アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様、
2016年9月10日(土)にティシエ・ド・マルレ司教様が大阪で堅振の秘蹟を授けてくださいました。その時のお説教をご紹介いたします。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
親愛なる信徒の皆さん、そして堅振を受ける受堅者の皆さん、今日は皆さんに聖霊を与える事ができて大変嬉しく思います。それはちょうど聖霊降臨の日に、聖霊が使徒たちに与えられて彼らは使徒となりましたがそれと同じです。
聖霊降臨の日に聖霊は、舌の形をした炎として使徒たちに現れて与えられて、これは私たちが天主の信仰を話す事ができる為にです。
聖霊は私たちに、霊魂に刻み付けられる霊刻と、そして成聖の恩寵を下さいます。キリストの兵士としての霊の刻印と、そしてイエズス・キリストを証言する証人としての聖寵です。
霊の刻印は私たちの霊魂に深く刻まれて、誰もそれを消す事ができずに永久に霊魂からそれを取り消す事ができないほど深く刻まれます。そしてこれは私たちに、キリストの軍人としての刻印を与えます。そして私たちの主イエズス・キリストを証する霊的な力を与えます。
しかしこの与えられた力を実践する為に、それを使う為には特別のお恵みが必要で、それが堅振の御恵み、堅振の聖寵の御恵みです。これは聖霊のお恵みの充満、新しい充満が与えられるのです。これは聖霊の息吹にすぐに敏感に動く、それに従って動く事ができるお恵みです。この7つの聖霊の賜物は、7つのやり方によって聖霊に従順に従って動く事ができる恵みで、日本語の言葉で言えばそれは、「上智」、そして「聡明」、「賢慮」、「剛毅」、「知識」、「孝愛」、そして「敬畏」です。
最初に挙げた3つの賜物は、3つの対神徳、つまり「信」、「望」、「愛」を私たちが深く実践する事ができるにしてくれます。最上のものは「上智」であって、これは愛徳を完全に実行する事ができるようにしてくれます。一番小さなものは主の畏れ「敬畏」であると教えられています。しかしとても小さな最初の最も小さなものと考えられていても、私たちのような罪人にとっては最も大切なお恵みです。何故かというと、私たちは罪を犯す事によって主を悲しませる事を恐れるからです。
今日は特に、「剛毅」の賜物について話したいと思います。何故かというと、剛毅の賜物は聖霊の、堅振の最も重要な要素であるからです。何故かというと、剛毅の賜物によって私たちは、強く堅く振る舞う、「“Fortes in fide” 信仰において堅くあれ」という事が実践できるからです。これは私たちの先祖が、イエズス・キリストの御名の為に血を流して証した、その剛毅に倣うものです。
私は今から例を挙げたいと思います、これは日本の殉教者の例ではなくて、スペインの殉教者の例です。聖ヘルメネジルド(Sanctus Hermenegildus)の例です。この聖人は中世ヨーロッパに、キリスト教世界のその初期に生きていました。彼はスペインの王の息子でした。その当時スペインはカトリックではありませんでした。何故かというと信仰を失って、アリウス派の異端に染まってしまっていたからです。アリウス派によれば、「天主の御子は天主御父とは等しくない、それよりも劣っていると」教えていました。このアリウス派の異端によれば、「天主の御子は従って、天主ではない」事になります。しかしヘルメネジルドはこの真のカトリック信仰に留まっていました。それは聖なる司教、セビリアの聖レアンドロ(Sanctus Leander)の教えのおかげでした。
しかしヘルメネジルドの父親は、息子がアリウス派を捨ててしまった、という事を聞いて非常に怒りました。まず罰として、彼が王国の後継者として王国の遺産を譲る、王位を譲る権利を剥奪してしまいました。
第2に、息子を牢獄に投獄して、そして鎖で縛ってしまいました。18歳であったこの王子は、投獄され、鎖に繋がれ、考えました。彼はこの世の全ての栄誉、名誉、権力を軽蔑し、「イエズス・キリストの誉れの為にそれを捧げる」という方を選んだのです。そこで牢獄において、将来きたるべき苦しみに耐え忍ぶ準備をしました。
お父さんである王は自分の息子に、復活祭が近付いてきたので司教を送って、復活祭の聖体拝領をする事ができるようにと計らいました。しかし送られた司教は、異端のアリウス派の司教でした。「私は、スペインの北部にあるオスカーの司教である。そしてあなたの父親、王の命によって復活祭の御聖体拝領をあなたに持ってきた」と言いました。
