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「助産婦の手記」34章  しかも、二ポンドのバターのために!

2020年08月27日 | プロライフ
「助産婦の手記」

34章

戦争は、あまりにも長くつづく。田畑の中だけでなく、家庭の中でも、すべての秩序はゆるむ。特に一九一六年から一七年にかけての冬は、「かぶ」ばかり食べさせられたが、その飢餓の年は、各種の道徳的な悪習を起させ、かつ拡めるのにあずかって力があった。今や、パンと肉、脂肪とミルク、卵と粉、それから馬鈴薯、豌豆(えんどう)と豆、小麦粉、大麦、燕麦、麦粒、代用コーヒー―その他、何でもが切符制となった。靴下と靴、シャツと上衣、おむつとゴムの乳首の切符。すべてのものが、統制された。一切のものが、 供出されねばならなかった。私たちの村のような社会、すなわち、その半分が農業であり(その一部分は大百姓である)、そしてその半分が工業である(それは、高い戦時賃銀にもかかわらず、赤貧洗うが如き工業であって、パンを一日も予備に持っていない)というような社会においては、困難な時代には、農工間の対立は、特に鋭く現われた。

農民が一切のものを供出しないで、各種の不正手段によって自分自身の需要品を確保したということは、私たちには非常によく判るように思われる。しかし当時は、人々は違った考えと、違った感じとを抱いていた。特に、切符をもっては暮して行けなかった時は、そうであった。そして、ちょうど農民の近くに住んでいた人々は、彼等が切符で手に入れた以上のものがはいっている瓶(かめ)の中をのぞき込んでは、日一日と腹を立てて行った。――

賃銀は、上った。人々は、統制を受けたにもかかわらず、何ものかを獲んがために、互いに高値を吹っかけ合った。そこで値段のうなぎ上りが始まった。それは最初に百姓の方からますます大きな要求を出したのではなかった。そうではなくて、高い戦時賃銀を受取った貧民や、都会の裕福な人たちが、生活物資を獲得するために、ますます高い値段をつけはじめたのであった。もちろん、そういう具合に、ひとたび車輪が回転しだすと、百姓はさらにそれを廻すことに、非常に速く慣れた。そして彼らは、朝には、売ることはできぬと言った。なぜなら晚には、もっと多くの利益が得られたからである。生活必需品のための残忍な戦いが、人間のうちにある各種の良からぬ本能を解放した。その戦いは、そういった範囲内のみに限られていなかった。狡猾、不正直、奸策と詭計、おべっかや、さては、恥ずべき不道徳と不貞に至るまでが生じた。一部分は、目的のための手段として、一部分は道徳的堕落と肉体的疲労の結果として。

人が戦争中、そんなに無反省に送っていた人間生活は、家庭にも及び、もはや何らの価値をも持たなかった。

私たちの職業も、戦争の影響を受けた。出産は、自然に非常に減退した。出征した男たちが、賜暇(かし)で帰ることは、稀れであった。戦争の初めに、急いで結婚した若夫婦で、まだ自分の家庭を持たないものが少なからずあり、そして彼らは子宝を予防するか、または妊娠しても、母親は、分娩のために入院した。それからまた、人々が以前にはあまり多く知らなかったいろいろな事柄が起った。

女たちは、捕虜や、その他の男たちと関係した――そして、その因果の種は、取り下ろされた。目立って多くの流産、早産が起った。確かに、一部の女たちは、以前、男たちがやっていた非常な重労働をせねばならなかった。それは、彼女たちのために、よくなかった。多くの若い生命が、そのために破滅したようである。もっとも、それは十分な説明ではなく、ほかのもろもろの力のなせる業であった……
『あの助産婦のウッツ奧さんは、何か様子が変ですよ。』と、隣り村のその同僚が、繰り返し私に訴えた。『あの人は、お得意が沢山ある――それなのに出産は一つもないのです。每日、年配の人も、若い人も、そこへ行きます――時々は遠方からも。そしてウッツさんは、悪い暮しはしていません。もっとも、旦那さんは仕事をせず、奥さんもあまり大して働いている様子はないんですが。』

