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「助産婦の手記」5章 『赤ちゃんをここに置いて、可愛がってやって下さい すると噂はじきに消えますよ。』

2020年07月24日 | プロライフ
「助産婦の手記」

5章

しかし、ベーレンホーフは、それでもまだ一人の相続人を持っていた。さて教会献堂記念祭の或る日曜日のことであった。村はずれには、いろいろな見世物小屋が立っていた。老いも若きも出かけた。荘厳ミサが終ってから、メリーゴーランドがずっと旋回していた。舟ブランコを元気一杯の若者がやけに高く揺り上げたので、ブランコの蝶番(ちょうつがい)が殆んどはずれて飛びそうになった。射的場の前では、男たちが打ち興じていた。彼等は、軍国主義の時代が、もうとっくに過ぎ去ってしまったのに、なおまだ善い射手になることができるかどうかを試しているような塩梅だった。

ケバケバしく種々な色で描かれた仮小屋の囲いの中では、非常に奇妙なものを見ることができた。目方が四百八十三ポンドもあるという巨人娘だの、頭が二つに足が六本ある子牛だの、本もののインド産の大蛇だの、暗黒中世紀の榜問室だの。ああ、私は今日でもなお、それらの光景を想い出すたびに、脊中がゾッとする。それから、また福引車があって、十ペンニヒ出せば、それを回転させることができ、当れば何かがもらえた――また当らぬこともあった。砂糖菓子の屋台店、胡椒か蜂蜜かのはいった菓子のパン屋、トルコ蜂蜜、各種の玩具――もちろん、一番安い見切り品であり、また信ぜられないぐらい無意味な、かつ不必要な物をゴテゴテ描いた器物(うつわ)を売る露店もあった。当時の人々は、そんなものを、どの部屋にも沢山陳列するのを好んでいた。そしてインディアン音楽が、絶え間もなく、種々な色合いをつけて、やかましく鳴り立て、人の頭を狂わせた。

私たちの村では、献堂記念祭は、いつまでも特に念入りに面白く行われる。そして、色々の見世物の中には、本ものの猿や駱駝もいるから、若い人たちは、遠近を問わず、そこへ集って来る。またメリーゴーラウンドに乗る。物珍らしげに、ここかしこを歩きまわる。あれこれと話し合う――もっとも話は、常に必ずしも上品な、ふさわしい事柄のみには限られなかった。こでは、若者は娘に御馳走をせねばならない。それから若い人たちが、もう相当ゆるんだ気分になって、最後に村にやって来るのであるが、村では、どの居酒屋でもダンス音楽が鳴りひびいている。そして、ここでは前とは一変して、ダンスホールでの費用は、娘が若者の分まで、全部支払うのである。

そのような或るお祭の日曜日に、私は夕闇の迫る頃、村を通って歩いていた。そのとき、私は、ベーレンホーフの娘のパウラに出会った。彼女の髪は、熱した顔に乱れかかっていた。その相当ギラギラ光った眼は、この十七になるかならぬぐらいの小娘に、アルコールが気遣わしいほど廻っていることを物語っていた。彼女も、まさに居酒屋「鹿」から出て来たのであった。
『あんたは、全く独りでここに来たの、パウラさん? あんたの村の若い人たちは、誰もここにはいないの?』
『どこに若者たちがいるのか知らないわ! 私は、お昼御飯のあとで逃げ出したのよ。私も、一度、何か愉快なことをやって見たいのよ!』
『でも、あんたはこれからどうするつもり? 一人で森を走り抜けることは出来ませんよ。あんたがここから歩いて村を抜け出ないうちに、すっかり夜になってしまいますよ。』
『では、私の年寄りたちが、私を迎えに来るまで待っていなけれゃならないの? それじゃ仲々時間がかかるでしょう!』
『私について家へいらっしゃい。私の家のそばの居酒屋「鷲」には、確かな人たちがいます。その人たちは、同じ道を行くから、あんたを連れて行ってくれますよ。』
『「鹿」には、も一人、Xへ行く人がいるわ、その人がすぐ後から来るはずです。』
そこへ誰あろう、Xのワルドホーフの馬係りの若者が、居酒屋から出て来た。彼は、遠近に聞えた最も性の悪い与太者である。ワルドホーフの屋敷では、彼がいるために、下女は誰も居つかない。彼は、どの居酒屋でも自慢して言っている、間もなくXでは、自分の言うことを聞かぬ娘は、いなくなるであろうと。今まで何べんも、彼は汚らわしい事件のために裁判所に呼ばれている……
『あの馬係りとは、あんたはまさか一緒に行きたくはないでしよう。パウラさん! あれは、どんな奴だか、ちっとも知らないの? 上品な娘は、あんな者と一緒にいてはいけませんよ。』
『人の噂さが、私に何の関係があるでしょう……』
『でも、もしあんたに怪我があったら、どうするの? 人生は長いのに、女は一度そんなことがあると一生涯中、每日、十字架を背負わねばならないんですよ。私と一緒にいらっしゃい。あんたが安心して一緒に家に帰れるしっかりした人を誰か探してあげましよう。』
私が自分でその娘を連れて行けるなら事は簡単であったが、私はまだ私を待ちうけている妊婦のところへ行かねばならなかった。
『私は誰もいらないわ!』と、その娘は叫んで走り去った。しかも、あの馬男が実際ついて来ているかどうかを振り返って見ようともしないで。そのとき、ちょうどワグナー・ヨゼフが自宅から出て来た。
『ヨゼフさん、どうかあの馬男を暫らく引き留めて置いて下さい。あすこにベーレンホーフのパウラが走って行くんです。もし二人が森の中で会うと、どんなことになるやら!』
『あいつは、私にとっちゃあ、確かに一番苦手なんですがね……』と、ヨゼフはつぶやいた。『だが、よろしい、確かに引き受けましたよ……』
こういうわけで、その二人の男は、また「鹿」へ引き返した。
多分、それはうまく行っただろうと私は思った! 私は仕事を済ませて、安心してベッドに横たわった。『あいつは、確かに、もう娘さんに追いつけなかったでしょうよ。』 と翌日ヨゼフが言った。
『完全に一時間、あれを引きとめてやったから……』

