ書くと、原
発から飛び出した放射性物質から発せられている放射線のうち、ガンマー線が
一番強く見えてしまい、最も危険なアルファ線、それに続くベータ線の恐ろし
さがあいまいになってしまう点です。なぜそうなのかとういとこのパンフレッ
トに次のような説明が書かれているからです。

「アルファ線は、ウランやプルトニウムのように大きくて不安定な原子核が分
裂した際に生じます。その粒子は、原子核をつくる陽子と中性子がそれぞれ2
個くっついたものです。これは、大きな粒子なので紙1枚で止めることができま
す。ベータ線も粒子線であり、その粒子は1個の電子です。アルファ線ほど簡単
には防げませんが、1cmのプラスチック板があれば十分に止めることができます。」
(同パンフレット2ページ下段の説明より)

アルファ線は簡単に防げる・・・。しかしこれは外部被曝に限った場合のこと
です。またアルファ線が「紙1枚で止まる」というのは、粒子の大きなアルファ
線が紙の分子と激しく衝突し、分子切断を行い、そこでエネルギーを使い果たす
ためにそれ以上は飛ばないからです。紙の分子が激しく切断されているのです。
これに対して、ベータ線やガンマ線は、その多くが紙の分子の中の原子核と電子
の間をすり抜けていきます。つまり紙の分子との相互作用が非常に少ないから、
エネルギーをほとんど失わずに通り抜けていくのす。物質への作用の力が、アル
ファ線より弱いから通り抜けるのだとも言えます。

そもそも原子の世界は私たちの日常感覚で言えば、「スカスカ」です。原子核が
米粒ぐらいだったら、電子は野球場の周りを回っているぐらいだなどと表現され
ます。その「スカスカ」のところを放射線はすり抜けていく。それが「放射線が
物質を通りぬける」ことの実相です。物質にあたらないから通りぬけるのであっ
て、例えばリンゴにナイフを突き刺すのとはまったくワケが違うのです。

ところがこの点をきちんと説明しないで、つまり日常の感覚と、原子の世界のあ
り方との違いが明らかにされないまま、こうした説明がなされると、物理的世界
に馴染んでいる人ならともかく、通常の感覚では、「物質を通りぬける」のは、
その放射線がそれだけ力があるからだとあやまって捉えられてしまいがちです。
それはこの放射線の性質が「透過力」と言われていることからも生じることがら
です。「力」とつけると、どうしても「力」の強いものがより強力に見える。つ
まりガンマ線が強力に見えてしまうのです。

放影研のこのパンフレットでは、このミスリーディングを誘いやすい「透過力」
という言葉は使われていませんが、それでも内部被曝の危険性をきちんと訴えよ
うとするならば、この図の説明だけで終わらすのはではあまりに不十分です。こ
のように外部被曝モデルでの説明に終始せずに、内部被曝の危険性について、
もっときちんと解説して欲しいというのが僕が要望したことでした。

これに対して放影研の方たちは、少なくとも僕が受けた印象では、きちんとした
応答を返してはくださいませんでした。むしろ、外部被曝と内部被曝の大きな違
いを問題とせず、従来の「被曝を線量で測る」という考えを保持したままだとい
う印象を受けました。その点で放影研がこの間、HNKの番組で紹介されたような、
内部被曝の研究に踏み切った・・・という感じはまったく伝わってきませんでし
た。それは放影研のパンフレット全体からも感じることです。

この「放射線を線量で測る」という答えに対して、沢田さんが、外部被曝と内部
被曝の違いに触れ、それを線量でひとくくりにしてはならない点を指摘してくだ
さいました。物質との相互作用が強いアルファ線は、そのためにごく短い距離し
か飛ばない。正確にはごく短い距離にある物質の分子を激しく切断し、そこで
エネルギーを使い果たして止まるのです。

そのためアルファ線による被曝は、ある密集した地点に行われることになる。こ
れに比べるとガンマ線による被曝はまばらに行われるのです。そのため例えば被
曝した細胞がアルファ線の方が強いダメージを受けてしまう。生物には驚異の自
己修復能力が宿っていて、被曝に対してもそれが働きますが、密集した被曝では
それができなくなってしまう可能性が高くなります。この点が、体内からごく密
集した地点に激しい被曝をもたらす内部被曝と、主にガンマ線により、まばらな
被曝がおこる外部被曝との大きな違いなのです。にもかかわらず、放影研の方た
ちは、これに何ら実りある応接をしてくださらなかった。内部被曝研究が実際に
は埒外におかれ続けているからだと僕は思いました。

以上より、僕は、放影研にすべてのデータの開示と、内部被曝研究への真摯な取
り組みの真の開始、またそれの前提となる被爆者への真摯な謝罪を求め続ける必
要があるとの思いをあらたにしました。以上を放影研訪問報告のまとめとしたい
と思います。

以下、やりとりの詳細をご紹介しておきます。

*****

守田 ぜひお願いしたいと思うのですが、このきれいに作られている(放影研)
のパンフレットの2ページのところをみますと、放射線の物質に対する透過力の
図が書いてあります。今、福島のことで、多くの方が内部被曝のことを心配し
ているわけですけれども、この図だけみるとアルファ線は紙1枚で止まって、
ベータ線は金属版1枚で止まって、あたかもガンマ線が一番強いかのように受け
止められてしまいやすい。

しかし実際には内部被曝しえるのはほとんどもうベータ線とアルファ線です。
もちろんガンマ線からもしますけれども、逆に言うとアルファ線やベータ線で
はほとんど外部被曝することがない。ベータ線はほんの少ししか入ってこない。
でも内部被曝の場合は、このアルファ線とベータ線をもっとも気をつけなけれ
ばならないわけです。

そういう今の現実性から言うと、食料品の中から内部被曝する可能性が最も深
刻なのに、その内部被曝のことがここには何も書かれていません。何も書かな
いでこれだけ(透過力だけ)書くと、あたかも、・・・もちろんそういう意図
で書いていると考えているわけではありませんが、・・・ガンマ線が一番怖い
ように見えてしまう。

しかし今、国民・住民が一番気にしなければいけないのは食べ物での内部被曝
です。にもかかわらず、その危険性がこの図を見ていても出てこないのですね。
危険性が非常に弱くみえます。やはりそうではなくて、放射線影響研究所が、
私たちの実生活に関する影響という面での内部被曝のことを、ぜひもっと、国
民・住民に対して説明していただきたい。このパンフレットをみたときにそこ
で非常に不安を感じるというか、これでは内部被曝の危険性が伝わらないので
はないかと強く感じるのです。

寺本 放射線の実態影響は、線量に応じての話だと思いますので・・・。

沢田 内部被曝では、微粒子のサイズもすごく違うのですよね。原子の種類に
よっても体の中に取り込んだときに影響が違いますよね。だから内部被曝と外
部被曝はぜんぜん違ったものなのです。複雑なのですね、内部被曝は。

寺本 その複雑さとか形態の違いは分かりますが・・・。

沢田 だから線量だけでひとくくりにすると、その辺が分からなくなるのです。
ローカルにいろいろな影響を与えるわけです。内部被曝の場合は。だから線量
ではなくて、線量では1キログラムあたり何ジュールということになるわけです
よね。そうではない影響が、つまりDNAの損傷などを考えると、それは線量だけ
ではなしに、どれだけ近距離から集中して被曝するのかが問題になるわけです。

