明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(805)ベラルーシ、ドイツ、トルコ訪問の旅から戻りました!(上)

2014年03月23日 23時30分00秒 | 明日に向けて(801)~(900)

守田です。(20140323 23:30)

みなさま。
3月21日にベラルーシ、ドイツ、トルコ訪問の旅を終え、ようやく帰国しました!まずは第一報をお知らせします。

今回の旅は僕の中で大きく4つのセッションに分かれていました。

まず第1セッションはベラルーシ訪問の旅。これはドイツで行われた国際医師協議会の企画の一環として行われたもので、2月26日から3月2日の旅程でした。
第2セッションはフランクフルト郊外で行われた国際医師協議会。ドイツ・日本・ベラルーシの医師たちを中心に放射線防護に取り組む世界の研究者・活動家たちが集まりました。3月3日から7日までの日程でした。
第3セッションは、「ヨーロッパ・アクション・ウィーク、チェルノブイリ・フクシマ」。ドイツ・ドルトムント市でオープニングし、僕はオープニングで発言させていただいたあと、トルコの三都市を回りました。3月7日から13日までの日程でした。
そして最後は、ドイツにもどって、国際医師協議会でも一緒だったドイツ反核医師の会(IPPNW)の方たちのお招きを受けての講演。14日と17日で、これを終えて20日にドイツを出国し、21日に早朝に関空に降りたちました。

非常に長い行程で、しかも連日、非常に濃密な会議と討論が行われたたため、持ち帰った資料、撮影写真、録音データを整理するだけでも大変です。
その上、本当にたくさんの方と知り合い、交流を深めました。一人一人にメールを送るだけでも時間がかかりますが、なんというか、すごい宝物に出会ってしまった感覚でいます。それを宝船に積んで帰ってくることができました。
一方、こちらからの発信もたくさんすることができました。第1セッションでも、第2セッションでもそれぞれ1回、お話する時間を得られたのですが、多くの方たちとの交流の中から、今、一番伝えるべきことは、日本の民衆の覚醒の息吹だと感じ、そこにありったけの力を込めました。
なぜか。世界の人々が、福島原発事故があって、それで日本人がどうしようとしているのかを最も知りたがっており、かつその情報が一番少ないことが現場でしんしんと伝わってきたからです。

そこで僕は、この間、「明日に向けて」でも繰り返し強調している、だんだんに覚醒を強めている日本民衆の姿をハイライトしたのですが、中でも一番、強く打ち出したのは日本の女性たちが作り出している新たな動きでした。
こういうのはビジュアル的に紹介するのが一番と考えたので、京都市で行われた「原発いらないコドモデモ」の写真を活用させていただきました。また舞鶴市で行われた「ふくねこマルシェ」の様子も使わせていただきました。
京都市「原発いらないコドモデモ」は子育て世代の若い方たちが前面に立った素敵なデモです。中心になっているお母さんたちが、赤ちゃんを胸に抱いて、デモをひっぱっている。もちろんお父さんたちも頑張っています。
舞鶴市「ふくねこマルシェ」も女性の発案で作られた自然食の物品販売とセットになった講演会です。両者ともに写真を僕のFACEBOOKページに掲載してあるのでぜひご覧ください。

https://www.facebook.com/photo.php?fbid=10202268046000883&set=pcb.10202268048000933&type=1&theater

https://www.facebook.com/photo.php?fbid=10202202490082026&set=pcb.10202202492842095&type=1&theater