しかし、一人の小娘が、一たび不幸の中に飛びこもうと思っているときには、誰もそれを引き止めることはできない。

森に差しかかる手前の最後の里標の石の上に、パウラは腰をかけて待っていた。独りで森を通り抜けるのが恐ろしかったのか? 同じ道を行く人々が二回も通りかかって、彼女に呼びかけた。しかし彼女は、彼等と一緒に行かなかった。彼女は、まさしく待っていたのだ……
もちろん、私たちが警戒するようにと注意して置いたあの男を。午前中、彼女は彼と踊った。そして彼は、ほかの誰もがまだ彼女に話したことのない事柄を話した。それらの事柄について、彼女はもうよほど以前から、何か知りたがっていた。屋敷の下女たちは、みな彼女よりも利巧だった。そして彼女が女中部屋にはいって来ると、あざ笑って黙りこんだ。下女たちは、彼女がまだそんなに若く、しかも愚鈍だったので、彼女を真面目に取扱わなかった。とにかく、下女たちが、何と考えていたにせよ、彼女は、もう大分以前から、下女たちが想像していたほどには、愚かではなかった。そして、きょうこそ彼女は、最後のものを知りたいと思ったのである。その馬男は、彼女に森の中で、とても微妙な或ることを話してやろうと約束した。居酒屋では、人々が大騒ぎをしていた――そのため、しょっちゅう話を中絕せねばならなかった……それに反して、森の中では、ほかに人はいなかった。殊に、徒步道をすぐ右に折れて行くならば。今晚は、もはや恐らくその道を行く人は誰もいないであろう。そこでは邪魔されることなく、何でも話すことができる。好奇心と情慾とが、アルコールの酔いに目覚まされて、手を握り合った。朦朧とした、奔放な空想が、次ぎから次ぎへと、幻影を並べ立てた。かようにして十七歳の娘は、生ま暖かい夏の夜に、そこに坐って、確実に墮落するのを待っていたのであった……
道を伝って一人の足音が近づいて来た。馬男だった。彼は娘が道端に坐っているのを見いだした――立ちどまった。本当にこの娘は、待っていた! 御意のままだ! これはお祭の日曜日のために、さらにも一つの見事な終幕を与えるものだ! 有難い、わざわざ自分のために、このようにして道に投げ出されている林檎は、食べるべきのみだ……
『ヨッケルさん、でもあんた仲々来なかったわねえ……』
『引き留められていたのさ。君はもうとっくに家に帰ったのかと思ったよ。特別に俺を待っていたのかい?』
『でも私たち、そう約束したじゃないの……』
『もちろん、そうだ。君たち女というものは、実に好奇心に富んでいるよ……』彼は彼女の腕を自分の腕にかき込んだ。広い道から、静かな森の中に曲って行った。夏の夜は暖かで蒸し蒸ししていた。
そよと吹く風もなく、夜露の雫も落ちて来なかった。野生の鳩が、声低く鳴いた。若い牡鹿が、牝鹿を追うて走った……
『あれも、若い牡鹿をさそって、待っているのだよ。この世の中は、すべてそうなんだ。家畜小屋の動物だって、森の動物だって、時が来れば、お互いにくっつき合うんだ。そして人間も、違ったものには造られていないんだ。全く同じなんだ。が、彼らは、いつも馬鹿げた真似をやり、そしていささか違ったものであるかのように思うだけだ。全くそうなんだ。君たち娘は、若者の方へ、そして若者は、娘の方へ寄りつくのだ……きょう君は、自分で感じなかったかね、何ものかが君の体の中にあって、それが何かを待って呼ぶのを……』
彼は、彼女を抱えてキッスした。繰り返し繰り返し。とうとう情慾が炎々と燃えて赤い焔となり、その娘はますます深く情熱の中へ滑り落ちた。思慮もなく、彼女は一歩々々堕落への道を彼について進んで行った。抵抗することもなく、最後のものへも突き進む気であった……あたかも呪縛にかけられているかのように。堰き止められていた激情が、突然解放されて大波となり、彼女の上で相擊った。彼女は、何をしたのか全然意識しなかった。とうとう罪悪的な快楽の盃は、傾けられた。それから二人は分れた。
『あす、そう、あすまたね……』とパウラは、二人が彼女の屋敷の門の下に来たとき、も一度彼に呼びかけた。
晩秋の夜な夜なが、無分別な激情の中に浪費されて経って行った。それから、森の中は湿めっぽく、冷たくなって来た。そして同時にまた、秋の霜が激情の炎の上にも拡がるかのように見えた。かの馬男は、来ない時には何かと口実を見つけていたが、遂には弁解もせずに姿を見せなくなった。
『もっと利巧になって、俺なんかを相手にしないようにしな。』 と彼は、冷たく言って、 ほかの女に移って行った。
『俺が君に何か約束でもしたって言うのかい? こう言うじゃないか。「自然は、それ自身の権利を持つ」とね、そしてそれでお終いだ……』

