明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(1241)原爆投下は明白な戦争犯罪!ケリー国務長官は広島・長崎市民に謝罪すべきだ!

2016年04月11日 23時30分00秒 | 明日に向けて(1201~1300)

守田です。(20160411 23:30)

本日11日、アメリカのケリー国務長官が広島市の平和記念公園を訪問し、原爆犠牲者に献花しました。
マスコミ各社が、この訪問が広島を訪れたアメリカの最も高位の政治家の訪問であったことを報じるとともに、国務省高官による「米国務長官が謝罪のため広島に来たのかと尋ねられれば、答えはノーだ」という発言を紹介しています。
ケリー国務長官は献花はしたけれども謝罪は拒否したのです。

許しがたいです!まったくのあやまりです。ケリー国務長官とアメリカ合衆国は広島市民と長崎市民に、さらにはすべての被爆者とその遺族・友人・関係者に心の底から謝罪すべきです。
なぜって原爆投下は完全なる戦争犯罪だからです。兵士と無抵抗な市民を分けることなく行った一方的な大量虐殺だからです。大量破壊兵器を使った大犯罪だからです。

しかも原爆は放射線傷害によって戦争が終わってからも人を傷つけ、殺害し続けました。次世代への影響も計り知れない。
無抵抗な市民どころか、戦争が終わり、敵国民ですらなくなってからも、広島で、長崎で、あるいは他のどこかで、被爆者はアメリカに殺され続けたのです。
しかも徐々に身体を破壊され、がんなどの病に苦しみ続け、悶絶の後に殺されたのです。これはアメリカが行った類をみない人道的な犯罪です。

一方でケリー国務長官が謝罪しなかったことには、これまで一度も謝罪を要求してこなかった日本政府のあやまりも反映しています。
アメリカに物理的なばかりでなく心理的にも占領され、言いなりになってきてしまったことが表れています。
屈辱的と言わずしてなんと言うのでしょうか。自国民ないし住民に対する明白なる虐殺行為を、70年経ってもまともに批判できないのがこの国なのです。

なぜアメリカの大虐殺を批判してこれなかったのか。それは日本政府の指導者たちの多くが、アジア侵略戦争に手を染め、大量虐殺を行った責任者やその末裔だったからです。
南京大虐殺を初めとするアジア各地で行った戦争犯罪、軍隊「慰安婦」問題などに、直接的にも間接的にも責任を負っている人々が、自らの免責と引き換えに、アメリカの戦争犯罪を容認したのです。
アメリカもまた原爆投下と言う大犯罪を免責させるために、旧軍部をはじめとするアジア侵略の責任者の多くを免責したのでした。その点で戦後、日米の戦争遂行者は利害を等しくし、戦争犯罪を隠し続けてきたのです。

その結果、犠牲になってきたのは侵略戦争の犠牲者でした。日本の民衆もまた一方では加害責任を負っていましたが、他方では侵略戦争に駆り立てられ、あるいは背後で支えることを強制された被害者でした。
そればかりではなくアメリカによって原爆投下をはじめ、200都市への何次にもわたる空襲や、沖縄上陸戦という虐殺行為をも受けました。その大半が民間人でした。
いや犠牲はもっと広がっていきました。日米の戦争遂行者が第二次世界大戦の中でアジア・太平洋で行われた虐殺行為を免責したために、同じことがそれからも繰り返されたからです。

その第一が朝鮮戦争におけるアメリカによる空襲であり、第二がベトナム戦争による北爆でした。いやこれを第一、第二と言うことはできないでしょう。他にも無数の戦争をアメリカは仕掛け、その度に大量殺戮を繰り返してきました。
大事なのはそこで用いられた作戦、ないし発想が日本空襲と同根のものだったということです。そればかりかカーチス・ルメイというアメリカ戦略空軍の同じ将軍が1945年の東京大空襲から、朝鮮戦争、ベトナム戦争の空襲を指揮しさえしたのでした。
あろうことか日本政府はこのルメイに叙勲しています。航空自衛隊の育成に功績があったからというのです。戦中に「鬼畜ルメイ」と名指したこの将軍への勲章授与を昭和天皇は嫌がったそうですが、小泉元首相の父の小泉純也防衛庁長官が説得したのでした。

アメリカは同じ発想に基づく虐殺行為を、その後の湾岸戦争でも、2001年のアフガン戦争でも、2003年のイラク戦争でも繰り返し、今に至っています。虐殺行為が連綿と続けられているのです。
その根っこにあるのが、日米の第二次世界大戦での数々の虐殺作戦の遂行者による、相互免責、非人道的で何らの正義性もない無差別殺人の容認にあったことを私たちは明記すべきです。
さらにこの虐殺に連なる非人道的な戦争行為の歴史が、今も私たちを直接的にも襲っていることにこそ私たちは覚醒しなくてはなりません。

それこそが矢ヶ崎克馬琉球大学名誉教授が「隠された核戦争」と命名した、内部被曝隠しによる被曝の強制です。
始まりはどこか。まさに広島・長崎への原爆投下です。実はこれは明確なる人体実験でした。アメリカは投下に先立って広島に偵察機を何回も飛ばし、何時何分に最も多くの人が外にいるかを確認したのでした。それで8時15分に投下されたのでした。
原爆投下が実験だったことは、アメリカエネルギー省の公刊物に1990年代まで、広島・長崎への原爆投下が「実験」に分類されていたことからも明らかです。

