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聖母はなぜ天の最も高い栄光を受けられたのか?聖母が今喜んでおられるその永遠の幸せというのは一体どのようなものなのか?

2022年10月07日 | お説教・霊的講話

2022年8月12日(金)童貞聖クララのミサ
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父説教

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

きたる8月15日は聖母被昇天の大祝日です。
私たちは今日から、聖母被昇天の祝日を準備致しましょう。

マリア様は、天の最も高い栄光を受けられました。天と地の元后。御霊魂が肉体を離れたその瞬間、肉体の腐敗をみることのないように、肉体も霊魂とそのまま天に高く上げられました。マリア様は今では御自分の肉体を以って天国の最も高い所に、天使たちよりもはるかに上に、聖人聖女たちをはるかに凌いで、私たちの主イエズス・キリストのすぐ隣に栄光を受けておられます。

一体、なぜそのような栄光をマリア様は受けられたのでしょうか?
一体、マリア様はなぜ、どのようなことをしたが為にそうなったのでしょうか?

一体マリア様の被昇天は私たちに何を教えているのでしょうか?

マリア様が今喜んでおられるその永遠の幸せというのは、一体どのようなものでしょうか?

今日そのマリア様の栄光を受けた秘密を一緒に黙想致しましょう。

【聖母はなぜ栄光を受けられたのか】

マリア様はその天の最も高きに上げられる功徳がありました。それはまず、マリア様がいつも、「我は主の婢女なり。仰せの如く我になれかし」と言い続けてきたからです。天使ガブリエルにお告げを受けた時に、はっきりとそう仰いました。しかしそれはただ一回だけのことではなくて、御生涯に渡って、いつも、仰っていた言葉でした。「私は主の婢女(はしため)である。主から造られた被造物であって、全く無に等しい、奴隷と同じものである。主の婢女。仰せの如く我になれかし。主の御旨がなされますように」と。

これは、別の言葉で言うと、マリア様の「ご謙遜」でした。マリア様はマニフィカトの時に、「私の霊魂は主を崇め、私の精神は主を崇め奉る。なぜなら主は、私の卑しさに目をとめられたから。見よ、今より後、人々は私のことを幸せな者と言うでしょう。」

なぜかというと、主がどれほど、なぜマリア様がこれほど幸せな方かというと、永遠の、最高の栄光を受けたかというと、主は聖母のご謙遜に目をとめられたからです。聖母のご謙遜とはつまり、ご自分が主のしもめであるということを、いつも自覚していたということです。

どういうことでしょうか?これは、マリア様が私たちの存在を、私たちが今ここに在る秘密を、私たちがどうしても変えることができない真理を、いつも知り、自覚していて、それの通りに生きておられたということです。

一体どういうことかというと、私たちは自分でこの世に出て来た、自分の力でこうやってこの世にいるのではないということです。私たちは、主によって生かされている、主によって在らしめられている、私たちが今ここにこうしているのも、自分が力んだからではなくて、そうではなくて、主が私たちを今ここに存在するように、こうして生きていることができるようにして下さっているから、そのおかげで私たちは今こうしているということです。

私たちが今受けている全ての良いものは、全て主から無償で与えられている、私たちは無だけれども、今在らしめられている、全ては主に依存している、ということです。私たちが持っている全てのものは主から与えられたものであって、私がそれを所有しているのでもなく、それを作り出したのでもない、ということをマリア様は理解していたのです。

マリア様は、天主のみが受けるべき持っているその栄光を、その権利を横取りしようとはしませんでした。自分のものだとは仰いませんでした。ただ、それを素直に認めて、「私は、全てを主から受けたので、主の婢女である。主の御旨を行なうが為に、ここに今生きているものである」ということをはっきりと認めて、それを実践されたということです。

【何の為に私たちは今、ここに生きているのか】

では一体、天主は何の為に私たちを無からここに今生活するようにして下さったのでしょうか?
私たちは何の為に生きているのでしょうか?
私たちは主から創造を受けて、一体どこに向かっているのでしょうか?

