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教会がどうなってしまったのか分からなくなってしまったカトリック信者たちへ 第18章 本当の従順と偽物の従順

2019年02月20日 | ルフェーブル大司教の言葉

教会がどうなってしまったのか分からなくなってしまったカトリック信者たちへ

ルフェーブル大司教の公開書簡 その18

第18章 本当の従順と偽物の従順

 教会の中はどこでも無規律が幅をきかせ、司祭委員会は司教たちに要求状を送り、司教たちは教皇の訓戒を無視してこれに挑戦し、第二バチカン公会議の勧告や決定事項さえ尊重されていません。しかしながらこのようなことが起こっていても、私たちは決して彼らが不従順だという言葉を聞いたことがありません。ただしこの不従順という言葉は、聖伝に忠実に止まろうとするカトリック信者たち、つまりただ単に信仰を守りたいと望むカトリック信者たちだけについて言われるだけです。

 従順と言うことは、重大なテーマです。教会の教導職との一致、特に教皇様との一致に留まることは救霊の諸条件の一つだからです。私たちはそのことを深く自覚しています。そしてまた、今日教会を統治しているペトロの後継者に対して、私たちがその前任者たちに対してそうであったように同じく執着しているのは私たち以上にありません。私はここで自分自身について語っているのであり、自分の小教区の教会から棄てられた多くの信者さんたち、フランス革命の時のように倉庫や納屋でミサ聖祭を捧げなければならなくなってしまった司祭たち、また町や村で聖伝の公教要理を(公式の教会の要理の授業とは)また別に教えている司祭たちについて語っています。

 教皇様が使徒継承の聖伝と自分の全前任者教皇たちの教えとをこだまのようにそのまま繰り返して語る時、私たちは教皇に固執します。正に、ペトロの後継者の定義それ自体が、この信仰の遺産を守ることにあるからです。ピオ九世教皇は、(第一バチカン公会議の決議書である)『パストル・エテルヌス』の中で私たちにこう教えています。

「聖霊がペトロの後継者たちに約束されたのは、聖霊の啓示によって、新しい教義を教えるためではなく、聖霊の援助によって、使徒たちが伝えた啓示、すなわち信仰の遺産を確実に保存し、忠実に説明するためである。」

 私たちの主イエズス・キリストが教皇様や司教たちそして司祭職一般に委ねた権威は、信仰に奉仕するためです。教会法や教会組織また権威を、カトリック信仰を無きものとするために使うこと、それらを命を伝えるために使わないこと、それは霊的な堕胎行為であり霊的な避妊行為です。

 だからこそ、二千年の間たゆまなく教えられてきたそのままの私たちのカトリック信仰と合致することを全て受け入れることに対して、私たちは服従しますし、その準備が整っています。ただし私たちはこれに対立することは全て拒否します。

 何故なら、パウロ六世の教皇統治の間、全てのカトリック信者たちにとって良心と信仰との重大な問題が生じてしまったからです。それはペトロの真の後継者である教皇様が、聖霊の援助を約束された教皇様が、ほんのわずかな間に、教会史上もっとも深くまたもっとも広大な教会の崩壊、いかなる異端者といえどもこれ程の破壊を成功させることができなかったほどのことを主導することができたのか? という問題です。この問題に、将来、正しく答えを出さなければならないことでしょう。

 五世紀の前半に、レランの聖ヴィンチェンチオという人がいました。彼は天主にその身を奉献する枚は軍人であり、「信仰の港に身を隠すまえは、世俗という海に長い間激しくもまれていた」と言った人です。彼は教義の発展について次のように語っています。

「キリスト教の教会において、将来、宗教の進歩は全くないだろうか? 極めて重要なものが確かにあるだろう。それは信仰の進歩であって変化であってはならない。全ての信者においても各々の信者においても、諸地方教会においても個人においても、歴史の流れの間、知性、知識、智恵が溢れるほどにそして強烈に増加することが重要である。ただしそれは教義の同一性、同じ考えの同一性においてでなければならない。」

 聖ヴィンチェンチオは異端の衝撃を体験していました。そこで彼は十五世紀後においてでも常に有効な行動の規則を与えています。

「もしも教会の或る一部分が、交わりからつまり普遍の信仰から切り離されたとしたら、カトリックのキリスト者は、どうしたらよいのだろうか? 壊疽にかかり腐敗している肢体よりも、全体において健康な体以外、いったいどの部分を取るというのだろうか? そしてもし新しい伝染によって、もはや教会の一部分のみならず、一度に教会全てが毒を盛られそうになったとしたら、その時もっとも配慮しなければならないことは、いかなる嘘の革新にも誘われることもできない昔に固執することである。」

 祈願祭の連祷の中で、教会は私たちをしてこう祈らせています。「主よ、願わくは御身の聖なる宗教において、教皇及び教会位階の全階級を維持し給わんことを、我らは御身にこいねがい奉る。」この祈りをするということは、そのような災いが起こりえるということを意味しているのです。

 教会において、一人のキリスト信者にその信仰を減少するように強制することができるようないかなる権利も裁治権もありません。全ての信者は、子供の時にならった公教要理による自分の信仰に危害をかける人がいれば、それが誰であろうとも、彼に抵抗する権利と義務があります。もしも信仰を腐敗させる危機にさらすようにという命令を受けた場合には、これに不従順である絶対の義務が生じます。

 正に、第二バチカン公会議後の改革と方針とによって私たちの信仰が危機にさらされていると判断されるので、私たちはそれらに不従順であり聖伝を遵守する義務が生じているのです。

 私たちはこのことを付け加えます。それは、私たちが教会とペトロの後継者とになす事のできる最大の奉仕とは、改革されたリベラルな教会を拒否すること、これです。イエズス・キリスト、人間となった天主の聖子は、リベラルでもなく、改革され得もしないからです。

 私は聖座から送られた使節がこう言うのを二度も聞いたことがあります。「私たちの主イエズス・キリストの社会的王権は現代ではもはや不可能だ。決定的に宗教的多元主義を受け入れなければならない。」これが、彼らが私に言った言葉です。

 それならば私は言います。私はそのような宗教に属してはいません。私はこの新しい宗教を受け入れません。これはリベラルな近代主義の宗教で、独自の礼拝と、独自の司祭らと、独自の信仰、独自の要理書、独自のエキュメニカルな聖書、つまりカトリック、ユダヤ教徒、プロテスタント、聖公会信者らと共同で翻訳し、二股をかけた日和見主義的な、八方美人で皆を喜ばせようとして非常にしばしばローマ教導職の解釈を犠牲にする聖書を持っています。私たちはこのエキュメニカルな聖書を受け入れません。天主の聖書だけしかないからです。つまり天主の御言葉であり、私たちにはそれに人間の言葉を混ぜ入れる権利がないからです。

 私が子供だった時、教会はどこでも同じ信仰で、同じ秘蹟があり、同じミサ聖祭を捧げていました。その当時、これが変わるだろうと誰かが言ったとしたら、私はそのようなことなど信じることもできなかったでしょう。キリスト教世界の全地域で、私たちは皆天主に同じやり方で祈りを捧げていました。しかしリベラルな近代主義の新しい宗教は、分裂の種をまいたのです。

 この入り込んでしまった混乱のために、キリスト者たちは同じ家族の中でさえも分裂しています。何故なら彼らはもはや同じミサにも与らず、同じ本も読まなくなってしまっているからです。

 司祭たちは何をしたらいいかわからなくなっています。自分の長上たちが彼らに押しつけることに盲目的に従って、そのためにある意味で子供の時からの幼少の時以来の信仰を棄て、自分が叙階を受けるときに荘厳にした近代主義に反対する宣誓という約束を破るのか、或いは、抵抗するべきか、しかしそうすることは教皇様と離れてしまうかのような、私たちの霊父でありキリストの代理者から離れてしまうかのような印象を受けてしまう。どちらにしても、何という苦しい状況でしょうか。心が張り裂けるようです! 多くの司祭たちは苦しみのあまり早死にしてしまいました。

 どれ程多くの司祭たちが、長年の間司祭として聖務の奉仕していた小教区を離れ去るようにし向けられたことか! これらの司祭らは自分の長上たち位階制度のあからさまな迫害の餌食となって、信徒たちからの大きな人望と信頼とにも関わらず、信徒たちからむしり取られてしまっているのです。

 私の目の前に、このような司祭たちのうちの一人の主任司祭が、自分の受け持つ二つの小教区の信徒たちにだした感動的なお別れの手紙があります。

「×年○月○日の面会で、教区長の司教様は私に最後通牒を伝えました。新しい宗教を受け入れるか拒否するかの二者択一でした。私はこれを避けて通ることが出来ません。ですから、私は自分の受けた司祭職への参与に忠実に留まるために、永遠の教会に忠実に留まるために、・・・私は自分の意に反して、引退するように要求され強制されました。・・・ただ単に誠実でありたいということ、特に私の司祭としての名誉は、私をして正にこの天主に関わる重大な問題(=ミサ聖祭のこと)において誠実である義務を果たさせています。・・・これは、私が天主に、そして人々に特に教区民の皆さんに与えなければならない忠実と愛の証拠なのです。そして正にこの忠実と愛の証拠について、私は最後の審判の日に裁かれることでしょう。それは他方で同じ遺産を委ねられた全ての人々についても言えることです。」

 ブラジルのカンポス教区では、教区のほとんど全ての聖職者達はカストロ・マイヤー司教様の引退後その小教区教会から追放されました。何故なら彼らは、つい最近までまだそれを捧げていたように、永遠のミサ聖祭を放棄するのを望まなかったからです。

 分裂は、信心のほんの少しの表明にさえ作用しています。フランスのヴァル・ド・マルヌ県では司教は、長年の間主任司祭を正式に任命することになっている個人所有の教会でロザリオの祈りを唱えていた二五名のカトリック信者らを警察を呼んで排除させました。メス司教区では司教は共産主義者の市長に頼んで、聖伝を守るカトリック信者たちの団体に譲与した場所の賃借権を停止させるように動きました。カナダでは六名のカトリック信者が裁判所で有罪判決を受けました。この国の法律がこの種の問題を取り扱うことを許しているのですが、彼らは頑固に跪いて御聖体拝領をしたということで有罪となったのです。カナダのアンティゴニッシュの司教は彼らを「宗教儀式の秩序と尊厳を故意に攪乱した」と告訴したのです。そして「攪乱者たち」は裁判官から、六ヶ月の保護監察を言い渡されたのです! 司教がキリスト者らに天主の御前で跪いてはいけないと禁止命令を出したのです! 昨年、青年らが行ったシャルトルへの巡礼はミサ聖祭で幕を閉じましたが、そのミサ聖祭はシャルトルのカテドラルの前の庭で行われました。何故ならカテドラル内部では聖ピオ5世の聖伝のミサが禁止されたからです。二週間後、同じカテドラルはスピリチュアル・コンサートのためにその全ての扉を大きく開いていました。そのコンサートの中では、元カルメル会修道女がいろいろなダンスを踊っていたのです。

 二つの宗教が互いに対立しています。私たちは今、劇的な状況の中を生きているのです。選択をしないと言うことは不可能です。ただしこの選択とは従順と不従順とのどちらかを選ぶというものではありません。人々が私たちに提示していること、はっきりと厳しく私たちをそれに招いていること、そしてそれを私たちにさせるために私たちを迫害しているのは、それは見かけ上の従順を選ぶことです。何故なら、教皇様は私たちをして私たちの信仰を放棄することを要求することが出来ないからです。

 私たちは信仰を守ることを選びます。私たちが、教会が二〇〇〇年間教え続けてきたことに固執するなら、私たちが間違うことは有り得ないからです。危機は極めて深いものです。良く知り尽くし巧みに組織され、指導されています、それは、この事業を操っているのは人間ではなくサタン自身ではないかと本当に私たちが信じることが出来るほどです。

 カトリック信者たちをして従順の名によって全聖伝に不従順であるようにし向けることが出来たのは、正に、サタンの強烈な一撃です。様々な修道会の「現代化(アジョルナメント)」は典型的な例を私たちに提示しています。従順によって、修道士、修道女らをしてその創立者の創った会憲や会則に不従順たらしめているのです。彼らが修道誓願をたてた時遵守すると天主に誓ったその会憲に不従順たらしめているのです。この場合、従順は断固とした拒否でなければなりません。たとえ合法的な権威であっても、非難すべき悪しき行為を命ずることは出来ません。それが誰に対してであっても修道誓願を単なる約束に変えることを強制出来る人は存在しません。同じように、誰も私たちをしてプロテスタントや近代主義者に変わるようにすることはできません。

 聖トマス・アクィナスは私たちが常に参照しなければならない規範ですが、その神学大全の中で、私たちの主が命じている「兄弟的矯正」は私たちの長上たちに対しても為されうるか、と問うことさえしています。有用な区別を全てした後に、聖トマス・アクィナスはこう答えています。「信仰に関わることである時、長上たちに対して兄弟的矯正を行使することが出来る」と。

 もしも私たちがこの章の内容についてもっと断固としていたら、私たちはゆっくりゆっくり異端と同化してしまうことを避けることが出来たことでしょう。16世紀初頭、イギリス人たちは、現在私たちが経験しているたぐいの出来事を体験しました。私たちとの違いは、英国ではこれが離教によって開始された、ということです。その他については驚くほど類似しており、私たちは考えさせられます。アングリカニズム(英国聖公会)という名前を取ることになる新しい宗教は、ミサ聖祭、個人的な告解、聖職者の独身制などに対して攻撃することから始めました。ヘンリ8世は、英国民をローマから引き離すという巨大な責任を負った後に、当初は自分になされていた英語のミサという提案を拒否していました。しかし彼の死後には、ミサで英語を使うことが許されるようになり、行列は禁止され、新しいミサの式次第が強制されました。これが Order of Communion (聖餐式の式次第)と呼ばれるもので、それにはカトリックのミサの「オフェルトリウム(奉献の祈り)の部が無くなっていました。キリスト教徒らを安心させるために、その他の変更を加えることは禁止する命令が出されました。他方で第3の法令で、主任司祭は小教区の教会内にある諸聖人の御像や聖母マリアの像を廃止することが許されました。こうして極めて貴重な美術品が大量に売り飛ばされました。これは現在、教会の芸術品・美術品が骨董品屋やノミの市に売り飛ばされているのと全く同じです。

 新しい聖餐式の式次第(Order of Communion)が、私たちの主イエズス・キリストは私たちに霊的に御体と御血を与えるとあるので、イエズス・キリストの御聖体における現存のドグマを否定するものであると気がついた司教様たちはほんのわずかでした。告白の祈りであるコンフィテオールは英語に訳され、儀式の時に司祭と信徒とが同時に唱えるようになりました。これが罪の赦しの代わりになりました。ミサは食事に変わり、聖餐式になり(turning into a Communion)ました。しかし博学であった司教様たちでさえ、平和と一致を保つために、ついには新しい祈りの本を受け入れるようになりました。第二バチカン公会議後の教会が私たちに新しいミサを強制するのも、全く同じ理由からです。16世紀にはイギリスの司教たちは、ミサとは「記念」であると断言したのです! 大量になされたプロパガンダのために信徒らの頭の中も、ルター式のものの見方をするようになってしまいました。説教をするには、政府の許可を受けた人でなければなりませんでした。

 同時に、教皇は「ローマの司教」とでしか呼ばれなくなりました。教皇は、もはや聖父(パパ)ではなく、他の司教らの一兄弟でしかなく、英国の場合、自ら国教会の頭となった英国王の兄弟でしかないのです。ギリシア典礼とルター式サービスを混ぜ合わせた、クランマーの祈祷書(Prayer Book)というものが作られました。これは、ブニニ司教がパウロ六世のミサといわれるものを作った時に、典礼改革のための専門委員会(コンシリウム)に専属の6名のプロテスタントの「オブサーバー」たちと一緒に仕事をしていたことを思い出させないでしょうか。

 クランマーの祈祷書(Prayer Book)は次の言葉で始まっています。「晩餐そして聖餐は、一般にミサとよばれており・・・」と。これは新しいミサの総則第7条の前兆であり、同じことは1981年にルルドでの聖体大会で言われました。「主の晩餐、言い換えるとミサは、・・・」と。【訳者注:1969年版のローマ・ミサ典書総則7番がミサとは何かを説明してこう言う。「主の晩さん、またはミサは、・・・」】

 私が既に話した聖なるものの破壊は、アングリカンの改革でも含められていました。以前は小さな声で司祭が唱えていた典文の祈りは、大きな声で唱えなければならなくなりました。同じように現在の「聖体祭儀」でもそうなっています。

 クランマーの祈祷書(Prayer Book)も、「王国の内的一致を保存するため」司教らによって承認されました。「昔のミサ」をささげ続けていた司祭らは、聖職録の取り消しから、聖職の罷免までの刑罰を受けましたし、「再犯者」には終身禁固刑が待っていました。現代では、「聖伝の」司祭たちを刑務所には入れないものの、待遇はほとんど同じだと認めなければなりません。

 チューダー王朝のイギリスは、そうと気がつかない内に異端に落ちていきました。それは指導者の牧者らを始めとして時代の歴史的状況に適応させるという口実の元に変化を受け入れることによってでした。正に今日では、全キリスト教世界がこれと同じ道を辿る危険があります。もしも年をとった私たちが、ほんの少しの危険でも冒すなら、子供達・青年達・神学生達は、新しい要理書と臨床心理学と社会学で養成され、教義神学も倫理神学も教会法も教会史も全く学ばずに、本当のものではない「信仰」において教育されることになり、彼らが学ぶ新プロテスタント的概念を当たり前のこととして受け入れるようになってしまうということを考えたことがありますか? もしも私たちが抵抗しなかったら、明日のカトリック宗教はいったいどうなってしまうのでしょうか?

 読者の皆さんはこんなことを言う誘惑に駆られているかもしれません。「では私たちにいったい何が出来るというのか? 私たちにこれをしろ、あれをしろ、というのは司教様なのだ。ほら、この公文書は(司教様公認の)要理委員会が、または別の公式委員会が発表したものだ。(公式の司教様の権威に抵抗しろというのか?)」

 では、信仰を失う以外に何も残っていないと言うのでしょうか? そのような対応をする権利はありません。聖パウロは私たちにこう警告しました。「私たち自身であるにせよ、天からの天使であるにせよ、私たちがあなたたちに伝えたのとはちがう福音を告げる者にはのろいあれ。」(ガラチア1:8)

 これが真の従順の秘訣です。


教会がどうなってしまったのか分からなくなってしまったカトリック信者たちへ

第1章. なぜ今カトリック者たちは、困惑しているのか。原因は、カトリック教会に侵入した新しい精神。それは教会の過去の教えと生命とを疑問視させる。
第2章. 私たちの宗教は変えられようとしている!
第3章. 典礼改革:ミサ聖祭が全く日常の行為の位まで押し下げられている。非神聖化。聖なる物の喪失。
第4章. 永遠のミサと現代のミサ。典礼改革は意図的に犠牲を食事に変える。
第5章. 「それは昔の話ですよ!」
第6章. 洗礼と婚姻、悔悛と終油の秘蹟の新しい仕方
第7章. 新しい司祭職
第8章. 新しい公教要理
第9章. 現代の神学
第10章. エキュメニズム(キリスト教一致運動)
第11章. 信教の自由
第12章. 「同志」および「同伴者」たち
第13章. フランス革命のフリーメーソン的スローガン「自由・平等・博愛」は、第二バチカン公会議の「信教の自由、団体主義の平等、エキュメニズムの博愛」となった
第14章. 「第2バチカン公会議は教会内部のフランス革命だ」(スーネンス枢機卿)
第15章. 教会と革命の結合:リベラル派は教会を革命と結婚・合体さようとし、歴代の教皇たちはこのリベラルなカトリック主義を排斥し続けてきた
第16章. 信仰を瓦解させる新近代主義
第17章. 聖伝とは何か:聖伝とは「数世紀を経て教導職により伝えられてきた信仰の遺産」と定義される
第18章. 本当の従順と偽物の従順:「従順」の名によって全聖伝に不従順であることは本物の従順ではない。
第19章. エコンの神学校とローマ
第20章. 永遠のミサ
第21章. 異端でもなく、離教でもなく
第22章. 家族で出来ること:家族という組織単位が破壊されつつある、離婚、同性愛カップル、出生率の低下、中絶
第23章. 「作り上げること」と「壊し尽くすこと」との闘い



回勅『パッシェンディ・ドミニチ・グレジス Pascendi Dominici Gregis』 近代主義の誤謬について 聖ピオ十世教皇(1)

回勅『パッシェンディ・ドミニチ・グレジス Pascendi Dominici Gregis』 近代主義の誤謬について 聖ピオ十世教皇(2)

回勅『パッシェンディ・ドミニチ・グレジス Pascendi Dominici Gregis』 近代主義の誤謬について 聖ピオ十世教皇(3)


教会がどうなってしまったのか分からなくなってしまったカトリック信者たちへ 第17章 聖伝とは何か

2019年02月19日 | ルフェーブル大司教の言葉

教会がどうなってしまったのか分からなくなってしまったカトリック信者たちへ

ルフェーブル大司教の公開書簡 その17

第17章 聖伝とは何か

 今日でも過去においても、近代主義というものは実に内部から教会をむしばむものです。回勅『パッシェンディ』から、今日我々が経験している事柄に対応するいくつかの主要な点を再び引用してみましょう。

「教会の権威は、自らの目的が完全に霊的なものであることに鑑みて、公衆の眼前にその姿を飾るところの外的な壮麗さを脱ぎすてなければならない、と近代主義者らはいう。かかる主張を成すに当たって、彼らは、宗教は霊魂のためのものであるとは言え、ただ霊魂のためのみのものではなく、また権威に対して払われる敬意は、それを制定したキリストご自身に帰されることになる、という事実を忘れている。」

 パウロ六世が教皇冠を脱ぎ、司教たちが紫のスータンさらには黒いスータンをさえ着るのをやめ、司教の指輪も外し、司祭たちが仕事着や、いつも、わざとくだけたスタイルで現れるようになったのは、これら「新奇なことを語る者たち」の圧力のゆえです。すでに施行済みの一般的な改革や断固要求された改革の中には、近代主義改革者たちの「偏執狂的な」願望として聖ピオ十世が言及していない事柄などはありません。読者も次の文章を読めば、それらを理解するに違いありません。

「礼拝について彼らは、“外的な信心の数は減らされ、これ以上それが増えることのないように手段が講じられなければならない” と言います。・・・ 教会の統治機構が、今やことごとく民主主義を志向する現代人の意識に合致されねばならず、したがって聖職者の中でも低い階級に属する者たち、さらには一般信徒にさえも同機構において何がしかの役割が与えられるべきであること、また、過剰に一点集中している権威もまた、分権化されねばならないこと」を強く主張している。ローマ聖省、中でも特に図書検閲聖省ならびに検邪聖省も同様に改変されなければならない。・・・

 さらに一部の者は、プロテスタントの教師の教えに喜んで聞き入り、「聖職者の独身制の廃止」を望んでいる。」

 これらと全く同じ要求が現在提唱されており、その中に独創的なものは何一つないことに注目してください。キリスト教的思想と将来の司祭の要請に関し、ピオ十世の時代の改革者たちの意図は、「哲学史の単なる一章として種々の時代遅れの体系の中に位置づけられる」スコラ的哲学を放棄することでした。彼らは「“唯それのみが真でありかつ私たちの生きる時代に適合したものである現代哲学”が青少年に教えられるべきであり・・・ 合理的神学は現代哲学をその基礎とし、また実証神学は教義[発達]の歴史に基づいてなされるべきである」としています。

 この点で、近代主義者たちは、望んだ以上のものを得てきました。通称神学校なるものの中で、彼らは、聖トマス・アクィナスの代わりに人間学、精神分析学、およびマルクスを教えています。トマス主義の原則は、宇宙の摂理は説明できないことを自ら認める彼らのあいまいな理論のかたわらに退けられ、彼らはそのようにして不条理の哲学を唱道しています。現代のあるいい加減な考えの持ち主の司祭は、識者たちから注目され、性をすべての中心に置き、公式の集会で大胆にも次のように述べています。

「古代人の科学的仮説は全くばかげたものであり、聖トマスとオリゲネスは、そのようなたわごとに自分の学説の根拠を置いた。」

 その直後に彼は、非常識にも生命は「生物学上説明のつかない事実に基づく進化の連鎖」だと定義づけました。説明がつかないと、どうして彼に分かるのでしょうか。私に言わせるなら、司祭たる者が、それは天主によるという唯一の説明をどうして放棄できるのでしょうか。

 近代主義者たちが、天使的博士(聖トマス・アクィナスのこと)の原理、可能態と現実態の概念、また本質、実体、遇有、霊魂、身体などの概念に反して、自分たちの愚論を弁論しなければならないとしたら、彼らは無に帰すことになるでしょう。彼らはそのような概念を取り除くことにより、教会の神学を理解不可能なものとしているのです。そのために、教皇自発教令 『ドクトリス・アンジリチDoctoris Angelici』に「従って、聖なる規律を学ぶ学生たちは、天主が啓示し給うた教義が教導権によって提示されている、その言葉の意味さえ、もはや把握してはいない」とあるとおりです。スコラ哲学への攻撃は、教義を変え聖伝を攻撃したいと願う者にとって、必然のことなのです。

 しかし、聖伝とは一体何でしょうか。この語はしばしば誤って解釈されているように思えます。それは、仕事、家族、および市民生活において存在している「伝統・しきたり」と同一視されています。最後の一枚のタイルが敷かれたときに家の屋根に飾られる花束や、記念碑を公開するときのリボンカットなどのようなものと、です。私が述べているのはそうしたものとは異なります。聖伝とは、過去から受け継がれてきた習慣や、はっきりとした理由がないのに、単なる過去への忠義心から保たれてきた習慣から成り立っているのではありません。聖伝とは、「数世紀を経て教導職により伝えられてきた信仰の遺産」と定義されます。この遺産は、啓示により私たちに与えられたもの、つまり、使徒たちにゆだねられ、その後継者たちに確実に伝えられてきた「天主の言葉」なのです。

 しかし、今や彼らは、まるで私たちが使徒信条を与えられてはいないかのように、あるいは、私たちの主が真理をお授けになるため、一度限りいつも有効なように、この世に来たことなどあたかもなかったかのように、あらゆる人に探させ、求めさせようとします。そのように探すことで、何を見つけると言うのでしょうか。カトリック信者らは彼らによって「自分たちの確信を捨て」させられた後、彼らからそのような「もう一度問い直すこと」を押し付けられています。彼らは、次のことを思い出すべきです。つまり、啓示の遺産は、最後の使徒の死をもって終わった、ということです。それは完結したのであり、時の終わりに至るまで、それに触れることはできません。啓示は変更不可能なのです。第一バチカン公会議は、再度このことを明言しています。

「天主が啓示した信仰の教理は、人間の知能が完成するべき哲学的発見ではなく、キリストの花嫁(教会)に天主の遺産として委ねられたのであり、それは教会によって忠実に守られ、誤ることなく解釈されるためである。」

 しかし、聖母マリアが天主の御母であるとする教義は、431年、全実体変化の教義は1215年、教皇の無謬性の教義は1870年にしか遡らないではないか、と異議を唱える人もいるかもしれません。教義の進化はなかったのでしょうか? 全くありません。長い時の経過の中で定義されてきた教義は、啓示に含まれていたものです。教会はそれらをただ明確にしただけです。教皇ピオ12世が、1950年に聖母の被昇天の教義を定義した際、童貞聖マリアがその肉体とともに点に移されたという被昇天に関する真理が啓示の遺産に含まれていたこと、また最後の使徒の死以前に私たちに啓示されたテキストの中にすでにあったと述べました。私たちはこの点で、何であれ新しいものを持ち込むことはできませんし、たった一つの教義でも付け加えることはできません。しかし、存在しているものをかつてなく明快に、美しく、高尚に言い表すことならできるのです。

 これは極めて確実であり、私たちの前で日常的に繰り返される誤りを判断し、一切譲歩せずにそれらを退けるために、私たちが従うべき規定なのです。ボシュエが力強く書いているとおりです。

「キリスト教道徳の原理と教会の本質的な教義を説明するのが問題となるとき、全時代において、とりわけ古代において聖伝に出現していない事柄すべては、聖伝にないというその瞬間から、単に疑わしいのみならず、間違っており、排斥されるべきである。そしてこれが、教会の聖なる教父たち、そしてだれよりも教皇が、偽りの教義を排斥した際に従った根本原則である。何故ならローマ教会にとって、新奇な見解ほど忌まわしい事柄はないからである」。

 脅しつけられた忠実な信者たちに強要されている論点は、次のようなものです。「あなた方は過去にしがみついている。懐古趣味で、自分だけの時の中で生きている。」

 そう言われると、決まりが悪くなって、答えに窮するのです。しかし、実際のところ答えは簡単です。このことに関しては、過去も現在も未来もない、真理はすべての時代に属するのであり、不変だ、と言うべきなのです。

 彼らは聖伝を打ち崩すため、聖書と聖伝を対峙させますが、プロテスタント流の、福音書だけが重要な書であるとする主張をもってそうします。しかしながら、聖伝は福音書よりも前にあったのです。共観福音書は、ある人々が私たちに信じ込ませようとしているような遅い時期に書かれたのではありません。とはいえ、4人の福音史家が各々の書を完成させるまでに多年が経過していました。しかし、教会はそのときすでに存在していたのです。聖霊降臨が起こっていました。非常に多くの改宗者、実に3000人もの人々が、使徒たちが高間から出てきた聖霊降臨のその日その時に生み出されたのです。その時彼らは何を信じていたのでしょう。口頭伝承によらずして、啓示は一体どのようにして伝えられたというのでしょうか。誰も聖伝を聖書より軽んずることはできませんし、まして聖伝を退けることなどできません。

 しかし、こうした主張を受け入れて、彼らが霊感を受けた聖句に無限の敬意を抱いているとは思わないでください。彼らはそれが全体として霊感を受けていることに疑問を差しはさむことさえして、「福音書の中には、霊感を受けたものあるか。私たちの救いに必要な真理だけがそうだ」と言います。従って、奇跡や聖なる幼年期の記録、私たちの主の活動や振る舞いなどは、多かれ少なかれ伝説的な伝記部類に追いやられているのです。第二バチカン公会議において私たちは、「救いに必要な真理だけ」という言い回しについて論争しました。

 公会議中、福音書の歴史的な正真性を薄めることに賛成した司教たちもいて、新近代主義によりどれだけ聖職者が毒されているかが明らかになりました。カトリック信徒は欺かれることがないようにすべきです。全福音書は霊感を受けたものであり、それを書いた人々は、聖霊の影響下に知性が導かれていたのです。それゆえ、福音書は全体が天主のみ言葉、Verbum Dei なのです。選り好みをして「この部分は受け入れるが、あの部分は受け入れたくない」と言うことは今日許されてはいません。選択をすることは、その語のギリシャ語の由来からすると、異端者になるということです。

【第二バチカン公会議の『神の啓示に関する教義憲章』11番には「聖書は、神がわれわれの救いのために聖なる書に記録されることを望んだ真理を固く、忠実に、誤りなく教えるものと言わなければならない。」という一節がある。】

 福音書を私たちに伝えたのは聖伝であるというのは、事実以外の何ものでもなく、福音書の趣旨を私たちに説明することは、聖伝と教導権に属しているのです。もし私たちのためにだれも福音書を解き明かしてくれないとしたら、キリストの同じ言葉に関していくつか全く異なる解釈に到達することになるでしょう。そうなれば、結局私たちは、プロテスタントの勝手な解釈であるとか、単なる幻想へと人をいざなう今日のカリスマ運動の自由な「霊感」に行き着くことになってしまいます。

 教義に関する全ての公会議は、私たちに聖伝の厳密な表現、使徒たちが教えた事柄の厳密な表現を与えてきました。聖伝は変更を許さないものです。何人も、トレント公会議の教令を変更することはできません。理由は、教会の正式記録により記述され公にされたものであり、不可謬であるからです。ところが第二バチカン公会議では、教皇らはその不謬性を行使しようと望まなかったがゆえにその命題は不可謬とは限らないのです。したがって、「あなたは過去にしがみついており、トレント公会議に止まっている」などと誰も皆さんに言えないのです。なぜなら、トレント公会議は過去のものではないからです。聖伝は、時代を超越した性格を有し、あらゆる時代とあらゆる場所に当てはまるものだからです。

【参考資料】
聖ピオ十世「パッシェンディ」の内容と第二バチカン公会議後の改革

ルフェーブル大司教 公開書簡 「教会がどうなってしまったのか分からなくなってしまったカトリック信者たちへ 全23章」

第1章. なぜ今カトリック者たちは、困惑しているのか。原因は、カトリック教会に侵入した新しい精神。それは教会の過去の教えと生命とを疑問視させる。
第2章. 私たちの宗教は変えられようとしている!
第3章. 典礼改革:ミサ聖祭が全く日常の行為の位まで押し下げられている。非神聖化。聖なる物の喪失。
第4章. 永遠のミサと現代のミサ。典礼改革は意図的に犠牲を食事に変える。
第5章. 「それは昔の話ですよ!」
第6章. 洗礼と婚姻、悔悛と終油の秘蹟の新しい仕方
第7章. 新しい司祭職
第8章. 新しい公教要理
第9章. 現代の神学
第10章. エキュメニズム(キリスト教一致運動)
第11章. 信教の自由
第12章. 「同志」および「同伴者」たち
第13章. フランス革命のフリーメーソン的スローガン「自由・平等・博愛」は、第二バチカン公会議の「信教の自由、団体主義の平等、エキュメニズムの博愛」となった
第14章. 「第2バチカン公会議は教会内部のフランス革命だ」(スーネンス枢機卿)
第15章. 教会と革命の結合:リベラル派は教会を革命と結婚・合体さようとし、歴代の教皇たちはこのリベラルなカトリック主義を排斥し続けてきた
第16章. 信仰を瓦解させる新近代主義
第17章. 聖伝とは何か:聖伝とは「数世紀を経て教導職により伝えられてきた信仰の遺産」と定義される
第18章. 本当の従順と偽物の従順:「従順」の名によって全聖伝に不従順であることは本物の従順ではない。
第19章. エコンの神学校とローマ
第20章. 永遠のミサ
第21章. 異端でもなく、離教でもなく
第22章. 家族で出来ること:家族という組織単位が破壊されつつある、離婚、同性愛カップル、出生率の低下、中絶
第23章. 「作り上げること」と「壊し尽くすこと」との闘い


マルセル・ルフェーブル大司教が1976年6月29日にした歴史的な説教:聖伝を維持しながらこそ、ペトロの後継者(教皇)に対する私たちの愛と素直さと従順を表すことができる

2019年01月29日 | ルフェーブル大司教の言葉
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 マルセル・ルフェーブル大司教が1976年6月29日にエコンの神学校でなさった歴史的な説教をご紹介いたします。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


ルフェーブル大司教の説教 1976年6月29日

 愛する兄弟の皆さん、あらゆる国々、四方の彼方から来て下さった兄弟たちよ、私たちは、今、私たちの聖ピオ十世会にとって、又、教会にとって、非常に重要なこのときに、兄弟たちを歓迎することが出来て、又、兄弟たちをこれほど身近に感じることができ、大きな喜びを感じています。

 私は思います。巡礼者の皆さんが非常に遠く離れたところから、この儀式に参加するために、夜昼と無く旅をする犠牲を払ったのは、皆さんに、信念があったからであると。それは、教会の儀式に参加するために、心を喜ばせる儀式に参与するために来た、と言う信念です。なぜなら、皆さんが帰路につくときには、カトリック教会は続いていると安心するであろうからです。

 はい、私はよく知っています。このことをするに困難はたくさんあることを。こんなことをするのはむちゃだと私は言われました。私たちは行き止まりの道を歩んでいるとも、言われました。なぜなら、3ヶ月前から、3月19日の聖ヨゼフの祝日から特に、ローマから懇願や要請、命令、威嚇などがありました。それは、私たちの活動を止めるように、この司祭叙階式を中止するようにとのことでした。これらの要請は、ここ数日、緊迫したものでした。特にここ12日間というもの私たちは絶え間なくローマからのメッセージや使者を受けました。この叙階式を敢えてしないようにと、言われました。

 しかし、全く客観的になって、私たちにこの司祭叙階式をするなと求める人たちを動かす本当の動機は何なのかと言うことを探してみると、その深い動機を探ってみると、それは私たちがこの司祭たちを叙階するのは、彼らが永遠のミサを捧げるためであるから、と言うことがわかります。

