明日に向けて

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明日に向けて(842)『るろうに剣心』から平和を考える!

2014年05月08日 07時00分00秒 | 明日に向けて(801)~(900)

守田です。(20140508 07:00)

この記事を投稿するのは5月8日の予定ですが、書いている今はゴールデンウィークの最後の日、手術からの回復期間の最後の一時です。
『るろうに剣心』・・・みなさん、ご存知でしょうか。もう20年以上も前に「週刊少年ジャンプ」に連載された漫画です。正確には和月伸宏さんが描いた『るろうに剣心―明治剣客浪漫譚』です。
その実写版の映画が2012年に公開されました。サイトをご紹介しておきます。

THE JOURNEY BEGINS・・・『るろうに剣心』
http://wwws.warnerbros.co.jp/rurouni-kenshin/1/index.html

実は映画のデータを調べていて、今、続編が撮影中であり、本年の8月1日、9月13日に二部作連続公開が予定されていることを知りました。そのサイトがこれです。
http://wwws.warnerbros.co.jp/rurouni-kenshin/index.html?oro=mile

なぜ今、この作品のことを扱うのか。単純ですがとても感動したからです。何に感動したのかと言うと、殺人―暴力に関する考察が深い。もっと言えば暴力を越えていこうとする志向性に満ちている。
実はこの映画を観たのは、ドイツからの帰国の飛行機の中でした。あのとき僕は体が衰弱しきっていて、そもそも長時間のフライトに耐えられるかどうか心配でたまりませんでした。
どうしようかと考えてひねり出した答えは、「映画を観続ける!」ことでした。妥当だったかどうか分かりませんが、ただじっと耐えているより、何かに没頭できたらと思ったのです。

ではどういう映画を観ようかと考えたときに思い浮かぶのは少しでも語学のレッスンに繋がるものにしようということでした。それで英語の映画を選びましたが、心理劇が描かれているものはとても理解ができない。
それでもっと単純なものにしようと考えると行きつくのはハリウッドのバイオレンスものでした。選んだのは『RED/レッドリターンズ』でした。ブルース・ウイリスやジョン・マルコヴィッチらが主演したスパイ・アクションものの第二作です。
ストーリを説明するよりも、予告編でも見て下さった方が雰囲気が分かると思います。まあちょっとご覧ください。
https://hlo.tohotheater.jp/net/movie/TNPI3060J01.do?sakuhin_cd=010491

退官していた元CIAエージェントのブルース・ウイリスらが、私的な核兵器開発計画を追いかけるという仕立てなのですが、韓国俳優のイ・ビョンホンがブルース・ウイリスの前に立ちはだかる殺し屋として登場しており、「かっこいい」アクションを披露しています。
また個人的には大好きな俳優であるアンソニー・ホプキンスが、ユニークな「怪漢」ぶりを披露しており、それやこれや面白い映画ではありました。
でも映画だと分かっていても、主人公たちはどこでも常に、何の躊躇もなく「悪漢」たちを殺していくのです。タンタンと銃を撃って。その「カッコよさ」が描かれているのでもあります。
観ていてだんだん疲れてきました。英語にも疲れました。

それで何か違うものはないかと探して見つけたのが、『るろうに剣心』だったのでした。頭が疲れていたので日本語が柔らかく入ってくると同時に、作品に一貫して込められているメッセージ・・・「不殺」の志がとても良かった。
時は幕末。主人公である緋村剣心は、「人きり抜刀斎」の名で知られた維新志士側の暗殺者でした。若くして「飛天御剣流」(ひてんみつるぎりゅう)の剣を学んだ剣心は、10代半ばにして長州藩の山縣有朋らに見出され、維新成就のために幕臣を次々と切り殺していきました。
しかしある時、自らが切り捨てた若い侍の許嫁が、死骸に縋り付き、泣き叫ぶことを見てしまうことから、深い葛藤の中に入っていきます。例え、未来の豊かな社会を作る「維新回天」のためといえど、殺人は許されるのか、その問いが剣心の中に深くしみ込んで行ったのです。

