シモキタのtokyoboy

下北沢に居を構える初老オジのエクスサイズ、呑み歩き、美術館巡りなどの備忘録生活記録ブログ、含む膝蓋骨骨折リハビリ記録。

トニー・ベネット、逝去の報に接して: サンフランシスコのカラオケクラブ「人生塾」

2023-07-29 | 昔行った場所

I left my heart in San Francisco…

7月21日、といっても現地時間なのか今思い起こしてその時点でニュースで聞いたのか朧げなのですが、この曲を歌ったトニー・ベネットさんが96歳で亡くなりました。

最晩年はアルツハイマー病に罹っていることを公表、表舞台には立っていませんでしたが、私のようなファンからは1994年に出したアルバムがグラミー賞最優秀アルバムを受賞、懐かしい顔が素晴らしい、と思ったり、その後もレディーガガなどとのコラボで爺さん元気だなあ、と思っていたのですが…

 

その報を聞いて、my fond memory の一つを思い出しました。

この「想い出のサンフランシスコ」、1953年作はビルボードでは最高19位だったそうですが、今やサンフランシスコ市の公式ソングにして超アイコンですよねえ🎯❤️✌️

ところで、ここに掲げた私の宝物。

サンフランシスコ、ジャパンタウンにあった(今でも、かどうかは不明)カラオケクラブ「人生塾」で2年暮らしたサンフランシスコから日本に戻る際プレゼントされた上述の曲の楽譜です💁‍♀️

Sanaeさんがオーナーだったとここに記しています。

帰国最後の夜にこちらに伺うとこの楽譜が用意されていて、必ずしも全てのお客に渡されることはない、と言われたのは美しい想い出かも…

一曲歌ってさようなら、は…素晴らしいですよね❤️👏😙

 

訃報を流したNHKの朝のニュースではこの曲を「霧のサンフランシスコ」と称していました⁉️

英文タイトルからしてあり得ない翻訳ですが、サンフランシスコ旧市民としては“霧”も同市のお約束ではあります。

でもねえ…

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ハードロックカフェとTony Roma (六本木)

2023-04-10 | 昔行った場所

この日久し振りに六本木の裏道?とは言えませんが、外苑東からちょいと首を伸ばしてその先を見ると…

この景色ですわ✊️💁‍♀️

この右側のShopというビルは知らず、左奥にあるお店、ギターの看板がド派手な「ハードロックカフェ」さん、が今回のテーマ。

手前右はTシャツとか売っているんでしょうね、多分。

1983年7月にオープン、2012年にリニューアルしたそうですが、そうだとすると私はリニューアル後には行っていない💦

アメリカ留学後、いかにもそれらしいポーションのアメリカ料理、ハンバーガーとか、を食べたくなった時当時の東京では重宝するお店でした。

そして全米中にチェーン店があるので、安心して訪問できる店として、オイスターカクテルが美味しいHOOTERS、ちょっとあざとい狙いもありましたが、出張や旅行でアメリカを旅する時ロケーションを確認することも多かったのですが…同行の若いスタッフが喜びましたしね🤪💁‍♀️

 

その点で言うと、むしろ足繁くだったのが写真に看板の見える「トニーローマ」さん。

スペアリブ、特にショートリブがとても美味しく、今の東京は知らず、こちらは唯一無比の存在。

 

この風景の先には西海岸の雰囲気をそのまま六本木に移したような、素晴らしいお店があって、そこへの言及を試みたのですが、

ネットで調べた限りまだ店名には辿り着いておらず😅

でも建物的には現在「巨牛荘」という韓国料理屋になっているところに間違いありません。

ご記憶の方ありましたら、是非にコメント欄にお願いします。

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東大駒場キャンパス 07/2021: 学生、戻る…

2021-07-24 | 昔行った場所

久方振りに足を踏み入れた東大駒場キャンパス。

タイミング的には世間が夏休みに入る時期でしたが、リモート授業からのリカバリーや、ただですら秋試験とかある(少なくとも私の頃)教養課程ですから、ぱたっと学生が消えることはない、

