Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

聖ヨゼフよ、我らのために祈り給え

2010年11月16日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 今日は私たちと一緒に働いているスエロ神父様が、セルード神父様の依頼で小教区の教会で朝9時の聖伝のミサを捧げました。

 私は、と言えば、朝あれとこれをすることと固く決心して、ミーティングや訪問者の対応で、最後の最後までやることができませんでした。明日はマニラにいる最終日。

 今日は、大変嬉しいニュースがありました。クチュール神父様のアジア管区の司祭たちへの手紙です。この意向のために愛する兄弟姉妹の皆様のお祈りのお願いいたします。詳しいことは、直接申し上げます。

 お騒がせしました私の携帯電話ですが、600ペソでフォーマットをし直しましたら、新品のようになりました。ほっとしています。ヘラ神父様からは、ウィルスが入ったのではないかと言われました。

 今回はマックファーソン神父様と2人で参ります。愛する兄弟姉妹の皆様とお会いするのを楽しみにしております。

 今回は日本の後にマックファーソン神父様をお連れして韓国にも参ります。ポゴシッポヨ!

 愛する兄弟姉妹の皆様のことは忘れず祈っています。愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!!


トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

近況報告

2010年11月15日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

聖伝のミサの予定日が近づいて来ましたね。

 今日は、こちらでは比較的に静かな一日でした。但しフィリピンの携帯電話がおかしくなってしまったので修理に出しました。一年前にどうしても携帯電話を買わなければならなくなり、奮発してタッチパネルの携帯電話にしました。しかし、ボタン式と比べて遅く、すぐにおかしくなってしまいました。

 私は、そこでたまったメールの御返事を開始しました。インターネットの接続はまだ不調。

 今日は、マニラにいるブラザー・テオファンの誕生日です。しかし、主役のブラザーは仕事上出かけて行き(12月8日の祝日の準備のためにマリア様の御旗の材料などの購入のため)、夜の祈り(8時30分から始まる)が終わったころ疲れて帰って来ました。安心。ブラザー、お誕生日おめでとう!!アルベルト・ヘラ神父様は、今日自分の霊名の祝日なので、ブラザーと一緒に喜んでいました。グラスの底が隠れるくらいの少量のテキーラで乾杯しました。ブラザーは疲れていたのですぐに休みに行きました。ブラザー、おやすみなさい!!

 明日は、イスラム教の「犠牲の日」という新しい休日です。ラマダンも休日になり、またイスラム教の公休日が追加されました。しかし私たちには多くの仕事が待っています。
 愛する兄弟姉妹の皆様のお祈りに感謝いたします。続けて聖ヨゼフにお祈りください。

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!!


トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

フィリピン・カトリック司教評議会の家庭と生命に関する司教委員会事務長のメルヴィン・カストロ神父様

2010年11月15日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 フィリピンにおける「出産健康法」が成立しないようにロザリオの十字軍に参加をお願いいたします。

フィリピン・カトリック司教評議会の家庭と生命に関する司教委員会事務長のメルヴィン・カストロ神父様は、私たちのロザリオの十字軍に参加を呼びかけて下さっています。

Father Melvin Castro, Executive Secretary of the Episcopal Commission on Family Life of the CBCP, promotes the Rosary Crusade for the Defense of God's Law on Life and Family during the 17th Asia-Pacific Congress on Faith, Life and Family, Nov. 6-8, 2010.





フィリピンでは有名なルネ・ブルセール医師が私たちのロザリオの十字軍への参加を愛する兄弟姉妹の皆様に呼びかけてくれています。

Dr. Rene Bullecer of the Human Life International-Filipinas promotes the Rosary Crusade for the Defense of God's Law on Life and Family.




天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


故ヨハネ・パウロ二世教皇様のためにお祈りいたしましょう。

2010年11月15日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 死者の月ももう半ばになりました。11月になると、ヨハネ・パウロ二世教皇様のことをも思い出し、お祈りしています。

 何故なら、イタリアのカステラマーレ市で病気の妻のためにヨハネ・パウロ二世に取り次ぎを祈った男性の夢の中にヨハネ・パウロ二世が現れて「私は何もすることが出来ない、この司祭に祈れ」“Io non posso fare niente. Dovete pregare questo sacerdote”といいながらピオ十二世教皇様の姿を見せた、というニュースを読んだことがあるからです。

 また、これは偶然の一致でしょうが、ポーランドでヨハネ・パウロ二世教皇様が火の中に現れた(?)というニュースも読んだことがあるからです。

 故ヨハネ・パウロ二世教皇様のためにお祈りいたしましょう。

Rivelazione: Wojtyla delegò Papa Pio XII a fare il miracolo

Details of possible Pius XII miracle emerge


Interrogativi sulla sagoma di Giovanni Paolo II nel fuoco

ヨハネ・パウロ二世


Is this Pope John Paul II waving from beyond the grave? Vatican TV director says yes


愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


聖ヨゼフよ、我らのために祈り給え

2010年11月13日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 昨日は、ようやくインターネットの接続が回復しました。天主様に感謝!そこで、せっかくご報告をいただいていながら、集計漏れしてしまったロザリオの環数があったことを教えていただきました。感謝!

 また、安田神父様の別のタイトルの本も用意されています。詳しくは、またあらためて申し上げます。

 こちらの仕事に手間取り、今月の聖伝のミサの予定日を更新できずにおりますが、明日の午後にはなんとか時間が取れそうです。

 昨日は、午前中は病人のお婆さん(90歳以上)のお見舞い。午後は、テレビ局でスタッフの方々と打ち合わせ。その直後に或る大司教様と面会、作戦会議(?)(^_^;)。今日も今日で、毎週土曜日のブラザーたちのための霊的講話の後、ミーティング。忙しい合間にも車で移動中に沢山のロザリオを捧げています。愛する兄弟姉妹の皆様、どうかフィリピンにおります私たちのためにお祈りください。

 愛する五名の兄弟姉妹の皆様から私たちの車のために封筒をいただきましたが、何と(!!)合計金額が105万円になりました。愛する兄弟姉妹の皆様に深く深く感謝いたします!!聖ヨゼフに深く感謝します。

 愛する兄弟姉妹の皆様のために謹んでお祈り申し上げます。愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!!


トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

カトリック教会に聖なる召命が与えられるため:現在24543環のロザリオが集まりました

2010年11月12日 | ロザリオの十字軍
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 召命のための祈願の祈りの報告をご紹介いたします。
 2010年5月1日から11月1日までの分として、カトリック教会に聖なる召命が与えられるための意向で、現在
 ロザリオ  24543環
 聖伝のミサ 325回
 聖体拝領  54回
 霊的聖体拝領 818回
 巡礼    3回
 十字架の道行き 9回
 聖体降福式 14回
 教皇様、司祭様と召命の祈り合計237回
 連祷合計   1185回
 黙想    594回
 聖書朗読  153章
 ノベナ 78回
 射祷  346回
 その他の祈り 1121回
 7つの悲しみのロザリオ 2回
 聖歌    183回

 いろいろな犠牲

 などが報告されています。

 愛する兄弟姉妹の皆様の僕は10月は81環でした。
 また9月10月分の与った聖伝のミサは51回、黙想は60回でした。

 11月1日まで、できれば、愛する兄弟姉妹の皆様から(聖三位一体を賛美して)総計してロザリオを3万環捧げることを望んでいましたが、それは今回は適いませんでした。

 次の祈りが報告されています。

【報告】
アヴェ・マリア!

トマス小野田神父様

ロザリオのご報告が遅れまして申し訳ありません。
8月~11月1日まで、150環でした。
よろしくお願い致します。

これからはフィリピンの出産健康法問題のために、ロザリオを祈らせて頂きますのでよろしくお願い致します。神父様のご健康と体力が守られますように、どうぞお元気でお過ごし下さい。


【報告】
+ Pax et Bonum!

マリア!

敬愛なる霊父よ、貴司祭兄弟会創立記念日の御慶びを申し上げます!

我が家のロザリオ十字軍の総数は、
ヨゼフ 185環
マリア  700環
合計   885環
です。
・・・
叱咤激励の程をお願い致します。

引き続きお祈りをお願い致します!!!

お知らせまで。

【報告】
アヴェマリア!

報告遅れてしまいました。

ミサ聖体拝領 20回 報告していなかった分 
聖務日課 1回
ロザリオ 一環
聖ヨゼフへの祈り、一回

犠牲
延滞された給料 四ヶ月分(これって犠牲になるのだろうか???) 
荷物運び♪   6回
今回はロザリオにしても祈りにしても自分で納得できる祈りが出来ませんでした。
祈っている途中で雑念もかなり多いです。ですからカウントに入れていません。

少ないですが犠牲と祈りを御ささげします。




【報告】
小野田神父様

  いつもお世話になっております。
  10月分の crusade of rosary を 送ります。
  多分、6月分と7月分が抜けているかも知れませんので、再確認していただければ助かります。

  9月分のロサリオのレポートはここに載っていませんが、先月神父様に
  レポートした通りです。
  今月からまたネットの方、使えるようになりました。
  皆さんにご迷惑を、おかけしました事、深くお詫び申し上げます。

5月 1005環
6月 1005環
7月 967環
8月 1112環
9月 1116環
10月 1441環


【報告】
+J,M,J, Ave Maria ☆!

小野田神父様、こんばんは。
聖務にお忙しいのに、ブログを更新くださってありがとうございます。
アジア管区の聖なる召命のためのロザリオ十字軍の意向のもとにつたなくも唱えましたロザリオの数をご報告いたします。10月1日~11月1日の最終日までの集計です。報告が遅くなってしまってすみません。

マリア&パウロ・・・116
マリア・・・96
マリア・・・26
ルルド・・・10
テレジア・・・124
マグダレナ&マリア・・・135
ファチマ・・32
合計=539

聖伝の御ミサ・・・10

を御捧げいたしました。どうぞよろしくお願いいたします。

至聖なるイエズス様の御心よ、われらをあわれみたまえ。
無原罪の御宿りよ、小野田神父様のご健康、ご活動をお守りください。
ロザリオの聖母よ、われらの祈りをききいれたまえ。


【報告】
小野田神父様

 召命の意向のロザリオは20環です。

Ad majorem Dei glorium, 

【報告】
Onoda shinpusama, konnichi wa!

O genki desu ka.

Watashi wa im haha to issho ni South Tyrol no Kastelruth ni tomatte imasu. Rehabilitation no byouin no ato de kyuuyou shita houga ii to omoimashita. Isha mo sou omoimashita. Haha wa ima mo hontou ni yowai desu ga mai nichi mijikaku yukkuri sanpou shimasu. 2 ka getsu mae hotondo naku narimashita, desukara ima hontou ni manzoku shite imasu.

Shinpusama no o inori o mou ichido kokoro kara o rei o moushiagemasu!
10gatsu no rosario no kazu wa 105 desu.

Sumimasen, 11gatsu mo tsuzukeru no wa dou ka ima amari oboenain desu ... Dou desu ka?

Nihon de mo dandan samuku naru to omoimasu, Shinpusama no karada no choushi wa ki o tsukete kudasai!

O inori no uchi ni!