そしてその後にアメリカが行った被爆者調査もまた明確な戦争行為の一環でした。そもそも加害者であるアメリカ軍が被害者である被爆者を調査するなど、あってはならない調査でしたが、アメリカはこの中で被害事実を大きく隠蔽しました。
それでなければ核戦略が維持できなかったからです。いや維持どころか、核戦略の発展・拡大のためにアメリカはその後1000回にも及ぶ核実験を行いました。その遂行のためにも被曝による被害を隠すことが戦略上の最重要課題だったのです。
ではどうやってアメリカは被曝影響を隠したのか。端的です。原爆による被曝被害を外部被曝に限定し、内部被曝の被害を認めなかったことです。

このことを如実に示す格好の図が厚労省のホームページ、「原子爆弾被爆者対策」の中の「被爆者援護施策に関するデータ」の中の「原爆放射線について」に載せられています。
いや正確に言うと「載せられていました」でした。今、確認してみたところ、あまりにまずいと考えられたのか、なんと図が差し替えられていました!それだけに大きな証拠だと言えますのでぜひ僕のFacebookページにアップした図をご覧下さい。

放射線の線量と影響について(広島の場合)
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=10207463869253217&set=a.3300903639751.2140616.1182740570&type=3&theater

これには内部被曝隠しのテクニックが如実に表れています。被曝被害を爆心地からの距離で描くことです。
1キロまでは90%死亡となっていて、2キロの線のところに「100ミリシーベルト安全説」と書かれています。そして2.5キロまでが「被爆者」とされています。
これは被曝被害を外部被曝だけで測った図なのです。ここでは被爆者は爆心地から半径2.5キロ以内にいた人とされています。そしてその外が明確に「非被爆者」と書かれています。

ちなみにもともとアメリカが言い張ったのは放射線によってダメージを受けたのは爆心地から半径2キロ以内の人々に過ぎないということでした。
実はこれが「100ミリシーベルト安全説」なるものの根拠なのです。2キロまでは100ミリシーベルト以上の放射線を浴びて被曝によるダメージが出た。しかしその外は出なかった。だから100ミリシーベルト以下の被曝は問題ないという暴論です。
このラインはしかしその後に被爆者たちの被害を訴える懸命の声によってどんどん押され、2.5キロまで広げられたのでした。そしてここが被爆者と非被爆者の境界ラインとされたのでした。

そしてぜひ注目して欲しいのは、その2.5キロに近いライン、2.4キロのところになんと「福島帰還基準 年間20ミリシーベルト」というそら恐ろしい説明文が挿入されていることです。
2.5キロから先は広島でも被爆者などいないのだ。だから、それよりは少し狭いのだれど、福島の人々も広島の爆心地から2.4キロに相当する20ミリシーベルト以下の地域に帰りなさい。もう保障はしません!というのです。
実にこれもまたもともとはアメリカ軍が作った広島・長崎の被曝影響図から割り出されてきているのです。

しかしここには内部被曝被害が1つも入っていない!そもそも原爆投下によって発生したキノコ雲=原子雲は放射能の塊です。それが広がった地域の下には程度の差こそあれすべて放射性のチリが降っているのです。
何も知らされなかった人々は直接的にそれを身体に浴び、あるいは呼吸や飲食を通じて体内に取り入れてしまったのでした。それが内部被曝だったのです。
ところがアメリカは一切その影響を認めませんでした。いや過去形なのではありません。今なお認めていないのです。そのもとに内部被曝の影響をカウントしない放射線防護学を成立させ、被害を極端に低く描いたのです。

そしてこの図に明確に「福島帰還基準」という言葉が挿入されているように、この内部被曝被害を除外した被害想定が、私たちへの被曝強要の根拠として今もライブで使われているのです。
被害を受けたのは私たちだけではありません。南太平洋の島々での核実験にさらされた南洋の人々がそうでした。いや核実験はアメリカ大陸でも行われ、多くのアメリカ人やメキシコ人なども被曝しました。
さらに度重なる核兵器工場や原発の事故、あるいはウラン鉱の採掘などなどで、世界中の至る所で、繰り返し、人々が、内部被曝隠しのもとに被曝を強制され、塗炭の苦しみを味わってきたのです。
なおいつの間にか差し替えられた、現在のホームページ上の図のアドレスも示しておきます。重要な説明がすべて消えています。

原爆放射線について
http://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/genbaku09/15e.html

もうこんな歴史はたくさんです!
私たちは今こそ、日米の戦争犯罪者たちが行ってきた数々の人道的罪を暴かなくてはなりません。その被害者は○○国民という形ではあらわされません。
世界の多くの国々の庶民が常に犠牲者だったのです。僕はその中には今もアメリカ軍に殺され続けている人々ともに、アメリカ兵として戦地に派遣され、虐殺に手を染めさせられている若者たちも含まれると思っています。

その圧倒的多数派の私たちこそが、互いの痛みを知るところから、分断を越え、敵対させられている構造を乗り越えて平和のために合流していく必要があります。
そのためにこそ、私たちはアメリカの原爆投下の罪を告発し、同時に日本の戦争犯罪も暴いていくのでなければなりません。
そのことによってこそ、暴力が根っこから断たれ、戦争の当事者として殺し、殺される関係性に立つすべての人々の解放の道も切り開くことが可能となるのです。

そうです。もう戦争はたくさんだ。殺されるのもごめんだけれども、世界の誰かが戦争に動員され、殺させられることもごめんです。戦争のない世の中を作り出すためにこそ、戦争で儲かるごくごく一握りの人々の罪を暴くのでなければなりません。
だからこそ私たちはケリー国務長官に対して、アメリカに対して、アメリカが被曝させた全世界の人々への謝罪を求め続けましょう。
その中から、私たち自身、福島原発事故でのこれ以上の被曝の強要を跳ね除け、前に進んでいきましょう。その誓いをこそ、原爆犠牲者に捧げましょう! 

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