白神仙人の山の徒然

山登りは自分との戦いと思って妻を無理やり山女に教育していたが
最近は妻のほうが山登りが早くなった。

旧家と温泉を訪ねて・・・№2

2019-05-29 10:09:41 | 日々の生活

 十分に900年を物語る鈴木家の歴史を聞いて山間地域たたずむ300年を超える

豪農の館を後にして今宵の宿を目指してナビまかせで走る。

 今日は30度越えの気温でとても暑い。道の駅があると其のたびに寄っては水

分補給をしながら予定時間の16時に嶽温泉に到着。第三セクター運営の施設と

言っていたがお役所的な対応はなくとても親切な接待に驚き・・・夕食にはま

た驚いた。安い料金で申し込んでいるので、夕食は今までの経験でまったく期

待していなかったが、見て(@_@)食べてびっくりの料理にスタッフサービスに

頭が下がった宿でした。

きな粉ソフトクリームを食べたら病みつきになりそうな味でした。

今宵の宿

部屋も申し分ありませんでした。

今日は200キロ走った。暑かったのでビールがとても美味し

お風呂はこんな感じでした。朝は泊りの客だけなのでのんびり入浴できる。

朝食です。このほかにコーヒーや果物等が自由に食べられるので一切文句の

つけようがない宿でしたね( ^ω^)・・・

食事中に近くの観光地を聞いたら、チックoutするまでに調べてメモ書きなど

をしする対応にも感謝の宿でした。

調べて頂いた本郷邸無事に到着。月曜日は開園していないようでしたが、チットだけ

覗いてみた仙人夫婦です。庭や家などは大正から昭和にかけての建築のようでしたが、

修復工事でいたるところに工事業者が作業しているようなので遠慮しながら見て回っ

た。

世の中には大金持ちが多いものですね・・・仙人も豪農と思っていたが、井の中の蛙と

自覚しました。今後は小農と呼び名をかえます。

 

 

 


旧家と温泉を訪ねて・・・№1

2019-05-28 13:27:41 | 日々の生活

 5月に入って田植え作業も最盛期を迎えている県内を旅をすることにした。

仙人夫婦は秋田と言っても青森と秋田の県境に住んでいる関係から県南地区には他県に

行くような感覚を持っています。

 最近テレビ番組に入った。鈴木家の発祥が県南地区にあると言うので、温泉に入りな

がら旧家を訪ねて行くことにして、池田家・本郷家・鈴木家を目指して新緑の中を行っ

て来ました。

 日帰りも可能ですが、近くに嶽温泉なるものが新聞に格安で載っているのをみて宿を

取った。

 

 きょうは30度越えの予報であったが、予報通りに気温は上がって暑い。

無料の高速を本荘でおりてコンビニで一息つく。

東由利町の道の駅でイベントが開かれていたので昼食をとった。

仙人はご飯類をよく食べるが、妻は麺類です。

 

 

ナビまかせて一時過ぎに鈴木家に到着したが留守でした。あらかじめ電話で

予約してあったので連絡したら30分ほど待っていると見学できるというので

待ってみました。

46代当主です。

家の天井はありません。

 

鈴木家は源義経の重臣(側近の7人衆の1人)、鈴木三郎重家を祖として、800年以上の歴史を有しています。江戸時代は代々肝煎役をつとめ、苗字帯刀を許された、飯沢の大半を占める地主でした。
  東北の鈴木姓はこの鈴木家が発祥であるとされています。
 茅葺屋根の主屋は江戸時代前期(1650〜1700年)の建物として昭和48年に重要文化財に指定され、昭和56年から1年半の解体修理で往時の姿に復原されました。
  主屋の背後に接続する土蔵は大正4年(1915年)の上棟で、平成6年に宅地・山林と併せて重要文化財の指定を受け、平成17〜19年に保存修理工事が行われました。
 土蔵内部にはさまざまな歴史的価値の高い品々が保管されております。先祖の描かれた浮世絵などもあり、鈴木家の歴史の深さをうかがわせます。
(右図は鈴木家の祖・鈴木三郎重家が描かれている浮世絵)

