守田です。(20130705 23:30)
前回の号で「明日に向けて」は700回を超えました。「明日に向けて」の前に「地震情報」という名で46回の配信を行っているので通巻では746回を越えたことになります。
この間、約840日を数えますのでおよそ1.12日に1本の割合で記事を配信したことになります。ただ601回から700回までは半年かかりました。その前の501回からも同じ。つまりこの1年はおよそ2日に1本の割合の配信でした。
記事は中身が問題ですから数は目安にしかなりませんが、それでも当初のペースからはだいぶん落としでの展開でした。同じくこの間の講演回数は31回で、これも今までの中では一番少ない展開でした。
また今年前半は、関東・東北への訪問を組めませんでした。2011年3月以降、最も長く東北を訪れていないことになります。申し訳ないです。
確かにこの1年ぐらいのあいだ、多少なりとも、展開のペースを落としてきました。身体を労わり2012年年頭の段階で最低の状態に落ちた体調と免疫力をアップさせることに意識を集中しました。アップさせながら、放射線防護の方向性、命の問題を見つめ直していきました。
その中で忘れられない場面がありました。昨年、被爆医師、肥田舜太郎先生が京都の本願寺に招かれて講演に来られたときのことです。僕もおそばにいたいと出向いてお迎えし、傍らで聞かせていただきました。
「今日は命の問題の達人の方たちの前ですから緊張しています」とニコニコしながら肥田先生は語られていましたが、本願寺の大講堂の阿弥陀如来像の前に立つと、まるで阿弥陀様の化身のようになって、命の問題を語られ始めました。
肥田さんがおっしゃったのは次のようなことです。
「みなさんは命を大事にしていない。病気になったら医者にいけばいいと思っている。それではいけない。福島の事故があって、もうみなさんはたくさんの放射能を身体にいれている。みんな「ヒバクシャ」なのです。一人もそれを逃れた人はいない。
だからみなさんは自分の命を自分で守らなくてはいけない。朝起きたら、どうすれば一番身体にいい生き方ができるかを考えなくてはいけない。そのとき大事なのは自分の命を軽んじないことです。
自分なんか、隣の町にいったら誰も知る人なんていない。自分なんてちっぽけだ・・・なんてことを絶対に思ってはいけない。みなさんの命はこの世にたった一つの命なのです。かけがえのないものなのです。
みなさんはその命を大事にして、一生懸命に生きなければなりません。自分の命を大事にして、一日一日を大事に生きてください」
背筋をピンと伸ばして立ったまま、朗々と語られる肥田先生の言葉を聞いていて、その熱き思いが心の中にシンシンと染みてきました。
「ああ、これは僕が第一に聞かなければならないことだ。この言葉を自分のものとして、もっと力強く、あたたかい、放射線防護の呼びかけをしていこう」とつくづく思いました。
すでに食事療法などに真剣に取り組んでいましたが、もっと自分を変えていこう、命を大事にし、磨いていこう、そしてそれを自分の活動に反映させようとも決意しました。
縁とは不思議なもので、そうした考えと行動を積み重ねているときに、食の問題の達人であるマクロビアンの橋本ちあきさん、宙八さんとお会いし、招いていただいて半断食セミナーに参加することができました。
また最近は、食べ物の食品としての作られ方や、食品産業のことを体系的に研究している研究者と一緒に学習会を立ち上げ、食べ物を生産・流通の場面から社会的に捉え返す学びも始めることができました。
それやこれやを通じて、自らの身体を通じながら、体験的に命のこと、身体のこと、食べ物のことの学びを進めてきたのがこの間の歩みだったように思います。
同時に、関東・東北へは申し訳ないながらいけませんでしたが、この間、兵庫県への縁がどんどん広がっていきました。一番、通ったのは篠山市です。
また加古川市、丹波市、三田市、西宮市、高砂市、神戸市、伊丹市で講演をさせていただき、この他、姫路市にも二度ほど伺いました。
これらの関わりの中で強めてきたのは、原発災害対策への取り組みです。原発の再稼働を食い止める運動とともに、私たちは現にある原発の事故から自分を、人々を守ることにも大きな力を割いていかなくてはなりません。
こうした内容の講演を、兵庫県篠山市や加古川市で行いつつ、内容を実践的に深めてくることができました。今後、これらを通じて培った成果を、いろいろな形で広げていこうと思っています。
一方で、赴くことができなかった福島については、とくに浜通りの方たち、南相馬市や相馬市の方との出会いに次々と恵まれ、「相馬の思い」とでも呼ぶべきものを少しでもシェアしてこれたように思っています。
その一端を6月15日行われた「聞け、フクシマの声」という企画などにもにつなげることができました。
さてこのように放射線防護活動の課題を、命の問題、食べ物の問題へと意識的に拡張してきたこの1年、ないし半年でしたが、その間にも、関東・東北、とくに福島から健康被害の報告が次々と届いてきました。
とくに福島からは、避難してきた方たちの周りでの、お年寄りにとどまらない心筋梗塞による突然死や、肺がん死などの悲報にたびたび接さざるを得ませんでした。
最もショックだったのは、一緒に岩波ブックレット『内部被曝』を作り、放射線防護のために活動してきた矢ヶ克馬さんのお連れ合いの沖本八重美さんが心不全で突然、お亡くなりになったことでした。1月27日未明のことでした。
