シモキタのtokyoboy

下北沢に居を構える初老オジのエクスサイズ、呑み歩き、美術館巡りなどの備忘録生活記録ブログ、含む膝蓋骨骨折リハビリ記録。

津田英語会 (千駄ヶ谷)

2014-01-22 | 昔行った場所

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代々木から千駄ヶ谷の方、線路沿いをその先にある美術館目指して歩いていて、ふと目にしたこの建物…

変わらないんですねえ


今回調べると、ここは津田塾大千駄ヶ谷キャンパス

津田塾と言えば一ツ橋大の近く、という認識しか無いtokyoboy。本キャンパスはやはり小平の方らしいですが、都心にも拠点があるのもイメージ大切な女子大ですから重要なのでしょう


で、今回の話題はその昔ここにあった「津田英語会」

創始者津田梅子さんを持ち出すまでもなく、津田と言えば語学、なかんずく英語が有名な訳ですが、40年というかそれ以上前にここには上述の「津田英語会」があって、学生・社会人が英会話を学びに通っていました

今では「津田塾大学オープンスクール」という名称で何らかのクラスが開かれているようです


約40年前の当時、ここ以外にも日米とか色々な語学学校は存在していましたが、tokyoboyを英会話に行こうぜ、と誘った悪友が選んだのはこちら

彼が何故ここを?、は未だに不明ですが、レッスン内容以外に何かしらの”思惑”を持っていたのは恐らく確か

その思惑が外れたのも、これは間違いなく確か^^;


tokyoboyとしても自分としての問題意識は、まあ持っていて、それは高校時代ボロボロだった英語の成績、それに続く大学教養課程での語学の苦戦、を社会人まで引き摺るのは得策ではないであろう、という戦略

当時の認識でも、日本の学校教育における英語は明治以来連綿として培われてきた”英語教育”なるものの結晶にして、英語をコミュニケーションの道具として使う、という観点からは大きく離れている別物、とは思っていたんです


で、まあ、結果から言うと、悪友は1年でこの学校を去り、

私はダラダラ大学4年まで通ってしまった

まあ、そこに副次的狙いとか、諸々も加わったんですけどね


先生(アメリカ人)のお宅にクリスマス時期とかパーティーに招待されて、ハーフのとてつもなく綺麗なお嬢さん(確かモデルもやっていたんじゃないかな)と会うことだったり…

クラス後の呑み会、とかね


ということで、理論的には4年間、週2回夜に通学し(出席率は不問にてお願いします…)た場所にして、社会人になってからの個人的キャリアに大きな影響を与えた、そんなところでありました

それにしてもビジネス・キャリアの半分を海外で過ごすとは、本当にあの時思わなかったよなぁ

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1 コメント

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英会話 (トンちゃん)
2017-03-30 17:40:33
目下「昭八生まれ」なる題で小文を綴っているところです。商社に入ったのだけれど、だれ一人英会話などできるものはおらず、会社もそれで当たり前ととしていた時代でした。家が吉祥寺で中央線に乗るたびに津田ナントカの看板を見ていましたが、誰かがそこへ習いに行ったという話は聞いたことがなかった。なんでも月謝が月5千円とかで、初任給1万2千円の時代だから、よほどの金持ちか、会社持ちの人が通えたのでしょう。で、そんのことが文中に出てくるのですが、あの学校は何と言ったのだろうと適当に名前入れて検索したら、このHPに遭遇しました。正式の名前発見、ありがとうございました。

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