 彼らは知っています。これらの新しい司祭たちが教会のミサに、聖伝のミサに、永遠のミサに忠実であることを。だからこそ私たちに叙階するな、と圧力をかけるのです。私にはその証拠があります。6回、ここ3週間というもの6回にわたって私たちは、ローマと通常の関係を結ぶようにと求められました。そして、その証拠として新しい典礼様式を受け入れ、私自身これを捧げるようにと言われました。私が新しい典礼様式で共に共同司式をして、私が喜んでこの新しい典礼を受け入れたと言うことを示せ、そして、それさえすれば、ローマと私たちの関係は平らになると言われました。

 私は、手に新しいミサ典書を手渡され、「ほら、これが、あなたがしなければならないミサです。そして、あなたの全ての修道院で、捧げなければならない新しいミサです。」と言われました。また、今日この6月29日、皆の前で、私たちが新しい典礼様式でミサを捧げれば、ローマと私たちの関係は、何もなかったかのようになる、とも言われました。

 ですから、ミサの問題でエコンとローマとの間のドラマが展開されていることは、明らかではっきりとしています。

 永遠の典礼様式を守ろうと望む私たちは誤っているのでしょうか。確かに、私たちは祈り、相談し、考察し、黙想し、私たちこそが誤りのなかにいるのではないか、あるいは、新しい典礼様式を受け入れない私たちには十分な理由がないのではないかと言うことを知ろうとしました。ところが、まさにそのローマからの使者たちが私たちに典礼様式を変えるようにと要求するその要求の仕方が、私たちをして考えさせました。

 そして、私たちには確信があります。まさに、この新しいミサの典礼様式が新しい信仰を表明していると言うことを。この新しい信仰は私たちの信仰ではないこと、カトリック信仰ではないことを。この新しいミサは、新しい信仰の、近代主義者の信仰のシンボル、表現、イメージです。なぜなら、聖なる公教会が長い歴史のなかで、私たちに下さったこの貴重な宝、すなわち、聖ピオ五世によって聖別されたミサ聖祭の典礼様式を守ろうと望んだのは、きわめて重大な意味があったからです。

 何故かというと、このミサのなかに私たちの信仰が全て含まれているからです。全てのカトリック信仰が、すなわち、聖三位一体への信仰、イエズス・キリストのご神性にたいする信仰、私たちの主イエズス・キリストの贖いへの信仰、私たちの罪の赦しのために流された私たちの主の贖いの御血にたいする信仰、ミサ聖祭、十字架、全ての秘跡から来る超自然の聖寵への信仰が、すべてあるのです。これら全てを私たちは信じています。そして、これが永遠のミサ聖祭を捧げながら信じていることなのです。

 ミサは私たちに信仰を教えるものであり、信仰の源です。ありとあらゆる方面から私たちの信仰が攻撃にあっている現代において、私たちにとって必要不可欠のものです。私たちには、この本当のミサが、この永遠のミサが、私たちの主イエズス・キリストのいけにえが必要なのです。それは、私たちの霊魂を聖霊と私たちの主のおん力によって満たすためです。

 ところで、次のことは明らかです。新しい典礼様式は、知っているか知らないかに関わらず、カトリックの宗教とは別の概念を、ある別の宗教を前提としています。つまり、ミサ聖祭を捧げるのは、もはや司祭ではありません。それは会衆です。このことのために、全てはプログラムされています。金輪際、教会の権威に取って代わるのは、会衆です。司教たちの個人的な権力に取って代わるのは、司教団です。教区のなかの司教の権力に取って代わるのは、司祭たちが集ってつくる司祭諮問会です。今後、教会を動かすのは、数です。そして、そのことはミサのなかで明らかに表明されています。ミサでは、会衆が司祭の代わりになっているからです。それは、今では多くの司祭が会衆のない時にはもはやミサを捧げようともしないと言うところまでいっています。

 徐々に、聖なる教会のなかに、ミサに関するプロテスタントの考え方が導入されています。そして、このことは現代人の考え方に、近代主義者の考え方にぴったりなのです。全く一致しています。なぜなら、民主主義の理想が、現代人の考え方だからです。つまり、権力は会衆のうちに、権威は人間、民衆のうちにあり、天主にではない、と言うことです。

 これは非常にゆゆしきことです。なぜなら、私たちは、天主は全能で、天主に全ての権威があり、全ての権威が天主から来ること Omnis potestas a Deoを信じているからです。私たちは、権威が人民から、底辺から由来するとは信じません。しかし、これが現代人の考え方なのです。そして、新しいミサは、この考え方を、底辺に権威があり、天主にではないと言うことをはっきりと表明しているのです。このミサは位階制度的なものではなく、民主的です。これは、非常に重大なことです。新しいミサは、新しいイデオロギーのまったき表明なのです。私たちのもっとも神聖な典礼様式によって、私たちをして現代人のイデオロギーのなかに入らせようとしているのです。

 そして、これが現在、教会を全て腐敗させてしまっています。なぜなら、ミサ聖祭において底辺に権力を認めるというこの考えによって、司祭職を崩壊しています。司祭職を崩壊するのです。司祭は何をするのでしょうか。司祭に叙階の秘跡の時に授与される個人的な権力、そしてこの権能を彼らこの将来の司祭らはしばらくすると受け、天主の民の上に立つべく刻印を霊魂に受けるのです。叙階の後、彼らはもはや、自分たちは他の人々と同じだと言うことが出来なくなります。そんなことは出来ません。彼らは、もはや他の人々は全く違う人になるのです。彼らは、天主の人になるのです。彼らは、敢えて言えば、司祭の刻印によって、イエズス・キリストの天主性に参与する人となるのです。なぜなら、イエズス・キリストは、永遠の司祭、メルキセデクの位による大司祭であり、イエズス・キリストは、すなわり天主の本性がお受けになった人間の本性と一致し、いとも聖なる童貞女マリアのご胎内で、人性を受けたその瞬間、イエズスは司祭となったのです。

 これらの若い司祭たちがが参与する聖寵は、成聖の聖寵ではありません。洗礼の聖寵によって、私たちをしてイエズス・キリストに参与させるその成聖の聖寵ではありません。司祭の聖寵は、一致の聖寵です。この一致の聖寵は、イエズス・キリストだけの独自のものです。彼らは、この一致の聖寵に参与するのです。なぜなら、天主の神性、御言葉の天主性に一致することによって、イエズス・キリストは司祭となり、イエズス・キリストは王となり、イエズス・キリストは審判官となったのですから。

 これゆえに、この地上でいかなる被造物も受けたことのない崇高な聖寵である一致の聖寵のために、イエズス・キリストは、全ての人々によって礼拝されなければならないのです。ちょうど聖なる油を受ける者が聖別されるように、この天主性の聖寵自体が、イエズス・キリストの人性の中に油を注がれる如く、天から降り、イエズス・キリストの人性は天主の御言葉の天主性によって浸透され、イエズス・キリストは司祭となった、すなわち、天と人との間に立つ仲介者となったのです。そして、まさしくこの聖寵にこの若い司祭たちは参与するのです。そしてこの聖寵のために、彼らは天主の民の上に立つのです。彼らも天主と天主の民との間に立つ仲介者となるのです。

 彼らは天主の民の単なる代表ではありません。彼らは、天主の民が委任した代理人でもありません。彼らは集会の座長ではありません。彼らは永遠に司祭なのです。永遠に司祭の刻印を押された司祭なのです。彼らを敬わないと言う権利は誰にもありません。たとえ彼ら自身がこの刻印を敬っていなかったとしてもです。彼らは常にこれを持ち続けるからです。これこそが私たちの信じていることです。これが私たちの信仰です。これが、私たちのミサ聖祭を構成するものです。ミサを捧げるのは司祭です。そして信者はこの捧げものに心から霊魂を込めて参与します。ミサを捧げるのは信者ではありません。その証拠に、司祭はたった一人でもミサ聖祭を捧げ、数千人が参与すると同じように同じ価値でミサを捧げるのです。そのミサには無限の価値があります。司祭によって捧げられたイエズス・キリストの犠牲は、無限の価値があるからです。これが私たちの信じていることです。

 だからこそ、私たちは考えます。私たちにはこの新しい典礼様式を受け入れることが出来ないと。この新しい典礼は、別のイデオロギーの作品だからです。別のイデオロギー、新しいイデオロギーの作品です。この世の考え方を身につけたら、皆を引きつけることが出来ると思ったのです。信じない人々の考え、現代人の考えを身につけたら、教会に人を、信じない人を、引きつけることが出来ると思ったのです。現代人の考えとは、リベラルで、複数の宗教を受け入れ、そして、イエズス・キリストの社会的王国を受け入れない考えです。このことは私自身が、聖座から送られた使者の口から2回も聞きました。彼らは私に「イエズス・キリストの社会的王国は現在不可能だ、今後は、絶対的に複数の宗教を受け入れなければならない」と言いました。これが彼らの言ったことです。

 教皇ピオ11世によってイエズス・キリストの社会王国についてこれほど美しく書かれた回勅、「回勅Quas Primasを、今日では、教皇様は書かないだろう」と聖座の公式の使者が私に言いました。

 私たちはこの宗教を受け入れません。私たちはこの新しい宗教を受け入れません。私たちは永遠の宗教を信じるものです。私たちの宗教は、カトリックの宗教です。私たちの宗教は、現在人々の言うところの「普遍宗教」ではありません。こんなのはカトリック宗教ではありません。私たちの宗教は、このリベラルな近代主義の宗教ではありません。この新しい宗教には、それの礼拝様式、それの司祭、それの信仰、その公教要理、その聖書、エキュメニカルな聖書があります。私たちは、エキュメニカル聖書を受け入れません。エキュメニカル聖書などというものはありません。天主の聖書だけがあります。聖霊の息吹によって書かれた聖霊の聖書、天主の言葉だけがあります。私たちには天主の言葉を人の言葉と混ぜ合わせる権利などありません。エキュメニカル聖書などというものはありえません。唯一の聖霊の言葉だけです。私たちは私たちの信仰宣言をもはや公言しない公教要理を受け入れません。などなど。私たちはこれらのことを受け入れることが出来ないのです。私たちの信仰と矛盾するからです。

 私たちは本当に非常に残念です。量り知ることの出来ないほど大きな悲しみです。私たちにとって大きな悲しみです。私たちの信仰のゆえに、私たちがローマと問題があるなどと考えただけでも、悲しみです。どうしてこんな事が可能なのでしょうか。これは、私たちの想像を遙かに超えたことです。私たちはに考えることもできません。私たちはそんなことがあるなどと信ずることもできませんでした。特に私たちの子供のころ、全ては画一的で、全ての教会で一致を信じ、同じことを信じ、同じ秘跡を行い、同じミサ聖祭を捧げていました。どこでも同じ公教要理を教えていました。そして、突然、分裂のなかにあります。引きちぎられる思いです。

 ローマから来た人たちに私は申しました。教会の中で、教えられ実践されている新しい宗教によるこの分裂によって、キリスト信者は家庭の中で引きちぎられ、子供たちは分断され、心は引き裂かれている、と。司祭たちは心と霊魂のうちに大きな苦痛を感じて若死にしています。彼らは何をしてよいかわからないのです。彼らは誰に従順に従ったらよいのかわからないのです。そして、従順に従うことによって子供のころからの信仰を失い、また、叙階の時に反近代主義宣誓をした約束を反故にするか、あるいは、私たちの聖父でおられ、聖ペトロを代表する教皇様と離れてしまっているような印象を受けるか、どうしたらよいのかと。なんと司祭の心は引き裂かれていることでしょうか。多くの司祭は若くして苦しみのあまり死に至っています。司祭たちは今ではその教会から追放され、迫害を受けています。なぜなら彼らが永遠のミサを捧げているからです。

 私たちは今、本当に劇的な状況にいます。私たちは、選ばなければなりません。敢えて言えば見かけ上の不従順か、あるいは私たちの信仰を捨てるかのどちらかです。ところで、教皇様は私たちに信仰を捨てるようにと命じることは出来ません。それは不可能です。ですから私たちは、信仰を捨てないことを選びます。なぜなら、そうすることによって私たちは間違うことがないからです。なぜなら、教会が2000年間教えてきたのです。教会がその間ずっと誤っていたと言うことはありえません。全くありえません。

 だから、私たちはこの聖伝にしがみつくのです。聖伝は、素晴らしく、決定的に、そうです、教皇聖ピオ五世がうまく言ったように決定的に、ミサ聖祭において表明されているからです。

 もしかしたら、明日、新聞紙上に、私たちを排斥する記事が載ることでしょう。全くあり得る話です。それは今日のこの叙階式のためです。私自身、多分に聖職停止の罰を受けることでしょう。これらの若い司祭たちは、「不規則」の罰を受け、原則的にはミサ聖祭を捧げることが出来ないとされることでしょう。あり得ることです。

 それなら、私は聖ピオ五世に訴えます。聖ピオ五世はその勅書のなかで、永久にいかなる司祭もこのミサを捧げるためにいかなる教会法上の罰を受けることが出来ない、と言っているからです。従って、これらの罰則と破門など、もしそのような話が出たとしても、全く無効です。それらの罰則は、聖ピオ五世がその勅書の中で永久に有効なこととして荘厳に宣言したことと反対だからです。

 この聖なるミサを捧げた、と言うことによりいかなる司祭にも、いかなる場合でも、いつでも、いかなる刑罰も課すことが出来ない、決して出来ない、との言葉に。何故でしょうか?なぜなら、このミサは列聖されたからです。聖ピオ五世は、このミサを決定的に列聖したのです。ところで、教皇様といえども、以前列聖されたものを、聖でないと言うことは出来ません。教皇様は新しい典礼様式を造ることは出来ます、しかし、列聖されたものからその列聖を取り消すことは出来ません。教皇様は、列聖されたミサを禁止することは出来ません。ですから、ある人が列聖された場合、別の教皇様がでてきてこの聖人は聖人ではないと言うことは出来ないのと同様です。そのようなことはありえません。

 この聖なるミサは、聖ピオ五世によって列聖されました。ですから、私たちは全く平安に、安全に、このミサを捧げることが出来るのです。そして、このミサを捧げることによって、私たちの信仰を宣言し、それを維持し、又、信者たちの信仰を維持させることが出来るのだと、私たちは確信しています。これこそが、信仰維持のための最良の方法です。

 だからこそ、私たちは今しばらく後に、この叙階を執行するのです。勿論、私たちは出来ることなら、昔のように、聖座から祝福をいただけることを期待していました。昔は、新しく叙階を受ける司祭たちのためにローマからの祝福がありました。私たちは、よき天主様がいらっしゃり、全てをご覧になり、私たちのするこの叙階式を祝福されておられ、将来、確かにお望みになっておられるその実りを得ること、そして、私たちを維持し、教会を維持されることを考えます。

 特に聖母マリア様に、又、今日の聖ペトロとパウロにお願いいたしましょう。

 司祭職の母である聖母マリア様に祈りましょう。これらの若き司祭たちに、真の司祭職の聖寵をお与え下さいますように。聖霊降臨の日にご自分の取り次ぎによって使徒たちに聖霊を与えたように、彼らに聖霊を下さるように。

 聖ペトロのパウロに、私たちにおいて聖ペトロにたいする信仰を維持するように、求めましょう。おお、そうです。私たちには、ペトロにたいする信仰があります。ペトロの後継者に対する信仰が。しかし、教皇ピオ9世が教義憲章の中で、よく言ったように、教皇が聖霊を受けたのは新しい真理を作り出すためではなく、永遠の信仰において私たちを維持するためである、と。これが、第1バチカン公会議の時に教皇ピオ9世によってなされた、教皇様の定義です。

 だからこそ私たちは確信しているのです。この聖伝を維持しながら、私たちは、ペトロの後継者に対する私たちの愛と素直さと従順を表すのであると。

 聖父の聖子と聖霊との聖名によりて、アーメン。

マルセル・ルフェーブル大司教 新しいミサと、ルターの典礼との驚くべき類似性は、信仰の問題を引き起こしている。祈りの法は、信仰の法だからだ。1975年2月15日

2019年01月25日 | ルフェーブル大司教の言葉
ルターのミサから新しいミサへ 
De la messe évangélique de Luther au nouvel Ordo Missae

Luther's Mass -- An Examination of the Shocking Similarities Between the New Mass and Luther's "Mass"

Von der Luthermesse zum Neuen Messritus

新しいミサと、ルターの典礼との驚くべき類似性は、信仰の問題を引き起こしている。Lex orandi, lex credendi (祈りの法は、信仰の法)だからだ。

 聖伝のミサこそ教会の基礎であり、キリスト教文明の基礎だ。もし教会に本当のミサが無くなるなら教会は姿を消してしまうだろう。

 私たちは聖伝の典礼、聖伝のいけにえを守らねばならない。私たちの素晴らしい教会はすべてこの聖伝のミサのために建てられた。別のミサのためではない。ミサのいけにえのためであって、最後の晩餐、会食、記念、交わりのためではない。



マルセル・ルフェーブル大司教
1975年2月15日イタリア・フィレンツェにての講演会



 今晩わたしはルターのミサとルターのした典礼の革新がどれほど新しいミサと似通っているかということを話したいと思います。

 なぜこのことを話す必要があるのでしょうか。なぜなら、典礼の改革を司った委員会の委員長自身が言うところによれば、この改革の根本には教会一致(エキュメニズム)の考えがあり、わたしたちはこの改革について考察せざるを得ないからです。なぜならもし新しいミサと、ルターの典礼とのこの親子関係が本当に存在することが証明できれば、有名な“Lex orandi, lex credendi” (祈りの法は、信仰の法)と言う格言に従って、神学上の問題すなわち信仰の問題生じざるを得ないからです。

 さて、ルターのした典礼の改革の歴史的書類は現在の改革を照らし出すうえで大変参考になります。

☆ ☆ ☆


 ルターのした典礼の改革の目的が一体何であったかということを理解するために、今簡単に司祭職とミサ聖祭に関する教会の教えをもう一度見ることにしましょう。

 トレント公会議はその第22総会においてこう私たちに教えています。我々の天主であり主であるイエズスキリストは、その司祭職を終わらせることを望まれず、その死にあたって、最後の晩餐において自分の愛する花嫁である教会に目に見えるいけにえを制定された。これはご自分の贖いの救いの力を我々が毎日犯す罪に適応させるためのものであった。この目的のためにご自分の使徒らを、彼らとその後継者らを、新約の司祭と制定し、新しい契約のこれらの司祭に聖なる消すことのできない印をつける品級の秘跡を制定した。

 この目に見えるいけにえは、現在我々の祭壇のうえでいけにえを捧げる行為によって捧げられている。これにより、我らの主は現実にパンとブドウ酒の形相の下に実在され、ご自分を天主御父にいけにえとして捧げられるのである。そしてこのいけにえを食することにより我々は主の御体と御血と交わり我々も自己を主と一致して捧げるのである。

 したがって教会は次のことを私たちに教えています。

 司祭の司祭職は、叙階の秘跡を受けていない平信徒の司祭職と本質的に異なっていること。平信徒は司祭職を絶対的に必要とする教会の一部をなしてはいますが、(秘跡的) 司祭職をもっていません。そしてこの司祭職には極めて独身がふさわしく、司祭用の服装などによって平信徒と外的に区別することがふさわしいのです。 この司祭職によって行使される礼拝式の本質的行為は、ミサ聖祭です。これは十字架のいけにえが流血のいけにえでありましたが、ミサにおいては無流血のいけにえであるということのみが異なるだけです。司祭は聖変化の言葉によって実現されるいけにえを捧げる行為によってミサを執行するのであって、ご受難のあるいは最後の晩餐の記念を単に朗読することによってミサをたてるのではないのです。

 この崇高で神秘的な行為によって私たちの霊魂と煉獄の霊魂の各々に贖いの功徳が適応されるのです。そしてそのことは奉献文においてすばらしく表明されています。

 したがって、いけにえが現実に存在することは必要であり、この実在はパンとブドウ酒の実体が我らの主の御体と御血に変化することによってなされるのです。したがって御聖体を私たちは礼拝しなければならないのです。そして御聖体に対して非常に大きな尊敬を払うべきです。それゆえにこそ司祭だけが御聖体を取り扱うという聖伝が生まれたのです。「司祭がただ一人だけで捧げるミサ」、そして「司祭一人だけが聖体拝領をするミサ」は、それだけで公の行為であり、ミサ聖祭としての全く同じ価値をもっています。そしてこのミサは司祭にとってもすべての信者らにとっても有益なのです。「司祭一人が立てるミサ」をこうして教会は勧め、望んでいるのです。

 ラテン語のミサの正に中核を構成する祈り、聖歌、典礼儀式(そしてその「宝石」はカノンですが)それらの起源にはこれらの信仰の原理があるのです。私たちはトレント公会議の言うところを読むと感動を覚えずにはいられません。「聖なるものを聖なるものとして取り扱うことはふさわしいことであり、このいけにえはすべての中で最も聖なるものであるのであるから、このいけにえがふさわしくかつ尊敬をもって捧げられ受けられるために、カトリック教会は数世紀以前より、そのうちに成聖を息吹かせ、外的信心を催し、このミサを捧げるものの精神を天主に上げるような、これに反するもののまったくないすべての誤謬から免れた純粋な、聖なるカノンを制定した。このカノンは実に主のみ言葉それ自体、使徒らの聖伝、聖なる教皇らの敬虔な指導からできている。」(第22総会第4章)

☆ ☆ ☆


 では今から一体どうやってルターがその宗教改革を成し遂げたか、つまり彼自身がそう呼んだその『福音的ミサ』をどう作り上げ、それは一体どんな精神に基づいていたのか見てみましょう。このために1910年にレオン・クリスチアーニの書いた本を見ることにします。この本は現在の典礼改革の影響を受けていないはずですから。この本は「ルター主義からプロテスタンティズムへ」と言う題がついています。この本は典礼改革についてのルター自身の言葉やその弟子らの言葉を引用しているので大変興味深いのです。

 この研究は大変多くを教えてくれます。なぜならルターは自分を動かしていたリベラル(自由放埒)な精神を明かすことを躊躇していないからです。かれはこう書いています。「何よりもまず私は友としてこう懇願する。・・・神に対する「サービス」に関するこの命令を調べ、それに従いたいと思うものは、自分を束縛する法律のようにこれを読み取ったり、またいかなる良心も捉えられないようにしていただきたい。各々自分の好きなように自分の好きなときにそれを取り入れていただきたい。それがキリスト者の自由というものです。」

 「神に対する称賛としての礼拝式は、今後からは、人を慰め人を照らすために人に対してなされることになります。したがって今までは、いけにえが第1に重要な場所を占めていましたが、今度からは説教がそれに取って変わることでしょう。」

 では、ルターは司祭職についてどのような考えをもっていたのでしょうか。彼の「一人でのミサ」に関する本の中にはカトリック司祭職は悪魔の発明であることを証明しようとやっきになっています。そのためにこそ、彼はそれ以後基本的になるこの原理を持ち出すのです。「聖書にないことはサタンの付け加えたことである」と。さて聖書には目に見える司祭職については書かれていません。聖書には唯一の司祭唯一の大司祭、キリストのことについてしか書かれていません。さらにはキリストと共にわたしたちはすべて司祭である、と。司祭職は唯一であると同時に普遍的である、と。そこでルターは「司祭職を誰かのために独占するのは何という愚かなことか・・・。キリスト者の間のすべての位階的区別をつけるのは反キリストにふさわしい…。いわゆる『司祭』は災いなことよ。」と言うのです。

 1520年には、彼は「ドイツのキリスト教貴族への宣言」と言う本を書いていますがその中で彼は「ローマ主義者」に戦いを挑み自由公会議を求めています。

 「ローマ主義者が作った最初の高い壁」は聖職者と平信徒との区別である。「教皇、司教、司祭、修道者、が聖職者の身分を構成し、他方で君主、領主、職人、農民が世俗の身分を作り成す、ということに気づいたが、これは全くの作り事でありウソにすぎない。すべてのキリスト者は真実に聖職者の身分に属しており、役割の違いのほかキリスト者の間にいかなる区別もない。…もし教皇あるいは司教が塗油をし、剃髪式、叙階式、聖別式をし、平信徒とは違った服を着るとしたら、見せかけを作り上げ、塗油を受けた偶像を作ることはできるが、キリスト者も聖職者をも作ることができない。洗礼を受けたものはすべてすべて聖別された司祭、司教、教皇ということができる。ただしすべてがこの役割を果たすことがふさわしいとは言えないが。」と言っているのです。

 この教義から、ルターは聖職者の特別の服と独身制とに対し反対するのです。彼自身、また彼の弟子らもその模範を示し彼らは独身をやめ結婚するのです。

 バチカン公会議の改革から出た事実は、ルターの結論とどれ程似ているでしょうか。修道服の廃止、聖座によって認められた数多くの結婚、司祭と平信徒とを区別するすべての印の欠如。この平等主義は、今まで司祭にしか認められていなかった典礼の役職を平信徒にまで認めることによって明らかにされるほどです。

 下級品級の廃止、副助祭の廃止、結婚した助祭、これらは司祭は全く純粋に役職・役目でしか過ぎないという考えを生み、司祭職の秘跡的印を否定するのを促しています。叙階式は共同体へのサービス[奉仕の司祭職]という方向に向けられ、司祭職のカトリック的概念を唯一正当化する『いけにえ』のためではもはやなくなっています。

 労働司祭、組合活動主義者、あるいは国家によって俸給を受ける別の内職を求める司祭など、すべての区別を無くしてしまっています。彼らはルターのやったことよりはるか先を行っています。

 ルターの犯した第2に重大な教義上の誤謬は、この第1の誤謬の続きでありその第1原理に基づいています。すなわち、信仰あるいは信頼が救うのであって、業ではないということ。そしてこれはカトリックミサにおいて最も基本的であるいけにえを捧げる行為を否定することなのです。ルターにとって、ミサは賛美のいけにえ、すなわち賛美、感謝の行為ではありうるけれども、決して償いのためのいけにえ、十字架のいけにえを更新し適応させる贖罪のいけにえなどではないのです。

 修道院内の礼拝式の「退廃」について彼はこう言います。
「彼らの礼拝式の基本的要素、すなわちミサは、不敬虔、忌まわしさのすべて度を過ぎている。彼らはいけにえを捧げ良い業をしているという。これ[=ミサのこと]以外に修道服を脱ぎ捨て、修道院を出、誓願を破る動機はなかったではないか。ミサはそうするのに全く十分である。」
「ミサは『シナックス(集い)』であり交わりである。御聖体は3重のそして嘆かわしい捕虜となってしまった。平信徒の手からカリスを取り上げてしてしまったこと、トミストらが思いついた全実体変化に関する意見をドグマとして押し付けたこと、ミサをいけにえとしてしまったこと、これである。」

 ルターはここで最も重要な点に触れています。しかし彼は少しも躊躇してはいません。「したがって罪のために、罪の償いのために、死者のために、ミサを捧げ・適応するのは明らかなるそして不敬虔な誤謬である。…ミサは神によって人に捧げられたものであり、人によって天主に捧げられたものではない。」と彼は書いています。

 御聖体に関しては、「何よりもまず信仰を駆り立てなければならないものなのであり、俗語で捧げられなければならない。それはすべてが彼らに言われている約束の偉大さをよく理解することができるためである。」

 ルターはこの異端の結論として、いけにえの贖罪とあがないの目的をはっきりと表明している奉献文を廃止します。彼はカノンの大部分を廃止し、基本的な所のみを保存するのですが、しかしそれもただ最後の晩餐の叙述として残すだけです。

 最後の晩餐において成し遂げられたことに、もっと近づくために彼はパンの聖変化の言葉に「quod pro vobis tradetur(あなたたちのために渡される)」と言う言葉を付け加えるのです。そして「mysterium fidei(信仰の神秘)」という言葉と「pro multis(多くの人のために)」という言葉を廃止するのです。彼は、パンとブドウ酒の聖変化の前の言葉、そしてそれに続く文章を叙述の基本的な言葉として考えるのです。

 彼はミサをまず第1にみ言葉の典礼、第2に聖体拝領(交わり)と考えるのです。

 新しい典礼改革はルターのと全く同じ変化をもたらし、本当に信者たちが手にする現代のテキストにはもはやいけにえについては語られず、ただみ言葉の祭儀、最後の晩餐の叙述、パンあるいは御聖体の分かち合いしか語らない、というのを目前にし驚愕せざるをえません。

 新しいミサを導入する総則の第4項を見ると既にプロテスタントの考え方を表しています。それの発表の後になされた訂正は満足のいくものでは全くありあせん。

 祭壇石の廃止、ただ1枚の祭壇布しか覆われていないテーブルの導入、会衆の方に面する司祭、コルポラーレではなく常にパテナのうえにおかれたままのホスチア、普通のパンを使うことの許可、金銀の貴金属以外のいろいろな材質でできた器、そしてその他数多くの詳細な革新は、基本的にそして非常に重大にカトリックの教えに反したプロテスタントの概念を、新しいミサに与かる人に教え込んでいるのです。

 ミサ聖祭よりもカトリック教会が生き残るために必要なものはありません。ミサを打ち捨てることは教会の基礎それ自体を揺るがすことに等しいのです。キリスト教生活、修道生活、司祭生活はすべて十字架のうえに、祭壇上に新しくされる十字架の聖なるいけにえの上に築かれているのです。

 ルターはそのことからカトリック教会が教えているような全実体変化及びキリストの現存を結論として否定したのです。彼にとって、パンはそのまま残るのです。したがって彼の弟子で、御聖体の礼拝に反して強烈に立ち上がったメランクトンが言うように、「キリストは聖体を自分の受難の記念として制定した。聖体を礼拝することは偶像崇拝である」のです。

 そこから、手による聖体拝領、両形色の聖体拝領が生まれ、それは我らの主の御体、御血の現存をその両形色において否定しているのです。ですから、一つの形色だけによる聖体拝領は不完全だと考えられるのです。

 ここでもさらに現在の典礼改革とルターの典礼改革との奇妙な一致を計ることができます。御聖体の取り扱いに関する新しい許可はますます尊敬を欠かせ、忘れさせ、礼拝をさせないように向いているのです。手による聖体拝領、平信徒が、しかも女性が聖体を配ること、跪く回数を減少させ、数多くの司祭は既に跪くことをしなくなってしまったこと、普通のパンを使ったり、普通の容器をカリス替わりに使ったりすること、これらのすべての改革はカトリック教会が今まで教えてきた御聖体における現存を否定するのに役立っているのです。

 《Lex orandi lex credendi》と言う格言の通り、原理は実践と分かち難く結び付いているので、ルターの典礼改革をミサの典礼において真似ることは、少しづつ、しかし確実に、ルターの考えそのものを受け入れるようにと導いているのです。新しいミサが発表されて後ここ6年の経験はこのことを十分によく証明してくれます。このような、宗教統一的といわれるやり方の結果はまず信仰の領域に於いて壊滅的であり、特に司祭職の腐敗、召命の希少化に於いて特にひどく、全く身近なこの典礼に関する問題についてどこにおいてでもカトリック信者の一致を破壊し、プロテスタントやギリシャ正教会の信者との関係に悪影響を与えています。

 教会の生命活動に欠かすことのできないそして教会にとって基本的であるこの「司祭・いけにえ・御聖体」に関するプロテスタントたちの考えはカトリック教会の信仰と全く完全に反対です。トレント公会議が開かれ、4世紀にも亙って教導職のすべての文章がそれについて語っているのは、おもしろ半分でのことではなく、深い意義があることなのです。

 カトリック信者にとって、まさに自分の信仰の表明であり支えである典礼を、異端者どもが思いついた新しい典礼を受け入れるために放棄することは、しかも自分の信仰を最も大いなる危険にさらすことなしに放棄することは、心理的に、司牧的に、神学的に全く不可能なことです。プロテスタントのしていることをプロテスタントにならずに何でもかんでもまねするというのはできない相談です。

 どれ程多くの信者たちが、どれ程の若い司祭たちが、どれ程の司教様たちがこの典礼改革以降信仰を失ってしまったことか! 自然と信仰に真っ向から反対すればそのしっぺ返しは必ず食うものです。

☆ ☆ ☆


 最初の「福音的ミサ」の様子をそしてその結末をここで皆さんに読んでみるのは2つの典礼改革がいかに奇妙なほど似通っているかということを納得してもらうために役立つと思います。

 「1521年12月24・25日の夜、群衆は教区の教会に押しかける。…「福音的ミサ」は始まろうとしていた。カールシュタットは説教壇に登り、聖体について説教する。彼は聖体を両形色で拝領する義務があると言い、聖体拝領の前の告解は無意味であるという。信仰だけで十分である、と。カールシュタットは普通の服装で祭壇に立つ。コンフィテオールを唱え聖福音の所までは普通のとおりにミサを始める。奉献の祈り、聖体奉挙などいけにえの概念を呼び起こすものはすべて省かれる。聖変化の後に聖体拝領がくる。参列者の中の多くはほとんど告解をしていなかった。彼らの多くは飲み食いし焼酎を飲んでいたものもあった。彼らも他の人と共に祭壇に近づく。カールシュタットはホスチアを配りカリスを差し出す。聖体拝領する人は手で聖別されたパンを受け取り自分で好きなようにカリスから飲む。ホスチアの一つはスルリと落ちて参列者の服に落ちる。司祭はそれを拾う。もう一つは地面に落ちる。カールシュタットは平信徒にそれを拾うようにと命じる。平信徒が尊敬あるいは迷信のしぐさをしてそれを拒むとカールシュタットは「もし誰もその上を歩かないのなら、それではその落ちたところにそのままあればよい」と言うに過ぎなかった。」

 その同じ日に、その付近のある司祭はおよそ50人ほどの人に両形色で聖体を配った。彼らのうちたった5人だけが告解をしていたに過ぎなかった。その他の人達はミサ中に赦しを受け、罪の償いにもう再び罪に落ちるなと勧められただけであった。

 翌日カールシュタットはアンナ・デ・モハウとの婚約式をした。幾人かの司祭たちはこの模範に従い結婚した。

 この時、ツウィングリは自分の修道院を抜け出しアイレンブルクで説教していた。彼は修道服を脱ぎ捨て髭を生やしていた。平信徒の服装で司祭一人だけのミサに反対していた。新年には両形色で聖体を配る。ホスチアは手から手へと配られていた。自分のポケットに入れてもって帰ったものもいた。ある婦人はホスチアを食しながらそのかけらを地面に落としていた。誰もそのことに注意を払わない。平信徒は自分でカリスを取りなみなみと飲んでいた。

 1522年2月29日、ツウィングリはカタリン・ファルキと結婚した。当時まさに「司祭と修道者の結婚」という伝染病がはやっていた。修道院は空っぽになり始めた。修道院に留まった修道者たちは、1つの例外を除いて、祭壇を打ち壊し、諸聖人の聖画を焼き払い、病者のための聖香油さえ焼き捨てた。

 司祭の間には全くの大きな無秩序が支配していた。誰もが自分の好き勝手にしたい放題のミサを立てていた。協議会は典礼の改革のために秩序を取り戻そうと新しい典礼を決定することを決議した。

 それでどうやってミサを立てるかというやり方を決めた。入祭唱、グロリア、書簡、福音、サンクトゥスは残された。その後に説教。奉献文とカノンは廃止された。司祭はただ単に最後の晩餐の制定を朗読する。聖変化の言葉は大きな声でドイツ語でする。聖体は両形色で配られる。アニュス・デイの歌、聖体拝領の歌、そしてベネディカムス・ドミノの歌でサービスは終わる。

 ルターは新しい聖歌を作るのが心配だった。うまい詩を探すのだがなかなか見つからない。聖人の祝日は姿を消す。ルターは典礼の過渡期をうまく乗り越える。彼は古い儀式をできるだけ残そうとする。彼はその方向づけを(なるべく穏やかに徐々に)変えようとやっきになる。ミサは大部分その外見はそのままを保つ。民衆は教会建築の中に同じ装飾を再び見いだす、民衆の気に入るように仕組まれた同じ儀式。今後は今まで以前よりもずっと民衆に訴えるようになる。礼拝式を重要視することにますます気が付く。民衆は、聖歌や声を出しての祈りなどによりますます積極的に礼拝式に参加する。少しづつ、そして決定的にラテン語はドイツ語に席を譲る。

 聖変化はドイツ語で歌われる。聖変化はこの言葉でなされる。「我らの主は渡される夜パンを取り感謝してそれを割き、弟子らに与えてこう言われた。取って食べなさいこれはあなたがたのために渡されるわたしのからだ。あなたがたがこれを行う度にわたしの記念としてこれを行いなさい。同じく食事の後に杯を取りこう言われた。取って皆これを飲みなさい。これは、あなたたちのために流される罪の許しのための私の血におけるカリス、新しい契約。このカリスを飲むたびごとにこれを私の記念として行いなさい。」

 こうして『quod pro vobis tradetur』『あなたたちのために渡される』と言う言葉が付け加えられ、ブドウ酒の聖変化において『信仰の神秘』『多くの人のために』と言う言葉が省かれるのです。

 この「福音的ミサ」似関する叙述は公会議以後の典礼改革に対して私たちが思っているのと同じことを言ってはいないでしょうか。

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 新しいミサにおけるこれらの変化は本当に危険です。何故なら、少しずつ、特にいけにえの観念がもはやなく、聖体における現存や全実態変化の観念のない若い司祭にとってこれらは何の意味ももたず、教会がすることをするという意向を失ってしまうからです。そうするともはや彼らのミサは有効ではないのです。

 確かに、もしも年を取った司祭たちはたとえ新しいミサを捧げるときでも今までの信仰を保っており、また更に彼らは長年の間古いローマ・ミサを捧げて来たし、彼らはその意向を保っている、としたら、彼らのミサは有効だと信じることができます。しかし、彼らのこの意向が無くなるに従って、それがどこかに行ってしまうに従って彼らのミサももはや有効ではなくなってしまうのです。

 彼らはプロテスタントに近づこうとしましたがその結果としてカトリックがプロテスタントになり、プロテスタントがカトリックになったのではないのです。そのことは一目瞭然です。

 5人の枢機卿と15人の司教がテーゼの『青年の公会議』に参加したときのこと、これらの青年達はどうやってカトリシズムとは何か、プロテスタンティズムとは何かと言うことを知り得たでしょうか。あるものはプロテスタントのところで聖体拝領し、あるものはカトリックのところで聖体拝領をしました。

 ウィルブランズ枢機教がジュネーブで開かれた教会統一協議会へ行ったとき、こう宣言しました。「我々はルターの名誉を回復させなければならない。」彼は聖座からの勅使としてこう言うのです!

