シモキタのtokyoboy

下北沢に居を構える初老オジのエクスサイズ、呑み歩き、美術館巡りなどの備忘録生活記録ブログ、含む膝蓋骨骨折リハビリ記録。

風枝: おばんざいと点心のお店@蛸薬師通 + Bambi-KARASUMA-

2016-05-03 | 2016桜京都

いやー、「京極スタンド」さん16時過ぎから超満席、行列待ち有り…

失意の中、若冲ブームに沸く錦市場を歩いたりしても、なかなか17時半にはなりましぇん^^;

 

 

思惑外して、さて京都駅に向かう前、お邪魔しようとしていたお店(いずれも17:30開店)に行く前どこぞで時間を潰そうと、

狙いのお店の真ん中辺に位置するこちらにOPENの文字を見付けました!

 

0次会、時間潰しにお邪魔するにはやや勿体ないお洒落な店内。

生ハム食べ放題500円は魅力的ですが、15分一休み客には無用だったですね。

お店の方の対応も感じ宜しく、でも東京から出張ってわざわざ、はないかなあ、と…

チャージも無く、ありがとうございました。

***************

 

で、時間があったから候補のお店を一通り見て回り、

おばんざいと点心、ってどんな?とお邪魔したこちら。

カウンターは喫煙可、座敷は掘りごたつでない、というシュールな設定でしたが、結果喫煙者の来店無く無問題。

まあ、こちらのお店の性格から考えて全面禁煙が吉じゃないでしょうか。

 

で、お願いしたおばんざい盛り合わせ、点心盛り合わせ、などなどいずれも美味しく、

おばんざいと日本酒、点心以下と紹興酒、大変宜しかったかと。

 

 

問題はせいろ蒸しを多用するメニューが多い一方で火力の問題でしょうか仕上がりに時間が掛かること。

 

 

 

最後は〆にお願いしたワンタン麺その他。

その辺を勘案の上、今度はドコゾの有名居酒屋さんにここで0.5次会やってから時間差利用、とか使い勝手も良さそうです。

シモキタ・ベースのオジサンにどれ位の利用機会があるか、は内緒の話で…^^;

 

おまけはこの日頂いたお酒の数々

これにて1か月間に亘って紹介してきた2016年4月初め京都の旅、紹介終了です。

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出町柳、鴨川と高野川合流点付近の桜 2016

2016-05-02 | 2016桜京都

出町柳から吉田山、って個人的には京都の中でも好きな場所なんですが、

もうここ10年近く足を運んでいないんじゃないかなあ、と…

新幹線の時間まで、軽く夕食の時間を勘案しつつこちらの方に出て来ました。

鴨川と高野川合流点、下賀茂神社に見るまでも無く、何やら何かがありそうなメメ

 

これが合流点かな??

 

 

 

 

この日は午後から雨の予想、ここまでは何とか持ちこたえてきた天気もここで泣き始め

宴会の方々も後片付けに急ぎ出し、

 

 

当方も、本当はこんな鴨川縁で遊んだり、

吉田山までの散策をしたかったのですが、

振り出した雨に断念、京阪に飛び乗り四条まで出たのですが…

 

 

こんなお店に振られて、やや難民化したのは内緒の話。

その前はこの旅行中3度目、前を通った高瀬川の桜。

今回の旅行、桜と風景紹介編はこれにて終了。

後は、新幹線に乗る前の…

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賀茂御祖神社(下鴨神社)/糺の森 + 河合神社

2016-05-01 | 2016桜京都

今回時間があったら訪問してみたい、と考えていたこちら。

新幹線の時間と逆算しつつ、タクシー移動だったら行けるな、と…

当神社がまつられたのは、崇神天皇の七年(BC九十)に神社の瑞垣の修造がおこなわれたという記録があり、それ以前の古い時代からまつられていたとおもわれます。先年糺の森周辺の発掘調査で縄文時代の土器や弥生時代の住居跡がたくさん発掘され、それを裏付けています。また社伝や歴史書に、お祭、社殿、ご神宝等の奉納などが記録されています。『続日本紀』の文武天皇二年(六九八)には、葵祭に見物人がたくさん集まるので警備するように、という命令が出された、という記事があります。