【報告】
おはようございます、修院長様。

10月分のロザリオの御報告をいたします。
ロザリオ・・・31環
7つの御悲しみのロザリオ・・・1回
我が主のロザリオ・・・1回
聖ピオ五世のHymnus "Belli Tumultus" ・・・5回
聖ピオ十世のノヴェナ・・・31回÷9日=3回。

 修院長様は聖ピオ十世会創立40周年のお祝いはなさいましたか。
もしパーティーがございましたら、盛況でございましたでしょう。



【報告】
主の平和。小野田神父様、先日はわざわざ我が家までお越しくださって、家の祝別や車の祝別、それから母のお見舞いにも来て下さって、病者の祝福もして下さいまして本当にありがとうございました。・・・ところで遅くなりましたがロザリオの十字軍10月分のご報告をさせていただきます。

フランシスコ  31環
テレジア    155環です。

フィリッピンのようなカトリックの熱心な国で、胎児が殺されるような法律が成立しませんように。すべての人が神様の御旨に忠実に従って生きていくようになりますように。祈っています。神様からの祝福とお恵みがありますように。主、イエズスキリストの御名によって。

            祈りの内に、 

【報告】
フランシスコ・パウロ

ロザリオの十字軍

アヴェ・マリア
遅くなりました。十月のロザリオは42環、聖母への祈り4、聖会の保護を願い聖ミカエルへ4回でした。体調が思わしくなく御ミサにも参れませんでした。

【報告】
Ad Maximum Dei Gloriam.

修院長様、

 聖ピオ十世司祭兄弟会創立40周年のお慶びを申し上げます。
今日まで40年間、聖ピオ十世司祭兄弟会は、V II 体制の中で混乱し、疲弊した私共信者の為に、多くの努力と犠牲を払って下さいました。

 ルフェーブル大司教様、マイエル司教様、総長様、ガラレッタ司教様、マルレー司教様、ウィリアムソン司教様をはじめ、神父様方、ブラザーの方々、シスターの方々、他の聖伝の修道会の方々はどれほどの偏見、妨害、困難、不名誉、放逐で苦しめられた事でしょうか。

 教会という船は、天国という目的地を見失い、聖書と聖伝という羅針盤は中心が歪められ、一体何を目指して教会は進むのか、分からなくなってしまいました。
ある者は船から追い出され、ある者は自ら船を降り、ある者は船から落ちてしまう・・・。
どれだけ多くの信者、又司祭までもが教会から去った事でしょう。
疑問、混乱、落胆、諦め、虚無感・・・。
去る者達は、大騒ぎして去るのではありません。
「もはやこれまで」と思い、そっと無言の内に去るのです。

 私自身、2004年7月を持って、Novus Ordo ミサに行くのを止めました。
そこでNovus Ordo ミサに欠けているものを再確認いたしました。
去る者の心にある、限りない悲しみと虚しさよ。

 しかし天主様は決して私共をお見捨てになりませんでした。

 私は2004年の4月に聖ピオ十世司祭兄弟会の出版社、Angelus Press の聖伝の本を読み、何が問題であるかを再認識致しました。
またそこで美しい信者用ミサーレまで手に入れる事ができました。
御ミサに与るまで、Angelus Press の聖伝の本は私を導き、慰めてくれました。

 そして聖伝の御ミサ、私は2005年に、初めて大阪で与った聖伝の御ミサを、今も感激を持って思い出します。沈黙、祈り、敬神の念、聖伝の御ミサには、Novus Ordo ミサが捨て去り、私が求めていたものがございました。
聖伝の御ミサはまさにMissa Dramatica 、なんて美しく、劇的で、沈黙に、祈り、敬神の念にあふれている事でしょう。選ばれている詩篇は、何て力強いのでしょう。本当に聖伝の御ミサは「有難い」、ありがたく、滅多に無いものでございます。

 そして修院長様の説教は、外部での人権活動の勧めや、司祭の只の個人的体験談を話すだけの、いわゆる「手造りの教会論」的説教とは一線を画して、本当に正統的で、教えを分かりやすく説いて下さっています。
そして御ミサ後の授業では、まるで大学時代に戻ったかのような、アカデミックな、しかもカトリック的なお話も伺えます。
何て幸せなのでしょう。

 これは只単に、私一人だけの感想ではございません。
聖伝の御ミサに与る全ての信者、聖伝の御ミサが何かをネットで調べる人々、そして聖ピオ十世司祭兄弟会の神学校に通う神学生達、ブラザー、シスターの志願者達が年々増加している事、ミサセンターが増えている事が証明しております。
V II という泥の中で泥に塗れず、美しい花が咲き乱れております。

 今、パソコンの前で御ミサを思い起こすだけで、この有難さに涙が出そうになります。Angelus magazine の10月号は、創立40周年記念増刊号でございました。
それを読んで、又涙が出そうになりました。
いつにも増して重い10月号は、聖ピオ十世司祭兄弟会の発展の歴史と、またその責任の重さを感じました。私自身の、言葉では言い尽くせない感謝を、お祈りとしてお捧げいたします。

聖ピオ十世司祭兄弟会創立40周年の感謝と尊敬、愛を込めて。

聖母の連祷・・・1回
Te Deum ・・・3回
Hymnus "Belli Tumultus" ・・・3回
Hymnus "Sancte Pie Decime" ・・・3回(歌いました。)
我が主のロザリオ・・・1回
聖母のロザリオ・・・1環
聖ピオ十世司祭兄弟会を聖母とその悲しみに満ちた汚れ無き御心に奉献する祈り・・・1回

