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「助産婦の手記」20章  『母親は自分の心、自分の感情の一片をも一緒に、赤ちゃんの生命の中へ与えるのです。』

2020年08月08日 | プロライフ
「助産婦の手記」

20章

村の真中にある大きなパン製造所と、そのそばにある一軒のよく繁昌する居酒屋とは、フーベルの持ちものである。彼は、二人の職人を使ってやっている。開市日には、この村で、そのほかに十軒も居酒屋が営業しているのに、フーベルのところでは、もはや空席が一つもないぐらいであった。市日には、普段は免許を得ていないパン屋や、その他、小商売をしている店でも、居酒屋をしてよいという古い習慣がある。さてブーベルの奧さんもまた、一緒によく働く。彼女は、全くきちんとした女である、しかし……

そうではあるが、しかし…… もしフーベル奥さんが 妊娠すると、彼女は全く常規を逸するのである。ちょうど、今、またもや、そのようになっているように見える。きのう私が妊婦たちのところへ行こうとしていたとき、教頭の奥さんが家の戸口に立っていた。
『フーベル奥さんは、御病気ですね』 と彼女は真に気の毒そうに言った。『あの人は、ほんとに可哀そうに見えますよ。昨晚、私のところへ来て、どうか一度、団子を作ってくれと言うんです。自分の家では、何も食べる気がしないんだそうです。どこか、よそで出来たものなら、多少おいしいらしいんですね。』
『でも、フーベル奧さんの病気は、直きにまたよくなるでしょう、』 と私は言い返した。『あの人は、もう三度もそんなに変になったことがあるんです――そしてまたその後で、赤ちゃんが、生れたのですよ。』
『そうでしょうか? 私は、きのう、宅の主人に言ったばかりなのですが、もし私もそんなことをするようになったら、全く恐ろしいことだ、と。』
教頭は、若くて結婚し、そしてこの村に来てからまだ長くならないのである。
『大抵の婦人は妊娠すると、そのように多少は、気むずかしく不機嫌になろうとする傾向や、我儘勝手をする傾向や、または不安と興奮とを起すものです。しかし、そういうときには、歯を食いしばって、それに敗けてはならないですね。自制しなければなりませんね。もしそのとき、上機嫌になり喜ばしそうな顔をして、自分自身に向って、カロリーネよ、お前は多分気が違っているんだろうね! そんなことは、我々の家には全くないことなんだよ、と言い聞かせ、そして何か歌をうたうか、または、口笛を吹きはじめるなら――そうすると、そんなことは直ぐ消えうせてしまって、正常な状態にかえるのです。私たち婦人は、もう每月でも、こういうことを観察できます。一定の数日間というものは、感情生活が肉体上の出来事によって影響されます、なぜなら、人間は二つの分離した部分から成り立っているのではなく、身体と霊魂と心臓と感情とが、互いに関係し合っているからです。でも、フーベル奥さんのお母さんは馬鹿なことをしたもので、その娘さんにあらゆる愚かなことや、気まぐれをやらせて置いたんです。多分、ひとり娘だと思います。「娘のアンネルは、このことには堪えられない、そしてあのことはできない」と、母親はいつも言っていたんです。そして今日では、フーベルの奥さんのアンネルは、そのような数ヶ月間というものは、村全体の笑い草になるんです。』
『でも、もしそれが私にも関係があることなら、私はよく気をつけることにしましょう。』
『そのときは、それは赤ちゃんに関する問題だということをよくお考え下さい。教頭の奥さん。お腹の赤ちゃんは、母親自身の気まぐれによっても、もう育て損われるんです。もし妊娠した母親が、喜ばしく上機嫌であり、そして自制するなら、その赤ちゃんは、もし母親が怒りっぽく不機嫌で、あらゆる気まま勝手を自制もせずにするか、または怒って、何でもたたきこわすというような場合に比べて、全く子供の出来が違うものなのです。母親は、赤ちゃんに肉と血を典えるばかりでなく、自分の心、自分の感情の一片をも一緒に、その生命の中へ与えるのです。もし母と子が、そんなに密接に結びつけられているということを考えると、いま言った良い母親の心得に反するようなことは、とても出来るものではありません。』
『では、赤ちゃんを持つということは、ほんとに好ましいことに違いないですね……私たちのところでも、この前の時から次の子まで、あまり間が長くあかなければいいと思いますが! 宅の主人は、いつも、子供の泣き声なんか聞きたくないと言うんですよ……』
『生れぬうちは、殆んどすべての男の人は、そう言うんです。ところが、後では、その人たちは、泣き声を大抵よく我慢できるものです。』
『ですが、私は一体、フーベル奥さんをどう扱ったらいいんでしょうか? きのうは、もちろん、あの人の言う通りにしてやりましたが。』
『あの人に親切な言葉をかけてやり、そして、こう言ってやりなさい、あんた、そんなことをして廻ってはいけませんよ―赤ちゃんのために、と。もっとも、私はあの人に、ここ数年来、もう十回もそのことをたしなめてやったのですがね。あの人は、今はもう子供が三人あります。多分あの人は、私の言うことを聞かないと同様に、あなたの言うことも聞かないでしょう。そして最後には、もしある人が、しょっちゅう同じことを行っていると、その習慣は、その人の個性よりも強くなり、そしてその人は間もなく、もうそれを変えられなくなりますね。』