ましてや今年は…

 

 

 

 

とまあ、時計台の周りを回っただけですが、昨年同期なら人っ子ひとり見かけなかったろうキャンパスに人が戻ってきています。

この日の目的地、旧図書館、現在駒場博物館から始まって、

イタトマ、学館…

 

生協、食堂にもかなりの人影、

図書館で確認したら、私の入館証ではまだ入れないそうな…

最後に…

 

銀杏並木回って、900番教室前でキャンパスを後にしました。

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代々木第一競技場周辺

2021-02-25 | 昔行った場所

ここの素晴らしいところは空が抜けていること…

 

冬の終わり、でも乾燥し切ったこの日の空の青さは恐らく皆さんご存知ないこの空間の気持ち良さを表すにはベストの日かも✌️

 

 

 

代々木第一体育館は敷地内閉鎖空間と思われがちですが、渋谷区役所の方に向けて半世紀、深夜はダメだと思いますが通り抜け可能となっています。

 

この山手線線路が横に見える通路、学生の頃よくデートで歩いた場所、

今次オリンピックに向け代々木第一は全面改修、それも終わって久し振りの散歩。

 

知らなかったんですが、今は代々木公園側、フットサル競技場の方にも出られるんですね。

イヤー、気持ち良いな…

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(旧)南部亭 (日比谷公園内)

2021-01-30 | 昔行った場所

あれ、ずっと閉まっていたあの建物が綺麗になって灯りがついている…

近付くと、建物側面には懐かしい「Nambutei」の文字。

でも、表、入口に向かうと…

「KAMOS」という看板?

 

 

 

 

さてこの建物、元々は東京市長後藤新平が市民のために、と出した蕎麦屋さんが最初とか。

こんなHPが未だ残っています…

http://www.nambu-tei.com/welcome1.htm

そこに昭和30年今の建物がやはり蕎麦屋として完成、その後30年位前にフレンチレストランへと変わった…

ということは私がランチに足繁く通ったのは、フレンチになって間もない頃だったことになります。

そして、2017年に閉店…

 

この日は何時雪混じりになるだろう、と危惧する天気。

その中、大好きな小村雪岱さんの企画展を拝見に訪れた日比谷公園。

年代的にもぴったりのこちら。

数日前のTVニュースでは凍りついていた噴水の鶴さんはそこまでではなく…

上記HPにある漆喰の壁、手削りの柱など写真でお分かりになるかな?

 

お願いしたのは「緑茶レモングラス」という日本茶だかタイ茶だか分からないネーミングのそれ。

今は「おやき」とかスナック系の食べ物とドリンク提供のお店のようで、往時のフレンチではありません。

2階に上がって、テーブルクロスとか全く縁遠い雰囲気ながら、ゆったりくつろぎました。

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成田空港第1ターミナル: 国外との人的交流開始直前

2020-06-11 | 昔行った場所

6月に入って、新聞紙上ではベトナム、オーストラリアなどとのPCR検査を伴わない人の移動を認めようという動きが見え始めましたが、

そんな中成田空港へ帰国する家族を迎えに行って参りました。

冒頭は到着階のフライトステータスボード、相変わらずフライトキャンセルが多かったです。

下はそのアップ。

 

成田空港へは約2ヶ月振り、前回は第2ターミナルだったのですが、そちらは相当年数振りの訪問。

こちらのターミナルは昨年7月以来、自分が飛び立ち、戻って来ましたけどね。

そしてターミナル外側車寄せ、閑散としています。

 

さて、今回のCOVID-19騒動の中で、国際線の本数を需要が無い中頑張って維持して来たのはANA、もう完璧に様々な面でナショナルフラッグキャリアです。

 

