シモキタのtokyoboy

下北沢に居を構える初老オジのエクスサイズ、呑み歩き、美術館巡りなどの備忘録生活記録ブログ、含む膝蓋骨骨折リハビリ記録。

書道博物館「中村不折コレクション展 中村不折と明治の書-文豪達との交流を中心に」 ぐるっと2010P

2010-05-23 | ぐるっとパス2010

P5050020 2008年以来の訪問、前回同様上野の山から言問通りを下り、ラブホテル群を突っ切って、となりました。焦ったのは目の前に女子高校生を中心とする一団も同様にラブホテル街に入り込んでいくので”え!”と思ったこと。まあ、普通に表通りの方まで出て行ってしまいましたが^^;

こちらは中村不折さんの旧宅を台東区が書道博物館としたもの。不折さんの各種コレクションがふんだんにあって本館には中国各地で集めた書蹟が展示されています。備忘録的に言うと、この不折さん、書道界では隷書と呼ばれる書き方の大家として知られていますが、展示品にもそういった研究の足跡が感じられました。前回の初回には気が付かなかったんですが…

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今回の企画展に間に合うようにGW中の訪問となりました。不折さんと言えばお宅が目の前にあった正岡子規との交流が有名で、実際彼との書簡のやり取りその他の展示は多かったのですが、一番目を惹いたのは夏目漱石との書簡。そして、何より、不折さんが「我輩は猫である」初刊本の挿絵を担当されていた、という事実。

漱石さんも彼宛ての手紙の中で”不折さんの洒脱な挿絵のお陰で好評を得た…”という趣旨を書いていますが、確かにイメージピッタリのゆるい、何とも言えない挿絵でした。

この他森鴎外との付き合い(鴎外の墓石は不折の揮毫)、『野菊の墓』(伊藤左千夫)『若菜集』『一葉舟』『落梅集』(いずれも島崎藤村)の表紙絵、など多彩な不折さんの才能を見ました。また、いくつか彼の洋画(元々官費で欧州に留学されていた方)も展示されていて、これも見応えがありました。

ということで備忘録:

慶応年間1866年~1943年の洋画家、書家。正岡子規と共に雑誌「日本」の取材で日清戦争に従事(これ「坂の上の雲」に出て来ましたねえ^^)、この時書にも興味を持つ。1901~05年渡欧。

隷書で有名。あ、台東区HPに上述の「吾輩」挿絵と一緒に出ているページがありました。ご参考まで。

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久方振りに訪問してかなりお得に思えたこちらの入場料500円が無料となって、ぐるっとパス効果は計13,170円になりました。

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関西国際空港

2010-05-23 | 世界の空港

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この直線的に伸びたターミナル、フロアで機内へのアクセス・ラインを変えて国際線・国内線を同一ターミナルに混在可能→乗換が便利、としたデザイン。

ここは関西空港、人口浮島に先進性のデザインで24時間化を可能とした空港ですが、相変わらず評判は良くないですねえ…

これまで海外から大阪を目指した時のみ使用したことのある空港、でもこの日は羽田との日帰りで。

東京人目線で言うと昼間帯にフライトが極端に少ないです。JAL、ANA合わせても羽田行きが正午12時の次が15:45、でしたから…?ですねえ。KIX発の国際線は24時間空港ということで早朝、深夜に集中しているのでしょうか?

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本土との橋、及びこの日往復とも乗ったスター・フライヤー機材。

羽田から北九州はJALとの共同運航なのか羽田ターミナル1、関空はANAとの共同運航で羽田ターミナル2.お間違えないように…

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下馬1丁目の庚申塚

2010-05-23 | 近所のランドマーク

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林試の森へのジョギングの帰り、蛇崩交叉点を抜け三宿病院入口の信号のところで最初の写真、庚申塚記念碑、そして次の角で2番目の写真にある庚申塚を”発見”しました。

恐らく”記念碑”のロケーションにあった庚申塚を道路拡張とかの関係で今の場所に移転したのだと思います。この野沢通りは既報の通り、戦前、幻の東京オリンピック準備の際手が加えられて現在に至っています。

P3140047 庚申塔の左側を良く拝見すると、元禄七年、という造られた時の記録が見て取れます。

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