2021年8月8日(主日)聖霊降臨後第11主日
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父メッセージ
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟姉妹の皆様、今日は8月8日で、聖ジャン・マリ・ヴィアンネ神父様の祝日です。伝統的には今日が祝日です。そして聖ヴィアンネ神父様は、全ての小教区の司祭たちの守護の聖人です。ですから今日は、神父様、司祭たちの為にたくさんお祈りしましょう。
ヴィアンネ神父様がアルスという寒村に任命を受けた時、どうやって行くか分かりませんでした。その時に、町で道で出会った男の子に、「アルスの村にはどうやって行くのか?」と聞いたら男の子は、「私が教えます」と言って道を教えてくれました。そのお礼に神父様は、この少年にこう答えたそうです。「坊や、ありがとう。君は私にアルスへの道を教えてくれたから、今度は私がお礼に天国への道を教えてあげよう。」
神父様の義務は、人々に天国の道を教える事です。
ビアンネ神父様はこんな事を言っていました。
「司祭職というのは、イエズスの聖心の愛だ。だからあなたが司祭を見たら、イエズス様の事を考えなさい。」
またこんな事も言いました。
「司祭というのはどれほど偉大なものであるか!もしも司祭が、自分が一体何であるかを理解したら、きっと死んでしまうだろう。その喜びと驚きで死んでしまうだろう」と言っていました。
またこうも言っていました。「司祭がなければ、イエズス様の御受難と死の全ての御恵みは、全く意味がない。何故かというと、司祭がこの地上で贖いの業を続けているからだ。
一体、たとえ家の中に金・銀・宝石がたくさんあったとしても、もしも誰もそれを開けてくれる人がなかったら、何の役に立つだろうか。司祭が天国への門を開く鍵を持っている。司祭こそが、私たちの主の管理人だ。イエズス様の持っている全ての善を管理している方だ。Administratorだ。
だからもしも司祭がいなかったら、そのような小教区がもしも司祭がいなくて20年経ったら、きっとそこでは人々は動物を礼拝してしまう事だろう。司祭は、自分の為の司祭ではなくて、皆さんの為の司祭である」と。
ビアンネ神父様はこうも言っていました。「マリア様にお祈りをいつもしなさい」と。「何故かというと、ちょうど私たちがスパイスとか臭いの付いた、例えばシソの葉っぱを触っていると手にその匂いが付くように、マリア様にお祈りを捧げると、マリア様の匂いがそのお祈りに付くので、それが良い香りとなって受け入れられるからだ」と仰いました。
またビアンネ神父様は、「御聖体の前で使った時間は、一番最高の幸せな時だと考えなさい」と仰っていました。
最後に、ビアンネ神父様がなさった一番短い御説教をご紹介して終わりにしたいと思っています。何故かというと、ビアンネ神父様は司祭のモデルですが、私はこの点を真似しなければならないと思っているからです。
ある時、神父様は御説教を始めている時に、御聖体を指さして御聖櫃を指さしてこう言ったそうです。「Il est là.」そしてこれで終わったそうです。
何と仰ったかというと、御聖櫃を指して、「主は、ここにまします。聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン」と言って終わったそうです。
どうぞ皆さん、今日は司祭のためにたくさんお祈り下さい。カトリック司祭たちの為にお祈り下さい。また司祭たちがたくさん出ますように、与えられますように、日本からたくさんの司祭が、青少年が司祭を目指しますように、お祈り致しましょう。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
ニコデモの「ラビ、私たちはあなたこそ神から来られた先生だと知っています。神がともにいまさぬかぎり、あなたのされるような奇跡のできる人はないからです」に対し、イエズス様は「まことにまことに私は言う。人は上から生まれないと、神の国を見る事はできぬ」と返されます。イエズス様がおっしゃったことはニコデモの発言の答えになっていません。少し高い次元から謎のような言葉を返して、会話を進めていきます。
サマリアの女との会話もそうですね。「主よ、あなたは汲む物も持っておられず、井戸は深いのです。その生きる水をどこから持ってこられるのですか。私たちにこの井戸を与えてくれた先祖のヤコブよりもあなたは偉大な方ですか。ヤコブもその子孫もその家畜もこの井戸で飲みましたのに」の問いに対してイエズス様は「この水を飲んでもまた渇きを覚えるが、私の与える水を飲む者はいつまでも渇きを知らないだろう。私の与える水は、その人の中で、永遠の命にわき出る水の泉となる」。
イエズス様は、この世のささいなことを手掛かりにして、天の神秘を語りかけておられるようです。神父様も、説教でこのような話してくださったら、とても素晴らしいと思います。でも、無理しないでくださいね。