そして実際、4月と6月という差はあれど、夕刻の第1ターミナル、出発便もあって人の動きがそこそこある。

興味深かったのはフライト到着から家族が出て来るまでPCR検査含めて1時間ほど待っていたのですが、

その間にキャビンアテンダント(CA)やパイロットの方々は先に出て来る。

皆さん、写真左側の方に歩いて行くのですが、その後パラパラとCAの方たちは私服に着替えて荷物を引いて戻って…

何回か同じ方を見るのですよ、行ったり来たり。流石にCAですから目を引く容姿、スタイルの方も居るので気が付いちゃう。

超昔ならハイヤー送迎、今は、って私が頻繁に職場に来るようにこのターミナルに来ていた20年ほど前にはその制度も廃止されていましたが、でサッと空港を後にしていたんでしょうが、気になりました。

 

お店もレストラン街で何軒か、コンビニも、

両替、銀行、郵便局、鉄道、バス、など生活インフラのお店も開店中。

トイレは東京オリパラ目指して全ての箇所でリノベーション、写真真ん中最後に工事終了のそこへ行ってみましたが確かに綺麗。

他ではTOTOのアンテナトイレもあったりして…

3枚目は出発階の様子です、下の3枚も。

 

この日の着フライトはパネルの通り、少ないですけどねえ…

SECOMの監視ロボットがほぼ無人のロビーを巡回していました。

それでもANAは上海や青島便も飛ばしているんですね、完璧に日本人駐在のみ利用可、行きは空気を運んでいるのでしょうが、意気を感じました。

それともマスクの貨物便?

 

こっちが出発案内パネル。

そんなANAですが、新聞でに社長インタビューでは7月から就航都市の見直し必至とか。

まだまだ、というかひょっとしたらもう元には戻らないライフスタイル、サプライチェーン、などなどの変化が出てくるかも知れません。

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大多福: 淺草千束、金龍小学校前のおでんの名店、文化財級の建材を活用して再開 アーカイブ

2019-11-29 | 昔行った場所

Dvc00010これが以前のお店ファサード、懐かしいわね。

カウンターは新店になっても相変わらず予約を取らないそうで、この写真撮った日はどうして綺麗な入口だったのか不明ですが、何時もは季節ともなるとここに大行列…

だって座敷でお仕着せのセットなんて嫌なんだもん、

当然とばかりにじっと並んだもんです。

 

 

 

 

 

次は新しいお店のファサード、どうですかね…?

 

 

 

前は二階建てと記憶する日本家屋、今度はビル。

どうです、ここに並ぶのか、と思いつつこの日は口切客となってぬくぬくしました。

その記録は後段にて…

 

 

 

 

 

それでは、ここまでの本ブログでこちらについて言及した記事をアーカイブまで。

 

(2010.02 初言及)

  

上記で「香味屋」さんに言及して、まだこのお店を紹介していないことに気が付きました。tokyoboyにとって記憶のない幼児の頃から再再お邪魔しているお店です…もう50年以上になる訳です。

居酒屋、というには抵抗がある格をお持ちの老舗ですが、でも本シリーズでハイ・エンドのお店を紹介していますので許して頂きましょう。

子供の頃はしゃぎ回って、怖かった先代に叱られ、また末っ子のtokyoboyが酒を呑み出した頃には家族でこちらに来てお銚子を10数本並べて、帳場に座って少し丸くなられた先代に”うちは酒屋じゃねえ、少しはおでん食え”とやっぱり叱られ、下町っ子として鍛えられてきました。

社会人になって、最初の職場が蔵前だったこともあり、若造のくせにお邪魔すると当代、にやっと微笑んで優しく迎えてくれました。段々中年の域に差し掛かってきてカウンター目当てに並んでいると”こっちに座ってビールでもお飲みになって”と扱われつつ当代を囲むお子さん達の成長を眺め、最近では当代が先代同様帳場に座られるようになって、それを懐かしむ目になっている自分に気が付いたりしています。

 

********************

(2011・09追記)

Dvc00010

久方振りに訪問のこの日。

ご主人、気が付いてくれました

しばらくして、店の方に出られたご主人、杖を付いています。

記憶では先代もリューマチか何かで、晩年は足がご不自由でした。

お大事に…

 

 

(2019.02 再訪??)

