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「助産婦の手記」36章  正真正銘の愛

2020年08月30日 | プロライフ
「助産婦の手記」

36章

『リスベートさん、私には不具の子が生れるというのは、実際ほんとですか? どこへ行っても、みんなそう言うんですよ。お宅の御主人があんな具合だから、それは遺伝するだろうって……』
『ダヴィト奥さん、そんな馬鹿なことは信じなさいますな。御主人が、今度戦争で不具になられたということは、赤ちゃんとは全く何の関係もありません。自分に何にも判らない事柄を、人々がしょっちゅう、おしゃべりしようとせねばいいのに。』

現今、こんな愚にもつかないことが、遺伝について取沙汰されているということは、全く信じられぬぐらいである。
『ねえ、あのシュテルン奥さんは、私に一緒に町に行って妊娠中絶をしてもらいなさいと言って、うるさくて仕方がないんです。というのは、赤ちゃんは、きっと当り前の子ではなかろうから、もし生れても、あんたは、そんな子を育てる責任を負うことはできないでしょうというわけです。』
『御主人が戦争でお受けになった傷は、赤ちゃんには何の影響も及ぼさないということを、ほんとに確信なさっていいんです。親のそんな傷害は、決して遺伝するものではありません。まあ、例えば、ユダヤ人の赤ちゃんを御覧なさい。何千年前から、ユダヤ人は、陰皮をたち切られていますが、それでも、その子供たちは、何の傷もなしに生れて来るんです。そのように、あなたのお子さんも、二本の小っちゃい手と二本の小っちゃい足を持っているでしょう、御主人が戦争で両手をなくされたこととは全く無関係に。』
私がユダヤ人の子供の例を挙げたときには、エマ・ダヴィド夫人は、心配中にも拘らず、微笑せねばならなかった。彼女は戦前、あるイスラエル人の家庭に勤めていた。それゆえ、私はその比較話しをそんなに直ぐ思いついたのであった。その比較話しは、彼女を說得する力を持っていた。
『それは、確かにほんとです。ただ、も一つ、私の気になることがあるんです。というのは、シュテルン奥さんは、も一つ別のことを考えているからです。で、奥さんの言うことには、もし人がいつも非常に惨めなことや、非常に醜いものを見て、それを気にかけていると、それは赤ちゃんに移って行く。それはちょうど、人が過失を犯す場合にそうなるのと、同じだろうというんです。』
『それは、ほんとではありませんね。古い迷信です。まあ、あの別荘「こうの鳥の巣」を御覧なさい。もしすべての不具や奇形や、膿んでいるものや、出血しているものや、その他およそ医者が見る機会のある色んなものが、そのまま赤ちゃんの体に現われるとしたら、医者のお子さんたちは、一体どんな有様でなければならぬでしょうか? ところが、沢山あるお子さんのうち、ただの一人でも異常児がありますか?
シュテルン奥さんでも、その他どんなお喋べりでも、ただ好きなことをしゃべらせて置きなさいよ。そして、あなたは、赤ちゃんをお腹の中に保護していらっしゃい。天主様は、あなたが御主人に対して每日親切を尽していらっしゃるのに、赤ちゃんにそんな償いをおさせにはならないという位いのことは、あなたは天主様に本当に信頼してよいと思います。今こそ私たちは、每晚、赤ちゃんの守護の天使に祈ることとしましょう――すると、 赤ちゃんは、完全に成長し、そして正常に生れて来ます。私は、もうそのようにして二千人もの赤ちゃんを取りあげて来たんです。だから私は、今までにまだ一人も子のないX奥さんや、Z奥さんよりも、このことについては、少しばかり余計に知っているわけです。』

