シモキタのtokyoboy

下北沢に居を構える初老オジのエクスサイズ、呑み歩き、美術館巡りなどの備忘録生活記録ブログ、含む膝蓋骨骨折リハビリ記録。

いやー混んでますね

2008-04-29 | まち歩き

日曜夕方、今日昼過ぎ、と下北沢の駅付近を通りましたが、いやー人だかりが凄いですね。日曜夕刻は如何にも大学の新歓コンパ今からやります、というグループ。今日は平均年齢低っ!という感じで右往左往、道歩き辛っ、でした。どのグループからも楽しそうな雰囲気が伝わってきました。

成程、下北は週末でも人が集まるところなんですね。学生と共にある街であることは間違いありません。

ニュースでは一橋大で新入生が急性アルコール中毒で一人死亡したとか(未成年だろ…)。親御さんから見れば、やっと、のところでやり切れないことと察します。達人もマグロになった息子を駅まで拾いにいったり、三年になっても、おいおい、大学病院に運び込まれ、まあ息子が後輩はこんなとき便利、と迷わず到着。ICU前でしょぼんとしているのを摘み上げたり、とやらされました。友人の方々に感謝、感謝です。

付き合いが悪ければ友達が出来ず五月病、なんてルートもあるし、それまでは取り合えず受験とその為の勉強にシフト置いていれば良かった訳で、特に一ツ橋に行かれるような方は周りからもそのステータスで一目置かれていたはず。ところが、目標の大学に入ると全く同じ境遇の人間だけになる訳ですから、そこで自己を確立していかなくてはなりません。”僕は、”なんて言ったら、何気取っているんだ、とか言われますわな。

先ずは頑張れ!ですね。前にも書きましたが、反吐に溺れて大きくなるのも大切かと。だけど命だけは大切に。

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マジックスパイス

2008-04-28 | 食・レシピ

_ 昨日の週末ランチは(私にとっては)久し振りのマジックスパイス。下北に下りていく時には前を通るのですが、11時半までに家族打ち揃って、はなかなか難しいものがあります。(何せ、余りに近いので行列に並んでまで、とは誰も考えないんです;;)今日は開店直前に私が到着、ギリギリで入口付近の席をゲット出来ました。個々にはちょこちょこ行っている様子で、好みの辛さが気が付くと変わっていたりしています。今回は時節もあり”モモ涅槃”を選びました。心なしか野菜が少なくなったかなあ。辛さは前面に出るより深みを増したのか、あれ、辛くないなと思いつつ何時もより先に頭から汗が…おいしゅうございました。

__2 左はメニューで6年前位だと記憶していますが、下北に出店してきた当初から内容、値段とも変わっていないように思います。超人気店、常に行列、という中で立派です。美味しい上に、プレゼンが良く、それだけでも一緒に行った仲間で盛り上がれる、というのが付加価値ですね。スタッフの方達も元気が良くて。(トリビア:今のチーフはMS大阪出店に伴って、下北開店当初のチーフが更に西進、新店を担当することになった後、札幌の本店から送り込まれた方です。子飼いの優秀な方を本店から、というオーナーの拘りが感じられます。)

この場所なんですが、実は隣のマンション部分に達人が学生時代からちょくちょく行っていたゴルフ練習場がありました。短いレンジでネットに当たるまでの距離では打った本人が分かる程度の実力がないと、真っ直ぐやらスライスやら、全く分からない場所でしたが、駒場のそれと並び兎に角都心に近い、という事で人が集まっていました。今同様駐車場に限りがありましたので、前の道は縦列駐車でびっちりでした。まあ、今のように周りもマンションではなかったので余り問題にはならなかったのでしょうね。駒場の方が広く長く、それこそ頻繁に行っていたのですが、時の流れで両方ともマンションになってしまいました。

P5020043

マジックスパイスの建物はその頃から同じ(という事はもう30年以上経っています)で、色こそビックリ、の変わりようですが、入口付近に練習場の受付、奥の禁煙席辺りが喫茶室でした。今もマンションの半地下には鳥小屋形式の小さいゴルフ練習場が残っています。

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日本画考察-東山魁夷インスパイアー

2008-04-24 | うんちく・小ネタ

4月7日のブログで語った東山魁夷展。その時受けた強烈な印象を何とか技術的にうんちくを傾けようと、子供の頃油絵にちょっと嵌った達人が調べてみました。遠目に平板なのに、近くに寄ると油絵の具にキャンパス地程ではないにしろ、塗り面に立体感があって、トータルで圧倒的な迫力を醸し出す…

