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「人よ、汝は塵であり、塵に戻る事を覚えよ」

2016年02月19日 | お説教・霊的講話
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 2月10日、灰の水曜日に大阪で行った聖伝のミサでのお説教をご紹介いたします。

天主様の祝福が豊かにありますように!

2016年2月10日 灰の水曜日
小野田神父 説教



 聖母の汚れなき御心巡回教会にようこそ。今日は2016年2月10日、灰の水曜日のミサをしております。

 今日は四旬節の灰の水曜日ですから、大斎小斎を守る義務があります。全てのカトリック信者の21歳から59歳までの青年の健康な方は大小斎を、14歳以上の方は小斎を守らなければなりません。
厳密には灰の水曜日と聖金曜日だけですが、聖ピオ十世会では、全ての四旬節の金曜日を大小斎を守るようにと、それを求めており、皆さんもこれもご招待します。四旬節の四季の祭日も大小斎を守るようにお勧め致します。

 
「人よ、汝は塵であり、塵に戻る事を覚えよ」

 聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

 愛する兄弟の皆さん、私たちは灰を額に、司祭の手から教会の名によって受けました。私たちは、決して忘れてはならない現実の事をまた聞かされました。私たちは塵であって、また塵に戻らなければならない。

 私たちが額に受けたこの塵は実は、枝の主日に、特別な教会から祝別を受けた枝でした。王たるイエズス・キリストを歓迎する為の枝でした、栄光ある枝でした。しかし、罪を受けた、罪の後の私たちはいかに、万物の王であり目に見える被造物の頂点に立っていたかのように思っていても、この地上の目に見えるものの、動植物の王であるかのようにあったとしても、罪を犯した後には、苦しみと病と死を受けなければならない身になりました。

 私たちはそのような罪の結果の現実を額に受けたのでした。「それを決して頭から離す事がないように、それを忘れる事がないように、その現実を覚えよ」と、教会から言われました。

 そればかりではありません。今日は、今日から公教会は四旬節に入り、罪の償いの季節に入ります。イエズス様は公生活を始めるときに、「回心せよ、償いをせよ、痛悔せよ」という言葉から始めました。「痛悔せよ」この「痛悔せよ」という言葉は、「償いを果たせ」という事と繫がるのですけれども、洗者聖ヨハネも、同じ言葉を使って人々に説教していました。「痛悔せよ、回心せよ」

 そればかりではありません。その私たちの主の言葉を聞いて、イエズス様の道に入った人たちは、皆、痛悔の、回心の、償いの生活を送っていきました。その最初で最も有名なのは、聖女マグダレナ・マリアです。

 そればかりではありません。多くの聖人聖女が償いの生活を送っていきました。聖人伝を紐解くと、ある聖人は、着れば体中が痛くなるような荒い衣をいつも身にまとっていた。或いはある聖人は、償いの為にご飯を、食事をいつも肉を食べずに小斎だった。或いは毎日一度しか食べなかった。或いは償いの為にいつも鞭打っていた。アルスの聖司祭はジャガイモしか食べなかった。寒い冬も、冷たい所で暖房も無しに告解を聞いていた。寝る時間もほとんど無かった。或いはパードレ・ピオは、ほぼ毎日のように、主日とか大祝日を除いて、断食を捧げていた。鞭を打っていた。

 カトリック教会はいつも、罪の償いを捧げるようにと私たちに励ましてきました。この四旬節はまさに、私たちにとって本当に喜ばしい、罪の償いを教会の一員として、イエズス・キリストの花嫁である教会の一部として捧げる事ができる、本当に嬉しい聖なる季節に入りました。

 第2の点は、なぜこの、それほに、悔悛、痛悔、罪の償いという事が大切なのでしょうか。これは、カトリック教会の、キリスト教の最も中心の教えにあるからです。つまり、「私たちの主イエズス・キリストは、私たちの救い主は、十字架によってこのような罪を贖って下さった。私たちの代わりに罪を償って下さった。私たちも、イエズス・キリストの神秘体の一部として、キリストの苦しみの足りない所を、私たちの苦しみで補う。」という、聖パウロの教えに基づくものです。イエズス・キリストの立てた宗教の真ん中には、十字架の木が立っているからです。犠牲という概念が、その中心にあるからです。

 罪の償いの無い、或いは悔悛の無いキリスト教というのは、本物のキリスト教ではありません。この現代をご覧下さい。私たちの十字架は、どれほど私たちの目から隠されている事でしょうか。私たちの普段の耳にする事や聞く事は、イエズス様の償い、悔悛の教えとどれほど隔たっている事でしょうか。私たちは別の、天主教ではない、民主教の教えを聞いているのではないでしょうか。

 民主教の教えは、何を唱えるかというと、「十字架とか辛い事は、全くの悪だ。だから私たちは、喜びと楽しい事だけを追求しなければならない。十字架が無い世界を作らなければならない。苦しみの無い世界、償いの無い、犠牲の無い世界を作らなければならない。」イエズス様の十字架の代わりに、人々が飾る偶像というのは、映画のスターや、或いはポルノの裸や、或いは人間の傲慢のしるしや、或いは虚栄、或いは快楽のしるしです。