例えばベータ線で、微粒子からの距離によってどう変わるかを計算すると、近
距離はものすごい、何十グレイとかになってしまうし、距離が変わればすごく
変わりますよね。それらは線量では表せないです。

吉木 数値では表せないけれども、実際に起こっていることについて、われわ
れは非常に重要視しているわけです。それを数値化できないからあまり公言で
きないのだというのは逃げだと私は思うのです。われわれが一番心配している
のはそういうことなのです。これはただちには問題ないはずですよね。よく言
われることですが。しかし将来どうなるのかということが分かってないところ
があるし内部被曝問題研のリサーチャーは一所懸命そこを研究しているのです。

寺本 福島の事故が起こってから、ホームページで情報提供を行うようにしま
した。汚染の度合いと被曝の形態、内部被曝を含めてですね、いろいろな形態
で被曝があるのだと。その場合にどういうことに気をつけなければいけないの
かと、それをかなり早くから情報提供をしました。

沢田 もうちょっと内部被曝の複雑さということがあるのです。

守田 線量について、臓器ごとで測っておられますよね。しかしベータ線だっ
たら、臓器全体が被曝するのではなくて、それこそ1センチ球ぐらいのところに、
全部、被曝したエネルギーがいってしまうわけですよね。それを臓器全体で考
えると、それを薄めたようになってしまうと思うのです。しかし現実の被曝の
実態というのは、ベータ線だったらそれが飛んでいくところにしか起こらない
わけですから、せいぜい1センチ、あるいは数ミリの球状に被曝が生じるわけで
すよ。そしてご存知のように、臓器というのは、一箇所だけ集中的にやられて
も、それが臓器全体に作用していくわけです。

ところがその線量の考え方というのは、臓器全体にどれぐらいあたったのかと
いうことが臓器への影響として考えられているから、臓器の部分に対して密集
してあたる内部被曝の影響ということが十分に解かれていないのではないかと、
そこが気になるわけです。

寺本 まあ、放影研だけで、すべてのことに情報を提供できるわけではありま
せんので。しかしうちはエビデンスに基づく研究成果を、完全中立性のもとに
提供するということに徹してやっておりますので、あとはまあ、関連のあると
ころの情報をリンクさせていただくというかたちでやっております。

吉木 まだまだ分かってないことがいっぱいあるのだということを、十分にひ
とつ考慮していただきたいと思います。

沢田 これまでのDS86の6章には残留放射線について書かれていますよね。そこ
には気象的に流れていたりするから、すべてとは言えないとちゃんと科学者だ
からそういう可能性については書いています。でも国とかがDS86を利用すると
きには、そういうことを全部すっとばして、フォールアウト、雨でもたらされ
たもの、それは残っていて、台風でも流されて、広島の場合は火災の雨でもす
ごく流されているのです。一番、北東方向に大量の放射性の雨があったことが
分かっているのです。池とかでたくさん蛙や魚があがってきたというたくさん
の被爆者の証言があります。北西の方向に大量に降ったのです。

しかしそこに残っているものを測定すると放射線は少ないのですよね。それで
広島では己斐・高須地域に残っているということになってしまって、己斐・高
須地域は強い放射性降雨があったところのはずれなのですよね。だけど火災の
雨を受けなかったから残っている。また己斐・高須地域は台風の洪水の影響も
あまり受けない地域なのです。川が入ってないものだから。

8月9日に政府の命令で原爆であることを確かめるために仁科芳雄さんたちが土
壌を採取して測定した最大の放射線であった場所が、今はもうないのですけれ
ども、西大橋の東詰め(現在の観音本町)なのです。そこは己斐・高須地域の
20倍ということが分かっているわけです。仁科資料を静間さんたちが測定した
ものがあって20倍なのです。当時は天満川と福島川が合流するその向かい側の
ところですが今は太田川が改修されてないですし、当時の大洪水のあとは強い
放射線量は見つかっていないのです。ようするに枕崎台風で広島中、橋が流さ
れる大洪水になってしまったので、それが被爆者にとっては逆にラッキーだっ
たのです。残留放射線の影響は急速に減りましたから。

ということで、そういう結果だけで、降下物の影響だと言っているわけですが、
しかし、被曝影響から求めると、それよりもはるかに大量の被曝をしているわ
けです。これは線量という概念よりも、外部被曝を受けたと同じ急性症状を発
症させる影響と言ったほうがいいのかも分からないですね。生物学的な効果か
ら調べるやつは。

でもそれでいくと、6キロさきでも0.8シーベルトということになってくるわけ
です。ということでそういう効果は無視できないということがあるので、そこ
にいろいろな研究をした経過を説明しておきましたので、そういうことがある
ということを知ってください。

放射線影響研究所は、初期放射線の影響を研究するという方針がABCC以来、
ずっと続いていますよね。そういう目的でここはスタートしているので、そこ
から変わるのはなかなか難しいし、Stramさんと水野さんも、そういうデータ
があるのに、初期放射線の影響だけを引き出すことをすごく努力してやられて
います。それはそれなりの目的に沿ったものだと思いますけど、将来は、今の
人類が抱えているような、内部被曝とかそういったことを明らかにする上では、
そういう残留放射線の影響はすごく大事なのです。

インゲさんは1980年代の論文で、もし放射線影響研究所がそういうことをちゃ
んとやってくれれば、人類には内部被曝とか低線量被曝の影響がもっといろい
ろと明らかになるであろうにと、論文で書いています。
(インゲさんの英文を読む)

記録はここまで


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明日に向けて(522)ECRR会長、ドイツ放射線防護協会会長と放影研へ!!下の1

2012年08月07日 09時30分00秒 | 明日に向けて(501)~(600)
守田です。(20120807 09:30)

前回に続いて、6月に行った放影研訪問記録をご紹介します。今回は僕が
文字起こしした部分です。会談はドイツのお二人が参加していることもあ
って英語を基本に行われました。そのためすぐに文字おこしできなかった
のですが、会談の後半部分で、ぜひこうした会合をまた開いていただきた
いと私たちが要請したさいに、インゲさんが、「次は日本人同士、日本語
で話されるといいのではないですか」とおっしゃってくださいました。

すると英語のやりとりでムズムズしていた沢田昭二さんが、それではとい
う感じで日本語にシフトし、今回の会談の後半部分も日本語でのやりとり
になりました。沢田さんの姿を横で見ていると、放影研が溜め込んでいる
データへの思い、そこに被曝の実態をより明快に解き明かすにたるものが
あるはずだ、それを活用したいというなんとも切々たる気持ちが伝わって
くるようでした。

この熱意におされたのか、放影研の小笹氏が、こうしたデータがあること
をポロっと話されました。正確には「もう一度入力するというかそういう
作業をしないと」という発言で、データに整理される前の調査カードの
原本などがあると受け止められるものでした。

このことが聞き出せたことは、今回の会談のハイライトともいえるような
ことでした。昨日放映されたNHKの番組では、放影研が「黒い雨」にあたり、
内部被曝をしたことで生じた健康被害が後半に出ていたデータを今日まで
隠し持っていたことに焦点が当てられたわけですが、放影研はそれ以外に
も、たくさんのデータを持っていることが分かったのです。放影研はそれ
を一般に公開し、広く内外の方たちの自由な研究の道を開くべきです。
この報告の「下の1」ではこのやりとりを紹介しますので、ぜひリアリティ
をつかんで欲しいと思います。