 告解の秘跡を見てください。合同回心式の為にこの改悛の秘跡は一体どうなってしまったのでしょうか! 信者にこう言うのは司牧的でしょうか。「集団的に許しを与えました。聖体拝領することができます。もし機会があったら、そしてもし大罪を犯していたのなら、今から6カ月かあるいは1年のうちに告解を個別的にしてください。」こんなやり方が司牧的なのでしょうか。大罪について人はどのように考えるようになることでしょうか。

 堅振の秘跡も全く同じ状況にあります。今流行の形相はこれです。「我、汝に十字架の印をする、聖霊を受けよ。」しかし、聖霊がこの秘跡によって自分を私たちに与えるその秘跡の特別の聖寵が何であるかを正確に言わなければなりません。もし、この「Ego te confirmo in nomine Patris...」という言葉を言わないとすれば、秘跡ではないのです。私はそのことを枢機卿たちに言いました。なぜなら彼らは私にこう言ったからです。「あなたは堅振の秘跡を授ける権利の無いところでそれをしている」と。

「信者たちが自分の子供達が堅振の聖寵を受け取らないのではないかと恐れているから、今の教会で与えられている堅振の秘跡の有効性に彼らは疑いを抱いているので、私は堅振を授けるのです。少なくともその聖寵を確実に得ようと私に堅振を与えてくれと頼むからです。私にとって私に有効な堅振を頼む人々の願を拒むことはできないので、たとえそれが不合法だとしても私はそれをするのです。なぜなら、教会の人定法が天主の自然法・超自然法の運河である替わりにそれに対立しているとき、天主の自然・超自然の法が教会人定法に勝るからであり、我々は今そのときを生きているからです。」

 私たちは今、教会の異常な危機の時代を生きています。私たちはこれらの改革については行けません。これらの改革のよき実りとはどこにあるのでしょうか。私は本当に自問自答します。典礼改革、神学校の改革、修道会の改革、すべての修道会の最高幹部会の改革。これらのかわいそうな修道院を一体どこにやってしまったのですか! みんな跡形もなく消えてしまいました。もはや修練者もなく、召命もありません。

 シンシナッティーの枢機教大司教は、ローマにおける司教らのシノドゥスでやはりこう認めました。「私たちの国々では ─英語を話す国々を指してのことですが─ 司祭とは一体なんであるか皆がよく知らないのでもはや召命が無くなってしまった。」

 ですから私たちは聖伝に留まらなくてはなりません。聖伝だけが私たちに本当に聖寵を与えてくれます。教会における継続性を与えてくれます。もし私たちが聖伝を打ち捨てるとき、私たちは教会の破壊に貢献するときです。

 私はこれらの枢機卿たちにこう申し上げました。「公会議の中の信教の自由に関する概要は矛盾しているということに気が付きませんか。この概要の第1部には『聖伝は何も変えてはならない』と言われているのに、この概要の内部ではすべてが聖伝の反対を言っています。この概要はグレゴリオ16世やピオ9世そしてレオ13世の言ったことと全く反対です。」と。

 ですから、選ばなくてはなりません。公会議の説く信教の自由に賛成し、これらの教皇様がたの言われ続けて来たことに反対するか、あるいは、これらの教皇様の言われることに賛成して信教の自由に関するこの概要の中で言われていることにもはや賛成しないかのいずれかです。この2つに同時に賛成する・同意することは全く不可能です。

 私はこう付け加えて言いました。「私は聖伝を取ります。私は聖伝を支持します。自由放埒主義と言った革新は支持しません。この1世紀半の間、すべての教皇様が排斥して来たのはまさしくこの自由放埒主義以外の何物でもないのです。この自由放埒主義が公会議を通して教会の中に入って来たのです。自由・平等・博愛の自由放埒主義が。」

 自由、それは信教の自由のことです。平等、それは司教団主義です。博愛、それは宗教統一運動です。そしてこれらが自由放埒主義の3つの原理で、これは17世紀の哲学から来たのです。そしてこの原理がフランス革命を生んだのです。

 そしてこの観念があいまいな言葉によって公会議の中に入ったのです。そして今ではこのために私たちは崩壊に、教会の崩壊へと向かっているのです。何故なら、それらの観念は自然と信仰とに反しているからです。私たちの間に完全な平等はありません。私たちは何から何まで全く等しいわけではありません。教皇レオ13世はその自由に関する回勅の中でそのことをはっきりとすばらしく言い表しました。

 それから博愛(兄弟愛)について、もし一人の父がいないのなら、どこから兄弟愛を見つけるのでしょうか。もし天主様がいないのなら、もし天にまします父がいないのなら、どうして私たちが兄弟でありうるでしょうか。共通の父が無くしてどうして兄弟たり得るでしょうか。不可能です。無理な相談です。教会のすべての敵の言うなりにならねばならないのでしょうか。共産主義者、仏教徒、そして教会に反対するすべての人の思いのままにですか。フリーメーソンとか。

 今から一週間前に発表された法令によると、フリーメーソンに入会するカトリック信者にはもはや破門の制裁は無いのだそうです。フリーメーソンはポルトガルを破壊しました。一体誰がチリにアレンデと共にいたのでしょうか。そして今では南ベトナムにいます。彼らはカトリック国家をすべて破壊し尽くさねばならないと言います。第1次世界大戦中のオーストリア、ハンガリー、ポーランドなどなど。フリーメーソンはカトリック国の破壊を望んでいるのです。フリーメーソンの活動はスペイン、イタリアではどうでしょうか。何故教会は教会の敵であるこれらの人に両手を広げるのでしょうか。

 ああ、私たちはどれほど祈り、祈らなければならないでしょうか!私たちは今まで見たことも無かったような悪魔の教会に対する攻撃のときを生きています。私たちは聖母に、至福なる童貞マリア様に、私達の助けに来てくださるように祈らねばなりません。何故なら私たちは本当に明日がどうなるか全く分からないからです。天主様が、ご自分の御稜威、その御光栄に対してなされたこれらすべての冒涜、涜聖、汚聖を受け入れるはずがありません。多くの国々で見られるようになってしまった堕胎の法律、イタリアにおける離婚の許可、これらすべての道徳に関する法律の壊滅、真理の壊滅を思ってみてください。ある日、天主様がそれに対して口を開かず、この世を厳しく罰し給う事なくそのまま済まされるなどとは到底思えません。

 それゆえにこそ、私たちは自分たちのためそして私たちの兄弟たちのために天主様に御憐れみを請い求めねばなりません。しかし私たちは戦い勝ち抜かねばなりません。聖伝を守り抜くために戦い恐れてはなりません。とりわけ私達の聖なるミサの典礼を維持しなければなりません。何故ならこのミサこそ教会の基礎であり、キリスト教文明の基礎だからです。もし教会内に本当のミサが無くなってしまうなら教会は姿を消してしまうでしょう。

 私たちはこの典礼を、このいけにえを守らねばなりません。私たちの教会はすべてこのミサのために建てられました。別のミサのためではないのです。ミサのいけにえのためであって、最後の晩餐、会食、記念、交わりのためではないのです。いいえ、違います。私たちの祭壇上で続けられる我らの主イエズス・キリストのいけにえのためです。そのためにこそ私たちの祖先はこれらの素晴らしい教会を建てたのです。決して会食や記念のためではありません。違います!

 私は神学生のために捧げられる皆さんの祈りに期待しています。わたしの神学生たちが本当の司祭になるように。信仰をもち、かくして本当の秘跡と本当のミサのいけにえを与えることができるように。お願いします。

教会がどうなってしまったのか分からなくなってしまったカトリック信者たちへ【その16】

2018年10月03日 | ルフェーブル大司教の言葉
教会がどうなってしまったのか分からなくなってしまったカトリック信者たちへ

ルフェーブル大司教の公開書簡 その16



第16章 信仰を瓦解させる新近代主義

教会の聖職者たちのカトリック用語はほとんどが新しくなってしまいましたが、中には生き残った用語もあります。「信仰」という言葉はその生き残りの一つです。しかしこの言葉ほど様々な別の意味で使われているものはありません。

ところで信仰という言葉の定義は存在しており、それを変えることはできません。キリスト者が霧の中にあるようなもったいぶった演説を聴いて何のことか分からなくなってしまった時、まさにこの定義に立ち戻らなければなりません。

信仰とは、天主の御言葉によって啓示された真理に知性が固執することです。私たちは自分の外部から来る真理を信じます。私たちが信じる真理は、何らかの仕方で私たちの精神によって隠されている(私たちの内部からの)ものではありません。私たちは、私たちに真理を啓示し給う天主の権威の故にそれを信じます。それ以外のところに信仰を探してはなりません。

この信仰は、いかなる人であっても私たちから取り上げて別のものと取り替えてしまう権利などありません。近代主義による信仰の定義は、既に80年前に排斥されていますが、それがまた顔を出しているのを見ています。近代主義によると、信仰とは「内的な感情」ということになっています。近代主義は、宗教の説明を人間の外に探してはならないと主張します。

「宗教とは一種の生命なのであるから、かかる説明は当然のごとく人間の生命の内に見出されなければならない。」

近代主義によれば、信仰とは何か純粋に主観的なもの、霊魂が天主へと固執することであるけれども私たちの知性には近寄ることのできないもの、各人がそれぞれに持っているもの、一人一人が自分の良心のうちにあるもの、とされます。

近代主義はつい最近発明されたものではありません。有名な回勅『パッシェンディ』が発布された既に1907年に発明されたものでもありません。近代主義とは、革命の恒常的精神であり、私たちをして人間内部に閉じこめ、天主を法外に置こうとする精神です。近代主義の誤った定義は、ただ天主の権威と教会の権威とを崩壊させることだけを求めています。

信仰は外部から由来して私たちに来ます。私たちはそれに自分を服従させなければなりません。「信じるものは救われ、信じないものは滅びるだろう」とは私たちの主イエズス・キリストが断言していることです。

1976年に私が教皇様(パウロ六世)を謁見に行った時、私は極めて驚いたのですが、教皇様は私が神学生達に教皇様に反対する宣誓を誓わせていると非難されました。このような間違った情報がどこから来たのか、私はひどく理解に苦しみました。何故なら私に害を及ぼそうという意向を持って誰かがこのような考えを教皇様に告げ口したと言うことはあまりにも明らかだったからです。すると私の頭に光がひらめきました。全ての司祭がその司祭叙階式の前に、そして教会の要職につくものはその職務を受ける前に、今まで荘厳に唱えなければならない義務があった「近代主義の誤謬に反対する誓い」を、悪意を持ってこの意味(=パウロ六世に反対する誓い)で解釈したのだろう、と。パウロ六世ご自身も、その御生涯の間、一度ならずこの誓いを宣誓したはずです。ところでこの誓いには次のようなことを宣誓することになっています。

「信仰が、心の欲求と意志の衝動との下で道徳的に未発達なる潜在意識の奥底より湧き出づる盲目的宗教感情にあらざる事、またかえって信仰とは聴覚を通じ外的に受けた真理に対する真なる知性の同意たる事、即ち我らの創造主且つ主たる位格的天主が曰い、証明し、啓示し給いし事を、最高の真理なる天主の権威の故に、我ら信じ奉る事を、我は最も確実に堅く信じ且つ誠実に宣言す。」

しかし今では司祭や司教になる時に、「近代主義の誤謬に反対する誓い」を宣誓することは義務ではありません。もし義務であったら、それでなくとも叙階の数が減っているのに、さらに叙階の数が減ってしまっていたことでしょう。信仰ということの概念は、無意識に悪意なく、多くの人々が近代主義の影響をそのまま受けてしまって誤解してしまっています。ですから多くの人々がどんな宗教でも霊魂は救われると信じるのを受け入れてしまっているのです。何故なら、もしも各人が自分の良心に従ってそれぞれの信仰を持ち、良心が信仰を造るのであるなら、良心が天主の方へと向かっている限り、他の信仰に優るような信仰というものを考える理由がどこにもなくなってしまうからです。

次のような断言は、フランス司教団の要理教育委員会の公式文書の中にいくつも見いだされます。「真理とは、既に出来上がっている何か受け入れたことがらではなく、自ら創りあげる何かである。」

完全な観点の違いがあります。新しい教えでは、人間は真理を受け入れるのではなく、真理を創りあげるのだと言います。ところで私たちの知性が次のことが正しいと確認するように、私たちは真理とは創られるものではないと、私たちが真理を創るのではないとよく知っています。

しかし、宗教を崩壊させる邪悪な教えに反対して私たちはどうやって身を守ったらよいでしょうか? これらの「新しい教えを喧伝者たち」は教会の内部に潜り込んでいるというのに? 天主に感謝しなければならないことは、近代主義者達は、20世紀の初頭に彼らを容易に見分けることができるように、その仮面がはぎ取られています。近代主義ということは、教会の歴史を研究する人だけが関心を持つ昔に起きた現象であるとは、考えないようにしましょう。『パッシェンディ』は、あたかも現代に書かれたと思わせるような文書であり、極めて高い今日性を帯びています。この教皇文書は、感嘆してもしすぎることがありえないほどの新鮮さで、教会内部の近代主義者という敵を描写しています。

「哲学と神学の確固とした知的防御に欠け、・・・彼らは一切の慎みをかなぐり捨て、教会の改革者として名乗り出、・・・あらゆる権威を軽視し、いかなる抑制も受けつけようとしない。」

「(近代主義者たちの)最も巧妙な手管の一つは、自らの教説を、順序や系統だった配列なしに、バラバラで相互につながらない仕方で提示し、あたかも彼らの心が疑いや、ためらいの状態にあるかのように見せかけることである。しかしながら、実際には、彼らの見解は固く定まっており、揺らぐことがない。・・・

近代主義者の著作をひもとけばカトリック信者によって承認され得ることがいくらか見出されるのだが、ページを繰るうちに、いかにも理性主義者によって述べられそうなことを記した他の箇所に出くわす。・・・

彼らは譴責や排斥にも関わらず、信じがたい大胆さを見せかけの謙遜で覆いかくし、自らの道を行く。・・・

もし誰かが彼らの新説を不幸にも批判するなら、彼らはその人に対して共同戦線を張る。その新説を否定する人は無知な者としてこきおろされる一方、それを支持し擁護する人は彼らからの惜しみない賞賛をほしいままにする。・・・

自分たちの側につく著述家たちには、感嘆を込めた、とどまるところを知らぬ賞賛を浴びせ、ほとんど毎頁に新奇な思想をにじませる彼らの著作を、声を合わせて歓呼する。彼ら近代主義者にとって、ある著述家の学識は、彼が古代(から)の事物に対してどれだけ軽率・短絡に非難を浴びせ、また教会の教導権と伝統を覆す努力を為しているかに直接比例して決まる。もし彼らの中の誰かが教会による排斥を被るならば、残りの者は善良なカトリック信徒をよそおって当の人の周りに群れ集い、公衆の面前で声を大にして彼を賞賛し、まるで真理のための殉教者でもあるかのように祭り上げる。」

これらの特徴は全て今現在私たちが見ていることに正にピタリと合っています。あまりにもよく合致しているのでつい最近書かれたのであるかと信じられるほどです。1980年、スイスの神学者ハンス・キュンクが排斥された後、キリスト者の一グループがケルンの司教座聖堂の前で、ハンス・キュンクの職務取り消しという聖座の決定に反対する抗議行動として、「焚書」を執り行いました。「勇気ある誠実な思想の禁止を象徴するため」(ル・モンド紙)に、焚書用の薪がくべられ、彼らはその上にキュンクの人形と著書を投げ込んだのです。

その少し前にも、ポイエ神父に反対する制裁は激しい抗議を引き起こしました。300名のドミニコ会修道司祭やドミニコ会修道女らはこの制裁に抗議する公の手紙を提出し、さらに別の抗議文には20名が署名して抗議しました。またボカン大修道院やモンパルナスの聖堂、その他前衛のグループが救援に駆けつけました。

聖ピオ十世の描写と比較して唯一の新しいところは、近代主義者らがもはや見せかけの謙遜で覆いかくそうともしないということです。今では、彼らは保証されています。火彼らには教会の中にあまりにも多くの支持者がいるので、もはや隠れる必要などないのです。近代主義は死んでいません。その反対です。近代主義は進歩し、おおっぴらに姿を現しています。

私たちは『パッシェンディ』を続けて読んでみましょう。

「このようなわけで、近代主義者たちが持てる限りの辛辣さと憎悪を、教会のための戦いを熱心に戦うカトリック者にぶつけてくるのも、何ら不思議なことではない。近代主義者たちは、ありとあらゆる侮辱をカトリック者に加えるが、ふつう、無知または頑迷さというレッテルを貼るのが彼らの用いる常套手段である。学識と力によって脅威となるような反対者が立ち上がると、彼らはその人の周りに沈黙の策略を張りめぐらして、彼の攻撃の効力をなくしてしまおうとする。」

これが現代のケースです。聖伝の司祭たちは指名手配され、迫害され、出版社が進歩主義者の手に落ちている場合は、聖伝の修道者や信徒の著者らについて、一言も言及しようとしません。青年達の団体運動も、彼らが聖伝に忠実であるが故に、のけ者にされ、その模範的で立派な活動や巡礼その他は、皆が知ればそれで皆は元気づけられるにもかかわらず、誰にも知られないように無視されます。

「歴史を著すなら、注意深く、そして下手に満足を隠そうとしながら、真理全体を述べるためと称して、一見、教会の顔に泥を塗るように思われることを全て明るみに出す。ある種のア・プリオリ(先験的)な観念に基づいて、彼らは能うる限り人々の敬虔な伝統を破壊し、その古さのゆえに、非常な崇敬を払うべき特定の聖遺物への敬意を損なわせている。彼らは自分たちの名が衆人の口にのぼることへの虚しい望みに駆られており、そして万人によって常に言われてきたことを述べたなら、この望みは決して実現しないことを彼らは承知している。」

彼らの教義に関していうと、それは次の幾つかの点に基づいています。現代によくある思潮の中に、これを認めるのは難しくはないでしょう。それは「人間の理性は目に見えるものを通して天主にまで自らを上げること、および天主の存在を認識することができない」ということです。

従って、これによると、外部から来る啓示はいかなるものであれ不可能となってしまいます。そこで人間は自分自身の中に、自分の感じる天主をもつ必要を満足させようと探し、この必要の根元は潜在意識にあるとします。近代主義によると、この天主的なものの必要性は、霊魂において特別な感覚(感情)を引き起こし、この感覚が「ある意味において人間を天主に一致させる」とされます。これが近代主義者らにとっての「信仰」です。天主はこのようにして霊魂の中に創りあげられ、これが「啓示」です。

宗教的感覚から知性の領域に移ります。近代主義によると、知性がドグマを創りあげるのです。つまり彼らによると、人間には知性が備わっているが故に、人間は自分の信仰を考えなければならない。それが人間にとっての必要性となる。そこで人間は信仰の定式文を創りあげるが、この定式文は絶対的真理を含むものではなく、真理のイメージをつまり、シンボル(象徴)を含む。このドグマ的定式文は従って、変転に服さねばならず、進化する。「こうして、教義の内因的進化(実体的変異)への道が開ける」のです。

近代主義によれば、定式文は単なる神学的思索ではありません。定式文が真に宗教的であるためには生きていなければならないとされるのです。感覚は「生命的に」定式文を同化吸収しなければならないとされます。

今日ではよく人は「信仰の体験」といいます。何故でしょうか。聖ピオ10世はこう続けています。

「これらの定式文が生きたものとなるためには、信仰および信じる者に適合したものでなければならず、またそうあり続けねばならない、という結論が出てくる。したがって、もしいかなる理由によってであれ、この適合が存在しなくならば、それら定式文は始めに持っていた意義を失い、それゆえ変えられねばならなくなる。教義的定式文の性格ならびに命運がこのように不安定なものであるということを見れば、近代主義者たちがそれらをかくも軽視し、かくも公然と不敬の態度を示し、宗教的感覚および宗教的生活に対して以外は、いかなる考慮も賞賛も持ち合わせていないという事実はまったく驚くに値しない。そういうわけで、彼らは常にこの(宗教的感覚および宗教的生活という)単語を唇に乗せる。」

そこで説教においても、講話においても、要理教育においても「既成の定式文を全て」追い出してしまっているのです。

近代主義によれば、信仰者は信仰の個人的な体験をし、次に彼はその体験を説教によって他者に伝えます。このようにして宗教体験は伝播する、とされます。

近代主義によれば、「信仰が多くの人に共通のもの(言い換えると集団のもの)となったとき」人は、この共通の宝を保存し促進するために社会を組織する必要を感じる。そこから教会が創立され、教会は「集団的意識、すなわち個々人の良心ないし意識の集合から生じるものであり、内在の原理によって一人の最初の信仰者たる者 ───それはカトリック者にとってはキリスト─── にことごとく依存するもの」であるとされます。

もしそれが本当なら、権力は持ち主を変え「基礎」(=一般信徒ら)から出てこなければならないことになります。政治意識が人民政府体制を創りだしたように、教会の中でもそれは同じでなければならない、とされるのです。

「教会の権威が、人類の意識のもっとも内部において、対立を引き起こし、助長することを望まないなら、教会権威は民主的形態の前に身をかがめ(てこれを採択し)なければならない。」

教会がどうなってしまったのかわからなくなってしまっているカトリックの読者の皆さん、もうこれでスーネンス枢機卿および全ての騒々しい神学者たちがどこで自分の考えを見つけていたのかお分かりでしょう。第二バチカン公会議後の危機は、19世紀後半と

20世紀初頭に騒がれた危機の完全な続きなのです。読者の皆さんは、また何故子供達が使っている要理書では、聖霊降臨の後に形成された初代の共同体から全てが始まっているかその理由がお分かりのことと思います。弟子達はその時からイエズスが引き起こしたショックの熱によって天主的なものの必要を感じ、「最初の経験」を共に生きた、とされるからです。ですから、そこにはドグマがありません。新しい要理書やお説教の中には、聖三位一体、御托身、贖い、被昇天、等々がないのです。フランス司教団によって、要理書のために創られた『Texte de réféfence 指導用参考資料』という本があります。この本は、使徒たちの教会の誕生において近代主義者らが見たと思いこんでいる教会成立の過程に従って、明日の教会を再構成するための「ミニ教会」となるべきグループを創りあげることに言及しています。

「要理教育のグループにおいて、司会者と親及び生徒は、自分の人生体験や、自分の深い望み、宗教的なイメージ、信仰にかんする事柄の何らかの知識を発表する。そこから比較対照が生じる。比較対照が人々の深い望みを動かし、福音とのすべての接触が明らかにする不可避の変化へと人々を現実に参加させるようになればなるほど、これは真理の条件となる。妨害もありうる。断絶、回心、何らかの死の後で、恵みによって、信仰の告白がなされる。」

聖ピオ十世教皇によって排斥された近代主義のやり方を、おおっぴらに実践しているのは何と司教たちなのです! 全ては上記の段落(Texte de reference, §312)にあります。ここをもう一度注意深く読み返してみて下さい。キー・ワードは「必要によって生じた主教感覚」「深い望み」「いろいろな体験の比較対照において生まれる真理」「ドグマの変化」「伝統からの断絶」です。

近代主義によって、秘蹟も必要から生じました。「なぜなら、すでに見たように、彼らの体系においては “万事が内的な衝動ないし必要によって説明される” から」です。宗教に何らかの感覚でとらえられる形を与えなければならず、「

近代主義者にとって “秘跡はある一定の効能に欠けるものではないにしても、ただの象徴あるいは印でしかない” 。彼らの言うところによると、“かかる効能とは、一般民衆の耳を捉えるべく通俗的な表現を用いたある種の言い回しが持つのと同様のもの、すなわち、何かの枢要な理念を巷に広め、そして精神に著しい印象を与える力を有しているという意味での効能” なのである。「言い回し」が「理念」に対するのと同様の関係を「秘跡」は「宗教的感覚」に対して持つに過ぎない。もし近代主義者が、秘跡はただ信仰を育むために制定されたと言明したなら、それは彼らの考えるところをより明白に表わすことになるだろう。しかるに、これはトリエントの公会議によって排斥されている。」

この考えは、例えば、第二バチカン公会議の「顧問」であったベスレーにも見いだされます。彼はこう書いています。

「天主の愛をこの世に置くのは秘蹟ではない。天主の愛は、全ての人間において働いている。秘蹟とは、弟子達の共同体におけるそれの公の現れの瞬間である。・・・こう言うときに私は為された印の効果的な側面を否定するつもりは全くない。人間は自分自身に話しかけることによっても自己を達成する。それは人間のその他の活動と同じように、秘蹟においても同様である。」(De commencement en commencement, p. 176)

では聖書についてはどうでしょうか? 近代主義者らにとって聖書とは、或る宗教において有している「体験の集大成」であり、近代主義者らによれば、確かに天主がこれらの本を通して語りかけますが、その天主とは私たちの内に存在する「天主」のことです。聖書は、詩的な霊感という時とすこし似た意味での「霊感」を受けた書、とされます。

近代主義によれば、「霊感」とは、書くことによって信仰者が自分の「信仰」を使えたいという強烈な必要性と同一視されます。従って、聖書は単なる人間の作品となります。

新しい要理書『ピエール・ヴィヴァント』では、創世記はある日、「考察した」信仰者らが書いた「詩」であると子供達に教えています。フランスの司教らが公教要理の全ての生徒が必ず学ぶものとして強制しているこの本は、その全てのページにおいて近代主義の息づかいがします。ここでその内容を聖ピオ十世の説明と比較してみましょう。

聖ピオ十世

「(近代主義者らにとっては)いかなる文書の年代も、個々の必要が教会の中で表面化した年代によってのみ確定され得るという原則は依然として有効である。」

新しい要理書『ピエール・ヴィヴァント』

「これらの共同体が福音に生きることを助けるために、幾人かの使徒らは彼らに手紙を書き、それを書簡とも呼ぶ。・・・しかし使徒らは特に、彼らの中でイエズスがしたこと、彼らに言ったことを生の声で語った。・・・後にマルコ、マテオ、ルカ、ヨハネの4名の著者が、使徒らが言っていたことを書き物にまとめた。」

「彼らは、信仰者の信仰を照らすためにイエズスの生涯の出来事、その言葉、特にその死と復活について語った。」

聖ピオ十世

「彼らによれば “聖書の各書の中には、科学や歴史に関して明らかな誤りのある箇所が多く見出される” 。」

新しい要理書『ピエール・ヴィヴァント』

「これ(=創世記)は、詩であり科学の本ではない。科学は私たちに生命が現れるまで数億年が必要であったと言っている。」「福音は、今日ラジオやテレビまた新聞が出来事を伝えるようにイエズスの生涯を語っているのではない。」

聖ピオ十世

「近代主義者たちは、 “一般的に言ってこれらの書───とりわけモーセ五書ならびに3つの共観福音書───が度重なる付け足しと神学的ないしは寓意的解釈、あるいは種々の異なる文章をつなぎ合わせるためにだけ書き加えられた箇所の挿入によって、原初の簡潔な叙述から徐々に形成されていった” と何のためらいもなしに断定する。」

新しい要理書『ピエール・ヴィヴァント』

「これらの書のほとんどの中に書かれていることは、まず父から子に口伝えで語られた。ある日誰かが、自分の番としてそれを伝えるために書き残した。しばしば彼が書いたことは、別の人によって他の人に伝えるためにまた書き直された。・・・紀元前538年にペルシア人による占領があり、いろいろな考えや言い伝えが本にまとめられた。エスドラスは紀元前400年頃にいろいろな本をまとめて一つにし、律法の書(或いは五書)とした。預言者の巻物も書かれた。知恵者の考察は様々な傑作を作り上げた。」

カトリック信徒は「公会議後の教会」において使われている新しい言い方に驚いていますが、じつはそれはあまり新しいものではなく、ラムネー、フックス、ロワジーなどが既に一世紀前に使っていた言い方で、彼ら自身でさえ数世紀まえから垂れ流されていた全ての誤謬をまとめたに過ぎなかったのです。キリストの宗教は変わりませんでしたし、決して変わることがないでしょう。私たちは彼らのやりたいようにさせていてはなりません。

 

ルフェーブル大司教 公開書簡 「教会がどうなってしまったのか分からなくなってしまったカトリック信者たちへ 全23章」

第1章. なぜ今カトリック者たちは、困惑しているのか。原因は、カトリック教会に侵入した新しい精神。それは教会の過去の教えと生命とを疑問視させる。
第2章. 私たちの宗教は変えられようとしている!
第3章. 典礼改革:ミサ聖祭が全く日常の行為の位まで押し下げられている。非神聖化。聖なる物の喪失。
第4章. 永遠のミサと現代のミサ。典礼改革は意図的に犠牲を食事に変える。
第5章. 「それは昔の話ですよ!」
第6章. 洗礼と婚姻、悔悛と終油の秘蹟の新しい仕方
第7章. 新しい司祭職
第8章. 新しい公教要理
第9章. 現代の神学
第10章. エキュメニズム(キリスト教一致運動)
第11章. 信教の自由
第12章. 「同志」および「同伴者」たち
第13章. フランス革命のフリーメーソン的スローガン「自由・平等・博愛」は、第二バチカン公会議の「信教の自由、団体主義の平等、エキュメニズムの博愛」となった
第14章. 「第2バチカン公会議は教会内部のフランス革命だ」(スーネンス枢機卿)
第15章. 教会と革命の結合:リベラル派は教会を革命と結婚・合体さようとし、歴代の教皇たちはこのリベラルなカトリック主義を排斥し続けてきた
第16章. 信仰を瓦解させる新近代主義
第17章. 聖伝とは何か:聖伝とは「数世紀を経て教導職により伝えられてきた信仰の遺産」と定義される
第18章. 本当の従順と偽物の従順:「従順」の名によって全聖伝に不従順であることは本物の従順ではない。
第19章. エコンの神学校とローマ
第20章. 永遠のミサ
第21章. 異端でもなく、離教でもなく
第22章. 家族で出来ること:家族という組織単位が破壊されつつある、離婚、同性愛カップル、出生率の低下、中絶
第23章. 「作り上げること」と「壊し尽くすこと」との闘い


教会がどうなってしまったのか分からなくなってしまったカトリック信者たちへ【その15】

2018年10月02日 | ルフェーブル大司教の言葉
教会がどうなってしまったのか分からなくなってしまったカトリック信者たちへ

ルフェーブル大司教の公開書簡 その15



第15章 教会と革命の結合


革命とは「憎しみ」であり、「人間によって制定されることのないあらゆる秩序への憎悪、人間自身がそこにおいて王でもなく神でもないあらゆる秩序への憎悪」ですが、その起源に傲慢があります。傲慢はアダムの罪の原因でもありました。

教会における革命は現代の傲慢によって説明されます。現代は新しい時代であり、人間はついに「人間のすぐれた尊厳についての自覚」をもったと思っています。現代、人間は自分自身をますます自覚し、「真の社会的、文化的変質について論じることができ、それは宗教生活にまで及んでくる。・・・歴史の経過そのものも、動きが早く、かく個人がそれについてゆけないほどである。・・・要するに人類は、静止的世界観から動的・進化的世界観に移行したのである。そこから膨大で複雑な、新しい課題が生じ、それは新たな分析と総合とを要求している」と考えているとされます。ここで引用した感嘆の言葉は、その他の似ている言葉と共に、『現代世界憲章』の前置きで言われていますが、福音の精神に立ち戻ることについては悲観しています。多くの動きと変革の中で、福音が生き残るのは難しいと見ています。

次の文章はどう理解すべきでしょうか?

