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「助産婦の手記」14章  「御婦人というものは、女王でなければなりません、王冠を戴いていなければならない。」

2020年08月02日 | プロライフ
「助産婦の手記」

14章

非常に多くの結婚生活の上には、それぞれ何らかの影が横たわっている。怖ろしい暗い影、それは、もはや母親の心を朗らかにすることのないものであり、 每日どんな場合でも、母親を押さえつけ、のびのびとさせないのである。一たび、その陰が覆うならば、それは退かない。すでに結婚の最初の日に、この影は拡がるのである。遁れがたい運命――そして残念ながら、それは自分自身の責任によるのである。

私がこのことを書いているときに、幾人かの人間の運命が眼前に浮ぶのである。一人以上の母親が。五十人、百人、ほとんど千人の母親をして、私はここでその悩みを語らすことができるであろう。種々な形はとっていても、根本においては全く同一の悩みを。

新しい世紀に入ってから、私の取りあげた最初の子供は、ある簿記係の家庭に生れた子である。その家庭は、可愛らしい、小さな世帯であった。工場の社宅の中にある三間の住居。有りあまるものとては、何一つなかったが、しかし足りないものもなかった。その住居は、ほんとに居心地よく感じることができた。

彼女は、よい主婦であるに違いなかった。こんなときに必要とするものは、すべて几帳面に用意されてあった。赤ちゃんのために、すべてのものが、可愛らしく作られてあった。過度に装飾されたものは一つもない。夫の夕食の支度ができていた。また私のためにも、お産が長くかかるような場合を考慮して、夜分のために心づかいがしてあった。彼女自身としては、非常に平静であったが、幾分気が沈んでいた。何か威嚇されたような或るものが、彼女の暗い眼の中に横たわっていた。何か気にかかることがあるようであった。

それは、正常なお産であった。もっとも、始めての子のときは、通常やや長くかかるものだ。晚の七時頃に、夫が帰って来た。気むずかしく、不機嫌そうに、『そう、よい塩梅に大分進んだね。』これが、彼が妻のベッドのそばに私の立っているのを見たときに、言うことのできたすべてであった。愛のこもった挨拶も、よい言葉も、何一つ妻に対しては与えなかった。このような場合には、いつも心からの怒りが、私をつかむ。私は、このような人でなしに対しては、横づらを張ってやりたいと思う。そうすると、多分彼は、どのようにして自分の妻も妊娠し、そしてどんな苦労をして分娩の時まで辿って来たかということを、思いつくであろう!

数日前から、この家に来ていた親戚の小さな女が、彼に晩のパンを差し出した。彼はソーフアの隅に坐り、食べ、巻タバコに火をつけた。十五分後に、彼は私に向って、ぞんざいに話しかけた。
『ちょっとお伺いしますがね、魔法は一体、まだどれほど続くんでしょうか?』
『明け方になるでしょう。』
『可愛らしい喜劇だ……御婦人たちにかかっちゃ堪らない。少しお産を急げばいいのに。』
『ちょっと失礼ですが!』 私は最大限に鹿爪らしい顔をして言った。『それは外ならぬあなたのお子さんですよ、そしてそれが生れて来る原因は、あなたにあるのですよ。』
返事の代りに、彼は訳のわからぬ唸り声を発した。帽子と外套を取って、出て行った。妻の方を振り向いて見ようともしなかった。私は、彼に靴べらを投げつけてやりたくて堪らなかった。しかし私は、自制せねばならなかった。無分別に割れ目を引き裂いて、それをもっと大きくしてはならない。憐れな母親は、この出来事に気がつかなかった。暫らくしてから、彼女は夫を呼んだ。
『御主人は、またお出かけになりましたよ。』
その母親は、あたかも重荷を担がねばならない人のように、胸の奥底から息を吐き出し、そして暫らく息をとめた。
『何とも仕様がありませんね……リスベートさん、 結婚なんか決してするものじゃありませんよ。』と、彼女は暫らくして言った。『しない方が、よっぽど、美しいですわ。そう、もし男の人が結婚式の後でも、その前と同じようであってくれたなら! 結婚前には、男たちは、美しい振舞をし、歎願し、そしてへつらうので、お終いには、私たちはうるさくなって、どうしていいやら、もう判らなくなってしまうのです。そして、それから男たちは、私たちを手に入れ、そして利用するんです――私たちが一度、すべてを贈って、何もなくなると、もう私たちには何の価値もなくなるんです……それから、その人たちが、私たちと結婚してくれれば、 私たちはそのことを 喜ばねばならぬ羽目になるのです…』
真夜中頃に、旦那さんが、お帰宅になった。『もしもし、もう終ったですか?』
『あんたは、ただベッドにはいっていらっしゃい。私たちは、あんたには用はないんです。でも、もしあんたが正しい夫だったら、奥さんを見てやって親切な言葉をかけて上げるでしょう。奥さんがいま苦しんでいらっしゃるその赤ちゃんは、あなたの子なのですよ。』――私は、外の居間で言った。
『それは参ったね!』と、彼は私の説教に全く狼狽した。
『このことは、私も、もう前から考えていたのです。職工の中の一番乱暴な者だって、自分の妻を見てやらず、妻と一緒に忍耐しないような、そんな考えなしの者じゃないですよ。』 そして私は、彼をそこに立たせて置いたまま、立ち去った。すると、彼は、それでも、ついて来た。二た言、三言、妻に言葉をかけ、そして子供が生れるまで居間の中に坐っていた。
『やっとのことで、男の子が。どうか赤ちゃんが夜通し泣き叫ばなければよいが。』 翌朝、私が産婦と子供をきちんと整えようと思って、再び来て見ると、赤ちゃんの両親は喧嘩をしていた。母親は、自分の二人の姉妹を洗礼に招待したいと希望した。
『お默り。このことは、僕の思う通りにするんだ。判ったかね?』
『私は母親として、もっと発言権があるんです……』
『お前の権利を また持ち出すのは、止してくれ。むしろ権利は、僕に持たせてくれなくちゃいけない。そうじゃないか。あのときお前は、すべてを了解したからこそ、我々は結婚したんだよ……』
そうだ、こういう場合、どうしたらよいだろうか?