私は、そのことを、初めには悲劇的なことには取らなかった。ちょっとした競争上の嫉妬だろうと私は考えた。小さな村に助産婦が二人いるということは、いつの場合にも、よくない事柄である。双方のどちらも、十分な仕事と儲けが得られない。なるほど、二人とも結婚はしているが、それにも拘らず。その上、ウッツは、以前から私たちすべてのものの好感を得ていなかった。というのは、彼女は分娩料金を引き下げたり、そのほか馬鹿なことをしたからである。それゆえ、この場合、判決を下すには、特に注意深くなければならない。私たち人間は、同情するにしても、嫌悪するにしても、不公平になり易い。私は、みだりに判決を下したくない――
ある日、一人の非常に身なりの立派な、一見金持らしい紳士が私のところへ来て、こう言った。自分は、ドイツ系アメリカ人で、戦争がすむまで、新しい故郷に帰ることができないのだ、と……
『で、あなたは、免許を受けた助産婦さんですし、また私の聞くところでは、御専門には非常に堪能なんだそうですね。』
リスベートよ、気をつけなさい、と私は自分自身に言った。お世辞が使われる場合には、何かを獲ようとたくまれているのだ――恐らく禁ぜられた何ものかを。
『私は長年、助産婦をしています。で、御用は何でしょうか?』
『ハー、実は、僕の家内が、身重なんです。このことは、ホテル住いだと、もちろん非常に厄介な事柄なんです……』
『この村の病院の中に、新規に分娩部が、来週、開設されるんです。というのは、今日では皆さんが自宅でお産ができないことが、たびたびあるからです。もし、あなたが、そこに申し込んでおこうとされるのでしたら……』
『いえいえ。あなたは、考え違いをしていますよ。僕たちは、束縛を受けちゃ堪まらないんです。子供というのは、実に恐ろしく邪魔なんです……僕たちは、故郷に帰るまでは、自由でなくちゃならないんです…』
『それでは、あなたは多分、育児所が欲しいんでしょう? その子をどこへやればよいか、私、思いつきました!』
『いや、子供が生れちゃいけないんです。僕たちは今のところ、子供は全くいらないんです。このことは、ぜひ判って下さい。僕たちの事情では……』
『あなたは、そのことをお嫁さんと、もっと早く、よくお考えにならなければいけなかったんです。何としても、新しい生命が出来ている以上、人は何事もしてはならないんですよ……』。
『もちろん、人は何事もすることはできません。ところで、あなたは助産婦さんですから、流産の方法を全くよく御存知のことと思います。お礼は、うんと出します。三百マルクでも、私は問題ではありませんよ……』
『それでは、あなたは、罪のない、防ぐ力のない子供を殺す契約をしようと思っているんですね。そうだとすると、あなたは、お門ちがいをなさったんです! どうか帰って下さい!』