2010年11月2日奉教諸死者の祝日

【報告】
小野田神父様

 ロザリオのご報告です。
ロザリオ 147環
いつくしみのチャプレット 1環
司祭のためのチャプレット 1環
聖母の7つの悲しみの祈り 1回
射祷  310回

以上です。

マリア

【報告】
アヴェ・マリア!
小野田神父さま。

・・・さて、今日はロザリオの今回の募集の最終報告です。
9月、10月と1日平均10環達成です。
これは、私にとっては初めて教会へ来た頃と同じ水準ですが、あの頃は、祖母の病気とマリアさまのお恵みを生まれて初めていただいて、ショックが大きくて必死だったのです。
当然、中だるみが来て、1日1環がやっとという状態にまで落ちたのですが、努力と意志力によって、じわじわと元へもどして来ました。
実に、20年ぶりです。こんなに時間がかかったかと思うと、ため息が出ます。
この水準を、なんとか維持していきたいと願っております。

ロザリオ、9月=305環、10月=321環、11月=(1日のみ)11環、合計=637環

2010年11月2日 

【報告】
十 主の平安

トマス 小野田圭志 神父様
聖なる召しだしのための最終のご報告をさせていただきます。

10月1日から11月1日までに
① ロザリオの祈り 164環
② 15分間の玄義の黙想 32回

以上です。
あっという間の半年間でした。ありがとうございました。

【報告】
聖母の愛して居られます司祭トマス小野田圭志修道院長様

十主の平安

アヴェ・マリア
諸聖人の大祝日
       おめでとうございます
たくさんの聖なる召命と至聖三位一体を賛美して
の聖なるロザリオの最終の御報告をさせて頂きます♪

10月分と11月1日までの合計です♪

*パウロ夫妻     39環
*シスターマリア  100環
*ヨゼフ・パウロ   49環
*マリア      221環
*マリア       38環
*マリア      340環
*バルナバ       2環
*エリザベト     36環
*テレジア     120環、と、御召を求むる祈り 42回
*マリア       59環(マリア様の事が、良く分かるようになったのよ♪と仰いました!良かったです♪)
*マリア       27環(次に又あれば、良いよ♪と言って下さいました♪)
*マリア・ローザちゃん 17環
*マリア        61環
*アンナ        32環(次に又有れば、良いですよ♪と仰って下さいました♪)

御ミサ!!!♪♪♪ 5回
御聖体拝領!♪  5回
霊的御聖体拝領 180回
連祷  236回
黙想 57回
十字架上のイエズスに向かう祈り 156回
聖母マリア様の汚れなき御心に!♪身を捧げる祈り 128回
聖歌  139回
大天使聖ミカエル様!♪ヘの祈り 97回
聖会の保護者なる聖ヨゼフに向こう祈り 65回
信徳唱・望徳唱・愛徳唱 370回
アッシジの聖フランシスコ様の「太陽の讃歌」 30回
秋田の聖母マリア様の御元への巡礼!!♪♪ 2回

犠牲  水曜、土曜、も、お肉を食べない。

以上です、どうぞ宜しくお願い致します。

フィリピンの御ミサのライヴ、残念でした。マリア・ベルナデッタが、1時間ほど格闘したのですが写らず。でも、5時15分位前から、神父様方のインタビューを見る事が出来ました。勝利の聖母教会!♪本当に綺麗ですね!御羨ましいです。。

何とか早く、大阪にも、聖母マリア様の汚れなき御心御聖堂を!
聖なるロザリオの意向にも入れていました♪

御祈りいつも、有り難うございます!!
デオ・グラチアス!!

   お祈りのうちに  アレルヤ!

【報告】
諸聖人の大祝日および
聖ピオ十世司祭兄弟会創立40周年
おめでとうございます

勝利の聖母修道院長

トマス小野田神父様

アヴェ・マリア

*召命祈願のロザリオ最終日の報告

ロザリオ3環(以下省略)です。

【報告】
アヴェ・マリア!

トマス小野田神父様

アジアの召命のロザリオのご報告をさせていただきます。

9月27日~10月31日時現在(日本時間)

私と子供2人あわせて16環でした。

11月からは新たな旅立ちとなります。

天主様の祝福が豊かにありますように!

【報告】
アヴェ・マリア!

10月分のロザリオは80環でした。
南方のこちらでも朝晩が寒くなりました。が、昼間は暑く11月とは思えない気候です。また、聖伝のごミサでお会いできる日を楽しみにしています。

【報告】
聖なるロザリオ!!♪♪再開!皆様にも御願いのお電話を致しました♪

シスターにもお願い致しました♪
本当に、快く御引き受け下さいました♪
又、御声をお聞きします事が出来ますので、嬉しいです♪
・・・
フィリピンの悪法、早く廃案!になりますといいですね!
頑張ります!!

聖なるロザリオ!♪頑張ります!

デオ・グラチアス!!



+ + +


愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

聖ピオ十世司祭兄弟会 (FSSPX) 創立者 ルフェーブル大司教 伝記 目次

========================
いつもこのブログを読んで下さってありがとうございます。

BLOG RANKINGです。クリックで応援して下さい。


にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村のランキングです。クリックで応援して下さい

ルフェーブル大司教の伝記の続きをもっと読みたい
と思った愛する兄弟姉妹の皆様は、
クリックで応援して下さると励みになります。
兄弟姉妹の皆様のご関心と応援とを感謝します!
========================
사랑하올 형제 자매 여러분, 한국성비오10세회(SSPX) 새로운 웹 사이트를 소개합니다.