先ずは素材。マチエールというのだそうですが、絵の具その他の描画材料のもたらす材質的効果や絵肌を指す言葉。最近はどちらかと言えば、多少ざらざらした粗めの絵肌やその状態をマチエールという言葉で示す場合が多い、とのことです。マット感、という言葉も見つけましたが、これをサポートするのは東山絵画の場合紙となります。先生の絵は詳細を見ると色(絵の具)が薄くもり上がり、かつもり上がった部分が平坦で一定面積(勿論一つ一つは米粒を潰したような広さでしかありませんが)を保っている。絵の具をペインティングナイフで載せる油絵と明らかに違う技法で、紙(の材質)のサポートが必須と思いました。

東山先生は越前和紙を使ったとか。これについては以下の説明文を見つけました;

越前今立の紙漉が容易に芸術家に受け容れられたように思えるが、個性豊かな芸術家各人(それぞれ)が自己の画筆や作風に合う紙を求め、厳しい注文・要求をする。それに対して紙匠が苦心しながら応えたことから信頼関係が生まれたが、見方をかえると、越前の紙漉技術が近代日本画の発展を可能にしたとも言える。

どんな芸術分野も表に出る”芸術家”だけでは成立しないのは当然ですが、素人考えでは差異が明確に分からない”紙”においても、作家の作風(芸風?)、テクニックによって微妙な異なる要求があり、それに答える技術と伝統、原材料が必要、ということですね。

本文を書く際、色々Webサーフィンをして感じたのが、多くの人が”筆使い”を表現するのに、精緻な、とか微妙な、とか用いているけど、結局芸術家が拘るテクニックの差を、第三者が表現するのに使う言葉は結構大まかで、具体性に欠ける表現が殆ど、ということです。使っている紙、絵の具、更には筆の種類までを(あるいはこちらが先に要件となって、”筆の使い方”が決まる場合も多いかもしれません)意識している文章は見なかったなあ。

東山先生の使っていた筆の種類は今のところ不明です。複数本同時に使う技法を良く使った、という記事がありましたが、今後の勉強課題メメです。

マチエールを出すもう一つの重要な構成要素が絵の具で、先生は日本画に伝統的に使われる岩絵の具を使っていたそうです。見つけてきた定義を示すと;

岩絵具(いわえのぐ)とは、辰砂、孔雀石、藍銅鉱、ラピスラズリ、など様々な鉱石、貴石等を砕いて作った絵具で、日本画に使われる。粉末状の絵具の為、そのものだけでは画面に定着せず膠(ニカワ)を定着剤として併用し、指で混ぜて使う。 粉末の目の細かさは番数で分別されており、5番~13番、白(びゃく)とあり、数字が大きくなるほど粒子が細かくなる。

岩絵具のもつ独特の質感質量、とか筆跡から「色がたちあがってくる」感じ、とかいった表現を見つけました。先生の絵を見た後だと、この表現ピンときます。

ちょっと前の平山郁夫展ではこういった視線を持たなかったのですが、常設展示のある美術館で日本画見てみよう。次に行く予定の首長女展は新国立、常設展示がない不思議な美術館です、残念。

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下北再開発最新リポート

2008-04-22 | シモキタ再開発

20080420125849 先週末、駅傍の踏み切り、北側の様子。この居酒屋さん、出来た時からセットバックしていましたが、いよいよこの辺りも工事開始なんですねえ。

今は立替という事で閉店中のダイエー、北口ピーコック、南口Ozekiが囲む形で駅前再開発、駅前広場が作られる予定です。さすが大資本というところでしょうか。うまいこと保全されます。ダイエー跡が資材置き場になるか何かでまとまった作業スペースを与えるのでしょう。

奥に見える所謂”闇市”は何時まで営業するのかなあ。壊されるときはマスコミが凄いでしょうね。下北の変化が避けようのないところまで来た、と実感した週末でした。

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店の変遷-大箱店は下北厳しいか?

2008-04-21 | 食・レシピ

20080420130105 この写真、再開発(小田急地下化)の様子を時宜記録しているものの一つとして紹介しようと思っていたのですが、先のほう、道がドン着いたビル1階のスペースのお話をするのに使うことにしました。黒く見えるビルがそれです。

場所は良く来られる方でしたらお分かりでしょうが、ゼンモール→ソープ店?→たこ焼きやさんの前と行って北口側から小田急線路を渡る踏み切り。工事の関係か手前側が広くなり、踏み切りへの入り口が若干左に寄りました。

