5月に入って田植え作業も最盛期を迎えている県内を旅をすることにした。
仙人夫婦は秋田と言っても青森と秋田の県境に住んでいる関係から県南地区には他県に
行くような感覚を持っています。
最近テレビ番組に入った。鈴木家の発祥が県南地区にあると言うので、温泉に入りな
がら旧家を訪ねて行くことにして、池田家・本郷家・鈴木家を目指して新緑の中を行っ
て来ました。
日帰りも可能ですが、近くに嶽温泉なるものが新聞に格安で載っているのをみて宿を
取った。
きょうは30度越えの予報であったが、予報通りに気温は上がって暑い。
無料の高速を本荘でおりてコンビニで一息つく。
東由利町の道の駅でイベントが開かれていたので昼食をとった。
仙人はご飯類をよく食べるが、妻は麺類です。
ナビまかせて一時過ぎに鈴木家に到着したが留守でした。あらかじめ電話で
予約してあったので連絡したら30分ほど待っていると見学できるというので
待ってみました。
46代当主です。
家の天井はありません。
鈴木家は源義経の重臣(側近の7人衆の1人)、鈴木三郎重家を祖として、800年以上の歴史を有しています。江戸時代は代々肝煎役をつとめ、苗字帯刀を許された、飯沢の大半を占める地主でした。
東北の鈴木姓はこの鈴木家が発祥であるとされています。
茅葺屋根の主屋は江戸時代前期(1650〜1700年)の建物として昭和48年に重要文化財に指定され、昭和56年から1年半の解体修理で往時の姿に復原されました。
主屋の背後に接続する土蔵は大正4年(1915年)の上棟で、平成6年に宅地・山林と併せて重要文化財の指定を受け、平成17〜19年に保存修理工事が行われました。
土蔵内部にはさまざまな歴史的価値の高い品々が保管されております。先祖の描かれた浮世絵などもあり、鈴木家の歴史の深さをうかがわせます。
(右図は鈴木家の祖・鈴木三郎重家が描かれている浮世絵)
文治元年 | 1185 | 鈴木三郎重家、弟の亀井六郎重清、紀州藤白にて鞍馬山時代より知遇であった源義経の家臣なり、矢島、壇ノ浦の戦いに参加。 |
文治2年 | 1186年 | 義経とともに平家を追討。武勲をたてる。 |
文治3年 | 1187年 | 義経に従い、奥州平泉の藤原秀衝を頼って都落ちする。 |
文治5年 | 1189年 | 2月に紀州藤白の実家にあて書状を送る。 4月30日 藤原泰衡の裏切り、襲撃により義経戦死。 鈴木三郎重家、落ち武者となり出羽山形より羽後秋田に入り湯沢から山田をへて伊沢(現在の居住地、飯沢)に着く。 伊沢の地に土着帰農。名を杢助(モクスケ)と改め居住を定める。 |
建久4年 | 1194年 | 従者を分家して土地をひらく。伊沢は飯沢となる。 |
弘治2年 | 1556年 | 小野寺式部大輔の領分に入り、行政村となり田長役拝命。 |
慶長19年 | 1614年 | 検地帳(表紙及び年号が欠けている。記載様式から見て慶長帳に間違いないといわれる。) |
宝暦元年 | 1751年 | 御目見得役を仰せつかる。 |
宝暦9年 | 1759年 | 当主 杢之助の弟 松之助、藤白神社(和歌山県海南市)参拝。本家「鈴木屋敷」訪問する。 |
明和元年 | 1764年 | 時の当主 33代 杢之助は鈴木三郎重家 以後の由来書を作成する。 |
天明7年 ~文化7年 |
24年間 当主病弱のため、役職を拝辞する。 | |
文政12年 | 1829年 | 佐竹秋田藩主に由来書を提出。詮議を仰ぐ。 |
文政13年 | 1830年 | 佐竹藩主より永名字帯刀御免。代々肝煎役を仰せつかる。 |
大正元年 | 1912年 | 鈴木家土蔵建設着工。棟梁 十文字町睦合 宮野常松氏。 |
大正4年 | 1915年 | 土蔵完成(建材は自山産 現金工費3,500円也)。 |