なおこの間、放影研はこれまでの態度を変えたのか否かという論議があり
ます。僕は少なくとも今回の私たちとの会見において、放影研の変化を感
じることはできなかったのですが、そうであろうとなかろうと、科学者と
しての自らの良心を前面に出し、誠実に、熱意を持って、ひたすら放影研
の方たちの科学的良心によびかける沢田昭二さんの姿に深い感銘を受けま
した。そこには被爆者として、心から核の廃絶を願う沢田さんの姿が垣間
見えており、その姿勢こそが大事な証言を引き出すことになったのだと
思います。説得の王道だと感じました。

もちろん、アメリカ軍の機関として出発し、今も、アメリカ核戦略の体系
の中に位置している放影研を簡単に「信じる」わけにはいきません。あと
にも述べますが、放影研とその関係者は、昨年の福島原発事故以降も、明
確に「放射能は怖くないキャンペーン」に加担してきています。というか、
そもそもこのキャンペーンの基礎になるデータを与え続けてきたのが放影
研であり、態度変更には真摯な反省が伴う必要があります。こうしたこと
を念頭におきつつ、沢田さんのように迫っていくことが肝心ではないかと
思えました。

なお前回、昨日の番組は本年1月20日放送の「黒い雨 明らかになった新事
実」という番組が元になっていることを紹介しました。これを見ると、冒頭
にこの黒い雨をめぐる放影研の記者会見の様子が出てくるのですが、この会
見で、放影研の大久保理事長の左右に座っていて発言しているのが、私たち
の訪問の際、応対に出てこられた寺本隆信/業務執行理事、小笹晃太郎/疫学
部長の両氏です。(大久保氏から見て左が小笹氏、右が寺本氏)この映像か
ら、この方たちがこの記者会見の内容なども最もよく知りうる放影研の中心
メンバーであることがよく分かりました。
番組は以下から見ることができます。冒頭だけでもご覧になり、放影研の
お二人の姿も確認されてから、以下の記録をお読みになってください。
http://cgi4.nhk.or.jp/eco-channel/jp/movie/play.cgi?movie=j_face_20120120_1742

************

放影研でのやりとりから
20120626 記録 守田敏也

沢田 ここからは日本語でやりましょう。放影研による記者への発表で残留
放射線の影響については、なかなか数値化するのが難しいと言われていまし
たよね。でも僕は数値化したのです。ABCCのデータに基づいて、数値化する
のに成功したわけです。それは放影研のStramさんや水野さんの研究にも基
づいているし、ABCCが調べたデータにも基づいているわけです。

それから下痢については、広島の医師の於保源作さんという方、ご存知です
ね。彼が調べたデータ、それを用いたのですが、本当は放影研のデータを使
いたかったのです。それを使うにはどういうふうにしたらいいのですか。何
か方法がありますでしょうか。

放影研自身が1950年代に調べたデータの中で、脱毛だけはかなり詳しく調べ
られていて、他のことは詳しく調べられてないのではないかという気がして
います。発症率が距離と共にどのように変わっているかなどです。そういう
まとめ方はされていないのですか?そのところがすごく気になるのですけれ
ども。

小笹 基本的にはT65D、DS86の初期放射線線量ですね。あれを調べていると
ころで使っていると思います。ただそこで、何が最も線量と関係があるのか
というあたりで、落ちているものとか、残っているものとかあるかもしれま
せんが、ちょっと私もそこまで記憶はないですね。

沢田 一番、僕が欲しいものについてですが、T65DやDS86で行った区分ごと
のデータにLSSはなっていますよね。今、DS02が基準で、区分されているわけ
ですけれども、本当はその区分する前の距離ごとのデータ、まあ変換すれば、
初期放射線の線量は分かるから、変換すれば距離は分かりますよね。

小笹 それは遮蔽の影響がかなり強いですから、距離とはかなり変わってき
ます。

沢田 それから遠距離の方は、0.005以下と0の場合が全部まとめられている
から、いろいろな距離の人が全部、まとまっているのですよね。

小笹 それはそうです。はい。3キロから10キロまでの場合がありますから。

沢田 ですよね。広島は約6キロまでですか?10キロまでありますか?

小笹 定義としては10キロまでです。

沢田 はい。だけど当時の広島市の地域が10キロまでなくて、6キロぐらいで
切れていますから、僕は6キロにしているのですけれども。だからそういう
データが調べられてまとまっていると使えるわけです。インゲさんも、発表
されたデータに基づいて日本人平均と較べるということで、コホート、すご
く被曝しているということを見出されているわけですよね。

だからデータがそういう被曝距離という形で発表されていれば、降下物の影
響の研究に役立ちます。僕が知っているのは渡辺智之さんらの論文で、ご存
知ですか?彼は名古屋にいらっしゃるから、いろいろと議論ができるのです
けれども、放影研のLSSのがん死亡率を岡山県民、広島県民と比較され、最近
では日本人平均と、年齢ごとで区分した研究をやられていますよね。そうい
うふうに活用できるわけですけど、急性症状の下痢については、どこにも発
表されてないですよね。

小笹 まあ、そういう形で出ているかどうかは分かりません。

沢田 だからそういうのを利用するにはどうしたらいいか。何か方法はあり
ますか?

小笹 公刊されているTR(研究報告)については、請求していただければ出
すことはできます。

沢田 公刊されているものはね。でも公刊されていない、だからここで調べ
られてないものをどう利用するかというと、だからそれは難しいのですね?

小笹 それはですねえ。今、おっしゃったデータについてはきちんと残って
ないのです。

沢田 残ってない?

高橋 1950年代の初期の資料とかが残ってないということですか?

沢田 でも調査カードがありますよね。これはちゃんと残ってますよね。そ
れを見れば分かるわけですね・・・。

小笹 もしそれをやるとなるともう一度入力するというかそういう作業をし
ないと。

沢田 そういう作業を誰かやらないといけないのですね。元のデータはある
わけですよね。

小笹 はい。

沢田 だけれどもデータ化された形で残っていない、と、おっしゃっている。

吉木 だから生データをもらったらいいですね。

小笹 ABCCの調査のデータは残っていますけれども、それが今、おっしゃっ
たような用途に適切かどうかということが分からない。

守田 その生データを出していただくことはできないのですか?

小笹 それはできません。

守田 それはなぜなのですか。

沢田 国が原爆症認定裁判などで必要なときに、ABCCが調べたということで
ぱっと出てきますね。それは裁判のときは出てくるのですね。

寺本 個人のですか?個人のご本人の同意がある場合は・・・

沢田 裁判だからでるのですね。

寺本 はい。あくまで個人情報ですから、一般的に外に対して提供するような
性格のものではないですね。

沢田 だからそれを調べようとすると、ここの研究員にならないとできないの
ですね。

寺本 ここの研究員であっても、個別のデータを解析の場合にそういう方法を
とればやりますけれども、個人と特定できるような形では見てないです。

守田 放射線の影響というのは、個人のデータとは言えない側面があるのでは
ないでしょうか。

寺本 だから研究する場合に、研究者が、だれだれさんのとか、そういう形で
は見ないように、しかし研究のために、個別の人ごとのデータが必要なときに
は名前を出すとかしています。

高橋 そういう方法があるわけですから

吉木 よろしくお願いします。

寺本 さきほども説明したとおり、オープンにしています。

吉木 ですから1年間に1回でも良いですから、定期的にこういうチャンスを設
けていただきたいというのが私の要望です。たぶんインゲさんもセバスチャン
さんもそれに同意すると思います。

寺本 ドイツから来られるのですか?