フィリピンの「出産健康法」に反対するロザリオの十字軍に愛する兄弟姉妹の皆様をご招待する動画

2010年11月12日 | ロザリオの十字軍
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 フィリピンの「出産健康法」に反対するロザリオの十字軍に愛する兄弟姉妹の皆様をご招待する動画です。フィリピンのヴィダル枢機卿様、アニセト大司教様、カストロ神父様たちに感謝します。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)












24543環のロザリオ

2010年11月11日 | ロザリオの十字軍
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 こちらではまだインターネットの接続がおもわしくありません。繋がったり、繋がらなくなったりしています。

 アジア管区の召命のための特別期間、私たちは愛する兄弟姉妹の皆様の報告によると、ロザリオだけで、24543環が集計されています。

 後々、インターネットの接続が戻りましたら、詳しい報告を申し上げます。

 愛する兄弟姉妹の皆様は、ヴィダル枢機卿様の動画をYouTubeでご覧になりましたか?
 更に別の動画がアップロードされているとのことです。(私はまだ確認することができないでいますが。)

 どうかフィリピンのためにお祈りをよろしくお願いいたします。

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

いろいろことが…

2010年11月10日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、如何お過ごしでしょうか?

 こちらでは、この頃もう何日間も、インターネットが繋がらなくなっています。今、携帯電話のメールから投稿しています。

 三日前は、水道のモーターが壊れて「断水」でした。ようやく新しいモーターを設置しました。今度は、今日、コピー機が故障。学校の生徒が遊んで転んで怪我。

 いろいろなことがありますが、マリア様の御助けで、天主様からの多くの祝福をいただいています。今は詳しいことを申し上げることができませんが、とてつもないお恵みをいただいています。愛する兄弟姉妹の皆様のお祈りに深く感謝しております。今月、聖伝のミサの時に直接お話し致します。

 どうか私たちのために、聖ヨゼフに続けてお祈りください。

 明日は、こちらでは、一日中聖体礼拝があります。愛する兄弟姉妹の皆様のためにお祈り申し上げます。

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!!



トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

ヴィダル枢機卿とアニセト大司教の動画

2010年11月08日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 フィリピンのヴィダル枢機卿(セブ)様とアニセト大司教(サン・フェルナンド)様とのロザリオ十字軍を応援する動画が、しばらくするとYouTubeにアップされるそうです。YouTubeのユーザーOLVC123の動画に注目ください。

愛する兄弟姉妹の皆様のロザリオのお祈りをよろしくお願いいたします。

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

ヴィダル枢機卿とアニセト大司教と

2010年11月07日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 フィリピンのヴィダル枢機卿(セブ)とフィリピン司教評議会の家庭と生命に関する司教委員会の議長アニセト大司教(サン・フェルナンド)とが、今度は、私たちのロザリオ十字軍を応援してくれています。

愛する兄弟姉妹の皆様の応援もよろしくお願いいたします。

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

フィリピンでの新しいロザリオ十字軍

2010年11月06日 | ロザリオの十字軍
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、


 アジア管区の召命のための特別期間は、11月1日をもって終了しました。

 しかし、フィリピンでは出産健康法問題のため、新しいロザリオ十字軍が起動されました。来年の1月16日のサント・ニーニョの祝日まで続きます。それまでに百万環のロザリオを捧げることを目指しています。愛する兄弟姉妹の皆様も、参加して下さるようによろしくお願いいたします。

 こちらは、コンピューターを使う時間がきわめて限られてしまいました。今日はようやく、ブラザーに散髪をしてもらいました。忙しい日が続いております。愛する兄弟姉妹の皆様のお祈りをよろしくお願いいたします。

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

安田神父様の御本「十字架の神秘」と「最後の晩餐の神秘」

2010年11月03日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、


 以前申し上げた安田神父様の御本は、「十字架の神秘」と「最後の晩餐の神秘」と言う題名です。ご希望の愛する兄弟姉妹の皆様には定価でお譲り致します。よろしくお願いいたします。

 他の題名の本をご希望の愛する兄弟姉妹の皆様は、ご連絡ください。可能な限り配慮致します。

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!!


トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

死せるすべての信者のため

2010年11月02日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 今日はマニラの私たちの教会では、レクイエム・ミサを荘厳ミサで執行しました。

 10月30日、31日、11月1日、そして今日11月2日と毎日荘厳ミサでした!!天主様に感謝!あふれる天主様の恵みに感謝します!!

 今月は、死せるすべての信者たちのためにこころからお祈りします。

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!!


トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

「義認の教理に関する共同宣言」について

2010年11月01日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア!

愛する兄弟の皆様、

2004年10月31日付けの発行で、教文館から「義認の教理に関する共同宣言」という本が出版されました。
これは、カトリック教会を代表してカッシディ枢機卿とルーテル世界連盟とが、1999年10月31日、アウグスブルクにて署名した文書をルーテル/ローマ・カトリック共同委員会が日本語に訳したものです。

この本が日本で出版されるやいなや、大阪の信者さんの方がこれを購入され、昨年(2004年)末、私にこれについてのどう考えたらよいのか、質問されました。
「もしこの共同宣言によって、カトリックとプロテスタントとの『ほぼ500年にわたる対立の克服』がなされたとしたら、レオ10世教皇やトリエント公会議は何故、ルターに対して異端宣言をしたのか。トリエント公会議は不必要だったのか。ルターが、教皇の文章を焼いてローマを屈辱したのは、正しかったのか。カトリックやルター派が、自説を曲げずに、どうして同意が可能だったのか。」

そこでそれらの質問に答えるために、私は聖ピオ十世会司祭であるレネー神父の分析を日本語に訳して以下のような資料を作りました。これを使って、大阪では、今年2005年の1月の定例の聖伝のミサが終わった後に兄弟姉妹の皆様の前でカトリックの教義とルターの教えとの違いを説明し、この共同宣言についてお話しいたしました。

 私たちが、義化に関するカトリック信仰をもう一度確認するために、大変良い機会だと思いますので、レネー神父様の「『義認の教理に関する共同宣言』はペトロの座の信仰の転覆である」をどうぞお読み下さい。またトリエント公会議の義化に関する宣言や、1999年10月27日付けで聖ピオ十世会総長であるフレー司教様がヨハネ・パウロ2世教皇様に書いた公開書簡も、併せてお読み下さい。

