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「助産婦の手記」4章『嫁入支度をせねばならぬような女の子は、まっぴらだ。そうだとも。』

2020年07月23日 | プロライフ
「助産婦の手記」

4章

十二月のある嵐の陰気な夜中に、私の家の呼リンが、けたたましく鳴りひびいた。私は熟睡していたに違いない。そう急には、意識がはっきりしなかった。火事の警報か……どこが燃えているのだろう……そのとき、またもや引き紐がちぎれるくらい引っぱられたので、小さな呼リンは、引っくり返って落っこちそうになった。『早く起きなさい』と母が叫んだ。『あれは確かにお前に用なのだよ!こんな真夜中に呼びに来るようだと、どこかで何か大変なことが起ったに違いない。』 私はすぐ窓を引き明けた。『下にいるのは、どなた?』
『ベーレンホーフヘ来て下さい、すぐにです。奥さんが大変な陣痛なんです!』
『百姓さんの若奥さん? 初めてのお子さん? どうして、もっと早くお使いを下さらなかったの?』
『ああ、きのうはまだちっとも何でもなかったんですよ』下男はブツブツ言った。『今夜はこんなに天気が悪いのに……シベリヤのように寒い……』
『あんた、どうして乗り物をもつて来なかったの? 殆んど半時間もの道のりなのに。』……私は閂(かんぬき)を取りはずして、彼を部屋へ入れ、そしてストーヴに少しばかり火を燃やした。私の雨長靴は、一階に置いてあったが、それを素早く履いた……
『乗り物ですって? あなたは、あの百姓をよく知らないんですよ。こんな寒さと夜中だと、馬に何か害が起こるかも知れないんだ……』
『そう、そして私は? 私には、決して害がないって言うの?』
『私とあなたと……ハハハ、我々二人は、ベーレンホーフの家畜の頭数の中には、はいらないんですよ。我々が倒れようが、どうしようが、あの百姓には同じことなんだ……あの人には何の損得もないんだ。それでは……』

そこで私たちは、断然出発した。私たちが村を離れて国道へ来たとき、ちょうど教会の時計が一つ鳴った。おお、そのとき、東風が畑を越えて、ヒュッと吹いて来た。頭巾を通して、私の耳と鼻とは殆んど凍りつきそうだった。細かい氷雨(ひさめ)が、降りはじめた。幸いにも、私たちは、間もなく森の中にはいった。真闇な夜なので、ちっとも気持のよいものではなかった。しかし樅(もみ)の木は、幾らか風と氷雨とを防いでくれた。下男は提燈を首にブラ下げて、手をポケットに突っこんでいた。で、そのようにして私たちは、並んで歩いて行ったが、どちらも話をする気にはならなかった。口を開けば、風が肺の中に吹き込んで来るような感じがした。私たちが森を拔け出たときには、国道はもうガラスのように透明な氷で被われていた。国道が登り坂になっているところでは、私たちは一歩々々踏みしめて歩いて行かねばならなかった。進んだかと思うと、それ以上後ろへ滑った。それから私たちは、ある畑道にまがって行った。 そこでは、 ゴッゴツした土塊が、氷で滑るのを幾分ふせいでくれた。そして、とうとう番犬が吠えだした。ベーレンホーフの塀が、私たちの前に高くそびえていた。闇夜だと、それにぶつかったかも知れない。庭へは光が一つもさし込んでいなかった。