「工業形態の社会がしだいに広まり、・・・社会生活の概念と条件とを根本的に変えつつある。」

これは人々がそれの生じることを待ち望んでいたが、それが確かに起こったと言っているに他なりません。つまり、教会の社会教義に従うキリスト教的概念とは全く無関係の社会概念が生じた、ということです。それを前提条件にすれば、もはや新しい福音、新しい宗教にまで導かれるしかないでしょう。次を見て下さい。

「信者は同時代の人々と密接に結ばれた生活を営み、文化を通して表現されるかれらの考え方や感じ方をよく知るように努力しなければならない。現代の科学と学説および新しく発見された知識を、キリスト教の道徳と教理に結びつけることによって、宗教心と道徳感とが科学知識や絶えず進歩する技術と同じ歩調で進むようにしなければならない。こうすることによって信者はあらゆるものを真正のキリスト教的感覚をもって評価し解釈することができる。」(『現代世界憲章』62の2)

聖福音は私たちに邪悪な教えを避けよと教えているのにもかかわらず、『現代世界憲章』では何と変わった勧告をしていることでしょうか! この文章は二様のやり方で理解することができるじゃないですか、とは言わないようにして下さい。何故なら現行の要理書はスキレベークスがそう理解することを望んだように解釈しています。つまり新しい要理書は子供達に、無神論者らの言うことを良く聞くことを勧めています。何故なら、無神論者らからは多くを学ぶことができるし、そもそも天主を信じないことについては彼らには彼らなりの理由があるし、それを知るのは実りがあるから、だそうです。

『現代世界憲章』の第一章の最初の文章はこうです。「地上に存在するあらゆるものは、その中心および頂点である人間に秩序づけられなければならないということについて、信ずる者も信じない者も、ほとんど意見が一致している。」この言葉は、それに続く文章によって、キリスト教的な意味に解釈されるということもできます。しかしながら、この文章はそれ自体で一つの意味を持っており、公会議後の教会では至る所で、まさにその意味でのみ使われているのを見ます。つまり人類の経済的・社会的開花に還元された救いの形でのみです。

私にはこう思えます。もしも信者が無信者との対話において共通の基礎としてこの命題を認め、そしてキリスト教の教えと新しい理論とを結合させるとすると、信者は多かれ少なかれ信仰を失うことでしょう。教会の黄金律は、現代の人間の傲慢によってひっくり返されました。キリストの常に生きており豊饒な御言葉を聞くのではなく、この世の言うことを聞くと言うことになっているからです。

このアジョルナメント(現代化)は自己矛盾を犯しています。現代の混乱の根元は、近代の、というよりもむしろ近代主義の精神にあるのです。何故ならこの精神は、使徒信経、天主の十戒、教会の掟、秘蹟、キリスト教道徳こそが、世の終わりに至るまで全ての時代に有効な刷新の唯一の源であるということを認めるのを拒んでいるからです。「科学技術の進歩は地球の表面を変え、宇宙の征服にまで乗り出した」(『現代世界憲章』5の1)と幻惑され、教会の指導者たちは(私たちは彼らを教会それ自体と混同してはなりません)私たちの主イエズス・キリストでさえも、現代の技術革命に優ることが有り得ないし、従って、キリストのメッセージもそれには適応されない、と考えてしまっているかのようです。

リベラル派が一世紀半も前から抱いていた夢は、教会を革命と結婚・合体させることでした。そして同じく一世紀半の間、教皇たちはこのリベラルなカトリック主義を排斥し続けました。それらの最も重要な教皇文書のうち幾つか例を挙げれば、ピストイア公会議を排斥したピオ6世の大勅令『アウクトーレム・フィデイ』、ラムネーを排斥したグレゴリオ十六世の回勅『ミラーリ・ヴォス』、ピオ九世の回勅『クァンタ・クーラ』と『シラブス』、新しい権利の概念を排斥したレオ十三世の『インモルターレ・デイ』、シヨン運動と近代主義を排斥した聖ピオ十世の教皇文書、とりわけその教令『ラメンタビリ』、共産主義を排斥したピオ十一世の回勅『ディヴィニ・レデンプトーリス』、教皇ピオ十二世の回勅『フマニ・ジェネリス』があります。

全ての教皇たちは教会と革命との結婚を拒否してきました。何故ならそれは不倫な結合であり姦通だからです。姦通からは私生児しか生まれないからです。新しいミサの様式は私生児的な様式であり、新しい秘蹟も私生児的秘蹟となってしまいます。ですから私たちはもはや秘蹟が本当に聖寵を私たちに与えているのかいないのか分からなくなっています。新しい神学校を卒業した司祭たちも、私生児的司祭です。何故なら彼らは自分が何であるか知らないのですから。彼らは祭壇に登り、私たちの主イエズス・キリストのいけにえを捧げ、イエズス・キリストを霊魂たちに与えるために司祭になったということを知らないのですから。

革命の名前によって、司祭たちはギロチン台に送られました。修道女たちは迫害され暗殺されました。革命中、教会に忠実だったために殺された司祭たちを全て集めて乗せていたナントのはしけがその重さでみな押しつぶされて沈んでしまったことを思い出して下さい。革命がしたことは第二バチカン公会議がしたことと比べれば何でもありません。何故なら、司祭職と自分らが天主の前でした宣誓をうち捨てた二万あるいは三万の司祭たちが、ギロチン台に上り殉教していたほうがもっと良かったからです。何故なら彼らは少なくとも自分の霊魂を救うことになったからです。しかし、司祭職や天主への誓いを捨てることにより、彼らは今、自分の救霊を危険にしているからです。

この結婚した哀れな司祭たちですが、聞くところによると、その多くがもう離婚している、あるいはローマに婚姻の無効を申請しているそうです。これを第二バチカン公会議のよい実りとでも呼ぶのでしょうか? アメリカ合衆国だけでも二万名の修道女らが(その他の国々を合わせたらいったいどれ程大きな数になるでしょうか!)、イエズス・キリストと自分とを結合させる終生誓願を放棄し、結婚しました。もしもこれらの修道女たちがギロチン台に上っていたなら、彼女たちは少なくともその信仰を証できたはずです。殉教者の血潮はキリスト者の種です。しかし司祭らや平信徒たちがこの世の精神と合致しては、何の収穫も刈り取ることができません。殉教者を作らずに教会を破壊する事業をしたのは、悪魔の最大の勝利です。

教会と革命との姦通は「対話」によって性格付けられます。私たちの主イエズス・キリストは「行って、諸国に教えよ、彼らを回心させよ」と言いました。イエズス・キリストは「諸国と対話をせよ、彼らを回心させようとしてはならない」とは言いませんでした。

誤謬と真理とは共存することができません。誤謬と対話することは天主と悪魔とを同じレベルに置くことです。これは教皇様たちがいつも何度も繰り返していったことです。そしてこれはキリスト者が教皇様の言うことを容易に理解していたことです。何故ならこれは常識の問題でもあるからです。

或る態度や違った考え方を押しつけるために、頭脳に働きかける必要がありました。それは聖職者達を近代主義者に作り替えるために、彼らが新しい教えを伝播するためでした。これが「再教育」と呼ばれるものです。これで天主が人間に与えた判断をする機能をあたらしい型にするために条件付けるのです。

私は、自分の修道会の中で、まだ私が修道会の総長であったこの種の作業がなされているのを知る証人です。修道者にまず要求することは「変化を認めること」です。第二バチカン公会議は変化を受け入れた、従って、私たちも変わらなければならない、というものです。恣意的に作り上げた観念を私たちの理性の機能とこじつけて合わせるために、理性の働きを変えなければなりませんから、これは奥の深い変化です。私たちはこのことについて、パリ大司教区の事務所が発行した小冊子『信仰、その一言一言』に読むことができます。

「第二の作業は、もう少しデリケートであり、この様々な変化に置いて変化それ自体のことを評価するキリスト者がもつ様々なやり方を測定することにある。この測定をすることは、変化への反対は、変化のショックという賭けというよりも、変化を前にしてキリスト者がどのような態度を自発的にまた無意識に取るかということに関わる故に、極めて大切である。

典型的な二つのタイプがあるように思われる。ただしこの両者の間にまたがるあらゆる種類の中間的形態をも無視してはならない。第一のタイプは、新しい事態を一つずつ受け入れなければならないと判断し、一定の変化を受け入れていくタイプである。これは多くのキリスト者、多くのカトリック信者のケースで、彼らは段階を追って譲歩していく。

第二のタイプは、使徒達の信仰に忠実であると絶え間なく保証している限り、最新の文化的時代の幕開けにおいてキリスト教信仰の形式の全部をそっくり革新することに同意するタイプである。

このような口先だけの注意を払いつつ物事を進めるのは、近代主義者らの伝統的なやり方です。近代主義者らはつねに自分たちが正統であることを主張し、「最新の文化的時代の幕開けにおいてキリスト教信仰の形式の全部をそっくり改革する」などという見通しに恐れをなしてしまうような霊魂たちに、ちょっとした言葉をもって安心させるのですが、その策略に身を委ねてしまった時には既に時は遅すぎるのです。確かに将来的には、使徒達の信仰を云々する時が来ることでしょうが、その時には信仰を完璧に破壊し尽くされてしまっていることでしょう!

第三の作業は、もしも第二のタイプをその場に引きとどめる場合に必要になります。

「キリスト者は、信仰を危険にする虞があることをそこで感じとらぬわけにはいかない。信仰はそのまま消え失せてしまうのだろうか? それと同時に彼をこのポイントまで導いてきた問題も共に消え去るのだろうか? キリスト者は、とってこの初期の不毛な態度を乗り越えることができるようにする根本的な保証を求めるようになる。」

この小冊子は改革に反対するありとあらゆる抵抗があることを想定しています。では最後にこの新しい信者にどのような「根本的な保証」を与えるのでしょうか? それは聖霊です。「聖霊こそが、歴史の流れにおいて信者を導くものである」と言い含めるのです。

これで目的は達成されました。これでもはや教導職もなく、教義もなく、教会位階制度もなく、天主から息吹かれた文書であり歴史的に確実なものとしての聖書もなく、ただキリスト者は聖霊によって直接に息吹かれるとされでしまうのです。

その時、教会は瓦解します。再教育を受けたキリスト者は全ての影響に身を委ね、ありとあらゆるスローガンに恭順するものとなります。再教育を受けたキリスト者は、人が望むところに連れて行かれるでしょう。もし彼が保証を求めるなら、こう断定すれば彼は変化にしがみついてくるでしょう。「第二バチカン公会議は、問題提起の変化について多くの指標を確かに見せています。」

聖ピオ十世は回勅『パッシェンディ』の中で近代主義の「近接的、直接的原因が知性における誤り(=精神の不健全さ)である」と言っています。再教育は、それを受けていないものには存在していなかった、パッシェンディの言うような精神の不健全さを創りあげます。

聖ピオ十世は、前任者グレゴリオ十六世の言葉を次のように回勅で引用しています。

「理性が新奇なものを求める精神に屈するとき、使徒パウロの警告に反して、それが本来知るべきものよりさらに知ろうとするとき、また、自ら [の力] を過信し、真理が誤謬のわずかの陰さえも被らずに見出されるカトリック教会の外に真理を見出すことができると考えるとき、人間の理性の逸脱は見るに堪えない光景を呈します。」(グレゴリオ十六世 回勅『シングラリ・ノス』1834年6月25日)

ルフェーブル大司教 公開書簡 「教会がどうなってしまったのか分からなくなってしまったカトリック信者たちへ 全23章」

第1章. なぜ今カトリック者たちは、困惑しているのか。原因は、カトリック教会に侵入した新しい精神。それは教会の過去の教えと生命とを疑問視させる。
第2章. 私たちの宗教は変えられようとしている!
第3章. 典礼改革:ミサ聖祭が全く日常の行為の位まで押し下げられている。非神聖化。聖なる物の喪失。
第4章. 永遠のミサと現代のミサ。典礼改革は意図的に犠牲を食事に変える。
第5章. 「それは昔の話ですよ!」
第6章. 洗礼と婚姻、悔悛と終油の秘蹟の新しい仕方
第7章. 新しい司祭職
第8章. 新しい公教要理
第9章. 現代の神学
第10章. エキュメニズム(キリスト教一致運動)
第11章. 信教の自由
第12章. 「同志」および「同伴者」たち
第13章. フランス革命のフリーメーソン的スローガン「自由・平等・博愛」は、第二バチカン公会議の「信教の自由、団体主義の平等、エキュメニズムの博愛」となった
第14章. 「第2バチカン公会議は教会内部のフランス革命だ」(スーネンス枢機卿)
第15章. 教会と革命の結合:リベラル派は教会を革命と結婚・合体さようとし、歴代の教皇たちはこのリベラルなカトリック主義を排斥し続けてきた
第16章. 信仰を瓦解させる新近代主義
第17章. 聖伝とは何か:聖伝とは「数世紀を経て教導職により伝えられてきた信仰の遺産」と定義される
第18章. 本当の従順と偽物の従順:「従順」の名によって全聖伝に不従順であることは本物の従順ではない。
第19章. エコンの神学校とローマ
第20章. 永遠のミサ
第21章. 異端でもなく、離教でもなく
第22章. 家族で出来ること:家族という組織単位が破壊されつつある、離婚、同性愛カップル、出生率の低下、中絶
第23章. 「作り上げること」と「壊し尽くすこと」との闘い


教会がどうなってしまったのか分からなくなってしまったカトリック信者たちへ【その14】

2018年10月01日 | ルフェーブル大司教の言葉
教会がどうなってしまったのか分からなくなってしまったカトリック信者たちへ

ルフェーブル大司教の公開書簡 その14



第14章「第2バチカン公会議は教会内部のフランス革命だ」

教会の危機とフランス革命との間に私が浮き彫りにした類似点は、単なる比喩的なものではありません。18世紀の哲学者たちと、彼らの誤りが世に引き起こした動乱による影響は、現代に至るまで続ており、私たちはそのまっただ中にいるのです。教会内にこの毒を注入した者たち自身が、まさにそう告白しています。「第2バチカン公会議は、教会におけるフランス革命である」と豪語したのは、スーネンス枢機卿でした。さらに他のいろいろな宣言で不注意にも技巧を凝らさずに言った発言の中で特に、彼はこうも付け加えています。「もし人は、革命が終わりに至らせた旧体制の何たるかを知らなければ、フランス革命あるいはロシアで起きた革命を何も理解することは出来ない。教会についても同様だ。つまり、反動というものは、ただそれに先立つ事の状況との関係においてのみ判断されうる。」それに先立つ事、つまり彼が廃止されなければならないと考えたものとは、地上におけるキリストの代理者である教皇を頂点とする、素晴らしい位階的建築でした。スーネンス枢機卿は言葉を続けます。「第2バチカン公会議は、一時期の終わりを印した。もしももう少し後ろに下がってみてみるなら、一連の時期の終わり、一時代の終わりを印した。」

同様に、教会改革の張本人の一人である、コンガール神父 (Père Congar) も同じことを言っています。「教会は、平和のうちに、その10月革命をはたした。」 自分が何を言っているのかを十分自覚して、「信教の自由に関する宣言は、シラブス (1864年のピオ9世、1907年の聖ピオ10世により発令された謬説表) と内容上、正反対を述べている」と認めています。やろうと思えば、この類の自白を私は数多く持ち出すことが出来ます。

新しいミサにおいては、これまで全世界で執行されてきた典礼様式とほんの少しの違いがあるけれども、しかし根本的に驚異的な違いというものは全くない、と思いたいと考えている人々がいますが、1976年、典礼司牧全国センターの指導者の一人、ジェリノー (Gélineau) 神父は、そう思う人たちのあらゆる幻想を一掃しています。

「第2バチカン公会議で決定された教会改革は、雪解けの合図を与えた・・・。全体構造は崩れ落ちた・・・。それに関して間違ってはならない。翻訳するということは、別の言葉で同じ事柄を述べることではない。それは形を変えることだ。形が変われば、典礼様式も変わる。一つの要素が変化したら、全体も変わる・・・。はっきりと言わなければならないのは、私たちが知っていたローマ典礼は、もう存在していないということだ。それは破壊されてしまった。」(Demain la liturgie, Ed. Du Cerf)

カトリック自由主義者たちは、疑う余地もなく革命的環境を確立しました。彼らの内の一人、フランスのドゥー県の上院議員である、プルロ (Prelot) によって書かれた本の中には、こう書かれています。

「我々は、一世紀半の間、教会の内部で私たちの思想が支配するように闘ってきたが、成功を見なかった。最後に、第2バチカン公会議が来て、我々は勝利した。今後は、リベラルなカトリック主義の命題と原則は、決定的かつ公式に聖なる教会によって受け入れられた。」

革命が教会内に、平和主義と普遍的兄弟愛を装って持ち込まれたのは、このリベラルなカトリック主義の影響を通してでした。現代人の誤謬と誤った原理は、リベラルな教皇自身らのおかげで、また、第二バチカン公会議のために、教会に染み込み、聖職者達を汚染してしましました。

事実を正確に知らなければならないので、私はこう言いたいと思います。先ず、1962年に、私は公会議の開催に反対していませんでした。むしろ私は、それを大きな希望を抱いて迎えました。手短な証拠として、1963年に私が聖霊修道会の司祭たちに書き送り、私の前著の中の一つで公表された、手紙があります。私はその手紙の中で「いくつかの典礼的な刷新は必要であったと、私たちは躊躇なく言えるでしょう。そして公会議がこの方針で継続することが期待されます」と私は書いています。刷新は、礼拝の場所の中だけに制限される祈りと、行動、学校、職場、市民生活との間で掘られた溝から来る、硬化症に終止符を打つためには必要不可欠でした。

教皇によって私は第二バチカン公会議の中央準備委員会のメンバーの一人に指名され、2年の間その仕事に熱烈かつ根気強く貢献しました。この中央委員会は、専門委員会から出される予備概要の草案に目を通し、審査する責務を担っていました。そのため、何がそこで行われ、審査されるべき内容と、第二バチカン公会議に提案されるべき事柄とを知るためには、私は最適な位置にいました。

この仕事は、非常に入念に、かつ細心の注意をはらって完全に実行されたのです。今でも72の予備概要の草案を私は持っています。その中で、教会の教義は完全に正統であり、これら予備草案は何らかのやり方で、現代に合うように適応されていますが、そこには大きな節度と智恵がありました。

すべては、予告されたその日の為に準備万端でした。1962年10月11日、第二バチカン公会議の教父たち(=公会議に参加した司教らのこと)は、ローマの聖ペトロ大聖堂内の中央部にある議場に着席しました。しかしその時、聖座によって予期されていなかったある出来事が起きたのです。公会議は、その初日から急進派の勢力によって包囲されたのです。私たちはそれを経験し、感じたのです。ここで「私たち」と言う時、それはこの時の公会議教父たちの大部分を指します。

私たちは何か異常なことが起きていると感じました。これはまもなく確証されたのです。公会議開会の15日後、あの72ある予備概要の草案は何も残っていませんでした。草案のすべてが返送され、否決されて、くずかごに捨て去られたのです。

この出来事はこのように起こりました。公会議規定によれば、予備概要草案の否決には、3分の2 (67%) にあたる票が必要とされていました。ところが、実際に投票してみると、予備草案反対が60% (5分の3)、賛成が40% (5分の2) でした。従って、反対票は3分の2を獲得していないことになり、本来なら公会議は準備されていた予備草案を基礎にして続行されるべきでした。

強力な、いや非常に強力な組織が姿を見せたのはこの時でした。この組織は、ライン河沿岸諸国の枢機卿たちによって作られ、完璧に組織された秘書部と共にすべて整えられていました。彼らは教皇ヨハネ23世に謁見し、言いました。

「教皇様、これには承認できません。彼らは多数票を得ない草案の検討をすることを望んでいるのです。」

とうとう彼らの嘆願は受諾され、達成された彪大な仕事は忘れ去られてしまいました。こうして第二バチカン公会議は、空手で何の準備もなくなっていました。例え会社は小さくとも、重役会議の議長の誰が、協議事項や書類の準備もせずに会議を進行するでしょうか? ところが公会議はこのように始まったのです。

それから、公会議の委員達を指名する仕事がありました。これが難しい問題だったのです。何故なら世界中至る所からやって来て、聖ペトロ大聖堂内で突然顔を合わせる司教たちのことを想像してみて下さい。大半の司教たちはお互いを知らず、知っていても3人か4人であり、その他そこに参列する司教2400人中の僅か数人を、その名声によって知っていたくらいです。このような状況で、司祭に関する、又は典礼に関する、あるいは教会法に関する等々の特別専門委員会のメンバーに誰が最も適任なのかを、彼らはどうやって知りえたでしょうか?

全く合法的に、オッタビアーニ枢機卿は参列している各司教たちに対し、第二バチカン公会議準備委員会のメンバーリストを配布しました。従って、このメンバーたちは聖座によって選抜され、討論される題目に、既に携わっていた方々でした。このやり方は参列司教たちにとって、いかなる強制もなく、自由に適任者を選ぶ助けになりえたのです。そしてこれら経験を積んだ方の委員会への任命されることは確かに望ましいことでした。

しかしその時、ある抗議の声が起きたのです。その時立ち上がりこのような演説をした枢機卿の名前を挙げる必要はありません。「適任者名を提示することで、公会議のうえに黙認することのできない圧迫がかかっている。公会議教父 (司教) たちには自由が与えられるべきだ。またもや、教皇庁は、自分のメンバーを置こうとしている。」

この野蛮な介入を前に衝撃を受け、第二バチカン公会議の議事を終了しました。その日の午後、事務長であるフェリチ枢機卿はこう発表しました。「教皇様は、司教評議会を開いてそこでリストを作成するほうが良いかもしれないと認めておられます。」

当時の司教評議会は依然として未熟なものでした。たった24時間という時間しか与えられなかったので、然るべきやり方で彼らが集まることも出来ず、とにかく要求されていたメンバーリストを、司教評議会はやっとのことで準備したのです。

しかしこの小さなクーデターの計画を練った者たちは、様々な国々から特別に選ばれた人たちを準備していました。彼らは司教評議会に先んじることが出来、事実上過半数を得ることが出来ました。その結果、委員会は、3分の2が進歩派に属し、3分の1が教皇によって指名されて構成される結果になりました。

新しい草案は、初期のものとは全く違う方針のもので、すばやく出されました。いつの日か、公会議の直前には教会の教義がいかなるものであったかの比較が出来るように、捨てられた草案と新しい草案を出版してみたいと思っています。

政治的な議事や教会の議事に少しでも出席経験がある方なら、教父達(=公会議参列司教たち)の置かれた状況が理解できると思います。これら新しい草案の中で、僅かに節あるいは命題を修正案によって修正し得たのですが、草案の本質的要素は変えることが出来ませんでした。その結果は深刻なものだったのです。元々から歪んでいる原文は決して完全なものへと修正されません。原文にはそれを起草した人の跡とそれの考えを息吹いた人の思想が残るからです。その時以来、公会議は (進歩主義に) 傾斜してしまったのです。

第三の要素が第二バチカン公会議をリベラルな方に導くことに寄与しました。ヨハネ23世によって任命された十名の公会議の議長の代わりに、パウロ6世は、終わり2つの総会のため4人の議長を任名しました。この任命された4人について少なくとも言えることは、彼らは最も穏健でバランスの取れた枢機卿たちから選ばれたのではなかった、ということです。彼らの影響は、公会議の教父たちにとっては決定的なものでした。

リベラル派は少数でしたが、しかしアジテートし、組織化され、近代主義神学者の大群に助けられた少数派でした。そこには、公会議を我が物顔で振る舞い続けた人々の名前がみなそろっていました。ルクレルク (Leclerc)、マーフィ (Murphy)、コンガール (Congar)、ラーナー (Rahner)、キュンク (Küng)、スキレベークス (Schilebeeckx)、ベスレー (Besret)、カルドネル (Cardonnel)、シュニュ (Chenu) などでした。

そして思い起こさなければならないのは、ドイツ・オランダ司教評議会から助成金を支給された、IDOC (オランダ・インフォメーション・センター) による莫大な出版物の量です。ドイツ・オランダ司教会議は何時如何なる時も、司教たちが国際的な世論から期待されるやり方で行動するように促していました。このような状況は、教会がこの世の考え方と合作するのを見たいと望んでいるこの世の期待を裏切ってはならないのだというほうへと一種の強迫観念を創りだすことでなされました。

この運動の扇動者は、教会を現代人に適応させること、つまり、教会をあらゆる束縛から自分を解放したいと望む人間に適応させることをひっきりなしに求める有利な立場にいました。

彼らは硬直化した、適応できない、無力な教会というものを見せつけました。彼らは自分の前任者たちの胸を打たせて彼らに罪を着せました。彼らはカトリック信者を昔の分裂についてプロテスタントや正教徒と同様に罪があると提示しました。彼らは第二バチカン公会議に参加するように招かれた多数の「別れた兄弟たち」がローマいたので、謝罪するように求めました。

聖伝の教会は、その富と凱旋主義において咎めるべきであり、公会議の教父たちはこの世の外にいること、この世のものではないことを罪深いことだと感じ始めていました。彼らは自分の身につけていた司教の印を恥じていました。もうすぐ彼らはスータンを着るのさえ恥じるようになるのです。

この解放の雰囲気はすぐに全ての領域に広がることになります。司教団体主義の精神は、二十世紀の人間、いえ正確にはリベラルな人間のメンタリティーにかくも反対する個人的な権威の行使を恥じ、その恥を隠すために人が投げてくれるノアのマントとなることでしょう。【大洪水の後、ブドウ酒を飲んで酔い服が乱れたノアに、子供のセムとヤフェトはマントを父ノアの裸にかけた。創世の書九章より】

信教の自由、エキュメニズム、神学の探求、カトリック教会法典の改訂は、救いの唯一の方舟であると宣言していた教会の凱旋主義を軽減するだろうと考えられました。「乞食を恥じる人」がいるという言い方があるように、「司教であることを恥じる人々」がいました。司教たちに後ろめたい思いをさせることによって彼らに影響力をふるっていたのです。まさにこれこそ全ての革命で使われてきたやり方なのです。

この効果は、公会議の議事録の多くに記録されています。このことに関して『現代世界憲章』の最初のところ、現代世界の変化、歴史の加速化した動き、宗教生活に影響を与える新しい条件、科学と技術の優位性などに関することをもう一度読んでみるべきです。これらの文章においてリベラリズムのもっとも純粋な表現を誰が見ないでいられるでしょうか?

私たちは、公会議について教皇ピオ12世をその師と仰ぐことによって、素晴らしい公会議にすることができました。私は、ピオ12世がその全ての知識と全ての神学と全ての聖性をもって解決をしなかったような現代世界の問題があるとは思い当たりません。ピオ12世は、信仰の角度から物事を真に見ることによって、ほとんど決定的な解決策を与えました。

しかし教義決定の公会議をすることを拒否したその瞬間、物事をそのように見ることはできなくなりました。第二バチカン公会議は司牧会議でした。ヨハネ23世はそういいましたし、パウロ6世はそう繰り返して言いました。様々な総会の最中に、私たちは何度もいろいろな言葉の概念を定義させようと望みました。しかしこう言う答えが返ってくるだけでした。「いや、私たちはここで教義決定の公会議をしているのではないのだ。私たちは哲学をしているのでもない。私たちは司牧をしているのだ。」

自由とは何でしょうか? 人間の尊厳とは何でしょうか? 司教団とは何でしょうか? これらの用語によって何を理解すべきかを知るために公会議の文書を決定的に分析することができなくなってしまっています。従って、用語が曖昧なので、だいたいのことしか分からないのです。しかもこれは怠けていたのでも偶然そうなったのでもありません。教父であるスキレベークスはこう告白しました。「私たちは公会議で曖昧な用語を使ったが、私たちはそこから後でどの意味で取り出せばよいか知っている。」これらの人々は自分たちが何をしているかをよく知っていたのです。

長い歴史の中で、第二バチカン公会議以外の他の全ての公会議は、教義決定のための公会議でした。すべての公会議は誤謬と闘いました。ところで現代において闘わなければならない誤謬があったかについては天主がご存じです。教義決定の公会議はもっともの必要なものだったでしょう。私はウィンスジンスキー枢機卿が私たちにこう言っていたのを思い出します。「どうか、共産主義に関する文章を起草して下さい。今日、世界を脅かす重大な誤謬があるとすれば、共産主義こそがそれです。もしもピオ11世教皇が共産主義に関する回勅を書かなければならないと思ったのなら、同じように私たち、ここに公会議の総会に集う私たちにとってもこの問題に関して専門の文書を作るのはたいへん有益でしょう。」

共産主義はサタンの霊から出たものの中でもっとも恐ろしい誤謬です。共産主義は公式にバチカンに入りました。共産主義革命は東欧諸国の牢獄を経験した枢機卿たちの絶望的な警告にもかかわらず、特に教会の公式の無抵抗によって、しかも、教会にある頻繁な支持によって賞賛されることになりました。

何千万の殉教者たちや、精神病院において科学的に非人格化され人間の実験材料とされたキリスト者や反体制の人々を思いやる時、この司牧公会議が荘厳に共産主義を排斥することを拒否したことは、それだけで、全歴史を前にして恥となる行為でした。それにもかかわらず司牧公会議は沈黙していました。私たちは共産主義に反対する宣言をするように要請する四百五十の名の司教たちの署名を得ました。しかしこれらの署名を持つ請願書は引き出しの中に忘れ去られました。『現代世界憲章』の起草代表者は私たちに質問にこう答えました。

「共産主義を排斥することを求める請願は二つありました。」

私たちは叫んで聞きました。「たった二つだけですか?四百以上ありました。」

「あれ? そうですか? 知りませんでした。」

その後で請願書を探し、それを確かに見つけましたが、全ては後の祭りでした。

これらの事実を私はじかに体験して来ました。公会議事務総長のフェリチ大司教にディアマンティナ大司教区のデ・プロエンサ・シガウド大司教この署名を持っていたのは私でした。

従って、私は実際に起こったことは本当の意味で容認することができないことだったと言わなければなりません。私は公会議を排斥するためにこう言うのではありません。そして私はこれが多くの場合、数多いカトリック信者の困惑の原因となっていると言うことも知っています。何故なら、彼らは公会議がそれでも聖霊によって息吹かれていると考えていますから。

公会議が聖霊によって息吹かれている、とは必ずしも言えるわけではありません。何故なら、第二バチカン公会議は司牧公会議であり、教義決定の公会議ではないからです。何故なら、第二バチカン公会議は説教であって、それ自体で不可謬性を行使した公会議ではないからです。総会の終わりに私たちはフェリチ大司教にこう質問しました。

「神学者たちが公会議の性格と呼んでいるものを私たちに与えてくれることができないでしょうか?」

フェリチ大司教はこう答えました。

「草案、章、過去において既に教義決定の対象になったものに従って区別しなければなりません。新しい性格を持った宣言については、留保しなければなりません。」

従って、第二バチカン公会議はその他の公会議のような公会議ではないのです。ですから私たちには第二バチカン公会議を、賢明に慎重に判断することができるのです。私はこの公会議と改革の中で、聖伝と完全に調和するものを全て受け入れています。私が創立した事業がそのことを十全に証明しています。私たちの神学校はとりわけ公会議によって表明された望みとカトリック教育聖省の「基本理念 Ratio fundamentalis」に完全にかなっています。

しかし、公会議そのものではなく公会議後の適応だけが間違っていたと言い張るのは不可能なことです。聖職者の反乱、教皇の権威に対する抗議、典礼と新しい神学の無茶苦茶、教会の荒廃などは、つい最近ある人が主張したように第二バチカン公会議とは何の関係もないのでしょうか? まさか! 正直になりましょう。それらは公会議の実りなのです!

こんなことを言うと、不安に思う読者の当惑を増してしまうだけだと言うことは分かっています。しかしこの騒動において、キリストの教会を終わらせようとするこの世の努力を無に帰すことのできる一条の光が輝きました。教皇様は1968年6月30日その信仰宣言をなさったからです。これは、教義上の観点から見ると、全第二バチカン公会議よりも重要な行為です。

この信仰宣言は、ペトロの信仰を断言するためにペトロの後継者によって書かれ、絶対的に特別な荘厳さを帯びています。教皇様がこの信仰宣言を読むために立ち上がると、枢機卿たちも起立し、群衆もそれをまねして立ち上がりました。しかし教皇様は皆を座らせました。教皇様はキリストの代理者として一人でこの信仰を宣言したかったのです。そして教皇様はもっとも荘厳な言葉をもって、聖三位一体の名において、聖なる天使達と全教会の前においてそうしたのです。従って、教皇様は教会の信仰に関わる行為をなしたのです。

私たちはこうして、聖霊は私たちをうち捨ててはおかれなかったことを感じる慰めと信頼を得たのでした。信仰のアーチは、第一バチカン公会議にその一つの土台を持ち、またパウロ6世の信仰宣言に新しい土台を見つけたと言うことができると思います。

ルフェーブル大司教 公開書簡 「教会がどうなってしまったのか分からなくなってしまったカトリック信者たちへ 全23章」

第1章. なぜ今カトリック者たちは、困惑しているのか。原因は、カトリック教会に侵入した新しい精神。それは教会の過去の教えと生命とを疑問視させる。
第2章. 私たちの宗教は変えられようとしている!
第3章. 典礼改革:ミサ聖祭が全く日常の行為の位まで押し下げられている。非神聖化。聖なる物の喪失。
第4章. 永遠のミサと現代のミサ。典礼改革は意図的に犠牲を食事に変える。
第5章. 「それは昔の話ですよ!」
第6章. 洗礼と婚姻、悔悛と終油の秘蹟の新しい仕方
第7章. 新しい司祭職
第8章. 新しい公教要理
第9章. 現代の神学
第10章. エキュメニズム(キリスト教一致運動)
第11章. 信教の自由
第12章. 「同志」および「同伴者」たち
第13章. フランス革命のフリーメーソン的スローガン「自由・平等・博愛」は、第二バチカン公会議の「信教の自由、団体主義の平等、エキュメニズムの博愛」となった
第14章. 「第2バチカン公会議は教会内部のフランス革命だ」(スーネンス枢機卿)
第15章. 教会と革命の結合:リベラル派は教会を革命と結婚・合体さようとし、歴代の教皇たちはこのリベラルなカトリック主義を排斥し続けてきた
第16章. 信仰を瓦解させる新近代主義
第17章. 聖伝とは何か:聖伝とは「数世紀を経て教導職により伝えられてきた信仰の遺産」と定義される
第18章. 本当の従順と偽物の従順:「従順」の名によって全聖伝に不従順であることは本物の従順ではない。
第19章. エコンの神学校とローマ
第20章. 永遠のミサ
第21章. 異端でもなく、離教でもなく
第22章. 家族で出来ること:家族という組織単位が破壊されつつある、離婚、同性愛カップル、出生率の低下、中絶
第23章. 「作り上げること」と「壊し尽くすこと」との闘い


教会がどうなってしまったのか分からなくなってしまったカトリック信者たちへ【その13】

2018年09月30日 | ルフェーブル大司教の言葉
教会がどうなってしまったのか分からなくなってしまったカトリック信者たちへ

ルフェーブル大司教の公開書簡 その13



第13章 信教の自由、団体主義の平等、エキュメニズムの博愛

地獄の門が、現代これ程大騒ぎしているのはどこから来るのでしょうか? 教会の歴史は、つねに迫害や異端、世俗の権力との衝突や或る時代の一部の聖職者の、数名の教皇たちの不品行によりかき乱されてきました。しかし今回、危機は、信仰それ自体に関わっているのでより深刻なっているように思われます。私たちが直面している近代主義は、他とは異なる類の異端なのです。それはありとあらゆる異端の肥溜めです。いくつもの迫害が、今日では教会の外部からだけでなく、至聖所の内部からやってきます。聖職者が司祭職を放棄し或いは還俗するスキャンダルは、制度化されつつあるかのようです。羊を狼に投げ出す雇われた牧者が、励まされ名誉を持って讃えられています。

時々私は、この状況をあまりにもあしざまに言いすぎる、またはそれをひどく非難して眺めている、そして完全に論理的かつ必要な諸々の進化に関して不満でいることを楽しんでいるなどと非難されます。しかし第二バチカン公会議の中心であり霊魂であった教皇様自身が、私が悲しくも話している崩壊についてたびたび言及しています。

1969年12月7日、教皇パウロ六世は言われました。「教会は、不安と自己批判、そしてさらには自己破壊ともいえる時にいます。まるで教会内部の深刻で複雑な動乱のようです。あたかも教会は自分を鞭打っているかのようです。」

翌年に、彼は「公会議は、多くの領域にわたって今まで私たちに静けさを与えてくれませんでした。いえ、どちらかと言えば公会議は、様々な騒動と問題を引き起こし、それらは教会と霊魂たちにおいて、天主の王国を強化するためには役立たない問題でした。」と告白しています。それから1972年6月29日 (聖ペトロとパウロの祝日) には、「サタンの煙がいくつものひび割れをとおして天主の神殿のなかに侵入してしまいました。つまり、疑い、不確かさ、様々な問題、不安、不満、そして対決などが表面化しました・・・。疑いは私たちの良心にまで入り込んだのです。」という警報の叫びまで続きました。

このひび割れはどこにあるのでしょうか? それが生じたその瞬間を、私たちは正確に、時代の中に指摘することが出来ます。それは、1789年でした。そしてその名は、革命です。

フランス革命のフリーメーソン的そして反カトリック的原理は、二〇〇年をかけて聖職者たちの頭や、ミトラ(司教冠)をかぶった頭のなかに入り込みました。今日、これは完遂された事、現実となったことです。不安を抱いているカトリック信者の読者の皆さん、これがあなた方がどう考えてよいか分からなくなってしまった原因です。

これらの現実を私たちが信じるためには、事実を私たちがこの目でしかと見る必要がありました。なぜなら私たちは、先験的に、このようなことは不可能であり、天主なる聖霊によって導かれている教会の本性そのものとは両立しえないとので、まさか起こりうるはずがないと考えていたからです。 

1877年に書かれた有名な著作の一頁の中で、ゴーム司教は革命を革命自らによって定義させています。

「私は、あなたが考えているものではない。私について多くの人は話すが、私を知っているものはほとんどいない。私はカルボナリ主義(イタリアの秘密結社)ではなく、暴動でもない。私は、君主制から共和制への変化でもなく、一つの王朝からもう一つの王朝への移行でもなく、社会秩序に対する一時の混乱でもない。私はジャコバン派(急進左派)の叫びでもなく、山岳派(急進最左派)の怒りの雄叫びでもなく、バリケードでの戦闘でも、略奪でも、放火でも、農地改革法でも、ギロチンでも、溺死でもない。私はマラーでもロベスピエールでもなく、バブーフでもマッツィーニでもコスートでもない。彼らはわが子であるが、私ではない。これらは、私の業ではあるが、私ではない。これらの人々や事柄は一時的なことであるが、私は恒久な状態である。・・・私は憎しみである。私は、人間によって制定されることのないあらゆる秩序への憎悪、人間自身がそこにおいて王でもなく神でもないあらゆる秩序への憎悪である。」

教会にいて「変革」をおこそうという意志の鍵はここにあります。つまり、人間の手によって作られた制度で、天主による制度を置き換える、ということです。そして人間が天主の上に立つのです。人間は全てを侵略します。全ては人間で始まりと人間で終わるのです。この人間の前にひれ伏しているのです。

パウロ六世は、公会議閉会の講話で次のようにこの転変を定義しました。

「世俗の天主なき人間中心主義がついに恐るべき巨大さをもって現れ、言わば公会議に挑戦して来たのであります。人となった天主を礼拝する宗教は、自らを天主となす人間の宗教(なぜならそれも一つの宗教ですから)とが出会ったのです。」

パウロ六世は、すぐに言葉を続けて、この恐るべき挑戦にもかかわらず、衝突も排斥もなかった、といっています。何と言うことでしょうか! 「人間にたいする限りのない好意」を見せながら、第二バチカン公会議は二つの態度の間で妥協がありえないことを鮮明に堅固に指摘する義務を怠ったのです。しかもその同じ閉会演説は、私たちが現代、毎日のように実践しているのを見ている事に、拍車をかけているように思われます。

「皆さん、少なくとも公会議のこの努力を認めてください。天上のことの超越性を放棄している現代の人間中心主義である皆さん、私たちの新しい人間中心主義を認めることができるようになってください。私たちも、私たちもだれにもまして人間を礼讚するものなのです。」