さて、その突き当たりの1階には最近まで、ウエイウエイ台所:上海家庭料理という店が入っていました。未だ外装など全く撤去されていない状態で、本当にそそくさと撤退したのが分かります。この店、本店は用賀だそうで、いかにもチェーン店的なこしらえの食事でしたが、店が大きく何時でも入れるので、2回程お邪魔しました。店長以外誰も日本語を話さない店でしたがso soではあったのです。夜は三千円以下で食べ放題だったのですが、行きませんでした。

その前、ここにあったのが黒ひつじ。あの中目黒の超人気ジンギスカン料理店の支店で、飲み放題メニューにしてもリーズナブル。いざという時はあそこで夕ご飯、としていたのですがこれまた1回の訪問のみで打ち止め。確かに本店のように行列は出来ていなかったのですが、それでもそこそこ客は入っていたので1年足らずで撤退した時は思わず夕刻ジョギングで本店を見に行きました:相変わらず並んでいました;;

そのその前は”news DELI”というおされカフェ。今ググってみるとチェーン店展開して現存ですね。この店、下北沢に来る前に恵比寿、松坂屋ストアからガーデンプレースへの”心臓破り”の坂、中腹辺り、今はイタリアンになっているところにもありました。恵比寿、下北、どちらの店もウェイトレスはそこそこ可愛かったのですが態度が悪く、食事もすずめの涙程の量で、いくらおされといっても、まあ、ここが撤退したのは納得でした。恵比寿も前述のように、ジョギングで走っていると何時も人で混み合っていましたが、駄目だったんですねえ。恐らく夜、アルコールの客が来なかったのでしょう。

下北は少人数で訪れるグループが多いので、大箱で宴会需要を期待するのは難しい、と結論書こうと思っていたのですが、こうやって論を進めると、おしゃれな街で人気店が下北で討ち死にした、という可能性もあるな、と。下北、侮るなかれ!

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el

2008-04-20 | 食・レシピ

今日は久方振りの週末下北ランチ。

行った事が無いところ、という事で選んだのがスーパーOzekiのまん前のelという、居酒屋だと以前から思っていたのですが、内装、メニューを見ればカフェ、というカテゴリーに入るのかと思われる店。不思議な雰囲気の店の2階へ通されました。へえ、結構広いんですねえ。

650円から750円のレンジで6種類から選ぶシステムで、チキンシーザーサラダは日本に珍しくたっぷり。おいしいです。牛筋煮込み豆腐ランチは、最後に一人分仕上げる鍋が無いのか、冷えた豆腐の上に煮込みをかけたのはご愛嬌。苦汁の味が残念でしたが、付け合せの野菜がそこそこでトータルとしてのCPは良いかと思いました。

定番店の一つ、MSの一人当たり単金に比べれば半額ですが、それでもルーティンに入るにはまだまだ、かな。

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三角橋

2008-04-19 | うんちく・小ネタ

前々回のブログで下北沢再開発に向けた補助54号線という道路は三角橋から延びる、と引用しました。

この三角橋交差点は山手通りを東大裏から東北沢駅に向かって入る、通称”コスモ通り”(途中に東大宇宙研があったからだそうです。)が右に曲がるところにあります。コスモ通りを真っ直ぐ行かせれば確かに下北沢の駅に突き刺さる位置関係です。この2点間が道路化するのでしょうが、建築許可が下りず空地化、歯抜けになった場所を見掛けません。

この”三角”橋、どこにも橋はありません。東京には暗渠になった川が多くありますが、この交差点は周りから見てもちょっと高いところにあり、橋に関しての由来は要チェックや!(スラムダンクではないちゅうねん…)

但し三角については恐らくこの地点で渋谷、目黒、世田谷の3区が接しているから、乃至はそのため三角点かそれに類するものが置かれたから、で間違いないと思います。従い、大きい縮尺の地図でも、ここが何処か直ぐに分かる。松蔭学園はピンポイントで見つかる、という事になります。

という事で、4区が接する場所を考えたのですが、豊島区東長崎でちょっと目”新宿、中野、練馬、豊島”の4つが一点で接しそうになっていますが、微妙にずれているみたいです。

Dsc00003 アメリカ合衆国では一箇所だけ”アリゾナ、ニューメキシコ、ユタ、コロラド”4州が接する"Four Corners"という場所があります。写真は達人がそこへ行った時のものですが、朝早く行き過ぎて未だモニュメント(ここは国立公園になっており、入場料を払わないと入れない)開場前。やむなく入り口の看板を撮ったものです。Fourの最初が証明ですが、ご覧の様にここはインディアン、ナバホ族の土地であることが、合衆国のそれの上に掲げられています。この後、お昼に寄ったアリゾナ州片田舎のバーガーキングでLA在住の従兄弟とバッタリ、という”事件”もあり、とても記憶に残っている一日となりました。

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北口では

2008-04-18 | まち歩き

先週末、久し振りに北口一本入った通りを歩いたのですが、North Side Cafeとかおされなカフェが並び、ワッフルとか達人が滅多に口に出来ないメニューが目に付きました。

以前2月21日のブログで”下北的カフェっていうのはこんなお店ですか?”と例に挙げたのは”Deli and Baking Co.”でしたが、他にも続々と出来ているのが分かりました。

これからも小汚い店は小田急地下化に伴って数が減っていくでしょうから、こういった店が近い将来”下北らしさ”になっていくのかなあ?