そして彼は、思いも設けぬうちに突き出されて、階段をよろめき下りた。私は、帽子を後から投げてやった。その人は、私のところへ忍んでやって来たのだった! 私は直ぐ村役場へ行って、胎児を保護するために、その男と嫁とを監視するようにと通告した。しかし、もちろん、何の処置も取られなかった。二三日後、セメント工場の女通信係――花嫁さんが、私たちの病院に運びこまれたが、それはひどい内部傷害による流産のためであった。そして彼女は、そのため死亡した。まだ二十にならない若い娘であった……
そしてその翌日、ウッツ夫人は、その亭主と共に逮捕された。彼らには、子供が四人あって、一番上のは十二だった。誰も、その子供たちを構ってやらない。ウイレ先生を通じて、私は、その両親がどうなろうとしているかを知っていたので、二三の同僚と事の成行きを見るまで、子供を一人ずつ引き取ることに取り極めた。しかし、私は四人の子供を全部、病院へ連れて行って、彼らをよその地方へ送る機会が来るのを待つこととした。
数日後に、私はウッツが未決拘留を受けている区裁判所のある町へ行った。彼女は、私を見るや否や、ののしりはじめた。
『私、なんて馬鹿だったんでしょう……三百マルク! あいつは、三十マルク呉れただけだった。いつも、そういうことになるんですよ……みんな大層な約束をするんですが、後ではそれをちっとも守らないんです。ある人は、百ポンドの小麦と言いながら、十ポンドしか持って来ない……かと思うと、ほかの人は卵百個と言いながら、十五個しかよこさない……そんなもののために、私たちが危険を冒して仕事をするなんて……』
『そう、あなたは、一体、もうたびたびそんなことをなさったの?』
『生きて行かねばならぬとすれば、人は一体、何をやらないでいましょうか! 助産婦の職業では、一ヶ月に実際五マルクも稼げないんです。お産は、もう一つもないんです。もし私があることをやらねば、若い男たちが自分でやるんです。そうすると、飛んだ間違いが起るんです。だから、もうどうしようもないんですよ。』
『しかし、ウッツさん、あなたは助産婦として、そのような手術は、生命に危険を及ぼすものであること、それはうまく行かないことがあるということ、そしてその時には、あなたは監獄にはいらねばならぬことを、よく御存知のはずですが……』
『その外、まだ何か言うことがありますかね? 私は、全く適当に手術したのでしたよ。それは、マルクス先生に習ったのです。ただ今度は、あの馬鹿娘が、もし静かにしていてくれたら、何も起らなかったでしたろうに……』
『では、 あなたは、 もう長い間、そのことをしていらっしゃるのですか――マルクスさんが来てから?』
『一度、ひとに知られると、もう止めることはできないものでね。噂が広がるんです。そして、もし一人の女にしてやると、その人は、逆に訴訟人になることができるんですよ。婦人を助けてはいけないという、あの呪わしい法律がある限りはね。そしてそのことは、みんなが知っており、そしてそれゆえ、後で支払いもしないんです。あの淫らな女たちは。』
『ウッツさん、それでは、あなたは、私たちが助産婦学校で教わったことを全部忘れてしまったのですか。そう、受胎した日から、それは一人の人間の生命で、私たちはそれを、ちょうど母親が、生れた赤ちゃんを保護すると全く同じように、よく保護し育て上げねばならないということを?』
『え、何ですって、人間の生命! そんなものは、もう世の中には有り余っているんですよ! どれだけ多くの人が、戦場で殺されていることでしょう! 大きな強い男たちが。それなのに、それは、まだ、まともな生命ではなく、ロシヤ人どもが、生みつけた毒虫なんですよ。そして、それらは、みんな劣等児で、後々には、一般の人々の負担になってしまうんですよ。この生命は、やっと四ヶ月になったばかりでしたよ……』
『そんなことが喋べれるようだと、ウッツさん、あなたは、悪い感化を受けたに違いないですね! どうか真実になって下さい。少なくとも自分自身に対して。あなたは、自分が殺したのは、人間の生命だということを確かに知っていらっしゃったのです――それも利益を得るために。――やはり、マルクスさんと同じように。なぜあなたは、三百マルクをあなたに約束したあのやくざ者を追っかけて、森の中で殺して金を取らなかったのですか?』
『そんなことは、してはいけません――人を殺すなんて……すると監獄へ入れられますよ……』
『今あなたは、自分自身を裁いたのです。あなたは、あのことをした方がよかったと思いますか? あなたは幾度も、可哀想な防ぐ力のない赤児を殺したんじゃないですか――二、三ポンドのバターや粉のために! 恐らくあなたは、そのとき、未来の学者を殺したか、または私たちを不幸から救うことのできる人物を殺したかも知れませんね? 誰がそれを知っているでしょうか? しかし、その赤児たちは、人間だったし、そしてその霊魂は天主の御前に立って、あなたが流したその血に対する復讐を要求するのです。どのようにして、あなたは、その償いをしようと思っているのですか?――
そして、あなたのお子さんたちは、いま家にいて、パンがなく、村中から軽蔑されているんですよ――あなたの子供だというので。それでいいですか?』
『それでは、私は何をしたらよかったでしょうか? 収入もなしに? 私の村区では、私を雇ってくれなかったから、半俸もくれていないのです……』 彼女は、突然泣き出した。 それはしかし、そのような種類の人間にあっては、残念ながら、全く真面目に取ることはできない。
『自分の生活費を稼ぐために、人を殺すようなことをしてはいけないということは、あなたは御存知でした。現に私たちの同僚も、助産婦の職業ではいま殆んど仕事がなく、しかも家族は養わねばならぬので、工場で働いているじゃありませんか? あなたは十分健康ですから、やはり、そういうようにして、自分で何とかやって行くことができたはずです。ねえ、それに御主人は……』
『あの碌(ろく)でなしが、私を不幸につき落したんです。自分では働こうともしないくせに、居酒屋へ飲みに行き、そして勘定は私のところへ取り立てに来させたんです。いつも人々は、こう言うんです。御主人は、あんたは工面がつくんだと言いましたよって……』

私は、彼女の子供たちを私たちが引き取ったということは、告げないでおいた。三週間の後、彼女が子供の成行きを真剣になって心配し、そして自分の正しくなかったことを認めたとき、はじめてそれを知らせた。――三十七件の堕胎を、彼女がやったことが証拠立てられた。実際は、幾件あるか判らない。裁判所では、彼女に七年の懲役を言い渡した。――
自分に四人も子供のある母親が、無情にも、かつ計画的な考慮の下に、人間の生命を殺すことがあり得るとは――しかも、二ポンドのバターのために! 誰が人間の心の奥底を測り知ることができようか!






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