まあ、アースダイバー的にも鴨川と高野川が合流するこの地には何らかの聖的なエリアとされてきて何ら不思議はない。

でもねえ、タクシーで行ったので長い参道、糺の森をパスしていきなり本殿横に到着したことで”盛り上がり”には欠けちゃったかな…


昨年式年遷宮を迎えたばかり、tokyoboy的式年遷宮追っ掛け、と言う目的もありました。

今は世界遺産、国宝、ということで、修理をするために遷座いただく、ということのようです。

とにかく格式を感じさせる境内、

干支の神様にもお詣りします。

 

こちらの祭神、賀茂建角身命は八咫烏に化身するのだとか。

そして、糺の森は何となく神の意志を問うとき入っていく神聖な森、的一般名詞のように考えていたのですが、こちらの境内の森がそうだったんですね。

名前に引きずられた解釈をしておりました。

 

これも長い参道を抜けて出るところの説明板を目にして、ああ、そうだったのか!と…

こちらはやはり同神社HPが語る通り、公共交通機関で訪問すべきでありました。

****************

 

 

 

 

 

その下鴨神社聖域に入る鳥居近くにある河合神社。

摂末社で、境内の糺の森の中にある「瀬見の小川」の西側にあります。

で、ご祭神が女性の美の神様。

「鏡絵馬」を一生懸命書いて奉納する女性を多く見ました。


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北野天満宮

2016-04-30 | 2016桜京都

18の春は泣かせない(泣きたくない)…

そんなご利益を求めて40年程前お詣りしたこちら。

まあその時お願いしたここからちょいと東に行ったところにある大学には結局願書も出さず、

湯島天神に程近い大学に願書出しちゃったからしくったのかなあ、と??

 

天神様だからその辺は臨機応変、と期待した私が愚かだったのね、飛び梅来たらず。

次はちゃんと湯島天神にお詣り、吉願が適いましたとさ。

 

 

 

ということで、ついぞ京都に来ても足を踏み入れなかった境内。

今回は平野神社からの動線で訪問しました。

梅の時期、受験シーズン前だったら大変な混雑でしょうが、この日は比較的閑散。

 

かつて帝がおわした大極殿は今の京都御所より西にあり、北野の地は都の守護をつかさどる四方(北東、北西、南東、南西)の北西、「乾」の地として大変重要な場所とされ、天地すべての神々「天神地祇」をおまつりした地主社が建てられました。
この神社に向けて帝が大極殿から祈りを捧げられるとき、北野の上空には北極星が輝き、日・月・星の運行が天皇・国家・国民の平和と安寧にかかわるとする「三辰信仰」と結びついて、北野は「天のエネルギーが満ちる聖地」として篤く信仰されるようになりました。そして道真公がおまつりされると霊験はさらに増し、北野天満宮は天空をつかさどる「天神」の社となって「天神信仰」発祥の地と呼ばれるようになったのです。

は今回知ったところ。

以上、北野の地よりお伝えしました。

 

 

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平野神社

2016-04-29 | 2016桜京都

いやー、神社はお寺さんと違って拝観料取らないから、桜見物には良いよね、

などと訪問前に語ったtokyoboyでありますが、

その参道、花は見事でしたが、それ以上に屋台がびっちり並び、

その奥は貸座敷(テーブル)と拝観料以上にがっちりお金を稼ぐのが神社、と知りました…

 

春の1日、嵐山、嵯峨野の方に桜チェースで遊んだのですが、

もうそろそろお町に向かって移動しようと、嵐電北野線「鳴滝」駅~「宇多野」駅間の”桜のトンネル”を楽しみつつの次の訪問地に未訪の平野神社を選んだ次第。

そのトンネルは座席に座っていた(何せ、車両先頭部は凄い人だったので…^^;)ので充分に楽しめませんでしたが、確かに綺麗。

そして終点北野白梅町駅からこちらに向かった次第。

 

奈良時代末期の延暦元年(782)『続日本紀』に「田村後宮の今木大神に従四位を授ける」とあり、平城宮の宮中(桓武天皇の父光仁天皇の御所)に祀られていました。
ここ平野の地には、延暦13年(794)平安遷都と同時にご遷座されました。
当初境内地は方八町余(平安尺で1500m四方)で、現在の京都御所とほぼ同じ大きさでしたが、時の変遷とともに現在の200m弱四方となりました。

が由来。

延喜式によれば全国唯一皇太子御親祭と定められていたとか、とんでもない社格です。

 

 

 

 

 

まあ、今はそれとは関係なく老若男女、桜を愛で、宴会を楽しむ。

良い時代になった、のかな…??