昭和20年 | 1945年 | 第二次世界大戦 終戦。 |
昭和31年 | 1956年 | 鈴木家の古文書の調査始まる(羽後町 秋田大学)。 |
昭和32年 | 1957年 | 先祖土着768年祭を挙行。 |
昭和41年 | 1966年 | NHK大河ドラマ「源義経」放送にあたり、43代目五男の鈴木修が撮影現場視察する。 放送を記念して先祖鈴木三郎重家777年祭を挙行。俳優名和宏氏(鈴木三郎重家 役)出席。 |
昭和48年 | 1973年 | 鈴木家住宅(主屋・中門)が国の重要文化財の指定を受ける。 |
昭和55年 | 1980年 | 4月 鈴木家住宅解体全面修復工事着工(文化財保存技術協会 設計)。 |
昭和57年 | 1982年 | 10月 復元工事完成。関係者、鈴木一族にて落成式を挙行。これを記念し、鈴木家累代の墓を建立。 国指定重要文化財 鈴木家住宅 一般公開を始める。 |
昭和60年 | 1985年 | 義経の家臣となって800年となる。 |
昭和61年 | 1986年 | 義経の家臣となって800年を記念し供養祭を催す。 鈴木家由来素録を刊行。 |
平成6年 | 1994年 | 鈴木家土蔵及び宅地、山林、古文書が国の重要文化財の追加指定を受ける。 これを記念し、6月 鈴木三郎重家808年祭 国重要文化財指定20年 土蔵重文追加指定記念祭を挙行する。 |
平成8年 | 1996年 | 10月 鈴木三郎重家の奥方(小森御前)の子孫 宮城県志津川町 西城家当主と800年ぶりの対面を当家ではたす。 |
平成9年 | 1997年 | 10月 宮城県志津川町で小森神社大祭に招待される。 |
平成10年 | 1998年 | 5月 「第1回 全国鈴木サミット」が秋田県羽後町(当家)で開催される。 ※三郎重家の家系をつぐ鈴木一族の地。 |
平成11年 | 1999年 | 和歌山県海南市で「第2回全国鈴木サミット」が開催(45代目参加)。 ※鈴木氏総本家の地 鈴木屋敷。 |
平成13年 | 2001年 | 石川県鳥越村で「第3回全国鈴木サミット」を開催(45代目参加)。 ※鈴木出羽守が戦った加賀一向一揆の地。 |
平成14年 | 2002年 | 和歌山県海南市で「第4回全国鈴木サミット」が開催。 |
平成16年 | 2004年 | 和歌山県海南市で「第5回全国鈴木サミット」が開催。 |
平成18年 | 2006年 | 熊本県天草市で「第6回全国鈴木サミット」が開催。 ※島原の乱後に尽力した鈴木神社。 土蔵の復元工事(基礎工事)着工。 ※一般公開中止 約2年間。 |
平成19年 | 2007年 | 土蔵の復元工事 完成。 |
平成20年 | 2008年 | 5月より一般公開再開 名称を「国指定重要文化財 鈴木家住宅と染付蔵」とする。 飯沢の出入口に案内看板を設置 絵は江草天仁氏 題字は竜騎士07氏。 |
平成23年 | 2011年 | 3月 東日本大震災 これにより宮城県南三陸町志津川の「小森御前社」倒壊する。 |
平成24年 | 2012年 | 46代当主が発起人となり「小森御前社」再建への義援金活動を始める。 (鈴木家の拝観を永年無料とする「鈴木家木戸御免札」を販売する)。 |
平成25年 | 2013年 |
和歌山県海南市で「第7回全国鈴木サミット」が開催(46代目参加)。
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鈴木家のホームページを参考
蔵の張の大きさに(@_@)
一日お話を聞いていても飽きないほどの歴史を感じました。家の前には
掘りを思わせる様な深い河が流れていて、900年前に豪農屋かを構えるのにふ
さわしい敷地と思えました。