その後、このテーマを展開させた声明が、同じパウロ六世の唇から出るのを私たちは聞きました。「人間は、元来良いものであり、理性、秩序、そして共通善へ向かっています。」(平和の日のためのメッセージ、1970年11月14日)。「キリスト教と民主主義とには、共通の根本的原理があります。それは尊厳と人格の価値を尊重すること・・・人間の完璧な促進です。」(マニラ、1970年11月20日)。

民主主義とは特別に宗教を無視するシステムですが、その民主主義は人間において、人間に尊厳を与える唯一の特性、つまり天主の贖われた子供という性格を無視しているのに、いったいどうして私たちはこの比較によって狼狽させられないでいることが出来るでしょうか?人間の促進とは、キリスト信者が理解するのと、無信仰者が理解するのとでは、確かに意味が違います。 

教皇メッセージは、度あるごとにその世俗性(=非宗教性)を増していきます。1970年12月3日、シドニーにおいて、これを聞いて私たちは驚きました。

「孤立はもはや許されません。人類の大連帯、世界的結束した兄弟的共同体創立の時は来ました。」

全ての人間の間の平和は確かに大切です。しかしカトリック信者はキリストの次のみことばを認識しなくなってしまっています。「私はあなたたちに私の平和を与える。私があなたたちに与える平和は、この世が与えるような平和ではない。」

地と天とを結びつけていた絆は、破られたように思えます。

「ああそうです。私たちは民主主義の中に生きています! それは、人民が指揮をとることを意味し、権能は多数から、つまりあるがままの民から生まれるのです」(パウロ六世、1970年1月1日)。

イエズスはピラトに言われました。「もし上から与えられなかったら、あなたには私に対する、いかなる権能もなかっただろう」。

権力は多数からではなく、天主から来るのです。例え指導者の選出が、選挙による方法で行われていたとしてもそうです。ピラトは異教の国の代表者でしたが、依然として天の御父の許しがなくては、何もすることが出来ませんでした。 

そして今、教会内に民主主義が侵入しています。新教会法は、権力が“天主の民”に属すると教えています。「基礎」と呼ばれるものに権力の行使を参与させる傾向は、現代機能している諸構造のいたるところにあります。つまり、シノドゥスも、司教評議会、司祭評議会、司牧会議、ローマ委員会、全国委員会などです。修道会においても同様に諸委員会があります。 

これは教導職の民主化であり、彼らのために医師も助けに来てくれず途方に暮れている毒を盛られた数百万の霊魂たちとって、死の危険を意味します。何故なら、以前は教皇や司教たちの個人的教導職によっていたがために存在していた効率性が民主化により崩壊してしまったからです。信仰や道徳に関する問題が生じた場合、今では様々な神学委員会の元に付され、それらの委員会は何らの回答も与えずに終わってしまうようになってしまいました。何故なら神学委員会の委員たちはその意見と手法においてお互いに分裂しているためです。あらゆる水準に存在するこれらの委員会や団体の議事録や報告を読むだけで、私たちは教導職の団体主義は教導職の麻痺に等しいということを知るのに充分です。

私たちの主がご自分の羊の群れを世話することを、集団ではなく個人に頼みました。使徒たちは、私たちの主の命令に従い、20世紀に至るまでそうでした。継続的団体主義の教会、永続的会議の事態にある教会についての話を聞くようになるには、現代にまで待たなければなりませんでした。その結果は待つまでもありません。すべてが逆さまになり、信者たちはどの道に向き直せば良いのかわかりません。

教導職の民主化には、統治の民主化が続きました。これは共産主義のマスメディアや、プロテスタントそして進歩的報道機関により広く拡げられた、「団体主義(合議制)」という有名なスローガンの勢いの元に実現されました。

教皇の統治を司教らと共にさせて団体化し、司教たちの統治を、司祭団を持ち出すによって団体化し、そして小教区の主任司祭の教会運営を、信者評議会をもって団体化しました。つまり無数の委員会と評議会、会合などによって全ては細かく区切られるようになりました。新しい教会法典は、この概念で完全に浸透されています。新しい教会法典によれば、教皇は、何よりもまず、司教団の頭として定義されています。ここには、教皇と共にある司教団が、教皇のように教会において最高の権力を享受し、しかもこれは継続的であり常在するとされ、既に公会議文書『教会憲章』において暗示された教えを私たちは見出します。

これは改良ではありません。二重の最高の権力があるという教えは、教会の教えと教導職の実践に矛盾しているのです。それは、第一バチカン公会議の定義と対立し、教皇レオ十三世の回勅『サティス・コニトゥム(Satis Cognitum)』に反しています。最高の主権は教皇だけが持ち、教皇はそれが良いと判断する時に且つ例外的状況にある時にのみ、これを伝達するのです。教皇だけが、唯一、全世界の上に裁治権を持っているのです。

従って現代、最高司教である教皇の自由に対する制限を、私たちは目撃しているところなのです! そうです。これはまさに革命です! 事実は、実際の結果を伴わない変更ではないということを証明しています。ヨハネ・パウロ二世がこの刷新によって、実際に影響を受けた最初の教皇様です。司教評議会からの圧力のもとで、ある決定を承認してしまったという、幾つかの正確な実例を、私たちは引き合いに出すことが出来ます。オランダ公教要理は、枢機卿委員会によって要求された修正をすることなく、ミラノ大司教より印刷許可 (imprimatur) が与えられています。それは、カナダ公教要理についても同じでした。これについて、あるローマの聖省長官がこう言ったのを私は聞きました。「司教評議会を前にして、わたしたちに何ができましょう?」

これらの評議会が握る独立は、フランスにおいても公教要理に関して例示されていました。これらの新しい手引き書は、使徒的勧告『カテケジ・トラデンデ (Catechesi Tradendae)』の殆ど全ての点で矛盾していました。イル・ド・フランス(パリ)の司教たちによる1982年になされたアド・リミナのローマ訪問は、教皇が明らかに認めたくない公教要理を批准するよう、教皇を説得することにその目的はあったのです。この訪問の終わりに、ヨハネ・パウロ二世によってなされた短い講話は、妥協のもつ全ての性格をはらんでいました。その妥協のおかげで、司教たちは、母国に凱旋帰国し、自分たちの悪しき業をそのまま続けることが出来たのです。パリとリオンでなされたラッツンガ―枢機卿の講話は、新しい教義と新しい教育方針を据え付けようとフランスの司教たちがローマに提示した理由を、ローマが賛成しなかったこと示唆しています。しかし聖座は、事態を正しい軌道に置くために必要とされた数々の指令を出し、そして信仰の遺産の保管者として教皇たちが従来つねに行っていたように、軌道修正がなされない場合には排斥する代わりに、提案と助言など、この種の圧力をかけるだけに還元されてしまったことをも示唆しています。 

司教について言えば、団体主義によって裁治権が増したようにも見えますが、司教自身も、自分の司教区の運営を麻痺させる団体主義の犠牲者となっています。この問題について司教たち自身が非常に多くの反省をしていますが、それらなんと教訓的なものでしょうか! 理論上では、司教は多くの場合、司教団の希望に反して行動することが出来ます。 時には、投票が認可を求めて聖座に提出されていなかったならば、大多数の司教たちに反してさえそう出来るのです。しかし、実際上は、これは不可能であることが立証されています。司教会議の直後に、その諸決定は事務局によって発表されます。このようしてこの決定内容は、司祭たちと信者たち全てに知られるのです。つまり、メディアはその主な内容を伝えます。司教評議会との不一致を皆に示すことなく、それから即座に評議会に自分を告訴するであろう何名かの革命的司教らと対決することなく、事実上、これらの諸決定に対し、どのような司教が反対することが出来るでしょうか?

司教は団体主義の囚人となってしまいました。司教評議会は、決定する組織となるべきではなく、皆で相談する組織として限定されるべきでした。最も単純な事柄のためであっても、司教はもはや、自分の家の主人ではなくなってしまいました。公会議後まもなく、私が私たちの共同体の訪問(=聖霊修道会の修道院を総長として訪問したこと)をしていた間、ブラジルのある司教区の司教が、私を迎えるために非常に親切に、駅へやってきました。

この司教様は言いました。

「私は司教館にあなたを泊まらせることが出来ません。しかし、小神学校にあなたのために準備しておいた部屋があります。」

彼は私を自らそこへ連れて行きました。小神学校は騒々しいところで、青少年と少女が、廊下や階段のいたるところにいたのです。

「この青年達、彼らは神学生ですか?」と私は尋ねました。

「違います。悲しいかな、私はこれら若者たちが、自分の神学校にいるのに全く賛成などしてないのです。信じて下さい。しかし司教会議は、今後、私たちの施設においてカトリック・アクションの会議を開催しなければならないと決定してしまいました。あなたの見ている若者たちは一週間ここにいます。私に何が出来ますか? 周りと同じようにすることだけです。」

教皇であれ又は司教たちであれ、天主の権によって人に個人的に授けられた権能は、没収されてしまったのです。それは、その支配権が大きくなり続けるだけのある存在の利益の為です。

人は私にこう言うかもしれません。司教評議会は最近のものではない、ピオ十世は今世紀初頭、既に、司教会議に認可を与えている、と。これは正しい事ですが、この聖なる教皇は司教会議にたいし、それを正当化する定義を与えたのです。

「これら司教の集会は、あらゆる地方と州において、天主の御国の維持と発展のために、最も大きな重要性を有している。いつ何時であれ、聖なる事柄の保管者たる司教たちは、そうすることによって彼らの光を共に合わせる。それにより、彼らの民の必要をより敏感に気づき、最もふさわしい薬を選ぶのみならず、さらに司教たちはまた自分たちを一致させる絆を固くする結果をもたらす。」

従って、聖ピオ十世のいう司教評議会とは、そのメンバーが義務的に遂行しなければならないことを団体として決議する国家管理的な性格を帯びる制度ではないということです。それは、科学者会議が、実験はあの又はこの実験室で実行しなければならないという実験方法の議決などしませんが、このような科学者会議以上のものではない、と言うことです。

しかしながら、司教評議会は現在、議会のように機能しています。フランス司教団の通常理事会が、行政組織となっています。司教は、司教区を統治するため教皇から任命された使徒たちの後継者と言うよりは、時流に合う表現を借りれば、フランス共和国の県知事、政府の役人のようです。 

司教評議会では、司教は投票を行います。投票総数が余りにも大きいために、ルルドにおいては、電子投票システムを設置しなければなりませんでした。それから必然的に党派や派閥の形成になります。投票と党派とは一つがなければ他方も成り立ちません。党派や派閥とは分裂を意味しています。通常の政府が、通常の執行において、評議の投票に従属させられるとすると、統治は効率の悪いものになります。結果的に全団体が苦しむのです。

団体主義の導入により、無視することの出来ない効率の低下を導きました。 一人の個人によるよりも団体のもとで、聖霊はより容易く妨げられ、悲しませられるのです。個々の人に責任があるとき、例え沈黙する者がいるとしても、個々人は行動し、彼らは発言します。会議において、決定するのは数です。

しかし、数は、真理を作りません。

団体主義は効率的でもありません。団体主義によって過ごした20年の後に私たちが認識するように、また私たちが実験することなしに仮想することさえできたように、効果がありませんでした。寓話作家は、もうずっと以前に「何の役にも立たないのにそのままずっと保存されてきた莫大な書類」について語っていました。ある国には主権を有する元首らがもういないので、投票によって諸決定を正当化するという、政治的な制度を真似ることは必要だったのでしょうか? 教会は、天主の御国を拡張する為、自らしなければならない事を熟知しているという、莫大な利点を所有しています。その指導者たちは任命されるのです。共通の宣言を一生懸命に作ろうとしているが、万人の見解を考慮に入れなければならないゆえに、決して満足のいくものにはならず、余りにも多くの時間が無駄になっています。

様々な委員会と小委員会、また特別委員会と会議の準備に参加するために、何と多くの絶え間ない旅行をするのでしょうか! エッチェガレ司教は、ルルドでの1978年度の司教評議会の終わりに言いました。「私たちは、もはや何から始めて良いのか分かりません」

その結果は、共産主義、異端、不道徳などに反対する教会の抵抗力が、極めて弱められてしまったということです。これこそが、教会の敵対者たちが希望していたことであり、それが理由で、彼らは教会を民主主義の道に駆り立てるために、公会議中あるいは公会議後に、このような努力を払ったのです。

もし私たちが注意深く調べるなら、革命のスローガンのと共に、革命が天主の教会に浸透してしまいました。「自由」、これは上述のように、信教の自由のことで、これは誤謬に権利を授与するものです。「平等」、それは団体主義 (合議制) であり、個人の権威、つまり天主の権威、また教皇の権威、司教の権威の破壊を伴う、いわゆる多数の法則なのです。最後に「博愛」はエキュメ二ズム (宗教統一運動) によって説明されます。

この3つの言葉により、1789年の革命的イデオロギーは、律法と預言者になってしまいました。近代主義者たちは、自ら望んだことに到達したのです。

ルフェーブル大司教 公開書簡 「教会がどうなってしまったのか分からなくなってしまったカトリック信者たちへ 全23章」

第1章. なぜ今カトリック者たちは、困惑しているのか。原因は、カトリック教会に侵入した新しい精神。それは教会の過去の教えと生命とを疑問視させる。
第2章. 私たちの宗教は変えられようとしている!
第3章. 典礼改革:ミサ聖祭が全く日常の行為の位まで押し下げられている。非神聖化。聖なる物の喪失。
第4章. 永遠のミサと現代のミサ。典礼改革は意図的に犠牲を食事に変える。
第5章. 「それは昔の話ですよ!」
第6章. 洗礼と婚姻、悔悛と終油の秘蹟の新しい仕方
第7章. 新しい司祭職
第8章. 新しい公教要理
第9章. 現代の神学
第10章. エキュメニズム(キリスト教一致運動)
第11章. 信教の自由
第12章. 「同志」および「同伴者」たち
第13章. フランス革命のフリーメーソン的スローガン「自由・平等・博愛」は、第二バチカン公会議の「信教の自由、団体主義の平等、エキュメニズムの博愛」となった
第14章. 「第2バチカン公会議は教会内部のフランス革命だ」(スーネンス枢機卿)
第15章. 教会と革命の結合:リベラル派は教会を革命と結婚・合体さようとし、歴代の教皇たちはこのリベラルなカトリック主義を排斥し続けてきた
第16章. 信仰を瓦解させる新近代主義
第17章. 聖伝とは何か:聖伝とは「数世紀を経て教導職により伝えられてきた信仰の遺産」と定義される
第18章. 本当の従順と偽物の従順:「従順」の名によって全聖伝に不従順であることは本物の従順ではない。
第19章. エコンの神学校とローマ
第20章. 永遠のミサ
第21章. 異端でもなく、離教でもなく
第22章. 家族で出来ること:家族という組織単位が破壊されつつある、離婚、同性愛カップル、出生率の低下、中絶
第23章. 「作り上げること」と「壊し尽くすこと」との闘い


教会がどうなってしまったのか分からなくなってしまったカトリック信者たちへ【その12】

2018年09月29日 | ルフェーブル大司教の言葉

教会がどうなってしまったのか分からなくなってしまったカトリック信者たちへ

ルフェーブル大司教の公開書簡 その12


第12章 「同志」および「同伴者」たち

まとめてみましょう。キリスト教的な良識は、新しい宗教によりあらゆる面で衝突しています。カトリックは、四方八方で非神聖化の餌食になっています。すべてを変えられてしまいましたし、全てを順応させられました。

カトリック信徒たちは「ありとあらゆる宗教はすべて救いに至る」と教えられており、教会は「離ればなれになったキリスト者」だけでなく、仏陀の前に身をかがめようがクリシュナを崇拝しようが、あらゆる信者を分け隔てなく受け入れています。またカトリック信者は、聖職者も平信徒も「神の民」の平等な成員であるが故に、特定の職務のために選ばれた平信徒らは聖職者の仕事をさせることができると教えられています。平信徒だけで葬式を執り行ったり、平信徒が臨終の床にある病人に聖体拝領を施したりするのを私たちは目の当たりにしています。他方、聖職者たちは平信徒の仕事をしています。平信徒の装いをし、工場で働き、労働組合に従事し、政治運動に参加しています。新しい教会法はこうしたことすべてをよしとしています。教会法は、平信徒に前代未聞の特典を与え、彼らと司祭たちの間の区別を不鮮明にし、いわゆる「権利」を創出してきました。平信徒の神学者がカトリックの大学で教鞭を執り、かつては下級品級の聖職の地位にある者だけに留保されていた天主への崇拝における役割を、篤信の信者が引き受けるようになってきました。そうした人々は、秘跡のうちのあるものを執り行い、聖体拝領を施したり結婚式における役務的立会人を務めたりしています。

他方で、「天主の教会は、カトリック教会に存する subsistit in」するという疑わしい言い方も知られています。何故疑わしいかというと、常に「天主の教会は、カトリック教会である est」と教えられてきたからです。

もしこの新しい定式を受け入れるなら、プロテスタントや正教会の宗派は、教会の等しい一部を構成することになってしまいます。しかし、それはあり得ないことです。なぜなら、それら諸宗派は、イエズス・キリストにより創始された唯一の教会から自らたもとを分かったからです。すなわち Credo in UNAM sanctam Ecclesiam. 使徒信経に言うように「われは一・聖なる教会を信じる」のです。

新しい教会法はあまりにも性急かつ混乱のうちに起草されたため、1983年1月に公布されたものの、同年11月までに114もの修正が加えられました。このことも、教会法は不変と見なすことに慣れ親しんできたキリスト者にとって狼狽の種です。

もしも一家の家長が、我が子を大切に育てようと思うなら、彼が熱心に教会に通っているか否かにかかわらず、必ずや落胆させられることになるでしょう。カトリックの学校は、たいていの場合、男女共学で、性教育が行われ、上級になると宗教教育はなくなり、社会主義者やさもなくば共産主義に偏向した教師も珍しくないからです。フランス西部で騒動となったケースでは、ある教師が親たちの圧力によって免職となったものの、その後教区当局により復職させられました。その教師はこのように自己弁護していました。「聖母マリア学校に勤めて6か月後、ある生徒の父親は、わたしが学年当初から政治、社会、宗教のあらゆる点で左翼であることを示してきたというただそれだけの理由で、わたしを首にしようとしたのです。その父親によれば、人はカトリック学校の哲学教師を勤めながら、同時に社会主義者であることなどできないということです。」

フランス北部でもこんな事件がありました。ある学校で新しい校長が教区当局により任命されましたが、ほどなくして親たちは、彼がかつての左翼団体闘士で、還俗した元司祭で、妻帯者で、子供たちは洗礼を受けていないらしいことに気づいたのです。クリスマスに彼は、共産主義者として知られているグループの支援を得て、生徒とその親たちのためにパーティーを開きました。善意のあるカトリック信者なら、こうした状況のもとで、自分の子供をカトリック学校にやるために犠牲を払う価値があるのかどうか、いぶかるに違いありません。

パリの中心部にある女学校の教理クラスの教師は、ある日の朝、フレーヌの刑務所付司祭が若い在監者(18歳)を連れてやって来たのを紹介しました。司祭は生徒たちに、囚人たちがいかに孤独か、いかに愛情を必要としており、外部の人との触れあいや手紙を欲しているかを説明しました。ゆくゆくは教母になりたいと望んでいる女学生はだれでも、自分の名前と住所を渡すことができました。しかしながら、どうせ親たちには理解されないので、親にはこのことを絶対に言ってはならないとされ、生徒たちの間で秘密にしておかねばならなりませんでした。

別の場所では、ある女教師に関して親たちの一団から苦情が寄せられました。理由は、その女教師が子供たちに教理問答の節と天使祝詞の祈りを教えていたからです。彼女は司教の支援を得ていました。彼女のしたこと以上正当なことはありえません。ただし、親たちの手紙が教師向けの雑誌 La Famille éducatriceに転載され、その事件が語られたのは尋常と思えることではありません。

こうしたことすべてをどのように理解すべきでしょうか。フランス政府が私立学校の廃止を決定した際、ほとんどの場合、学校側は何らかの点で自分たちが使命を果たしていないため、批判に対して自ら脆弱性を露呈しました。反対勢力は、「あなた方は教育制度に関して何をやっているのか。あなた方は何の役に立っているのか? 私たちは、あなた方がやっているのと全く同じことをしているのだ。なぜ教育制度が二つもなければならないのか」と口々にはやし立てました。もちろん、私たちはまだ信仰を保っている人々がいるのを知っていますし、自分の責任を自覚している多くの教師には敬意を払わなければなりません。

しかし、カトリック教育は、公立学校と向き合うときに、もはや自らの存在意義を明らかにすることがでません。カトリック教育は、世俗主義(=全てを宗教から切り離そうとする考え)の熱心な信奉者たちにより突き進むべきとされた道のほとんど半ばを走りきってしまったからです。デモのときにいくつかのグループが「学校には天主が必要だ!」と叫んでスキャンダルを起こした、と私に教えてくれた人があります。グループのまとめ役たちは、できる限り歌、スローガン、そして演説の内容からも宗教色を取り除いてきたのです。彼らに言わせれば、それは取り分けて宗教的関心がないままにデモに参加した人、特に宗教を信じない人々や、社会主義者が場違いな思いをしないですむようにするためだったそうです。

社会主義や共産主義という思想を私たちの学校から排除したいと願うのは、果たして政治に首を突っ込むことでしょうか。カトリック信者は、こうした主義は戦闘的無神論を標榜するが故に、教会はこのような主義とは真っ向から対立すると考えてきました。彼はその原理と適応において完全に正しいのです。無神論は、人生の意義について、また民族国家の宿命や社会が進展する方向に関して、根本的に考え方を異にしています。したがって、1984年6月5日付けル・モンド紙の掲載記事にはいよいよもって驚かざるを得ません。リュスティジェ枢機卿(パリの大司教)が新聞にされた質問に答えて、まことに当を得た所見を途中でいくつか述べていますが、一方、私立学校に関する議会の投票(=これで私立校の存続を決議した)で歴史的な好機を逸したのを目の当たりにしたと嘆いています。枢機卿によれば、この好機は、子供たちの教育のため社会・共産主義者らと共通の基本的価値基準を見出すことにあったとのことです。左翼マルキシストとキリスト教の教義との間に、一体どのような共通の基本的価値基準があり得るというのでしょうか。両者は完全に相対するものです。

さりながら、カトリック信者は、教会の聖職者と共産主義者の間の対話が強化されていることに驚きをもって見ています。ソビエトの指導者たちやヤセル・アラファトのようなテロリストがバチカンに受け入れられています。

第二バチカン公会議は、共産主義に対する非難を繰り返すことを拒否して、その流行を創り出しました。提出された公会議の教令草案にそのことが全く言及されていないのを見て、450人の司教たち--思い出しましょう--は、その趣旨に修正を求める書簡に署名しました。これらの司教たちは、過去になされた非難と、とりわけ共産主義は「本質的に邪悪」であると述べたピオ11世の回勅とに基づいていました。つまりその表現の意味するところは、共産主義のイデオロギーには否定的な要素もあれば肯定的な要素もあるというのではなく、それ全体をそっくりそのまま拒絶しなければならないということなのです。私たちはその後どうなったかを知っています。その修正案は、教父たちのもとに伝えられることはありませんでした。公会議事務総長は、そのことに関して一切知らなかったと述べています。その後、委員会は書簡を受け取っていたことを認めたものの、受け取るのが遅すぎたと言明した。これは真実ではありません。このことはスキャンダルとなり、教皇の命令により教会憲章 Gaudium et spes に、共産主義を暗示させるしかしほとんど効果のないものを載せるかたちで収束しました。

無神論が何を言明するかにはお構いなしに、共産主義者との協力を正当化し、さらには奨励するため、司教たちはどれほど多くの声明を出してきたことでしょうか! マタグラン司教は次のように語っています。「どのような状況下でなら共産主義者と共に働くことができるかを見極めるのは、私の務めではなく、キリスト者であり、責任能力のある大人のキリスト者の責務だ。」

ドロルム司教は、キリスト者は「正義と自由のために奮闘している大勢の人々と共に、世界にさらなる正義を求めて戦わなければならず、その中には共産主義者も含まれる」と言います。プパール司教も同様の調子で、「新しい世界がたゆまず構築されつつあるあらゆる分野において、正義を求める善意の人々すべてと共に働くように」と説き勧めています。ある教区の教会報によれば、ある労働司祭の葬儀に際して、次のような説教がされたといいます。「彼は地元議会の選挙に際して、労働者の社会を選択しました。彼にはすべての人のための司祭でいることができなかったのです。彼は、社会主義社会を選択する人々を選びました。彼にとって難しい選択でした。敵を作りましたが、同時に大勢の新しい友もできました。パウロ君は適材適所の人でした。」

少し前に、ある司教は「困窮している教会への援助」事業について、教区民には話してはならないと司祭たちを説きつけ、こう語りました。「私の印象だが、こうした事業は、あまりにも反共産主義的でしかないような外見がする。」

この種の協力関係に関する弁解は、間違った考えの上に、つまり共産党の目的は正義と自由を擁立するだろうという誤った考えに根ざしていることに、私たちは困惑しながらも気づいています。これについてはピオ9世の言葉を思い起こす必要があります。「もしも信徒たちが現在の陰謀を扇動している者たちに欺かれるままにされ、社会主義と共産主義の邪悪な体制のために彼らと共謀することに同意するのであれば、次のことに気づかせ、熟考させなさい。彼らは自らのため、かの憤りの日における報復の処罰の宝を天主なる審判者の元に蓄えているのです。そうして最後の裁きの罰を待っている間にも、この陰謀からは国民の現世的な益は何も得られず、かえって苦痛と災難を増し加えるだけなのです。」

今から約140年も前、1849年に語られたこの警告の正確さを噛みしめるには、共産主義のくびきのもとに置かれたあらゆる国々で生じた出来事を思い起こしてみるだけで十分です。様々な出来事はピオ九世のシラブスが正しかったことを証明しています。しかしながら、幻想はいよいよもって鮮明かつ強力に、今も存続しているのです。根強いカトリック国であるポーランドにおいてさえ、司祭はもはや、カトリックの信仰であるとか霊魂の救いを、そのために命そのものを含めたすべての犠牲が受け入れられねばならないほどの主たる重要事として取り扱ってはいません。彼らにとって最も重要な問題はモスクワとの決裂を回避することであり、お陰でモスクワは、さしたる抵抗を受けることなく、ポーランド国民をより完璧な隷属状態へと落としめることができているのです。

フロリディ神父はバチカンの東方政策における妥協的な政策の結果を明確に示しています。

「カザロリ枢機卿により聖別されたチェコスロヴァキアの司教たちが、モスクワの総主教下に置かれている司教たちと同様に政権に対して協力的であるのは周知の事実である。・・・教皇パウロ6世は、ハンガリーの各教区に司教を任じることができたのを喜んで、ハンガリー共産党の書記長ヨーナス・カダーに敬意を表し『教皇庁とハンガリー間の関係正常化の主要な立役者であり、権威者である』と賛辞を送った。しかし教皇はこの正常化のために、「平和の司祭たち」と言われる共産主義者らを教会内の重要な地位に就けなえればならないほど、大きな犠牲を払ったことについては触れなかった。・・・事実そればかりか、カトリック信者は、ミンツェンティ枢機卿の後継者のラズロ・レカイ枢機卿がカトリックとマルクス主義者との対話の促進を約束したのを聞いて仰天させられたものだ。」共産主義の本質的邪悪さについて述べたピオ11世は、「誰であれキリスト教の文明を守りたいと望む者なら、共産主義との協力ができるいかなる分野も見出すことはできないはずです」と付け加えています。

すでに私が列挙してきた事柄に加えて、教会の教えからの断絶を直視するなら、バチカンは今や、教会の創始者なる天主イエズス・キリストが定めたことよりも、世界の救いのためには人間的・外交的術策の方がより効果的であると信じている近代主義者やこの世の人間たちに占領されてしまったと言わざるを得ません。

先にミンツェンティ枢機卿について触れましたが、彼のような英雄たちおよび共産主義の殉教者、特にベラン、ステピナック、ウィンスジンスキー、スリピジといった枢機卿たちは、今のバチカンの外交政策にとっては邪魔な証人であり、特に最初の数名の枢機卿たちは今では主の平和のうちに眠りにつかれているが、物言わぬ譴責者になっていると言わねばなりません。そしてまだ生きているスリピジ枢機卿についてはその大きな発言の声を窒息させています。

同様の接触がフリーメーソンとの間でもなされてきました。それは1981年2月に信仰教義聖省がフリーメーソンを禁止する明白な宣言を打ち出し、その前年の1980年4月にはドイツ司教協議会が声明を出したにもかかわらずなされました。しかし新しい教会法はフリーメーソンについて言及せず、敢えて制裁を課していません。カトリック信者は、最近ブナイ・ブリス・メーソンがバチカンに歓迎されたことや、パリの大司教がフリーメーソンのロッジのグランド・マスターと会って面談したのを知っています。その一方で、ある聖職者たちは、このサタンの会堂とキリストの教会を和解させようと試みを続けています。

彼らはカトリック信者に対し、ほかのことでも同様ですが、こう言って安心させようとします。「この派に関する非難はおそらく過去においては正当なものでした。しかし、三つの点のフリーメーソンの兄弟は、以前とは変わっています。」ではフリーメーソンのなす仕事のやり方を見てみましょう。イタリアで起きたロッジP2のスキャンダルは、今なお人々の記憶に新しいものです。またフランスでは、カトリックの私立教育に反対する民事法を施行させようとしたのは、間違いなく、何よりもグランド・オリエント・フリーメーソンの活動でした。フリーメーソンは、フランス大統領と政府内の彼の同胞および閣僚に対して圧力を増し加え「偉大な統一国家教育事業」が最終的に実現するよう画策したのです。今回は、公然と行動したことさえもありました。ル・モンドなどいくつかの新聞は、彼らの策略について定期的に取り上げました。フリーメーソンの計画や計略は、彼らの発行する雑誌で公表されていたからです。

フリーメーソンが今も昔ながら変わっていないことをここで指摘する必要があるでしょうか。グランド・オリエント元グランド・マスターであったジャック・ミッテランは、1969年ラジオ番組で「我々の支部内には常に司教や司祭たちがいた」ことを認め、さらにその信条を告白して次のように語っています。「天主の代わりに人間を祭壇の上に置くことがルシファーの罪だとするなら、ルネッサンス以降すべての人文主義者(人間中心主義者)はこの罪を犯してきたことになる。」これは1738年にローマ教皇クレメンス12世により初めてフリーメーソンが破門されたときに、彼らに関してなされた申し立てのうちの一つでした。1982年に、グランド・マスターであるジョルジュ・マルクーは、「これは最高主権者たる人間の問題である」と同じことを述べています。再選されたとき、彼の最大の関心事は、国家医療制度による堕胎に対する援助金支給で、彼は「女性の経済的平等はこの第一歩に依存している」と述べています。

フリーメーソンは徐々に教会に侵入してきました。1976年には典礼改革派の中心人物、モンシニョール・ブニーニがフリーメーソンのメンバーであることが発覚しました。このことから彼のほかにもフリーメーソン会員が存在していたことは確かです。

聖職者と信徒には見えないように隠蔽してきたこの大きな謎を覆うベールは裂け始めています。時の経過とともに私たちはますますはっきりとわかってきます。それは数世紀にわたる教会の敵にとっても同じことです。ジャック・ミッテランはこう書いています。「教会内部で何かが変わってきている。司祭の独身制や産児制限など最も急を要する質問への教皇の答えについては、教会の内部でさえ盛んに議論されている。教皇のことを「最高司教」と呼ぶ名称も、司教、司祭、および信徒たちの間で疑問視されている。フリーメーソンについて言えば、教義に疑問を抱く人はすでにエプロンを付けていなくともフリーメーソンなのだ。」

別のフリーメーソン、スコットランド儀式のマーソドン氏は、第二バチカン公会議を通して育まれてきたエキュメニズムについて次のように述べています。「カトリック信者、とりわけ保守派は、すべての道は天主に至るということを忘れるべきではない。彼らは思想の自由というこの勇気ある考えを維持していかなければならない。この思想の自由は、まさにこれこそ革命であるということができるが、フリーメーソン支部から流れ出て、壮大にサン・ピエトロ大聖堂のクーポール(=丸天井)の下にまで広がった。

ここで今一度、読者のためにある文献を引用してみたいと思います。この文献は、問題に光を当て、シックス神父とリケ神父によって唱道されているこの種の交流において、相手方を席巻することを望んでいるのがどちらの側かをよく示すものです。以下はフリーメーソン発行の雑誌「ユマニスム(人文主義)」1968年11月および12月号からの抜粋です。

「いとも簡単に崩壊しかねない柱から柱の間で、我々は不可謬性を付与された教義上権能を例に取ろう。百年前に開かれた第一バチカン公会議で、その権威は強化されたとみなされ、また回勅『フマネ・ヴィテ』の発刊の結果生じたいくつかの複合的な攻撃にも、その権威は持ちこたえた。教会が中世の大衆に信じる義務を首尾よく課すことができた聖体におけるキリストの実在は、カトリックの司祭とプロテスタントの牧師の間で、諸教派共同聖餐式やミサの共同執行が進展するにつれてやがては消失するだろう。司祭の神聖な身分は、叙階の秘蹟に由来するものであるが、選挙で選ばれる地位また一時的な地位に取って変わられるであろう。高位の指導的聖職階級と下位の聖職者間の区別は、あらゆる民主主義社会におけると同じように、底部から上方へ向かうダイナミズムに屈服させられることになろう。秘跡の存在論的および形而上的本質は徐々に失われ、告解は間違いなく消滅しよう。罪は我々の文明において、中世の厳しい哲学から受け継がれてきた最も時代錯誤的な観念であり、そうした中世哲学自体、聖書の悲観主義を継承するものだった。」

読者は、フリーメーソンが教会の将来にどれほど強い関心を抱いているか、ただし教会を食らい尽くすために関心を持ってことがもうお分かりでしょう。カトリック信者は、このことを十分に認識しなければなりません。たとえセイレーンたちが子守歌を歌って眠らせようとしても、です。これら破壊的な勢力には、すべて密接な相互関係があります。フリーメーソンは、自分たちの主義はリベラリズムの哲学だと主張しますが、そのリベラリズムの最も究極の形は社会主義にほかならないのです。これらすべての者たちは、私たちの主の言われた言葉、「地獄の門」のもとに参集しているのです。

 

ルフェーブル大司教 公開書簡 「教会がどうなってしまったのか分からなくなってしまったカトリック信者たちへ 全23章」

第1章. なぜ今カトリック者たちは、困惑しているのか。原因は、カトリック教会に侵入した新しい精神。それは教会の過去の教えと生命とを疑問視させる。
第2章. 私たちの宗教は変えられようとしている!
第3章. 典礼改革:ミサ聖祭が全く日常の行為の位まで押し下げられている。非神聖化。聖なる物の喪失。
第4章. 永遠のミサと現代のミサ。典礼改革は意図的に犠牲を食事に変える。
第5章. 「それは昔の話ですよ!」
第6章. 洗礼と婚姻、悔悛と終油の秘蹟の新しい仕方
第7章. 新しい司祭職
第8章. 新しい公教要理
第9章. 現代の神学
第10章. エキュメニズム(キリスト教一致運動)
第11章. 信教の自由
第12章. 「同志」および「同伴者」たち
第13章. フランス革命のフリーメーソン的スローガン「自由・平等・博愛」は、第二バチカン公会議の「信教の自由、団体主義の平等、エキュメニズムの博愛」となった
第14章. 「第2バチカン公会議は教会内部のフランス革命だ」(スーネンス枢機卿)
第15章. 教会と革命の結合:リベラル派は教会を革命と結婚・合体さようとし、歴代の教皇たちはこのリベラルなカトリック主義を排斥し続けてきた
第16章. 信仰を瓦解させる新近代主義
第17章. 聖伝とは何か:聖伝とは「数世紀を経て教導職により伝えられてきた信仰の遺産」と定義される
第18章. 本当の従順と偽物の従順:「従順」の名によって全聖伝に不従順であることは本物の従順ではない。
第19章. エコンの神学校とローマ
第20章. 永遠のミサ
第21章. 異端でもなく、離教でもなく
第22章. 家族で出来ること:家族という組織単位が破壊されつつある、離婚、同性愛カップル、出生率の低下、中絶
第23章. 「作り上げること」と「壊し尽くすこと」との闘い


教会がどうなってしまったのか分からなくなってしまったカトリック信者たちへ【その11】

2018年09月27日 | ルフェーブル大司教の言葉
教会がどうなってしまったのか分からなくなってしまったカトリック信者たちへ

ルフェーブル大司教の公開書簡 その11



第11章 信教の自由

公会議の最中、最も激しい議論が起こったのは、信教の自由に関する草案でした。これはリベラル派たちが行使した影響力と、教会の代々の敵がこの問題で得る利益を考えると容易に理解されます。