鈴木家年表

文治元年 1185 鈴木三郎重家、弟の亀井六郎重清、紀州藤白にて鞍馬山時代より知遇であった源義経の家臣なり、矢島、壇ノ浦の戦いに参加。
文治2年 1186年 義経とともに平家を追討。武勲をたてる。
文治3年 1187年 義経に従い、奥州平泉の藤原秀衝を頼って都落ちする。
文治5年 1189年 2月に紀州藤白の実家にあて書状を送る。
4月30日 藤原泰衡の裏切り、襲撃により義経戦死。
鈴木三郎重家、落ち武者となり出羽山形より羽後秋田に入り湯沢から山田をへて伊沢(現在の居住地、飯沢)に着く。
伊沢の地に土着帰農。名を杢助(モクスケ)と改め居住を定める。
建久4年 1194年 従者を分家して土地をひらく。伊沢は飯沢となる。
弘治2年 1556年 小野寺式部大輔の領分に入り、行政村となり田長役拝命。
慶長19年 1614年 検地帳(表紙及び年号が欠けている。記載様式から見て慶長帳に間違いないといわれる。)
宝暦元年 1751年 御目見得役を仰せつかる。
宝暦9年 1759年 当主 杢之助の弟 松之助、藤白神社(和歌山県海南市)参拝。本家「鈴木屋敷」訪問する。
明和元年 1764年 時の当主 33代 杢之助は鈴木三郎重家 以後の由来書を作成する。
天明7年
~文化7年
  24年間 当主病弱のため、役職を拝辞する。
文政12年 1829年 佐竹秋田藩主に由来書を提出。詮議を仰ぐ。
文政13年 1830年 佐竹藩主より永名字帯刀御免。代々肝煎役を仰せつかる。
大正元年 1912年 鈴木家土蔵建設着工。棟梁 十文字町睦合 宮野常松氏。
大正4年 1915年 土蔵完成(建材は自山産 現金工費3,500円也)。
昭和20年 1945年 第二次世界大戦 終戦。
昭和31年 1956年 鈴木家の古文書の調査始まる(羽後町 秋田大学)。
昭和32年 1957年 先祖土着768年祭を挙行。
昭和41年 1966年 NHK大河ドラマ「源義経」放送にあたり、43代目五男の鈴木修が撮影現場視察する。
放送を記念して先祖鈴木三郎重家777年祭を挙行。俳優名和宏氏(鈴木三郎重家 役)出席。
昭和48年 1973年 鈴木家住宅(主屋・中門)が国の重要文化財の指定を受ける。
昭和55年 1980年 4月 鈴木家住宅解体全面修復工事着工(文化財保存技術協会 設計)。
昭和57年 1982年 10月 復元工事完成。関係者、鈴木一族にて落成式を挙行。これを記念し、鈴木家累代の墓を建立。
国指定重要文化財 鈴木家住宅 一般公開を始める。
昭和60年 1985年 義経の家臣となって800年となる。
昭和61年 1986年 義経の家臣となって800年を記念し供養祭を催す。
鈴木家由来素録を刊行。
平成6年 1994年 鈴木家土蔵及び宅地、山林、古文書が国の重要文化財の追加指定を受ける。
これを記念し、6月 鈴木三郎重家808年祭 国重要文化財指定20年 土蔵重文追加指定記念祭を挙行する。
平成8年 1996年 10月 鈴木三郎重家の奥方(小森御前)の子孫 宮城県志津川町 西城家当主と800年ぶりの対面を当家ではたす。
平成9年 1997年 10月 宮城県志津川町で小森神社大祭に招待される。
平成10年 1998年 5月 「第1回 全国鈴木サミット」が秋田県羽後町(当家)で開催される。
※三郎重家の家系をつぐ鈴木一族の地。
平成11年 1999年 和歌山県海南市で「第2回全国鈴木サミット」が開催(45代目参加)。
※鈴木氏総本家の地 鈴木屋敷。
平成13年 2001年 石川県鳥越村で「第3回全国鈴木サミット」を開催(45代目参加)。
※鈴木出羽守が戦った加賀一向一揆の地。
平成14年 2002年 和歌山県海南市で「第4回全国鈴木サミット」が開催。
平成16年 2004年 和歌山県海南市で「第5回全国鈴木サミット」が開催。
平成18年 2006年 熊本県天草市で「第6回全国鈴木サミット」が開催。
※島原の乱後に尽力した鈴木神社。
土蔵の復元工事(基礎工事)着工。
※一般公開中止 約2年間。
平成19年 2007年 土蔵の復元工事 完成。
平成20年 2008年 5月より一般公開再開 名称を「国指定重要文化財 鈴木家住宅と染付蔵」とする。
飯沢の出入口に案内看板を設置 絵は江草天仁氏 題字は竜騎士07氏。
平成23年 2011年 3月 東日本大震災 これにより宮城県南三陸町志津川の「小森御前社」倒壊する。
平成24年 2012年 46代当主が発起人となり「小森御前社」再建への義援金活動を始める。
(鈴木家の拝観を永年無料とする「鈴木家木戸御免札」を販売する)。
平成25年 2013年