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

「義認の教理に関する共同宣言」はペトロの座の信仰の転覆である
フランスワ・レネー神父(Fr. François Laisney 聖ピオ十世会司祭)著
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)訳

The "Joint Declaration on Justification"
or: The Subversion of the immaculate Faith of the See of Peter
by Fr. François Laisney

1999年10月31日、アウグスブルクにてカッシディ枢機卿はルーテル世界連盟に属する124の教会と共に「義認の教理に関する共同宣言」に署名した。この「義認の教理に関する共同宣言」は多くの人々を躓かせるという意味での狭義の意味でのスキャンダルである。この宣言の重大性とその濁った背景を垣間見るために、私たちはまずカトリック教会の義化に関する教えとこれに反対するルターの異端を思い起こそう。その時に私たちはこのような共同宣言をするためにどれほどひどい曖昧な言葉遣いをしなければならないかが分かるだろう。この宣言は信仰をいつの間にか害し教会の本質をかじりとってしまうエキュメニズムの典型的な産物だということがはっきり分かるだろう。



A 義化に関するカトリックの教義の再確認

1)義化の真の性質は、罪の状態から成聖の状態への内的変化である
人祖は、創造の時に受けた原初の聖寵に不忠実であったために人類を原罪によって汚した。アダムの子孫である全人類は「闇の子」(1テサロニケ5:5)であり「怒りの子」(エフェゾ2:3)であり、罪の状態におり、天主から離れている。さらに善悪を知り分ける年齢に達すると、それぞれ人はその程度の差こそあれ、罪の数を増していく。人は自分の行為によって罪に堕ちることができるが、自分の本性だけの力では罪から立ち上がることができない。また律法の助けだけでも立ち上がれない。人は、御憐れみにおいて私たちに救い主、天主の御ひとり子私たちの主イエズス・キリストを送って下さる天主の聖寵が必要である。私たちの主イエズス・キリストが私たちを救い給うのは、主にその御受難と十字架のいけにえによる。イエズス・キリストは「全ての人々の贖いとしてご自分を捧げられた」(1ティモテオ2:6)。しかしながら、全ての人々が必ずしも救われるわけではない。何故なら最後の審判の時には審判者の左に置かれるものもあり、彼らは次の恐るべき言葉を聞くだろうからである。「呪われた者どもよ、私を離れて永遠の火に入れ!」(マテオ25:41) 「全てが聖福音に従ったわけではなかった」(ローマ10:16)。この贖いは全ての人々にとって充分ではあるが、個々人はそれを「受け入れ」なければならない。「彼を受け入れたものには、彼は天主の子となる権能を与えた」(ヨハネ1:12)。私たちの主イエズス・キリストを受け入れることこそ、新しい誕生であり、罪の状態という霊的死すなわち天主から離れた状態から、聖寵の状態、義の状態、天主の子の命、イエズス・キリストの神秘体の肢体へと内的に変化することである。その時罪の赦しと成聖の聖寵の注入というキリストとの生命的な一致が起こる。これが義化である。「彼は死んでいたのに生き返り、失われていたのに見いだされた!」(ルカ15:32)
(この内的変化において、私たちの霊魂は罪が赦され、客観的に罪は無くなり、天主の成聖の聖寵によって生きる状態となる。これは言葉の最も厳密な意味で「義」とされることであり、客観的な変化である。天主は霊魂に罪があるのにそれを考慮しないのではない。罪があるのに義と認めるのではない。罪が無くなり滅ぼされるので、義となるのである。それ故、カトリック教会はこの変化を、義化と日本語で訳している。)

2)義化の原因は、第1に天主の聖寵であり、第2に人間の協力である
「すべてのよい贈物と、すべての完全な贈物は、変ることなく、変化の影さえもない光の父から、上からくだる」(ヤコボ1:17)。義化は霊魂に対して天主が為す行為の結果であり、いかなる意味においても霊魂がそれを受けるに相応しい功徳もなくいただいた純粋な贈物である。義化される以前には霊魂はまだ罪の状態にあり、従って天主の恵みを得るために功徳を積むことができない。霊魂は正義なる審判者によって課せられた罰を受けるに相応しい身分である。この天主の行為は、先立つ聖寵(gratia praeveniens)である。「天主が最初に私たちを愛された」(1ヨハネ4:19)。しかし私たちの協力を排除するわけではなく、この天主の行為はむしろ私たちからの答えを引き出し要求する。もしも私たちが、天主の先立つ愛に答えなければ、義化という素晴らしい内的変化は起こらない。カトリック教会はこの協力を最初から、特に洗礼の準備において、求めている。何故なら洗礼を受けなければ(あるいは少なくとも洗礼を望まなければ)新しい誕生をすることができないからである。この準備は、私たちの功徳無しに天主から来るものであり、良いものである。この協力は最終的な結果の副次的な原因である。第1の原因に対しては、そこから衝動を受け入れるので私たちは受動的であり、この衝動からは何も善徳に加えられるものはない。しかし、霊魂の変化という最終的な結果に対しては能動的である。この準備という能動的な観点は、放蕩息子の回心にもよく見ることができる。放蕩息子は父のもとに立ち戻った時に罪の赦しを受けた。もしも彼が立ち戻らなかったなら赦しを受けなかっただろう。しかし、彼の立ち戻りは、厳格には赦しを得るために功徳を積むものではなかった。