 

「大多福 仮店舗 大川端店」さん  (浅草駅近く)

 

ネット情報では大川橋、となっていますが、

アチキは勝手に「大川端」だろう池波正太郎さんも賛成してくれるロケーションから言って、でのご紹介。

2011年に訪問の記事があり、ここでは建て直し前の入口写真と私の勝手なこちらへの思いが書かれてますのでご参考まで:

https://blog.goo.ne.jp/tokyoboy00/e/8b15d7ada1d47f6e42246b32796bb3c3

以前の店舗入り口の様子も分かります。

 

さて、これに先立つ仮店舗の存在を知るに至る経緯、って大層なもんでは無いんですが、

 

前の店のロケーションに行ったのは2017年酉の市前夜の帰り、龍泉というか千束というか、からトコトコ歩いてきて言問通り沿いに空き地を見つけちゃった、のが最後。

その後どれ位してからですかね、このお店の存在知ったのは…

 

えーっと、仮店舗は駅出て松屋から川寄りの道を行くんだよな…

での到着。

あ、記事と写真の同期は取れてません、悪しからず。

 

前の日電話してカウンターは予約取らないことを確認、これは前と同じね。

いよいよ当日、松屋の隅田川寄りの道沿い、ビル3階の窓に懐かしい提灯を目にし、

エレベーターで上がって、カウンター席待ちを15分くらいですかね、場所を作って下さって、

この写真は天国(かなあ?)に居る私のオヤジ用、クラウドで見えますでしょうか?

船大工さん2代目、お元気に鍋前に立たれてました。

前の店では息子さん2人に譲った感でお父様同様帳場にゆったり座られていましたけどねえ、ここでは長男さんと交代で仕事していました。

因みにご次男は厨房を仕切っています。

 

 

ご主人からは“何取りましょうか”と聞かれましたが、

最初は刺身から行かせてください、での初鰹に赤貝のぬた。

いずれも抜群、樽酒をちろりでお燗して頂き昔からのペース👍❣️

 

 

そこからはおでん、全部かなあ、こんなものを頂きました。

最後に今年10月にお店の改装なってもここは暖簾分けというか残されるのですか?、とお聞きしたら「それは彼らが決めること」と既に任せている様子にニコリとしてお愛想をお願いしました。

皆さん一流大学出身ですからねえ、頼もしい限り。

ああ、いいなあ、美味しかったなあ、ご馳走様。

 

(2019.11 二の酉前夜)

 

川端からこちらに戻って1か月弱、

気が付いていなかったのは痛恨の極み、でもお酉さんで調べて気が付きました。

いけねえ、お邪魔せねば㊗️🏃‍♀️

上で紹介のように、以前は入口が言問通りに近くあってそこから入ると長いカウンターでそこから座敷でしたが、今回はその部分はセットバック、広い入口で奥に立派なビル👏

 

2階が変わらず予約を取らないカウンター、基本撮影はご遠慮、まあ人が入らなければ、だそうですが、まあみせのふんいきありますしね、での再開記念の鍋をアーカイブ。

これ、カウンターの椅子まで含めて大川端から来たんじゃないかな。

 

ご長男、色々移転の苦労、取り壊し時にその前の店舗の食器とか出てきたとか、

そんな話を伺いながらの楽しい時間。

あちらを残すと御兄弟が分かれての商売に、などと噂になったのでさっさとそっちは閉めたそう。

いやーいいな、楽しいな、これからも宜しく。

 

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オークラ東京に行ってみた

2019-09-23 | 昔行った場所

元々の狙いは再開なった大倉集古館訪問でしたが、

テレビでの報道盛んだったオークラ東京の探索もやってみました、の報告。

冒頭は外国人客から保存して欲しい、というリクエストが強かったという旧ロビーのイメージを極力残した新ロビーの様子。

格子模様とか復旧工事の様子はニュースでも流れていましたが、ほぼおんなじ感じですかね。

ライティングは少し鮮やかになった気がします。

 

さて、それではホテル正面の様子。

以前はこの下、宴会場フロアの前が大きい車寄せになっていましたが、今は駐車場への入り口がぐっと印刷局前の道に張り出し、

その上部が右に見られる庭園となった、と理解しました。

(以前の宴会場入口の様子はこちら。建設中の様子も時宜リポートしています。) https://blog.goo.ne.jp/tokyoboy00/e/d2eef3d943eaa1f34558831b8a1323eb

入口の前には池、その向こうには.

