明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(2396)新たに見えてきた福島原発事故の真実―なんと冷却水がメルトダウンを促進していた!(『福島第一原発事故の「真実」』(NHKメルトダウン取材班)の読み解きから)

2024年03月16日 23時30分00秒 | 明日に向けて(2201~2400)

守田です(20240316 23:30)

福島原発事故から13年を経た3月10日のJR奈良駅前集会で、スピーチさせていただき、福島第一原発事故の振り返りを行いました。
その際、今年2月15日に出版された『福島第一原発事故の「真実」』(NHKメルトダウン取材班)に書かれた衝撃的な内容を紹介しました。
以下の動画の8分30秒~16分50秒まで。約8分にわたって話しています。

とても重要な内容なので詳しく書き記します。
なお奈良発言で少しく不正確なところがあったので、記事の中で修正も加えています。ぜひお読み下さい。(何回かに分けます)


『福島第一原発事故の「真実」』(NHKメルトダウン取材班)の衝撃

この書はドキュメント編と検証編の2冊に分かれていて、それぞれ約350ページと650ページ、あわせて1000ページある分厚い本です。今回、読んでみて非常に驚き、合わせて4回も読み込んでしまいました。
ともあれ何が驚きだったのかというと、あの時メルトダウンした福島原発1~3号機格納容器の中に、カメラを投入して調査したところ、事故の進展がこの間の予想と大きく食い違っていたことが分かってきたのです。

端的に言うとこれまで「1,3号機はなんとかベントできたけれど、2号機は最後までできず破局寸前だった」と言われてきたものの、内部を調べてみたらかなり実態がかけ離れていた。
なんと1,3号機で深刻にメルトダウンが進行していて、「破局寸前」と思われた2号機は、メルトダウンの進行がより「穏やか」だったのす。ポイント冷却のための水が、かえってメルトダウンを促進させていたことにありました。

どういうことか。核燃料棒はジルコニウムという金属で覆われているのですが、この金属が900度を超える高温で水と触れると化学反応を起こし水素が発生します。
それが1,3,4号機建屋の水素爆発にもつながったのですが、実はこの反応のとき膨大な熱も発生させるのです。とくに事故の時、核燃料が冷却水から露出して以降、加速度的にこの反応による熱が高まり、メルトダウンを強烈に進めたのでした。

このため現場が必至になって「水を入れろ」と奮闘した3号機では、すでにメルトダウンが始まった後の注水となってしまったので、冷却どころかかえって水-ジルコニウム反応を加速するばかりでした。
反対に水がうまく入らず、現場が「東日本が壊滅する」と恐怖におののいた2号機では、注水がない間はメルトダウンせず、その後のメルトダウンの進展もより穏やかでした。これらは2023年になってようやく明らかになってきた驚愕の事実です。


1,3号機で危機を乗り越えんとした格闘したが・・・

もう少し詳しく見ていきましょう。福島原発は地震で外部電源を失い、非常用電源が立ち上がりました。この際、配管破断などもあったようですが、51分後に押し寄せた津波によって次々と電源がダウン。たちまち1号機が危機に陥りました。
すぐに圧力容器内の放射性ガスが格納容器に漏れ出し、内部圧力が高まっていった。吉田所長はベントを決断。ベントは「放射能を閉じ込めるための格納容器を守るために放射能を排出する」本来あってはならない処置ですが、その実施を決めたのです。

しかし電源を失っているためベント弁がなかなか開かなかった。決死隊を送って手動で開けようとしたものの、放射線値が高すぎで間際で撤退。その後、あの手、この手を試み、圧縮空気を送り込んでようやくベントに成功しました。(12日午後2時30分ごろ)
一方でこれと並行しつつ吉田所長の発案で消防車による注水が試みられました。消防車は2007年中越沖地震で、柏崎刈羽原発が被災し、変圧器火災を起こしたため配備されていたのですが、1号機はなんとかこれで安定に向かったと思われたのでした。

しかしその後に予期しなかった1号機水素爆発(12日午後3時36分)が起こり、1~2号機の間で試みられていた電源復活作業がすべて台無しに。そんな中でわずかに残されたバッテリーで動いていた3号機の冷却装置がダウン、それでベントと注水が試みられました。
ところが原子炉圧力容器内は70気圧もあり、10気圧にもみたない消防車からの注水では水が入れられない。それで圧力容器の主蒸気逃がし安全弁(SR弁)という、放射性ガスを格納容器に送り込む弁を開けることが試みられましたが、電源がなくてうまくいかない。

乗用車からかき集めたバッテリーをつなぎ、なんとか弁を動かそうとしましたが、その矢先に偶然にも電源が復活。SR弁が開き、原子炉内の圧力が一気に下がり、消防車からの注水が可能になりました。(13日午前9時過ぎ)
さらに1号機で試みた方法で3号機もベントにも成功 (同9時20分)。その後、3号機でも水素爆発が発生(14日午前11時1分)しましたが、それでもなんとか3号機も危機を乗り越えたと思われたのです。

しかし実態は違っていた。なんと1号機は、注水配管の途中で水が分岐して原子炉にまったく届いておらず、3月23日に注水が再開されるまで12日間も空焚きが続いていたのでした。
また注水が成功した3号機でも、実はすでに注水のかなり前からメルトダウンが進行し、水ージルコニウム反応が進んでいたのでした。このため注水はそれを促進させる役割しか果たしませんでした。結局、両機とも深刻に危機を深めるばかりだったのです。
(注記 JR奈良駅前では、3号機に水を入れたからメルトダウンが進行したようにも取れる発言をしてしまいましたが、正確には注水時にはすでにメルトダウンは激しく進行していました。注水はそれを促進させるものでしかなかったのでした)

TEPCO HPの原子炉説明図
https://www.tepco.co.jp/nu/fukushima-np/review/review1_2-j.html

続く 

なお奈良駅前での発言の起こしをベースとする冊子を作っています。
『原発からの命の守り方 2024 ~能登半島地震、珠洲・志賀原発、そして福島原発事故から13年を踏まえて~』
以下が申し込みフォームです。(1部500円送料200円、3月30日発行予定)
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