1939年1月1日、新年のお祝いに、シベリウス自身の指揮で自作の「アンダンテ・フェスティーヴォ」が演奏された。おそらく、フィンランド放送局によって、フィンランド全土に放送されたであろうその演奏は、心に深く入ってくる純粋澄清な音楽である。 . . . 本文を読む
1942年、戦争が激化する中、フォイアマンは痔の手術に失敗し、39歳で急逝した。1933年と35年に来日し、日本コロムビアにレコヲドを残していった。日本のレコヲド会社に録音を残した西洋の大家は結構たくさん居る。洋琴のクロイツァー、シロタ、コルトー、ギーゼキング、提琴ではブルメスター、ジンバリスト、エルマン、モギレフスキー、歌ではクララ・バット、それにチェロのマレシャル、フォイアマンなど。
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レオニード・クロイツァーは、1920年代から多くの洋琴作品をポリドールなどに録音してゐた大家で、ラフマニノフの洋琴協奏曲第2番の初演時、指揮をとったことで知られている。その後、昭和10年、日本に移り住み豊子夫人と結婚、東京音楽学校で多くの日本人に洋樂の真髄を伝えた。僕の師もその一人なのだ。
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