家の中の居間は、寒かった。私が着くまでに、誰も火を入れてはいなかった。寝室では、弱い燈火の光がゆらいでいた。一本の蝋燭の燃え残りが、ベッドのそばの化粧台の上で仄かに燃えていた。私が石油ランプをともすと、細君と並んでベッドに横たわっていた百姓が、怒鳴りはじめた。『値段の高いともし火を、燃やさなくちゃならんのかね……』
『もし、あなたが私を呼びによこさなかったなら、それをつけなくてもすんだでしょう。けれども私は、仕事をするためには、物を見なければならないんです。』
それは、私がまさに想像していた通りで、二十四時間も必要以上に早く、私を迎えによこしたのであった。初産のときは、婦人たちは大抵、非常に心配するものだ。さてしかし、この場合は、万事好調だった。そこで私は、若い母親を慰め、そしてよく辛抱し、かつ睡眠をとるように努めねばなりませんよと言った。そして私は、この暗い夜中に、一時間の道のりを、も一度自宅へ帰りたくはなかったので、居間で火をかき起し、そのそばに坐った。寝室では、百姓がものすごい鼾(いびき)をかきながらも、その合い間、合い間に、しょっちゅうブツブツ言っていた。私の居間から、戸の隙間を通して燈火の光線が洩れたり、または私がストーヴをゆすぶったりすると、その都度、寝室では物凄い怒鳴り声が起った。こんな事には、私たちは、もう慣れっこになっていて、ちっとも気にはしない。そんな詰らぬことを気に病むのは、助産婦稼業の小児病に属することで、これは開業第一年のうちに、打ち勝ってしまわなければならない。そのようにして、私たちは、段々と面の皮が厚くなるのである。

夜が明けたとき、私は百姓のお上さんを見に行った。『まだ相当、間がありますよ。初めてのお産の時は、普通、そう早くはゆかないものです。ですから、私は一寸ほかのお母さんたちのところへ行って、お昼ごろ帰って来ることにします。』
『あらまあ、やっとお昼ごろですって! 私を見捨てちゃいけませんよ、リスベートさん。あなたは、もうよほど以前から来てやると約束して置いて下さったのに……もし、その間に何か起ったら……』
『奥さん、何も起りやしませんよ。いですか、私はもう今では三年も助産婦の仕事をしていて、二百人近い赤ちゃんを取りあげたのです。ですから、よく判っているんですよ。』
『でも、長い時間のあいだ、何をしていたら、よいんでしようか……』
『少しばかり起き上って、居間をブラブラし、赤ちゃんのために、小さなベッドをきちんと整え、そして、下着や、その他、何やかやを。すると時間は、ずっと早く経って、お産を待っているのもそう辛くはなくなります。喜ばしい顔をし、そして歌をうたって……』

下女が、居間にコーヒーを運んで来ていた。百姓と下男下女は、食卓の廻りに腰をかけた。そこで下女は言った。『リスベートさん、お出掛けの前にコーヒーを一ぱいお上りになりませんか。一晩中、何も召し上らなかったのですから……』百姓は、何かわけの判らぬことをつぶやいた。同意なのか、反対なのか、私には理解できなかった。そして私は、コーヒーを飲んで出かけた。