20年が過ぎました。聖伝に反対し、近代の全ての教皇たちの教えに反対する様々な概念を含む宣言としてこの文書が公布された時、私たちの抱いていた恐れが誇張されていなかったことが今改めてよくわかります。誤っている原理あるいは曖昧に表現された原理は必ず、その適応の時に誤りが犯されることによりその潜在的な誤謬をさらけ出すであろうことは、何と真実なのでしょうか。この章の後半で、わたしはフランスの社会主義政府のカトリック教育に対する攻撃が、第二バチカン公会議によって信教の自由に与えられた新しい定義の論理的結果であるのかを説明します。

この宣言がいったいどのような精神において起草されたか理解するために、少し神学に触れます。初めの ― そして新しい ― 論点は“人格の尊厳”の上に、全ての人が自分の好きな宗教の内外的実践に関する自由を基づかせるものです。従って、この議論によれば、自由はこの尊厳に基づき、そして尊厳は自由にその存在理由を与える、とします。人はその尊厳の名によってどんな誤謬でも信奉することができる、というものです。

これは馬の前に馬車をつけるようなもので、本末転倒しています。何故ならば、誰でも誤謬に執着すればみずからの尊厳を失うので、もはや尊厳の上に何も築くことが出来ないからです。むしろ自由の根源は真理なのであって尊厳ではないのです。「真理はあなた方を自由にするだろう」と私たちの主はおっしゃいました。

尊厳とは何を意味するでしょうか? カトリックの教えによれば、人はみずからの完全性から尊厳を引き出す、つまり真理を知りそして善を獲得することから尊厳を引き出すのです。人間は天主に従う意向にしたがって尊敬にふさわしくなり、人間を必然的に罪へ導く誤謬に執着することに従ってではありません。最初の罪びとであるエワが誘惑に負けた時に言いました。「ヘビが私をだましました。」彼女の罪とアダムの罪は以来ずっと、私たちが苦みつつある人間の尊厳の転落を導きました

そういうわけで私たちは自由を、その原因として尊厳の転落に結びつけることは出来ないのです。その反対に、真理への執着と天主への愛こそが、本当の信教の自由の原理です。従って、信教の自由を「私たちが天主に帰すべき礼拝を捧げる自由と、その掟にしたがって生きる自由」と定義することが出来ます。

もしも読者の皆さんが私の論証を理解したなら、信教の自由が偽りの宗教には適用されないことがわかると思います。自由はこのように分割されることを許さないのです。市民社会において、誤謬には権利がない、と教会は宣言します。国民の権利として国家によって唯一認められるべきは、キリストの宗教を実践する権利です。

これは確かに、信仰を持たない方々にとってむちゃな要求のように思えるでしょう。時代の精神に染まらないカトリック信者はそれがまったく正常であり合法的であると気づくでしょう。何と言うことでしょうか! 不幸にも多くのキリスト信者たちはこれらの現実の見方を失ってしまいました。例えば、私たちは他の人々の思想を尊重し、彼らの立場にわが身を置き、彼らの見解を受け入れなければならないとひんぱんに繰り返されるのを聞きます。このナンセンスな“誰もが自分の真理を持っている”が広がっています。対話は最高の枢要徳になってしまいました。しかし対話は必ず妥協へと導きます。見当違いな「愛徳」を通してキリスト信者は、その対話の相手よりさらにワンステップ遠くに行かなければならないと考えるにいたったのです。そしてしばしばキリスト者だけが唯一常にそうします。

殉教者たちのように真理の為に己を犠牲にするのではなく、むしろ、キリスト者はもはや真理を犠牲にしています。

一方ではキリスト教ヨーロッパにおける宗教から独立している国家数が増えたことで、人々は世俗主義(=市民生活に宗教は関係ないという考え方)に慣らさせ、教会の教えに矛盾することへ日常の振る舞いを適応させることへと導いてしまいました。しかし教義は適応させるものではありません。教義は、一度永久に定義され固定されています。

公会議の中央準備委員会において二つの草案が提出されました。一つはベア枢機卿によって“信教の自由”という題名のもとに、もう一つはオッタヴィアーニ枢機卿によって“信教の寛容”の題名のもとに提出されたのです。前者は第二バチカン公会議以前の教導職の公文書にいかなる言及もなく、本文で14ページを満たしていました。後者は7ページの本文で、さらに参照文献として教皇ピオ6世 (1790年) からヨハネ23世 (1959年) に至る諸教皇の回勅からの引用文で16ページが満たされていました。 

ベア枢機卿の草案は、私と少なからぬ公会議の教父たちがもつ見解では、教会の永遠なる真理と調和することのない断言を含んでいました。そこには、例えば「従って、今日、信教の自由と平等が多くの国と人権のための国際的機構によって宣言されている事実を、私たちは褒め称えなければならない」と書かれていました。

他方でオッタヴィアーニ枢機卿は正確に問題を提示してしました。「国家権力が誤謬の誘惑から国民をまもるためことを正当な権利とみなしているように、・・・国家は他の宗教礼拝が公けに行われるのを規制し調整し、教会の判断によって永遠の救霊を危険にさらす誤った教義の普及からその国民を保護することができる。」

回勅『レールム・ノヴァールム (Rerum Novarum) 』の中で、レオ13世は市民社会の目的であるこの世の共通善(皆にとって利益となる公共善)とは、純粋に物質的次元のことだけではなく、「主として倫理的善」であると言っています。人間は皆にとっての善を求めて社会を組織しています。従って、いったいどうして至上の善を、言い換えれば天国の至福を、除外出来るのでしょうか?

教会が間違った宗教に市民権を否認する時、教会を指導する事柄のもう一つの局面があります。誤った思想を普及する人々は、自然ともっとも弱い者とあまり教育のない者に多くの影響を及ぼします。国家の義務が弱者の保護であるということを誰が否定しようとするでしょうか? これこそが国家の第一の義務であり、社会組織の存在理由です。国家は国民を外部の敵から守り、泥棒や殺人者、犯罪者などのあらゆる種類の侵略に対して国民の日常生活を保証するものです。宗教から独立した国家でさえ、例えばポルノ雑誌のポスターを禁止するなどして、倫理の領域で国民の保護を保証しています。とはいえ、近年ではフランスにおけるこの状況は非常に悪化し、デンマークのように諸国で最悪の状態です。ともあれ、長きにわたってキリスト教文明の国々はもっとも傷つきやすい者、とくに子供たちに対する国家の義務の感覚を維持していました。国民はこの問題には敏感で、いろいろな家族からなる団体を通して、国家に必要な策を講じるように求めています。悪徳があまりにも顕著なラジオ番組は、たとえそれをだれも聴く義務がなくても、多くの子供たちがラジオを持っているため、子供がもはや守られていないので、そのようなラジオ番組を禁止することができます。教会の教えは、厳しすぎるように思えるかもしれないけれど、普通の考え方と良識に一致しています。  

今日では、あらゆる形式の強制を捨て去ろうとし、歴史上のある時代に強制があったと嘆くことになっています。教皇ヨハネ・パウロ2世はこの流行に従い、スペイン歴訪中に宗教裁判を非難しました。しかし宗教裁判については大げさな誇張のみが記憶に残り、教会が検邪聖省(そしてその正確な名前は Sanctum Officium Inquisitionis)を設立し、霊魂たちを擁護の義務を果たし、信仰を偽り歪めようと試みる者たち、そしてそうして全国民の永遠の救いを危険にさらしていた者たちを訴えていたことを忘れています。

宗教裁判は、ちょうど人が入水自殺を図る人々の救助に向かうように、異端者たち自身を守る手助けとなっていたのです。これら不幸な者たちを救うために力ずくでの救助を強制行使する救助者を私たちは非難するのですか? もう一つの比較をすれば、政府が麻薬を禁止することに対して、常用者への強制を行使したという口実で政府に不満を述べるなどという考えが、カトリック信者に、たとえそれがどう考えてよいか分からなくなってしまったカトリック信者であったとしても、起こるとは思いません。

その時、家族の父親は子供たちに信仰を強制するものだと理解できます。使徒行録の中で百人隊長コルネリウスは恩寵に触れて洗礼を授かりました。「そして彼の全家族も彼と共に」洗礼を受けました。同様にクロヴィス王(フランク王国メロビング朝初代国王 465頃‐511年)も自らの兵士たちと共に洗礼を受けました。

カトリックの宗教がもたらす善は、公会議後の聖職者らが持っている、全ての圧力を控える、つまり「未信者」に対する全ての影響力を控えるべきだという先入観の幻想的な性格を明らかにします。

私が人生の大半を費やしたアフリカでは、宣教師たちは一夫多妻、同性愛そして女性への蔑視といった災いと戦いました。イスラム社会における女性の地位がいかに品位を貶めるものであるかは良く知られています。女性はキリスト教文明が消えるやいなや奴隷あるいは所持品となりはてます。真理が自分を押しつける権利を持つこと、真理が偽りの宗教に取って代わり権利を持つことに対するいかなる疑念もありえません。さらには真理には権利があるにもかかわらず、実践において、教会は偽りの宗教が公に行事を行うことに関して、やみくもに盲目的なそして非妥協的な規制をしません。より大いなる悪を避けるために、公権力によって偽りの宗教の公的な礼拝行事は黙認されうるということを教会は常に言ってきました。そういう理由でオッタヴィアーニ枢機卿は“信教の寛容”という題名を選んだのです。

もし私たちがキリストの宗教が真理の宗教であると公式に認識されているカトリック国家の場合にあるとするならば、この寛容が、全国民に有害であるかも知れぬ様々な災難をさけるでしょう。しかし中立を宣言する公式の宗教を持たない国では、教会の法はもちろん遵守されないでしょう。それでは、教会の法を維持して何の良いところがあるのでしょうか?

まず第一に、教会の法とは、人間が廃止あるいは変更することのできる人間の法律のことではありません。第二に、真の原理それ自体を放棄することは、極めて重大な結果がし生じるからです。私たちは既にいくつかの結果について見てきました。

バチカンと、カトリックの宗教に極めて正当に特権的な地位を与えてきたいくつかの国家との間の政教条約は修正されてしまいました。これはスペインがそうであり、さらに最近ではイタリアがそうです。それらの国では、公教要理はもはや学校の必修科目ではなくなりました。これはどこまで遠くに行ってしまうのでしょうか? ただの人間である新しい立法者たちは、教皇もまた国家の元首であることを考えたのでしょうか? 教皇は、バチカン市国も宗教から独立させ、モスク(=イスラム寺院)やプロテスタント教会の建設を許可されるのでしょうか?

これは、カトリック国家の消滅でもあります。今日の世界にはいくつかのプロテスタント教国、英国国教の国、イスラム教国、マルクス主義国があります。ところがカトリック教国が存在するのは望んでいません! カトリック信者たちは、カトリック教国を確立するために働く権利をないとされているのです。カトリック信者たちは国家の宗教的無関心を維持する義務だけがあるというのです!

ピオ9世はこれを“狂気”そして“滅びの自由”と呼びました。レオ13世は国家の宗教的無関心を非難しました。彼らの時代では正しかったことが、もはや真理ではなくなってしまったのでしょうか?

人間社会においてあらゆる宗教の共同体の自由を認めれば、これらの共同体にそれぞれの倫理的自由をも同時に与えることになります。イスラム教は一夫多妻制を認めています。プロテスタントたちは、教派により多少の違いはありますが、結婚の不解消性と避妊についての弛緩的放縦の立場をとっています。善と悪の基準は消えてしまいます。堕胎はもはやヨーロッパにおいて、カトリックの強いアイルランドを除いては、違法ではありません。天主の教会が信教の自由を断言することにより或る意味でこれらの放蕩を援護するなどとはあり得ません。

もう一つの結果は、私学の学校です。宗教を持たない国家は、カトリック校が存在するべきこと、またカトリック校が私的教育の分野で重要な役割を果たすべきであること、をもはや理解できなくなります。私たちが見てきたように、国家はカトリック系学校を非カトリック系宗派の諸学校と同じ地位に位置づけます。そして言います。「もしも私たちがあなた方カトリック校の存在を認めるなら、原理統一協会やこの種のその他諸々の宗教団体、さらに悪名高い宗教団体に対してさえも、同じように対応しなければなりません。」

そして教会はそれに反論することが出来ないのです! フランスの社会主義政府は信教の自由の宣言を利用しました。同じ原理を使って、カトリック系学校を他の学校(この学校が自然法を遵守するという条件の下で)と合併させようと考えだしました。或いは政府はこの原理を使って、カトリック校を全ての宗教の子供が入学するように解放しました。そこでキリスト教信者の子供よりもイスラム教の子供の法が多いと自慢するカトリック校さえあります。

このようにして教会は、市民社会における共通の権利の立場を受諾しつつ、単にその他諸々の宗派の中の一つの宗派になってしまう危険があります。真理が誤謬に権利を与えてしまえば、真理自らを否認することになるのが明白である以上、教会は消滅の危険さえ担っています。

フランスの私学校は、大通りでのデモ行進でこのような歌を歌いました。この歌は、それ自体は美しいけれどその歌詞がこの憎むべき精神に汚染されていることを示しています。「自由よ、おまえこそ唯一の真理」と。

自由は、一つの絶対的な善であると考えられる限り、空想の産物に過ぎません。自由が宗教の次元に適応されると、それは教義上の相対主義と宗教実践の無関心へと導きます。

どう考えてよいか分からなくなってしまったカトリック信者たちは、私が引用した「真理があなた方を自由にするだろう」とのキリストの御言葉に留まらなければなりません。

 

ルフェーブル大司教 公開書簡 「教会がどうなってしまったのか分からなくなってしまったカトリック信者たちへ 全23章」

第1章. なぜ今カトリック者たちは、困惑しているのか。原因は、カトリック教会に侵入した新しい精神。それは教会の過去の教えと生命とを疑問視させる。
第2章. 私たちの宗教は変えられようとしている!
第3章. 典礼改革:ミサ聖祭が全く日常の行為の位まで押し下げられている。非神聖化。聖なる物の喪失。
第4章. 永遠のミサと現代のミサ。典礼改革は意図的に犠牲を食事に変える。
第5章. 「それは昔の話ですよ!」
第6章. 洗礼と婚姻、悔悛と終油の秘蹟の新しい仕方
第7章. 新しい司祭職
第8章. 新しい公教要理
第9章. 現代の神学
第10章. エキュメニズム(キリスト教一致運動)
第11章. 信教の自由
第12章. 「同志」および「同伴者」たち
第13章. フランス革命のフリーメーソン的スローガン「自由・平等・博愛」は、第二バチカン公会議の「信教の自由、団体主義の平等、エキュメニズムの博愛」となった
第14章. 「第2バチカン公会議は教会内部のフランス革命だ」(スーネンス枢機卿)
第15章. 教会と革命の結合:リベラル派は教会を革命と結婚・合体さようとし、歴代の教皇たちはこのリベラルなカトリック主義を排斥し続けてきた
第16章. 信仰を瓦解させる新近代主義
第17章. 聖伝とは何か:聖伝とは「数世紀を経て教導職により伝えられてきた信仰の遺産」と定義される
第18章. 本当の従順と偽物の従順:「従順」の名によって全聖伝に不従順であることは本物の従順ではない。
第19章. エコンの神学校とローマ
第20章. 永遠のミサ
第21章. 異端でもなく、離教でもなく
第22章. 家族で出来ること:家族という組織単位が破壊されつつある、離婚、同性愛カップル、出生率の低下、中絶
第23章. 「作り上げること」と「壊し尽くすこと」との闘い


教会がどうなってしまったのか分からなくなってしまったカトリック信者たちへ【その10】

2018年09月26日 | ルフェーブル大司教の言葉
教会がどうなってしまったのか分からなくなってしまったカトリック信者たちへ

ルフェーブル大司教の公開書簡 その10



第10章 エキュメニズム(キリスト教一致運動)

現在かなりのカトリック信者が満足しているこの思想の混乱には、特に信仰に対する危険な風潮が存在しています。さらにそれが危険なのはそれが愛徳を装っているからなのです。この用語(エキュメ二ズム)は、1927年スイスのロザンヌで開催されたある会議の間に浮上し、彼らが、この言葉の意味に全ての辞書が与えている“エキュメ二ズム:全てのキリスト教会を単一の教会に再合併させようとする運動”という定義に従うならば、そのことだけでも、カトリック信者は警戒しなければならないでしょう。

私たちは互いに矛盾した原理を一致させることなど出来ません。それは明らかです。真実と誤謬を、一つにするというやり方で、結合させることなど出来ません。それは誤謬を取り入れ、それから真実の全てあるいは一部を捨て去ることによらないかぎり、そうです。エキュメ二ズムは自己矛盾を含むものです。

この用語は、あの第二バチカン公会議以来、とても流行になってしまい、一般的言葉遣いにまで入り込んだほどです。人々は大学におけるエキュメ二ズム、コンピューター上のエキュメ二ズム、その他いろいろについて、多様性と折衷主義への傾倒または好みを言い表すために話します。

最近宗教用語においてエキュメ二ズムは非キリスト教にまで広げられ、直ちに行動に移されてしまいました。西フランスのある新聞はこの展開的過程の進み様について完璧な例を与えています。シェルブール地方のある小教区ではカトリック市民が建築業で働くためにやってきたイスラム教徒を世話しています。これは愛徳の行動ゆえに彼らカトリック市民は単に褒められるべきです。しかしながら次の段階でイスラム教徒はラマダンの断食を行うための場所を要求しました。キリスト教徒たちは彼らに自らの教会の地下室を提供しました。その後あるコーラン学校が開校しました。2年後キリスト教徒たちは“コーランからの引用章句と聖福音の節からなる共通の祈り”をかこんで クリスマスを共に祝うためにイスラム教徒たちを招きました。見当違いの愛徳はこれらのキリスト教徒たちを誤った交際関係に導いたのです。

リールではドミニコ会士たちはある礼拝堂をイスラム教徒たちにモスクとして改装させられるように提供してしまいました。ヴェルサイユでは“イスラム教徒たちの礼拝所を購入”するために町のいくつかの教会内で献金がなされました。他に二つの聖堂がルーべ (Roubaix) とマルセイユからイスラム教徒のために提供され、アルジェントオィユのある教会も同じく引き渡されました。カトリック教徒たちは-イスラム教という-キリストの教会に対立する最悪の敵の使徒になっているのです。そして彼らは自らのお金をモハメッドに捧げているのです。フランスには400以上のモスクが存在しているそうですが、多くの場合、イスラム教徒の建設にお金を与えていたのはカトリック教徒たちです。

現在すべての宗教は、教会内部で市民権を持っています。あるフランス人の枢機卿は、祭儀用の僧服に身を包み最前列に座る数人のチベット仏教僧たちの前でミサを捧げ、彼らの前でお辞儀をし、司会者は“僧侶様方が聖体祭儀において私たちと分かち合いをされます”とお知らせしていました。レンヌ (Rennes) のある教会では仏陀の礼拝が執り行われました。イタリアでは20人の修道士が仏教徒によって禅の手ほどきを荘厳に受けました。

このような現代行われている宗教折衷主義の例を果てしなく私は引き合いに出すことが出来ます。私たちは、探し求めている教会聖職者を会長とする多くの会が発展し、いろいろな運動が生まれているのを目の当たりにします。例えば「あらゆる霊性を愛のうちに混ぜ合わせる」ことを打ち立てることを目ざす会です。或いは、マルセイユの有名な保護の聖母教会 (Notre Dame de la Garde) をキリスト教徒、イスラム教徒、そしてユダヤ教徒たちの為の一神教的礼拝の場所へ変更させる計画、幸いにも平信徒のグループによって計画は中止になりましたが、そのような仰天すべき計画を耳にします。

厳密な意味での、つまりキリスト教徒の間での用いられる意味でのエキュメ二ズムは、聖体祭儀をプロテスタントと共同のものに組織させました。たとえばストラスブールで起きたように。英国国教会の信者たちが彼らの「聖体的晩餐式」(Cène eucharistique)を執り行うためにシャルトルのカテドラルに招かれました。シャルトルでも、ストラスブールでも、あるいはマルセイユでも執り行うことが認められていない唯一の祭儀、それは聖ピオ5世によって制定された典礼によるミサ聖祭を執行することなのです。

この全ての出来事から、このような躓きを与える儀式を大目に見ている教会の当局を目にするカトリック信者は、いかなる結論を導き出せるでしょうか? それは、全ての宗教に同じ価値があること。彼は仏教徒たちあるいはプロテスタントたちのところでも、救霊を非常にうまく達成することができるだろうということ。そして、彼は聖なる教会への信仰を失う危険にさらされるのです。実のところエキュメニズム運動によって、これが彼に暗示されているのです。教会を共通法 (droit commun) の下に従わせることを望み、教会を他の諸宗教と同じレベル、同じ次元におきたいのです。司祭、神学生、そして神学校の教授でさえ、「カトリック教会が唯一の教会でありそれだけが真理を所有し、カトリック教会だけがイエズス・キリストを通して人々を救霊に導くことが出来る」と言うのを拒むのです。彼らは今では次のように、はばかり無く言います。“教会は社会における霊的なパン種でしかない、他宗教と同じであるか、多分わずかに優れているかもしれない・・・。”彼らは、いつもとは限りませんが、時折、取るに足りない優越性を認めはします。もしあなた方が彼らに懇願すればですが。

もしそれが事実だとしたならば、そのとき教会は単に便利なものではあったとしても、もはや必要不可欠なものではなくなります。それは救霊の一手段に過ぎないことになります。

私たちはこのような概念が根本的にカトリックの教義に反しているとはっきり言わなければなりません。教会は救いの唯一の方舟であり、私たちはそう宣言するのを恐れてはなりません。皆さんは「教会の外に救いはない」とは現代人の心を傷つけると言うのをよく聞いたことがあるでしょう。この教義はもはや有効ではなくお役ごめんになったと大衆に信じさせるのはたやすいことです。それははなはだ厳しすぎるように思えますから。

しかし教義は何も変わっていません。この分野においては何も変えられ得ません。私たちの主はいくつもの教会を創ったわけではありません。私たちの主はたった一つの教会を創立しました。私たちを救うことのできる唯一の十字架があり、それはカトリック教会に与えられました。他には与えられなかったものです。御自分の神秘的花嫁なる教会に、キリストは全ての恩寵をお与えになったのです。カトリック教会を通らずして世界に、そして人類の歴史に恩寵は分配されることはありません。

これはプロテスタント信者、イスラム教徒、仏教徒あるいは精霊信仰者のだれも救われないと言う意味でしょうか?いいえ、こう考えるのは第二の誤謬になるでしょう。“教会の外に救いはない”という聖チプリアーノの定型句を不寛容に叫ぶ人々は、同時に“我は罪の赦しとなる唯一の洗礼を信じる”という信仰宣言を否認しています。つまり彼らは十分に洗礼が何であるのかについて教育されていないのです。洗礼を授かるには三つの方法があります。水による洗礼、血による洗礼(これは洗礼志願者であった当時信仰告白して殉教者が受ける洗礼のこと)それから望みの洗礼です。

望みの洗礼は明白でありえます。何度もアフリカにおいて“神父様、早く洗礼を授けてください。そうしないと神父様が今度戻ってくる前に私が死んだら、私は地獄に行くでしょう”と洗礼志願者の一人が言うのを聞きました。私たちは彼に答えるのを常としました。“そんなことありませんよ、もしあなたの良心に大罪を持たず、あなたが洗礼を望むのなら、そのときあなたは既に御自分のうちに恩寵を持っているのですから。”

教会の教義はまた暗黙の望みの洗礼をも認めています。これは天主の聖旨を行うことにあるのです。天主は全ての人をご存知です。従って、天主はプロテスタント信者、イスラム教徒、仏教徒そして全人類の中に良い意志の人が存在することを御存知です。彼らはそれを知ることなしに、しかし有効な方法により洗礼の恩寵を受けます。この方法で彼らは教会の一員になるのです。

誤謬は、彼らの宗教によって救われるという考え方にあるのです。彼らが、彼らの宗教の中で救われるとしても、しかしその宗教によってではありません。イスラム教によってでも神道によって救われるのでもありません。天国には仏教徒教会もプロテスタント教会もありません。これはおそらく聞きたくないようなことかもしれません。しかしこれが真理なのです。私が教会を創立したのではなく、私たちの主が、天主の御子なる私たちの主が創立したのです。司祭として私たちは真理を述べなければなりません。

キリスト教が浸透していない国々において人々にとって、望みの洗礼を受けに到達するのは、どれ程大きな困難の代価を払ってでしょうか!誤謬は聖霊をさまたげます。これは、何故教会が常に世界のあらゆる国に宣教師を送り、何故無数の宣教師たちは殉教を忍んできたのかを解き明かします。もしすべての宗教に救いが見出されるのなら、どうして数々の海を渡り、有害な気候、過酷な生活、病気そして早死に自らをさらすのでしょうか?聖ステファノが殉教(キリストのために最初に命を捧げ、それゆえに彼の祝日はクリスマスの翌日となる)するやいなや、使徒たちは地中海諸国一体に福音を述べ伝え始めました。

もしも人がキュベレーの女神礼拝またはエレウシス (ギリシャ、アテネ西方の都市。古代のデメテル信仰の中心地) の神秘によって救われるのなら、彼ら使徒たちはそうしたでしょうか?何故私たちの主は“行って全ての国に福音を告げしらせなさい”と仰ったのでしょうか?

現代、各自が自分の“文化的環境”に根付いている信仰に従って、各々、天主への道を見つけ出させよと主張している人がいるということは驚くばかりです。ある司教は、イスラム教徒の子供の改宗を望んでいる司祭に対し“駄目です。良きイスラム信者であるよう教えなさい。そしてそのほうがイスラム教徒をカトリック信者に改宗させることよりもさらに有益ですよ”と言ったことがあります。次のことを私は確実なところから聞きましたので、断言でしますが、第二バチカン公会議前テーゼ共同体は自らの誤謬を放棄してカトリックになることを望んでいましたが、当局は彼らに言いました。「だめです。お待ちください。公会議後あなた方はカトリック信者とプロテスタント信者の架け橋になるでしょうから。」

この返答をした方々は天主のみ前に非常に大きな責任を負っています。なぜなら恩寵は与えられた瞬間にだけやって来るからです。つまり、それはおそらく二度とやって来ないかも知れないからです。現在テーゼの同胞たちは、おそらく善意をもっている人々でしょうが、依然として教会の外におり、そこを訪れる若者たちの心に混乱を巻き起こしているのです。

私は既に、年間17万人の改宗者を数えたアメリカ合衆国、それからイギリス、オランダのような国々で、突然それが枯れてしまったことをお話ししました。教会についての誤った定義と、私が今それについて話さなければならない信教の自由に関する公会議の発表とが原因し、宣教の精神は衰えてしまったのです。

 

ルフェーブル大司教 公開書簡 「教会がどうなってしまったのか分からなくなってしまったカトリック信者たちへ 全23章」

第1章. なぜ今カトリック者たちは、困惑しているのか。原因は、カトリック教会に侵入した新しい精神。それは教会の過去の教えと生命とを疑問視させる。
第2章. 私たちの宗教は変えられようとしている!
第3章. 典礼改革:ミサ聖祭が全く日常の行為の位まで押し下げられている。非神聖化。聖なる物の喪失。
第4章. 永遠のミサと現代のミサ。典礼改革は意図的に犠牲を食事に変える。
第5章. 「それは昔の話ですよ!」
第6章. 洗礼と婚姻、悔悛と終油の秘蹟の新しい仕方
第7章. 新しい司祭職
第8章. 新しい公教要理
第9章. 現代の神学
第10章. エキュメニズム(キリスト教一致運動)
第11章. 信教の自由
第12章. 「同志」および「同伴者」たち
第13章. フランス革命のフリーメーソン的スローガン「自由・平等・博愛」は、第二バチカン公会議の「信教の自由、団体主義の平等、エキュメニズムの博愛」となった
第14章. 「第2バチカン公会議は教会内部のフランス革命だ」(スーネンス枢機卿)
第15章. 教会と革命の結合:リベラル派は教会を革命と結婚・合体さようとし、歴代の教皇たちはこのリベラルなカトリック主義を排斥し続けてきた
第16章. 信仰を瓦解させる新近代主義
第17章. 聖伝とは何か:聖伝とは「数世紀を経て教導職により伝えられてきた信仰の遺産」と定義される
第18章. 本当の従順と偽物の従順:「従順」の名によって全聖伝に不従順であることは本物の従順ではない。
第19章. エコンの神学校とローマ
第20章. 永遠のミサ
第21章. 異端でもなく、離教でもなく
第22章. 家族で出来ること:家族という組織単位が破壊されつつある、離婚、同性愛カップル、出生率の低下、中絶
第23章. 「作り上げること」と「壊し尽くすこと」との闘い


教会がどうなってしまったのか分からなくなってしまったカトリック信者たちへ【その9】

2018年09月25日 | ルフェーブル大司教の言葉
教会がどうなってしまったのか分からなくなってしまったカトリック信者たちへ

ルフェーブル大司教の公開書簡 その9



第9章 現代の神学

現代の要理教育(カテケージス)によってもたらされた荒廃は、それを受けなければならなかった世代においてもはや明白です。1970年以来、教育聖省から命じられている通り、私は神学生のための規定の学科科目の計画として初年度に「霊性」の年を導入しました。霊性とは、修徳神学、神秘神学、黙想や念祷の養成、さらに、聖徳、超自然的恩寵、聖霊の現存の意味合いを深めることを包含しています。

非常に早く私たちは再度考えなければなりませんでした。本物の司祭になる強い望みを抱き、さらに彼らと同年代の多くの人たちより深い内的生活を持っており、祈りになれていたのでやって来たこの青年たちが、私たちの信仰の基本的な知識を欠いていることに私たちは気づきました。彼らは今の今までそれらを学んだことがなかったのです。霊性課程の一年間、私たちは彼らに公教要理を教えなければならなかったのです!

私は何度もエコンの誕生の話をしました。スイスのヴァレー地方シオンとマルティニーの間に位置するこの建物は、もともと司祭志願者がその第一年目(霊性)だけを終了するよう予定されていました。その後彼らはフリブールで大学課程に進むはずでした。フリブールの大学が真のカトリック教育を施すことが出来なくなるや、(エコンでの)完全な神学校が実現しました。

教会は常に大学の教壇を、つまり神学、教会法、典礼、教会法などの教壇を自らの教導職の機関、あるいは少なくとも教会の宣教そのものとみなしていました。現在において、すべて、あるいは殆どすべてのカトリック大学で、正統なカトリック信仰はもはや教えられていないのは、全く確実です。私は、自由社会の西ヨーロッパにも、あるいは合衆国にも、または南アメリカにおいても、正統信仰を教える大学を一つとして見つけることが出来ません。そこには常に神学の探求という口実のもと、副次的事項についてのみならず、私たちの信仰に矛盾する持論を述べるかなりの教授が存在します。

私はすでにストラスブールの神学学部長についてお話しました。彼によれば、ミサにおける私たちの主の現存は「バイロイトの音楽祭」におけるワーグナーの現存に例えることが出来るそうです。もはやそれは彼にとって新しいミサはもはや問題にはならないのです。これ等の事は瞬く間に過去のことになってしまうほど、世界は非常に迅速に進化しているからだ、と言います。彼は、グループそれ自体から出来上がってくるであろう「聖体祭儀」を考えておくべきだと考えています。これはどのようなものとなるのでしょうか?彼自身それをはっきり理解していません。しかし彼の著書「聖体信仰に関する現代思想と表現」で、ともに集まったそのグループのメンバーたちは、彼らのうちに現存されるキリストにおける交わりの感覚を創り出すであろうことを予言しています。但し、パンとぶどう酒の形相の内に現存されるキリストにおいてでは決してありません。彼は“有効な(作出的な)しるし”(全ての秘蹟に対する一般的定義)と言われるこの御聖体をあざ笑います。彼は言います。「ばかげている。私たちはもう今では、その種の事は言えない。現代ではもはやそれは意味がない」と。

これらの事を、教授たちさらには(神学)学部長から聴く若い学生たち、そしてその講義に与る若い神学生たちは少しずつ誤謬に染まって行きます。彼らはもうカトリックではない教育を受けています。最近フリブールのあるドミニコ会士の教授が、学生たちに婚前交渉は正常かつ望ましいことであると保証していることを耳にした人々も同様です。

私自身の神学生たちは、ミサの新しい典文を作るよう教えていた別のドミニコ会士である教授を知っています。「難しくなどありません。あなた方が司祭となったとき、たやすく用いることの出来るいくらかの原理がこれです。」

私たちはこのような例にしたがって続けることは出来ます。
アムステルダムの神学部でスミュルデルスは、聖パウロと聖ヨハネが天主の子としてのイエズスの概念をでっち上げたと疑い、御托身の教義を否認しました。

ニンジェゲンの大学でスキレベークスはもっとも逸脱した見解を表明しました。 “意味変化(trans-signification)”を発明し、歴史の各時代の状況に教義を従属させ、彼は社会的およびこの世的な目的を「救い」ということの教義に割り当てました。

キュンクはチュービンゲンにて、カトリック神学講座で教えることを禁じられる前、至聖三位一体、童貞マリアの玄義、諸秘蹟を疑い、そしてイエズスを“いかなる神学的素養”も無いある公衆のお噺家、として取り扱いました。

スナッケンブルクはヴュルツブルクの大学で、ペトロの首位を認証するために、カイザリアでペトロがした“御身はキリストです。”という告白を作り上げたと聖マテオを非難しています。

近年に亡くなったラーナーは、ミュンヘンの大学での講義において、聖伝を極小化し、私たちの主について絶え間なく“自然に受胎した”人間として話すことにより、御托身を事実上否認し、原罪と無原罪の御宿りを否定し、神学的多元主義を推奨していました。

すべてこれらの人たちは新近代主義の進んだ発言で賞賛されているのです。彼らはマスメディアのサポートによって、彼らの理論は重要なものとして大衆の目にはうつしだされ、多くの人々に知られるにいたっているのです。従って彼らは神学を代表して登場し、教会の教えは変わったという考えに信用を与えています。

彼らは何年もの間、時々軽い制裁により妨げられたこともありますが、その破壊的な教えを続けることが出来ています。教皇たちは神学者の権限の制限について定期的に注意をうながしています。ヨハネ・パウロ2世はつい最近、「カトリックとしての身分を失うことなしに、定義された教義という、これら根本的な参照点から離れ去り背を向けることは不可能である」と言われました。スキレベークス、キュンクそしてポイエ神父たちは懲戒されたのですが、制裁は受けませんでした。ポイエにいたっては、その著書でキリストの肉体上の復活を否認していたのですが。

そしてローマの諸大学(グレゴリアン大学も含め)において、神学的探究の口実のもとに、教会と国家の関係、離婚について、そして他の根本的問題に関して、最も信じられない理論が許されていることを誰が想像できたでしょうか?

かつては信仰に関する裁判所として教会が常に考えていた険邪聖省が改革されたことは、これらの乱用に味方をすることになったのは確かです。それまでは誰であっても、一般信者、司祭、いわんや司教はどんな書籍、雑誌、記事でも、この険邪聖省に提出し教会がそれについて何を考えるか、それが教会の教義に一致しているかいないかを伺うことができました。1ヶ月とか、6週間後に険邪聖省は答えます。「これは正しい。これは間違っている。これは意味の区別を付けるべきである、一部は真実で一部は誤りである。」

すべての文書はこのように審査され決定的に判断されていました。第三者が書いたものが裁判所に提出され得るということは皆さんにとって驚きでしょうか?しかし一般社会では何が行われますか?何が憲法に違反し、何がそうでないのか決定する憲法審問所がありませんか?個人と集団を脅かす問題を取り扱う法廷がないでしょうか?私たちは不快なポスターあるいはもし表紙が善良な風俗を乱す構成要素をなす大々的に売られている雑誌に対して、現代の多くの国で幾分規制が緩められてしまったにしても、好手道徳に関して、私たちは裁判官が介入することを要求することさえ出来るのです。

しかしながら教会において法廷はもはや容認されませんでした。もう裁判したり有罪判決することも出来なくなりました。プロテスタントのように、近代主義者たちは聖福音から彼らのお気に入りの言葉をえり抜きしました。「裁くなかれ。」しかし彼らはそのすぐ後に私たちの主がこう言っている事実を無視するのです。私たちの主は言われました。「偽りの預言者に気をつけなさい...彼らのみによって、あなた方はかららを判断しなさい。」カトリック信者は自分の兄弟たちの罪と彼らの個人的行動についてむやみやたらと裁くべきではありません。しかしキリストはカトリック者に信仰を守るように命じました。どのようにして彼(カトリック信者)は読むあるいは聴くようにと与えられたものに批判的な目を向けることなくそれが出来るのでしょうか?疑わしい見解は何であれ教導権に提出されました。これが険邪聖省の目的だったのです。しかし刷新以来、険邪聖省は“神学研究所”として自らを限定してしまいました。かなりの違いです。

私は険邪聖省に長きにわたっておられた前ドミニコ会総長のブラウン枢機卿にこう尋ねたのを覚えています。

「枢機卿さま、これが急進的な変革だという印象をお持ちですか?または単に表層的そして付帯的な変革でしょうか?”