そうして維新後10年が経ち、剣心は、「抜刀斎」の名を捨て、1人の剣客として放浪の日々を送っていました。映画は幕末の戦闘シーンからすぐにこの10年後に飛び、ここから新たなストーリが始まっていきます。
あるときある町を歩いていた剣心は、伝説の人斬り「抜刀斎」が夜な夜な殺人剣をふるっているという噂に出くわします。偽物の抜刀斎は、「不殺の剣」を掲げていた神谷道場の剣の後継者をうたっていました。
これに怒った道場の若い女性、神谷薫がニセ抜刀斎と対峙し、殺されそうになったところを救ったことから、剣心は神谷道場に居候することになります。そしてここがニセ抜刀斎を抱える悪漢一味との決戦の拠点になっていくのです。

詳しいストーリーは映画案内に譲るとして、そこで描かれている主題は先にも述べたように、幕末に暗殺者として、つまりはテロリストとして闇から闇をかけた剣心の葛藤です。
維新後、不殺を決意した剣心は、再び戦闘の中に巻き込まれていくのですが、彼は「逆刃刀」という普通の日本刀と刃が逆になっている特殊な刀を使うことで、殺人を避けていきます。刃が反対についているため人を斬れないのです。
しかし技量の近い敵との決戦では大きなハンディになっていく。そのため敵からも、味方からさえも「お前は甘い」と言う突きつけを剣心は受けていきます。
殺人剣をふるわなければ守れないものもあるかもしれない。しかし自分はもう二度と殺人は犯したくない、犯しはしない・・・。

僕が共感したのは、映画がこの主題を最後まできちんとおいかけて作られていることでした。たとえ正義であろうとも、悪漢を倒すためであろうとも、殺人は犯したくない、犯さない・・・時に大きく揺らぎながらも、その剣心の思いが貫かれていく過程が見事にかつさわやかに描かれている。
その時、僕の胸のうちに去来したのは、ドイツの方たちとベラルーシを訪問した時のことでした。ナチスの侵略を捉え返そうとし、かつ日本帝国主義のアジア侵略を捉え返そうとしてきたドイツ人と日本人の間には共通の痛みと、その中から育ててきた知性がある。
それはいかなる「正義」と思われる戦争もまた、「悪」である可能性がありうるという事実への認識です。いやあるものにとっての正義はあるものにとっては悪でもありうる。この世には絶対的悪はあったとしても絶対的正義などはないことへの認識であると言っても良い。
だからこそ「正義」を逡巡なく肯定する思想性の中に、私たちが私たちの時代が越えねばならない重要な課題を見据えなければならず、そのためにはドイツや日本の中で培われてきた侵略戦争の捉え返しには普遍的な意義があるということです。

そしてそれはかなりの強さで私たちの社会に浸透しているのではないか。それはとても重要であり、かつ素晴らしいことなのではないか。それが僕がこの映画をみながら強く思ったことでした。
『レッド・リターンズ』・・・ハリウッドのアクションものにはこうした問いが一切ない。悪は仮借なく殺して良い対象なのです。しかし剣心は、絶対悪を前にしても逡巡する。もう誰も殺したくないという心の叫びに従おうとするのです。
「こんな映画は日本の中でしか作れない!」僕はそう思い、拍手をしたい気持ちになりました。心があたたくなるのを感じました。いつしか身体の苦しさと、長時間フライトへの怯えはまったくなくなっていました。
「そうだ。日本に帰ってから、これを主題に記事を書こう。タイトルは『るろうに剣心』から平和を考えるにしよう」とその時、決意しました。

それで帰国してからすぐに『るろうに剣心』28巻を一括購入しました。読んでみて、映画が1巻から3巻ぐらいまでのストーリをコンパクトにまとめながら、主題をきちんと表している良作であることを知りました。
ところがその先を読み進んでいって、さらに内容が深まっていくことが分かりました。大きく前半は、不殺の決意をした剣心が、人を殺さずに悪を倒していくこと、倒せるようになっていくことが描かれています。
さらに後半に入ると、もう一歩進んで、ではかつて人をたくさん殺害したこと、テロリストとして闇をかけたことをどう捉え返していくのか。人を殺めた罪は何によって償われるのかと言う主題に入っていきます。
その答えはぜひ本編にあたって欲しいと思うのですが、僕はその問いのあり方そのものがとても見事であり、貴重であり、ありがたいものだと思いました。深く共感し、私たちが時代的に背負っている課題への重要な一つの回答を得られような気がしました。

