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「助産婦の手記」26章 禍(わざわい)なる遺産!

2020年08月18日 | プロライフ
「助産婦の手記」

26章

十一月十六日に、私の母が死んだが、私はちょうど家にいなかった。ある妊婦のベッドの傍らで私は新しい生命を待ちうけていなければならなかった。その間に、私の家では、死の蝋燭が燃えて、私の母の命が消えたのであった。その生命は、私にとっては、この世で一番貴く愛すべきものであった。しかし、あいにく、その頃、隣村の私の同僚が病気であったため、私の代りを勤めてくれるわけには行かなかった。

母は、よほど以前、卒中をやってから、ずっと病気であった。しかし、終りの頃には、母の病状は再び非常によくなったが、これは非常にしばしば経験される「だまし」であった。全く突然に、脳溢血が起った。私の妹が、家にいて、意識を失った母のベッドのそばで見守り、そして私は、外出せねばならなかった。いつかは、こういうことになるかも知れないということを、どんなに長い間、私は心配し、怖れていたことであろうか。こういうことにならないようにと、どんなにたびたび祈ったことであろうか――それなのに、こういうことになってしまった。私は最後の数時間、母のそばにいることはできなかった。多分、母は、も一度、目覚めたようであったが、私は、母と、愛情に満ちた眼差し一つも、最後の善いひと言をも交わすことができずに、私の仕事に出かけねばならなかった。もともとこの職業に対しては、母は、その心の最も奥底では、決して釈然とはならなかったのであった。で、母が悪くなってから、三週間は何事もなく過ぎた。それなのに、まさに今日とは、なぜなのであるか?

なぜ人生においては、樹木はいつも十字架の形を作るように組み合わされねばならないのであろうか? すべての生命は、天主の御手のうちにある。私たち助産婦は、この古い哲理を繰り返し常に新たに経験する。天なる御父よ、どうか私がこの犠牲を捧げなければならないこと、そしてまさに消えようとする母の貴重な命が最後に燃え上る時まで、私がそれを見守ることができなかったというこの犠牲が、今ここに生れて来ようとする新しい生命にとって、幸いとならせ給わんことを。

正式な結婚によらぬある妊婦のベッドのそばで、私は見守っている。そう、いま生れようとしている子供は、ほかの多くの子供よりも、もっと多く、天上からの祝福と恩寵とを必要とする。この子は、地上では正式な父がないのであるから、天上の父の御手を必要とする。かような父なし児ほど、私を悲しませる子供はない。一概に、私生児がそうだというわけではなく、父なし児の方が遙かに、もっと可哀想なのである。結局、この憐れな子は、すでに母親のだらしなさ、および父親と見なされ得る人たちの無人格とを身に帯びて生れて来はしないであろうか? 禍(わざわい)なる遺産! そして今、その子のために責任を負おうという者は、一人もいないのである。ほんのわずかな愛をもってなりとも、その子を見てやろうとするものは、誰もいない。どこへ行っても、その子は荷厄介である。もし、この重荷を振り落してしまうことができるなら、どんなに嬉しいことであろうか!

可哀想な父なし児。この場合、多分その人がお前を作ったのだろうと思われる男が三人いる。そして、どの一人も、ほかに二人がいるので安心している。そして、その誰もが、お前に対して責任を負わない。このように、世間は、そして人間の法律は、判決する。しかし、天主の判決は異なる。もっとも最初のうちは、天主は黙っていらっしゃる。そして永遠という長い時間をかけて、天主は十分に語り給うのである。しかし、そこの産褥に伏して、苦痛のため、うめき、すすり泣いている母親は、単に一個のみだらな女に過ぎない。このことを聞く人は、すべてこう言うのである――あの女は、男が三人あったのだ! と。

彼女は、本当にみだらな女であろうか――あるいは、ほかの種々な力が加わってそうなったのであろうか? それは十ヶ月以前のある豊年祭りの時であったが、そのとき、その百姓の息子は、誰も問題にしなかった若い愚かな下女の頭上から、貞操の小さな花冠をもぎ取ったのであった。一晩中、踊りぬいて、泡立った新しいブドー酒を飲めば、ひとの気持はどんなに急速にゆるむことであろうか! そして周囲で、幾組かの人たちが、互いにキッスをし、愛撫していたときには、機会は、ほほ笑み、かつ目くばせしたのであった。そういう時には、身をその中にひきずり込まれやすいものである……もしも、家庭で、母親が貞操の宝のこと、および全人生にとってのその意義について、かつて一度だって娘に適切な話をしたことがないとするなら、そしてまた、その百姓の母親が、若い人たちを少しでも監督することを、努力に値いしないことだと考えるのであるなら。

