浪漫亭随想録「SPレコードの60年」

主に20世紀前半に活躍した演奏家の名演等を掘り起こし、現代に伝える

島国一の洋琴家 澤田 柳吉による月光奏鳴曲

2006年10月23日 | 洋琴弾き
澤田柳吉は、フルトヴェングラーと同じく1886年に生まれ、1936年に50年の短い一生を終えた浅草の洋琴弾きである。「日本一の洋琴家」といふ看板を引っさげて浅草オペラの舞台に立ったまではよいが、洋琴音楽を理解できぬ見物客から罵声を浴びせられ辞めてしまった。1923年の関東大震災の後、関西方面に移り、貴志康一とデュエットをするなどした。今日は、1931年に発売された彼の「月光奏鳴曲」の演奏を聴いて、日本人気質について考えてみたい。

日東レコヲドから発売された2枚組のSP盤は現在でも高値で取引されると聞くが、僕にはその意味がよく分かる。「ほんの半世紀ほど前にはちょんまげを結ってゐた民族が洋琴を両手で弾くことができるやうになった」といふことを証明する貴重な証拠なのである。

演奏解釈も第2楽章などでは度肝を抜かれる。どうも当時の日本民族には3拍子が理解できてゐなかったやうである。澤田の演奏は、何度聴いても4拍子だ。もともと日本の民謡に3拍子は無い(農耕民族に3拍子は生まれにくいと言われてゐる)。日本は島国だから、それまで他国の文化を考える必要も無かったのだらう。そういったことを全て理解して、農耕民族にも分かるやうに4拍子に変えて弾いてゐるのだから大したものだ。

西洋文化を知らない島国一の洋琴家が、その自己陶酔に聴き手を巻き込み鵜呑みにさせるのだから、その技術も大したものだ。そういった澤田の(といふか日東レコードの)凄さを現代に伝えるといふ意味においても大変貴重だ。

過去にこういった偉大な蛙が居たといふことは今の時代だから言えるのであって、当時の日本では最高の洋琴弾きだったのだ。日本人の西洋音楽に対する見識はこの100年で随分と変わったことが75年前のレコヲドから推察できる。

それとは対照的なのが、日本人気質の話である。「イデオロギーは自分の思想が出発点となってできたものの筈だが、日本の政治家は、ひょっとしたはずみに本を読んだり、人に聞いたりしたことを鵜呑みにして暗記するらしい。それが彼のイデオロギーだ。だからいつも論争が感情問題になって、喧嘩になってしまふ。」

井の中の蛙を外から見た白洲次郎のこの言葉は、時代が変わっても常に生き生きとしてゐるのは何故か。答えは、日本人気質は今も昔も、何も変わってゐないからだ。イデオロギーとか思想といふものが欠如してゐるのは、権力を持つ人たちに特に多い。警察、行政、教育者、大手企業などが、自分の思想を持って、議論できるやうになるのはいつの日か。

西洋音楽に携わる者はそんなことでは生きていけない。国際的な評価に敏感でなければ生きて行けない世界だからだ。今、澤田の月光奏鳴曲を聴いて「これこそが月光だ」と感激する奏者も聴き手もゐない。それは、音楽の世界においては、聴き手も含めて鎖国が解かれ、自分の思想をはっきりと持つことができてゐるからに他ならない。世に権力を持つ者に言いたい。音楽の世界を見習え(と僕は独り小声で呟いてゐる)。

盤は、ニットーレコードのSP盤 10031-2。


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