ダヴィド奥さんは、平静を取りもどして家へ帰って行った。さてこの赤ちゃんのための戦いは、もう数週間前から、行われているが、まだ終りにならない。こんにち、人々が、もともと自分で全く、少ししか知らない遺伝ということを振りまわして、どんなに邪魔をしているかということは、実に信ぜられないぐらいである。そのような科学知識が、まだ非常に疑わしく不明瞭である限りは、人々はそれを国民の間に撒きちらさないようにしてもらいたいものだ。ある人たちは、子供をもはや全然育てようとしない。なぜなら、すべてのものが遺伝的素質であるから! 他の人たちは、あたかもそのような後天的な傷は、遺伝するものであるかのように言って、母親たちの心を不必要に重くする。ある人たちに取っては、遺伝ということは、子宝を堕胎するための口実となり、他の人たちは、それを予防するための口実とする! しかし、正しい結論は、殆んど誰も引き出さない。すなわち、忠実な自己教育と自制と純潔とをもって、できるだけ良い世襲財産(素質)を、来るべき世代に護りわたすように心掛ける、ということである。
ダヴィド奥さんは、特別につらい立場にある。彼女は、その結婚によって、村全体の興味の中心点となったから、誰でもが、彼女の事柄については、何かおせっかいをしてもよいという権利を持っていると信じている。

彼女は、戦争の前に、いまの夫である商人のダヴィドと婚約した。彼はこの村に、衣料や鉄器類その他同様な品物をあきなう大きな店を持っている。ダヴィド奧さんは、近郷のある良い農家の娘である。婚約後、彼女はある商家に奉公した、その家で彼女は、店の手伝いもせねばならなかったが、それは商売に関する知識を得るためであった。彼女の婚約者が、戦争の二年目に召集されたとき、彼女はその店に来て、営業を管理した。戦争中であり、乏しい切符制度の経済であったから、それは生まやさしいことではなかった。しかし彼女は、それを見事にやってのけた。

ある日、ダヴィドが重傷を負うて、衛戌病院に病臥しているとの通知があった。彼女は、あちこちに手紙を出したが、はっきりした報告は得られなかった。彼は、自分で書くことができないということは、明らかであった。 人々が真実を知らせるのを恐れていることが、手紙の行間から感じ取られた。このようにして、長い数週間が経過した。それから彼は、郷里のある衛戌病院へ移された。そこで、直ちに彼女は、彼を見舞いに出かけた。
彼が、両手を肘までなくし、かつ片足をも失っていたことを、彼女がいま知らねばならなかった時の驚きは、少なくなかったであろう。彼は一生涯中、憐れな不自由な不具者であることを宣言されたのであった。夫は、彼女を見たとき、子供のように泣いた。もちろん、彼は、今や自分の一生涯の幸福は破壊され、もはや結婚などは思いも寄らぬことと考えているようであった。しかし、彼女としては、何の考慮するところはなかった。彼女の愛は非常に深かったので、早速、次のことが念頭に明らかであった。今やまさしくお前は、あの人に属するのだと。慰めの言葉をいくつか述べた後、彼女はまっしぐらに、その目的に向って突進した。
『アンドレアス、あなたは、いつ帰って来るんですか? この衛戌病院をいつ退院していいんですか?』その時、ちょうど医者が庭を横ぎって、彼らのところに立ちどまったので、アンドレアスは、尋ねるように医者の方を見た。すると医者は、そこに立ったまま答えた。
『多分二週間のうちに――というのは、もし自宅で専門的看護を受けることができるならばです。もっとも、整形外科的仕上げをやっていいかどうかを考え得るのは、まだ数ヶ月後でしょう……』
『看護には、事欠かないでしょう。私たちは、すぐ結婚するんです――そうすると、何でも世話ができます。』
『その御決心に対しては、私は心からお喜びを申上げます。』 医者の眼中には、大きな驚きが現われていた。『あなたは、お子さんがおありですか?』
『なぜですか――私たちは、始めて結婚しようと思っているのに?』と娘は言った。
『御免下さい――こういうことは、今日、戦争下では稀れなことではありません……』こうは言ったものの、彼はもはやそれを理解することは全くできなかった。戦争四年目の今どき、まだそんな女が実際いるということ――いろいろほかの女は沢山いるが――全く自由な身でありながら、ただ自分がその男と婚約しており、そして彼を愛しているということだけのために、そんな不具者と結婚するような女が?
『アンドレアス、あなたの書類を下さい。私は、あなたの代りに婚約の公告をしてもらうことにしましょう。あなたのお帰りになる日は、私たちの結婚式の日です。いえ、あなたは、何も心配しなくていいんです。あなたには、また御自分でいつもすることのできる仕事が結構ありますよ。そして、時のたつと共に、それをますますうまくやって行けるようになりますよ。』
『でも、僕は、できない。エマ、あんたをこの憐れな不具者の僕に縛ばりつけておくことはできない。僕を御覧なさい。あんたは朝から晩まで、子守になっていなくちゃならないんです。あんたは、事柄をあまり軽く考えすぎているんですよ……』
『ねえ、何もおっしゃらないで、アンドレアス。もし私たちが前に結婚していたら、同じ様に全く変らないでしょう。あなたは、まさか、私が今あなたを見捨ててしまうような、そんな薄情者とは思わないでしょうね? 死よりほか、私たちを離すものは何もない、と言うじゃありませんか?』
『もし僕たちが結婚していたとしたら――しかし、今は、あんたは全く自由なんですよ。』
『私たちは、結婚するつもりで婚約したのじゃありませんか? だから、今でもその通りです。』