翌る朝、その若い百姓は、無雑作に女中部屋に、はいって来た。『何だって、すましているんだね、馬鹿なリーゼ。もう出来てしまったことじゃないか、も一度あったって何の構うことがあるものか! もうそれは変えられないんだ。だから、せめて我々の若い生命を楽しもうじゃないか!』

こういう状態が、三四週間つづいた。それから突然、その情人は来なくなった。娘は待ちぼうけをくらった。彼は家の中では、彼女を避けた。彼女が彼に話しかけると、彼はあたかも、このことが彼の体面を損なうかのような顔つきをした……愚かなリーゼ!
彼女は、それが何を意味するか解しなかった。そして、いま一たび目覚まされた恋慕と恋情をどう成してよいか判らなかった。その頃のある日曜日の午後、その若い百姓の友達が一人やって来た。僕は、百姓の息子を訪ねて来たのだが、彼はちょうど外出している。間もなく帰宅するだろうかと、その友達は、台所の片口で、その女中に尋ねた。待っていた方がいいだろうか? 君はどう思うか? そこで、リーゼは何も知らないと言った。あの人はもう長い間、一言も私と口をきかないと。
なぜ、君はそんなに悲しげな目をしているのかと、その友達がさらに追及した。何か全く具合のよくないことがあるのじゃないか? あのマクスは道楽者で、僕はかねてから、奴っこさんは、色んなことを仕出かすと思っていたのだが……あれは結局、君を見棄てるつもりじゃないかね?
もちろん、彼はその愚かな娘を誘導して、胸の悩みを彼に訴えるように仕向けた。彼女は、落ちこまねばならない落とし穴に気づかなかった。その友人は、若い百姓の仕打ちについて物すごく腹を立てた。きっと、あいつを叱ってやろう。このことは、信じてくれていい。もっとも、きょうは、ちょうど村で小さな舞踏会をやらねばならぬのだから、君も慰安のために一緒に行こう。君は、そんなに若いのに、まさかあの浮気者に義理だてして、家に引っこもっていようとは思わないだろう? 君は、あいつがいなくても、楽しむことができるということを、あいつに見せてやるべきだ、と。

彼が、彼女をそのように慰め、かつ勧誘しているうちに、彼女は勇気をふるい起して、一緒に出かけた。しかし、夕方彼らが帰るとき、その慰め手は、お礼を要求した。君は、まあ僕とも少しばかり仲がよくなってもいいだろう。もうほかの者とも、そうなっているんだから。一度ぐらいは、構わないよ――それは全く同じことなんだ。あの人が帰って来るように、きっと心配して上げよう、と。
一たび堕落した娘は、一般に、非常にたやすくさらに他の誘惑におちいるように動いて行くものである。それは、ちょうど洪水の場合と同様である。もし一たび、堤防が決壊すれば、洪水は、なだれ落ちて来る。最初の性的過失によって、娘は大抵、道德的支えを失う。(例外もある、それについては、前に述べたことがある! ) あまり苛酷に判決しないようにするために、人々はこのことを理解しておかねばならない。最初の過ちが起った後で、それに続く過ちを避けることよりも、その最初の過ちを避けることの方が、遙かにたやすいのである。『それは実にもう、一度起ってしまったことなのだ!』という。全く不幸な言い草は、あらゆる思慮反省を抑えつけてしまうことになる。売娼婦自身も、そういうことを経験したことがあるように。人は、一たび自暴自棄になった後は、人間が変わって来るのである。さて、その若い百姓は、実際、再び彼女のもとにやって来た。その連中は、仲直りを祝った。しかし、その友達も適当な時にやって来て、お礼を要求した。『リスベートさん、人は一度困難にあうと、一体どうすればいいんでしょうか?』とその娘は、いま私にその悩みを訴えるのである。『そして暁に、私が女中部屋に行こうとすると、馬係りの男が私を待ち伏せていました。「おい、そんなにすましているのなら、この家では、どんなことが行われているかってことを御主人に言ってしまうぞ! お前は全く淫売婦で、もう男を二人も持っているのだ。三人目が出来たって、もう問題じゃないだろう……」と。』
そうだ、どうすればいいのであろうか?
もし、一人の人間が、道徳上の危険に遭ったときには、その人が自分の弱点に屈服しないように、ほかの人々はその者を助け、支えてやらねばならない。いわゆる多数交接の場合には、その男たちのうち、誰一人として子供の父親だと名乗って出る者がないということは、全く不幸な次第である。何となれば、若者たちは、それを知っていて、互いに助け合うからである。その背後には、一つの陰険なたくらみがひそんでいる。長年助産婦をした私は、いかにして一人の娘が娼婦にされるかということを、大した世間学がなくとも、手にとるように明らかにすることのできる実例を幾つも述べることができるであろう。