自由が丘みたいになった方が、地価が上がって嬉しいような気もしますが、所詮引っ越せないとすれば固定資産税が上がるだけ。やっぱりサブカル支持!としておきましょう…

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下北沢再開発

2008-04-17 | シモキタ再開発

一時期大きく騒がれた下北沢再開発についてちょっと調べてみました。

世田谷区のHPによると、この計画は2つのコンポーネントから構成され;

”都市計画道路補助54号線は、昭和21年に都市計画決定され、数回の計画変更を経て、平成15(2003)年1月に現在の内容に計画変更決定(交差構造の変更等)されました。また、平成16(2004)年3月には「区部における都市計画道路の整備方針」が公表され、三角橋交差点から環状7号線までの区間は、今後12年間(平成16年~27年度)で優先的に整備すべき路線に位置付けられました。”

”世田谷区画街路10号線(駅前広場等)とは、小田急線の地下化後の鉄道敷地を活用して、南北一体的な歩行者の拠点となる駅前の広場です。補助54号線と同様、平成15年1月に都市計画決定されました。”

ここから窺えるのは、小田急線複々線化に伴って二つの計画、一つは何と終戦直後に出来た計画の見直しと位置付けられていますが、が水面下から浮上、決定された、という事です。

最近あの”マッカーサー道路”計画に基づき”新橋-芝”の辺りで突然道路が出現しましたが、東京は一日にしてならず、という事なのでしょうか?

達人が学生時代には狭かった井の頭通りがついに拡幅、その全容を30年経って現しました。こちらは余り批判の対象となっていない様です。上記の補助54号線は、その一本南側を東西に抜けることになります。

井の頭が複数車線化して大原交差点で環七に抜けられるようになったとして、これだけ近い距離でもう一本抜く必要はあるでしょうかねえ?個人的には実は便利になるのですが、それだけお金を掛けなくても、小田急線の踏み切りさえ無くなれば、井の頭通りまで数百メーター出るのは厭いません。井の頭もそう(凄く細い、という事です)ですが、そこから環七の外側に抜ける道路がない訳ですから利便性の向上にはつながらない様な気がします。環六(山手通り)の下を首都高で湾岸にも関越、常磐にも抜けられるようになった訳ですから、長距離で環七に出る必要は無くなりました。

やるとすれば淡島→梅が丘通りの拡張でしょうが、1kmちょっとで246があります。

住民のエゴかも知れませんが、下北は小田急、京王が鋭角にクロス、しており、歩いて20分強で笹塚、三軒茶屋にすら到達する位置関係。片道10分ちょっとで何処かの駅にいけることから、ここから乗客をバスで捌く必要性もありません。茶沢通りの三軒茶屋に抜けるバスルートすら不要、と言いたいところですが、やや無理かな。訪問客が車で入り込んでくるのは何とか阻止したいです。

自由が丘の土日の渋滞を見ると、避けたいオプションです。駅前広場はいずれ小田急が地上から姿を消すので、規模はどうあれ何らかの形で出来るのでしょうが、世田谷区のHPにいう”下北沢らしさ”を保つ形で考えて欲しいですね。キーワードは”貧乏とサブカル”だと達人は思います。

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春本番

2008-04-12 | ジョギング/街巡り

今日、恵比寿ガーデンプレースに向かって、淡島→旧山の手→駒沢、と後はガーデンプレースに向かっての心臓破りの坂ダッシュですが、といつものジョギング。

このルートには、マダムトキ含め、結婚式用教会やら、はやりの披露宴用レストランが林立しているのですが、今日はどこも予約が入っている様子ムンムンでした。着物姿の花嫁友人やら、おいおいそれは夜用だろう、というイブニングドレスを午前中から着ている”恥ずかしい日本人”も目にしました。結婚するカップルの数は減っているとの事ですが、この近辺で変わらず見掛ける景色のシーズン到来です。

帰りには池の上の駅フォームにノースリーブの女性もいて、春本番の暖かさでした。花粉も少なく、ヤッホー。

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