吉木 来る可能性もあります。

沢田 僕の説明を、ちょっとこの図を使いますが、インゲさんがやったように、
遠距離の被爆者を、今ここでは、初期放射線による被曝線量区分を使ってやっ
てらっしゃるわけですね。それでここのデータを使えないものですから、広島
大学の原医研のデータで調査されていますね。それは広島県民に限っているわ
けです。その中の被爆者だけを非被爆者と比較して調べているわけです。その
データを使って、かつてABCCで調べた遠距離の被爆者がどれだけ降下物の影響
を受けているのかということをやって、10ページのところに図があるのです
けれども、(ここから英語のため省略)

・・・続く
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明日に向けて(521)ECRR会長、ドイツ放射線防護協会会長と放影研へ!!中

2012年08月06日 23時30分00秒 | 明日に向けて(501)~(600)
守田です。(20120806 23:30)

みなさま。今日は広島に原爆が投下された日です。この原爆によって犠牲
になられた全ての方々に哀悼の祈りを捧げたいと思います。

この「広島原爆の日」にNHKが再び興味深いドキュメントを放映しました。
「黒い雨、生かされなかった被爆者調査」という番組で、この間、ここで
紹介してきたABCC=原爆傷害調査委員会が、かつて放射性物質を含んだ雨
である「黒い雨」による被害調査を行っていながら、それを生かしてこな
かったことを告発したものでした。

ある方から実はこの番組には、元番組があることを教えていただきました。
本年1月20日に放映された「黒い雨・・・明らかになった新事実」という
番組です。これは以下からみることができます。
http://cgi4.nhk.or.jp/eco-channel/jp/movie/play.cgi?movie=j_face_20120120_1742

今日の番組の重要なので、今後、文字起こしなどしますが、いずれにせよ
これらの中で、放影研の持つ重要性がどんどん明らかになりつつあると
言えます。


すでにお知らせしてきたように、「市民と科学者の内部被曝問題研究会」
は、この6月26日に、訪日していたECRR会長、インゲ・シュミッツ‐ホイエ
ルハーケさんと、ドイツ放射線防護協会会長セバスチャン・プフルークバ
イルさんと一緒にこの放影研を訪問し、実に重要な会話を交わしてきました。

僕もそれに同行し、案内の記事の上を書いて、すぐに続編を書く旨、お知ら
せしたのですが、諸般の事情でなかなか進めることができませんでした。
そうこうしているうちに、NHKで内容の深い番組が連続的に流され、なおか
つ広島・長崎の日が近づいてくる中で、記録の整理を急ピッチで進め、報告
の形にまとめたものを、同会の国際・広報委員長の吉木健さんとともに、
作成することができました。

写真も含めた全文を、同会のHPに載せましたので、ご覧ください。ただし
長文になりますので、ここの場で、いくつかにわけて報告させていただき
たいと思います。全文のURLは以下の通りです。
http://www.acsir.org/news/news.php?RERF-Prof.Dr.-Schmitz-Feuerhake-Dr.-Pflugbeil-ACSIR-22

今回はこの中から、吉木さんが作成してくださった会見全体のアウトライン
についてご紹介します。以下、文章を貼り付けます。なおRERFとは放影研の、
ACSIRとは私たちの会の頭文字をとった略称です。

*****

放影研RERFとProf.Dr. Schmitz-Feuerhake、Dr. Pflugbeil及びACSIRとの会談
-第一報 概要*-

*専門的内容については的確にフォローできないため、沢田理事長が別途第
二報を提出予定


(文責 吉木 健)
日時:2012年6月26日 10:00~12:00

出席者
RERF-寺本隆信/業務執行理事、小笹晃太郎/疫学部長*
* 寿命調査集団、胎内被爆者集団、被爆二世(F1)集団の長期追跡調査で、
放射線被曝の健康への影響の疫学調査を実施。

ACSIR-Prof.Dr.Inge Schmitz-Feuerhake、Dr. Sebastian Pflugbeil、
沢田昭二理事長、高橋博子副理事長、守田敏也広報委員長、
吉木健国際委員長、Dr. Ulrike Wöhr (広島市立大教授/通訳)、
三崎和志(岐阜大地域科学部准教授/通訳)



[発言:寺島-小笹-インゲ-セバスチアン-沢田-高橋-守田-吉木-]

発言は内容の要旨で、聞き取りが困難な発言や特に記録の必要がない発言は
除外した。特に断らない限り英語。(日)は日本語で発言。

会談に先立ち、ヴィデオの撮影を要望したが断られた。代わりに音声録音の
許可を申し出て同意を得た。この会談内容はサウンドレコーダーの記録に基
づいている(守田及び吉木)。
*:参考に入れた注。

会談は会話体ですべての発言を記録することが理想的であるが、小型のレコ
ーダーの性能の限界があり、また会場の設置場所の適否、さらには専門的な
発言内容の問題もあるので中心的テーマごとの要点を記すこととした。


会談はRERFの寺本氏の司会で始められ、ASCIRの希望により基本は英語とし、
必要に応じて日本語等も使用。ドイツ語も通訳を通して使用された。


自己紹介

寺本氏の発案で参加者全員の自己紹介が行われた。通訳を除く発言順。
要旨を記す。

寺本理事/科学以外の業務執行理事で広報、倫理調査等担当。7年間在籍。
広島生まれ。

小笹博士/疫学部に4年前に就任。

Prof.Dr.インゲ・シュミッツ-フォイエルハーケ(以下インゲ)/物理学者
で1974年に ヒロシマの研究所(当時ABCC=Atomic Bomb Casualty
Commission=原爆傷害調査委員会)を訪問。長年にわたり研究している。

Dr.セバスチアン・プフルークバイル(以下セバスチアン)/(ドイツ)放射
線防護協会の会員(会長)。数年前からRERFの研究もしている。

吉木/今回の会談をさせていただいたことに感謝し、ACSIRの会員に会談内
容を伝えたい。

高橋/広島市立大 広島平和研究所の講師。アメリカの歴史を専攻。特に原
爆関係の公文書を研究。特にABCCとRERFに関心が深い。

守田/フリー・ジャーナリストでACSIRの常任理事。

沢田/広島生まれ。中学生時に広島原爆で被爆。母は崩壊家屋に挟まれ動け
ず、生き残るためここを離れよと命じられた経験をした。後に素粒子物理学
を専攻し原爆の放射性降下物の影響を明らかにした。

注 なお放影研の小笹博士は、同研究所による「原爆被爆者の死亡率に関す
る研究第14報 1950–2003 年:がんおよびがん以外の疾患の概要」の筆頭執筆
者でもある。


原爆による被曝を巡って

寺本氏が小笹博士に最近の研究の紹介を要請したが、時間への配慮から質問
などに答えることとなった。
インゲ博士が口火を切って原爆の被爆について見解を述べ、沢田理事長が
(長崎を含む)自らの研究成果(脱毛と下痢等)を述べた。

