忌野清志郎が亡くなった。
昨年一度退院して復活ライブをした映像が当時テレビで流れていた。
清志郎は入院中失った体力を戻すため、相当苦労していたと聞く。
自転車で「雪に埋まってしまった息子を何時間もあきらめず雪を掘って
救い出したおじいさん」に感動して会いに行ったり。
やっぱり自転車で全国ツアーまわったり。
シャイでテレビなんか出るとギターで話すからなんだかよくわからんし。
清志郎は高校時代にデビューしてるんだけれど、同級生に三浦友和がいて仲も良くて清志郎のお母さんが三浦友和に「うちの息子どこに行ったか知らない?」と困って聞いていたとか。
わたしは中学の頃清志郎の声に出会って、長いつきあいだった。
中学校卒業のイベントに「雨上がりの夜空に」を大声で歌ってまわりを引かせた。
高校のとき同じクラスの秀才の男の子は、話してみると清志郎のファンだった。
おたがいテープを交換したっけ。
気の合うともだちってたくさんいるのさ
今は気づかないだけ
街ですれ違っただけでわかるようになるよ
あまりぱっとしない高校生活で、この言葉は染みた。
こんなミュージシャンはもう出ないだろう。
私も清四郎さん大好きでした。
名古屋時代「雨上がりの夜空に」何度もカラオケで
みんなで熱唱しました!!
なんだかとても不思議な人でしたね。
だから病気と聞いた時もこの人絶対死なない気がすると密かに思っていたくらいです。
きっとあっちの世界でも陽気に歌っている気がします。
ああ。。としか言えませんでしたわ。
他の人と比べたら大ファンとか言うんじゃないけど好きでした。
あと、映画にちょこちょこ出てた姿とかも。
なんか抜けた感じ。
確かにこの穴は埋めようがない感じですよね。
田植えおつかれさまでした。
うちのまわりもみんなGWは帰省する人も入れて大忙しです。うちだけのほほんしてます。
キヨシローはぜったいギターを持ってあちら側に行ってるでしょうね。三途の川も歌いながら渡ってたり。
「ヒッピーに捧ぐ」を昨晩聴いて
「お別れは um~ 突然やってきて すぐに済んでしまった」
の歌詞に一人泣きました。
すかすかさん
映画、ちょこちょこ出てましたね。
わたしはあんまり見てないんですが
「恋の門」かな、すごい俳優陣の中でもやっぱりピカピカ光ってた。
このひと、自分にうそつかない気がするんですよ。
それでまわりに迷惑かけたり誤解されたり。
それがいとおしくて長いこと惹かれ続けた理由です。
矢野顕子とのセッションを聴いて
「ああ、このひとたちはお互いの才能を愛し合ってるんだな」と思いました。
才能ってすごいな、音楽ってすごいな。
会話なしに通じるんだな。
彼の死で、ずいぶんたくさんの人が喪失感を抱えたことと思います。
「前に、同い年の清志郎が闘い続けているので、自分も逃げられない、という原稿を、
彼の何周年かの記念ライブのパンフに書いた記憶がある。清志郎は闘う姿勢を全く変えないまま僕らを残して、この現世のステージから去って行った。
後は残った僕たちが闘いを続けていくだけだ。
ゆっくり休んでもらいたい。一緒に同じ時代を生きられて幸運だった。」
うたうことで闘ってきたキヨシロー。
時代はそれをかっこわるいように扱ったりするけれど
貫くということはキヨシローにとってはアタリマエだったんでしょう。
この生き方はやはりすごい。
あこがれます。
今はNHKFMで、金曜の夜にやっていますね。あのころとあまり変わらない気がする。数年前に、初めて彼が私より何歳か若いことを知ってびっくり。
でも清志郎と同い年とは知らなかったなー。
渋谷陽一責任編集の雑誌SIGHTを読んでいると、やはり闘うというスタンスを変えていない、むしろこの時代につよく打ち出している気がします。
やはりロックはこうじゃなきゃあ!