 

別記事紹介の集古館、リノベーション終わって元の位置かは不明ですが綺麗になりました、が見られオリエンタルムード満載。

館内の様子もご覧の通り、和基調の落ち着いた様子です。

選んだカテゴリーは私の結婚式がここ、曙の間だったから。

その各宴会場は名前を引き継ぎ1階に復活しておりました。

同時間に7組結婚式を挙げても絶対バッティングさせないというオペレーションが売りだそうで、

やはりここは宿泊というよりそういったオペレーション売りのホテルなんだと思います。

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井出 : 赤坂一ツ木通りから入った隠れ家創作アイデア料理店

2017-01-20 | 昔行った場所

大人になるって、色んなファクターがあるのでしょうが、

tokyoboy的には学校、友人、お付き合いした方、どんなところで吞んだか食べたか…

その中でも結構な比重と思い返すことの多い場所は飲食店。

修行の場、とまでは思っていませんでしたが、何となく梯子から手とか足を延ばして次なる場所、高みへ、と。

それにしてもかなり前に閉店した筈なんですが、店舗とか綺麗に無くなっているのに道路脇のこの看板だけ残っていたなんて!?

 

意識はしてませんでしたが、その頃のガキの自分を愛おしく思い出す時、

TBSやら電通やらに働く少し年上の男性陣と学生の自分を意識しつつ、

何時も気の置けない感じにしてくれるサービスの男性(名前失念)の雰囲気と共に、

このお店がいつも頭に浮かぶのです。

 

(後日談)

 

本記事作成後検索してみたら、「食べログ」に未だ掲載保留ステータスで出てました。

口コミを幾つか拾うと、2013年段階で開店42年とありますが、まあそうでしょうね。

ディナー時の雰囲気はママみたいですが、最後はランチまでやってたのね…

何年か前通った時には見逃しちゃったのかなあ??

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ヨックモック青山本店、一時閉店

2016-01-09 | 昔行った場所

とあるIPポータルサイトで知ったニュース。

この3連休、1月11日を以って、”あの”ヨックモック青山本店、青いタイルで覆われた246表参道交差点から根津美術館に向かって伸びる道沿いの、が建て替えのため一時休館になるというニュースを知りました。

冒頭の写真は本ブログ2009年8月のジョギング記事(こちら)から転用ですが、それにしては歩道脇にツツジが咲いています…??

 

その際も少し言及していますが、還暦に喃々となるオジのこちらへの思い入れを久方振りの「昔行った場所」シリーズでアーカイブ。

そういえば、昨年末のお世話になった施設へ持参したお菓子はこちら。

年末とて、可愛らしい猿の包み紙を使って頂けなかったのは残念な話…

 

さて、ヨックモックの薀蓄編。

あの「シガール」が世の中に出て来た時の衝撃、って忘れられません。

バターリッチでそれまでケーキに載ったバタークリームとか甘いだけとかそんな味覚に慣れさせられた世代として、美味しかったんですよ、ビックリするくらい。

それが1969年のことで…

 

この青山の本社ビルは1978年完成。

爾来、この青を個人的には「ヨックモック色」と呼んでおります

tokyoboyは大学生、車でこの辺りを走るようになっていた、正にその時ですね^^;

 

で、そんなにうるさくなかった路駐とかでお茶したり、

デパートで扱うようになっても、”ここ一番”という時には本店まで出向く。

まあそんなこんな、を思い出します。

さあ、どんな新ビルになるのでしょうか…???

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