講演タイトルは「原発、そして戦争法」。僕への講演依頼は原発についてのことが多いのですが、戦争法についてもいつも語りたいことが溜まっているので、原発と戦争の深いつながりを含めてお話しすることができて良かったです。
みなさん、たいへん熱心に聞いてくださいましたが、参加されていた立教大学名誉教授でフランス文学者の山本顕一さんが非常に感銘してくださり、嬉しい感想を語ってくださいました。一方でその山本さんが、もっと沢山の方に聞いて欲しいのにこれぐらいしか来ていない。しかも高齢者ばかりだとおっしゃるので、「その高齢者の全国にまたがる陸続たる立ち上がりこそが日本に大きな変動をもたらし、若者に希望を与えています。今日だってけっこう来られているではないですか。福島原発以後、各地でこういう集会がたくさん続けられてきいます。すごいことですよ」といつも語っている自論を展開。みなさんに納得いただけたと思います。
なおその後の交流会の場で、ある保険会社の仕事をしている方から、「最近、がんでの支払いが急速に増えている。若い人の突然死も多い。この仕事をしていると放射能の影響がこの埼玉県でも出ている事を実感する」という話が聞けました。貴重な情報でした。
翌日27日に鶴瀬から本川越駅経由で西武新宿線の特急レッドアロー号にのり秩父に向かいました。この日は「原発とめよう秩父人」などのみなさんのお招きで、皆野町ムクゲ公園の素敵な会場でお話しすることができました。30人ぐらいのご参加だったでしょうか。この日もみなさん、たいへん熱心に聞いてくださいました。
講演のあとも、マキストーブを囲んで交流。そのあと秩父での選挙に関する相談会にも参加させて頂いたのち、西武秩父駅そばの美味しい美味しい天然酵母パンのお店、「ラパンノワールくろうさぎ」に移って交流会を催して下さいました。
ここでも個性的で魅力的な方たちがギュッと集まってくださいました。まず僕に直接、講演を依頼してくださったラパンノワールくろうさぎの山田なおみさんは、この間、いろいろな活動を一緒にしてきた津軽三味線の師匠の蝦名宇摩さんのお母さん。かつて奄美大島に一家で移り住み、石油備蓄基地建設に反対された方です。ヒッピームーブメントや祭り系の人たちにもその名を知れた方。6人のお子さんをもたれていますが、そのうち5人を自然分娩で出産されました。
福島原発事故が起こったとき、山田さんや宇摩さんたちは、すぐ直後から僕の発信を北富士に住まわれているキコリさん経由でゲット。宇摩さんや妹の維摩さんらが小さい子たちを抱えてすぐに避難を結構、その後も僕の発信を読みながら行動してくれました。あのとき「逃げて欲しい」という僕の発信をリアルタイムで受け取って率先避難をされたり、支えたりしてくださった方たちです。
そんな山田さんが参加している秩父の集まりには他にも個性的な方がいっぱい。印象的だった方の1人がイスラエル人のダニー・ネフセタイさんです。なんと若い時に空軍でジェット戦闘機のパイロットを目指していたそうです。
パイロットはどこの軍隊でも超エリート。イスラエルの場合は、小さい時から国家が子どもたちの特性を判断し、高校を出る頃に600人を選抜。徴兵とともに訓練とテストを開始するのだそうです。すぐに300人が振り落とされ、さらに人数が絞られていき、最終的にパイロットになれるのはたったの15人。
この間、ダニーさんは時速600キロは出る訓練用のジェット機を操り、海抜30メートルの超低空飛行などを経験。操縦桿を上に引くと一気に3000メートルまで飛び上がり、また操縦桿をちょっと横に揺らすと機体がくるっとひっくり返って平常飛行に移行できるのだとか。
そんな訓練を繰り返していたダニーさんは優秀だったものの16か17番目かで選抜から外れてしまったのだそうです。そのため空軍のレーダ基地に配属されたそうですが「子どもだった自分は大変落ち込んだ」とダニーさん。でもそれが本当に良かったのだと言います。「あの時、選抜されていたら、私は今頃は指揮官になってガザの空爆を命令していたに違いない。自分の性格をよく知っているから分かる」というのです。
でもパイロットにならなかったからこそ、やがてイスラエルの過ちに気がつき、パレスチナへの攻撃に真っ向から反対できるようになったし、こうして原発にも反対して行動できるようになったというのです。
イスラエル軍の中枢を担わんとした若者がどんな心情を持っていたのかをリアルに聞けてとてもありがたく思いました。そこには「戦争の作られ方」「兵士の作られ方」の一つのひな形があります。反対に言えば、この「作られ方」を知る中でこそ、その反対の道、平和の作り方も見えてくるのです。またダニーさんとユダヤ人問題、パレスチナ問題、世界平和等々について語り明かしたいです。
もう1人、とても印象的だったのは薬害の被害を受けながら、様々な権利を勝ち取って生き抜いてこられた、まめ・江藤さん。今回のチラシのレイアウトをしてくださった方でもあります。
僕が関西は関東より障がい者に対して優しいという話をしたら、まめさんも大阪にしばらく住み、その時に障がい者が自分で何でもやる必要があること、声を上げることの重要性を知ることができたと言います。
まめさんもさまざまな差別や偏見の中を生きてこられて、心の中で萎縮している面もあった。その殻が、自分から手を上げることでうち破ることができたというのです。
さらにまめさん、さまざまな権利獲得の話もしてくださり、とてもひきこました。この問題ももっと深めていきたい。それこそ戦争とは真逆の平和の道を切り開くヒントがたくさんこもっていることを感じました。
と、一部の紹介しかできずにごめんなさいなのですが、秩父人は個性派満載。その方たちが2週間に一回、ラパンノワールくろうさぎに集ってワイワイとミーティングをしているのだそうです。しかも毎度、15人は集まるのだとか。関東一、美味しいパンを食べながらです。
さて、その翌日、秩父鉄道で熊谷に出て、新幹線に乗り換えて高崎へ。今回の群馬ツアーをプロモートしてくれている堀越啓仁さんにピックアップしていただき、玉村町へと向かいました。ここからは群馬県でのお話になりますが、報告がここまででも長くなってきたので一度ここで切りたいと思います。
次回は玉村町での講演のこと、また昨日29日に東京に戻ってのプナールさんと脱原発首長会議事務局長の上原公子さんとの懇談のアシストのお話をしたいと思います。
続く
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