3)最初の義化
この内的変化の最初の要素は信仰である。内的生命は本質的に全て霊的生命であるので、また知性に最初に知解されたものでなければ何も意志の中にはありえないので、この新しい生命はまず知性によって超自然の心理を受け入れることから始まらなければならない。真の信仰なしに、つまり啓示された信仰に知性が同意しない限り、義化されることは全く不可能である(トリエント公会議)。従って洗礼を受ける前に公教要理を学ぶ必要がある。それは信仰の真理を学ぶためである。まず霊魂は天主に関する知識、天主の善性、罪のために霊魂が置かされている惨めな状態に関する知識、次にキリストの贖いのわざ、私たちの主が提供する憐れみについての知識を得る。そして聖寵に動かされ霊魂は天主を侮辱したことを改悛する、天主の憐れみを待望し、霊魂を「私たちに与えられる聖霊によって私たちの心に注がれる愛」(ローマ5:5)に開く。信仰は義化の最初であり基礎であるので、聖パウロは「信仰によって義とされる」(ローマ5:1)と言う。しかし同じ聖パウロは私たちに愛のない信仰だけでは何でもない(1コリント13:1)と警告する。聖ヤコボは私たちに愛徳のわざのない信仰だけでは死んでいる(ヤコボ2:17,26)と言う。

4)義化の更なる発展
従って、義化は霊的生命、天主の子の生命の始めにすぎない。義化は成長し実を結ばなければならない。キリスト者をして掟の遵守から除外させるどころか、受けた聖寵はキリスト者に掟を遵守する手段を与える。何故なら「愛徳は律法の完成」(ローマ13:10)だからである。聖アウグスティヌスはこう説明する。キリスト者は「律法の下に」あるのではない。何故ならキリストの聖寵によってキリスト者は掟を遵守するので、掟は排斥という罰の下に彼を押しつぶしはしないからである。むしろキリスト者は「律法と共に」(1コリント9:21)ある。何故なら掟は友なる光(格言6:23)であり、キリスト者に天国への道を示し、キリスト者は掟に従って熱心な心で走る(詩篇118:32)からである。悔悛と聖体の秘蹟を規則正しく受け、祈りと愛徳のわざの正真正銘の生活を送ることにより、天主の十戒を忠実に守ることができるという可能性を得るばかりか、成聖の度合いを高める可能性をえる。自分が受けた贈物をして愛徳の善きわざによって実りをもたらす人々には、天がその報いとして与えられる。それに対して贈物を受けながら実を結ばない人々は「外の暗闇に投げ出される」(タレントのたとえ、マテオ25:14-30)。言葉の固有の意味において「救い」は霊的生活の最後に来る。「終わりまで堪え忍ぶものは救われる」(マテオ24:13)。義化の前には功徳はありえない。何故なら愛徳がなければ功徳を積めないからである。しかし義化の後に功徳を積まなかった成人には救いはありえない。

この世におけるキリスト者の生活とは、戦い(ヨブ7:1)である。それはこの世に対する戦い(1ヨハネ2:15)、悪魔に対する戦い(エフェゾ6:12)であり、肉に対する戦い(ガラチア5:17)つまり私たちの罪が赦された後も残る罪への傾きに対する戦いである。これらの傾きは罪から由来し罪へと導く。しかしそれら自体では罪ではない(トリエント公会議)。この戦いにおいては義人でさえも時としては軽傷を負い小罪を犯す。そのために彼らは義人であり続けながら(格言24:16)日々「我らの罪を赦し給え」(マテオ6:12)と祈る。

不幸にしてこの新しい生命は、義化の後に犯す大罪によって失われる。そこで悔悛の秘蹟によってもう一度義化を受ける必要がある。悔悛の秘蹟は、霊的復活のように、真摯な痛悔と私の協力を必要とする。秘蹟の「質料」は悔悛の3つの行為であり、すなわち痛悔、告白、償いで、これらがなければ悔悛の秘蹟は無効である。

5)信頼すること、しかし救いの確実さを当然視するのではない
私たちの主が、私たち全てを救うために十字架の上で死去された事実は、誰にも疑うことを赦さない信仰の真理である。しかし私たちの主の犠牲の利益を私たちの誰が自分の霊魂に適応させるかについては啓示されている事柄ではない。木はその実によって判断されるように、私たちが主の掟に忠実であるか否かによって適応の印を持つにすぎない。これは私たちに聖寵の状態にいるか否かについての絶対的な確実さを与えることができない。ましてや私たちが終わりまで堅忍するかについては言うまでもない。従って聖パウロの言うように、私たちは「恐れとおののきを持って私たちの救いのためにはたらく」(フィリッピ2:12)必要がある。同時に「胸に子供を抱く母親」(イザヤ66:12)のように私たちを援助する天にまします私たちの聖父の憐れみ深い助けを全く信頼する。

6)結論
イエズス・キリストにおけるこの新しい生命の完璧な模範は、至聖なる童貞聖マリアである。キリストの御業における聖母マリアの協力は、彼女の「我になれかし(フィアット)」と十字架のもとにおけるキリストと共に苦しんだこと(ルカ1:38及びローマ8:17参照)、さらに聖母が全ての栄光を天主に帰していること(ルカ1:46-55のマニフィカット)において明白である。

トリエント公会議は、この素晴らしいカトリックの義化に関する教えを有名な第6総会において満場一致で可決し、永久のものとして決議した。この満場一致は参加していた公会議の教父たち全てを極めて強く驚かせ、これをほとんど奇跡、また聖霊の援助の目に見える印と考えた。公会議の序言には、これは「キリストが教え、使徒たちが伝え、そしてカトリック教会が常に保持してきた教え」(Dz 792a)と宣言している。そしてその最後の言葉として、公会議はもう一度こう言明している。「もしこの教えを忠実に固く保持しないものは誰であれ、義とされることがない。」また、この教えを保持するのみならず、この教えに「反する誤謬を避け、それから逃れ」亡ければならない、つまり、公会議の規定(カノン)において排斥された教えを「避けて逃れる」必要があると宣言する。