八重美さんとの突然のお別れに、放射能の影響があったのかどうかはよく分かりません。しかし彼女は、沖縄で福島や関東から避難してきた方たちを懸命に支えておられました。
多くの方たちが苦しむ姿に、心をいっぱい痛めながら、しかし元気印そのままにいろいろなものを背負われて大活躍されてたのが彼女でした。僕は福島原発事故はそんな八重美さんの優しい心にも計り知れない負担を与えたのだと思っています。
こうした悲しい話は、今も僕の耳に届き続けています。ある福島市から母子避難されている女性から6月末に「守田さん。会社の上司が肺がんで亡くなりました。私が働いていた周りで他に2名亡くなりました。こんなことは勤めているときにはありませんでした」というメールが入りました。
「胸が痛いです・・・」という趣旨のメールを返しましたが、その翌日、「守田さん。今日また二人の悲報が入りました・・・。あちらでもこちらでも、です」というメールが入りました。
原発直近の町にいた方からは「知り合いが一週間に5回もお葬式に出たそうです」という話が入りました。そのことを南相馬市の方に伝えると「さすがにそんなに多いことはない」と指折り数えだされて、今年の1月から4月で、12日に1回の割合で葬儀に出たことが分かりました。
あるいは福島市から東京の大学に進んだ20代前後の若者が、帰省中に心不全で突然死してしまったという話にも接しました。これらはすべて直接に、あるいは自分の近親者が、亡くなった方を知っている方からの確かな情報です。
亡くなられた方、すべてのご冥福を祈るばかりですが、同時に、こうした悲報の一つ一つを、私たちへの警鐘ともとらえ、すべての人の命を守る活動を強化していきたいと思います。
死亡だけでなく、さまざまな健康被害も耳にしています。南相馬の方、また茨城県北部の方からは、「記憶力が劇的に落ちた」という話を聞きました。福島市の方からはお連れ合いの40代の男性が白内障になってしまい手術をしたと聞きました。主治医が「おかしい。この歳で罹る病ではないのですが」と首を振っていたそうです。
ガンについてもよく聞きますが、肺がんが多いように感じます。またガンでなくても気管など呼吸器関係の病になっている方が多い。また風邪を含めて通常かかることのある病がなかなか治らないということもよく聞きます。東京の友人は「ものもらい」が半年続いたそうです。
あるいは南相馬では、お年寄りの認知症が5年分、一気に進んだという話があるそうです。統計的なデータではなく、地域の人が感じたさまを表した言葉だと思いますが、認知症の深刻な進み具合の実感が伝わってきます。
とにかく大変なことが進行しているという実感があります。それがまたさまざまな形で人々の苦しみを作り出している。なかでも僕が懸念しているのは、医療界へのダメージです。これだけ健康被害が重なりながら光が当たらなければ、ただでさえ苦しい医療界がパンクしてしまいかねない。
しかも関東・東北では医療サイド自身が、多かれ少なかれ被曝をしながら働いています。津波の大被害に放射能が重なったとき、多くの医療関係者はもっとも過酷な現場にたち続けていたはずです。そこにさらに診なければならない健康被害が重なっていく。
津波での病院の被災も多発しました。もともと医師の少なかった三陸海岸はもっと厳しい状況にたちました。そして今、東北・関東の広範な地域に放射能の影響が出始めています。本当に大変な状態です。どう医療を支え、地域を支えるのかを考え、実行していかないといけない。
今年の後半はこのことに大きく踏み込んで行きたいと思っています。そのためにも関東・東北への訪問を復活させつつ、命を守るための学びの進化と内容の普及を大きく進めていきたいと思っています。
またそのためには基礎的な研究が必要です。昨年末に次のような課題に取り組むことを明らかにしました。
(1)内部被曝のメカニズムとその危険性について。(2)放射線学が歪められてきた歴史について。原爆と放射線の関係性。(3)放射線測定に関する知識について。(4)被曝対策の方法について。(被曝をしてしまった場合にどうするのかという点と、被曝をいかに免れるのかの2つ)
より具体的には(1)では物理学・化学、分子生物学、医療、社会学(思想を含む)の4つの側面から深める。
(2)では原爆投下の影響、原爆傷害調査委員会(ABCC)および放射線影響研究所、原水爆実験と被曝、原発事故との比較検討論の4つの側面から深める。
(3)では日本の汚染の実態、測定のノウハウ、測定器、市民測定所の運営に関しての4つの側面から深める。
(4)では被曝に免疫力をあげて対抗する方法(食事療法と運動療法の2つ)、被曝医療の現状(西洋医学と東洋医学の2つ)、避難をめぐる問題、除染の可能性の4つ側面から深める。
それぞれに学びを深めて来ることができましたが、今回はこれに(5)原発災害対策、(6)食べ物の研究を、付け加えたいと思います。さらにライフワークにもなりますが、TPPなども見据え、もっと大きく社会変革を考察するために、「社会主義再考」も進めていきます。
以上、大まかに取り組みの方向を示させていただきましたが、こうした命を守るための研究・普及・活動への取り組みに資金が必要です。みなさまに心よりカンパをお願いしたいと思います。健康を維持しつつ、最大のパフォーマンスを発揮すべく奮闘します。どうかよろしくお願いします。
以下、振込先を記しておきます!