私が十一時頃に、仕事を済ませ、そして昼御飯を食べに、自宅に帰って見ると、ベーレンホーフの馬係りの若者が、もうまた家の前に立っていた。もちろん、その若者だけで――馬は、いなかった。
『どうか早く来て下さい!』と、彼は早くも遠方から大声で私に呼びかけた。
私は、急ぐ必要のないことをよく知っていたが、間もなく彼と一緒に行った。若い母親がそんなに心配して困っているのなら、何でもしてやらないわけには行かない。
『赤児は、嫡男でなければならないんだ! この家の相続人だよ!』と私が、その家へ帰って行ったとき、百姓が言った。
『でも、もしも女の子だったとしても、それもまたいいものですよ』と私は、反対して言った。『そんなことは、誰も決めることはできませんし、また生れて来るものは、それを受け取らねばならないのです。』
『万一、雌だったら、消え去(う)せてしまえ! 嫁入支度をせねばならぬような女の子は、まっぴらだ。そうだとも。』
『お百姓さん、罪なことをなさらないでね。女の子でも、男の子と同じように、あんたの子供ですよ。そして、娘をもっていれば、あんたは多分いつかは喜ぶことがあるでしよう。もう今までも多くの人たちが、そうだったのですよ。』
すると、またもや、訳の分らぬ唸り声が起った。彼は、皿を乱暴に横に押しやって立ち上り、そして家畜小屋の方へ行った。下男と下女は、彼を見送って笑った。それから、下女が突然、まじめになって言った。『どうかほんとに女の子でなければいいですが。もし女の子だったら、あの考えの汚い、陰険な人のところでは、愉快な日を過すわけには行かないでしょう……』
百姓のお上さんは、もはや私をそばから離れさせようとはしなかった。まだよほど長い間、その必要はなかったのであったが、私は彼女のそばにいてやらねばならなかった。彼女は、胸の中にまだ悩みが非常に沢山あり、それを打ち明けられる人は誰もいなかったのである。彼女は、かつて、結婚というものを、いかに今のとは違ったものに考えていたことか。そして今や――無である。彼が見合いに来たときには、いかに調子よく振舞うことができたことか! 今では彼女は彼にとっては、牛小屋にいる牝牛以上のものではなかった。彼は、彼女を労働させるために必要とした――世帯の面でも、彼は家事をやって行く女を持たねばならなかった。そして……今や……そして……
『あなたは、結婚後すぐ数週間のうちに、御主人を牛耳るようにせねばならなかったのでした、奥さん。今では、もう遅すぎますよ。』
『そうです、リスベートさん、どうすることもできません……』 ああ、私は何度、どうすることもできないという言葉を聞かねばならなかったことであろう。私は別の機会に、それが、どんなものであるかについて話すこととしよう。
長い午後に次いで、また非常に長い夜が来た。それから、やっと子供が生れた。百姓は、それまでに、十回くらい居間にやって来て、『もういよいよ終っちゃったろう。』 と言い言いした。
三十分後には、彼は、もうまた、やって来ていた。
『まだまだ終っちゃいない! ああ、お前さんたち女というものは……』
やっと赤ちゃんが生れた。もちろん、女の子。一体、親が女の子を絕対に欲しない場合には、大抵そうなるように。自然というものは、人間をからかうものだと、時々思えるぐらいである。
『男の子かね?』と百姓が叫んだ。
『いえ、女の子です。』 彼は私を信じないで、赤ちゃんを私の手からもぎ取り、そしてプンプンしながら、それをベッドの母親に投げやったので、赤ちゃんは脊骨が折れそうだった。『一緒に失せてしまえ!』そして走り去った。
数週間もの長い間、その百姓は、毎日泥酔した。お上さんの姉妹と私とが、赤ちゃんを洗礼に連れて行ったが、彼はそれを知らなかった。誰も洗礼のコーヒー会へ招待された者はなかった。母親は、落胆した父親の怒りを恐れて、誰も招待しなかった。それからというものは、私はもはやベーレンホーフには行かなかった。私の仕事は今回はそれだけであった。私が料金を百姓に請求したところ――料金は当時十二マルクだった――彼は長い間、口やかましくブッブツ言いながら八マルク支払った。というのは、私が、期待された事を何もしなかったのだから、八マルクでも高すぎるというわけだった。
その子は、生長して行った。だが、その子は一体お上さんの子か、下女の子か、誰にも見分けのつかないような育て方をされた。
ところで、それから早くも十ヶ月後には、熱望された男の子が、ほんとに生れた。その子供を見たとき、私は驚いた。私たちの眼が狂っているのでなければ、その子は本当の白痴であった。泥醉と怒りのうちに作られたもの! 既にその子が 母胎に宿る前に、父親は、その打ちつづく酩酊によって、子種に毒を入れていたのだ。それとも違うだろうか?——

さて、彼は嫡男を得たわけであるが、それは、どんな子であったことか! 彼は学校に行かなかった。彼の知能は、最も簡単なものをまともにいうにも足りなかった。そして彼が生長して思春期の年齢に達すると、情欲が非常な力をもって彼をつかんだので、どんな下女でも、もはや彼の前には安全ではなかった。情欲にブレーキをかけることは、精神薄弱な彼には出来なかった。そして遂には、彼をある収容施設に入れて保護せねばならぬこととなった。

最初の男の子に続いて、なお三人男の子が生れた。成程、それらの子もやはり、利巧な子ではなかったが、しかし、百姓が、吝嗇のため深酒をのむことを止めていたので、その子たちは平均知能のやや下ぐらいには達することが出来た。
しかし、その男たちが成長したとき、世界戦争が起った。彼等のうち、二人は、二度と再び帰還しなかった。そして末の子は、憐れな盲目の不具者として帰って来たに過ぎなかった。







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