チマチマ毎日

木工屋と陶器屋の夫婦が作るセルフビルドの家と、まいにちの生活、道具のあれやこれや。

花が咲きだした

2009年05月08日 | ちっちゃくガーデニング

  GWは仕事はほとんどできなかった。
地区の仕事やもあるし子どもも放っておくわけにはいかず、仕事の予定を入れるとあとからぜったいアタフタする。
だからもうはなから予定は入れない。
春はいつもの半分の仕事量になった。しょうがないな。
昨日はようやく窯焚きできた。前の窯から時間が経ってしまった。


この時期まだ肌寒いこともあるけど、いっせいに花壇の花が咲きだした。

 

きいろが春菊、ピンクはチャービル。
食べれる、なおかつ花がかわいい、って言うことなし!




すみれ、タイム、オレガノ(かな?)。
水を換えるとよい香りがただよう。

 

これはいただいたモッコウバラ。
今年ようやく花をつけた。黒くて小さい毛虫がつくからいつも目を光らせてる。
東山動物園に白いモッコウバラあったっけ。あれいいなあ。

 ガマズミの仲間。山のいたるところで見られる。

  

 かぶれの木。なんか花のような実のようなものをつけてる。
たしか梅雨時が危なくて、木から「かぶれの吐息」みたいなの出してるとか。
そろそろ裏山もロビンちゃん(うちの草刈り機についてる名まえ)を駆動する時期。





「六ヶ所村ラプソディー」中津川で上映

2009年05月05日 | 読む見る聴く&思う
                              

  先月、近所のふれあい文化センターでこの映画を見た。
見ている間ずーっとみけんにしわをよせて見ていた。


映画は六ヶ所村になぜ核燃料再処理施設ができることになったのか、から始まり
長い反対運動の末、なぜ反対派住民が反対派をやめていったのか、
そしてその後の反対派賛成派それぞれのこの地での生活。

カメラは海外の同様な施設をも追う。
イギリス、セラフィールドにある同様の施設周辺では、小児がん発症率が
通常の10倍近くになるが因果関係はないと公表されていること。
そしてこのイギリスの工場はその後重大な事故を起こし現在工場は閉鎖されていること・・・。


映画を見て初めて知ったことが多過ぎて自分の無知におどろいた。
上映後、監督の鎌仲ひとみさんの講演があって、さらに現在の状況が伝えられ、その事実に鉛を飲んだような気持ちになった。


ここにみなさん周知のこともあるかとは思いますが
大事なことなのでいただいた資料をもとに一部書き留めておきます。


  ・六ヶ所村核燃料再処理施設では、世界のどこの国でも技術的に
    難しく コストもかかるため断念しているプルトニウムの再処理を
    しようとしている。
    プルトニウムが燃料になりうるかどうかさえまだ研究段階だというの   に。

        (注・プルトニウム=長崎の原爆に使われた毒性の高い元素
          耳かき一杯で数百万人を殺せる)

  ・この工場は2007年始動の予定だったが事故により延期。
    (簡単にマンガにしてみました。下記)
   新聞ではこちら↓
http://www.news.janjan.jp/living/0901/0901070843/1.php

    


    




   ・「原発は地球にやさしいクリーンなエネルギー」っていうけれど
     巨大な施設工場、ウランの運搬、放射能廃棄物の処分には大量のの    
     CO2が発生するし、海へ捨てられる排水で海水の温度は上昇している。


日本のテレビ、マスコミではこういった事情は、スポンサーが電力会社であることで報道されることは少ない。
しかし地元の新聞などでは事細かに報道されており、ネットでこういった新聞をぜひ一読してみてほしい。
見出しだけでも驚いてしまうくらいだから。
デイリー東北↓
http://www.daily-tohoku.co.jp/tiiki_tokuho/kakunen/kakunen-top.htm


国内の電力の三分の一を原子力発電でまかなっているというけれど
それは使える火力発電を休ませておいて、そのうえでわざわざ原子力を使っているからだ。

アメリカはオバマ政権に代わって、原発をこれ以上増やすことをやめ
地熱発電、風力発電にチカラを入れるらしい。
それは原発がコストがかかりすぎる上、リスクも大きいから。
そんな原発を日本はなぜ増やそうとしているのか?

どうやら電気というのはものすごくもうかるらしいのだ。

うう、話が長くなり過ぎたので今回はこれまで!(ぺぺんぺんぺん)



キヨシローにありがとう

2009年05月03日 | 読む見る聴く&思う
                       

 忌野清志郎が亡くなった。


昨年一度退院して復活ライブをした映像が当時テレビで流れていた。
清志郎は入院中失った体力を戻すため、相当苦労していたと聞く。

自転車で「雪に埋まってしまった息子を何時間もあきらめず雪を掘って
 救い出したおじいさん」に感動して会いに行ったり。

やっぱり自転車で全国ツアーまわったり。

シャイでテレビなんか出るとギターで話すからなんだかよくわからんし。

清志郎は高校時代にデビューしてるんだけれど、同級生に三浦友和がいて仲も良くて清志郎のお母さんが三浦友和に「うちの息子どこに行ったか知らない?」と困って聞いていたとか。


わたしは中学の頃清志郎の声に出会って、長いつきあいだった。
中学校卒業のイベントに「雨上がりの夜空に」を大声で歌ってまわりを引かせた。
高校のとき同じクラスの秀才の男の子は、話してみると清志郎のファンだった。
おたがいテープを交換したっけ。

   気の合うともだちってたくさんいるのさ
   今は気づかないだけ
   街ですれ違っただけでわかるようになるよ

あまりぱっとしない高校生活で、この言葉は染みた。

こんなミュージシャンはもう出ないだろう。