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「助産婦の手記」16章 いつになったらは妻は、夫に対して指導者であり得るような結婚生活をさせ得るだろうか?

2020年08月04日 | プロライフ
「助産婦の手記」

16章

ある朝、大へん早く、そう四時頃に、ウンテルワイレルからパン屋の職人が自転車で私のところへやって来た。急いで親方の奥さんを見に来てくれということであった。そこで私は驚いた。彼女は、数日前に私のところへ来たのであるが、妊娠約四ヶ月であった。何が起ったのであろうか?

そこで私は急いで着物をきて、自転車に乗った。非常に冷たい五月の空気の中を進んで行った。それは、まさに季節おくれの北極的な寒波襲来であって、誠に「氷聖人」というその名称を辱かしめない。助産婦というものは、鋼鉄のような健康を持たなくてはならない、さもなければ、体がもたない。というのは、私たちが、いかにしばしば晚おそく、真夜中に、または朝非常に早く、ベッドから狩り出されるかということを、人は何とも思わないからである。しかも、それは夏であろうが、冬であろうが、雨の日も、暑いときも、早く早く何事か起った、というわけである!

初めて妊娠した若いパン屋のお上さんは、強い出血をやっていた。流産の確実な徴候だ。しかし、こんなに朝早く、どうして、そんなことがあり得るであろうか? 彼女は全く健康な女だから、そんなことは起りそうもないのであるが。私は、医者に報告するため、その職人を再び使いにやった。その間に、私は、理由と原因がどこにあるのだろうと、用心深くあれこれと質問した。
一体、彼女はきのう何の仕事をしたのか? 洗濯でもしたのか? それとも水を庭に運んだのか?何か重いものを持ち上げたのか、または何かに衝突したのか?
『いえ、そんなことは全くなかったんです。でも、私はただちょっとした家事をし、そして時々お店の手伝いをせねばならないんです。それは重い仕事ではありません。お医者さんは、慣れた仕事だけなら、続けてやってもよいとおっしゃるのです。』
では、彼女は落っこちたのか? それとも、自転車に乗ったのか、または何事かで非常にびっくりしたのか?
別段にこれということは、何もなかった。彼女は、昨晚は非常によい状態でベッドにはいったようだ。その前の数日間も、何事も起らなかった。
そこで私は、ほんとに一つの謎の前に立った。医者が来てから、私が原因を全く発見でないことを告げると、彼は答えた。
『リスべートさん、あなたはすべてをお考えになりました――ただ一つのほかは。というのは、この人たちは結婚してはいるが、結婚衛生については、何の観念も持っていないということだけは、お考えにならなかったのです。こういう人たちは、次の世代に対して何の責任感も持っていないんです……』
そうだ、私はほんとに、このことは考えなかった。ウイレ先生は、一つの問題を提出なさった。

若いパン屋のお上さんが、その胎児は早産して死ぬんだということを知ったとき、彼女の悲嘆は慰めるべくもなかった。彼女は、赤ちゃんが宿ったのを非常に喜んでいたのだ。乳母車がすでに用意されてあった、そのほか子供の衣類など一式。ところが、今や彼女は、赤ちゃんをその車にのせることができないのみか、埋葬せねばならなかった。私たちは、彼女を慰めるのに骨を折った。ただ、彼女が、また赤ちゃんを得ることができるという希望のみが、彼女を幾分かは、なぐさめた。
彼女は、床払いをすることができるや否や、医者の指図に従って直ちに三ヶ月間、サナトリウムに行かねばならなかった。それから彼女は、はつらつとして元気よく帰って来た。そして数週間後には、医者は早くも、彼女が新しく妊娠したことを確認した。今度は、ウイレ先生は、パン屋の親方のところへ行って、今度こそは妻をよくいたわらねばならぬと話された。すなわち、一度流産した後は、もし夫婦の交わりがさらに行われると、不幸が繰り返される危険がある。夫は、子供の生命のみか妻の生命をも危険にさらしてはいけない。なぜなら、流産というものは、決して無害な事柄ではないから。それくらいな自制は、男として払わなければならないと……しかし、頑迷なパン屋の親方はただ一つのことを言い返すことを知っているだけであった。
『何のために人は、妻を持っているのですかね?』
そして、まさにその通りであった。その後、あまりたないうちに、憐れなパン屋のお上さんは再び流産した。そこで私は、新たに妊娠した場合には、妻は子供のために、夫を拒まねばならぬことを彼女に說明しようと試みた。しかし、彼女は、夫婦の交わりをするのは、妻の義務であること、夫を拒むことは罪であることを固執した。まことに遺憾ながら、以前には、人はただ妻に対して義務だけを強いて、権利は認めなかったのである。男性の今日の気まま勝手の大部分は、確かに、男の過大な要求に対して、女が正しいときには、自己を防衛するということを、良心上、不可能にされたことに帰することができる。こういうことは、カトリック的道徳の中に存するのではない――そうではなくて、長い間かかって作り上げられたその解釈によるのである。しかし、誤りは、矯正されねばならない、さもないと、それは他日、急進主義へ移るおそれがあるからである。

その後なお二回、私はパン屋のおかみさんについて、流産を経験した。彼女は、やつと一九一五年に子供を得た、なぜなら、彼女の夫は当時、よい具合に、出征していたから。今や彼女は、私たちを信用しはじめた。そのパン屋は、子供の洗礼のため、賜暇(しか)を得て帰って来た。しかし、それは産後、三週間目のことだったことは、母親のためにも幸福であった。私も洗礼に出席して、いろいろなことを見聞した。

こういう話は、もう十分であろう。
私たち助産婦は、次のようなことに関する話を知っている、すなわち、性的要求の限度を全然知らず、かつその行使を全く自制することを知らぬ夫をもつ妻が、何を経験せねばならなかったかということ。そして、それに原因する流産、婦人病および癌腫発病についてである。
果していつになったら、男女に対して、許されたものの限界は、どこにあるかということをよく判らせ得るであろうか? そして、女に対しても、許されないものを拒絶する権利を与え得るであろうか? いつになったら、女を合理的に教育して、これらの問題においても、――いな、まさにこれらの問題において――妻は、夫に対して指導者であり得るような結婚生活をさせ得るだろうか?

もつとも、ただ一つのことだけが、私には明らかである、すなわち、処女的純潔をもつて結婚する婦人のみが、このことをなし得るであろうということである。結婚前に男に許した女は、結婚してから、夫に対して、これらの問題について制限を設け、かつ夫の要求を合理的限度に抑えつける力を、もはや持つことはないであろう。
そして結婚前に、純潔な禁慾生活をしなかった男は(何となれば、彼はこのことを重要視しなかったから)、結婚してからも、性の問題において、何が至当であるかということを知らないであろう。このことについては、私たちのように、長年、助産婦をしているものは、何百という物語を述べることができるであろう。





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