 

 

東京人的には余り馴染みのない神社ですが、こちらの方にとって桜と言えば、なんでしょうね。

余りの雑踏に深く感じ入った言葉は出なかったのですが、

その人気は良く分かりました。

 

北野天満宮に向かって境内を後にするところ、

振り返って改めてその社格を感じます。

今度閑散とした頃来てみようかな…

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広隆寺

2016-04-28 | 2016桜京都

行きの烏丸御池→大覚寺のバス車窓、

あれは何、立派なお寺、と言う家人の問いに、

手をそっとあごに添えながら”広隆寺”と答えたtokyoboy^^;

動線上で意識しながら、いつの間にか忘れ…

バスに乗っての移動でよかった!

 

で、嵐山から京都中心部に戻る途中、京福嵐山線で到着のこちら。

入口にあった写真撮影NGの意味を取り違えて、境内の写真は焦って戻って撮ったこの一枚…

 

いずれご本尊などに正対するポジションは取らないように、との指示に従った次第。 

で、こちらの白眉は写真本殿横を奥に入っての霊宝殿。

国宝・重文てんこ盛り!

その中で、は勿論「弥勒菩薩半跏像」、国宝第一号。 

その際数えた結果とあっているか、国宝20点、重文48点(これは全部じゃないかな?)を拝観出来ました。 

 

 

最後に山門全景。

この超名刹、創建の由来は余りに古いことだからか定かではないらしく、でも京都最古ではあるようです。

今は真言宗御室派、

『日本書紀』によれば、推古天皇11年(603年)、聖徳太子が「私は尊い仏像を持っている。誰か祀る者はいないか」と諸臣に尋ねたところ、秦河勝が進み出て、仏像を戴き、蜂岡寺(広隆寺の古称)を造ったとされています。

だそうで、いずれこの地太秦は渡来人である秦氏の本拠地。

大化の改新とか壬申の乱、にまで思いを馳せちゃったのは内緒の話…

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嵐山

2016-04-27 | 2016桜京都

嵐山!!

まあ、京都の春、といえばこちらに是非、となるのですが…

それにしても混んでいた

 

ということで存在証明の為だけの記事作成^^;

ランチタイム、この渡月橋を渡る気力すら失せました・・・

 

 

 

 

写真は京福嵐山駅から渡月橋の方を見た、の図と、

桂川だったかな、の川面。

 

 

そして、その京福電鉄嵐山駅構内の記録写真。

 

 

 

最後に…

 

結局渡月橋を足では渡らなかったので、行き大覚寺に向かうバスで渡った時の景色を参考まで^^;

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天龍寺

2016-04-26 | 2016桜京都

今回の天龍寺訪問、

基本花目当て、本堂には上がらず… となりました。

北の門から入って、嵐山正面から出るまで、一連拝見した綺麗な花々をご紹介:

 

さて、この天龍寺、実は個人的には初訪かも??

足利尊氏を開基とし、夢窓疎石を開山として開かれたのが天龍寺で、その目的は後醍醐天皇の菩提を弔うため暦応2年(1339)に創建された。

が由来ですから、相当の怨念と治国を願ったものであることは間違いない。

名勝嵐山や渡月橋、天龍寺の西側に広がる亀山公園などもかつては境内地であった。

そうです!

 

造営に際して尊氏や光厳上皇が荘園を寄進したが、なお造営費用には足りず、直義は夢窓と相談の上、元冦以来途絶えていた元との貿易を再開することとし、その利益を造営費用に充てることを計画した。これが「天龍寺船」の始まり。

成程、大きなお寺である訳です…

 

その後の歴史は、

文安の火災と応仁の乱による被害は大きく、天正13年(1585)に豊臣秀吉の寄進を受けるまで復興できなかった。その後秀吉の朱印を受けて順調に復興するが、文化年間に被災、この再建途中の元治元年、蛤御門の変に際して長州軍の陣営となり、兵火のために再び伽藍は焼失した。

それから再び今の姿へとなったようですが、往時の1/10の境内の様です。

 

キリが無い中、次第に桜ゾーンへ…

山の上へ上がって、嵐山方向を見下してみます。

これがこの日のベストショットかな??