それから、三日後、夜おそくなって、私はあるお産のため呼ばれた。月がもう明るく空にかかっていた。村では燈火は、消されていた。ただ教員の家と村長の屋敷で、まだランプが部屋についていた。そして教会の高壇の窓を通して、不滅の燈火が輝いていた。そこの聖櫃の中にいらっしゃる一人のお方(キリスト)、 そのお方は、決して眠られることはない。非常に暗い路の上でも、私たちと共に起きておられ、かつ私たちと共に心をくばられる一つの霊がまします、ということを知ることは、非常に好ましいことである。

そのとき、私は、私から程遠からぬところで、一人の女が生垣をくぐり抜けて庭にしのびこむのを見た。一人の大柄な女が。まさか。そうなのではなかろうと思うが……しかし、まさにそうだった。私がもっと近づいてゆき、そしてその女がもはや私を避けることができなくなったとき、それはほんとにフーベル奥さんであった。彼女は、他人の庭で豆とサラダを、前掛けに一杯むしり取ったのであった。
『ちょっと、やっただけですよ。で、私はうちへ帰ったら、豆サラダを作るんです……』
『でも、フーベル奥さん、お宅の庭には、青い物が十分、生えているじゃありませんか――それなのに、夜中にうろつき廻って……』
『ここのは、私のうちのよりも、ずっと美しいのです、だから欲しくて堪らないんです――私は、今度もまた、うちのものは、もう何も食べることができなくなってしまったんです。』
『あなたは、口のおごった病身の三人のお子さんの月謝をまだ十分払っていないぐらい、お困りなんですかね? あなたは、ますます悪くなって行かねばならぬでしょうか?』
『ハハハ、でも私は仲々そんなことにはならないでしょう! 私はもうこんなに、みじめになっているんですから、そんなことは、まだ起らないでほしいものです……』

それから、なお数週間もの間、フーベル奥さんは、村中でいたずらをした。あるいはここに、あるいはあすこに、彼女は自分勝手にお客におしかけた。あるいはこの庭で、あるいはあの庭で、彼女は自分の気に入ったものを盗んだ。日中であろうが、夜分であろうが、ちょうど好い機会を狙って。幼い雄鶏やスープ用の雌鶏すらも、のがれぬ運命にあった。人々は、そのことで彼女をあざけった――ときどきあまり馬鹿なことをやられると、彼女に小言をいった。 しかし、彼女は、何といってもフーベルの奥さんであったから、人々は彼女の邪魔をせずに、思うままにさせて置いた。人々は、彼女がときどき気狂いになるのをよく知っていた。

それから、この物語は、変って行った。今や、フーベル奧さんは、自分がまたもや『そのように』なったことを確実に認識するに至った。これまでの食欲の無かったのとは引きかえて、今やその反対のことが起こった、しかもまたもや際限もなく。今や彼女は、殆んど一日中むさぼり食べた。いくら彼女に言いつけても、それを変えさせることは、もはやできなかった。克己心のない彼女の本性が、食うことと、飲むこととに集中された。早朝のコーヒーには、冷たい豚の切肉、十時頃には、ハムつきの卵、正午には雀つきの炙肉(あぶりにく)、午後にはサラダつきのカツレツと豚肉の腸詰、晚には焼いた肝臓、生の挽き肉、または、その他、何でも手当り次第にかき集められ得るもの。さらに、最後に、夜食としてハムパン三個。しかも、これらすべてのものは、もちろん、酒なしでは、平らげられなかったのである。今や彼女はブドー酒店の最もよい顧客にさえなった。彼女は、前にはみじめで痩せて見えたが、今や短時日の間に、太って丸々となったので、転がしてゆくことができそうになった。

以前と同様に、彼女は理性へは近寄って行けなかった。私にしろ、他の人々にしろ、いくら彼女を非難しても、彼女はそれを受けつけなかった。『私は、いまは二人分、食べなくちゃならないんですよ。』 そしてずっと、そのように続けてやった……
とうとう女の児が生れた。その日のことを、私は決して忘れることはできない。それは、私が四十年間に経験したうちで最も恐ろしいお産の一つであった。その子の目方は、十三ポンド以下ではなかった。私たちは、医者を二人も呼んで助けてもらわねばならなかった。もちろん、それは、フーベル奧さんの馬鹿げた栄養過多の結果に外ならなかった。それから、その憐れな女は、数ヶ月間、まるで縛りつけられ、縫いつけられたように、重い病の床につかねばならなかったが、ようやくのことで、それに戦い抜くことができた。私たちは、もともと彼女が、そのお産に堪えられ得ようとは信じていなかったのであるが……

