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「助産婦の手記」38章  もし我々のすべてが、ただ活眼を持ち、そして何事かをすることを、そんなにおっくうがらなければ

2020年09月01日 | プロライフ
「助産婦の手記」

38章

シュタインベルグ奥さんは、鉄道帽をつかみ、鞄をかけて出かける前に、も一度、検査するように、清潔な台所の中を見廻わした。彼女の乗務する汽車は、六時頃に発車する。そこで急がねばならない。主人と子供のためのコーヒーは、もう立てて暖かくしてある。昼飯は、すでに作って台所戸棚に入れてある。薪と石炭は、ストーヴの下に積み重ねてある。鉄道では、彼女の家族の世話をした。それゆえ、すべてのものは、彼女の家族のために用意され、そして彼女は、午後遅くまで、心配なく自分の日課の旅程を走ることができたのである。それでも、シュタインベルグ奥さんは、つらそうな歎息をしながら、光を消して仕事に出かけた。
『あの家でも、やはり危機が迫っているように、私には思われますよ。』と、一階で、妊婦のウェルネルさんが私に言った。『戦後の今では、結婚は一つの十字架ですね。以前あの人が、御主人の帰宅を待っていらっしゃった頃は、階段を飛びおりながら、歌をうたっていたものですが、今では御主人がずっと家にいらっしゃるので、あの人は一週間毎にますます憂鬱になるように見えるんですよ。』
『離れていた夫婦が、また一緒になることは、双方にとって非常に苦しいことがたびたびあるものです。というのは、人間は生活が変わって行きますからね。もし夫婦がやや長い間別れていると、このことに突然気がつきます。私たちのように故郷にずっといたものでも、数年のうちには、自分で気づかないうちに、やはり変わって来ているのです。ところで、戦争から帰った人は、それを見たり感じたりし、そしてそのために、非常に気まずくなることが珍しくありません。時々、帰還者は、一生の伴侶として期待していた頃の妻の面影を、もはや全然見いださないようなことがあるのです。』
『その通りです、リスべートさん。なんてあなたは、いつもそんなに物わかりが早いんでしょう。宅のウィルヘルムは、私がお店をそんなによく切り廻しているので、非常に気持を悪くしたんです。僕は、全然帰って来る必要がなかったんだと、あの人は意地悪くぶつぶつ言ったんです。君は、独りで十分やって行けるんだって。……
「では、私はお店と結婚したのだったでしょうか、それとも、あなたとだったでしょうか?」と、私はそれに対して少し腹を立てて質問しました。「私は、家族のための折角のこの家を、つぶしてでもしまうべきだったでしょうか? あなたは、どうかお店の机に行って坐っていらっしゃい。私は喜んで住居の方へ上って行きます。だって、あれ以来、ずっと世帯の仕事が沢山たまっているんですもの……」そして私は、主人に新しいマントをかけてやって、そして出て行きました。――
しかし私は、二階で胸もさけるばかりに泣きました。あれが、数年間ぶっ通しての私の非常な苦労に対する感謝なのでした。思えば、夜分、私は仕事を片づけるために、一体、何時間、せっせと働いたことでしょう! それなのに、今ウィルヘルムは、むかっ腹を立てているんです、というのは、あの人は、ちゃんと延べてあるベッドの中にはいることができるのが気に入らないというのです。しかし、それはあまりです……
そのとき、主人は早くも階段を急いで上って来ました。「お客さんが七人店に来ているのだが、僕はカードと購入券のことがよく判らないんでね……おや、一体誰が死んだというのかね? なぜお前は動員令でも来たように、泣きわめいているんだね……?」
「ねえ、もし私が作ったものが全部よくなければ、直して下さいよ!」
主人は、吃(ども)りました。「そんな意味で言ったんじゃないよ、お母さん」と夫は、いささか気おくれして言いました。「まあ下におりて、お客さんの相手をしておくれ」
もちろん、私は一緒に行きました。その後、多くのつらい日々を、私たちは店で一緒に立ち働いていました。そして数週間後でも、私はここあすこと、手伝いのため飛び歩かねばなりませんでした。私は頼まれなければ、もはや何も心配しないことにしました。しかし、私たちの間には、何か溝がありました。子供たちは、早く父親になずきました。それでも私が妊娠したことが判ったとき、やっと私たちの間は、よくなったのです。その時、ウィルヘルムは、いよいよこれで父親としての権利が確認されたと思ったのです。ほかの子供たちが生れた時は、あの人は、こうまで私のために心配してくれたことはなかったのです。実は、私は最初のうちは、もう一度おむつの洗濯から始めるのは堪らないと、たびたび思っていました。しかし、今では、それも私にとっては、またいいことなんです。』