それは、マリア様の被昇天が私たちに教えてくれています。
私たちが今生きているのは、天国での永遠の幸せを受ける為である。三位一体の限りのない至福を私たちが分かち合って、永遠に喜ぶ為である。その為に私たちは無から創造された。その為に、私たちがその永遠の命に辿り着くことができる為に、私たちはこの地上での命を与えられた、ということです。

マリア様はよく知っていました。私たちの人生は、二つの部分に分けられる。

この人生の最初の部分は第一の部分は、有限です。マリア様はおそらく60年か70年、もしかしたらご健康で80年、この地上での生活を送られたかもしれません。イエズス様は33年、ある人は100年、ある人は健康が与えられて120歳。しかし、どのように長く生きたとしても、しかし終わりがあって、有限であって、第二の部分と比べると、あっという間の儚いものです。

なぜかというと、第二の部分は、私たちがその為に造られた、今生きている、マリア様が今それを味わい、楽しんでおられる第二の部分、私たちもその為に生きているその第二の部分は、終わりがないからです。無限であるからです。無限の天主の命の喜び、それを得る為に造られました。

ほんのちょっとした短い人生と、無限の永遠の命。

聖母の被昇天は、「さあ、子らよ、私の元にいらっしゃい。永遠の命の為に、おまえたちはこの地上で、涙に谷に生きているのだ。しかし、この涙の谷はあっという間に終わって、喜びが待っている。私と天使たちと諸聖人たちの喜びが待っている。さあ、ここに必ず辿り着きに来なさい」とお祈りして下さっています。

【聖母の受けた幸せとは】

では、マリア様が今喜んでおられるその永遠の幸せというのは、一体どのようなものでしょうか?
マリア様は私たちにどのようなものを与えようと、イエズス様に取り次いで下さろうとしているのでしょうか?

もしも私たちが、人生で一生忘れられないという、とても喜ばしい、嬉しい、楽しい時間があったとします。そしてもうこれほど嬉しい時はなかった、これほど喜びに満ちた時がなかった、皆と一緒に練習をして、競技で優勝したあの瞬間、あるいは一緒に山に登って見えた山頂からの美しい姿、それらの最も美しい幸せな瞬間を全部集めて、そして世界中で色々な人々が持っていた最も美しい喜びの幸せの瞬間を集めて、そして私たちが想像できる友情、あるいはお父さんとお母さんの子供への愛情、あるいは夫婦の愛情、あるいは想像できる全ての最も崇高な祖国への愛などを集めて、凝縮させて、それを何倍にもして、私たちにマリア様はそれを与えたとしたら、私たちはその喜びにとてもあまりにも喜びで耐え切ることができなくて、もう目からは涙がボロボロとこぼれて、「マリア様、本当にこんなに幸せをどうして私が受けることができるのでしょうか。マリア様、本当にこの全てのこの喜びを何と感謝したら良いでしょうか」と申し上げたとします。するとマリア様が、「これは、天国の喜びのまだほんの一滴に過ぎません。これは、もしも天国の喜びをすぐ与えると、きっとその為にそのまま死んでしまうかもしれない、心が破裂してしまうかもしれないので、それはまだほんの序の口、匂いだけだ。」

では、ちょっと味見をしたらどうなるのでしょうか?その味見も、私が先ほど申し上げたことの何十万倍、何百万倍、何千万倍の喜びと、天使たちの全ての喜びを集めたような喜びを私たちが垣間見たとしても、それでもまだ、天国の味見にしか過ぎない、ときっとマリア様は仰るに違いありません。

なぜかというと、天国の喜び、栄光というのは、「天主御自身」であるからです。天主御自身が私たちのものとなって、天主御自身が私たちの報いとなるからです。つまり無限の善、計り知れない富、永遠の喜び、私たちが今想像さえも、目にも、耳にも、頭にものぼることさえもできないものすごい計り知れない喜びの為に、私たちは生きている、ということを被昇天のマリア様は私たちに仰っています。その為に今、この地上での生活を、謙遜に、主のしもべとして、主の御旨を果たす為に生きているのだ、とマリア様は仰っています。

ですから、教会は私たちに、マリア様の被昇天をよく祝うように励ましています。心をいつも天に上げることができますように。イエズス様も私たちに、祈る時にはこう祈れと言いました。「天にまします我らの父よ、」心をいつも天に上げておくことができるように。

聖パウロも言っています、「あなたたちがキリストとともによみがえったのなら、上のことを求めよ。キリストはそこで、天主の右に座しておられる。あなたたちは、地上のことではなく、上のことを慕え。」
Si consurrexistis cum Christo: quae sursum sunt quaerite, ubi Christus est in dextera Dei sedens: quae sursum sunt sapite, non quae super terram

マリア様のいらっしゃる天のことを、天国のことを高く仰ぎ、そして慕い、そしてマリア様の栄光を讃美致しましょう。そしてマリア様のおられる所に私たちも、聖母の御助けによって辿り着くことができますように、お祈り致しましょう。

今日は聖クララの祝日です。聖女クララに、その特別の御恵みを乞い求めましょう。良い聖母被昇天を迎えることができますように、特に御取り次ぎを乞い求めましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。



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