人々が、そのことを知ったとき、村中は、てんやわんやの大騒ぎとなった。婚姻の公告が掲示板に揚げられるや否や、その報道は村中に洩れ伝わったのである。各方面から、その知らせは、繰返し繰返し私のところへ流れて来た。まあ、考えても御覧なさい! ……あなたも、あのことをお聞きですか?……あなたは、それについて何とおつしゃいますか?……何と言ってよいんでしょう! あなたは、そんなことが理解できますか?
私は、そんなことは確かに非常によく理解できる。なぜなら、私だって同じ事情の下では、それと違った行動は取らなかったであろうから。それは、正真正銘の愛――同情ではない――の行為であって、この愛こそは、自分自身のことを考える前に、先ず相手の幸福と繁栄とを求めるのである。それなのに、人々は今日では、いつもただ自分自身のことだけを考え、ただ全く自分にとって追求に値するもののように見えるものだけを追求し、そして相手を二の次ぎに置くのであるから、従ってそういう連中は、今度のようなことを、もはや理解できないのである。それゆえ、真に幸福な婚姻は、私たちの時代には、また非常に少ししかないのである。

当時、すべての人たちは、この馬鹿げた結婚を思い止どまらしめようと、その娘にうるさく勧めた。彼女なしには、その男はどうなるであろうかということは、誰も考えなかった。しかし、彼女は平静を失わなかった。『私が幸福になるか、不幸になるかは、私自身の事柄です。そして人は誰でも、自分の信念に従って行動する権利を持っているんです。』こう言って彼女は、おせっかいな差出口(さしでぐち)【でしゃばってよけいな口出しをすること】を全部、拒絶した。

人々は、それから数ヶ月間は、ただ遠方から好奇的にその夫婦を観察していただけであったが、ダヴィド奥さんが妊娠したということが知れたときには――私は、それがどのようにしてかは知らない――、嵐が再びまき起った。この場合、なぜ彼女が妊娠してはならないかということは全く理解できない。彼女と夫とは、全く健康で正しい人たちであり、よい収入があり、この村のどの夫婦も及ばぬほど和合し、心から子供を熱望している……それだからこそ。そして仮に、彼等の夫婦仲がうまく行かないようなことがあろうとも、いま差出口をしようとしているすべての人々のうち、誰一人としてそこに現われて来て、進んで和解を助けようとはしないのである。

革命の起った最初の数日のうちに、赤ちゃんが生れた。全く健康で。両手と両足とをもって。力強い元気のよい腕白。私たちは、その子の写真をとらせ、そして、それを村役場の掲示板に掛けさせた。それは、不幸を予言した人たちの全部に、そのことを確かに信じさせることができるようにするためであった。





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