『フランチェスコとフランチェスカ』 ベッティーナ作・絵 わたなべしげお訳
携帯やインターネットで本が読めるご時勢。それでも、私は「本」が好きです。
紙に印刷された「本」が好きです。
本は、作家さんの手を離れたところからスタートし、新しい物語がいくつも追加され、
読者の手に渡ったときに、まさに、世界にたった一つだけのものとなります。
しかも、それで終わりではありません。永遠と・・・燃やされてしまうまで、その物語は続くのです。
その、作者さえも知らない、新しい物語に想いを馳せるとき・・・・・・・
私は、なんとも幸せな気持ちになるのです。
この『フランチェスコとフランチェスカ』は、私にとって、特別な、特別な一冊です。
はじめて、この本と出会ったのは、小学生の時。
その頃、お誕生会を開くことが、女の子たちの間で流行していて、母が、友だちへの
プレゼントにと選んだのが、この本でした。
薄い包装紙から透けて見える表紙には、色鮮やかな外国の風景が描かれていました。
日にすかして、何度も、何度も、その表紙を見たのを覚えています。
そして・・・私は、すっかり、その本の表紙にとりつかれてしまったのです。
「何か買ってあげる」と言われても、「結構です」と断るような、可愛くない子どもだった私。
それなのに、この時だけは、自分を抑えられなくなってしまったのです。
覚えている風景は、わんわんと泣きじゃくる自分の姿と、母の怒った顔。
玄関に出されて、泣きながら家の中の話し声に聞き耳をたてていました。
怒った母の
「人の物を欲しがるなんて、いやしいことだ。」という声が、深く心に残っています。
そして、しばらくたった後、父が言った言葉。
「あの子が、あんなに欲しがるなんて、きっと、どうしてものことだ。もう一冊、買ってあげなさい。」
友だちが持っているからという理由で、おもちゃを買ってもらえる現代の子ども達を見るにつけ、
あの時の、母の言葉を思い出します。
そして「あの子が欲しがるなんて、どうしてものことだ」と言った父の言葉を。
そうして、友だちのプレゼントになるはずだった本は、そのまま私のものとなりました。
苦い、苦い思いと共に。
「あれだけ読んでみたかった本は、いったいどんな本だったのだろう?」
大人になってから、ずっとずっと、その思いに捕らわれていました。
自分でもびっくりなのですが、題名も、ちゃんと覚えていました。けれど、すでに絶版。
古本屋さんを探してまわったけれど、どうしても見つけることが出来ず・・・・・。
もう、諦めていたところに、かなり前にお願いした古本屋さんからメールが入りました。
「まだ探していますか?」と。
インターネット上のやりとりだったにも関わらず、覚えていてくれた古本屋さんに感動し、
お礼のメールを書きました。
「この仕事をしていて良かったと思える瞬間」と、店主さんが返信して下さったのが、
強く心に残っています。
実は、今年、また新たに、この本にまつわるストーリーが増えました。
誕生日のプレゼントに、妹が送ってくれたのです。
しかも、箱に入った1976年のもの。年もぴったりです。
まさに、私が小学生のときに発行されたもの!!
久しぶりにページをめくると、また、ほろ苦い思い出がよみがえってきました。
包装紙ごしに私を虜にした挿絵。今になってみると、ごく当たり前の外国の風景です。
色の鮮やかさも、何か特別という訳ではありません。
でも、あの頃の私にとっては、それはそれは、まぶしく輝いていたのだろうな。
そこまで胸をときめかせることが出来た少女時代に、ちょっとだけ嫉妬なのでした。
・・・・・・・・・そんな、子どもの頃の思い出とともに、
遠い九州の古本屋さんが、この本を手にしたときのことを想い、
妹が、私のプレゼントにこの本を探してくれたことを想い、
(もちろん、そこから、また別の古本屋さんが繋がっているのです)
そしてそして、この2冊の「本の元の持ち主」のことを考えてみたりする。
元の持ち主は、誰に、どうやって買ってもらったのだろう?