B. ルターの主張した異端説

1)義化の本質に関する誤謬:キリストの正義の外部的帰属(the extrinsic imputation of Christ’s justice)
ルターの異端の基本的な点は、彼が義化とは、罪人が自分の罪を消し去られ現実的に義人となると言う意味での内的に変化をするのではない、と主張したことにある。ルターによれば、義化とは、キリストの功徳を考慮して天主が罪人を罰しないと同意することにすぎない。ルターがする比較は、泥棒が自分の盗んだものを返済することができないが、金持ちは泥棒が何もしないのだが、ただ自分を救済してくれる金持ちを信頼したが故に、泥棒の代わりに泥棒の負債を返済した金持ちによって罰が赦されることである。キリストの掟に従うことに成功せず、ルターは、人は内的な変化を受ける必要がなく、そして不従順をし続けることができる、それはただ単にキリストの約束に信頼したが故に、外的に「義と認められる」からだと主張した。
(従って、ルターの考えによれば、義化されるのではなく、「宣義」される、あるいは「義認」されるのである。)


2)原因に関する誤謬:人間の側からの協力の拒否
ルターは、原罪によって引き起こされた損害はあまりにもひどく、人間の自由は「義認」の準備に協力するに不能となったと考える。これが、洗礼の前に要求されている準備という福音的な実践にどれほど大きく反しているかと言うことは見ずに、ルターはこのことが天主の名誉を救うと主張する。何故なら、ルターにとって天主の行為は人間の行為を排除するからである。もしも義が天主からのものであるなら、人間から来るのではない。従って人間からのものは何であれ、いわば天主の名誉から「盗まれた」ものである。そこでルターは、人間はいかなるやり方においても功徳を積むことはできず、いかなるやり方においても自分の救いに協力することはできない、と結論付けた。これはルターが天主の超越性を捉えることに失敗したからであった。天主は第1の究極原因であり、副次的な諸原因をなきものとするどころか、究極原因に従属するものとして副次的諸原因を存在させ因果的に作用させるからである。しかしルターはそのことを見ようとしない。

3)義化の結果に関する誤謬:キリスト教的な生活の破壊
人は「義認」の後であっても現実には罪人してとどまるほど腐りきっている。ルターによれば人は同時に義人でありかつ罪人である(simul justus et peccator)。人は、天主の宣言という人間にとって全く外的なものの力によって義人であり、しかし彼のうちに留まる罪の現実のために罪人である。
人間は現実には変化していないので、「義認」の後にも「義認」前と同様に、天主の十戒を遵守することができない。それどころかルターによれば人間は十戒の遵守の義務がない。ただ人間がこれからも追い続けるであろう負債を、人間のために支払い続けてくれるあの富者を信頼し続けるだけで充分である。
この場合、ルターによれば信仰とは本質的に、(カトリック教会の言うように「啓示された真理への知的な執着」ではなく)キリストの功徳によってすでに救われたという信頼である。この信頼は絶対的でなければならず、救いの確かさは絶対でなければならない。

4)カトリック信仰の残り部分の破壊
この義化に関するこの偽りの原理、すなわち “義化が本質的に「基準」(「義認の教理に関する共同宣言」18番)として外的である” ということを使って、ルターはカトリックの教義の多くの点を否定して結論付けた。ルターは私たちをキリストと一致させる、業というものを全て拒否する。彼はキリストの神秘体の現実、諸聖人の通功ということを否定する。彼は、ミサの聖なるいけにえ(冒涜の言葉をふんだんに使ってこれを罵る)と、秘蹟の事効的(ex opere operato)効力、聖職権と裁治権、そしてカトリック教会の全構造(彼は恐るべき冒涜を教皇に発している)、修道誓願、修道生活、贖宥、煉獄、等々を拒否する。道徳的レベルでは、最初の宗教改革者のこれらの誤った原理は、さまざまな結論へと導かれた。それらの結論はそれぞれが原理よりもさらに冒涜的なものであった。例えば「大胆に罪を犯せ、されどさらに大胆に信ぜよ」とか「全ての善行は大罪である」などである。宗教改革は不道徳という実りの悲劇的な記録を産みだした。

それに続いて、ルターほどは退廃していなかった彼の信奉者らは、カトリックの議論の強さに打たれてカトリックの教義の幾つかの要素(何らかの内的聖化であり、これを彼らは「義認」の結果と呼ぶ。ただし彼らは「義認」を内的変化に本質的に存するとは認めていない)を再導入しなければならないと感じた。しかし彼らはルターの元来の主張に固執することを望む人々から攻撃された。反対に他の人々はルターが開いた緩慢の道に従いさらに多くの教義を否定し続けた。それは彼らのリベラルなプロテスタント主義が合理主義において消え失せてしまうまでであり、この合理主義は完全な無神論へと導いている。19世紀におこった主要な反聖職主義者の多くはプロテスタントであった。

ビヨ枢機卿(Cardinal Billot)は、この純粋に外的な「義認」について、「これが「白塗りの墓」(マテオ23:27)という結果をもたらす」と正しくも言っている。以上、私たちの両者の比較は、この2つの教義がどれほど根本的に両立し得ないものであるかを示している。「正義と不義とに何のつながりがあろう。光と闇とに何のまじわりがあろう。」(2コリント6:14)異端を棄て、カトリックの真理を完全に受け入れるという真の回心だけが、プロテスタントの人々をして教会の一致に再び入らせることができる。

(つづく)

--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様をお待ちしております
【最新情報はこちら、年間予定一覧はこちらをご覧ください。】