以下は会談の主要の一部で、詳細は別途報告される沢田理事長の第二報参照。

寺本-会談に移りましょう。小笹博士に最新の研究を紹介してください。
小笹-時間をかけて説明するより質問などをお聞きした方が良いでしょう。

インゲ-放射線防護協会の被験者について職業上の被曝の問題に直面してい
る。あなた方のLSS(寿命調査)http://www.rerf.or.jp/glossary/lss.htm
についてコホート*が世界的に参照とされています。(*特定の地域や集団に
属する人々を対象に、長期間にわたってその人々の健康状態と生活習慣や環境
の状態など様々な要因との関係の調査)
残念ながらもし何らかのことが見出されているのでなければ、被験者ははっ
きりしない疾病のことを話しています。これについては議論するつもりはあ
りませんが、職業上の分野ではnon cancer(非ガン)影響が多く観察されて
います。ICRPの最近の勧告では0.5Sv以下ではnon cancerは観察されないとし
ています。私が尋ねたいのは、これはこれまでに確認されたのかどうかです。
私の見るかぎり直線閾値なし線量モデル*と矛盾しているのではないか。ICRP
はかようなことについての懸念はないとしています。

*(linear non-threshold model /LNT-放射線のリスクが線量に比例すると
いうモデルで線量が小さいとリスクは比例して小さくなる。

小笹-LNTについてはガンだけにかかわることです。non cancer(非ガン)に
ついては大変複雑でかなり弱い*。さらに詳細な分析が必要です。*LNTか

高橋 1952年・53年に、ABCCがME-81という残留放射線に関する調査に取組ん
でいたことは、私の著書(『新訂増補版 封印されたヒロシマ・ナガサキ』
凱風社、2012年)にも掲載したウッドベリー博士の文書からも明らかであ
る。残留放射線、入市被爆者たちの調査をしようとしていたのに、何故打ち
切ったのかも明らかにしてほしい。


RERFのデータの開示について

沢田 被爆者の生存期間はこれからそう長くはない。RERFのデータは人類に
とって重要だ。どうか低線量の影響の研究をして出版して戴きたい。

高橋 RERFとABCCで集積されたデータは広島と長崎の被爆者と人類に属するも
のだ。それらはRERFに占有さるものでなく、広い範囲の科学者と共有すること
をお願いしたい。

これらのリクエストに対してRERFはRERFが全てをカバーしているわけではない
がHPに開示してきたと回答。
HP:http://www.rerf.or.jp/programs/index.html
最新の学術論文:http://www.rerf.or.jp/library/archives/index.html 。

高橋 学術論文などの成果だけではなく、RERFの所有する生のデータの開示が
必要だ。最近「黒い雨」に関する事実が明らかにされているが、これも長らく
開示してこなかったではないか。

インゲ さらなるデータの開示を求める。「当初から開示しておれば、研究の
内容もゆたかになり、被曝による被害を少なくできたかもしれない。」

沢田 私の研究もRERFのデータに依存している。

吉木 データの開示については専門家が不十分だといっている。RERFはデータ
はRERFの所有と考えているかもしれないが、これは被爆者のものであり、ひい
ては人類のものではないか。どう考えているのか。

小笹 きちんと残っていないデータもある。カードとしてのデータはある。

沢田  生のデータを開示していただきたい。国の裁判では出せているが。

REDF 同意があれば出せる。だが一般的には出せぬ。個人の個別のデータは出
せない。

吉木 個別であっても匿名であれば出せるはず⇒ノーコメント

沢田 インゲ 研究者には個別のデータをよろしくお願いしたい。


低線量被曝、内部被曝について

守田 戴いた放影研のパンフレット「分かりやすい放射線と健康の科学」のp3
にγ線、α線やβ線の性質の説明があるが、内部被曝についてはパンフ全体に
も触れていない。γ線だけ怖いと思われているが、内部被曝ではα線やβ線が
重要なので配慮されたい。

(注)戴いた放影研の要覧には「有意な放射縁量」とはとの質問に対する答えで
は次のように記されている(p47)(吉木)。
『ガンのリスクの考察では5mGy(グレイ)以上の被曝者に焦点を置いている。こ
れ以下の低線量被爆者のガンやその他の疾患の過剰リスクは認められていない。
この値は一般人が受ける年間の放射線量(0.1mSv~1mSV)より高い。』

要覧には放射線の早期影響や後影響、遺伝的影響、放射線量、また寿命調査
(LSS)などの調査集団の研究などが紹介されているが、低線量の被曝、また内
部被曝は研究対象に入っていない。

沢田 放影研は寿命調査集団(LSS)の0〜0.005Svの初期放射線被ばく線量区分
のがんなどの晩発性障害の死亡率、あるいは発症率を実質上被ばくしていない
比較対照群(コントロール)として放射線によるリスクの研究をしている。初期
放射線被ばく0.005Sv以下は広島では爆心地から2,700メートル以遠の遠距離で、
ガンマ線しか到達していないので0.005Sv=5m Gyとしてよい。5mGy以上との説明
は実質的に比較対照群にしていることの表明であるが、初期放射線のみで放射性
降下物の影響を無視した研究であるので低線量被曝者とは言えない。


今後のRERF

今回がRERFとの会談の最初だが、今後継続して戴きたいとの要望(吉木)に対し
て受け入れるとのことであった(寺本理事)。

また小笹博士からは低線量の曝露のついては困難を伴うがreformが必要との発言
があった。REDFが自ら変わっていくのは困難だろうが、われわれとしては、こう
した発言も念頭にいつつ、RERFの今後を見ていく必要がある。

会談は約一時間半に及びその後放影研内寺本理事に案内していただき、全員で
放影研の前で記念撮影した。
コメント (3)
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明日に向けて(520)連載500回を越えて・・・カンパのお願い

2012年08月04日 23時30分00秒 | 連載の節目に・・・カンパのお願い
守田です。(20120804 23:30)

「明日に向けて」が7月1日の段階で501回に入り、今日の段階で520回を
迎えました。それ以前の「地震情報」を46回出していますので、現在
566回を数えることになりますが、ともあれ500回を越えたことは自分で
も感慨深いものがあります。

本当はこの段階で何かコメントを書こうと思ったのですが、6月末の、
ドイツのお二人と広島から東京へと同行した行動のこと、その後の大飯
原発再稼働反対運動へのコメント、そして7月中旬からの岩手県大槌町
から山形・米沢・会津若松の訪問が続き、書く余裕が持てませんでした。

ようやく少し講演の手があくなかで、今日、400回から520回を自分なり
に振り返り、この間の講演や訪問などをまとめることができました。
そしてそれらをもとに、みなさんに、再度、カンパの要請の呼び掛けを
させていただこうと思います。


この3月から7月の行動は、僕自身にとってそれまでの行動よりも質の変
化の上に重ねてくることができたものでした。それは一つには講演に呼
んでいただく機会も、呼んでいただける地域も大きく拡大したことに現
れています。とくに5月から7月にかけて行った講演・司会は43回。2日
に1回近いペースで、いろいろな地域を駆け巡らせていただきました。

同時に自分なりには、「がれき」問題の切迫性の中で行われ西日本各地
の集会や、福島・宮城・岩手・山形においての、それぞれの切実な放射
線防護の必要性と結びついた講演活動を積み重ねてくることができたよ
うに思っています。僭越ですがそれぞれの場のみなさんに何がしかの貢
献ができたように思います。

違った言い方をするならば、それぞれ、僕を呼んでくださったみなさん
が単に知識を求めて集会を行ったのではなく、知識を糧に行動されて
いった。僕が提供したものを自由に取り込んでくださり、血に肉にかえ
てくださって、それぞれのパワーに変えていかれた。そんな質の高い交
流の積み重ねを本当にたくさんの場でできたように思うのです。