こんなに美しいまま保管していたのは、その子のお母さんだったのかしら?
そして、改めて・・・・
やっぱり、私は本が好きだなあと思うのです。
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つながっているんですね!
naokoさんもすてき♪
この表紙絵に魅了されてしまった、小学生時代の
こももさんがほんとうにうらやましいし、
その一途さがまぶしいです。
そういう出会いって、あるんですね。
古本屋さんとの出会いも、不思議だけれど、偶然のようで
必然だったのかもしれませんよー。
いつかきっとまた その場所に行って再開する何かのために。
わたしも、米子にそういう古本屋さんがあるので、
いつかのお楽しみにしようと思っています。
「フランチェスコとフランチェスカ」わたしが出会ったのは、
すっかりおとなになってからで、今見たら、
わたしのは'92、3刷でした。
最初は、函入りだったんですね!
わたしもやっぱり、本が好きです♪
こももさんのちょっとほろ苦い思い出を読みながら、本とともに成長してきた自分のこともほろっとこぼれてきました。
いろんな意味で、本がなかったら・・どうなっていたんだろう・・と思うのです。そして今の幸せもひしひしと感じます。
こももさんの思い出のこの絵本を持ってはいないのですが、回りまわってきたこの愛おしい2冊の絵本の歴史に想像をかきたてられ、絵本がおしゃべりできたら ずいぶん素敵なドラマを聞かせてもらえるのでは・・と、くすっと笑ってしまいました。
そしてやっぱりこももさんとnaokoさんの姉妹のつながりにうっとりしてしまいます。いい姉妹ですね。
こももさんの本を思う気持ち。本から繋がる思い・・・なんと温かい・・・
こももさんのこの日記読めてよかったです。
米子の本屋さんは。
店主さんの想いがつまった本屋さんって、本当に、素敵ですよね。
それにしても・・・
琴子さんは、この本をお持ちなのですね!!さすが!
以前、本屋さんで問い合わせたとき、
この本は、何度か記念復刊(そのとき限りの)されているから、残っていれば、偶然手に入ることもあるかもしれないと言われたことがありました。
琴子さんは、そのときに手にとられたのかしら。
私ってば、本の印刷の年を見るのが大好きなもので、たまに、本棚をのぞいて、最後のそのページをめくっては、その年に思いをはせるのが好きなんですよー。
たまに、本の内容が好きなのか、そのページのために買っているのか、よくわからなくなります(笑)
出版業界が厳しいときを迎えているという特集を、先日テレビで見ました。
細々とだけれど、支えていきたいですね。
私も、本とともに成長してきました。
そうやって少女時代を過ごせたこと、本当に、良かったなあと思っています。
本がなかったら、本当に、どうなっていたのかしら?
小学生の頃は、図書館が居場所だった子。
中学生の頃は、思春期のイライラやモヤモヤを本が吸収してくいれていました。
今、こうやってあるのは、本のおかげだなって思うんですよー
こういう思いを聞いてもらえるような
本を心から愛している方々にお会いできて
本当に、このブログをはじめて良かったなあと
思っているのですよ。
これからも、よろしくお願いします。
ずっと覚えてくれていた古本屋さんも、ステキですね。なかなか、お仕事でやっているだけの人には、できないことですよね。
ずっと覚えてくれていた 妹さんも。
この本を欲しがっていた、子どものころのこももさんが、それほど強烈な印象だったのでしょうか
そこまで誰かに思いを込められて、この本も幸せだと思います。
今読むと、どうして、そこまで惹かれたのか
ちっともわからないのですよ。
もしかしたら、他の子にあげるのが惜しかっただけなのかも。
つまり、母の言う通りだったかも?なのです。
でも、私にとっては、それもひっくるめてのストーリーなのです。