三日後のことであった。
私は、数日中に行くと言っておいた或る婦人のもとに路を急いだ。それはちょうど、朝の八時頃であった。家庭訪問には、まだ少し早かった。しかし私たちに取っては、そんなことは平気であった。私たちは、いかなるときでも、夜であろうが、何であろうが、家々を訪ねるのである。
さてそこでは、臨月の婦人が地面にしゃがんで、旦那さんに長靴をはかせ、(彼はソーファの上に腰を下ろして、コーヒーを飲んでいた)……それから、彼女は靴紐を結んでやった……というのは、非常なビール腹を前に突き出しているその亭主の馬鹿者が、屈む必要がちっともないようにするためだった。
『気をつけろ、古い牝牛め! また締め過ぎやがった。』 彼は、下に向けて怒鳴りつけた。彼女は、一言も口答えせずに、紐を解いて結び直した。それからまた、彼の襟のボタンを締めてやった…
『これゃ、今日はまた一人分には多すぎるぞ!』
彼はコップを横に押しやり、巻パンを食卓の上にほうり出した。『バターがちっともついていないよ!』
『でもあなた、きのうはちっとも売っていなかったんですもの。』
『いなかったって……もしお前に、いくらかでも、心掛けがあるなら、ウンテルワイレルの酪農場には、バターは每日あるよ。』
『あなたは、奥さんが今こんな状態なのに、一時間もかかるウンテルワイレルへ走って行けなんてまさか要求しはされないでしようね。それは却ってあなたの散歩にちょうどいいでしょう。』
『何のために人は妻を持っているんだね! 私は妻に子供を生ましさえすればいいのだ……ほかのことは必要がないんだ。』
可哀想な母親は、涙を抑えようとした。
『こちらへお出で、そして私にキッスしなさい! 聞えたかい?』
そこで彼女は行って、キッスをしてもらった。
『そうよ、何とも仕様がないわ、』 と彼女は、夫が幸いにも家の外に出て行ったときに言った。
『私は、もう妊娠していたので、結婚せねばならなかったんです。』
『でも赤ちゃんは、あの人のでしょう。』
『ところが、男ってものは、私たち女を不幸に陥れたのは、自分だということを、もう考えないのですね。それどころか、私たち女は、男が結婚してくれたことを喜ばなければならなかったのだということ、男たちが私たちを見棄てなかったということを、每日くどくど言い聞かされるか、またはそう感じさされねばならないんです。』
その同じ週に、ケルン奥さんが私の家におしゃべりに来たとき、私は彼女に言った。
『ケルン奥さん、お宅のお嬢さんに少し気をおつけなさい。お嬢さんは、もう今では、無分別なことをやりたがる年頃になったんですからね。』
『私の娘の蔭口は、誰にも言ってもらいたくないですよ、』 と、彼女は、直ぐとんがって答えた。
『皆さんは、自分の娘のことを注意するといいわ。』
私は、自分の眼で見た上のことであるから、そう急には引き下がらないのである。『でもね、ケルン奥さん、誰かがあなたに蔭口をしたかどうかは私は存じません。とにかく私は、お宅のカトリンさんが、もう三度も最夜中に、村長のお屋敷から、こっそり抜け出たのを見たんです――そこの若い下男との別れは、あなたが御主人とするよりは少しばかり濃やかなものでしたよ。あなたは、お嬢さんのような若いお方を、夜分、家から出さないようにせねばいけませんよ。不幸は、急に起きるものです。しかもそれは、その後、長い一生涯中、堪え忍んで行かねばならないんですからね。』
『そうですわ、でも私はどうすることもできないんです。私としては、あの娘には何もよう言えないんです。実は、私も以前には、そういうことがあったのです。』
『ケルン奥さん、それだからこそ、あなたはお嬢さんに、あなたがなさったと同じ誤ちをしてはならないとおっしゃることができるんですよ。女というものは、そのような誤ちに対して、どんなに重い償いをせねばならないかということを、あなたは十分に経験なさったのです。(というのは、彼女の夫は、二三週間に一度は、彼女をなぐりつけるのである!) どうかお嬢さんに、こう言ってお聞かせなさい。私がその経験をせねばならなかったのだから、私は、お前を同じ不幸に陥らさぬように保護するのですよ、と……』
彼女は、もちろん、その通りにはしなかった。ところが八週間後に、彼女は私にどうすればよいでしょうかと尋ねた。娘さんは、月のものがやって来ず、からだ具合がどうもよくないそうである。さて、今度、こう言ったのは私だった、『全く、どうにも仕様がありませんね―――赤ちゃんが生れるまで待つより外は、ケルン奥さん。』