何というか、そこには私たち民衆の覚醒の過程、私たち民衆が力を得て
いくこと、デモス(民衆)のクラチア(力)を拡大していく素晴らしい
息吹がありました。しかもそれは急速に育ちつつある。おそらく日本中
でこういうことが起こっていて、それが首相官邸デモなどにもつながっ
ているのだという実感が僕にはあるし、そのささやかな一翼を僕も担う
ことができたのだと自負しています。とても喜ばしいことです。

こうした活動が可能になったのは、みなさんが繰り返し、カンパをして
くださり、またさまざまな活動で僕の行動を支えてくださったからです。
みなさんの全てのサポートに対して、心かの感謝を述べさせて頂きます。


ここからぜひともさらに前に進みたい。大きく問われるのは、脱原発運
動そのものの深化・発展・拡大と、それに密接に絡むものとしての放射
線防護活動の深化・発展・拡大です。前者では首相官邸前行動や大飯原
発再稼働反対現地行動などにみられる直接行動をさらに強化することや、
ようやく産声をあげた緑の党を育てていくことなどがありますが、これ
と同時に、現に今、膨大に漏れている放射能への対策も強化していく必
要がある。

僕自身はとくに後者を担うことを自分の役割と考えているわけですが、
そのためには第一に、放射線防護の理論的・科学的・思想的内容をさら
に前進させることが必要だと思っています。この点では6月に大変刺激を
受けたECRRが切り開いてきている地平を完全に我がものとする形で学び、
発展させていく必要があります。そのことでICRP批判の地平をさらに大
きく高める必要があるし、それが可能だと思っています。

第二に、こうした地平にたちつつ、放射線計測の市民的質をアップして
いく必要があります。とくにこの間の幾つかの市民測定所の優れた実践
に学び、それを市民相互が共有し合っていくこと、ないしはその可能性
を大きく拡大することが問われています。これをすでにこの領域をリー
ドしている方たちに学び、結合して進めていく必要がある。

第三にさらにこうした作業をより高度に組織化していくことが必要です。
といっても上から何かの組織的なものをかぶせていくのではありません
が、個人の努力の枠を越えた有機的な連関を作り出していくこと、例え
ば市民測定所の連関であるとか、土壌調査・尿の調査の市民的組織化で
あるとか、そうした面での市民活動相互のリンクをもっと強めていくこ
とが大切だと思います。

第四にそれを健康被害調査にまで広げていく必要がある。そのための有
効な調査方法、データ収集のあり方そのものを開発し、進めていくこと
が必要です。より正確に言えば、上述のものも含めて、すでに多くの方
たちが着手しているそれらのことをより組織的に進めるということです。

第五にこうしたことを可能とする何らかの組織的動きを強めることが求
められます。僕はそのひとつが「市民と科学者の内部被曝問題研究会」
を発展させていくことだと思っていますが、それ以外にも可能なあらゆ
ることにチャレンジしていく必要があると思っています。その中には新
たなメディアの立ち上げへの挑戦、新たな冊子の発刊、新たな本の執筆
などなども含みます。実はすでに各方面から話が舞い込んできているの
で、それらを足がかりにできることを考えようと思っています。

ともあれそれらに可能な限り尽力することで、私たちの国の放射線防護
活動の質を格段に上げていくこと、そのことに僕は自分の全精力をつぎ
こんでいこうと思います。

そのためには資金が必要であり、みなさんにお力添えを訴えようと思い
ます。これまでの僕のカンパの訴えは、我が家の経済状況の苦境に関し
てのもので、われながら悩ましい思いでの発信とならざるをえませんで
した。その状況が抜本的に変わったわけではないのですが、しかしこの
間、講演回数が大きく増えたこと、また同時に謝礼も増やしていただけ
たことなどにより、何とか生活を回すことは出来始めました。またこの
点は、さらに資金獲得のためにも、有効な冊子を作るなどして、展望を
広げたいと思っています。

ではなぜカンパを訴えるのか。何よりもこうした活動をさらに拡大する
ためにです。とくにもっと頻繁に東北・関東との往復をしていく必要が
ある。もっと頻繁に各地に赴き、調査を行い、交流を行い、記事を書き、
それで各地をつなげていく必要がある。とくに重要なのは福島県のみな
らず、岩手、宮城、山形などなど東北各県への関わりの強化です。ここ
から大きな声があがってこそ、私たちの国の放射線防護は抜本的な強ま
りを見せていくことができるようになる。それは脱原発の声にそのまま
連なるものになりますが、そのための活動資金を求めたいのです。

繰り返しのカンパ要請ですが、今回は気がひけるなどとは言わずに、積
極的にみなさんにサポートをお願いしようと思います。必ずそれを放射
線防護活動の発展につなげますので、みなさま、どうかよろしくお願い
いたします。振込先を以下に記しておきます。

振込先 郵貯ぎんこう なまえ モリタトシヤ 記号14490 番号22666151
他の金融機関からのお振り込みの場合は
店名 四四八(ヨンヨンハチ) 店番448 預金種目 普通預金
口座番号 2266615

***********

2012年2月中旬から2012年8月4日までの歩み

【2月】(15日以降)

2月15日 国際婦人年で講演

2月18日 「あすのわ」で講演(滋賀県大津市)

2月25日~27日 福島市内にて放射能除染回復プロジェクトに参加

2月合計で講演5回演説3回
福島市内訪問

【3月】

3月1日 給食人サークルで講演(京都市東山区)

3月6日 『内部被曝』岩波ブックレット上梓

3月9日 岩波書店『世界』4月号に「放射線防護に市民と科学者が立ち上がった」を掲載

3月10日 ばいばい原発310京都に参加

3月11日 映画『バベルの塔』で講演(京都市同志社大学)

3月15日 修学院児童館で講演(京都市左京区)

3月18日 北区母親大会で講演(京都市北区)

3月25日 高木基金放射線測定室講習会に参加

3月27日 『内部被曝』出版記念会で講演(京都市伏見区)

3月30日 福島大学荒木田さんと対談(京都市下京区)

講演・対談6回 デモ参加1回 講習会参加1回
『内部被曝』岩波ブックレット上梓
「放射線防護に市民と科学者が立ち上がった」(『世界』)執筆


【4月】

4月1日 肥田さん修学院講演会に参加

4月2日 肥田さん本願寺講演会に参加

4月5日 京丹波果歩果歩にて講演(京都府京丹波町) 

4月8日 京都測定所オープン講演(京都市伏見区)

4月14日 小水力シンポジウムに参加(京都市)

4月15日 四日市ハハ山イベントで講演(三重県四日市市)

4月21日 映画『子どもたちの夏チェルノブイリ福島』で講演(京都市みなみ会館)

4月22日 「市民と科学者の内部被曝問題研究会」設立総会・講演会に参加(東京都)

4月28日 同志・安藤栄里子さんとのお別れ会に参加

4月29日 「がれき」問題学習会に参加(京都市左京区)

講演4回
内部被曝問題研の参加。常任理事、広報委員長、総務企画委員に就任


【5月】

~「がれき」問題で連続講演~

5月5日 関西電力京都支店前行動に参加

5月7日 キッチンハリーナにて講演(京都市左京区)

5月8日 篠山市市民センターにて講演(兵庫県篠山市)

5月9日 たかつかさ保育園にて講演(京都市北区)