和歌山県海南市で「第7回全国鈴木サミット」が開催(46代目参加)。
6月 土蔵(染付蔵)の寝室部を「ギャラリー長右ェ門」として古伊万里・そば猪口などを約1,000点、展示。
10月 宮城県南三陸町の小森御前社 竣工 完成式典出席(46代目出席)。

 

鈴木家のホームページを参考

蔵の張の大きさに(@_@)

一日お話を聞いていても飽きないほどの歴史を感じました。家の前には

掘りを思わせる様な深い河が流れていて、900年前に豪農屋かを構えるのにふ

さわしい敷地と思えました。

 


近くのイベント巡り

2019-05-20 10:28:55 | 日々の生活

 今日は天気が良いので買い物と食事を楽しむことにした。何気なく新聞を見ていたら

近くで野草ラン展覧会や能代公園でイベントの開催記事が目に入ったので、今日の一日

の回るコースを考えて、妻に伝えたところ妻の意向に沿って2ヶ所の買い物店も入れて

10時に我が家を出る。

 スーパーで特売品をゲットするために買い物をしてから、数十年ぶりに公園に寄って

みた。

 

公園には数十年ぶりに訪れたので登り口が分からなくて少し戸惑ったが音楽が聞こえたので

無事にたどり着きました。

能代火力発電所敷津内にあるエナジアムパークです。

エビネです。仙人も庭に少し植えているので興味があるが、妻はエビネには興味がないようですね


植物園になっているので一周回って見たがマッタクわからない植物がある。

今日の食事処は八竜地区にあるサクラ亭をスマホで検索したので行ってみることにした。

仙人のオーダー

 

妻のオーダーは馬肉の半バークだそうです。能代・大館を中心に食べ歩きを楽しんでいるが、なかなか

仙人夫婦に会うお店と巡り合うことが出来ない。雰囲気が良くて、美味しい・綺麗なお店はこの地区には

ありませんね・・・・その点都会や旅先では安くて綺麗なお店が沢山あるので、その点では都会に憧れる

が住むには白神が最高( ^ω^)・・・




仙人暮らしが楽しい

2019-05-14 07:42:46 | 日々の生活

 

連休明けは晴天が続いて山の幸も順調に調達した。畑仕事も例年とおりに種を播き

収穫している野菜も出てきたので畑巡りも仙人暮らしの楽しみの一つです。この季節

になると庭の植木が芽吹いてくるので剪定も一苦労・・・後継者が居なので仙人が出

来なくなるとドウナルノカな~と思うことがある。でも今の仙人生活を続ける内は年

三回は刈り込みが必要です。

一気に庭木を剪定するのは大変なので時間をかけながらする。

イチイの刈り込みは大変です。

釣鐘ツツジ

ナルコ百合

ナナカマド

植木が大きくなって枝打ちも必要です

アケビの花が最盛期

花は妻の担当なので仙人は手入れはマッタクしないが、妻はお店から買って植えているだけです。種から

育てる楽しみがわからない。

これからは毎日庭と畑の管理で適度に忙しいので仙人暮らしには最高の季節ですね・・・時折友人が訪ね

てきては畑談議に花を咲かせながら白神の季節を満悦している仙人です。

 


白神の山菜採りを仙人夫婦で楽しむ

2019-05-07 11:01:14 | 日々の生活

 今回の連休は白神で山菜採りに明け暮れていました。

さいわいに好天気に恵まれて山菜は連休とともに地上にイッセイに芽を出してくれたので

夫婦で楽しみながら採っていた。当然仙人の秘密の山で採るので誰の者も入らないが、クマが

出没するから十分に声を出しながら採る様に妻に指導しているが、女は元来欲が強くて採り出

しと夢中になっている。仙人が目配りしながら時折大声を出してクマよけをしていた。

妻の山菜採りのスタイル・・・山に来るまでは嫌がるが、採り出しと夢中になります。

これは男ゼンマイですから採りません。

採るのは女だけです。

収穫したゼンマイ

採ってくると仙人小屋で湯がく

採ったゼンマイは天日で2~3日ほど干します。

お昼は我が家でパスタを食べた。妻が料理してくれたので、これならパスタで商売できると

言ったら・・・嫌だ~そうです。

気温が20前後になる庭の緑や花が元気になってきます。それぞれの開花が違うので先ごろを見て

山菜を採りに山に入ります。今回はゼンマイを採るのが目的ですから仙人は他の山菜には目が行

きませんが、強欲な妻は手当たりしだいに山菜を採っていました。

 二人で採るので量もその分おおくなるので帰ってからの処理が大変です。ゼンマイは最初から

最後の乾燥まで仙人一人でしているので大変・・・でも食べるよりも採るのが大好きです。