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2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

2024年 新年 小黙想会【導入と準備】どのようにして黙想会に与るのか

2024年01月17日 | お説教・霊的講話

アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

2024年1月7日(主日)と8日(成人の日)の二日にかけて 新年 小黙想会を行いました。
さまざまな事情で参加したかったのに参加できなかった方々からの依頼がありましたので、そのお話の内容をご紹介いたします。ご参考になれば幸いです。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

【導入と準備】
2024年を迎えました。新しい年が良き聖なる年となるために、小黙想会を行いましょう。
この聖なる黙想会を、聖霊に対して祈ることによって始めましょう。

天主である聖霊が私たちに教えて下さいますように。私たちが聖霊の御恵みを受け、その聖霊の浸透を受ける事ができるように、心を開いて下さるようにお祈りしましょう。私たちが、全ての天主からの光と恵みを受ける事ができるようにお祈りしましょう。「こいねがわくは汚れたるを清め、乾けるをうるおし、傷つけられたるをいやし給え。固きを柔げ、冷えたるを暖め、曲れるを直くし給え。」
聖霊の特別の道具、これは無原罪の聖母です。御子イエズス・キリストの玄義の中に深く入る事ができるようにお祈りしましょう。

【どのようにして黙想会に与ったら良いのか】
私たちの主は、今回の二日間の小黙想会の間に特別な巨大な御恵みを準備されています。
毎回二つの講話があります。講話の後に、皆さんはご自分で黙想をなさって下さい。
黙想会というのは、霊的講話をただ聞くだけの会ではありません。霊的講話は、黙想する題材料を提示する事であって、大事なことはそれを黙想することです。
私たちが耳から聞いた事が、黙想する事によって心に留まります。黙想を深くすればするほど深く心にまで届きます。

よい黙想会をするのに必要なお恵みと寛大な心をお願いしましょう。

【要点一】私たちは何故この黙想会をしているのでしょうか。

私たちがこの黙想をしているのは単にしなければならないからではありません。私たちは新しい年のために、来るべき困難な年のために、力を得ようとして、この黙想をしています。
「私の誘惑はへるよりもむしろ増えていくようだ。おそらく私のなすべき仕事のために祈りの時間は前よりもかえって少なくなっている。でも今回は、少なくともひとりで天主といっしょにいることができる――この機会を私はいちばんよく利用しよう。今年一年、霊的向上のために、天主のみ旨をおこなうことができるように、強い基礎をきずきあげたい。」

私たちの日々の行動を、ふだんとは違った角度から眺めるための特別のときが今です。外国語を習う学生のためのテープ・レコーダーのようなものです。学生に自分の声とどう違っているか、その国の人のように話したいならどこに最大の努力を向けるべきであるかを知らせてくれます。

【要点二】どうしたらよい黙想ができるか。

【信頼・委託】
心を楽にして――天主が私の霊魂へささやかれるにまかせましょう。聖霊の働きに信頼し、委託しましょう。私たちが望むものをえようとして緊張することはうぬぼれです。何故ならそれは天主が私にお望みになることを、私たちが自分でよく知っていているということ、私たちが自分でそこに到達できると考えていることだからです。その時、私は何もできなくとも、天主が私の霊魂の中でどれほど多くの働きをなさるかということを、私たちは忘れています。

天主は私たちを愛しておられます。天主は全能です。「天主といつも一緒にいる」という事は、私たちの霊魂にとって特別の利益があります。この黙想会の間、「天主と共に、天主の現存の内に生きる」のです。私たちは、天主の無限の御稜威の前で、礼拝の心、尊敬の念を持たなければなりません。

【沈黙】
私たちは、沈黙を守りましょう。天主ひとりと対話するために、この機会が与えられています。
天主はたいへんお優しい愛の方です。天主は私たちが他の人と話しているときには、決してそれをさえぎることをなさらないし、私たちが何かほかのことを考えようとしているときには、天主は決して私の注意をそらそうとはなさらない方です。私は聖霊がいつ私に話しかけるのか、その正確なときを知りません。それは霊的な読書のときであるかもしれないし、食事のときであるかもしれないし、また休息のときであるかもしれません。

天主は「沈黙の天主」であって、叫んだり騒いだりしません。沈黙の内に私たちの心にささやきかけます。この地上で行われた全ての事を、天主様は深い沈黙の内において行われました。無からこの全宇宙を創った時にも、沈黙の内において行われました。天主の御言葉が人となられた時も、沈黙においてでした。静けき真夜中にイエズス様はお生まれになりました。イエズス様の30年間の私生活も、沈黙の内に行われました。イエズス様の三年間の公生活も、沈黙の祈りにおいて満たされていました。三時間十字架の上に釘付けにせられた時も、深い沈黙の内におられました。主イエズスが三日目によみがえる迄、沈黙の内におられました。イエズス様が3日目によみがえられた時も、大沈黙の内に復活されました。イエズス様は世の終わりまで、御聖櫃において、真に在しつつ、沈黙を守ります。イエズス様がどれほど沈黙を愛されることでしょうか。

沈黙というのは、「この世の喧騒から離れて、天主の為に心を静めて沈黙させて、天主の方に心を向ける」という事です。沈黙とは、この世に開かれている私たちの心のドアや窓を閉じる事です、天主に大きく開く事です。天主が私たちの心に語りかける条件が“沈黙”です。

この世に開かれたドアや窓を閉じるとは、おしゃべりしないのみならず、携帯の電源を切って、コンピューターのスイッチを切る、という事です。全てこの世の事が皆さんの元に入って来るのを遮断するのです。天主とそして聖母と共に居る事を愛して下さい。そうすれば皆さん大きな報いがあります。