もし、私が法律を作ることができるとしたなら、父親だと見なされる男は、すべて子供の養育費を完全に支払わねばならないという規定を設けるであろう。そうすると、世間には多くの不幸は、もっと少なくなるであろう。もっとも母親は、それだからといって、よりよい地位に置かれるべきではない。母親の方に、余分にはいる金は(こんな金は早く全くなくなるとよいのであるが)、 職権をもって、ほかの貧困な子供のために使うことができるようになるといいのである。読者の皆さんは、軽蔑して鼻にしわを寄せられるであろう――そんな悪銭! と。しかし、いわゆる遊興税その他多くのものは、結局、殆んどその八〇パーセントまでが悪銭ではないか、ということを一度よく考えてほしいのである!

ところで、十一月十六日に生れた父なし子のために、私は暖かい小さな巣の心当たりがあった。町のある家庭で、子供を一人養子にしたいとの希望があり、そして『そのようなもの』でも、養子に迎えようとするほど太っ腹であった。およそ、養子というものは、店の人形のように、広告されなければならないことが非常にしばしばある。すなわち、その子は各点において、すべての希望と理想と幻想に叶わねばならないものであり、そして非常に多くの場合、それは一つの玩具とされ、その子を育てることは、誠実な仕事の一片であるとか、非常に厳格な生活上の課題であるとかいうことはないのである。しかるにこの場合は、そうではなかった。まさに、この子供は、愛情と保護とを必要とするのであるから、それらのものをこの子供に与えてやりたいと、その夫婦は言った。そこで、その子の独り身の母親は、重荷を下ろして喜んだのであった。

二三年過ぎた。彼女は、産後は、環境を変えて、全く真面目な生活をした。ある善良な労働者と結婚したが、夫は戦争のはじめに死亡した。そこで、彼女がかつて人手に渡した子供に対する思慕が、実に非常に強く目覚めた。自分の血肉に体する愛が、後に至って目覚めた実例に、私はたびたび出会った――しかし、残念ながら、しばしば遅すぎた。再び孤独になったリーゼは、今や何か可愛がり、保護し、育成し、そして互いに愛し愛されるものを持ちたい熱望に燃えた。
彼女は、その子供のいる町へ、下女として移って行った。日曜日ごとに、また暇な時間がある每に、彼女は子供を見、子供に会おうと試みた。何時間も、その家の戸口に立って待っていて、しょっちゅう子供に何か親切なことをしてやろうとした。養父母は、実際、彼女を可哀想に思った。しかし、彼らはその子供を全く自分の子として育てて来たのであるから、いまさら子供をまた返して、その結果起るにちがいないショックを子供に与えることを欲しなかった。またリーゼとしても、下女の身分では、実際その子の世話をすることのできる状態にはなかった。しかし、彼女は、理性的に物を考えようとすることが、どうしてもできないようであった。繰返し繰り返し彼女は、現われて来た。町の警察が干渉してさえも、彼女の心を変えさせ、その場所から立ち去って、子供に近づく試みを止めさせることはできなかった――主なる天主が、彼女の熱望を抑えつけられるまでは。戦争の終り頃の流行性感冒のため、彼女は病院で死んだ。

母性愛――たとえ普段、埋め隠されていても、一たび目覚めるなら――それは、ただ死以外には、地上のいかなるものも、これを抑えることはできないのである。






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