そこで王子は言いました、「あなたはカトリックの司教様ですか?」
すると司教は答えて、「何の話をしているのか?私はイエズス様を、私たちの主をお持ちしたのだ。」
そこでヘルメネジルド王子は言いました、「あなたは異端者だ。あなたはカトリックの司教ではない。あなたの手から御聖体を拝領する事はできない。」
そこで司教はそこを出て、王に報告しました、「王の息子が御聖体拝領を拒否している」と報告しました。
そこで怒った王は、すぐにろくでもない人々を牢に送り、そして王子を虐待し、そして殺害してしまいました。その暴力団のような人々が送られて、そして王子を殴り、叩き、そして最後には剣を以て殺害しました。王子は、イエズス・キリストの名誉の為に自分の命を捧げる準備ができていました。
これはちょうど私たちの置かれている状況と似ています。「真のミサ聖祭に忠実である」という状況に於いて似ています。そして「新しいミサと妥協しない」その良い例を示しています。私たちは、「伝統的なカトリックの公教要理に、カトリックの信仰に忠実に留まり、新しい教え、新しい宗教を受け入れない」という事です。
願わくは、聖霊が皆さんの知性を照らし、そしてイエズス・キリストの御名の為に苦しむ事ができるように強めてくださいますように。私たちの信仰を濁してしまったり、或いは薄めてしまうのではなく、それよりもむしろ私たちが軽蔑され、そして捨てられる方をより望みますように、聖霊が私たちを強めてくださいますように。
では、殉教者の元后であるマリア様にお祈り致しましょう。マリア様の特別の御取り次ぎによって、聖霊の充満が私たちに与えられますように。それによって私たちが聖霊に満たされて、イエズス・キリストの兵士として、そして証人として証し人であるとして、つまり唯一のこの世の救い主であるイエズス・キリストの兵士、証し人として私たちが働く事ができるようにお祈り致しましょう。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
聖ピオ十世会日本のお説教・講話がここに掲載されています。
愛する兄弟姉妹の皆様、
2016年9月10日(土)にティシエ・ド・マルレ司教様が大阪で堅振の秘蹟を授けてくださいました。その時のお説教をご紹介いたします。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
2016年9月10日(土)堅振式
ティシエ・ド・マルレ司教様御説教
同時通訳:小野田圭志神父
ティシエ・ド・マルレ司教様御説教
同時通訳:小野田圭志神父
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
親愛なる信徒の皆さん、そして堅振を受ける受堅者の皆さん、今日は皆さんに聖霊を与える事ができて大変嬉しく思います。それはちょうど聖霊降臨の日に、聖霊が使徒たちに与えられて彼らは使徒となりましたがそれと同じです。
聖霊降臨の日に聖霊は、舌の形をした炎として使徒たちに現れて与えられて、これは私たちが天主の信仰を話す事ができる為にです。
聖霊は私たちに、霊魂に刻み付けられる霊刻と、そして成聖の恩寵を下さいます。キリストの兵士としての霊の刻印と、そしてイエズス・キリストを証言する証人としての聖寵です。
霊の刻印は私たちの霊魂に深く刻まれて、誰もそれを消す事ができずに永久に霊魂からそれを取り消す事ができないほど深く刻まれます。そしてこれは私たちに、キリストの軍人としての刻印を与えます。そして私たちの主イエズス・キリストを証する霊的な力を与えます。
しかしこの与えられた力を実践する為に、それを使う為には特別のお恵みが必要で、それが堅振の御恵み、堅振の聖寵の御恵みです。これは聖霊のお恵みの充満、新しい充満が与えられるのです。これは聖霊の息吹にすぐに敏感に動く、それに従って動く事ができるお恵みです。この7つの聖霊の賜物は、7つのやり方によって聖霊に従順に従って動く事ができる恵みで、日本語の言葉で言えばそれは、「上智」、そして「聡明」、「賢慮」、「剛毅」、「知識」、「孝愛」、そして「敬畏」です。
最初に挙げた3つの賜物は、3つの対神徳、つまり「信」、「望」、「愛」を私たちが深く実践する事ができるにしてくれます。最上のものは「上智」であって、これは愛徳を完全に実行する事ができるようにしてくれます。一番小さなものは主の畏れ「敬畏」であると教えられています。しかしとても小さな最初の最も小さなものと考えられていても、私たちのような罪人にとっては最も大切なお恵みです。何故かというと、私たちは罪を犯す事によって主を悲しませる事を恐れるからです。
