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明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(251)避難と除染についての考察

2011年09月04日 23時30分00秒 | 明日に向けて(251)~(300)
守田です。(20110904 23:30)

土曜、日曜と所用で東京に行ってきました。新幹線の車中で台風の東
海道を眺めながら、避難や除染について考えていることをツイートし
ていましたが、いろいろな方から反響がありました。そのツイートを
まとめて投稿したいと思います。(なお必要な訂正や付け加えを行っ
ています)

*****

新幹線で台風を突破して東京へとばく進中。富士川がものすごい濁流。
東海道本線は止まっている模様。新幹線は最大で41分の遅れ。

今日の目的は東京近郊の某都市のままさんと会うこと。この都市、まま
さんたちが幼稚園の放射線値を測っていることに対し、「公的な場所を
市民がかってに測定するのはまかりならん」 とか幼稚園に通達したらし
く、市民による計測がおさえられているらしい。

行政、とくに首長は住民の避難を嫌う傾向がある。住民がいることが、
自分たちの権力の基盤だと思っているからではないだろうか。歴史的に
も定住しない流浪の民は政治権力によって迫害されることが多かった。
日本では、みちみちの人がそれにあたる。

そこまで話を広げずとも、例えば今、福島県が行っている放射線除染
活動などには、避難回避の意図が強くみられる。もちろん除染で避難が
回避できるならそれに越したことはないが、この見極めが大切だ。

南相馬市での除染などどうなのだろう。大山こういち議員が市長を避難
を押し止めていると強く批判している。ここに入り込んでいる児玉龍彦
教授は、緊急除染と恒久除染は違うと明示しつつも、避難は住民の判断
によるものとして、避難勧告などは避けている。

この辺は非常に難しい。そもそもここまで除染したら安全という値は本
来設定できない。緊急と恒久の線引きはどうなるのか。よくは分からな
いがなにはともあれ自分自身も各地の除染活動にかかわらねばと思う。
その前提としての、各地の住民による測定活動にまずはコミットメント
するつもりだ。

また避難した方が良いという強い認識を持ちながらも、その場にいる
人々のことも大事に考えなければいけない。避難の呼び掛けは大事だが、
様々な事情で避難できない人々とどう歩むのかもとても大事だ。この点、
行政の避難回避策とは線を引きつつ、何ができるかを考えなければ。

さて東京についた。17分遅れだ。続きはまた…。


避難と除染の問題を論じているときに、ある知人からアメリカからの帰
国を伝えるメールが届いた。僕や彼女が住んでいるのは京都市。彼女の
お連れ合いはアメリカ人で、2人の小さな可愛いお子さんたちがいる。
その彼女から京都を脱出してアメリカに行くべきかどうかと相談を受け
たのは6月のことだった。

僕は、原発事故が全く収束しておらず、今後どのような放射性物質の拡
散があるか分からないので、海外と比べて京都の方が今はリスキーだ。
とはいっても海外に出れる人は少ない中で、あなたに行けるところがあっ
て、行くか行かないか悩んでいるのなら、行くことをお勧めすると話した。

彼女とお連れ合いは他にも色んなアドバイスを受けて出国を決意。その後、
僕がアメリカでの被曝実態のレポートも書いたので、ちょっと申し訳
ない気もしたけれども、向うで放射能を気にしないでよい生活が送れて
良かったようだ。

ところが京都に戻ったら子どもの調子がにわかに悪くなった。それで
Oリングなどを使った治療をしてくれる医師にみせたら、あっさりとセシ
ウムの被曝の影響だと言われたという。西洋医学の体系を信頼する方は
まゆつばと思われるだろうが、僕も被曝の影響ではないかと思う。

というのは、この夏、多くの子どもが被曝を憂いた大人たちの手で各地
に短期の避難をした。素晴らしい試みが無数にあったが、今は多くの子
どもたちが元いた地域に帰った。その親御さんの何人かから、子どもが
戻ったら体調不良になったという話を聞いたからだ。

さらに知人から、原発問題に詳しく、チェルノブイリの子どもたちを夏
に短期受け入れてきたある高名な教授が同様のことを語り、帰ってから
体調を崩す子どもたちのことで胸を痛めてきたことも聞いた。

そうなるとアメリカに逃れていた子どもたちも、京都に戻って症状が出
てきたと推論される。京都も被曝地だというわけだが、その場合、食料に
よる内部被曝の割合が高いと思われる。

関東から逃れてきたある人は、京都の方がかえって東日本の食材が多い
気がすると語っていた。買う側の警戒心が東日本より西日本の方が低い
気がするとも。

となると京都もまた、もし選択肢があるのなら、避難した方が良い土地
であると言える。しかし同様のことは、日本のかなり広範な地域に当て
はまると言えるだろう。私たちはこのことを見据えて、より被曝量を減
らす努力をしていく必要がある。


アメリカから帰国した知人は京都のものを整理したらもう一度アメリカ
に戻るそうだ。それがいいと僕は思う。でも京都を出れない人、出る気
のない人はたくさんいるし、京都に避難してきている人もたくさんいる。
僕自身は自らの選択として京都からやれることをやり続けるつもりだ。

このツイートに対してある知人が南相馬市から避難してきた人の言葉を
伝えてくれた。かの地のあるところでは懸命の除染の後に山に積もった
放射能が流れ降りてきて元の木阿弥になってしまった。除染は無理だと
感じたそうだ。実際、僕も山は除染はとても無理だと思う。

そうした放射線が高い地域からは例えば京都に避難した方がいい。東京
からだって、可能なら京都に移った方がいいだろう。(僕は今、新宿で
これを書いている)でも京都よりもいいところもまたあるし、そこから
みれば京都も離れるに越したことはない。そもそも今は日本にいない方
がいいとすらいえるだろう。こうしたことを、それぞれがそれぞれのい
る場で、考えていく必要がある。

なかなか解けないパズルのようだが、答えを焦らず、できるだけ多くの
立場の声に耳を傾け、相互理解を深め、痛みをシェアしあって、できる
だけ多くの人で歩める道を探したいものだ。みんなで知恵を出し合い、
歩んでいきたい。そうでないと未来はみえない。集団的叡知にたどり
着かねば…。

*****


補足を加えます。

「京都の方がかえって東日本の食材が多い気がする」というのは、東日
本に比べて警戒心の緩やかな京都の状態について感じた比ゆ的な感想と
考えるのが妥当だと思います。生鮮食品である野菜は、大消費地=都市の
近郊で作られて運び込まれてきたので、その構造までががらりと変わっ
ているわけではないと思います。

なおある子どもさんがOリングを使った治療で、「セシウムによる被曝」
と言われたとツイートしたことに対して、別の京都の知人からこんな
メールが寄せられました。

「あるヨーロッパの国から戻ってきている友達の娘さんが今年初めから
8月初旬まで沖縄の石垣島に滞在していたのですが・・・京都で再会して
激やせしていて、慌てて子どものときから診てもらっているOリングをさ
れるお医者さんに診てもらったら、その娘さんはアレルギーがもともと
あって、そして化学物質過敏症なのに他のものには一切反応がなく
・・・ひとつだけ反応したものが「セシウム」だったと昨夜聞きました。
ちなみにどうやって「セシウム」をOリングで調べたか聞いたら、汚染
されているお茶の葉を持って調べたそうです・・」

さらに考察を続けます・・・。


コメント (3)
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