これらを通じ、僕が世界の方々に伝えたかったのは、福島原発事故で日本人および日本に住まう民衆は、ただ黙っているのではないということ。積極的な行動がはじまっているということ。しかも若い世代の女性たちを中心に、多くのまったく新しい人々が加わり始めていることでした。
その流れを作り出したのは、事故直後に汚染地帯から決死の思いで避難を敢行した多くの人々であったこと。その中でも小さい子どもを抱え、命を守りつなぐために行動した女性たちの力が各地の女性たちの共感を生み出し、これまでなかったまったく新しい力が生み出されたことです。
それが首相官邸前行動にも発展していったし、今では全国150か所ぐらいでの毎週金曜日の行動につながっていること。またこうした繰り返しの中で、少なくとも今、日本では1基の原発も動いてはいないこと。超保守的な政権のもとですら、今なお稼働を阻んでいることです。
こうした報告には本当に熱い拍手が帰ってきました。「原発いらないコドモデモ」の写真に満面の笑みで見入ってくださった多くの国の方たちの顔を、今、報告を読んで下さっているみなさんにそのままお見せしたいです。

これに加えて、より発言時間を与えて下さったトルコの講演では、福島原発事故の現状、あまりに危険な状態が続いている今の姿についてもかなりきちんと伝えることができました。
トルコではイスタンブール、原発立地予定地シノップ、イズミールと三都市で講演させていただきましたが、イスタンブールではたくさんのマスコミ関係者が参加し、活発な質問が続きました。
シノップでは現地の方たちが本当にたくさん来てくださいました。数えていなかったのですが、150人から最大時で200人近くになったでしょうか。地元の方が押し寄せてくれたことに感激して僕のトーンもより高くなりましたが、最後にスタンディングオベーションを送ってもらえました。
翌日、原発建設予定地を見学し、あまりの美しさと、そんなところに原発を押し付けようとする日本政府のあり方に涙がでそうになり、イズミールでは「シノップを自分の故郷を守るつもりで守りたい」と発言しました。今後、この言葉に背かずに行動を続けるつもりです。

ところでトルコでは僕は、長い間、本当に熱いさまざまな民衆運動が行われていることも知ることができました。現政権はこの民衆の力に繰り返し暴力で襲い掛かってきています。民衆の抗議行動に警官隊を出動し、ガス銃の乱射で鎮圧してくるのです。
ある時、警官隊が放ったガス弾が、デモに参加していたのではなくたまたま買い物に来ていただけの10歳の少年の頭を直撃し、少年は昏倒しました。人を狙って水平射撃しなければありえないことです。少年は昏睡状態に陥っていましたが、ちょうど、僕が訪問したころに亡くなってしまったのでした。悲しい限りです。
シノップでは、講演会の後に、町の真ん中で行われていた虐殺抗議デモにも参加させてもらいました。若者がたくさん参加していました。すぐに歩き出すと人々が次々にこう叫ぶのです。「ファシズメ カルシュ オムズオムザ!」。ファシズム(圧政)に対し、肩と肩をぶつけ合おう(団結しよう!)という意味です。深い決意が心の中に入ってきてジーンとしました。
「ファシズメ カルシュ オムズオムザ!」僕も口真似で叫び、夜の街を歩きました。歩きながら、ああこの人たちは仲間だと感じました。僕はもう一度、いや、何度でもトルコに来よう。必ず来ようと思いました。

大きな山だったトルコ訪問を終えたのちは、ドイツに戻り、14日ヘルフォート、17日ベルリンで講演しました。このときも主に日本の民衆の行動についてお伝えしました。
どこでも同じように共感をしていただけましたが、印象的だったのは、ヘルフォートの集会のときに、ある男性の医師が「ドイツでも同じなんだ。チェルノブイリの後、ドイツでも真っ先に立ち上がり、力を示したのは女性たちだったんだ。それを思い出しました」と発言してくださったことです。
また途中から講演での発言の終わりを”Power to the people”で結ぶようにしていたのですが、そうするともう、ドイツ反核医師の会の方たちなんかはすごく喜んでくださった。割れるように拍手が起こりました。トルコではこれに「ファシズメ カルシュ オムズオムザ」!を加えさせていただきました。
そう。世界のどこでも、民衆こそが積極的な力を持ち、示し、行動することが問題の解決に直結していることを人々は確信している。だからこうした言葉は共通語なのです。私たちは国境を越えて、お互いの息吹をこそ、交換し続ける必要がある。そこで生まれる熱こそが世界を変えるのです。

続く

コメント (2)
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