4月7日のブログで語った東山魁夷展。その時受けた強烈な印象を何とか技術的にうんちくを傾けようと、子供の頃油絵にちょっと嵌った達人が調べてみました。遠目に平板なのに、近くに寄ると油絵の具にキャンパス地程ではないにしろ、塗り面に立体感があって、トータルで圧倒的な迫力を醸し出す…
先ずは素材。マチエールというのだそうですが、絵の具その他の描画材料のもたらす材質的効果や絵肌を指す言葉。最近はどちらかと言えば、多少ざらざらした粗めの絵肌やその状態をマチエールという言葉で示す場合が多い、とのことです。マット感、という言葉も見つけましたが、これをサポートするのは東山絵画の場合紙となります。先生の絵は詳細を見ると色(絵の具)が薄くもり上がり、かつもり上がった部分が平坦で一定面積(勿論一つ一つは米粒を潰したような広さでしかありませんが)を保っている。絵の具をペインティングナイフで載せる油絵と明らかに違う技法で、紙(の材質)のサポートが必須と思いました。
東山先生は越前和紙を使ったとか。これについては以下の説明文を見つけました;
越前今立の紙漉が容易に芸術家に受け容れられたように思えるが、個性豊かな芸術家各人(それぞれ)が自己の画筆や作風に合う紙を求め、厳しい注文・要求をする。それに対して紙匠が苦心しながら応えたことから信頼関係が生まれたが、見方をかえると、越前の紙漉技術が近代日本画の発展を可能にしたとも言える。
どんな芸術分野も表に出る”芸術家”だけでは成立しないのは当然ですが、素人考えでは差異が明確に分からない”紙”においても、作家の作風(芸風?)、テクニックによって微妙な異なる要求があり、それに答える技術と伝統、原材料が必要、ということですね。
本文を書く際、色々Webサーフィンをして感じたのが、多くの人が”筆使い”を表現するのに、精緻な、とか微妙な、とか用いているけど、結局芸術家が拘るテクニックの差を、第三者が表現するのに使う言葉は結構大まかで、具体性に欠ける表現が殆ど、ということです。使っている紙、絵の具、更には筆の種類までを(あるいはこちらが先に要件となって、”筆の使い方”が決まる場合も多いかもしれません)意識している文章は見なかったなあ。
東山先生の使っていた筆の種類は今のところ不明です。複数本同時に使う技法を良く使った、という記事がありましたが、今後の勉強課題メメです。
マチエールを出すもう一つの重要な構成要素が絵の具で、先生は日本画に伝統的に使われる岩絵の具を使っていたそうです。見つけてきた定義を示すと;
岩絵具(いわえのぐ)とは、辰砂、孔雀石、藍銅鉱、ラピスラズリ、など様々な鉱石、貴石等を砕いて作った絵具で、日本画に使われる。粉末状の絵具の為、そのものだけでは画面に定着せず膠(ニカワ)を定着剤として併用し、指で混ぜて使う。 粉末の目の細かさは番数で分別されており、5番~13番、白(びゃく)とあり、数字が大きくなるほど粒子が細かくなる。
岩絵具のもつ独特の質感質量、とか筆跡から「色がたちあがってくる」感じ、とかいった表現を見つけました。先生の絵を見た後だと、この表現ピンときます。
ちょっと前の平山郁夫展ではこういった視線を持たなかったのですが、常設展示のある美術館で日本画見てみよう。次に行く予定の首長女展は新国立、常設展示がない不思議な美術館です、残念。