頭の中に起こり来る多くの考えやファンタジーを取り除いて、天主の為に空にして下さい。ご家族の方や親戚の方について考えないで下さい。今現在、世界で行われている政治・経済問題について考えないようにして下さい。黙想会とは関係ないような事が、私たちの心に、頭の中に起こった時は皆、イエズス様の聖心とマリア様の汚れなき御心に全て放り込んで下さい。

【償いの精神】
償いの精神を持ってください。償いの精神というのは、黙想会を遂行するにあたって、何らかの難しいこと、困難な点があっても、それにも関わらず良い黙想会をする、という事です。たとえば、寒い、おしゃべりができない、あまり快適じゃない、何か不都合がある、このような小さな不都合なものは、私たちが償いをする為に、主から与えられたものです。

【寛大な心】
寛大な心をもとめましょう。私は旧約聖書のサムエルの言葉を思い出しましょう。「主よ、お話しください。あなたのしもべがここにおりますから」。

私たちの主キリストのお約束を思い出しましょう。「与えよ、そうすればあなたたちも与えられる。押しいれ、揺すりいれ、あふれるほどの、充分なはかりのものが、あなたたちの服のひだに入れてもらえる」(ルカ6:38)と。

お恵みに対して寛大な心をもつ決心をしましょう。黙想会の始めにあたっては、聖霊が私に何をお求めになるかということについてではなく、何をお求めになろうとも、それに対して寛大に応えたいという大きな望みを持ちましょう。気を散らす誘惑に抵抗しましょう。私たちはこの年の初めの黙想会が大事なものであることを確信しています。今年、私たちが天主のためにどれだけ働けるかということは、いま私たちが貯えておくお恵みの大きさに比例するとも言えます。もしかしたら、この特別の黙想会は私には最後のものになるかもしれません。私が行うさまざまな黙想会の中で、どれか一つが最後のものになるはずです。そうすると私の永遠にわたる天国の地位は、その最後の黙想の成果となった私の霊的生活の密度によって決まるはずです。

「寛大である」とは天主に「全て」を与えることです。黙想会に与る一番良い与り方とは、大きな心を持って黙想会に与ることです。50%ではなくて100%全ての力で、黙想会に与ります。私たちが今やっているこの黙想会を、自分の出来る限り最善を尽くしてやるという事です。悪魔は、私たちが良い黙想会をすることがないように、邪魔します。私たちはそれに戦いを挑んで、黙想会を遂行しなければなりません。悪魔は、私たちが黙想会をする事がないように、黙想会でしなければならない事以外の事をさせようとします。

【落胆しない心】
落胆しない心をもってこの黙想会をしましょう。悪魔は、私たちが落胆するように全ての事をします。私たちが黙想する時に、黙想ができないかもしれません、集中できないかもしれません。隣に座っている人が、嫌な事をしだすかもしれません。そういう時には、妨害にもめげずに「やるべき事をやる」のです。もしも悪魔が「黙想会以外の事をさせよう」と誘惑したら、いや、聖霊と聖母と共に黙想会をするのだと勇気を持って黙想を続けてください。

前の黙想会で貧しい成果しかあげられなかったからといって、善い決心が上手く守られなかったといってくじけないようにしましょう。「何の役に立つのか。もう何回も黙想会をしても、前の通りに不完全だ。やさしくなるどころか、毎年むずかしくなるように思われる」という誘惑に、抵抗しましょう。それは次と同じようなものです。「食べたり飲んだりしても、何の役に立つのだろう。私は何千回も食事をしたのに、二十代の時より丈夫になってはいない。かえって一日一日と弱くなっているように思われる」と。

天主は霊魂を徐々に完徳にみちびかれます。しかし成聖のすべての過程を一瞬の中に成就することも、天主にはできます。主は絶対に自由であり、天主はそういう力を無限にそなえておられます。「この石からアブラハムの子らを起こすことが、私にできないと思うか」。たとえ私たちが年をとっていて、多くの年月を比較的怠けて過ごしてしまったとしても、天主の憐れみによって、私は真の聖性に進することができます。

私たちが前に決心したことについては、それが完全に守られることや絶えず破られることを思って決心したのではなく、その決心を実行するように祈り、学び、骨を折ろうとして決心したことを思い出しましょう。自分がきわめて弱いものであることをまじめに認めていても、あまり向上しないからといって、落胆したり失望したりする理由はありません。一層の努力と、自分をはげますために、経験を利用しましょう。

【聖霊に祈る】
聖霊がくださるお恵みをすべていただくことができるように、霊魂を開いてください。聖霊が何をお求めになるかということを、私は何も考えません。けれども何をお求めになるにしても、私たちがそのお求めに応ずることができますように。力と勇気をおあたえくださるように祈りましょう。聖霊は私の霊魂に、静かに語りかけてくださいますから、どんなに小さなささやきをも聞き逃さないように、私の耳を敏感にしてくださるように、聖霊に祈りましょう。

イエズス様とマリア様に信頼して下さい。全てイエズス様の聖心とマリア様の汚れなき御心に私たちの事を委ねて信頼して下さい。

イエズス様は私たちにこう仰います。
「この黙想会の間、あなたの全てを私に下さい。あなたの家族の事やお仕事の事を全て、私に下さい。ただ、私の事だけを考えて下さい。そうしたら私は、あなたの心配事について全て解決しましょう。」



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