「とんでもない、この変革は本質的なものです。」

こういうわけでもし僅かしかあるいは何も異端排斥されることがないのなら、もし教会の信仰のための法廷がもはや神学者たち、そして宗教的論題について執筆するすべてのものに対しその役割を果たさないのなら私たちは驚いてはいけません。このようして、誤謬がいたるところに広がるようになるのです。誤謬は大学から始まって公教要理そして非常に遠方の教区の司祭館にまで蔓延しています。異端の害毒はついには全教会に感染さえしてしまっています。そのため、教会の教導権は非常に深刻な危機にあるのです。

もっともばかげた論法は名前だけの「神学者」たちの活動を支持することに用いられます。私たちは、フランス全土を旅しながら、女性を含めた数人の一般信者への一時的な司祭職授与をするのがよいと講演をして回っているリヨンの教授、デュクォック神父という方がいました。多くの一般信者がここあそこで抗議しました。そして南フランスの一人の司教はこの疑わしい説教師に反対して堅固な態度をとりました。このようなことは時々起こります。ところがラヴァルでは、躓いた一般信者らが彼らの司教からこのような返事をうけとりました。「この場合の我々の絶対的義務は、教会内での言論の自由を保護することである。」驚くばかりです。どこで彼はこの言論の自由という考えを得たのでしょうか?それは教会の法にとって全くよそ者です。さらには、彼はこれを司教の絶対的義務とさえ考えています。このために、信仰を擁護し、自分に委託された信者たちを異端から保護するという、司教の責任を、完全な転覆させてしまっています。

一般社会からのいくつかの例を引用しなければなりません。私は人格を批判するためにこの本を執筆しているのではないということを信じていただくよう読者の方々にお願い致します。それはまた険邪聖省の態度でもありました。険邪聖省は文書だけで、人を審問したのではありません。ある神学者は険邪聖省が聴取なしに著作の一つを非難したと不平を言います。

しかしまさしく、異端審問院は、著作をとがめるのであり著者をとがめるのではありません。険邪聖省はこう言うのです。「この本には教会の伝統的な教義と食い違う所説がふくまれている。」以上、終わり。どうしてそれを書いた人にさかのぼるのですか?彼の意向と有罪責任の有無には、もう一つの法廷が、つまり「悔悛の秘蹟」という法廷があるのですから。

 

ルフェーブル大司教 公開書簡 「教会がどうなってしまったのか分からなくなってしまったカトリック信者たちへ 全23章」

第1章. なぜ今カトリック者たちは、困惑しているのか。原因は、カトリック教会に侵入した新しい精神。それは教会の過去の教えと生命とを疑問視させる。
第2章. 私たちの宗教は変えられようとしている!
第3章. 典礼改革:ミサ聖祭が全く日常の行為の位まで押し下げられている。非神聖化。聖なる物の喪失。
第4章. 永遠のミサと現代のミサ。典礼改革は意図的に犠牲を食事に変える。
第5章. 「それは昔の話ですよ!」
第6章. 洗礼と婚姻、悔悛と終油の秘蹟の新しい仕方
第7章. 新しい司祭職
第8章. 新しい公教要理
第9章. 現代の神学
第10章. エキュメニズム(キリスト教一致運動)
第11章. 信教の自由
第12章. 「同志」および「同伴者」たち
第13章. フランス革命のフリーメーソン的スローガン「自由・平等・博愛」は、第二バチカン公会議の「信教の自由、団体主義の平等、エキュメニズムの博愛」となった
第14章. 「第2バチカン公会議は教会内部のフランス革命だ」(スーネンス枢機卿)
第15章. 教会と革命の結合:リベラル派は教会を革命と結婚・合体さようとし、歴代の教皇たちはこのリベラルなカトリック主義を排斥し続けてきた
第16章. 信仰を瓦解させる新近代主義
第17章. 聖伝とは何か:聖伝とは「数世紀を経て教導職により伝えられてきた信仰の遺産」と定義される
第18章. 本当の従順と偽物の従順:「従順」の名によって全聖伝に不従順であることは本物の従順ではない。
第19章. エコンの神学校とローマ
第20章. 永遠のミサ
第21章. 異端でもなく、離教でもなく
第22章. 家族で出来ること:家族という組織単位が破壊されつつある、離婚、同性愛カップル、出生率の低下、中絶
第23章. 「作り上げること」と「壊し尽くすこと」との闘い


教会がどうなってしまったのか分からなくなってしまったカトリック信者たちへ【その8】

2018年09月24日 | ルフェーブル大司教の言葉
教会がどうなってしまったのか分からなくなってしまったカトリック信者たちへ

ルフェーブル大司教の公開書簡 その8



8. 新しい公教要理

カトリック信者の間で、しばしば「彼らは私たちに、新しい宗教を押し付けたいのだ」という批評を私は聞いたことがありますし、聞き続けています。これは誇張でしょうか? 近代主義者たちは教会のいたるところに浸透して、指導権を握っており、まず私たちを安心させることに努めています。

「いいえ、そんなことはありません。やむにやまれぬ理由のために、古い時代遅れの方法が変えられてしまったので、あなた方はそんな印象を持っているのです。つまり私たちは、昔の人々が祈っていたようには今日祈ることは出来ません。私たちはホコリを払って、現代人が理解できる言語の導入、さらに自らを、別たれた同胞たちの為に開かなければならなかったのです….しかし、もちろん何も変わっていません。」

それから信者たちは警戒を緩めます。そして彼らの内、大胆なものたちは、気の合う人々の小さなグループに入会し始めます。それは時に公になされるのです。ある、カルドネルという神父は、“天主を普遍的君主とする、いわゆる天主の超絶性” に異議を申し立てる或る新しいキリスト教を説教しながら巡歴していました。彼はあからさまに、ロワジー(Alfred Loisy)の近代主義を主張しているのです。「もしあなたが、キリスト教の家族に生まれたならば、あなたの習う公教要理は、単に信仰の骸骨にすぎない(肉も血もない死んだものだ)。」

さらに「私たちのキリスト教は、せいぜい新資本主義者の形でよく現れる。」

そしてスーネンス枢機卿は、自分好みの教会を建て直したあと、“最も広大く神学的多元主義に開かれる”べきだと主張し、「様々な真理には重要性の段階があり」、堅く信ずべきもの、わずかに信ずべきもの、そしてあまり重要性のないものをとに分けてその階級を作ることを要求しました。

1973年、パリの大司教館内で、ベルナール・フェイエ神父は“成人キリスト信者養成講座”の名前のもとに、極めて公式に連続講演をしました。彼が再三再四断言したことはこうです。

「キリストは死に打ち勝たなかった。キリストは死によって死にゆだねられた。生命にかんしては、キリストは敗北したし、我々も全て敗北するだろう。それは、信仰がいかなるものによっても正当化されないということだ。私たちが先ほど言ったように、不条理の知覚により、滅びに対する意識により、無の現実により、すべて終わりを迎えるこの世界に反対する抗議の叫びとなるのだ。」  

私はこの種のかなり多くの主張を引用することができます。それらは多かれ少なかれ醜聞を生み、多かれ少なかれ発言の撤回があり、あるいは時としてそのままになっています。しかし総括してキリスト信者の大部分はそれから免れました。もし、彼らが新聞においてこれらの事を知ったとしても、彼らはこれらが例外的で彼らの信仰に害を及ぼさないと考えました。

しかし彼らは、自分の子供たちの手に、もはや、昔から教えられてきたようにはカトリックの教義を述べない公教要理を見た時、心配し始めたのです。

全ての新しい公教要理は、多かれ少なかれ、1966年に出版されたオランダの公教要理から息吹を受けています。オランダ公教要理の内容は、教皇がそれを審議することを、枢機卿たちで成る委員会に命じた程、まがい物でした。この審議は、1967年4月にロンバルディーのガッザダ(Gazzada)でありました。

さてこの委員会は、聖座に修正の要請を勧める十の問題点を提起しました。これは、公会議後のやり方に合う、これらの点のなかで教会の教えとの不一致があるという言い回しでした。数年前でしたら、彼らはそのまま排斥されていたでしょうし、オランダ公教要理は禁止図書目録に名前を連ねていたでしょう。これら懸念された誤謬又は省略は、事実上、正に信仰の本質に触れるものだったからです。

私たちはその公教要理の中に何を見出すでしょうか? オランダ公教要理は天使を無視し、人間の霊魂を、天主によって直接創造された存在として扱っていません。原罪が人祖によって全ての子孫に伝えられたものではなく、まるで一種の伝染病のように、悪が支配する人間共同体での彼らの生活を通して、人間たちによって負わされたものあるとほのめかしています。そこにはマリアの童貞性についての言及が一切ありません。さらには、私たちの主は私たちの罪の為に死に、その目的のために御父より遣わされたことや、これは、天主の聖寵が私たちに回復させられるための代価であったことについても言及されていません。結果として、ミサは犠牲としてではなく、宴として提示されています。私たちの主の真の現存も全実体変化の真実もまた明確に述べられていません。

教会が不可謬であることと、真理の所有者であるという真実は、この公教要理の教えからは消されています。同様に、“啓示された諸々の神秘を意味し、そこに到達する”ための人間の知性の可能性についても言及されていません。つまりそれによって、不可知論と相対論へと到達するのです。司祭の司祭職は極小化されました。司教職は、“天主の民”によって委ねられた任命として考えられています。彼らの教導権は、一般信者共同体が信じる内容を認可することとして理解されています。そして教皇は、もはや完全かつ最高、そして普遍なる権能を失いました。

聖三位一体、つまり天主の三つのペルソナ(位格)の神秘についてもまた、満足のいく方法では言及されていません。あの枢機卿委員会は、また諸秘蹟の効果、奇跡の定義、そして死後の義人の霊魂の運命に関する説明を批判しました。また委員会は倫理的な法の解説と、結婚の不解消性をないがしろにする“良心上の問題の解決”において、極めて曖昧であることを指摘しています。

たとえこの本の残りの部分が“正しく、賞賛に値する”ものであるとしても、----- そうだとしても驚くにはあたりません。何故なら聖ピオ十世教皇により明確に指摘されたように、近代主義者たちが常に真理と偽りを混ぜ合わせてきたからです ----- 、見て下さい、この本は信仰にとって特に危険な、邪悪な業であるというには確かに充分です。委員会の報告書を待つことなく、それどころか全く正反対な進歩をしながら、この本の推進者たちは、この公教要理を様々な言語で出版しました。そして、テキストはそれ以来決して変更されることはありませんでした。委員会の警告文がその目次に時々加えられ、時には加えられなかったりするだけです。後ほど私は、従順の問題に言及するつもりです。この件で、誰が不従順なのでしょうか? そして誰がこの“公教要理”を告発するのでしょうか? 

オランダ公教要理は先導しました。私たちはすばやくその遅れを取り戻しました。私はフランス公教要理の最近の歴史については述べません。ただその新刊の、『生ける石 (Pierres vivantes)』と題された「“信仰に関する重要な文書”のカトリック選集」を取り上げたいと思います。これらの著作は、そのすべてにおいて明白に使用された“公教要理”という用語の定義を尊重し、問答方式に進むべきなのです。しかしながら、彼らは信仰の内容を組織的に学ばせるこの方式を捨て、ほとんどと言っていいほど答えを出しません。公教要理書『生ける石』 は、聖伝とは相容れない、新しい、孤立した命題を除いては、何についても断言することを避けています。

信仰諸箇条(ドグマ)が言及される時、ユダヤ教徒、プロテスタント信者、仏教徒、そして不可知論者や無神論者たちとさえ同じ水準に置かれて、この本が“キリスト信者”と呼ぶ人々の一部に特別な、信じていることの内容として話されます。いくつもの講座の中で、公教要理の司会者たちは、子供達が何であれ何か一つ宗教を選ぶように働きかけるように招かれています。それは、いろいろな信仰の内容に耳を傾けること、そこから多くを学ぶこと、が大切だとされます。大切なことは、“チームを作る”とか、クラスメートで助け合うとか、明日のために社会闘争を準備するとかです。つまり、マドレーヌ・デルブレール(Madeleine Delbrêl)の教訓的な人生の中に見られるように、共産主義者たちとさえ一緒に社会闘争に取り組まなければならないとされるのです。しかも彼女の物語は公教要理書『生ける石』において描写され、他のいろいろな課程の中で長々と語られています。子供たちへの模範として推薦されるもう一人の“聖人”とは、マルチン・ルーサー・キングです。他方で、マルクスやプルードンら共産主義者が「教会の外から出てきたように思われる」「労働者階級の偉大な擁護者」として吹聴されています。ご覧の通り、教会はこの闘争に従事したかった、しかし、どうやってそれに着手するのかを知らなかった、とされています。だから、教会は“不正を告発すること”に満足した、これが公教要理で子供たちが教えられていることなのです。

しかしそれより深刻なものは、聖霊の業である聖書に対して不信を投げかけることです。私たちは、世界と人間創造で始まる聖書本文の抜粋があることを普通に期待しています。しかし、公教要理書『生ける石』は「天主はご自分の民を創造された」という題名のもと、脱出の書(出エジプト記)から始めます。カトリック信者たちは、どうして、このような言葉の誤用に混乱させられるべきではないだけでなく、狼狽し胸悪くさせられないことがあるでしょうか。

「サムエルの書 上」に到達して始めて、「創世の書」(創世記)の方向に逆戻りし、そして天主がこの世を創造されたのではない、ということを学びます。私はここで何事かをでっちあげているのではないのです。今回も事実です。そう書いてあるのです。

「世界創造の話の著者は、多くの人々のように、いかにして世界が始まったのだろうかと自問した。信仰者たちはそれについて思案した。彼らの中の一人が、詩を書いた....。」

次にソロモン王の宮廷で、他の賢者たちは悪の問題について熟考した、とされます。それを説明するために、彼らは「絵物語」を書いたことになっています。そういうわけで、私たちに、蛇による誘惑、アダムとエワの堕落の話が出てくるのです。しかし天罰の話はありません。この物語はその場面で終わっています。天主は罰しないようです。ちょうど第二バチカン公会議後の新しい教会が、もはや誰も非難排斥しないように。ただし、聖伝に忠実にとどまっている者たちを除いてですが。カギ括弧付きで引用された原罪は「生まれつきの病気」、「人類の起源に遡る病気」、何か非常に漠然とした、説明のつかないものになっています。

もちろん、この内容ではカトリックの宗教全体が崩れ落ちてしまいます。もし悪の問題に関して私たちが答えることがもはや出来なければ、説教したり、ミサを捧げるたり、告解を聴いたりする必要はありません。誰が私たちに耳を傾けるのでしょう?

新しい公教要理書によれば、新約は聖霊降臨で開かれます。重要性は、信仰の叫びを発する初代共同体に置かれています。次に、これらのキリスト信者たちは昔のことを「思い出し」、私たちの主の話が記憶の雲から少しずつ現れる、最後から始まり、最後の晩餐、ゴルゴタ、それから(私たちの主イエズス・キリストの)公生活、最後に幼年時代が来る、とされます。『生ける石』は「最初の弟子たちはイエズスの幼年時代の話をする」という曖昧な見出しをつけています。

このような基礎の上に、キリストの幼年期に関する福音書の話が敬虔な伝説であること、ちょうど昔の人々が偉人たちの生涯を記録する際、作り上げるのに慣れていたのと同じだと、理解させるのは、これらの講座にとって難しいことではありません。公教要理書『生ける石』は他方で福音書が極めて後で書かれたとし、その信憑性を減少させています。そして、偏向的な挿絵で、使徒たちと彼らの後継者たちが「彼らの生涯に基づいてイエズスの生涯の読み直す」前に、説教し、ミサをし、教えている姿を描いています。これは全くの事実の逆転です。つまり、本当は啓示が使徒たちの思想と生涯を形成するのですが、そうではなく、彼らの個人的経験が啓示の起源であると説明されているのです。

“四終(死、天国、煉獄、地獄)”の部分にくると、公教要理書『生ける石』はこちらを心配させるほど混乱しています。霊魂とは何か?「走るために、私たちは呼吸をしなければならない。難しいことを最後までやり遂げるには、息が必要だ。誰かが死ぬと、‘彼は息を引き取った’と私たちは言いう。息、それは生命、人間の大切な命だ。私たちはそれを‘霊魂’とも言う。」

もう一つの章で、霊魂は心に、脈打つ心臓、愛する心になぞらえられます。心はまた、良心の座ともされています。いったいどうなっているのでしょうか。それでは、死とは何でしょうか? この著者たちはそれについて語りません。

「ある人にとって、死とは生命の最終的な中止である。ある人は、死後も生きることが出来ると、しかしそれが絶対に確かであるとはわからずにそう考えている。最後に、死後の生命を確信するものもいます。キリスト者がこの人たちにあたる。」

子供たちは選ぶしかありません。つまり、死がなんであるかは選択することとなっているのです。しかしこの公教要理を受講している人は、キリスト信者ではないのでしょうか?それならば何故、受講者にキリスト信者を第三者として語るのでしょうか。何故「私たちキリスト信者は、永遠の命が存在し、霊魂が死なないということを知っています。」と明確に述べないのでしょうか?

天国もまた、あいまいに扱われている題目です。「キリスト信者たちは、死後永遠に天主と共にいて完璧な喜びのことを意味して天国と時々言う。それは『天』、天主の王国、永遠の命、平和の統治である。」

これは、非常に憶測に過ぎないような説明のまま残ります。なんだか言い方の問題にすぎないようであり、キリスト信者が使う彼らに安心を与える隠喩であるかのようです。しかし私たちの主は、もし私たちが主の掟を守るならば、私たちに天国を約束されました。そして教会は常にそれを「諸天使と選ばれたもの達が天主を見て、天主を永遠に所有する完全な幸福の場所」として定義してきました。新しい公教要理は、昔の公教要理で明言されていた事柄について、明確な撤回を意味しています。その結果は、教えられた真理に対する信用の欠落と、霊的な武装解除でしかありえません。つまり、もし私たちキリスト信者は、死後に、何が待っているのかあまりよく知らないならば、人間の本能に抵抗し、狭い道に従って、いったいどんな利益があるというのでしょうか。

カトリック信者は、天主について、この世について、あるいは四終について何であるか自分の概念を作ることができるような提案を求めて、司祭、司教のところへは行くのではりません。カトリック信者は司祭や司教のところに、何を信じなければならないか、何をすべきかを求めているのです。もし彼らが、生活の様々な提案といろいろな計画をあれもこれも答えるとしたら、自分の宗教を創り上げるしかありません。つまり彼はプロテスタントになるしかありません。この新しい教理書は子供たちを、プロテスタントの子供にしているのです。

この刷新のキー・ワードは、「確実さ」を追い出すことです。この確実性を所有するカトリック信者が、自分の宝物を守る欲張りとして批判され、恥ずかしい利己主義者、満腹を堪能したものとして考えられています。それによると、正反対の意見に自らを開き、違いを認め、フリーメーソンやマルクス主義者、イスラム教徒さらに精霊信仰者たち(アニミスト)さえ尊重になければならない、聖なる人生の印は、誤謬との対話することである、とされています。

それが本当ならその時、あらゆることが許されます。私は既に、結婚に関する新しい定義に起因する様々な結果についてお話しました。これはひょっとしたら偶然に起こってしまう結果はありません。キリスト信者たちが、文字通りにこの定義を受け取るならば、起こりうることです。より拡大し日常的になっている道徳的放埒を私たちが見るにつけ、その様々な結果は遅れずに現れたと言うことができます。

しかし、それよりもさらに衝撃的なのは、この新しい要理書はそれに手を貸していることです。1972年頃にリヨンで、司教の教会認可 (imprimatur) を持って出版され、教師たちのために作られた、「要理の資料」と呼ばれているもを例に挙げましょう。題名は「見よ、この人を」です。倫理について言及する部分には、こうあります。「イエズスは、それが政治に関するものであれ、性に関するものであれ、あるいはその他いかなるものであれ、「倫理」を後世の人々にまで残すつもりはなかった。・・・その不変の唯一の要求は、人々の相互の愛である。・・・これの他は、人間は自由だ。人が自分の同胞をたいして持つこの愛を表現するには、何が最善の方法なのかは、それぞれの状況に置いて自分が選択するだけだ。」

同じ資料の“純潔”に関するところは、この一般的な原則を適応しています。「創世の書」を無視して、衣類はようやく後の時代に「社会的身分あるいは尊厳の印として」「隠蔽の役割」を果たすために現われたという説明の後で、純潔はこのように定義されています。

「純潔であることとは、秩序だっていること、自然に忠実であること・・・。純潔であるとは、調和があること、地球と人々と平和であること。抵抗も暴力もなしに、自然の偉大な力と調和していること。」

次に私たちは、ある質問と答えを見つけます。「この種の純潔は、キリスト教徒の純潔と一致しているだろうか? ― 単に一致しているだけでなく、それは真に人間的でキリスト的な純潔にとって必要である。イエズス・キリストでさえ、発見、知識、いろいろな民族にの長い探究の実りを否定も排除もしなかった。その正反対に、キリストは彼らに特異な延長を与えた。‘私は破壊するために来たのではなく、完成するために来た。’」

彼らの主張に証明に、著者たちはマリア・マグダレナの例を挙げています。「ここに集った人々のうちで、純潔なのはマリア・マグダレナである。なぜなら彼女は、多く愛し、深く愛したからだ。」

こうして彼らは福音を偽り伝えています。マリア・マグダレナについて、彼女の罪と放蕩な生活だけしか取り上げません。私たちの主が彼女に与えた赦しは、彼女の過去の生活を認めることとして描かれています。そして「行きなさい。そしてもう罪を犯してならない。」というあの勧告も、またかつて罪の女であったマリア・マグダレナをカルワリオまで導いた固い遷善の決意、死ぬまで私たちの主イエズス・キリストに忠実であった決心についても、いかなる注意も向けられていません。この不快を感じさせる本は限界を知りません。

この著者たちは尋ねます。「ただ楽しむため、或いは女性がどんなものなのかを知るためであるとよくわかっていたとしても、女性と関係を持つことが出来るだろうか?」そして彼らは答えます。「純潔の掟についてこのようなやり方で質問することは、真の男性、愛の人、キリスト信者にはふさわしくない。・・・それは拘束する服装を着せること、耐えられないくびきを強要することを意味していないか?ところが、キリストは、正しく私たちを様々な法の重荷から解放するためにやってきた。‘私のくびきは心地よく、わたしの重荷は軽い’。」

見て下さい! もっとも聖なる御言葉でさえも、霊魂たちを邪道に導くようにどうやって解釈されているのかを! 聖アウグスチヌスについては、彼らはたった一つの金言を覚えているだけです。「愛せ、そしてあなたの望むことを行え!」 

私は、カナダで出版された数冊の卑しむべき本を受け取りました。彼らはセックスについてだけを、しかも常に大文字で、「信仰における性行為」、「性の奨励」などと述べています。挿絵は完全に嫌悪すべきものです。彼らは全力を尽くして、子供たちにセックスへの願望と強迫観念をあたえ、セックスだけが人生において唯一のことであると信じさせたいかのようです。多くのキリスト信者の両親たちは抗議し異議を唱えました。しかしそれについて何もなされませんでした。しかも正統な理由をもって。何故なら本の最後のページで、これらの公教要理は、要理委員会によって認可されたとあるからです。この印刷許可はケベックの宗教教育のための司教委員会の委員長によって与えられたのです!

カナダ司教団によって認可されたもう一つの公教要理は、子供たちに対し全てと断絶するように勧めています。親との断絶、伝統との断絶、社会との断絶、それはこれらの全ての絆が窒息させてしまっている自分のパーソナリティーを再発見し、社会や家族から来るコンプレックスから自らを解放するためにです。いつも福音に正当化の理由を探しながら、この種の勧めを与える者たちは、キリストもこの断絶を生き、それによって、自らを天主の御ひとり子であると啓示したと主張します。ですから、私たちが同様にするのは、彼の聖旨なのだそうです。

しかし、たとえ司教の権威によって保証されていると言っても、カトリックの宗教にこのように矛盾する思想を受け入れることが出来るでしょうか? 断絶について話す代わりに、私たちは、生命を作り上げる様々な絆を大切にする必要があります。天主への愛とは何でありましょうか? もしそれが天主との絆でなく、そして天主と天主の掟に対する従順でなければ、何なのでしょうか? そして両親との絆、つまり両親への愛は、生命の絆であって、死の絆ではありません。しかし新しい要理書では、現在子供たちに、両親たちを抑圧する者、縛り付ける者、彼らのパーソナリティーを下げ、自らをそこから解放すべき者として提示しているのです!

ダメです。あなた方の子供をこのように腐敗するがままにさせていることはできません。 率直にいいます。私ははっきり言います。あなた方は、子供に信仰を失わせる公教要理の講座に、子供たちを送ることは出来ません。

 

ルフェーブル大司教 公開書簡 「教会がどうなってしまったのか分からなくなってしまったカトリック信者たちへ 全23章」

第1章. なぜ今カトリック者たちは、困惑しているのか。原因は、カトリック教会に侵入した新しい精神。それは教会の過去の教えと生命とを疑問視させる。
第2章. 私たちの宗教は変えられようとしている!
第3章. 典礼改革:ミサ聖祭が全く日常の行為の位まで押し下げられている。非神聖化。聖なる物の喪失。
第4章. 永遠のミサと現代のミサ。典礼改革は意図的に犠牲を食事に変える。
第5章. 「それは昔の話ですよ!」
第6章. 洗礼と婚姻、悔悛と終油の秘蹟の新しい仕方
第7章. 新しい司祭職
第8章. 新しい公教要理
第9章. 現代の神学
第10章. エキュメニズム(キリスト教一致運動)
第11章. 信教の自由
第12章. 「同志」および「同伴者」たち
第13章. フランス革命のフリーメーソン的スローガン「自由・平等・博愛」は、第二バチカン公会議の「信教の自由、団体主義の平等、エキュメニズムの博愛」となった
第14章. 「第2バチカン公会議は教会内部のフランス革命だ」(スーネンス枢機卿)
第15章. 教会と革命の結合:リベラル派は教会を革命と結婚・合体さようとし、歴代の教皇たちはこのリベラルなカトリック主義を排斥し続けてきた
第16章. 信仰を瓦解させる新近代主義
第17章. 聖伝とは何か:聖伝とは「数世紀を経て教導職により伝えられてきた信仰の遺産」と定義される
第18章. 本当の従順と偽物の従順:「従順」の名によって全聖伝に不従順であることは本物の従順ではない。
第19章. エコンの神学校とローマ
第20章. 永遠のミサ
第21章. 異端でもなく、離教でもなく
第22章. 家族で出来ること:家族という組織単位が破壊されつつある、離婚、同性愛カップル、出生率の低下、中絶
第23章. 「作り上げること」と「壊し尽くすこと」との闘い


教会がどうなってしまったのか分からなくなってしまったカトリック信者たちへ【その7】

2018年09月23日 | ルフェーブル大司教の言葉
教会がどうなってしまったのか分からなくなってしまったカトリック信者たちへ

ルフェーブル大司教の公開書簡 その7



7. 新しい司祭職


司祭はますます少なくなっています。このことは誰でも知っています。そこらにいるまったく宗教のことに関心の薄い人でさえこのことを定期的にマスコミで読んでいます。もう15年も前の話ですが、『明日は司祭不在の教会か?』と言う本さえ出版されました。

しかし、現状は見かけよりもさらに深刻です。司祭の減少だけではなく、次のことさえ疑問になります。「一体何人の司祭が、まだ信仰を持っているのか?」と。それだけではありません。第3の質問も問いかけるべきでしょう。

「ここ数年の間に叙階された司祭は、本当に司祭なのか?」と。言い換えると、「司祭叙階式は、少なくともその幾つかは、有効なのか?」ということです。この疑いは、その他の秘蹟の有効性に関して為された疑いと同じ重みを持っています。

この疑いは、いくつかの司教の聖別式にまで及びます。例えば、1982年の夏の間にブリュッセルで行われた叙階式で、聖別する司教は、叙品を受けるものに向かって、「ガンジーや、ヘルダー・カマラ、またマホメットのような使徒となれ!」と言いました。

少なくとも、ガンジーやマホメットに関して、このように言及することは、「教会の望むことをする」という明らかな意向と両立できるでしょうか?

[訳注:秘蹟が有効であるためには、正しい形相、正しい質料、正しい意向の3つが必要で、このうち1つでも欠けたものがあると、この秘蹟は無効になります。秘蹟が有効であるための正しい意向とは、少なくとも、「教会の望むことをする」という意向を持たなければならない。]

今から数年前にトゥルーズで行われた司祭叙階式のパンフレットを見て下さい。「司会者animateur」が叙階を受けようとする人を、名前を呼び捨てにして、紹介することから式が始まります。叙階を受ける人は、Cという名で、司会者はこう言います。

「彼は(天主と人々に為した全ての奉献を)労働階級の教会の奉仕に、自分を全て捧げることによって、もっと深く生きようと決意しました。」Cは自分の「道のり」つまり、神学校を、グループで達成したのです。そして、司教に彼の司祭叙階を推薦するのは、このグル-プです。[訳注:伝統的には、神学校の校長が、司教様に神学生を叙階することを推薦する。]

グループ曰く「私たちは、彼の歩みを認め、正真正銘のものとし、彼を司祭に叙階して下さることを望みます」と。そこで司教はかれに司祭の定義に関わることをいくつか質問します。

「君は『信者と共に、人々が、正義と兄弟愛と平和との努力のうちに、探し求めるものの印と証人となるために』『天主の民に奉仕するために』『キリストの行為を祝い、この奉仕を保証するために』司祭に叙階されることを望みますか?」

「君は、『私と司教たちと共に、福音の奉仕のために私たちにゆだねられた責任を共に担う』ことを望みますか?」

秘蹟の質料はそのまま保持されていました。それは、按手で、これは行われました。

叙階の聖別の言葉である形相も、そのまま残っていました。

しかし、意向はあまりはっきりしていないと言うことに注意しなければなりません。司祭というのは、労働階級のためだけに、そして、まず自然の秩序に限られたレベルでの正義と兄弟愛と平和ということのために、叙階されるのでしょうか。

叙階式に続く、新司祭による聖体祭儀、事実上の“初ミサ”は、これの延長上にありました。奉献部は、特別にこのために作られました。「聖主よ、御身(あなた)がお与えくださるこのパンとぶどう酒を受け取ることによって、御身をお受けいたします。より正義にかない、より人間らしい世界を建設するための私たちのあらゆる努力と労働を、さらにより良い生活条件が確保されるためにわたしたちが成し遂げようとしている事すべてを、この受け入れによって捧げることを望みます。」

その奉献されるパンとぶどう酒の上でなされる祈りはさらに疑わしくもあります。「ご覧ください。天主よ。私たちは、このパンとぶどう酒を御身に捧げます。願わくはこのパンとブドウ酒が私たちにとって、御身の現存のいろいろな形のうちのひとつになりますように。」

違います!このような方法でミサを執行する人々は、聖主の真の現存を信じていません!