話かわって、シュタインベルグ奥さんは、非常な不愉快のため、本当に絞め殺されそうな思いをしながら、勤めに出かけた。彼女の夫が帰還してから、殆んど半年たった。もし彼が、日々の糧のための仕事を彼女から引き継いで、鉄道帽子を再びかぶり、鞄をかけて出かけるようになるなら、どんなに彼女は喜んだことであろう。彼女は夫が動員されたとき、彼に代ったのであった。ああ、もしいよいよ彼女が勤めに出る必要がなくなって、家庭に留まることができたなら! 今のままだと子供たちは不品行になり、家計は破滅する。それなのに、その夫は、お昼までベッドにいて、少しばかり庭をぶらつき、ソーファに身を転がして本を読み、タバコを吸っている。彼は静養を要するというのである。さよう、彼女は、もう幾週間前から、心から夫にそうさせてやっている。しかし、それも限度がなければならない。きのう、彼女は話をその方へ持って行った。
『あなた、間もなく私と交替しては下さらない? 今は、もう直き、あれから五年にもなるんですよ。』 しかし、彼は、ただ笑うだけだった。『冬を越えるまでは、 僕の方は、ちっとも急がないんだ。僕は、もう十分凍えたんだからね……』
『では私は、凍えなかったとでも言おうとなさるのですか?』と彼女は、怒って言い返した。『私だって、一度休養したいわ……』
理解もなく、彼は彼女を見つめた。
『お前は、しかし、いつも家の中で、よいベッドに寝て、暖かいストーヴのそばにいたんだよ……』
『あなたは、そうお思いになって? では、誰が夜間勤務をし、そして満載した汽車に乗って、雪と湿気の中に、踏み段に貼りついていなければならなかったでしょうか? 誰が、もう夜明け前から、非常な寒さの中に、馬鈴薯とパンを手に入れるために、何時間も行列に立っていなければならなかつたでしょうか? 誰が、あなたの子供たちが飢え死にしないように、遠いところまで買出しに行かねばならなかったでしょうか?……あなただけが苦労をし、不安と心配に満ちた辛い時を過ごしたとでも思っているんですか?』シュテルンベルグ奥さんの神経と堪忍袋の緒は、断ち切れんばかりに緊張した。それが爆発するのは、あすであろうか、あさってであろうか……?

『さあ、ウェルネルお母さん。 あなたの老後の太陽が出来ましたよ。』と私は言った、そして彼女に、赤ちゃんを渡した。優しく彼女は、それを腕の中にかきいだき、祝福をし、キッスした。『ああそうだわ。これもまた大きくなるでしょう。このような、家庭での本当の心の平和が得られるなら、子供のことでいくら苦労しても、し過ぎることはないのです。……

ところで、宅のウィルヘルムは、たびたびこう言うんですよ。あの上にいる男には困ったものだと。シュタインベルグさんは、もともと少し愚図々々した人だったのです。それに、長いあいだ番頭だったことと、その後の捕虜生活が、積極的に働く気持を全く奪ってしまったんです。あの人は、長い間、ただ命令を受けるだけだったので、自発的に何かやって見ようという決断力を失ってしまったんですね……』
『それは、多分あり得ることでしょう、ウェルネル奥さん。幾年もの習慣が、痕跡(あとかた)もなく、消え去るというような人は、少ないでしょう。そして今あの人は、その小さな奥さんが働いて、それで万事よいのだと見ているんです。食べるものは何かある。暖めるものもある。そして自分がこれまで堪えて来た死ぬほどの苦しみについて、自分自身を憐れんでいるのです。しかし、この際、どうにかせねばなりません。あの人を一つゆすぶり覚まさねばいけませんね……』

たまたま私は、鉄道の人事課長を知っていた。三日後に、シュタインベルグは、鉄道監理局に出頭し、そして復職するようにという通達を受け取った。彼は忌々しげに不機嫌そうに、真昼まで、ぶつぶつ言っていたが、しかし出かけた。二三のそれに関する質問があった後、彼は復職を催促された。
『我々は、奥さんの御勤務ぶりには、全く非常に満足しているのですが、しかし、それは結局男のする仕事です。殊に母親を必要とするお子さんが三人も家にいらっしゃるとするなら。』 と監査官が設明した。『それはまた、昇級のためによいのです。それに、離職後の年月が、勤続年數に加算されるかどうかは、我々もまだ知らないのです。従って、一日でも早く出て来ることですね、シュタインベルグさん。もっとも、その前日に、職務指示を受けに、お立寄り下さい。』

そこで彼は、 異議なく新しい命令に従った。そして奥さんは、主人の出かけるとき帰るときも、いつも注意深い、愛情のこもった配慮をもって、慈母のように世話をしたので、この家庭もまた、間もなく正しい軌道に乗った。

ああ、もし我々のすべてが、ただ活眼を持ち、そして何事かをすることを、そんなにおっくうがらなければ、非常に多くの事柄が、静かな微妙な心遣(づかい)をもって、再び和解され、具合よくなって行くであろう。






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