ああ、かつてはそんなに静かで內気だったパウラは、数週間前から大胆で鉄面皮になって来た! 下女たちは意味深長に、ささやきあった。親の百姓は、長男の不幸に遭ってからというものは、一層気むずかしくなっていたので、そんな事には全く気がつかなかった。百姓のお上さんは、娘の変化した挙動が大変目についてはいたが、彼女は平素から黙って小さくなっている習慣がついていた。それでも遂におどおどと質問したのに対して、娘が悪びれもせずに一切を打明けたとき、母親はただその成行きに任せた。運命を阻止しようとしても無駄だ……運命はどうしても自らを貫徹するのだ……

御公現の祝日が過ぎて、ダンスの歓楽も段々と終って行き、そして人々が悪い天気の日には、いやでも応でも家にいなければならなかった頃の、堪えがたく長い冬の夜な夜な、時々変な気持がパウラに忍び寄った。恐怖が彼女の体中を走った。氷のように冷たく、そして鉛のように重く。もしや――そうだ、もしやとうとう……今や彼女は時々非常に奇妙な気分になった。彼女は、ますますとても具合が悪くなった……そして袖なし襦袢は、狭すぎるようになって来た。ああ、どうともなるがよい。自然がそうなっているのなら、それを人間がどうすることができようぞ……人間の運命は、どうしても、なるようにしかなって行かないのだ。そこで彼女は、そんな考えはできるだけ遠くの方へ押しやった。
彼女は、強いて無頓着になることが出来た。なるほど、村では色んな噂が立った。私のところヘも、誰彼となく、その話をもたらした。ところで、ベーレンホーフでは、次のような出来事が、青天の霹靂のように突如として現われて来た。

その頃は、枯草の取入れ時であった。およそ手を持っているものは、誰でも、牧場へ出かけた。この夏は 天候が不順であった。その百姓のお上さんも、早朝から外に出て、それから夕方に帰って来た。彼女は、それでも熱心に娘のことを心配していた。娘は、この数週間というものは、時々非常に具合が悪いように見え、そして一日中ベッドに寝ていた。ところが、きょう母親がその居間にはいって行って見ると、娘は床の上に横たわって、苦痛のため身をもんでいた。そこで、母親は牧場へ駈出して行き、末の男の子を呼んで、村の医者のもとへ使いにやった。医者は、田舎を旅行していた、一人の百姓が、途方に暮れているその男の子に、そのわけを尋ねた。『ああ、それでは、リスベートさんのところへ行きなさい。きっとパウラさんを助けてくれるだろうよ!』そこで、その男の子は私のところへ来て、その困っている次第を訴えたのであった。