今、ウクライナでは争いがどんどん激化しています。親ロシア派が次々と地方政府を暴力で占拠していますが、これに対してオデッサでは、親ロシア派の人々がたてこもった労働組合の建物への放火が行われ、40名近い人々が焼き殺されてしまいました。
火を放ったのは、公然と反ユダヤ主義を掲げる、現政権に議席をも持っている極右の人々であったと言われています。これに対して親ロシア派の人々は、怒りを掻き立てており、東ウクライナの政府機関の多くがこれらの人々に消極的にせよ同調しつつあります。
これに対してウクライナは政府軍を派遣して東ウクライナに迫っている。反対にロシア軍はウクライナとの国境線沿いに軍隊を集結させ、大規模な軍事演習を行いながら、ウクライナ軍を牽制しています。
アメリカやEU諸国は一方的にロシアの非だけをなじっており、私たちの国、日本もそれに同調しつつあります。とこらがお隣の国、中国はクリミア半島での大規模工事を受注することから、親ロシア的な立場を示しつつある。

まさに世界は正義と正義に分裂しつつあります。そして正義の名の下の暴力が振るわれ、正義の名の下の殺戮が進められつつある。この事態を前に、どちらが正義であるかを論じても決着はつきません。
「ただ正義だからといって殺人を犯していいのか。殺人を忌み嫌い、相手を生かしたままに問題の解決を図ろうとすることこそが、ありうべき道なのではないか。人類は戦争と紛争の世紀を越えてそこにこそ歩みを進めなければならないのではないか。」
僕はこう主張することこそが今、一番、大切だと思うのです。もちろんそれは「敵」からも「味方」からも「甘い」と言われる道でしょう。剣心が繰り返し言われたように。
でももう私たちは、「殺人は止めよう。もう人殺しはたくさんだ。うんざりだ。殺人をこそ越えよう、不殺の可能性を切り開こう」・・・と叫んで良いのではないでしょうか。それこそが世界史の中で最も必要なことなのではないでしょうか。

そんな問いを明治維新の一つの捉え返しとして描いた漫画が、長い間若者たちの支持を受け、今また映画化されていく・・・つまり問いが大衆化されているこの事態の中にこそ、僕はこの国の中に育ちつつある新しい可能性を感じます。
それを大事に育てたい。育てる一員でありたい。そのために僕自身もまた善悪二元論や一面的な正義論を、柔らかく、豊かに越えていきたいと思うのです。

最後に蛇足になりますが、映画の主人公=剣心の役を担っているのは佐藤健さんという若い俳優さんです。実は彼は数年前に放映されたNHKの大河ドラマ『龍馬伝』で、土佐藩の人斬り、岡田以蔵を演じた役者さんであることを今回の調べて知りました。
監督も『龍馬伝』と同じ大友啓史さんでした。僕は『龍馬伝』そのものは思想的に中途半端に思えて、残念な面も多かったのですが、僕の知る限りこの作品の中での岡田以蔵の描かれ方=ナイーブで傷つき易い青年としてのそれはとても斬新でしたし、佐藤さんも見事に演じていました。
今回の剣心役を演じるにあたって、かつて岡田以蔵を演じたことは大きな意味があったのではないでしょうか。その点にも感慨深いものがありました。
夏に封切られる次回作も楽しみにしたいと思います。世界が悲しい暴力的対立を深めつつあり、私たちの国の政府が・・・平和の尊さを理解しないままに・・・集団自衛権を強引に推し進めようとするこの時だからこそ、多くの人々にこの映画を観て、「不殺」への思いを深めて欲しいと思うのです。

 

 

 

 

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