 

これは「多宝殿」、昭和9年建立とか。

後醍醐天皇の尊像を祀る祠堂で、前に拝堂をもち、後ろの祠堂とを相の間でつなぐ。入母屋造の屋根とも調和し、中世の貴族邸宅を思わせる。

です。

 

 

 

様々な花、最後は「方丈」かな。

著名な天龍寺第8代管長である関牧翁老師が揮ごうした扁額があります。


 

それにしても立派なお庭。

約700年前の夢窓国師作庭当時の面影をとどめており、わが国最初の史跡・特別名勝指定。

中央の曹源池を巡る池泉回遊式庭園で、大堰川を隔てた嵐山や庭園西に位置する亀山を取り込んだ借景式庭園でもある。

であります。

 

この2~3枚目は庫裏。

庫裏は七堂伽藍の一つで台所兼寺務所の機能を持つ。方丈や客殿と棟続きで、切妻造の屋根下の大きな三角形の壁を正面に見せる。白壁を縦横に区切ったり、曲線の梁を用いたりして装飾性を出した建物で天龍寺景観の象徴ともなっている。

のだとか。

 

最後に正門というか、の方に回って今回の訪問終了です。

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御髪神社 + 小倉池 + 嵯峨野トロッコ列車嵐山駅 + 嵐山竹林

2016-04-25 | 2016桜京都

か、髪に関するご利益があるだと…

常寂光寺から天龍寺の方に抜けようと地図を見るでもなく歩いていると、

時ならぬ人だかり、見れば殆ど中国人観光客!

嵐山トロッコ駅と知りました。

考えてみれば、保津峡を行く、は季節柄良いアイデアではありましたが、

思い付かなければ仕方なし^^;

 

 

 

 

で、その地点で”発見”がこちらの神社。

西暦1200年代人皇90代亀山天皇(1259~1274年)の御代に藤原鎌足の末孫である北小路左衛尉藤原基春卿は皇居の守護にあたる武士でありました。 文永年間下関に居を構え、その三男の藤原采女亮政之(うねめのすけまさゆき)公は、その地に於いて髪結職を我国最初に起こされた基春卿死後の弘安四年(1281年)、居を鎌倉に移しましたが、建武二年(1335年)4月17日に歿し、立派な処世と功績により従五位を賜りました。 

が由来で、何故か鎌倉とか下関でなく、ここ小倉山麓に創建されたとか。

ところで、この絵馬に書かれた人の名、本当でせうか??


この神社が見下ろすのは小倉池。

桜が散見されますが、ここに近い今回パスの「大河内山荘」含め、紅葉の時期が良さそうです。



そして、駅前雑踏の様子は撮りませんでしたが、トロッコ列車軌道を上の方から覗き込み。

 

 

 


最後に…

突然の人出、どうやら海外で有名と思われるスポット!


思い出してみると、子供の頃化野念仏寺に行った際、立派な竹林を見た記憶はあるのですが、同じところですかね…?



大変な人気でありました。


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おぐら茶屋(常寂光寺門前) + 嵐山のむら: 京都のランチ、おデザは別店で…

2016-04-24 | 2016桜京都

11時も半ばを回り、

常寂光寺を出ると、後は嵐山に近くなる…

と考え、一見渋そうに見える門前のお休みどころに入ることにしました。

まあ、何かお腹に入れておけばね…

 

この程度の”期待感”でお店に入り、「きつねうどん」600円也をお願いします。写真もう一方は家人の「おうす」、やはり600円也(共に税込)。

写真は嵯峨野の名物の様ですが、のお面と、ここで拝見した京都七福神のアーカイブ^^;

最初は小倉山に居るのだから「ぜんざい」を所望したんですが、この日は品切れとかメメ

うどん、直ぐに調理完了、着丼しました。

写真もう1枚は家人オーダーの「お薄」。

 

予想通り中細、如何にも出来合いの軟らかいうどんに関西風の出汁。

でもねえ、まあ普通のそのお味がなかなかなんですよ。

ということで、水分補給も含めてサクッと頂きました。

こちら、紅葉の時期が良さそうな…

******************

 

で、宿題はあずき系摂取

天龍寺訪問後、出て来た嵐鉄嵐山駅/渡月橋周辺は大混雑。

大きなアウトレットを覘くもいずれもDGR^^;

渡月橋を渡ろうとし、これも歩行者ですら大渋滞状況に嵐山からの撤収を決め、

駅に向かって脇道を入ると…

 

この佇まいのお店。

見ればねぎ焼き以外は甘味系、サッと席に案内されます。

「白玉ぜんざい」、700円也(税込)をお願いしました。

 

写真の一方は家人オーダーの「うす茶クリームあん」、770円也(税込)。

登場のそれはまあ普通ですが、

普段なら口にしないそれは久し振りに美味しゅうございました。

これで、朝昼連続「のむら」と開いた表示のお店で済ませましたとさ

 

 
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