5月10日 近江八幡にて講演(兵庫県近江八幡市)

5月10日 キッチンハリーナにて講演(京都市左京区)

5月11日 尾道にて講演(広島県尾道市)

5月12日 ひまわり保育園にて講演(京都府綾部市)

5月12日 保育園保護者などに講演(京都府綾部市)

5月19日 富士吉田市で講演(山梨県富士吉田市)

~矢ヶさんとジョイント講演~

5月20日 仙台市で講演(宮城県仙台市)

5月21日 放射線測定室「小さき花」訪問

5月22日 放射線測定室「てとてと」訪問

5月23日 福島大学シンポジウムに参加(福島県福島市)

5月24日 福島市で講演(福島県福島市)

5月25日 矢ヶさんと南相馬小高地区など調査

~矢ヶさんとの同行はここまで~

5月27日 伏見区エコロジーセンターで講演(京都市伏見区)

講演13回
富士吉田市・仙台市・宮城県南部・福島市・飯舘村・南相馬市訪問


【6月】

6月1日 さつき保育園で講演(京都市北区)

6月2日 北区ライトハウスで講演(京都市北区)

6月4日 カライモブックスで講演(京都市上京区)

6月8日 「フクシマから考える一歩の会」で講演(広島県尾道市)

6月9日 宇治市生涯学習センターで講演(京都府宇治市)

6月10日 肥田舜太郎さん講演会に司会として参加(京都府京丹波町)「

6月16日 京都市茶山のさとで講演(京都市左京区)

6月20日 エルコープ西センターにて講演(京都市南区)

6月22日 映画『チェルノブイリハート』で講演(兵庫県篠山市)

6月23日 映画『チェルノブイリハート』で講演(兵庫県丹波市)

6月23日 舞鶴社会保障推進協議会定期総会で講演(京都府舞鶴市)

6月23日 舞鶴市市民交流会に参加

6月24日 三重県四日市市で講演(三重県四日市市)

6月26日 ドイツのお二人と放影研訪問

6月26日 ドイツのお二人の講演会に司会で参加(広島県広島市)

6月28日 お二人の京都講演会に参加

6月29日 お二人の東京講演会に参加

6月30日 飯舘村長谷川健一さんと対談(京都市龍谷大学)

6月30日 映画『内部被ばくを生き抜く』で講演(京都市下京区)

講演・司会15回
ECRR会長とドイツ放射線防護協会会長の放影研訪問、広島・京都・東京講演に同行


【7月】

7月6日 白い鳩保育園にて講演(京都市北区)

7月7日 小水力関連で古谷さんと対談(京都市東山区)

7月8日 長岡京市にて講演(京都府長岡京市)

7月14日 大槌町寺野勤労体育館にて講演(岩手県大槌町)

7月14日 大槌町第5集会所にて相談会(岩手県大槌町)

7月15日 大槌町吉里吉里吉祥寺で講演(岩手県大槌町)

7月15日 大槌町安渡第2集会所にて相談会(岩手県大槌町)

7月17日 山形市遊学館にて講演(山形県山形市)

7月18日 山形市遊学館にて講演(山形県山形市)

7月18日 米沢市伝国の杜置賜文化ホールで相談会(山形県米沢市)

7月18日 米沢市伝国の杜置賜文化ホールで講演会(山形県米沢市)

7月19日 会津若松放射能情報センターで講演会(福島県会津若松市)

7月21日 西陣和楽園で講演(京都市北区)

7月22日 東山区やすらぎふれあい館で講演(京都市東山区)

7月29日 北部クリーンセンター近くで講演(京市右京区)

講演15回
岩手県大槌町、山形市・米沢市・会津若松市訪問




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明日に向けて(519)アメリカによる内部被曝隠しと放射線影響研究所 その2

2012年08月02日 21時30分00秒 | 明日に向けて(501)~(600)
守田です。(20120802 21:30)

放射線影響研究所に関する考察を続けたいと思います。

前回の記事で、放影研に関する特集番組を紹介した。非常に突っ込んだ内容の
報道だったと思いますが、前提のない方にはわかりにくい面も多かったかと思
います。そこで今回は、放影研を論じる際の基礎となるものをおさえておこう
と思います。


放射線防護における放影研の位置性

放影研は私たちが今、福島原発事故と向き合うとき、とくに放射線被曝からの
防護を推し進めるときに、非常に重要な位置を持った組織として存在していま
す。なぜなら、放射線防護の指針の大元になる、放射線と人間の関係の基礎的
なデータを与えてきたのがこの組織だからです。

放射線と人間の関係を突き詰めていったとき、とくにどれぐらいの放射線が、
どれだけのダメージを身体におよぼすかを考察する際、私たちは必然的に広島
と長崎で投下された原爆の問題に行き着いてしまいます。なぜならこれほど
大規模な放射線被曝を被った経験が人類には他にないからです。

いいかえれば、私たちが今、考察の元にしている放射線と人間の関係に関する
データは、広島・長崎の被爆者の調査から得られたものなのです。そしてその
ための調査を勧めたのが、この放射線影響研究所の前進のABCC(Atomic Bomb
Casualty Commission)というアメリカによって作られた組織でした。

設立は1947年。日本名を「原爆傷害調査委員会」といいました。全米科学
アカデミー・学術会議の管轄とされましたが、実はアメリカ軍が大きく関与し
ていました。というよりもアメリカ陸海軍が、学術会議の体裁を装いつつ、
設立したのがこの組織でした。


放影研の前進のABCCが目指した内部被曝隠し

その目的な何か。一つには、原爆の兵器としての威力を知ることでした。とく
に研究対象とされたのは、原爆が爆発された時に直接に発せられる放射線の
威力でした。原爆が爆発すると、中心部から高線量の中性子線とガンマ線が飛
び出してくるのですが、それが人体をいかに破壊するのかが重視されました。

つまり兵器としての直接的な殺傷能力の研究です。いかに「敵」を倒せるかの
研究の他に、アメリカ軍が原爆攻撃を受けた場合に、どれだけの兵士が生き残
り、反撃に転ずることができるのかを試算するためのものでもありました。そ
のために原爆炸裂と同時に人々が浴びる放射線のダメージが研究対象とされた
のです。これは今もなお、放影研の研究の基軸にすえられています。

一方でABCCが大きな目的としたのは、この原爆が破裂した時に飛び出してくる
放射線・・・初期放射線と呼ばれましたが・・・に対して、あとから死の灰と
して降ってくる放射性物質からの被曝の影響を、全くないものとしてしまうこ
とでした。事実、ABCCはそうした報告を長年にわたって出し続けました。

実際には、原爆破裂後に発生したきのこ雲の中に、膨大な数の核分裂性放射性
微粒子が生まれ、広範な地域に効果しました。これを浴びたり、吸い込んだり、
あるいはこれによって汚染されたものを飲食することにより、広範な人々が
内部被曝をしたわけですが、アメリカはそれをそっくり隠そうとしたのでした。

このため被爆者調査の「一元化」が行われ、他の機関がけしてデータの蓄積や
原爆による人体への影響の研究をすることがないように、厳重な監視が行われ
ました。その意味で、ABCCは内部被曝の被害を隠すことそのものを、アメリカ
軍の核戦略の重要な一環として担ったのです。