私は一緒に行った。というのは、私はこの事件は信ぜられなかったから。そして、そこに着いたとき、やっとお産の最後の瞬間に間に合った。私がその居間にはいると同時に、肥えた男の子が生れ落ちた。百姓のお上さんは、あわてふためいて手をもんだ。何一つ、実に何一つ、整えられていなかった。私は、その可哀想な赤ちゃんを、まずもって、青と赤の弁慶縞の枕カヴァーとタオルの中に包まねばならなかった。硬ばった頑固な表情で、娘はベッドに横たわり、天井をじっと見て、一語も発しなかった。一度も子供の方を見なかった。
『これは、あのお祭の日曜日にふさわしいですね』と私は言った。
『あんたは、すぐ家には帰らないで、とうとう森の中であの馬男を待っていたのね……』
『ふーん、で、もし――そのこと、あんたに何の関係があって? もしも、私たち女には、こういうことが起きるということが、自然だとしたら……』
殆んど堪えがたい苦痛を想い出して、彼女は突然、大きな声を挙げて泣いた。そこで私は、すべてが失われたのではないことを知って、彼女に次ぎのことについていろいろ話した―――母の悩みと、母の喜びのこと――汚してはならない神聖な「貞潔」という大切な花園のこと、子供たちがその中で育てられることの出来る小さな巣を持っていない不幸のこと……そして私はいろいろのことが、彼女の心の中にしみ込んだことを認めた。一つの迷った霊魂の中に、薄明りがさした……
『なぜ誰かもっと早く、正しい為めになることを私に話してくれなかったのでしようか? なぜ?』
百姓の足音が玄関に響いたとき、娘は両手で私にひしと縋りついた。『どうかここに居て下さい……』
彼が、ベッドのそばに私が立っていて、手足を動かしている赤児が私の傍らに寝かされているのを見たとたん、彼は呪いの言葉を発して、その若い母親の方に突進して行った。もし私がその間に立っていなかったなら、彼女は恐らく絞め殺されたであろう。
『百姓さん、私が初めてあなたのお宅に伺ったあの日のことを思い出して下さい。もしも、あなたが、あの当時、娘さんをあんなに呪わなかったなら――多分、きょうという日は、あなたに与えられないですんだことでしょう。あなたに責任があります。あなたにだけ。こういうことになったのは、娘さんが生れた当時のあなたの呪いの果実ですし、また長い年月の間、あなたに愛情のなかった結果です。あなたは娘さんに一言でもやさしい言葉をかけてやったことが、一度だってありますか。娘さんを喜ばしたことが、一度だってありますか? そうです。今こそあなたは、 自分で作ったスープを飲むことになったのです。そして、村中の者は誰でも、ベーレンホーフの百姓さんには、当然なことが起ったものだと言うでしょう。両親の呪いは、子供に対して報いられる、ということは、古くからの真理です。それを私たちは、今ここでも目の前に見るのですよ……』
『そんなことが起っちゃ困るんだ……子供は家から追い出さねばならん……』
『お百姓さん、もうよほど前から村中のものは、皆、そのことを知っていて、赤ちゃんの洗礼を待っているんですよ。あなたは、村中の人々があなたの娘さんについて、どんな噂さをしているかということを、今日まで御存知なかったほど、無関心なお父さんであったということが今よくお判りでしょう。赤ちゃんをここに置いて、可愛がってやって下さい すると噂は、じきに消えますよ。』

こうして赤ちゃんは実際、その家に置かれることになった。そしてお祖母さんは、その子を心から可愛がった。彼女は、自分自身の結婚に沢山の悩みがあったものだから、いろいろの忠告を非常によく受け入れた。そしていかにして良からぬ素質―― その子については、このことを心配せねばならなかった――を予防し、阻止することができるかについて、しばしば主任司祭や教頭と相談した。彼女は、そんな両親から生れた子供は、全く特別な養護を必要とすることを理解していた。

老いた百姓は、 その子供に対して何らの害をも加えなかった。それは、彼としては大出来であった。それ以上のことは、最初のうちは期待してはならなかった。後になって戦争が、彼から息子たちを次から次へと無慈悲にも奪い去ったとき、彼は結局、その丈夫な男の子のあるのを喜ぶこととなった。そしてその子には、今や大きな屋敷の将来がかつていた。

パウラのために、私はスイスの修道女たちのところに身を落ちつける場所をさがしてやった。一種の家政女学校。それは同時に、家族的な寮であったから、少女たちは、無料で収容された。もっとも卒業後、二年間は、そこに留って一緒に働かなければならなかった。彼女たちは、その家の子供のように待遇され、そして、いろいろな正しい喜びに十分あずかることができた。そこで、少女パウラは、自分自身に立ち帰った。彼女は、自発的に四年間、そこに留まり、そして正しい忠実な娘であると同時に母親として帰郷し、今日に至っている。






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