『お黙り! お前は、わしを亭主に持たねばならなかったんだ。お前は、わしを手に入れたことを喜んだのだ! そうだ、どうにも仕様がないんだよ……』
私は助産婦を始めてから最初の数年間というものは、そんなに多くの男たちが、自分の妻を少しも尊重しない原因は、果してどこにあるのかということについて、しばしば非常に頭をなやました。妻というものが、男たちにとって、非常にしばしばもはや何の価値もなくなっているということを。妻が、夫にとっては、今では、現に使っている世帯道具の一つ位にしか考えられていないということを。そんなに多くの男たちが、その妻に対して全く何の思いやりもせず、妻に対して何の親切な言葉もかけてやらず、いつも下女でさえも気に入らないようなことをさせたがるということを。男たちが愛と自称するものにおいてすら、そうである……まさにそんな愛においては、これらの妻たちは、すべて、夫に対して全く何らの力も、何らの意志をも持たぬのである。それはあたかも、彼女たちが、ある精神的な圧迫の下に立っていて、もはや別の行動をとり得ないかのようである。そのことについて、彼女たちが何か話す特別な機会があると、最初の、そして最後の言葉は、「どうにも仕様がありません」ということである。
その後、私はこのように観察した事柄を、ある助産婦会議の席上で持ち出した。どなたか、ほかのお方も同じ経験をされたことがあるかどうか、そして、その原因を御存知であるかどうかと。すると新しい消毒剤とその使用法について、私たちに講演をして下さった助産婦学校の校長さんがおっしゃった。
『あなたは、よくも観察されましたね。で私は、あなたにその謎を解いてあげることができます。御婦人というものは、女王でなければなりません、王冠を戴いていなければならない、純潔な処女として結婚生活に入らねばならないものであって、このことは、国民のあらゆる社会において例外なしにそうです。夫は、妻を見上げることができなければならない、妻は、自分よりも、もっと良いものである、道德的に自分より上に立つものであるということを、毎日知っていなければならないのです。そうすると、夫は妻を尊重し、そして妻は家庭内において全く違った地位を持つのです。それに反して、もしあらかじめこの点で欠けたところがあるならば、すなわち、もし女が間違いを犯し、処女としてでなく結婚するというと、彼女は、男の目には、王冠を失ったものと見られるのです。彼女は王位を奪われたのです。もしその男が、彼女と共に罪を犯したその者であったならば、そしてもし、その男が彼女を誘惑した者であったならば、彼は彼女の純潔でないことを残念がり、もはや彼女に対して敬意を持たぬのです。そうすると、我々男性の性質である残忍性が全部ほとばしり出るのです。妻の純潔が、夫に手綱をかけ得ないところでは、夫は気まま勝手になる。そして妻は、心の落ちつきをも失い、同時に自尊心をも失うのです。彼女は結婚によって、誤ちが隠されたことを喜んだのではあったが、今では、自分の人権と威厳とを敢えて守ろうとすることが出来ないのです。
純潔というものは、個人の結婚生活においてのみでなく、民族の歴史においても、限りなく重大な、そして運命にかかわる役割を演じるものです。』





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