幾年かが過ぎた。天主様は、フーベル奥さんよりも深い思慮見識を持っておられた、何となれば、もはやその後は、子供が生れなかったから。反対に、先に生れた三人の子供は、死んでしまった。小児病が村で流行するたびに、最初の犠牲者の一人は、必ずフーベル奧さんの家で見いだされた。『あすこの子供たちには、何の不自由もないんだがねえ。』と、人々は言った。『それでいて、その子供たちは、何一つ幸福を持っていないんだ。』いや、それどころか、それは子供たちにとっては、まさに不幸であった。子供たちは、すでに母親の食いしんぼうな、自制心のない本性を受け継いで生れて来た、そして誤った教育が、子供たちの中にあるその性質を一層発達させたのである。そこで、三人の太った子供たちは、もう生後一ヶ年で、栄養失調の生存能力のない子供に変じ、そして最初の嵐が来ると、すぐ圧しつぶされたのであった。
ただ一番幼いアンネレだけは、命を持ちつづけた、そして、その子は、もちろん、生きのびたがために、それこそ非常に育てそこなわれた。もう三つになると、そのいたずらっ子は、チョコレートを買うとか、またはメリーゴーラウンドに乗るとかするために、店の錢箱の中から銀貨を盗み出した。
ところが、母親はそれに対して笑った。『それは仕方がないでしょう。子供が何か食べるなら、私はそれが嬉しいんですよ。』

学校では、困ったことが引っきりなしに起った。なぜなら、アンネレは、ほかの子供たちから本や手帳や、その他の全財産を奪い取ったし、また、もし彼等が抵抗すれば、それらの物を引き破ったり汚したりした。それは本当に、貧乏からではない。その子は、欲しいものは、実に何でも与えられることができた。ところが、他人の所有物を自分のものにしたいという性質が、宿命のように、その子供のうちに潜んでいた。やがて、こういうような出来事は、学校内には、限られなかった。村の商店は、父親のフーベルに向ってアンネレのことを訴え、そしてその子の持って行った品物を返すように要求し始めた。 ますくその性質が悪化したので、途には、その子がはいって行った店では、陳列してある品物のどれかが驚くべき機敏さで必ず盗まれるようになった。色のついた子供帽、ボール、小刀、髪紐と首飾り、小さな財布とおいしいもの――何でもが、もはやその子の前には安全ではなかった。両親がきつい顔をして、その子にそんな仕業を止めるように、真剣に命じようともせず、そして『こんなことは、しかし、無邪気な子供のいたずらでしょう』と言って、すべてを片づけてしまうような有様なので、人々は怒った。憲兵が、この事件に口を出してきた――そしてある日、フーベル奥さんは、アンネレを感化教育から免れさせるために、寄宿舎に入れねばならなかった。
戦争が始まったとき、アンネレは大きな娘になっていた。彼女は、ときどき家へ帰って来たが、ほとんど通りには姿を見せなかった。多分、以前の行為を思い出されるのを恥ずかしく思ったからであろう。恐らく彼女は、以前の間違っていた習慣を打破したのであろう、なぜなら、もはや決して一つの訴えも聞かれなかったからである。とにかく、彼女は、よその家へ行くことは心配して避けた。

そして有難いことには、歲月は、地上にある非常に多くの物に変化を起させるものである。インフレーションのため、フーベルは、家屋と営業を譲り渡して、町へ引越して行った。
ある日のこと、そこの主任司祭が私をお呼びになった。行って見ると、区裁判所の公文書が、テーブルの上に置いてあった。
『困ったことになりましたよ、リスベートさん! あのフーベル・アンネレさん、今は結婚して フライターグの奥さんですがね、あの人が常習窃盗犯で拘留されたのです。貧乏のせいではない。経済状態は、非常によろしい。御主人は、何も御存知ない。恐らく他の事情によるものであろうということです……家庭の状況を尋問されています。あなたは、村のことはよく御存知でしたね。』
『母親の罪です! あなたはまだ、私の村にいらっしゃったことがないのです、神父さん。 母親のフーベル奥さんは、妊娠している時には、よその庭からサラダを、家畜小屋から鶏を盗んでいたのです。あの人のように、あんなに欲ばりな、自制心のない女を、私はこの村ではほとんど見たことはないんです。』
母親の罪……






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