 私たちがイエズス様の教えに従って、イエズス様の御教えは、「もしも私の弟子となりたければ、十字架をとって、私に従え。」というものですけれども、私たちは、「イエズス・キリストを愛するが為に、私たちの為に十字架に付けられたイエズスを愛する為に、天主様の御旨を果たしたい。イエズス様に、愛のしるしとして犠牲を捧げたい。イエズス様の御旨を果たしたい。」と思います。

 しかし、この世の十字架の無い教えはそうではなくて、私の利己主義や、私がエンジョイする事や、私の「面白いよ、楽しいよ」と、「俺が、俺が、俺が」「私が、私が、私が」という事だけしか教えません。

 イエズス様の立てた真の宗教は、「まず、天主の御旨を求める事。天主の御旨に全く無条件に、無条件で身を委ねる事。日々、天主の為に働く事。天主の為に苦しみを捧げる事。天主と、祖国と、皆の善の為に働き、力を尽くし、最後に自分の事を考える。」お父さんはまず、天主と家族の為に。お母さんはまず、天主様と皆の為に。子供は、天主様と天主様を愛する為に隣人を尊敬し、従順で義務を果たす事を考えています。

 しかしこの世は、そうではなくて、「まず、お金の為に、面白おかしい事の為に働けばいい。それが全てだ。」全く両極を言っています。

 四旬節、私たちは教会によって、本当の苦しみの無限の意味を、価値がある事をもう一度思い出させられました。ファチマのマリア様も同じ事を言っていました、「償いをしなさい。償いをしなさい。償いをしなさい。」子供たちは、ファチマの天使を見て、或いはマリア様を見て、どれほど償いと犠牲と断食、祈りに励んだ事でしょうか。

 ルルドでも、マリア様は同じ事を言いました。聖ベルナデッタに、「償いをしなさい。償いをしなさい。償いをしなさい。」と、繰り返し繰り返し、償いの話をしました。

 では、私たちは、どのような遷善の決心を立てたら良いでしょうか。

 愛する兄弟の皆さん、私たちはキリスト教の、イエズス様の教えの核心を、最も大切な教えを実践しようという、特別の良い機会に、その時期に入りました、その機会に恵まれるようになりました。どうぞ良い決心を立てて、寛大にこの聖なる時を、四旬節という時を、天主様の為に、償いと祈りの為に、使う決心を立てて下さい。

 つい最近、シュナイダー司教様というカザフスタンの司教様が、「聖ピオ十世会の司祭と信者さんたちは、天主様から送られた特別の宝だ、贈りものだ。この世に与えられた贈りものだ。」と。「この教会の危機を救う為に、天主の御摂理が準備した特別な手段である。」と。

 愛する兄弟の皆さん、私の思うには、それはとても嬉しいお言葉であり、本当に私たちも、その天主の、天主から送られた教会の危機を回復する為の手段として、私たちは特に四旬節を聖なるものとしてお送りする事に致しましょう。

 どうしたら良いでしょうか?四旬節にはお祈りをなさって下さい。作戦を立てて、できるだけ時間を作って、お祈りを致しましょう。ロザリオの祈り、或いは十字架の道行の祈り、或いはその他黙想のお祈りを致しましょう。イエズス様の御受難を黙想なさって下さい。イエズス様に関する霊的な読書をなさって下さい。そうする事によって、教会に多くの利益をもたらす事ができます、回心のお恵みをもたらす事ができます。インマクラータの騎士の、聖母の無原罪の騎士の射祷をたくさん唱えるようになさって下さい。この小さな、ラミネート入りの小さなカードがあります。どうぞそれをいつも持ちになって、それをよく唱えるようになさって下さい。

 四旬節には、第2に、償いを果たして下さい。償いの為に私たちの小さな犠牲をお捧げ致しましょう。私たちが日常感じる辛い事や、苦しい事や、悲しい事、或いは困った事、或いは友達からいじめられたり、嫌がらせをされたりする事、これを捧げ致しましょう。これを私たちの過失、或いは私たちの受ける屈辱なども、イエズス様の屈辱に合わせてお捧げ致しましょう。私たちの受ける日常の痛み、辛い事、寒い事や疲れた事や、様々な痛みを、イエズス様にお捧げ致しましょう。

 イエズス様は、隠れた私たちの愛をご覧になっております。天に宝をたくさん積む事に致しましょう。決して腐る事も盗まれる事もない億万の富を、天に積む事に致しましょう。天に積んだ宝は、決してマイナス金利になる事はありません(^^;)、いつも増えています。

 また最後に、私たちは、イエズス様に対して寛大に、他人に対して許し、私たちの持てるものを与える事に致しましょう。天主への愛の為に与える事に致しましょう。

 最後に、マリア様に、マリア様は私たちに、「償いをしなさい、償いをしなさい」と仰って励まして下さるのみならず、まず十字架の下でご自分から、大きな、とてつもない苦しみと償いを、私たちの為に、母の愛を以って捧げて下さいました。そのマリア様に感謝して、マリア様に是非、この聖なる四旬節を送る事ができるように、御取り次ぎを求めましょう。

 「人よ、汝は塵であり、塵に戻る事を覚えよ。」

 聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
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