今日は特に、「剛毅」の賜物について話したいと思います。何故かというと、剛毅の賜物は聖霊の、堅振の最も重要な要素であるからです。何故かというと、剛毅の賜物によって私たちは、強く堅く振る舞う、「“Fortes in fide” 信仰において堅くあれ」という事が実践できるからです。これは私たちの先祖が、イエズス・キリストの御名の為に血を流して証した、その剛毅に倣うものです。
私は今から例を挙げたいと思います、これは日本の殉教者の例ではなくて、スペインの殉教者の例です。聖ヘルメネジルド(Sanctus Hermenegildus)の例です。この聖人は中世ヨーロッパに、キリスト教世界のその初期に生きていました。彼はスペインの王の息子でした。その当時スペインはカトリックではありませんでした。何故かというと信仰を失って、アリウス派の異端に染まってしまっていたからです。アリウス派によれば、「天主の御子は天主御父とは等しくない、それよりも劣っていると」教えていました。このアリウス派の異端によれば、「天主の御子は従って、天主ではない」事になります。しかしヘルメネジルドはこの真のカトリック信仰に留まっていました。それは聖なる司教、セビリアの聖レアンドロ(Sanctus Leander)の教えのおかげでした。
しかしヘルメネジルドの父親は、息子がアリウス派を捨ててしまった、という事を聞いて非常に怒りました。まず罰として、彼が王国の後継者として王国の遺産を譲る、王位を譲る権利を剥奪してしまいました。
第2に、息子を牢獄に投獄して、そして鎖で縛ってしまいました。18歳であったこの王子は、投獄され、鎖に繋がれ、考えました。彼はこの世の全ての栄誉、名誉、権力を軽蔑し、「イエズス・キリストの誉れの為にそれを捧げる」という方を選んだのです。そこで牢獄において、将来きたるべき苦しみに耐え忍ぶ準備をしました。
お父さんである王は自分の息子に、復活祭が近付いてきたので司教を送って、復活祭の聖体拝領をする事ができるようにと計らいました。しかし送られた司教は、異端のアリウス派の司教でした。「私は、スペインの北部にあるオスカーの司教である。そしてあなたの父親、王の命によって復活祭の御聖体拝領をあなたに持ってきた」と言いました。
そこで王子は言いました、「あなたはカトリックの司教様ですか?」
すると司教は答えて、「何の話をしているのか?私はイエズス様を、私たちの主をお持ちしたのだ。」
そこでヘルメネジルド王子は言いました、「あなたは異端者だ。あなたはカトリックの司教ではない。あなたの手から御聖体を拝領する事はできない。」
そこで司教はそこを出て、王に報告しました、「王の息子が御聖体拝領を拒否している」と報告しました。
そこで怒った王は、すぐにろくでもない人々を牢に送り、そして王子を虐待し、そして殺害してしまいました。その暴力団のような人々が送られて、そして王子を殴り、叩き、そして最後には剣を以て殺害しました。王子は、イエズス・キリストの名誉の為に自分の命を捧げる準備ができていました。
これはちょうど私たちの置かれている状況と似ています。「真のミサ聖祭に忠実である」という状況に於いて似ています。そして「新しいミサと妥協しない」その良い例を示しています。私たちは、「伝統的なカトリックの公教要理に、カトリックの信仰に忠実に留まり、新しい教え、新しい宗教を受け入れない」という事です。
願わくは、聖霊が皆さんの知性を照らし、そしてイエズス・キリストの御名の為に苦しむ事ができるように強めてくださいますように。私たちの信仰を濁してしまったり、或いは薄めてしまうのではなく、それよりもむしろ私たちが軽蔑され、そして捨てられる方をより望みますように、聖霊が私たちを強めてくださいますように。
では、殉教者の元后であるマリア様にお祈り致しましょう。マリア様の特別の御取り次ぎによって、聖霊の充満が私たちに与えられますように。それによって私たちが聖霊に満たされて、イエズス・キリストの兵士として、そして証人として証し人であるとして、つまり唯一のこの世の救い主であるイエズス・キリストの兵士、証し人として私たちが働く事ができるようにお祈り致しましょう。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
聖ピオ十世会日本のお説教・講話がここに掲載されています。