なぜアメリカは被曝実態を隠そうとしたのか

それはなぜだったのか。実は1920年代にショウジョウバエにX線をあてる研究の
中で、次世代に突然変異が起こることが確かめられていたことを経緯としつつ、
原爆投下直後から、ヨーロッパの遺伝学者たちの中から、原爆の兵器としての
非人道性の告発が始まったからでした。

同時に、日本の敗戦後に広島に乗り込んだジャーナリストが、その惨状を世界
に向かって発信しはじめました。イギリスの『ロンドン・デイリー・エクスプ
レス』は「広島では・・・人々は『原爆病』としか言いようのない未知の理由
によっていまだに不可解かつ悲惨にも亡くなり続けている」と報道しました。
(1945・9・5)

またアメリカの『ニューヨーク・タイムズ』は「原子爆弾は、いまだに日に100
人の割合で殺している」と書きました。(1945・9・5)アメリカ軍はこれらに対
処する必要から、原爆製造計画=マンハッタン計画の副責任者のファーレル准
将を翌日6日に東京に派遣して記者会見を行います。そして「死すべき人は死ん
でしまい、9月上旬において、原爆で苦しんでいる者は皆無だ」と声明させまし
た。

さらに9月19日にはプレスコードによって、原爆に関する報道を全面的に禁止し
てしまいました。原爆被害の全資料は最高軍事機密とされ、米軍による一元的
管理のもとに置かれたのです。こうしたことの継続として、1946年末にABCCの
設立が計画され、1947年からその歩みをスタートさせたのでした。


内部被曝隠しと被爆者の切り捨て

では内部被曝はどのようにして隠されたのでしょうか。まず第一に、放射線の
害を原爆破裂時に飛び出してきた中性子線とガンマ線、およびそれによって放
射化されたものに限定することによってでした。アメリカはこの放射線の到達
範囲を爆心地から半径2キロ以内とし、それ以外の人々はまったく放射線を浴
びていないことにしてしまったのです。

このため原爆投下時に爆心地の近郊にはおらず、あとから救助に向かったり、
家族を探すなどして市内に入り、対象の放射性物質を吸引して内部被曝した
人々、長らく「入市被爆」と呼ばれてきた人々が、対象外に置かれてしまいま
した。きのこ雲の下にいて、大量の放射性物質の降下にさらされた人々も同じ
でした。

こうしたアメリカの目的を維持するために、ABCCは強引な調査を続けました。
前回の「報道特集」の中でも触れられていたように、いやがる被爆者をジープ
を乗り付けて強引に連れて行き、裸にして検査を行い、極めつけとして何の医
療行為もしませんでした。医療行為をすると被害の証拠が残るためだからでし
た。ABCCはこうした被爆者に起こった全てのことを一元管理したのでした。

しかも放射線の殺傷能力に関心を持つABCCは、被爆者の遺体を求め続け、さま
ざまな手で強引にわがものとして解剖を繰り返しました。被爆者の内蔵標本な
どを作り、原爆の威力の研究のために使ったのですが、こうした姿勢は、被爆
者の批判、恨みを根深く受け続けることになりました。

これらのために被爆者は、二重・三重の苦しみを背負わされました。まずアメ
リカが報道管制を敷いて、原爆に関するあらゆることを秘密事項としてしまっ
たために、被爆者の惨状は日本国内ですら社会的に伏せられてしまい、何らの
救済も及ばない時期が長く続きました。被爆者に対する法的援護が始まったの
は、被爆後10年以上も経ってからでした。

さらに内部被曝隠しのもとで、たくさんの実際に被爆した人が「被爆者」とし
て認められなかったり、認められても、自分の病気を放射線のせいだとは認め
られないといったことがたくさんおこりました。とくに被爆者のうち、放射線
を浴びて病にかかったと認定された人は「原爆症認定」を受けることになりま
したが、その数は被爆者全体のごくわずかにとどまり続けました。

ABCCは内部被曝を隠し続けるために、こうした被爆者の苦しみを放置し、救済
の道を遠ざけ続けたのであり、まったくもって非人道的で酷い役割を果たし続
けてきたことが批判される必要があります。ABCCを引き継ぐ放影研は何よりも
このことを被爆者に対して謝罪すべきです。


非常に甘い放射線防護基準の創出を下支え

ABCCと放影研の果たしてきた役割はそれだけはありませんでした。このように
内部被曝を伏せたままのデータを、放射線と人間の関係の基礎的データとして
世界に公表することで、ICRP(国際放射線防護委員会)による放射線防護基準
の策定をデータ面で支える役割を果たしました。

この場合のデータも、内部被曝を隠したことにとどまらず、さまざまな形で実
際の被害を過少に見積もる操作が繰り返されたものでしたが、このことでABCC
と放影研は、世界中の人々に、微量は放射線は危険ではないとして、事実上、
被曝を強制する役割を担いました。

広島・長崎の被爆者から得た恣意的なデータを利用して、放射線被曝の影響を
小さく見積もり、世界中の人々に、さらなる被曝を強いてきたわけですから、
ABCCと放影研が行ってきたことの罪は極めて深いといわざるをえません。しかも
それは今日、世界の「放射線学」のベースをも形作っているのです。

福島原発事故による膨大な放射能漏れと、それにもかかわらずものすごい数の
人々が、汚染地帯に今なお住んでいる現実を見るとき、私たちはこうしたABCC
と放影研、そしてICRP(国際放射線防護委員会)が築き上げてきた内部被曝隠
しものとでの虚構の「放射線学」を解体し、真の被曝の科学を打ち立てること
こそが問われていることを痛感せざるをえません。


TBS特集番組の突き出したもの・・・求められるのはデータの全面公開!

こうした観点から見るときに、今回の報道特集において、内部被曝の研究をして
こなかった放影研が、膨大な放射能漏れを引き起こした福島事故と、その低線量
被曝の影響においては、何ら参考にたる蓄積を持っていないことを引き出したこ
とは、それ自身が画期的な位置を持っていることだと言えます。

なぜなら事故後に行なってきた政府による「放射能は怖くないキャンペーン」や
これを支えてきた「原子力村」に連なる人々の言動のほとんどが、ABCCと放影研
が積み重ねてきたデータに基づく、ICRP=国際放射線防護委員会の言質の上に
たっているものであり、この番組での放影研・大久保理事長の発言は、これらの
論拠を根底から解体するに等しい重みを持っているからです。

その意味で私たちは、ここで述べられた放影研の見解を公式文書として引き出し、
今後、内部被曝を含む低線量被曝の考察において、放影研のデータは利用するに
値しないこと、また放影研のデータに基づくあらゆる言質は今後通用しないこと
をはっきりとさせていく必要があります。ここまで私たちが行うことで、この
番組が突き出したものは非常に大きなものとなりうると思います。

その上で、私たちはこの番組の中で表明されている放影研の方向転換については
真摯な反省を媒介としたものではないが故に、信用に値するものではないことも、
確認しておかねばならないと思います。先にも述べたように放影研は長年にわた
る被爆者への仕打ちをこそ誠意をもって謝罪すべきであり、それを方向転換の
土台とすべきです。

さらに放影研が今すぐになすべきことは、被爆者から強引に収集した全てのデー
タを公開し、多くの人々の自由な研究の手に委ねることによって、国家機関の手
から離れた真の内部被曝研究の道を切り開くこと、そのために貢献することであ
ると言えます。私たちは今後、このことをこそ放影研に求めていくのでなければ
なりません。報道特集はこうした重大な問題を引き出すことに成功しました。
これを受けた私たちの行動が今、問われています。
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