振込先 郵貯ぎんこう なまえ モリタトシヤ 記号14490 番号22666151
他の金融機関からのお振り込みの場合は
店名 四四八(ヨンヨンハチ) 店番448 預金種目 普通預金
口座番号 2266615
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2012年12月22日から2013年7月4日までのあゆみ
1月9日 新しい市政を創る会新年レセプション参加(京都市中京区)
1月13日 NONベクレル食堂オーナー廣海緑朗さんと対談(京都市左京区)
1月19日 真宗大谷派専覚寺にて講演(愛知県蒲郡市)
1月21日 放射線測定学習会開催(京都市左京区)
1月26日 脱原発はりまアクションの会に招かれて講演(兵庫県加古川市)
講演等5回
2月6日 旧日本軍性奴隷問題水曜行動参加(京都市中京区)
2月9日 ナラがれ報告会に参加(京都市伏見区)
2月17日 佐藤幸子さん講演会にパネルディスカッションコーディネーターとして参加(兵庫県丹波市)
どろんこキャラバンたんば実行委員会主催
2月21日 守田敏也さんを囲んで 何でも聞きたい放題の会参加(兵庫県篠山市)
2月24日 三田の未来を守る会の招きで講演(兵庫県三田市)
2月27日 京都市職労の招きで講演(京都市上京区)
講演等4回
3月2日 彦根おやこ劇場にて講演(滋賀県彦根市)
3月6日 旧日本軍性奴隷問題水曜行動参加(京都市中京区)
3月9日 奈良・市民放射能測定所開設記念講演(奈良県奈良市)
3月10日 西宮市フレンテにて講演(兵庫県西宮市)
3月10日 脱原発はりまアクションの会に招かれて講演(兵庫県加古川市)
3月15日 姫路避難者公聴会に参加(兵庫県姫路市)
3月15日 高砂市職労の招きで講演(兵庫県高砂市)
3月16日 堺町画廊にて講演(京都市中京区)
3月20日 震災2年チャリティコンサートにて講演(京都市南区)
3月24日 みんなのカフェにて講演(京都市伏見区)
講演等8回
4月3日 旧日本軍性奴隷問題水曜行動参加(京都市中京区)
4月4日 びわこ123キャンプで講演(大人向けと子ども向け)(滋賀県高島市)
4月7日 六島さん追悼会参加(京都市伏見区)
4月20日 原発をなくす向日市民の会の招きで講演(向日市)
4月27日~5月3日 半断食セミナー参加(奈良県明日香村)
講演等2回
5月6日 阪神市民放射能測定所開設記念講演(兵庫県西宮市)
5月19日 京都市民放射能測定所開設1周年記念講演(京都市伏見区)
5月21日 全神戸労働組合センターの招きで講演(兵庫県神戸市)
5月24日 日本バプテスト四日市教会で講演(三重県四日市市)
5月25日 日本バプテスト四日市教会で2回目講演(三重県四日市市)
講演等5回
6月5日 伊丹市中央公民館の招きで講演(兵庫県伊丹市)
6月5日 旧日本軍性奴隷問題水曜行動100回目記念デモ参加(京都市中京区)
6月9日 篠山市地域防災訓練で講演(兵庫県篠山市)
6月15日 企画「聞け、福島の声」で講演とコーディネート(京都市伏見区)
6月22日 長谷川ういこ応援集会で発言(京都市下京区)
6月25日 篠山市で市職員向け講演(兵庫県篠山市)
講演等5回
7月2日 滋賀大学経済学部の招きで講演(滋賀県彦根市)
7月3日 TOSCA原発学習会で発言(京都市左京区)
講演等2回
2013年1月より7月初旬まで 講演31回