一つ確かなことがあります。この疑わしい叙階の最初の犠牲者はこの若者、つまり、正確な知識を持たずに、あるいは知っていると信じ込んで、ただ永遠に司祭職を受けてしまったこの若者だということです。彼はまもなく、どのくらい後か幅があるでしょうが、いくつかの自問をしないでどうしていられるのでしょうか? 何故なら、彼に提示されていた理想は、彼を長いこと満足させることなど出来ないからです。彼の使命の不明瞭さは彼にとって明白になってくるでしょう。それが「司祭のアイデンティティの危機」と呼ばれるものです。司祭とは本質的に、信仰の人です。もし司祭が、もはや自分が何であるのか解らないとしたら、彼は彼自身と司祭職が何かに対する信仰を失っています。 

聖パウロとトリエント公会議によって与えられた、司祭職についての定義は根本的に変えられてしまいました。その結果、司祭とは、もはや祭壇へ上り、賛美のそして罪の赦しの為の犠牲を天主に捧げるものではなくなりました。目的の順番は逆転させられてしまいました。司祭職の第一の目的は、犠牲を捧げるということです。副次的目的が、福音宣教です。

あのCのケースは唯一の例とは程遠いものです。私たちには同じような様々な例を知っていますが、Cの例を見ると、福音宣教が、どこまで犠牲や諸秘蹟ということより優先されているのかを証明しています。福音宣教はそれ自体で目的となってしまっています。この危険な誤謬は数々の深刻な結果を招いてしまいました。

自らの目的を奪われた福音宣教は、方向性を見失い、誤った“社会正義”や偽りの“自由”というようなこの世の喜ぶ動機を探すでしょう。これらの「社会正義」や「自由」は様々な新しい名称を持ちます。つまり「成長」「発展」「進歩」「世界の構築」「生活条件の改善」「平和主義」などです。私たちは、全ての革命へと導いてきた言い回しの真ん中にいるのです。

祭壇の犠牲が、もはや司祭職の第一の目的ではないとすると、秘蹟こそが、危機に瀕することになります。何故なら、“教区地域の責任者(教区司祭)”とその“共同宣教チーム”は、秘蹟の授与を平信徒に任せ、自分たちは労働組合の職務、あるいはしばしば労働組合以上に政治的である、政治的の仕事に負われて忙しいからです。

実際に社会的闘争に従事する司祭たちは、最も政治的な諸組織をもっぱら選んでいます。これらの組織において、彼らは政治的、教会的、家族的かつ教区的な構造に対して戦いを挑んでいます。何一つとしてそのまま残ってはならない、と彼らは言います。共産主義は、これらの司祭たち以上に有効な手先を見つけたことはありませんでした。

ある日私は、ある枢機卿に、何を私が自分の神学校で行っているか、何にもましてミサの犠牲と典礼的祈りに対する神学を深めることに方向付けられたその霊性を説明していました。彼は私に言いました。

「しかし大司教様、それは、いま私たちの若い司祭たちが望むことと正反対ですよ。私たちは今、司祭を福音宣教という言葉においてのみ定義しています。」

私は答えました。

「どのような福音宣教ですか?もしそれがミサ聖祭との根源的および本質的な関係がなければ、どうやってそれを理解するのですか、政治的福音宣教ですか、それとも社会的、あるいは人道的それですか?」

もし、司祭がもはやイエズス・キリストを述べ伝えないとしたら、この使徒は闘争的なマルクス主義者および労働組合至上主義者になります。これはいたって当然なことです。私たちは非常に良くそれを理解します。彼は新たな神秘 (mystique) を必要とし、それを次のやり方で見出します、ただし、祭壇の神秘を失いながら。司祭たちは、完全に方向性を失っているので、司祭が結婚し、司祭職を放棄するようになっても、私たちは驚きません。フランスでは1970年に285人、1980年に111人の司祭叙階しかありませんでした。しかし、それから彼らのうち何人が還俗した、あるいは将来還俗するのでしょうか? 私たちが今挙げた驚くべき劇的に僅かな数でさえ、聖職者数の現実の増加と一致していません。若者たちに提供され、“現在の若者たちが、今望んでいる”と言われているものは、彼ら若者たちの熱望に答えていないのは目に見えて明らかです。

容易くそれを論証できます。もはや召命はありません。なぜなら若者たちは、ミサの犠牲(いけにえ)が、もう何であるのか知らないからです。結果として、もう若者は、司祭とは何なのか意味を明確にすることが出来ません。一方で、教会が常に教えて来たように、ミサの犠牲が理解され尊重されるところでは、召命が満ちています。

私は自分の神学校で、これを目撃してきました。私たちは、神学校で、永遠の真理を再確認すること以外の何も行っていません。数々の召命は、宣伝もしないのに、自然に私たちのところにやって来ます。唯一の宣伝が、近代主義者ら [が非難攻撃すること] によって行われました。私は、13年の間に187人の司祭を叙階しました。1983年以来、通常の叙階数は年に35から40人でした。エコン(Ecône)、リッジフィールド(Ridgefield –合衆国)、ツァイツコーフェン(Zaitzkofen ドイツ)、フランシスコ アルヴァレズ(Francisco Alvarez アルゼンチン)、そして アルバーノ(Albano イタリア)に来る若者たちは、ミサの犠牲によって引き寄せられたのです。

若者が聖主の代理として祭壇へ登ること、もう一人のキリストであることは、何と並外れた恩寵なのでしょうか!地上に、これ以上すばらしく偉大なことはありません。それは家族を去り、家庭を持つことをあきらめ、あるいは世俗を放棄し、清貧を受け入れる代価にふさわしいのです。

しかしもし、この魅力がもはやないとしたら、率直に言ってしまえば、その時それは値打ちのないものであり、それが為に数々の神学校は空っぽです。

もし、過去20年間、教会によって導入された方針で続けたとしたら、そして「2000年にはまだ司祭がいるのだろうか?」という問いに答えるとしたら、私たちはNoと答えることができます。しかしもし、信仰の真の概念への復帰があるならば、神学校と修道会の両者に数々の召命があるでしょう。

何故なら、何が修道士と修道女の偉大さと美しさを生み出すのだろうか? ということだからです。それは聖主イエズス・キリストと共に祭壇で自らを犠牲として捧げることです。さもなければ、修道生活は意味をなしません。現代において、若者たちは昔と同様に、物惜しみしません、彼らは寛大です。彼らは、自分自身の奉献を切望しています。欠陥があるのは現代なのです。

すべてが共に密接な関係を持っています。建造物の礎を攻撃することによって、それは完全に倒壊してしまいました。もうミサはなく、司祭たちはいないのです。典礼書は、それが刷新される前、叙階式で「天主に聖なる犠牲を捧げ、生ける人と死せる人の為、聖主の聖名により聖なるミサを執行する権能を受けよ」と司教に言わせていました。司教はこの言葉を言う前に、「彼らが祝福するすべてのものは祝福され、彼が奉献するものは奉献され、聖別されますように」と言う言葉を発しながら被叙階者の両手を祝福していたものです。授与されるこの権能は曖昧さなく表現されます。「御身の民の救いのため、そしてまた彼らの聖なる祝福によって、パンとぶどう酒が天主なる御子キリストの御身体と御血へと全実体変化することによって、彼らが働きますように。」

現今、司教は次のように言います。「天主に捧げるために、聖なる民の捧げものを受けなさい」と。司教は、新しい司祭を、職務的司祭職の保持者とか聖別者とかというよりはむしろ仲介者的なものとして作り上げるのです。この概念はまったく違うものです。司祭とは、教会において常に、叙階の秘蹟によって授与された刻印を霊魂上に持つものとして考えてきました。私たちは依然として、聖職停止 ではないある司教が「司祭とは、一般信者がなさない事をなす人ではありません。彼は、他の洗礼を授かった人がそうであるのと同じ、もう一人のキリスト 以上の何ものではないのです。」と書いているのを見たことがあります。この司教は単に、公会議とその新しい典礼の発令以来優勢になっている教えから、この結論を引き出しただけなのです。

信徒の司祭職と司祭のそれの相関については、ある混乱が生じてしまいました。ところで、悪名高いオランダの公教要理について所見をのべるよう指名された枢機卿たちが次のように言いました。「キリストの司祭職への参与における、司祭たちの司祭職の偉大さとは、一種の単なる階級的な意味においてではなく、本質的な意味において、信徒の共通司祭職とは異なる。」 この点に関して、この反対を主張することはプロテスタント主義と団結することです。

教会の不変の教義は、司祭とは聖なる消すことの出来ない刻印を授けられているということです。つまり「Tu es sacerdos in aeternum(御身は永遠に司祭である)」です。諸天使、天主の御前で、彼が何を行うにしろ、彼は永遠にわたって司祭として留まるのです。たとえ彼がスータン(司祭服)を脱ぎ捨てたとしても、たとえ彼が赤いあるいはその他の色のセーターを着て、又はもっとも恐ろしい罪を犯しても、何も変わりません。彼は司祭のままです。叙階の秘蹟は彼をその本性において変えてしまったのです。

私たちは、“教会における職務を果たすために、集会により選ばれた”司祭などではありません。そしてさらに、期間限定の司祭などではなおさらないのです。後者は、限定期間が終わると、礼拝役員は---これ以外の用語が思い浮かばないので礼拝役員と言っておきます---が、信者の間に再びその位置に戻るというもので、一部の人々によって提案されました。

司祭職を聖なるものとして見ないこの見方は、全く自然に、司祭の独身制を怪しむ事に導きます。ローマの教導職から再三繰り返された警告にもかかわらず、うるさい圧力団体は司祭の独身制の廃止を要求しています。オランダで、神学生たちが、司祭の独身制廃止の“保障”を求めて、叙階式のストライキをしているのを私たちは見たことがあります。この司祭独身制問題を審議しなおすため、聖座にせきたてようと声を上げた司教たちもいますが、私は引き合いに出しません。

この問題は、もし聖職者がミサと司祭職への正しい理解を保っていたとしたら、発生さえしなかったでしょう。なぜなら、私たちがこれら二つの現実を完全に理解するとき、真の理由はおのずと表れるからです。それは、聖母マリア様が童貞に留まった事と同じ理由なのです。つまり彼女の胎内に聖主を宿したことにより、聖母マリア様が童貞であったのは全く正当で、適した事でした。司祭も同じ事です。聖変化の時に発する言葉によって、司祭は天主を地上にもたらすのです。天主、すなわち霊的存在であり、霊そのものなる天主との親密さを持っているが故に、それは司祭もまた、童貞で、独身に留まることが良く、正しく、著しく適合しているからなのです。

しかし、人は反論するでしょう。東方教会には結婚した司祭がいると。ですが思い違いをしないようにしましょう。つまり、それは単なる黙許・黙認でしかないのです。東方教会の司教たちは結婚していることが許されません。それら重要な地位にある人も同様です。東方教会の聖職者らは司祭独身制を尊重しています。これは教会の最も古い聖伝の一部をなし、使徒たちが聖霊降臨の時から守って来たことであり、聖ペトロの様に既に結婚していた者たちは、たとえ妻と共に生活していても、もはや彼女を“知らない”でいたのです。

いわゆる社会的あるいは政治的な使命の幻想の罠にかかった司祭たちが殆ど自動的に結婚することは、もはや顕著であります。二つのことは相伴うのです。

人々は、現代があらゆることを捨てるのを正当化しているので、その諸々の状況下では貞節な生活を生きることが不可能であり、司祭、修道者たちの貞潔の誓願などは時代遅れであると信じさせたいのです。過去20年間の経験は、司祭職の現代への適応という口実のもと、司祭職に対してなされた攻撃が致命的であると証明しています。しかし“司祭なしの教会”などというものは、考えることさえできません。なぜなら教会は本質的に司祭的であるからです。これらの悲しむべき時代において、人々は一般信者の「自由結合」と聖職者の結婚を望んでいます。もしも、この見かけ上の非論理において、キリスト教社会の崩壊をその目標として持っている容赦ない論理があることに気づくなら、あなた方は物事をありのままに観察しているのであり、あなた方の判断は正確です。

ルフェーブル大司教 公開書簡 「教会がどうなってしまったのか分からなくなってしまったカトリック信者たちへ 全23章」

第1章. なぜ今カトリック者たちは、困惑しているのか。原因は、カトリック教会に侵入した新しい精神。それは教会の過去の教えと生命とを疑問視させる。
第2章. 私たちの宗教は変えられようとしている!
第3章. 典礼改革:ミサ聖祭が全く日常の行為の位まで押し下げられている。非神聖化。聖なる物の喪失。
第4章. 永遠のミサと現代のミサ。典礼改革は意図的に犠牲を食事に変える。
第5章. 「それは昔の話ですよ!」
第6章. 洗礼と婚姻、悔悛と終油の秘蹟の新しい仕方
第7章. 新しい司祭職
第8章. 新しい公教要理
第9章. 現代の神学
第10章. エキュメニズム(キリスト教一致運動)
第11章. 信教の自由
第12章. 「同志」および「同伴者」たち
第13章. フランス革命のフリーメーソン的スローガン「自由・平等・博愛」は、第二バチカン公会議の「信教の自由、団体主義の平等、エキュメニズムの博愛」となった
第14章. 「第2バチカン公会議は教会内部のフランス革命だ」(スーネンス枢機卿)
第15章. 教会と革命の結合:リベラル派は教会を革命と結婚・合体さようとし、歴代の教皇たちはこのリベラルなカトリック主義を排斥し続けてきた
第16章. 信仰を瓦解させる新近代主義
第17章. 聖伝とは何か:聖伝とは「数世紀を経て教導職により伝えられてきた信仰の遺産」と定義される
第18章. 本当の従順と偽物の従順:「従順」の名によって全聖伝に不従順であることは本物の従順ではない。
第19章. エコンの神学校とローマ
第20章. 永遠のミサ
第21章. 異端でもなく、離教でもなく
第22章. 家族で出来ること:家族という組織単位が破壊されつつある、離婚、同性愛カップル、出生率の低下、中絶
第23章. 「作り上げること」と「壊し尽くすこと」との闘い


教会がどうなってしまったのか分からなくなってしまったカトリック信者たちへ【その6】

2018年09月22日 | ルフェーブル大司教の言葉
教会がどうなってしまったのか分からなくなってしまったカトリック信者たちへ

ルフェーブル大司教の公開書簡その6



6. 洗礼と婚姻、悔悛と終油の秘蹟の新しい仕方


規則正しく十分の宗教を実践しているカトリック信者なら、あるいは人生の重大な転機において教会に足を運ぶ信者なら、次のような根本的な問いを自問自答せずにはいられません。すなわち、洗礼とは何なのか?という問いです。

ところで、このような問い自体、新しい現象です。つい最近までは、誰でもこの問いに答えることができましたし、実際だれも洗礼とは何かを、ことさら問いたててみもしませんでした。洗礼の第一の効果は、原罪から贖われることです。このことは父から子へ、母から娘に伝えられて知っていました。

ところで、ご覧ください、今ではもはやどこでさえも誰も洗礼のことを話はしません。教会内で執り行われる簡単になった儀式には、洗礼で赦される罪は受洗者が自分で犯す罪のことであって、私たち全てが生まれながら負っている原罪のことではないかのように、罪が言及されるのです。

すると洗礼とは、私たちを天主と一致させる秘蹟としてだけ、むしろ、私たちを共同体に導入させる秘蹟としてだけにしか映らなくなります。そして、洗礼式の第一の段階として、最初の儀式として、いろいろなところで押しつけられた「受け入れの儀式」はそのように表現しているのです。このことは個人個人が自発的に導入したものではありません。というのも典礼司牧全国センターのポスターに、段階的な洗礼に関する様々な発展について記述があるからです。このような洗礼を、数回に分けた洗礼ともいいます。「受け入れ」の後には、「歩み」、「求道」、があって、子供が、(いわゆる)自由に決断がつくようになるようになったときに、そしてこのことは十八歳以上など、かなり高年齢になりうるのですが、秘蹟が施されるのです。そして施される代わりに、施されない時もあるのです。新しい教会の中ではかなり重要視されている教義学を教えている或る教授は、キリスト教信者を次の二つに区別しています。まず信仰と宗教文化を自分のものとはっきりさせたキリスト者と、その他の四分の三以上の信者です。このその他の信者は、この教授によれば、彼らが自分の子供たちに洗礼を授けようとするときに前提とされる信仰しかないのだそうです。この「民間信仰の」キリスト者は、洗礼準備の集会の途中で探知され、受け入れの式より先に進むことがないように言い含められるのだそうです。このようなやり方こそ、「私たちの文明の文化状況にもっともよく適応している」のだそうです。

最近フランスのソム県の主任司祭は、二人の子供に荘厳聖体拝領式をするようにさせ、子供たちに洗礼証明書を求めました。証明書はこの司祭のもとに家族の出身の教区から送られてきました。それによると、二人のうち一人は洗礼を受けていましたが、もう一人は、両親が洗礼を受けさせたとすっかり信じ切っていたにもかかわらず、洗礼を受けてはいませんでした。この子は受け入れの式に名前が登録されていたにすぎませんでした。これがこの最近の実践の結果です。教会で与えられるものは、実は見せかけの洗礼なのです。そしてそれに参列した人々はそれを善意で本当の秘蹟だと思いこんでしまうのです。

このようなことが、みなさんを狼狽させてしまうということはよく分かります。みなさんはもっともらしい議論に面と立ち向かわなければなければならないでしょう。このもっともらしい議論はたいていの場合、提案という形を取って、苗字なしで名前だけの、つまり匿名の署名で、教区報の中にも見受けられるのです。私たちは今ここで、そのうちの一つ、アランとエヴリンの書いたものを見てみましょう。

「洗礼とは、奇跡によって、原罪などというものを消す魔法の儀式ではありません。私たちは救いが全体的で、無償で、そして全ての人々のためであると信じています。天主は全ての人々を、いかなる条件の下においても、いえむしろ、いかなる条件もなく、ご自分の愛において選ばれました。私たちにとって洗礼を受けるということは、生活を変えるということを決断することです。それは、あなたの代わりに誰もすることのできない個人的な決断なのです。それは、その前に十分よく知った上での決断なのです。云々」この数行のうちになんと恐ろしい誤謬が書かれていることでしょうか。この数行のうちに、幼児洗礼を廃止することを正当化させようとしています。さらにこの文章の言おうとすることは、教会が始まって以来の教えを軽蔑して、プロテスタントに歩み寄ることです。

聖アウグスチヌスはすでに4世紀末にこう書いていました。「幼児に洗礼を授けることは最近の発明ではなく、使徒時代から続く聖伝の忠実なこだまである。この慣習は、これだけで、しかもこの他のありとあらゆる資料をのぞいても、これだけで真実に関する確実な規則を形成している」と。

西暦251年の、カルタゴの会議は「生後8日以前に」子供に洗礼を授けることを規定しています。また、1980年11月21日にはPastoralis actioという規定で、信仰の教義に関する聖省は、「いつから始まったのかを指摘できないほど太古にさかのぼる聖伝の規範」に基づいて、幼児洗礼を授ける義務について繰り返し述べています。

このことは、もしみなさんが、新生児に聖寵の命に参与させようと[して、洗礼を授けようと]するのを、拒否されるとき、みなさんの持つ神聖な権利を優先させるために知っていなければなりません。両親は、子供にどのような食事を与えるか、あるいは子供の健康のために必要な場合の外科手術をするか、などについて子供の代わりに判断するのであって子供が18歳になるまで待ってはいません。超自然の秩序において、両親の義務はさらに緊急であって、子供が「個人的な決定」が自分ではできない時、秘蹟を司る信仰は、教会の信仰なのです。あなたが自分の子供から天国での永遠の生命を奪ってしまった場合に取らなければならない、恐るべき責任の大きさを少しでも考えてみてください。私たちの主はそのことをはっきりと言われました。「水と霊とによってもう一度生まれない限り、誰も天主の御国には入ることができない。」

この特異な司牧の実りは、待つまでもありません。パリ司教区では、1965年には二人に一人は洗礼を受けていました。しかし1976年には洗礼を受けるのは四人に一人です。ある郊外の教区の聖職者は、大して残念そうでもなく、1965年には一年間に450人の洗礼があったが、1976年には150人に減少したことを報告しています。フランス全体でこの落下は見られます。1970年から1981年の間に、洗礼総数は596,673から、530,385になっています。しかし、他方で、この同じ間に人口は3,000,000人以上増加しているのです。

このようなことは、洗礼の定義を正しく下さなかったから起きたのです。洗礼が、原罪を消すという事実を言わなくなって以来、人は「では洗礼とは何なのか」と自問するようになり、そのすぐ後に「洗礼を受けて何の良いことがあるのか」と言うようになってしまったからです。たとえ両親がそこまでいっていなくても、彼らは少なくとも、そのような話を聞かされて反省し、緊急なものではないのだと認め、それにどっちにしても、子供は、ちょうど政党や労働組合に加入するように、いつでも大人になれば、キリスト教共同体に参加することができるのだと思うのです。


結婚についても同じ質問が投げかけられています。婚姻は常にその第1目的、そして副次的目的によって定義されてきました。婚姻の第1目的は、人類の繁栄のために天主に協力することであり、副次的目的は夫婦の愛でした。

ところで第二バチカン公会議ではこの定義を変えようとしたのです。そして第1目的というのはもはやなくて、この上の2つの目的は同等だというのです。公会議の最中にこの変更を提案したのは、スーネンス枢機卿(Cardinal Suenens)でした。私は今でもよく思い出すのですが、そのときドミニコ会総長であったブラウン枢機卿(Cardinal Brown)が立ち上がってこう言ったのです。「Caveatis, caveatis! (気をつけて!)もしこの定義を受け入れると、私たちは教会の全聖伝に反対することになり、婚姻の意味を歪めてしまうでしょう。私たちは、教会の聖伝に基づく定義を変える権利がありません。」

ブラウン枢機卿は、警戒を喚起するためにいろいろな文章を引用しました。バチカンの聖ペトロ大聖堂中に大きなどよめきが起こりました。スーネンス枢機卿は教皇聖下から以前使っていた表現を和らげ、さらには変更するようにと頼まれました。Gaudium et Spesという現代世界憲章には、「婚姻の別の諸目的を見下す(posthabere)ことなく」子孫の繁栄のためという目的に強調が置かれていますが、これは非常に曖昧な表現です。ラテン語のposthabereという単語は、「婚姻の別の諸目的を第2次的に置くことなく」とも訳すことができ、これは全ての目的を同一レベルに置くことを意味しています。そして、今日では、婚姻の目的を全て同一レベルにおいて話を進めたがっているのです。ですから今日婚姻について言われる全てのことは、スーネンス枢機卿の発表した間違った観念に基づいているのです。実にスーネンス枢機卿は、夫婦の愛が--そしてこの夫婦の愛のことを、すぐに、もっと直接的に、生々しくセックスと呼び出したのですが--婚姻の目的の先頭に来る、というのです。ですから、セックスが目的なのならば、その他の全てのことが許されるようになってしまうのです。たとえば、避妊とか、産児制限とか、堕胎とかです。

一つの悪い定義のために、ご覧ください、私たちは今、全くの大混乱の中にいます。

教会は、その聖伝の典礼において、司祭をして、こう言わしめていました。「主よ、御身が人類の繁栄増殖のために確立した制度を、御身の良さを持って、補助し給え。」教会は、聖パウロのエフェゾ人への書簡の一節を選び、夫婦の相互の関係を、キリストと教会とが結びついているイメージと関係に表現しています。ところで、今では非常にしばしばこれから結婚しようとするカップルは、自分でミサを作るように招かれ、彼らは、ミサ中に読む朗読箇所を聖書から取る必要もなく、別の世俗の文章と取り替えてもよく、婚姻の秘蹟と全く関係のない福音を取ることもできるのです。司祭は、新郎新婦への勧告の中で、彼らがこれから守らなければならない様々な規制や条件などを述べることがないように気を使っています。なぜなら、そんなことを言うと教会はなんて煩いことをいちいち言うのかというイメージを作ってしまうのではないか、またひょっとしたら結婚式に離婚してしまった人たちが参加していて、彼らを傷つけてしまうのではないかと恐れるからです。

洗礼と同じように、段階による婚姻という実験が導入されました。つまり、秘蹟ではない婚姻のことで、これにカトリック信者は躓きます。しかし、司教団はこの実験をするのを黙認し、公式機関の提供するプログラムに従ってこれがなされ、教区の責任者によって勧められています。ジャン・バルト・センターのあるポスターはそのやり方をいろいろ載せています。そのうちの一つがこれです。「テキストを読む。本質的なものは目に見えない(聖ペトロの書簡)。相互の同意の交換はなかったが、手の典礼、すなわち労働の印、労働者の連帯の印。沈黙のうちの(祝福なしの)契約の交換。指輪、溶接、これは新郎ロベールの職業への暗示。彼は鉛管工だからだ。キス。参列の信者による天にましますの祈り。アヴェ・マリア!新郎新婦は花束を聖母像の前にお供えする。」

式の最後を締めくくる2つの祈りをのぞいて、超自然の要素が全くないこの種の儀式に、秘蹟が取って代わられなければならないとしたら、一体全体何故私たちの主は7つの秘蹟を立てたのでしょうか。今から数年前、ソーヌ・エ・ルワール県のリュニー(Lugny)がよく話題になりました。この「受け入れの典礼」を動機付けるために、新しいカップルに、この典礼の後に決定的に結婚するために、また戻って来たいという望みを与えたかった、と関係者は話しています。しかし、およそ二百件の偽婚姻のうち、二年たっても一組も自分たちの婚姻を正常化させるために戻ってきませんでした。もし彼らがそうしたとするなら、それは、この教会の主任司祭が、二年にわたって、同棲に他ならないものを司式し、たとえ、祝福はしなかったとしても、保証人になったからです。

教会関係のアンケートによると、パリでは23%の小教区が、結婚しようとする二人のうち一人、あるいはりょうほうともが信者ではないカップルに、秘蹟ではない式典をしたことがあるとのことです。これは、社会的な利益のために、家族や、結婚相手を喜ばせるためにそうしたそうです。

カトリック信者はこのような式に参加することは、勿論できません。自称「結婚した」カップルは、教会での式だったとずっと言い続けるでしょうし、自分たちの状況が正常な結婚状態であるとついには信じ込んでしまうかもしれません。特に自分たちの友人たちが同じような結婚式を挙げているのを見るにつけてそうです。道を外れてしまった信者は、何にもないよりはましではないかと自問自答するでしょう。こうして、宗教に対する無関心が定着してしまうのです。こうして、どんな形態をも、市役所に届け出だけの単純な結婚式から、少年少女の同棲生活(このことについては、多くの両親が「理解」を示しています)、そしてついには、フリーセックスまで、何でも受け入れる準備ができてしまっているのです。そのとき、社会の完全な非キリスト教化はもうすぐそこです。もし夫婦が子供たちを養育するために必要な婚姻の秘蹟からわき出る聖寵を得ることに同意しない限り、彼らはこの特別な聖寵を欠いたままです。秘蹟によって聖別されていない家庭の崩壊は日に日に増加し、経済社会委員会を心配させるほどです。最近の経済社会委員会の報告によると、世俗の社会でさえ、家庭、そして似非家庭の不安定による社会全体の崩壊に気がついています。

終油の秘蹟はもはや、本当に、病者の秘蹟ではありません。今ではそれは老人の秘蹟になっています。司祭の中には、これを、臨終の特別な印も見せていない老年の人々に、授けている人もいます。この秘蹟は今ではもはや、死の直前に罪の許しを得るため、天主との決定的な一致を準備する、最後の瞬間を準備する秘蹟ではなくなっています。私の手元にはパリのある教会の中で全ての信徒に配布された、ある通知文があります。これによると、次の終油の秘蹟の日付が載せられています。

「全てのキリスト者共同体のまっただ中において、まだ足の達者な人々のために、感謝の祭儀の司式最中に、病者の秘蹟が司式されます。日付:何月何日日曜日11時のミサにて。」この終油の秘蹟は無効です。

集団主義の精神が、悔悛の司式の流行を呼び起こしました。悔悛の秘蹟は個人にだけしか与えられません。その定義に従っても、またその本質によっても、私が司法行為だと前述したように、これは裁判なのです。ある件について、それが何のことなのかを知らなくて裁くことはできません。個々人の件を裁くためにはそれぞれを聞き、それからその罪を赦すかあるいは赦さないかしなければなりません。ヨハネ・パウロ二世教皇聖下は、この点について何度も強調しました。特に、1982年4月1日には、フランスの司教たちに、個人的な罪の告白の後に個別の罪の許しを与えなければならないことは、「教義上の要請である」と言われました。従って、「教会の規制が緩和された、現代社会の要請に合うように適応された、と言って「和解」の儀式を正当化することは不可能です。なぜなら、これは規律の問題ではなく、教義の問題だからです。

以前には、唯一の例外が存在していました。それは、難船、戦争の時に与えられた共同に与えられた罪の赦しです。こうした罪の赦しの価値については倫理学の権威たちがほかのところで議論を戦わせています。しかし、例外を規則にするのは許されていません。聖座の宣言を調べてみると、パウロ六世の口からもヨハネ・パウロ二世の口からも様々な折りに、次のような表現を見ることができます。「集団に与えられた赦しの例外的な性格」「重大な必要に迫られたときに」「非常に緊急の必要に迫られた非常時の状況に置いて」「例外的な状況において」・・・。

ところがこの種の儀式はほとんど習慣になってしまいました。と言っても、信者が、一年に二,三回以上、天主との関係を正常化させようとはしないので、同じ小教区においてこの儀式が頻繁に行われるわけではありませんが。人はこのような儀式の必要をもはや感じていません。このようなことは予見しておくべきことでした。というのは人々の心から罪の観念が消え去ってしまったからです。どれほど多くの司祭が、悔悛の秘蹟の必要性を言及するでしょうか。ある信者は私に、パリのいろいろな教会のうちで、「受け入れ係の司祭」がいる教会の二、三に、告解しようと行ってみると、よく司祭が告解する信者がいるのにびっくりして、褒めてくれたり、感謝したりする、と教えてくれました。

「司会者」の創造性に任せられたこの儀式には、歌もあります。あるいは、レコードをかけたりします

それから、御言葉の典礼というのが置かれ、次に、「主よ、罪人である私を憐れんでください」と言う答えを会衆が、何度も繰り返す、連祷のような祈り、あるいは、共同での良心の糾明があります。さらに、「全能の天主」で始まる告白の祈りを皆で唱え、そこに参列している人々は、皆が赦しを受けます。ところで、ここに問題があります。赦しを受けたくないと思っている人も、それに反して、赦しを受けるのでしょうか?私は、ルルドで、この儀式に参加した人々に配られた輪転機で印刷されたビラに、責任者が質問を投げかけてこう書いているのを見ました。

「もし私たちが赦しを得たいのなら、泉の水に手を入れて、そして自分の身に十字架の印をしよう。」そして、最後に「湧き水の水で十字架の印をした人たちに、司祭は按手をする(?)。彼の祈りに心を合わせ、天主の赦しを受け入れよう。」

The Universeと言うイギリスのカトリック紙は、数年前に、2人の司教様方がした行為を支持していました。それは、長年の間教会から遠ざかっていた信者たちを教会に戻らせることでした。司教様たちが出した呼びかけは、行方不明になった青年を捜す広告のようでした。「何々ちゃん家に帰っておいで。叱りませんから。」

これらの将来の放蕩息子らに、こう言っていたのです。「あなた達の司教は、この四旬節の間、喜び、祝うようにあなた達を招きます。教会は、キリストに倣って、教会の全ての子供たちに、たとえ子供たちがそれにふさわしくなく、それを願わなくても、全く自由に簡単に、彼らに赦しを与えます。教会は彼らがそれを受け入れてくれるように願い、また家に戻ってきてくれるように懇願します。長年教会を離れてしまった後でもまた教会に戻りたいと望む人はたくさんいます。しかし、彼らは告解に行こうと決心を立てることが出来ずにいます。少なくとも、すぐには告解をせずに・・・。」

彼らはそこで次のような提案を受け入れることが出来ました。「司教が参加する巡回のミサにおいて、(ここで日時が記載される)そこに参列した人々全てに、自分が過去に犯した全ての罪について赦しを与えるので、それを受け入れるようにとお招きします。そこに参列した人は、そのときに告解する必要はありません。ただ、自分の罪を後悔し、天主に立ち戻るという望みをもち、後に、自分の家にまた受け入れられた後で、告解をするだけで十分なのです。」

「それまでは、彼らは天にまします我らの聖父に『彼らを胸に堅く抱きしめさせる』だけでいいのです。痛悔するという寛大な行為をすることによって、司教は、そこに参列する罪の赦しを望む全ての人々に、赦しを与えます。彼らは、すぐに御聖体拝領をすることが出来ます。・・・」

ルルドの隔月刊誌であるLe Journal de la Grotteは、"General Absolution. Communion now, sonfession later"(全ての罪が赦される。今すぐ聖体拝領して、後に告解)と言うタイトルで、司教様の奇妙な命令が印刷されていました。同誌は、これに解説を付けて、「読者は、これを息吹かせた深く福音的な精神と、人々の具体的な状況を司牧的に理解していることに気づかれるだろう。」

私は、これによって得られた結果を知りません。しかし、問題は別のところにあります。この2人の司教様たちによって発表された罪の赦しは、年末総決算の大バーゲンセールの広告を思い出させます。長くの間教会から遠ざかっており、多分に大罪の状態にある多くの信者に、キリストの御体を拝領させるほど、司牧上の配慮は、教義の問題にまで入り込むことが出来るのでしょうか。勿論できません。この涜聖[的な聖体拝領]の回心というような軽々しい犠牲をどうして払うことが出来るのでしょうか。そして、この回心が、終わりまで堅忍するという多くのチャンスでもあるというのでしょうか。いずれにしても、公会議の前、このような受け入れの司牧が現れる前には、イギリスでは毎年五万人から八万人の回心がありました。しかし、今ではほとんどゼロに落ちています。木はその実で分かります。

カトリック信者は、フランス同様、イギリスでもどうなってしまったのか分からなくなっています。司教様の忠告に従って集団悔悛式に参加し、この状態で御聖体拝領をする罪人、あるいは、背教者はこれほどまでに簡単に与えられた秘蹟の有効性に疑いを持つのではないでしょうか。自分がそれに値しないと思う理由がたくさんあるのですから。この次、もし告解をすることによって「正常化」しないとすると、彼には何が起こることでしょうか。聖父の家に帰ることを失敗した彼は、結局、決定的な回心をするのがますます難しくなってしまうのです。

ご覧下さい。これが教義的に弛緩すると、どこに行き着くかなのです。今、私たちの教区で、これより少ない程度で異常に行われている悔悛の儀式では、キリスト信者は、一体どれほど確信を持って罪が赦されたと思っているのでしょうか。彼らは、プロテスタント信者が持つ同じ不安と、疑いによって引き起こされる内的苦悩に身をさらされているのです。キリスト信者は、この変化によって何も得なかったのです。

教義上だけの問題ではありません。これは、心理学上でも悪い影響があります。ですから、大きな罪がある人に、最初に集団的に罪の赦しを与え、そしてその次になってようやく個別に告解をするというのは、何という愚かなことでしょうか。人は、別の人の前で、良心上大きな罪があるとは言わないものです。それは一目瞭然です。それは、告白の秘密が破られるようなものです。

集団の赦しを得て聖体拝領をした信者は、もう一度告解場の法廷に出る必要を感じないと、付け加えましょう。それは誰でも分かります。和解の式は、個別の告白に付け加えられたものではなく、個別の罪の告白を取り除きそれに替わるものなのです。その他の六つの秘蹟と同様に私たちの主によって制定された告解の秘蹟は、今や絶滅へと道を辿っています。しかし、いかなる司牧上の配慮もこれを正当化することは出来ません。

秘蹟が有効であるためには、質料と、形相と、そして意向が必要です。教皇様でさえもそれを変えることが出来ません。質料は天主[であるイエズス・キリスト]様が制定されました。教皇でさえも「明日は子供の洗礼には、アルコール、あるいは牛乳を使うこと」と言うことは出来ません。また、教皇様でさえ形相を本質的に変えることが出来ません。例えば、「我、天主の御名によって汝に洗礼を授ける」とは言うことが出来ません。なぜなら、キリストはご自身で形相を「おまえたちは聖父と聖子と聖霊との御名によって洗礼を授けよ」と定められたからです。

堅振の秘蹟もやはり良く執行されていません。今日使われている形相は「我、汝に十字架の印をす、聖霊を受けよ」です。しかし、堅振を授ける人は、それによって聖霊を受ける秘蹟の特別な聖寵が何かを言及しないので、秘蹟は無効です。ですから、子供が受けた堅振の有効性に疑いを持つ、あるいは、自分の周囲で為されていることを見聞きし、無効なやり方で子供に堅振を受けさせたくないと言う両親の望みをいつも叶えています。

1975年に、私は幾人かの枢機卿たちの前で自分のやっていることを説明しなければなりませんでしたが、枢機卿は堅振のことで私を叱りました。そのとき以来、私が堅振を授けに回ると、マスコミを使って私を非難し続けています。私は、私に有効な堅振を願う信者たちの願いに答えているのです。それは、たとえそれが合法的(licite)ではないとしてもです。なぜなら、実定法的な教会法が、聖寵の運河となる代わりに天主の自然・超自然の法に対立しているときには、実定法である教会法よりも、天主の自然法と超自然の法が優先されるますが、私たちの生きている時代は、正にその時代なのです。私が時々、通常の態度からはみ出していることをするかもしれませんが、驚いてはいけません。

秘蹟が有効であるための第三の条件は、意向です。司教、あるいは司祭は教会の望むことをするという意向を持たねばなりません。教皇様でさえもこれを変えることは出来ません。

司祭の信仰は必要な要素ではありません。司祭、あるいは司教は、もはや信仰を持っていないことも、より少なく信仰を持っていることも、或いは、必ずしも完全な信仰を持っていないこともあり得ます。しかし、このことは、秘蹟の有効性について直接の影響はありません。しかし、間接的な影響は及ぼしうるのです。教皇レオ13世が、英国聖公会の叙階式は、意向が欠如しているために無効であると宣言したことを思い出します。ところで、何故、聖公会の司教が教会の望むことをすることが出来なかったというと、それは、彼らが信仰を失ったからです。信仰とは、天主と信じるということに限りません。使徒信経の中に含まれている全ての真理、つまり、「我は一、聖、公、使徒継承の教会を信ずる」という信仰を、彼らは失ったからです。

信仰を失った司祭においても同じことがいえるのではないでしょうか。私たちは既に、トリエント公会議の定義に従って御聖体の秘蹟を執行しようとは、もはや望まない司祭たちを現に見ています。彼らはこう言います。「違いますね。トリエント公会議はもうずっと前に時代遅れになっています。私たちは第二バチカン公会議を開いたのです。聖体とは意味が変化し、目的が変化することです。全実体変化ですって?そんなのはもうありません。天主の聖子がパンと葡萄酒の形色のもとに実在するですって?そんなの、今の時代にもうありませんよ!何を言ってるのですか、まったく!」

司祭がこんなことをあなたに言うとき、聖変化は無効です。ミサはありません。聖体拝領もありません。何故かというと、トリエント公会議が御聖体について定義したことは、キリスト信者は、これを信じる義務が、時の終わりまであるからです。ある一つの教義の用語を明確に表現することは出来ますが、用語を変えることはもはや出来ません。それは無理です。第二バチカン公会議は何も付け加えませんでしたし、何も決定しませんでした。第二バチカン公会議はそれをすることが出来なかったのです。全実体変化ということを受け入れないと宣言する人は、トリエント公会議の正に言うとおり、排斥されたものです。つまり、教会から離れたものです。

ですから、この20世紀の後半におけるカトリック信者は、自分たちの祖先に勝って注意深くなければなりません。そうすれば新しい神学の名において、宗教に関して何ら新しいことを強制することもできないでしょう。なぜなら、この新しい宗教の望むことは、教会の望むことではないからです。

 

ルフェーブル大司教 公開書簡 「教会がどうなってしまったのか分からなくなってしまったカトリック信者たちへ 全23章」

第1章. なぜ今カトリック者たちは、困惑しているのか。原因は、カトリック教会に侵入した新しい精神。それは教会の過去の教えと生命とを疑問視させる。
第2章. 私たちの宗教は変えられようとしている!
第3章. 典礼改革:ミサ聖祭が全く日常の行為の位まで押し下げられている。非神聖化。聖なる物の喪失。
第4章. 永遠のミサと現代のミサ。典礼改革は意図的に犠牲を食事に変える。
第5章. 「それは昔の話ですよ!」
第6章. 洗礼と婚姻、悔悛と終油の秘蹟の新しい仕方
第7章. 新しい司祭職
第8章. 新しい公教要理
第9章. 現代の神学
第10章. エキュメニズム(キリスト教一致運動)
第11章. 信教の自由
第12章. 「同志」および「同伴者」たち
第13章. フランス革命のフリーメーソン的スローガン「自由・平等・博愛」は、第二バチカン公会議の「信教の自由、団体主義の平等、エキュメニズムの博愛」となった
第14章. 「第2バチカン公会議は教会内部のフランス革命だ」(スーネンス枢機卿)
第15章. 教会と革命の結合:リベラル派は教会を革命と結婚・合体さようとし、歴代の教皇たちはこのリベラルなカトリック主義を排斥し続けてきた
第16章. 信仰を瓦解させる新近代主義
第17章. 聖伝とは何か:聖伝とは「数世紀を経て教導職により伝えられてきた信仰の遺産」と定義される
第18章. 本当の従順と偽物の従順:「従順」の名によって全聖伝に不従順であることは本物の従順ではない。
第19章. エコンの神学校とローマ
第20章. 永遠のミサ
第21章. 異端でもなく、離教でもなく
第22章. 家族で出来ること:家族という組織単位が破壊されつつある、離婚、同性愛カップル、出生率の低下、中絶
第23章. 「作り上げること」と「壊し尽くすこと」との闘い


--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様をお待ちしております
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